あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

日々の試練。従うか、戦うか、狂うか、死ぬか。(自我その71)

2019-03-28 14:25:58 | 思想
我々は、自らが属している構造体でパワハラやいじめを受け、その構造体に違和感を覚えている時、今まで通り構造体に従うか、構造体の中の加害者と戦うか、構造体を無視するために精神疾患に陥るか、構造体に行くことも離れることもできない苦しさから逃れるために死ぬしかない。構造体とは、学校、会社、家族などの組織・集合体を指す。さて、誰しも、学校という構造体で、いじめを苦にして自殺する生徒を見ると、自殺するぐらいならば学校に行かなければ良いのにとか別の学校に変われば良いのにと思うが、その生徒の心には今の学校に行かないや別の学校に変わるという選択肢が存在しないのである。それほど、これまでの学校を離れることに恐怖心を抱いているのである。次に、誰しも、会社という集合体で、パワハラを苦にして自殺する人を見ると、自殺するぐらいならばそんな会社は辞めてしまえば良いのにと思うが、その人の心には別の会社や別の仕事という選択肢が存在しないのである。それほど、これまでの会社を離れることに恐怖心を抱いているのである。次に、誰しも、家族という集合体で、親に虐待され亡くなった子供を見ると、親に虐待される家庭ならば死ぬ前に飛び出し誰かの世話や施設に保護を求めれば良いのにと思うが、その子の心の中には別の人の世話や施設の保護という選択肢が存在しないのである。それほど、これまでの家族から離れることに恐怖心を抱いているのである。このように、自らが属している構造体の中で虐待を受け、その構造体に違和感を覚えても、その構造体の人やその構造体そのものと戦うことはできないのである。たとえ、戦いに勝利しても、二度と、構造体に戻ることはできないからである。それは、構造体は運命共同体であり、たとえ、構造体そのものが悪方向に走っていようと、構造体の中に悪事を働いている人がいようと、構造体の中の人やその構造体そのものと戦うことは、構造体そのものに弓を引き矢を射るのと同じことを意味し、構造体の中全体の人から忌避されるからである。そして、構造体外の人からも、ある構造体や構造体の中の人を指弾する行為をする人は忌避されることが多いのである。なぜならば、人は、一般に、永劫回帰(毎日同じことを繰り返すこと)に安心感を得、穏便に暮らし続けることを望んでいるからである。それは、学校、会社、家族という小さな構造体だけでなく、国という構造体にも及ぶ。だから、戦前、戦中、一部の知識人や宗教人が命を賭して、国の方針に逆らって、戦争反対という正しいことを主張し、実際に百人以上拷問死していても、彼らの名誉回復は今もって為されていないのである。さて、構造体を無視するために精神疾患に陥る方法があると述べたが、それは、自らの意志や自らが意識してできることではない。つまり、表層心理では、できないのである。無意識のうちに、深層心理が為すのである。だから、いつの間にか、精神疾患に陥っているのである。構造体内でのパワハラやいじめに精神が堪えきれないと深層心理が判断し、自らの心を精神疾患に陥らせたのである。精神疾患の具体例として、鬱病、統合失調症、離人症などがある。その人の体質によって、罹患する精神疾患が異なるのである。しかし、役目は同じである。自分が属している、パワハラやいじめなどがある構造体を無視することである。深層心理が、自らの心を鬱病にし、心を重くして、その構造体に行かせないようにしているのである。深層心理が、自らの心を統合失調症にし、現実を忘れさせ、その構造体でのパワハラやいじめを感知させないようにしているのである。深層心理が、自らの心を離人症にし、その構造体でのパワハラやいじめを誰に対してのものかわからないようにしているのである。確かに、精神疾患に陥れば、いじめやパワハラを避けることができ、忘れることができる。しかし、精神疾患の辛さや異常さは長く続き、容易に寛解できないのである。なぜならば、精神疾患は、意志や意識の表層心理に拠るものではなく、無意識の深層心理がもたらしたものだからである。さて、確かに、我々は、構造体から追い出されることを恐れ、自らが属している構造体でパワハラやいじめを受け、加害者に怒りを覚えても、そのようなパワハラやいじめを認容している構造体に違和感を覚えていても、ほとんどの人は、加害者やその構造体と戦わず、今まで通りその構造体に属し従っていく。新しく受け入れてくれる構造体が見つかるとは限らず、見つかっても、新入生、新入社員としてやっていく自信が無いからである。しかし、表層心理で無理に受け入れようとしても、深層心理を騙すことはできない。いつの間にか、精神疾患に陥っているか、自殺に向かっている可能性がある。だから、自らが属している構造体でパワハラやいじめを受けていたならば、その構造体から追い出されることを覚悟して、加害者やその構造体そのものと戦うべきである。「人間到る処青山あり」(人間、活躍する場所はどこにでもある)の気持ちで、戦うべきである。そもそも、誰しも、どの構造体でも、新入生、新入社員で始まるのだから、新しい構造体を探し、出直すべきである。