あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

自己主張をしない日本人は、永遠に、賃金は上がらない。(提言その4)

2022-06-30 12:16:54 | 思想
日本の企業の賃金が上昇しないのは、労働者が労働組合を作って経営者側と交渉しないからである。しかし、日本人は、自己主張することをためらう傾向がある。日本人は、自己主張することを恥ずかしいと思っている。日本人は、自己主張は卑しいと思っている。日本人は、自己主張はわがままだと思っている。また、自己主張が通らず、自己が傷付くことを危惧している。さらに、読売新聞、産経新聞、週刊新潮、週刊文春などのマスコミ、ネットニュースが労働組合の不祥事を針小棒大に大衆に流し、労働組合の足を引っ張り、労働組合不要論を醸成する。その上、自民党政府は、非正規の労働者を増やし、労働組合を作る能力を奪ってしまった。経営者側は、非正規の労働者ならばいつでも首にでき、労働組合を作ろうとする労働者をすぐに首にするのである。自民党政府は、表面上、企業の経営者に賃金を上げることを頼んでいるが、経営者は応じようとしない。それは、当然のことである。資本主義社会において、資本家は、「生かさぬよう殺さぬよう」程度に労働者の賃金を抑えようとするからである。誰が経営者になっても、労働組合からの下の突き上げが無ければ、賃金を低く抑えようとするのである。自民党は、日本経団連や銀行協会から多額の政治資金をもらい、選挙活動をしてもらっているのだから、経営者に強く言えないのは当然のことである。また、最低賃金制を使って最低賃金を上げようという意見が出ても、最低賃金を上げれば中小企業が潰れてしまうという反対意見が出て、潰されてしまう。ここでも、労働者より経営者を守ることを優先させているのである。資本主義社会において、大企業であろうと中小企業であろうと、時代に合わなくなったら、倒産するのである。そして、時代に合った企業が生まれてくるのである。幼稚な同情心が、最低賃金の上昇を抑圧しているのである。日本人は、政府が何とかしてくれることを、企業者側が何とかしてくれるのを待っているのである。それは、人間を知らない、資本主義社会を知らない者の精神構造である。日本の労働者の性格、無知、頼る心、政府の賃金上昇に取り組んでいないことが、賃金が上昇しない理由である。それでも、日本人は、政府や経営者に期待している。日本人は、正義の権力者が現れて、救ってくれると思っているのである。しかし、権力者は、常に、「権力への意志」に従って行動するのである。経営者側は、どれだけ、黒字になっても、内部留保し、政府は、究極的には、その経営者側の味方をするのである。


軍備を増強しても、敵基地先制攻撃能力を備えても、何の解決にもならない。(提言その3)

2022-06-27 14:26:19 | 思想
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって以来」、日本では、自民党議員を中心に軍備増強論が高まっている。日本も他国からの侵略に備えようというわけである。しかし、近隣諸国で、日本に圧倒的な軍事力を誇っているのは中国、ロシアである。日本がどれだけ軍備を増強しても、中国、ロシアに追いつくのは至難の業である。しかも、中国、ロシアは、日本を何百回、何千回滅ぼすだけの核兵器をそなえている。軍備を増強しても何の解決にならないのは、誰にもわかることである。さらに、日本政府は北朝鮮の暴発を危惧している。北朝鮮の軍事基地を先に攻撃して、日本が北朝鮮を攻撃にされないように考えている。しかし、日本が北朝鮮の軍事基地を先制攻撃すれば、北朝鮮のは沈黙するのか。日本に、北朝鮮の全軍事基地を一斉に攻撃して、壊滅させる軍事力があるのか。言うまでも無く、日本には、北朝鮮の軍事基地の一部しか先制攻撃する能力しか無く、それを実行すれば、北朝鮮は、怒りに震えて反撃してくる。北朝鮮には、日本の朝鮮半島侵略の恨みが深く残っているから、激しく復讐してくるだろう。核兵器を使うこともためらわないだろう。だから、中国、ロシア、北朝鮮に対して、戦争を起こしてはいけないのである。いや、この三国だけで無く、戦争を起こしてはいけないのである。いや、全ての国は、戦争を起こしてはいけないのである。戦争になれば、両国の兵士の殺し合いだけで無く、核攻撃、核戦争の虞があるだけで無く、必ず、無抵抗の一般市民が巻き込まれ、無差別の残虐な殺戮、拷問、レイプが起こるからである。戦争に、戦勝国は存在しない。戦勝国も敗戦国も敗戦国である。戦争になれば、必ず、両国の兵士が死に、市民が死ぬのである。戦勝国であっても、国民の命を引き替えに価値あるものが得られるものがあるはずが無いのである。戦争を回避するためならば、政治家は土下座外交をしても良いのである。戦争は、政治権力者の醜い自我の欲望を満たすために引き起こされ、国民の幼稚な愛国心を満たすために維持されるのである。戦争に成れば、人間は醜い獣になり、戦争が終われば、そこに待っているのは、戦勝国であっても敗戦国であっても、取り返しの付かない死屍の群れ、涙無くして見られない廃墟である。、

愛国心という言葉に潜む麻薬性について。(自我その529)

2022-06-24 19:28:54 | 思想
