旅の種々(4)

2013年02月18日 | 日記
王宮での音楽祭が無事終わり、ウィーン最終日となりました。午前中はウィーン市庁舎の特別見学がプログラミングされています。この日も朝から雪模様。バスで市庁舎へ向かい、重厚な作りの議会場へ、そしてレセプションルームへ。女性の議長さんが挨拶に立たれ、ウィーンと日本との長年に亘る交流を大切に思っていること、前日の音楽祭にもご来聴下さったこと、この日の午後に予定されている「ドリームコンサート」にもご来場予定であること、被災地の復興を心から祈っていることなどを話された後、私たち一人一人に袋入りのプレゼントを手渡して下さいました(中身はマッチと鉛筆でした)。軽食で歓談後、一旦ホテルへ戻り、お仲間数名とタクシーでホテル・ザッハーへ。タクシーに乗り込んで行き先を告げると、運転手さんが「ザッハー・トルテかい?」とウィンクしながら言います。エジプト人の愉快な運転手さんで、車窓から見える建物を一つ一つ解説してくれたり、「エジプトは日本から資金や技術、物資などたくさんの援助を受けているんだ。日本には感謝しているよ」などと嬉しいことを言ってくれます。「ウィーンは寒いでしょ」と言うと、「今日は-1℃だから暖かいよ。今年は暖冬なんだ。例年だと-18℃ぐらいなんだよ」と言います。そして、「ザッハーはオーストリア資本だけど、ザッハーの近くにあるデーメルはドイツ資本なんだ。どっちもチョコレートケーキで有名だけどね。ザッハーはモーツァルトでデーメルはベートーヴェン、みたいなもんさ」と笑いながら言っていました。なかなかインテリな運転手さんです。タクシーを降りてお目当てのザッハー・トルテを買い、歩いて数分の「音楽館」へ。音楽関連のいろんなグッズが売られています。皆でがさがさとお土産を買い漁り、またタクシーでホテルへ戻りました。夕方は、郊外の高級老人ケアハウスに併設されている由緒ある小ホールでのコンサートです。被災地のOさんは老人ホームで働いていらっしゃるそうで、上司から「ヨーロッパの老人ホームを視察してくるように」と言われていたので、それが図らずもこんな形で実現するなんて!と感激していました。コンサートは前座としてツアーのメンバーによる合唱、ピアノ演奏、サックス演奏があり、後半はウィーンフィルのメンバーによるモーツァルトのフルート四重奏と、同じくモーツァルトの「ケーゲルシュタット」。ピアノはベーゼンドルファーです。昨日の音楽祭もベーゼンだったらよかったのになあ、と、ちょっとため息。ウィーンフィルの弦の音の肌触りの柔らかさ、絶妙のアンサンブル感覚。室内楽が大好きな私は、十分に満ち足りた気分になれました。終演後は近くのホイリゲ(ワイン酒場)で夕食会です。ホイリゲの楽しみは何と言ってもシュランメル音楽。コントラギターとアコーディオンの2人組のおじさんがやってきて、楽しそうに次々と演奏してくれます。「アメリカの歌だけど日本人が好きな曲だし、オーストリアにも縁がある」と言いながら「エーデルワイス」を歌い始めると、全員が唱和して大合唱になりました。アップテンポの曲がかかると、私たちのテーブルから次々と立ちあがり、横一列に並んで歌って踊って大団円。私も踊りたくてウズウズしましたが、ようやくこの日まで持ちこたえた腰が今にも抜けそうだったのでガマンして、手拍子と歌で盛り上がりました。私たちのノリがあまりに良いので「またあとで来るからね」と言って一旦去っていった2人組は、約束通り15分後に戻ってきてくれて、またまた楽しく歌って踊って、お陰で旅行中の小さなトラブルやストレスは全部吹っ飛びました。
こうして最終日は更けていき、ホテルに帰って荷造り。翌日は朝から移動、ミュンヒェン経由で帰国です(続く)。

旅の種々(3)

2013年02月17日 | 日記
