あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人は他者の欲望を欲望する

2015-03-07 20:44:05 | 思想
フランスの心理学者のラカンに、「人は他者の欲望を欲望する」という言葉がある。一見、難しく感じられるが、実は、その意味は平易である。この言葉には、二つの意味がある。端的に言えば、他者への同一化と対他存在である。他者への同一化の意味は、人間は、他の人が好きなものを好きになり、他の人がしていることをしたくなり、他の人がほしがっているものをほしがるということである。私たちが、自分の意志で選んだと思っている物やことは、実は、他の人がしているから、それを選んだのである。例えば、弟がおもちゃで楽しく遊んでいると、兄もそれがほしくなり、兄弟喧嘩が始まる。中学校を卒業すると、誰しも、勉強が嫌いでも、他の同級生が高校へ行くから、自分も進学する。女子高校生は、他の女子高生がルーズソックスやミニスカートを履いているから、履きたくなるのである。若い女性は、世の中で小顔が推奨されているから、自分も小顔もなりたくなるのである。江戸時代までは、浮世絵を見てもわかるように、顔が美的評価の第一要因だったから、大きな顔の方が推奨され、小顔を望むということはなかった。五十年ほど前、日本では、胸の大きな、若い女性は、恥じた。胸の大きな女性は、頭が悪く、下品だと言われていたからである。胸の大きな人は、それを隠すために、さらしなどで胸をきつく押さえていた。しかし、逆に、現代は、胸の小さな、若い女性が恥じている。時代の価値観の変遷が、人間の心(深層心理)を動かし、悲喜劇を生むのである。現代の女子高校生は、社会で、可愛らしさが評価されているから、自分も可愛らしく装い、振る舞うのである。しかし、女子高校生の可愛らしさが、社会的に認められたのは、二十年ほど前のことである。社会学者の上野千鶴子が、「私の高校時代は、女子高校生は、社会的に無視された存在だった。」と言っています。女子高校生は、肉体労働ができず、結婚にもまだ間があり、見聞も狭いということで、家庭的にも社会的にも、あまり役に立たないので、無視されていたのである。しかし、二十年ほど前に、「高校教師」(主演・真田広之)というテレビドラマで、桜井幸子が演じるヒロインの女子高校生が、あまりにも、可愛く、誠実で、知的だったので、それ以来、女子高校生は、可愛い存在として認められるようになったのである。三十年ほど前に、「金曜日の妻たちへ」というテレビドラマで、石田あゆみや小川知子が演じる、三、四十代の主婦の不倫があまりに魅力的だったから、それ以来、主婦たちはおしゃれになり、不倫をする人が増えたのである。四十年ほど前に、洋画の「エマニエル夫人」で、ヒロインのシルビア・クリステルの性演技が、上品で、美しかったので、この映画に触発されて、多くの若い女性が、自らの感性の性を主張するようになった。日本は、それ以前は、女性の結婚には、一度も性の経験がないことが必須条件だった。男性の考えが、一方的に、女性に押しつけらていたのである。しかし、自らの考えの下で、性を主張をすることで、社会から、女性の性体験の有無が結婚条件から外されるようになった。ブランド品が、女性に人気があるのは、他の女性がそれをほしがり、羨ましがるから、それが素晴らしく見えると同時に、それを手に入れると、虚栄心を満足させることができるのである。私の五千円の腕時計は、二十年以上、正確に時を刻んでいるが、ブランド品でないので、誰もほしがらない。レオナルド・ダ・ビンチの描いたモナ・リザは、絵の専門家が名画だと言うから、絵のわからない人も、名画として扱うようになったのである。大阪府民や兵庫県民に阪神ファンが多いのは、周囲のほとんどが阪神ファンだからである。私自身、小学生の頃は、父や兄の影響で相撲ファンになり、中学生になると、友人たちの影響で野球ファンになった。高校一年生から、主にサッカーをするのなったのは、体育の時間で、クラスメートに褒められたからである。このように、私たちは、無意識のうちに、他者の思いを、自分の心(深層心理)に取り入れて、自分の思いとしている。しかし、注意すべきことは、犯罪への加担も、他者への同一化から来る現象だということである。仲間に同調して、いじめや万引きなどに加担する子供が非常に多いのである。しかし、他者への同一化の深層心理の動きで、確実に、良いことだと言えることがある。学ぶということである。学ぶの語源は、まねぶ(まねをする)である。人間は、まねをすることによって、今まで、自分にはなかった技術や技能や学問や知識を取り入れていくのである。学ばない人間は、オリジナルと言われるものは作れず、人間としての成長もない。次に、対他存在であるが、対他存在とは、他の人に、自分がどのように見られているか、気遣うあり方を指している。その本質は、他の人の評価を得たいのである。それが、他者の欲望を欲望するという意味なのである。例えば、ボランティア活動は、何の見返りも求めていないように見えるが、やはり、ボランティアの対象者に感謝されたいという気持ちがある。だからと言って、否定すべきことではない。その活動そのものに意味があるからだ。