一般に、愛国心は国を愛する心として好意的に解釈されている。しかし、人間は愛国心があるから、残酷で無益な戦争を引き起こすのである。国を愛している者たちが、なぜ、国を滅ぼす可能性があるような戦争を引き起こすのであろうか。それは、愛国心というのは、国を愛する心として愛すべき心情のように見えて、真実は、国民という自我を愛する心から発した自我の欲望だからである。愛国心は、宙に漂っていたり静止していたりしているものではなく、常に、自我の欲望として、人間を動かしているのである。しかし、戦争を引き起こした者たちは、国のプライドを守るためにやむにやまれず取った手段だと思っているのである。真実は、自我の欲望を満足させるために起こしたのである。愛国心には無意識のうちに自らを偽る麻薬的な要素があるのである。現代という時代は、世界は、国という構造体に分かれ、国民という自我で活動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体における、ある役割を担った自らのポジションである。構造体の最大の単位が国であり、自我として最大の力を発揮するのが国民である。現代は、世界が、国として分けられている。だから、世界の全ての人に、愛国心がある。また、現代は国際化の時代だと言われるが、それは、国という構造体が何事においてもが干渉し合い、国民という自我が何事においても競い合っている時代を意味するのである。国という構造体ごとに国民という自我で独立した動きをし、隣国という構造体との狭い関わり合いから世界という広い関わりまで行っているのである。しかし、人間は自らを意識して主体的に思考してそれを行っているのではない。人間の自らを意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で自らを意識して主体的に思考して行っているのではない。人間の無意識の思考が自我を主体に立てて思考して愛国心という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が、国民という自我を主体に立てて思考して、愛国心という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。愛国心という自我の欲望が人間を戦争へと駆り立てる時があるのである。深層心理とは人間の無意識の精神の活動であるから、人間を戦争へと駆り立てる気持ちは、心の内面から湧き上がってくるのである。つまり、人間に、国民という自我がある限り、心の内面から愛国心が生まれ、戦争へと自らを駆り立てる気持ちが湧き上がってくる時、戦争へと自らを駆り立てる気持ちが湧き上がってくる人が、必ず、存在するのである。さて、愛国心に限らず、人間は、常に、構造体に所属し、自我として生き、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて生きている。人間は、常に、構造体に所属して、構造体から与えられた自我に執着して暮らしているのは、深層心理が、自我に執着しているからである。しかし、人間は、常に、構造体に所属して、構造体から与えられた自我に執着して暮らしているが、それを意識したり、疑問に思ったりする人は、ほとんどいない。それは、深層心理とは、人間の無無識の精神活動だからである。人間は、自ら意識しなくても、自ら意志しなくても、自我に執着して生きているのである。つまり、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、自我に執着しているのではなく、深層心理が、人間を自我に執着しているから、人間は自我に執着するのである。そして、深層心理が国民という自我に執着し、愛国心という自我の欲望を生み出し、残酷で無益な戦争を引き起こす時、残酷で無益な戦争を引き起こす人を存在させることがあるのである。さて、人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているのであるが、構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。国という構造体では、国民という総称の自我があり、総理大臣・国会議員・官僚・庶民などという個称の自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻という自我があり、人間という構造体では、男性・女性という自我があり、男性という構造体では、老人・中年男性・若い男性・少年・幼児などの自我があり、女性という構造体では、老女・中年女性・若い女性・少女・幼女などの自我がある。だから、人間は、自らを自分と称するが、自分は自我の総称であって、固定していない。なぜならば、人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているからである。人間は、所属する構造体ごとに、異なった自我になるのである。すなわち、所属する構造体が自我を決定するのである。人間は、深層心理に支配され、深層心理が自我に執着しているから、人間も、自我に執着して生きるしかないのである。つまり、人間は、自我に成りきるのである。そして、人間は、常に、自らを意識して思考して行動しているわけではない。むしろ、意識せずに思考して意識せずに行動していることが多い。これが、所謂、無意識の行動である。しかし、無意識の行動とは、決して、思慮することの無い、漠然とした行動ではない。無意識の行動と言えども、深層心理が思考して生み出した感情と行動という自我の欲望よる行動なのである。ただ、人間はそれを表層心理で意識していないだけなのである。深層心理が、常に、自我を主体に立てて、欲動によって、快楽を求めて、もしくは、不快感から逃れようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理は、ひたすらその時その場での快楽を求めて、もしくは、不快感から逃れようと思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。