身体の記憶

2012年10月21日 | 日記
今日、W先生の公開レッスンを聴講されたMさんが来られました。公開レッスン終了後に「中音域がうまく出ないのですが」と質問に行かれ、その場でW先生のワンポイントレッスンを受けて忽ち悩みが解消して本人も驚いていたのですが、あれから4日しか経っていないのでまだ感覚が残っていたのでしょう、今日もとてもいい声が出ていました。ご本人曰く、先生の身体の使い方を近くで見られたのが良かった、と。確かにそうなんです。口の開け方にしても体の使い方にしても、やってみせて下さるのを近くで観察し、真似することで正しいフォームが自分の体に転写するのですね。発声には身体の使い方の習得という一面がありますから、まねるべきお手本をまぢかで示して頂けるのは大変有り難いことです。
今回、私は自分ではレッスンを受けていないのですが、先生のそばでずっとレッスンを見ていたので私の体にも転写が生じたのでしょうか、発声がラクになりました。W先生は「自分では身体のどこをどう使って声を出しているのかわかならいのよ。生徒に「先生、今足の指に力を入れられましたか?」とか「腰のこの辺を拡げられましたか?」とか「内転筋を使われましたか?」と訊かれて、「え、ちょっと待ってよ...」と言いながらもう一回声を出してみて、ああ、確かにそこを使っていたみたいね、なんて答えているのよ」とおっしゃっています。W先生にはよい声のイメージがはっきりとあって、どうしたらそういう声が出せるのか、試行錯誤しながらご自分自身で掴んで来られたのと同時に、生徒さん達が「どうしてできないのか」を徹底的に分析しながら独自のメソッドを編み出してこられたのです。
W先生から面白い話を聞きました。古い生徒さんがW先生のお宅に整体の先生をお連れになって、W先生の体の筋肉の付き方に似せてその人の身体を調整してもらったら別人のように良い声が出たそうな。他のお弟子さん達も試してみられたところ、やはり同じように声が非常に変わったのだそうです。不思議な話ですよね。W先生は「生徒の身体を私の体に似せて調整する、っていうのがどういうことなのか私にもよくわからないんですけどね」とおっしゃっていますが、実際に声が劇的に変わるというのだから試してみる価値はあると思い、私も次回の上京の折にはその治療を受けさせて頂くようお願いしました。私は元来、整体とか鍼治療などの代替医療がとてもよく効く体質なので、自分の体がどんな風に変わるのかとても楽しみです。結果はまた後日ご報告したいと思いますが、今は、記憶に新しいW先生のレッスン風景を思い起こしながら、生徒さん達とご一緒にレッスンに励みたいと思います

中学生の合唱(承前)