2日目の夜は、翌日の王宮での演奏会の練習のため皆でM先生の部屋に集まりました。ドタバタでオルガンコンサートに行き損ねたくみさんも練習に付き合ってくれました。衣装合わせも兼ねて、本番のドレスを来て集合。黒の上下にアクセサリー類を自由にコーディネートしたいでたちで7人の女性が並ぶと、なかなかシックで素敵です。20分少々の持ち時間内に収めつつ緩急のバランスのとれた曲順にするため、タイムの計測をくみさんにお願いしながら歌っていきました。たった2オクターブしかない電子鍵盤をベッドの上で自在に操りながら的確に指導されるM先生の手腕に今更ながら感嘆。くみさんも、みるみるうちに声が変わっていくさまに感動の面持ちです。
翌日に備え、解散後はすぐに就寝。そしていよいよ演奏当日を迎えました。この日も雪の降りしきる天候。午前中、同室のYさんたちはオプショナルツアーでシェーンブルン宮殿へ出かけました。私は、今日の聴衆の皆様に東北の被災地への寄付をお願いするため、ホテルのビジネスセンターに頼んで空き箱を一つ探してもらい、フロントから鋏とガムテープを借りて、同じ舞台で演奏するサックス奏者の青年に手伝ってもらいながら募金箱を作りました。できあがった募金箱を添乗員さんに預け、この日ドイツに帰るくみさんと一緒にランチタイムを過ごすために外出。レストランに入ってメニューを見ると、食べたかったウィーン風カツレツが「本日のランチ」になっています。ラッキー!2人でゆっくりおしゃべりしながら楽しくランチを済ませ、くみさんと一緒にホテルへ戻りましたが、帰りの地下鉄で私だけ降車駅を危うくパスしそうになってくみさんを呆れさせてしまいました(私は見かけに反して(?)この手の失敗談には事欠かない粗忽者なのです)。くみさんと別れを惜しみつつ、いざ王宮へ。いよいよ今回の旅行のハイライトです。
王宮の中に入り、リハーサルが始まりました。私たちゴスペルグループはプログラム2番目です。リハーサルに至ってやっと、今回の音楽祭がよみうりカルチャーの発表会であることがわかりました。オカリナのグループ、日本の唱歌を歌う合唱団、シルバーエイジの女性たちが次々とソロで日本の童謡唱歌を歌い継いでいくグループ、ピアノ連弾のクラスなどなど。募金箱作りを手伝ってくれたサックス奏者の青年だけがプロ級です。リハーサルを聴きながら、ウィーンの王宮で日本の民間カルチャースクールが発表会をする時代になったのか、と、ちょっとした感慨にとらわれました。
本番前、クロークのフロアに被災地の写真を掲示し、M先生が大量に持参された被災地の方たちの手作り品を並べ、募金箱を設置しようとしたところ、募金箱が見当たりません。どうやら何かの手違いで会場に届いていない様子。添乗員さんが出発前に一旦ホテルのフロントに預けたらしいのですが、ひょっとしたらごみだと思われて処分されたのかも、とのことで、急遽ホテルに走って頂き、新しい募金箱を作って持ってきて頂きました。
そうこうするうちに音楽祭がスタート。荒天にも拘わらず会場は満席です。オカリナの美しい合奏を舞台袖で聴き、いよいよ私たちの出番。まず「Make us One」です。英語での合唱に続いてドイツ語のソロを歌い始めると、会場全体の意識がこちらにまっすぐに向かってくるのを感じました。まさしく一つになった感覚です。4ヶ国語で歌い終わるや否や万雷の拍手。次に「Victory is Mine」という英語の歌、そして御存じ「We are the World」を手話付きの日本語で。一曲ごとに嵐のような拍手。ここでM先生がピアノから離れて舞台中央に進み出、英語でスピーチをされました。「私たちは今日この舞台に立つことができて本当に光栄に思っています。ここで皆さんにスペシャルゲストをご紹介します。