時には、欲動にかなった行動を行えば快楽が得られるので、深層心理は思考して、欲動にかなった行動を行動の指令として生み出し、人間を動かそうとするのである。時には、欲動に背いた状況になり不快感に陥っているので、深層心理は思考して、この状況から逃れる行動を行動の指令として生み出し、人間を動かそうとするのである。それでは、欲動とは何か。欲動とは、深層心理に内在し、深層心理の思考を動かす、四つの欲望である。四つの欲望とは、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲、自我が他者に認められたいという承認欲、自我で他者・物・現象という対象を支配したいという支配欲、自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲である。深層心理は、この四つの欲望を使って、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を動かし、快楽を得ようとするのである。欲動には、第一の欲望として、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲がある。そのために、深層心理は自我の保身化という作用を行う。また、深層心理は、自我の確保・存続・発展だけでなく、構造体の存続・発展のためにも、自我の欲望を生み出している。なぜならば、人間は、この世で、社会生活を送るためには、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を得る必要があるからである。言い換えれば、人間は、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を持していなければ、この世に生きていけないから、現在所属している構造体、現在持している自我に執着するのである。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。だから、誰しも、愛国心を持っているのである。それは、国という構造体に所属し、国民という自我を持っているからである。欲動には、第二の欲望として、自我が他者に認められたいという承認欲がある。そのために、深層心理は自我の対他化という作用を行う。ロシアという国の構造体における大統領の自我を持ったプーチンが、自国の軍隊を使ってウクライナという国の構造体に侵攻したのは、ロシアという国の構造体そして大統領としての自我の力を、ウクライナ大統領という自我を持ったゼレンスキー、ウクライナ国民という自我を持った人々、そして、世界中の人々に承認してもらいたいからである。欲動には、第三の欲望として、自我で他者・物・現象という対象を支配したいという支配欲がある。そのために、深層心理は対象の対自化の作用を行う。ロシアという国の構造体における大統領の自我を持ったプーチンが、自国の軍隊を使ってウクライナという国の構造体に侵攻したのは、ウクライナの一部でも支配したいからである。欲動には、第四の欲望として、自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲がある。そのために、深層心理は自我と他者の共感化という作用を行う。ロシアという国の構造体における大統領の自我を持ったプーチンが、自国の軍隊を使ってウクライナという国の構造体に侵攻したのは、ロシア国民と心を一つにして戦いたかったからである。さて、深層心理は、常に、自我を主体に立てて、欲動によって、快楽を求めて、もしくは、不快感から逃れようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我となった人間を動かそうとしているが、快楽を求めるとはひたすらその時その場での快楽を求め不快を避けようとする欲望であり、不快感から逃れとはひたすらその時その場での不快から逃れようとする欲望であるから、深層心理には、道徳観や社会規約は存在しない。欲動に、道徳観や法律厳守の価値観は存在しないから、深層心理にも存在しないのである。道徳観や社会規約は、自らの自我の欲望、他者や他人の自我の欲望を抑圧するために、人間が、表層心理で思考して、生み出したものである。だから、深層心理は、道徳観や社会規約に縛られず、ひたすらその場での瞬間的な快楽を求め不快感から逃れることを目的・目標に思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。もちろん、深層心理が快楽を得る不快感から逃れるということは人間が快楽を得る不快感から逃れるということであり、すなわち、自我が快楽を得る不快感から逃れるということである。それは、深層心理が自我を主体に立てているからである。だから、人間は、悪事を犯しても、快楽を得る不快感から逃れることがあるのである。自我の欲望がかなえられれば、快楽を得る不快感から逃れるのである。だから、愛国心という自我の欲望をかなえようとして、愛国心という自我の欲望がかなえられない不快感から逃れようとして、戦争を起こすことがあるのである。しかし、人間は、常に、深層心理が思考して生み出した行動の指令通りに行動しているわけではない。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するかを、自らを意識して思考して、行動しようとすることがあるのである。人間の自らを意識しての思考、すなわち、人間の表層心理での思考が理性である。