あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

日本共産党よ、大衆に期待するな(自我その47)

2019-03-02 13:38:29 | 思想
明治憲法(大日本帝国憲法)での一世一元の制は、太平洋戦争敗北後、その法的権力を失っていた。しかし、1979年、大平正芳内閣は、神社本庁や自民民主党の後押しによって、キリスト教団体や社会党、共産党の反対を押さえて、元号法を成立させた。元号法には、元号は政令で決める、元号は皇位の継承があった場合に限り改める、の二点が定められている。現在、日本のマスコミは、平成天皇が皇位を皇太子に譲る時を目前にして、次の元号は何かと話題にしている。日本共産党だけが元号反対を表明している。元号を反対するのは、全く正しい。なぜならば、元号制は、象徴であるはずの天皇が現実の日本の元首であることを意味し、いつでも国民主権をないがしろにする危険な可能性をはらんでいるからである。しかし、日本共産党の反対声明は徒労に終わるだろう。それどころか、逆切れされ、日本共産党に非難が集中するかも知れない。しかし、日本の大衆とは、そういうものである。日本の大衆には、日本人という自我がしっかり浸透してしまっていて、その自我のあり方について考えるということがないのである。いや、日本の大衆もというふうに表現した方が良いかも知れない。韓国の大衆も、北朝鮮の大衆も、中国の大衆も、アメリカの大衆も、ロシアの大衆も、国民という自我に目が眩んでいるということにおいては、日本の大衆と変わらないからである。いや、もっと常軌を逸しているかも知れない。日本の大衆は、明治時代以来、政府の「国民は天皇の赤子である」という臣民意識の日本人という自我を持たされ、日清戦争からの連続した戦争で、命を散らした。そして、その連続した戦争が、日本人という自我を一層強くした。挙げ句の果てに、太平洋戦争での無駄死にである。その象徴的な出来事が、「自分も後に続く」と軍部の上官に騙された六千もの若者の大衆の特攻死、敗戦とわかっていながら国体護持(天皇制維持)に政府首脳がこだわり広島長崎の原子爆弾による三十万の大衆の殺戮である。それでも、日本の大衆からは、天皇の臣民という日本人の自我が抜けず、現在でも、マスコミに踊らされ、次の元号は何かと興味津々なのである。だから、日本共産党が元号反対を唱えれば、理解されないどころか、反感を懐かれるだけなのである。また、天変地異が起こって、万が一、日本共産党が第一党になって政権を執っても、民主党政権と同じように、産経新聞と読売新聞が真っ向否定し、官僚たちは政権に偽情報を流すだけでなく、週刊新潮や週刊文春に偽情報を流し、批判能力のない大衆はマスコミの言うことを信じ、早期に政権は瓦解するであろう。また、東京地検特捜部が、民主党政権を潰すために、小沢一郎に狙いを付け、陸山会事件で、政治的に抹殺した。日本共産党が政権を握ると、東京地検特捜部は、必ず、政権の中枢にいる者を、冤罪で起訴するだろう。無罪になろうと、起訴すれば、日本の大衆は、その人を信用しなくなり、政治的に抹殺できるからである。そして、日本共産党が政権を握れば、公安調査庁も黙っていないだろう。公安調査庁は、日本共産党を破壊活動防止活動法に基づく調査対象とし、共産党員を尾行するなどして、日々細かく調べている。公安調査庁がこのようにしているのは、日本共産党が危険だからではなく、恐いからである。公安調査庁は、日本共産党の復讐が恐いのである。公安調査庁は、戦前の特高(特別高等警察)の後身に当たり、特高と同じ方針で捜査(調査)している。戦前、特高は、戦争に反対した、小林多喜二、岩田義道以下日本共産党員八十名を拷問死させている。だから、公安調査庁は、日本共産党からの復讐を恐れているのである。そこで、日本共産党が政権を握ると、日々の調査から、政権の中枢にいる議員を、起訴するだろう。ときには、逮捕するだろう。微罪でも、軽罪でも良いのである。政治的に抹殺し、共産党政権が潰れれば、それで良いのである。共産党が否定しようと、日本人という自我に取り憑かれている大衆は、公安調査庁の言うことを信じるのに決まっているからである。このように、日本人という自我に取り憑かれている大衆に、日本共産党の真意は届くことはないのである。