あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

自我によって起こされる現代の戦争(自我その46)

2019-03-01 20:06:55 | 思想
現代の戦争は、経済戦争ではない。国民戦争である。資源や奴隷を求めての帝国主義的な経済戦争ではなく、国民の自我によって自らの存在を敵国を含めて他国に認めさせる戦争である。領土獲得をめぐっての戦争も、そこにおける資源や農地の獲得は二の次で、敵国に自らの存在を認めさせるための戦争なのである。下賎な言葉で言えば、「馬鹿にされてたまるか」や「目に物見せてやる」という思いでの戦争なのである。20世紀、第一次世界大戦、第二次世界というふうに、大規模の残酷な戦争が連続したのは、世界中に、国民意識が高まったからである。国民意識とは、国民としての自我を持つということである。つまり、第一次世界大戦、第二次世界は、国民としての自我が高まったから起きた戦争なのである。有史以来、世界中の各地域において、各民族が領土獲得競争をしてきたが、ようやく、20世紀、それが国となって領土の区画が明確になり、そこに住む者が国民としての自我を持つようになったのである。日本でも、明治政府が、「国民一人一人が天皇の赤子である」という言葉と国民皆兵制度で、日本人に、日本人という自我を持たせるように仕向け、日清戦争、日露戦争を通じて、天皇を頂点とした国民という日本人という自我を日本人に浸透させていったのである。ナポレオンの軍隊が強かったのは、それまでの騎士や傭兵とは異なる、国民軍を大規模に採用したからである。兵士はフランス国民という自我の下で戦ったからである。国家間の戦争が最も国民としてまとまる、つまり、最も国民としての自我が高まるのである。だから、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争というような連続した戦争を通じて、陸軍・海軍の軍人が、日本人という自我を持った国民の国である日本を支配するようになったのである。さらに、明治憲法(大日本帝国憲法)下では、統帥権(軍隊の作戦用兵を決定する最高指揮権)は、天皇の大権事項として、内閣、行政の範囲外にあったので、陸軍・海軍の軍人が、戦争を通じて、日本を牛耳るようになったのである。東条英機が、陸軍大臣から、陸軍大臣、内務大臣を兼ねた総理大臣になり、太平洋戦争を起こしたのは偶然の出来事ではない。彼の日本のトップとしての自我、軍人のトップとしての自我が、ハルノート(アメリカの国務長官のハルの中国大陸からの日本軍の撤退などの提案)によって傷つけられたからである。日本国民も、それに同調したのである。アメリカと日本の国力、戦力の差は歴然としていた。日本人の多くはそれに気付いていた。しかし、日本人という自我が太平洋戦争に踏み入れさせたのである。そして、東条英機が陸軍大臣の時に作成した、捕虜になるくらいなら死ねという戦陣訓によって、陸軍だけでなく、海軍も民間人も無駄な死を迎えたのは、日本人に深く日本人という自我が浸透していた証なのである。江戸時代には、幕府中枢の一部にしか日本人という自我はなく、武士は藩士としての自我、農民は村民としての自我、商人や職人は町民としての自我を持っていた。ほとんどの日本人は天皇の存在を知らなかった。それが、明治の藩閥政府が日本を支配してから、特攻という悲劇の最期を受け入れさせられた、日本人としての自我を持った若者たち、「自分も後に続く」と言って、若者たちをだまして特攻を若者たちに強制し、自分たちは生き残った、日本人として自我を持ったの陸・海軍の上官たちが現れるまで、八十年と掛かっていないのである。日本人という自我の浸透の速さ、日本人という自我の強さは恐るべきものである。そして、現在においても、日本人という自我の力は衰えることがない。それどころか、ますます高まっている。無人島の竹島、尖閣諸島をめぐっての、日本と韓国、日本と中国による争いは、日本人という自我、韓国人という自我、中国人という自我によって引き起こされているのである。各国の国民は、自我に踊らされているのである。哀れなものである。21世紀の現在、世界各地域において、小規模な戦争はあっても、大規模な戦争がないのは、決して、国民という自我をコントロールしたからではない。世界各国の国民が、第二次世界大戦の悲惨な状態をまだ記憶しているからである。その記憶が薄れた時、大規模な戦争が起きる可能性は十分にある。なぜならば、国民としての自我が強くある限り、何かをきっかけにして、国家間の戦争は、いつでも起こるからである。つまり、国民としての自我がますます強まっている今、国家間の戦争を止める手立てはないのである。残念ながら、オリンピック、ワールドカップなどの、国家間の代理戦争で、ガス抜きを図るしかないのである。