人間の表層心理での思考による行動、すなわち、理性による行動が意志の行動である。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動した後自我がどのような状況に陥るかを、現実的な自我の利得の視点から、思考して、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧し、自らの意志によって行動しようとすることがあるのである。しかし、人間は、表層心理で、思考して、深層心理が出した行動の指令を拒否して、深層心理が出した行動の指令を抑圧することを決め、意志によって、実際に、深層心理が出した行動の指令を抑圧できた場合は、表層心理で、深層心理が納得するような、代替の行動を考え出さなければならないのである。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は自然に消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。さらに、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否することを決定し、意志で、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧しようとしても、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎる場合、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動してしまうのである。怒りの感情は、稀には、自らに向かうが、ほとんどの場合、他者に向かうのである。それが、暴力、稀には、殺人という犯罪を引き起こすこともある。それは、他者から、侮辱などによって、自我が傷つけられ、自我が下位に落とされたから、深層心理は、その自我を復活させようとして、他者を攻撃することによって他者を下位に落として、自我をが上位に立たせようと思考してして生み出した自我の欲望によるものである。政治権力者が他国の政治権力者に対して屈辱感を覚えた場合、深層心理は、怒りの感情と戦争への行動の指令という自我の欲望を生み出し、政治権力者を動かし、屈辱感を払おうとするのである。政治権力者によっては、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令のままに戦争を仕掛けた場合、自国の兵士、相手国民がどのような状況に陥るかを、現実的視点から、思考して、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧し、自らの意志によって行動しようとすることがある。しかし、プーチン大統領のように、常日頃から、自らを批判する政治家やマスコミ人を投獄させたり殺させたりしている者は、人間の表層心理での思考は深層心理の思考に加担するのである。プーチン大統領は、迷うこと無く、ウクライナに、兵士を侵攻させたのである。ゼレンスキー大統領は、深層心理が生み出したプーチン大統領に対する怒りの感情が強かったので、表層心理で、自国民の命を守るという抑圧心が起こらなかったのである。つまり、いざとなると、理性は感情の前にひれ伏すのである。







子供、ストーカー、政治権力者の精神構造は同じである。(意識と無意識2)

2022-06-08 15:52:32 | 思想
人間は、自由な動物でも理性的な動物でもない。人間は、独裁国家や全体主義国家に住んでいなくても誰かに支配されていなくても自由ではない。人間は、常に、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に支配されているから自由ではないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに、自我に取り憑き、思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。だから、人間は存在自体が自由ではないのである。人間は、自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされて生きているのである。その典型が子供、ストーカー、政治権力者である。深層心理が自我に取り憑き、深層心理が思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているから、人間は、自ら主体的に思考して、主体的に行動することはできないのである。人間は理性的な動物ではないのである。人間は自らのことを自分と言うが、自分は構造ごとの自我にかしすぎない。人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者から、ポジションが与えられ、そのポジションに応じて行動しようとする、 現実の自分のあり方である。日本という構造体では、政治家・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻の自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があるのである。人間は、常に、構造体に所属して、自我となり、深層心理が、自我を主体にして、欲動によって、快楽を求めて、思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、無意識の思考によって動かされているのである。