皆さんご存じの通り、日本は一昨年、未曾有の大災害に遭いました。毎月被災地に通う中で、私は一人の被災女性と知り合いました。彼女は声楽家ですが、あの大災害の後、あまりのショックで歌うことができなくなりました。しかし彼女は奇跡的に再び歌えるようになり、今日この場に立っています」と。被災地の声楽家Oさんが、一歩前へ進み出て「Stand Alone」を静かに歌い始めました。水を打ったように静まり返った会場に、練習の時より数倍素晴らしいOさんの歌声が響きわたります。2番は私が掛け合いに入り、途中から全員で合唱、そしてフィナーレ。皆、途中から涙をこらえながら歌っていました。ひときわ大きな拍手に包まれながらラストの「Climb every Mountain」を歌い切ると、もう堪え切れません。鳴りやまない拍手の中、舞台を降りながら涙、涙。席に戻ると、東京からのメンバーのお母様が「素晴らしかった!」と感動の面持ちでおっしゃって下さいました。こんなに暖かい、素晴らしい体験ができた感動をかみしめつつ、再び募金コーナーへ。たくさんのお客様が募金をして下さいました。M先生には「Wunderbar!」、「Prima!」、「Schoen!」と口々に賛辞が浴びせられたそうです。
最後のお客様をお見送りして片付けをし、レセプションに合流した時はもう閉会間際でした。いろんな感情がごっちゃになった興奮状態のまま、ホテルに戻って同室のYさんと2時過ぎまで話し込んでしまいました。感受性の強いYさんは「この旅行は私のターニングポイントになりそうです」と言っていました。
こうして今回の旅のメインイヴェントが終わりました(続く)。

旅の種々(2)

2013年02月16日 | 日記
ウィーン到着の翌朝は吹雪。といっても気温自体はそれほど低くありません。ホテルの9階の部屋から見る雪景色は異国情緒に満ちた光景でした。朝食はバイキングです。ライ麦パンやゼンメル(小型の丸いパン)、チーズやハムの懐かしくも美味しいこと!オムレツやパンケーキも焼いてもらえます。人の作ってくれる食事は何と美味しいのでしょう(笑)。朝から満ち足りた気持ちになりました。
この日は徒歩での市内観光が予定されています。まずはホテルの目の前の市立公園から。現地の日本人ガイドさんの説明を聴きながら、雪をかぶったヨハン・シュトラウスやシューベルト、ブルックナーらの像を、10年以上前に一人旅で来た時に巡った通りに見て回りました。街の真ん中にそびえ立つシュテファン大聖堂まで来たところで同行の皆さんと別れ、アウグスティーナーキルヒェ(教会)へ。くみさんと一緒にシューベルトのハ長調ミサを聴くためです。途中で道に迷い、通行人に尋ねながらたどり着くと、寒い中をくみさんが外で待っていてくれて、恐縮しながら中へ。荘厳なパイプオルガンの響き、司式司祭の朗々とした声、唱和する会衆の声、そして美しい合唱。ミサ曲はそもそも典礼に使われる音楽なのですからこうして聴かれるのが本来の姿なのですね。独立した音楽作品として聴く習慣がついている私たちには新鮮です。敬虔な気持ちになって聴き入りました。全部聴きたかったのですが、時間の関係で12時過ぎに教会を出て、隣接するアウグスティーナー・ケラーへ。ここが昼食会場になっているのです。くみさんも一緒に、ツアーの皆さんと食事を共にしました。
ここで小さな事件が発生。寒かったのでコートを着たまま座っていた私は、食事の様子を写真に撮り、カメラをコートのポケットに入れてトイレへ。トイレには私しかいませんでした。席へ戻り、新しい料理が来ていたので再度写真を撮ろうとポケットを探ると、カメラがありません。ポケットは縦形で蓋付きです。カメラだけでなく手袋も入れていました。左右のポケットをひっくり返してみましたが見当たらず、テーブルの下や椅子のまわりも皆で探して下さいましたが、やはり無し。もう一度トイレに戻って見ましたが、ここにもありません。店員さんに事情を話し、再度トイレを探してもらいましたが、結局見つかりませんでした。