2012年10月19日 | 日記
中3の姪と中2の甥が通う中学校の校内合唱コンクールを聴いてきました。私が非常勤として勤務していた頃は、今はもうなくなってしまったメルパルクホールや産文ホールでやっていましたが、最近は県立劇場のコンサートホールを借りて大々的にやっています。中学生の頃からこんな大舞台に立ってステージマナーの勉強ができるなんて、最近の中学生は本当に恵まれていますね。中学校の体育館でやっていた自分の中学時代とは隔世の感があります。
コンクールは1年生から順に進み、3年生までの演奏が終わった後にはコーラス部の演奏や3年生全員での合唱もあり、聴き応えのあるプログラムでした。演奏は各学年の課題曲と各クラスの自由曲の2本立てです。コーラス部が歌った難しいア・カペラ2曲と3年生の全員合唱「流浪の民」と「大地讃頌」は圧巻でしたが、クラス合唱の水準もかなりのもので、ご指導の先生のお力と中学生の底力を実感しました。
審査員を務められた3人の先生を私は個人的にもよく存じ上げていますが、代表で講評をされた先生がこの学校の合唱コンクールのレベルの高さを絶賛されていました。この方は高校の先生で、前任校の合唱部を全国大会での金賞受賞に何度も導かれた大御所です。その先生が、以前にこの学校の合唱コンクールの審査をなさった時(私の在任中でした)、クラス合唱の意義を痛感されて、ご自分の勤務校でも合唱コンクールを始められたのだそうです。それが功を奏して一時期はコーラス部員が130名を超えたこともあったとか。講評を聞きながら、学校教育における合唱の意義を再認識させられました。
さて、肝心の合唱の感想です。よく頑張っているなあというのが第一印象です。一緒に聴いていた私の弟(すなわち姪と甥の父親)も、姪がここ数カ月の間どれほどクラス合唱に入れ込んでいたかを語っていましたが、この年頃に何かに夢中で取り組んだ経験は一生の思い出になるばかりでなく、生きる力の一部になります。学校が仕掛け人になって子どもたちの意欲や能力を最大限に引き出し、「皆で頑張れる」子どもたちがこんなに育っているのですから、ひょっとしたら日本の将来は明るいのかもしれません。生徒代表の挨拶や各クラスの曲目紹介のコメントは少々生硬に感じましたが、それは今後の成熟のステップというところでしょうか。
音楽的な面ではいくつか気になる点がありました。一つは生徒の指揮が大げさすぎること。体の軸がぶれたり、拍をきちんと振らないでパフォーマンス的な指揮になっていたりする指揮者が多かったと思います。それから、テンポやアゴーギクをもう少し工夫する必要がありそうです。間の取り方に少し違和感を感じました。また、日本語の発音は比較的しっかりしていましたが、2年生の課題曲のラテン語の発音が、口の中が狭くて日本語のように聞こえました。外国語は口の中をもっと広くしないとカタカナに聞こえてしまいます。
一番考えさせられたのは、最近の合唱曲の印象の薄さです。どれも同じに聴こえます。後で心の中で反芻できるような曲が残念ながらほとんどありませんでした。どの曲もリズムやハーモニーはかなり複雑なのですが、歌詞のメッセージをしっかり伝えるだけのメロディの力が今一つ足りない感じなのです。昔は、「いい曲だなあ」と心から共感し、いつか是非歌ってみたいと思う曲がたくさんありました。Nコンの高校の部の課題曲だった「ひとつの朝」や「聞こえる」などは今でも心の中に響いてきます。そういう意味で一番訴える力を感じた曲はと言えば、3年生の課題曲「流浪の民」と3年生の全員合唱の「大地讃頌」でした。「流浪の民」は19世紀の作品です。これは単に私の感覚が古いということなのでしょうか。やっぱり歌はメロディが命なのではないでしょうか。
以上のような様々な物思いを惹き起しながら、全12クラスの若々しい合唱が私の心を通り過ぎて行きました。あと一ヶ月で私が指揮をしている合唱団の演奏会の日がやってきます。中学生にもらったパワーでこれから1ヵ月、充実した練習を積み重ねたいと思います。

公開レッスン

2012年10月17日 | 日記
3日間に亘るW先生の公開レッスンが終わりました。15日から始まり、昨日は県南へ移動して頂いてのレッスン、今日はまた熊本に戻って頂いて、昼間は非公開の個人レッスン、夜は外部会場を借りての公開レッスンでした。お帰りは明日ですが、明日の午前中にも非公開の個人レッスンの予定が入っています。4日間フル回転です。私はほぼ全部のレッスンに随行したので、レッスンを受ける代わりに教え方の勉強をさせてもらいました。
レッスンを間近で見ていると本当に勉強になります。私も生徒さんのレッスンをする時はW先生と同じようなことを言っていると思うのですが、声の変化が私のレッスンとは比較にならないほど早いのです。さすがと言うしかありません。
W先生が「熊本って本当に声のいい人が多いのね」とおっしゃっていましたが、私も改めてそう思いました。今日の公開レッスンのモデルになった高校生など高1とは思えないほど伸びやかなよい声でしたし、大人の受講生の方たちもプロ・アマ問わず持ち声がよく、その美しい声がW先生の魔法のようなレッスンを受けるとますます輝きを増して心地よく鳴り響くのです。聴講している方たちも、みるみるうちに声が変化していくさまに驚いていらっしゃいました。
W先生は御歳80歳ですから、さすがにこれだけレッスンを詰め込むとお体に負担がかかったようで、休み休みレッスンをして下さいました。体力的にかなりハードだったのだと思います。終了後、「あなたにとっては新しく得るものは何もなかったんじゃないの?」と言われましたが、とんでもない、これだけ多種多様な声を持った生徒さんそれぞれの個性を十全に生かすW先生のレッスンを見て、指導者としてどれほど勉強になったか測り知れません。私だけでなく、おそらくレッスンを受講あるいは聴講された一人一人の心に忘れ難い印象を残されただろうと思います。私も心機一転、日々のレッスンに今回の経験をしっかりと生かしていきたいと思います。ご参加下さった皆様、お疲れさまでした。