欲動とは、深層心理に内在している四つの欲望である。深層心理は、欲動の四つの欲望のいずれかにかなった状態になれば快楽を得ることができるので、思考して、そのような状態になる行動を生み出し、人間を動かそうとするのである。欲動の第一の欲望が、自我を確保・存続・発展させたいという欲望である。保身欲である。深層心理は、保身化という作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという欲望である。承認欲である。深層心理は、対他化の作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象などの対象をを支配したいという欲望である。支配欲である。深層心理は、対自化の作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。欲動の第四の欲望が、自我と他者の心の交流を図りたいという欲望である。共感欲である。深層心理は、自我と他者の共感化という作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。しかし、人間は、誰しも、日常生活において、欲動の四つの欲望のいずれが阻害され、自我が傷つけられたならば、深層心理は苦痛を味わう。自我が傷付けられるということは、所謂、プライドが傷付けられたことを意味し、自我が下位に落とされたことを意味する。その時、深層心理は、その苦痛から解放されるために、自我を傷付けた他者に復讐し、自我を高めるような自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとする。例えば、学校で生徒が同級生に悪口を言われたり、会社で社員が叱責されたりする。その時、生徒や社員の深層心理は、怒りの感情と自我を傷つけた他者を侮辱しろ・殴れなどの行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとする。感情が強過ぎると、人間は、深層心理に動かされ、深層心理が生み出した行動の指令の通りに、自我を傷つけた他者を侮辱したり殴ったりして、他者を傷付け、自らは罰せられる。苦痛からの解放は一瞬のことだけで、後に、大きな苦痛が訪れ、悔いるることになる。しかし、大抵の場合、人間は、深層心理の自我を傷つけた他者を侮辱しろ殴れなどの行動の指令を抑圧する。人間は、表層心理で思考sて、抑圧したのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、自我に現実的な利得をもたらそうという欲望に従って、自我を傷つけた他者を侮辱したり殴ったりしたならば、後に、自我がどうなるかという、周囲の人の評価を気にして、将来のことを考え、深層心理が生み出した侮辱しろ・殴れなどの行動の指令を、意志によって抑圧しようと考えるのである。人間は、表層心理で、道徳観や社会規約を考慮して、思考するのも、長期的な展望に立って、自我に現実的な利得をもたらそうと考えているからである。しかし、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎると、表層心理の意志による抑圧も、深層心理が生み出した侮辱しろ・殴れなどの行動の指令を抑圧できないのである。そして、深層心理が生み出した行動の指令のままに、相手を侮辱したり殴ったりしてしまうのである。それが、所謂、感情的な行動であり、自我に悲劇、他者に惨劇という苦痛をもたらすのである。また、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否する結論を出し、意志によって、行動の指令を抑圧できたとしても、今度は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、深層心理が納得するような代替の行動を考え出さなければならないのである。そうしないと、怒りを生み出した苦痛という心の傷は癒えないのである、しかし、代替の行動をすぐには考え出せるはずも無く、自己嫌悪や自信喪失に陥りながら、長期にわたって、苦悩するのである。すなわち、深層心理の思考が表層心理での思考の上位にあるのである。もしも、表層心理での思考が深層心理の思考よりも上位にあれば、表層心理での思考とは自らを意識した思考であり、その結果が意志であるから、常に、意志で深層心理が思考した生み出し行動の指令を抑圧できるのである。そうであれば、人間は主体的に思考して行動していると言うことができ、人間は自由な存在で理性的な動物であると言えるのである。しかし、深層心理が思考して生み出した感情が強い場合、表層心理で思考して生み出した意志は深層心理が思考して生み出した行動の指令を抑圧できないのである。人間は、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望のままに行動することが多く、また、表層心理で思考して生み出した意志は、深層心理が思考して生み出した感情が強い場合、深層心理が思考して生み出した行動の指令を抑圧できないから、自ら主体的に思考して行動することはできないのである。だから、人間は自由な動物でも理性的な動物でもないのである。さて、「子供は正直だ」という言葉がある。この言葉は、大人は嘘をつくことがありだますことがあるからその言葉や行動を信用することはできないが、子供は嘘をつかずだますことが無いから信用できるという意味である。しかし、子供も嘘をついたりだますことがある。子供なりに、正直に言っていいか行動していいかか判断しているのである。