ちょっとがっくりきましたが、本来ものぐさな私は「これでもう写真を撮らなくても済む」と内心少し喜んでしまいました。帰国後、証拠写真(?)を家族や友人たちに見せるのも楽しみの一つではありますが、元来不器用な私は、複数のことに気を配ると疲れてしまうのです。ただでさえ外国では緊張していますし、本来の目的である演奏がこの後に控えているのですから、ストレスはなるべく少ない方が良い。そういう天の配剤だと思うことにして、写真は同行の皆さんにお任せし、あとでデータを送ってもらおう、と虫のよい考えを起こしました。
昼食後、M先生率いる我らゴスペルグループは観光ツアーから外れ、プロテスタント系の「ウィーン日本語キリスト教会」へ向かいました。皆で2時からの主日礼拝に参加し、ゴスペルを歌うのです。会堂は改修工事中で、私たちは裏手の小さな集会場に案内されました。迎えて下さったHさんという日本人男性は体格のよい、よく響く声の持ち主です。聞けばウィーン国立歌劇場で歌っているバリトン歌手だそうです。3月には日本の新国立歌劇場でのオペラ公演に出演されるとか。どうも私はこのHさんのお顔を見たことがあるような気がしてなりません。ひょっとしたら新国の公演のチラシかパンフレットで見たのかも。
ともあれ、私たちゴスペルグループ7名にくみさんともう一人、ツアーの別グループのメンバーである年輩の女性も加わられて、M先生の伴奏で「Make us One」という曲を歌いました。私たちの演奏は礼拝の一部に組み込まれており、讃美や祈祷、聖書朗読、牧師先生の説教などと同列の扱いになっています。「Make us One」は「主よ、聖霊よ、私たちをどうぞ一つにして下さい、あなたの愛が流れますように、そうすれば私たちがあなたのうちで一つであることを世は知るでしょう」という内容です。これを英語、日本語、ドイツ語、韓国語で歌いました。ドイツ語は私のソロの後、皆でリズムを変えて歌います。歌いながら私は、この小さな集会場に満ちている静謐で清らかな気配に打たれました。子どもの頃日曜学校に通っていた私にとって、この礼拝の雰囲気は懐かしくもなじみ深いものですが、子どもの頃疑問だったさまざまなことが胸の中ですーっと氷解していくような気持ちになったのです。不思議な時空間でした。
礼拝後、牧師先生や他の信者さん方と懇親の時間を持ちました。私の隣に座られたのは、日本人女性と結婚しているドイツ人宣教師の方です。私の拙い通訳にも拘わらず、私たち一人一人の自己紹介に興味深げに耳を傾けて下さり、自分は今、難民のための宣教師として働いており、日本にも3ヶ月ほど居たことがある、といった話をして下さいました。彼の隣には12ヶ国語を話せるという男性が座っておられ、日本語で自己紹介をして下さいました。後ろに控えた日本人の面々は全員が音楽家か音楽家の家族で、さすがウィーンと感じ入りました。
お茶会の後、タクシーに分乗してホテルに戻りましたが、何とくみさんを置いてきてしまったことにホテルで気づき、大慌てで教会に電話しましたが誰も出ません。夜はペータースキルヒェでのオルガンコンサートに行こうと約束してたことを思い出し、8時に会場に行けば会えるんだと思い直し、ホテルの近くで買い物をしていると、そこに忽然とくみさんが現れました(笑)。日本を出て10年の大ベテラン(??)のくみさんはヨーロッパの独り歩きには慣れています。私の買い物に付き合ってもらい、一緒にホテルの部屋で休憩していたらドッと疲れが出てきて、結局オルガンコンサートは2人ともパスしてしまいました。「明日また一緒にランチしましょう」ということになり、10時頃ホテルに来てくれることに。こうして2日目は暮れて行きました。続きはまた明日。