ターニング・ポイント

2012年10月15日 | 日記
普段、大学生と接する中でジェネレーションギャップにショックを受けることがよくあります。彼らがドイツ民謡の「野ばら」や「ローレライ」を知らない、というぐらいのことではもう驚きもしませんが、今日は大学2年生のドイツ語の授業で、彼らがかの有名なノーベル平和賞受賞者、アルベルト・シュヴァイツァー博士を知らなかったのにはさすがに驚きました。
このクラスでは、やはりノーベル賞受賞者であるドイツの物理学者ハイゼンベルクの講演録を読んでいます。いくつもあるクラスの中からこのテキストを使う私のクラスをわざわざ選んで履修するのだから、ハイゼンベルクあるいは物理学に興味のある人が受講するのだろう、と思うのは早計で(笑)、ハイゼンベルクのハの字も知らない人がほとんどです。まあ、かく言う私も彼の理論や業績など全くわからない物理オンチですから、彼らと大した違いはありません。幸い(?)このテキストには物理学の学説などは全く出て来ず、科学技術が過度に進んでしまった現代社会のあり方に警鐘を鳴らすという主旨の文章なので、文系アタマの私にも何とかついていけるのです。そして、このテキストの中にノーベル賞受賞者たちの会議の話が出くるのですが、そこにシュヴァイツァーが登場するのです。
私は小学校の音楽の授業で、専科の先生からシュヴァイツァーのレコードを聴かせてもらったことがあります。バッハのオルガン曲だったと記憶しています。「この演奏をしている人は、本職はお医者さんです。誰だかわかりますか?」と訊かれ、おずおずと「しゅばいつぁー...ですか?」と答えたことを今でも覚えています。アルザスの牧師の息子で、若き日に音楽と哲学・神学を修め、青年時代のある日、バッハのオルガン曲を弾いている最中に突如「アフリカ奥地の黒人を救う」という自らの使命を感得し、それから医者となり、アフリカのランバレネに赴いて伝道と医療に一生を捧げたシュヴァイツァーという人の伝記を私は小学校3年の時に読み、子ども心に強い感銘を受けました。シュヴァイツァーとブラック・ジャックの影響(!)で「私も将来は医者になりたい」と思ったものでした。
今思えば、音楽が大好きだった私は、シュヴァイツァーが元来は音楽家であり、音楽を通して医療という自分の使命を直観したことに衝撃を受けたのです。長ずるに及んでは、その直観がバッハの作品を通して彼に訪れたということに深い感銘を受けました。音楽芸術の神秘性に今更ながら胸を打たれます。シュヴァイツァーほど劇的かつ崇高な転換でなくとも、誰の人生にも何度かのターニング・ポイントがあるものだと思います。私にもありました。第一の転機は歌との出会い、そして第二の転機は師匠との出会いです。
折しも、昨日から我が師匠W先生が所用でご来熊中です。10年前のW先生との邂逅がなければ今の私はありません。そのW先生のレッスンを一人でも多くの方に受けて頂きたい一心で、ご高齢のW先生に5日間の逗留をお願いしました。今日に続き明日も明後日も公開レッスンをお願いしていますが、これがまたどなたかのターニング・ポイントになるとしたら、私としてはこれにまさる喜びはありません。

演奏会の効用

2012年10月13日 | 日記
今日の夕方レッスンに来られたSさん、前回のレッスンではちょっと高音に苦労したのですが、今日はとても調子がよく、ラクに発声ができています。どうしてかなと思っていたら「たった今、素敵なソプラノのコンサートを聴いてきたばかりだからです、きっと」とおっしゃいました。なーるほど。
実は私もその演奏会に行ってました。というか、私がSさんにそのコンサートを紹介したのです(笑)。とは言え、実は私もそのソプラノ歌手の演奏を聴くのは初めてで、どんな歌を歌われるのか楽しみにしていました。プログラムはイタリアや日本の歌曲、オペラアリアなどオーソドックスな内容でしたが、合間にピアノとヴァイオリンとチェロのトリオの演奏が挟み込まれて、ヴァラエティ豊かなコンサートでした。弦楽器の音は人間の肉声に近いので、上手なヴァイオリン演奏を聴くと特にソプラノの人は喉の調子が良くなります。これは私も何度も経験済みです。それに加え、今日のソプラノさんの声はSさんの声帯にもよい影響を与えて下さったようです。発声の良い人でないとこうはいきません。逆のケースもしばしば起こるのです。試験やコンクールで自分の前の順番の人の発声のよしあしが自分の声に大きく影響することは、歌うたいの間では周知の事実です。
Sさんが今所属している合唱団は、男声が残念ながらかなり発声に問題があるそうで、「男声は聴かないようにしています」と言っていました(笑)。男声諸氏は吼えるような大声で歌っては噎せているそうですから、これは少々(かなり)問題ですねえ。そういう場合はよい演奏会やよい演奏のCDを聴いて耳直しをすると良いのです。自分の声質と似た人の歌を聴くと声帯の動きが整ってくる感じがあります。こういうセルフケアの方法を持つことも大事ですね。