それでも、一般に、子供は、大人に比べて、社会性に乏しいから、大人よりも、自我の欲望のままに正直に言い行動することが多いのである。大人も、自我の欲望のままに正直に言い行動したいから、子供の非社会的な言動に憧れるのである。大人の子供に対する憧れが、「子供は正直だ」いう誇張した表現を生み出したのである。しかし、子供の自我の欲望に対しての正直な言葉や行動は、子供の力が弱いから、笑って済まされるのである。しかし、子供は、些細なことで喧嘩を始めることがある。相手の気持ちを考えることなく、自我の欲望のままに、自分の権利を強く主張するから、簡単に喧嘩が始まるのである。それでも、子供は力が弱いから、大人はその喧嘩を止めることができる。しかし、大人が、子供のように、相手の気持ちを考えることなく、自分の権利を強く主張するとどうなるか。復讐合戦、殺し合いに成るのは、想像に難くない。大人が自我の欲望に対してむき出しに正直に言い行動するという幼児性を発揮すれば、悲劇、惨劇を生むのである。しかし、深層心理は、大人になっても、自我の欲望に対してむき出しに正直に言い行動するという幼児性を発揮するように、人間を動かそうとしているから、常に、悲劇、惨劇が生まれる可能性があるのである。次に、ストーカーであるが、ストーカーは、恋愛感情を捨てられない者の悲劇、惨劇である。ストーカーは自分が最も相手の女性(男性)を愛し、最も知っていると思い込んでいる。そして、相手に付きまとっている自分は悪くなく、自分のことを受け入れない相手が悪いのだと思い込んでいる。相手が自分の気持ちをどうしても受け入れてくれないとわかったり、相手に新しい恋人ができたりすると、思い余って、相手を殺す人も稀に存在する。そして、社会的に罰されるのが嫌で、自分の行為を正当化するために自殺する人も存在する。ストーカーは、相手を真に愛しているのは自分だけだと思っているから、他の人が相手を愛すること、相手が他の人を愛することを許さないのである。ストーカーになるのは、配偶者や恋人から別れを告げられ、夫婦やカップルという構造体が消滅し、夫や恋人という自我を失うのが辛いから、相手に付きまとい、構造体を維持しようとするのである。ストーカーの思考は、配偶者や恋人という自我を失うという苦痛の中で、夫婦やカップルという構造体をどのようにしたら守ることができるかということだったのである。そして、相手に無視されたり邪険に扱われたりすると、構造体の消滅を認めるしかないから、相手を殺して、一挙に辛さから逃れようとする者も現れる。もちろん、表層心理での思考は、ストーカー行為を抑圧しようとする。しかし、深層心理が生み出した自我を失うことの辛い感情が強いので、表層心理での思考は、ストーカー行為を抑圧しようとしてもできずに、深層心理が生み出したストーカー行為をしろという行動の指令に従ってしまうである。次に、政治権力者についてであるが、政治権力者が戦争を始めるのである。誰しも、一人では戦争を始めない。一人で戦争を始めれば、必ず、自分が死ぬからである。だから、人間は、政治権力者になって、戦争を始めるのである。勝利すれば、英雄となり、敗北しても、ほとんど死ぬことは無いからである。死ぬとしても、名も無き国民の後である。右翼も、一人では戦わない。恐いからである。だから、国民全体を巻き込むのである。国民全体を巻き込んで、自分がその指導者のつもりでいるのである。もちろん、実質的な指導者は政治権力者である。しかし、右翼は政治権力者に身も心も託すことによって、自分が指導者になった気でいるのである。しかし、戦争はゲームではない。戦争は、人間の自我の欲望をむき出しにさせ、戦場では、監視し裁く第三者がいないから、虐殺、拷問、レイプなどの残虐な行動が多発するのである。今や、戦争の目的は資源確保、食糧確保、領土確保・拡充ではない。もはや、経済闘争では無い。権力への意志に突き動かされて、政治権力者は、国民の愛国心を利用して、戦争を始めるのである。右翼は、愛国心に突き動かされて、それを積極的に支持し、国民全体を巻き込むのである。しかし、愛国心と言えども、自我の欲望に過ぎないのである。一般に、愛国心とは、国を愛する気持ちと説明されている。しかし、それは、表面的な意味である。真実は、他の国の人々に自国の存在を認めてほしい・評価してほしいという自我の欲望である。愛国心があるからこそ、自国の評価が気になるのである。確かに、愛国心があるからオリンピックやワールドカップが楽しめるのであるが、愛国心があるからこそ戦争を引き起こし、敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。人間は、自我の欲望を満たすことによって快楽を得ているが、逆に、自我の欲望が満たされないと不満を抱くのである。だから、時には、愛国心という自我の欲望を満たすために戦争を引き起こし、時には、愛国心という自我の欲望が満たされず、その不満を解消するために戦争を引き起こすのである。しかし、人間は、愛国心に限らず、自我の欲望を、自ら意識して思考して生み出していない。深層心理が、人間の無意識のうちに、自我を主体にして、快楽を求めて、思考して、自我の欲望を生み出して、人間を動かしているいるのである。現在、世界中の人間が、国に所属し、国民という自我になっているから、深層心理が、愛国心という自我の欲望を生み出し、人間を戦争に駆り立てることがあるのである。だから、世界の至る所で、戦争が起こっているのである。国という構造体、国民という自我が存在する限り、人類からは、戦争が消滅することは無く、誰しも、敵国民だからという理由だけで殺し、敵国民だからという理由だけで殺される可能性があるのである。