旅の種々

2013年02月15日 | 日記
昨日ウィーンから無事に帰ってきました。毎回ヨーロッパから帰ると時差ボケで辛いのですが、今回はそれほどでもありません。実質3日間の滞在でしたから、日本時間が体に残っているうちに帰ってきてしまったのでしょうか(笑)。
今回は短いながら実に密度の濃い時間を過ごしたような気がします。いろんな印象が頭と心の中にごった返しているので、整理する意味で時系列に記憶を手繰っていきたいと思います。
まず出発前日。成田空港近くのホテルに前泊しました。そこで初めて、今回ご一緒するゴスペルグループの皆さんと顔合わせ。北は岩手の被災地から、大阪、東京、南は熊本、天草に跨る広域から7名のメンバーが集まりました。この7名以外に年輩のお花の先生とその娘さん、それから東京のメンバーのお母さん、計3名が応援団として参加されました。
この時点で初めて今回は7名で歌うのだと認識。この7人、ゴスペル歴もまちまちで、まるで闇鍋のような塩梅です(笑)。指導者のM先生が「メンバーがはっきりしないとプログラムが確定できないのよね」と仰っていた通り、実際に音楽祭で何を歌うのか、この時点でようやく固まってきました。手話付きで歌う曲もあり、熊本からのNさんとMさん(私の生徒さんとその生徒さん)など、初めての曲が何曲もあってさぞ焦ったことと思います。11時ぐらいまでM先生の部屋で練習をした後、お二人に私の部屋に来てもらって手話の練習や初めての曲の楽譜起こし(ゴスペルは楽譜が無いので、五線紙に書いて覚えようというもくろみです)などをしました。後は飛行機の中での練習に賭けるしかありません。
翌朝、成田で今回の旅行団の結団式。何と100名以上の大所帯です。旅行会社から3名、主催の読売カルチャーセンターから1人が随行されました。出発直前まで旅程をきちんと把握していなかった私は、ここでやっと今回はルフトハンザ(ドイツの航空会社)でフランクフルト経由でウィーンに行くのだと知りました。前日に父に「北周りで行くのか、南周りか」と尋ねられても答えられず、「どこで乗り換えるのか」と訊かれて「直行便よ」と答えていた私(-_-;)。パック旅行となると旅行社に丸投げして平気でいる私は、我ながらかなり危機意識の薄い人間です。
ともあれ、こうして機中の人となりました。ルフトハンザは初めてです。2階建ての大きな飛行機でしたが、連休初日とあって満席。隣席の老婦人は唱歌の合唱で出演されるとのことです。ここで初めて、今回の音楽祭には合唱やピアノ連弾、楽器のグループなども参加されるのだとわかりました。10時間以上のフライト中、MさんMさんはiPadやヴォイスレコーダーを駆使して練習に励んでいましたが、私はお隣さんとおしゃべりをしたり、持参した本を読んだり、うつらうつらと眠ったりしているうちにウィーンに到着。空港を出てバスに乗り込むと-1℃という表示が出ています。思っていたほど寒くありません。今年は暖冬だとか。
宿泊先は市立公園前のヒルトンホテルです。前日からウィーン入りしていたドイツ在住の友人、くみさんがロビーで待っていてくれました。昨年の春に熊本で会って以来、8か月ぶりの再会です。部屋にスーツケースが届くのを待って(くみさんへのお土産が入っているので)、8時からのオルガンコンサートに一緒に出かけることにしていたのですが、そのスーツケースがなかなか来ません。8時半ごろになってやっと届きました。オルガンコンサートは諦め、近くのレストランで2人で食事をしました。何を食べたのだったか思い出せませんが、感じのよい小さなビストロでした。2人でゆっくりくつろぐうちに、ウィーンに来た実感が湧いてきました。10時頃ホテルに戻り、相部屋になった天草のピアノ講師Yさん(彼女を含め若手が4人、アラフィフが3人というメンバー構成です)ともども旅の疲れですぐに寝てしまいました。