また、無償の愛も存在しない。確かに、多くの親は、将来、子供の世話が期待できなくても、愛情を持って、育てている。無償の愛ではなく、子供の成長を見る喜びが見返りなのである。確かに、一途に、愛する男性や女性に尽くす人がいる。彼らは、自らの尽くす態度を無償の愛だとしているが、そうではない。彼、彼女の愛を留めておきたいから、自分に自信がないから、無我夢中で、そうしているのである。しかし、それでも、そのような人たちは、いじらしく、健気である。しかし、人間は、往々にして、一途に尽くされると、それを重く感じて、去ってしまう。なぜならば、尽くされたことに対する応分の見返りをする自信がないからである。しかし、このような人は、善人である。ずるい人たちは、一途な愛を利用して、楽をし、そして、堕落していく。また、冗談のように、失恋した女性は髪型を変えるとよく言われるが、私は、そのような女性を知っている。彼女は、髪型を変えることによって、他の人から、これまでの自分とは異なった、新しい自分を見てほしいのである。つまり、他の人が自分に対する見方が変わると、自分が変わったように思えるのである。すると、過去の自分(失恋した自分)を捨てることができ、新しく生まれ変われた気になるのである。また、自分で自分のことを可愛いと思っている女性も、誰もそう言わなければ、自信を持つことができず、不安である。逆に、自分で自分のことを可愛くないと思っていても、誰かが、真面目な顔で、可愛いと言えば、自分に自信を持つことができるのである。また、どれだけ、自分に自信を持っていても、他の人から、馬鹿にされたり、侮辱されたり、無視されたりして、低く評価されると、必ず、心が傷つき、自信を失ってしまう。また、希望とは、将来において、他の人に認められる可能性があることを、現在、自分が所持していることを意味している。また、一人っきりで、自分の部屋にいても、常に、他の人の目を意識している。誰かが、いつ、訪れても良いように、常に、態勢を整えている。部屋を乱雑にしていても、自宅をゴミ屋敷にしている人も、人の目が気にならなくなったわけではない。これぐらいならば許してもらえると思っているのである。また、良い思い出は、例外なく、他の人に高い評価を受けたものである。逆に、トラウマとは、他の人から侮辱されたり、馬鹿にされたり、叱られたり、自分の力不足を思い知らされたりして、自らを卑下した体験である。そこには、他の人の評価が深く絡んでいるのである。うつ病などの世親疾患も、原因は、対他存在から来る恐怖、つまり、人の目に覚える恐怖である。例えば、会社員がうつ病に陥るのは、会社で、上司に叱られたり、ミスしたなどの過去の出来事、そして、仕事をうまくこなせないのではないかという将来に対する不安などの危惧、つまり、自分がこの会社では認めてもらえないのではないか、首になるのではないかという不安が原因なのである。つまり、他の人から、自分が低く評価されることの恐怖、心配、不安から、起こるのである。しかし、私たちは、自分の心(深層心理)の中にある、他者への同一化の動きも対他存在のあり方も、決して、消滅させることはできない。消滅できた人は、人間性を失ってしまう。しかし、だからと言って、それらの奴隷になる必要もない。その正体を理解して、上手く付き合うことが大切なのである。私たちは、他の人から、高く評価されなくても、無視されても、馬鹿にされても、侮辱されなくても、低く評価されても、それで死ぬことはなく、何度でもやり直すことができるのである。そうして、礼儀正しく接し、相手の話を誠実に聞くようにすれば、必ず、自分を評価してくれる人は現れ、仲間や友人ができるのである。なぜならば、自分だけでなく、人は、皆、他の人と繋がりたいという他者への同一化、そして、他の人に認められたいという対他存在の心情(深層心理)が存在するからである。それでも、もしも、努力しても、仲良くなれない人がいたら、怒って口を利かないのではなく、形式的・実利的に接して、敵対しないことである。そうすれば、いつか、好転することがある。好転しなくても、悪化することはないのである。。


2 コメント

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象が転んだです。初めましてです。 (lemonwater2017)
2018-01-11 01:15:40
非常に興味深いブログで、思わずコメントです。

 ちょうど今、『サイコパスインサイド』という本を読んでいて、中盤辺りにミラーニューロンシステムというのが出てくるんですが。
 大脳の側頭と頭頂の継ぎ目の領野の回路の事で。ヒトの高次機能である他人が何かをするのを目撃し、瞬時に真似る能力を司るらしいです。

 全く、学ぶより習うより慣れるより、真似ろなんですね。それが瞬時に無意識に出来る人類は高度で複雑な生命体でもあるのでしょうか。
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Unknown (えむ)
2019-04-24 07:48:15
内田樹さんですか?
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