翌日、翌々日はいよいよ当地での演奏ですが、その前にちょっとした事件が起きました。それについてはまた明日。今日はここまでにしたいと思います。

後期終了

2013年02月07日 | 日記
今日で学年末試験が終わりました。これからまだ採点、評定、再試験がありますが、とりあえずの区切りです。
大学の講師は授業期間中と休暇中で生活が全く違います。春夏合わせて4ヶ月の休暇期間は、本来は教育から少し離れて研究に集中する時間だと思いますが(最近では組織改革のあおりで落ち着いて研究に取り組む余裕がないほど雑務に追われている、という専任の先生方の嘆きもよく聞きますが)、大学では音楽と直接は関係のない分野に携わっている私にとって、休暇期間は「ある程度音楽に集中できる期間」という意味を持っています。だんだん明るく暖かくなっていくこれからの時期、少し肩の力を抜いて、気持ちの余裕をもって過ごせそうです。
さて、今日は2月、3月に行われるコンサートをいくつかご紹介します。まず2月10日(日)14時から県劇コンサートホールで行われる「第2回 最高の男たちの冒険」。N響第一コンサートマスターの篠崎史紀氏を中心に、日本を代表するトッププレイヤーたちが熊本に結集します。今回はピアノコンチェルトのソリストとして清水和音氏も参加します。第1回目の2年前の演奏会の素晴らしかったこと!このコンサートを聴くために九州全域、日本全国から人が集まったと聞いています。是非ご一聴をお勧めします。チケットは3,000から8,000円まで。お問い合わせは080-4311-5795(チケット専用電話番号)へどうぞ。
次に、2月24日(日)14時から同じく県劇コンサートホールで「熊本市民合唱団ユーゲント・コール」の第41回定演。入場料は大人1,000円、学生500円、小学生以下無料です。この合唱団とは、以前「ニューイヤーコンサート」という催しでご一緒したことがあり、また、メンバーに知り合いが数名いて、うちの合唱団の演奏会の時に助っ人に来てくれた人もいます。第1ステージではオーソドックスな合唱曲、第2ステージでは少し毛色の変わった合唱曲、第3ステージでは子どもや一般の方も楽しめるポピュラーな歌を歌われるようです。合唱に興味のある方、どうぞご来聴を。
3つめは、3月10日(日)14:00から県劇コンサートホールでの「吉永誠吾・森恭子 熊本大学退任記念演奏会」です。入場無料。ヴァイオリンの吉永先生にはうちの合唱団の演奏会で弦楽伴奏の曲の指揮者としてご協力頂きました。日独協会の総会や、秋のドイツ旅行(私は残念ながら行けませんでしたが)での音楽交流でも一肌脱いで下さいました。チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」を演奏されるそうです。一度やってみたかった曲だとおっしゃっていました。アルトの森先生は、カリオペくまもとの立ち上げから今日に至るまで物心両面で多大なご協力を頂いている恩人です。森先生のお力無しに今日のカリオペくまもとは無い、と言っても過言ではありません。温かいお人柄そのままに、温かい歌を聴かせて下さると思います。
今気づきましたが、3つとも日曜日の午後2時、県劇コンサートホールでの演奏会ですね(笑)。残念ながら10日は日本にいませんが、あとの2つは聴きに行く予定です。
明日の夕方熊本を発ち、明後日の朝、成田からウィーンに向けて出発します。14日に帰国、同日に熊本に戻ってきます。その間ブログはお休みさせて頂きます。お土産話をどうぞお楽しみに!