あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

男児の欲望が日本を蹂躙している

2017-04-25 17:18:32 | 思想
ギリシア神話で、自分の父親と知らずに父親を殺し、母親と結婚したエディプス王の話がある。後に、エディプス王は、自分が結婚した相手が実の母親であることを知り、盲目となって、死の旅に出ることになり、母親は、自分が再婚した相手が実の息子であることを知って、自殺することになる。エディプス・コンプレクスとは、この話にちなんで、フロイトがまとめ上げた思想である。フロイトは、男児ならば、誰しも、無意識のうちに、母親を慕う気持ちが愛着に届き、つまり、慕情が恋愛感情に届き、自分と同性である父親に敵意を抱きつつ、その家庭で生き延びるためには父親に従わざるを得ず、恋愛感情を無意識内に抑圧してしまうという複雑な葛藤の感情を持っていると言う。フロイトが言うエディプス・コンプレクスとは、この複雑な葛藤の感情を意味する。このフロイトが提唱したエディプス・コンプレクスの思想に、ラカンは、社会的な意味を加味した。ラカンの説く、エディプス・コンプレクスとは、男児は、誰しも、自分の母親に恋愛感情を抱くが、父親から反対に受け、社会的規約という絶対的な権力が父親に味方するから、自分の欲望を無意識内に抑圧し、社会的規約という絶対的な権力に従うというものである。ラカンは、この社会的な規約という絶対的な権力を大文字の他者と名付けている。男児は、自らの欲望を遮られたから、屈辱的であっただろう。しかし、この家庭で生きるために、社会的に認められて生きていくためには、自らの欲望の高鳴りを引っ込め、母親を慕う感情にとどめざるを得ないのである。しかし、母親の代わりに、他の家の女性が恋愛対象となる成人の欲望を保持するまでは、母親に対する欲望を消えず、深層心理に留まっていて、機会があったら、叶えようと思っているのである。しかし、男児が、自らの欲望を叶えたら、その家庭は、破壊するだろう。男児が自らの欲望を叶う家庭ばかりになったら、その社会は破壊するだろう。だからこそ、男児の欲望を止め、慕情にとどめるようにしなければならないのである。ところで、フロイトは、集団の欲望は個人の欲望に類似していると言った。国家という集団の欲望は男児の欲望に類似しているのである。国家心情を形成する愛国心というは集団の感情は、慕情から、いつでも、欲望に転化するのである。まさしく、現在の日本人は、日本という国家に対する愛国心という国民の感情の流れが、日本を慕う感情である慕情から、日本の拡張しか考えない欲望に転化しつつあるのである。右翼の欲望に席巻されつつある。それをリードしているのは、言うまでもなく、安倍晋三首相であり、高級官僚であり、自民党議員であり、日本会議という神社本庁が中心となっている右翼組織であり、ヘイトスピーチをする庶民組織であり、ネット右翼である。彼らは、中国、韓国、北朝鮮を敵視し、アメリカに媚びへつらい、従属し、中国、韓国、北朝鮮と戦うためには、自衛隊員の命、国民の命が失われてもかまわないと思っている。彼らの狙いとする日本の将来像は、日本の戦前の姿である。言わば、戦前回帰である。戦前と異なる点は、ただ一つ、戦前は、アメリカを敵視したが、現在は、アメリカに従属しようと考えていることである。そのためには、日本国憲法、教育基本法を廃止し、大日本帝国憲法、教育勅語を復活させようと考えている。日本人ならば、誰しも、愛国心を持っている。だから、日本という国に対す愛情が、慕情から欲望に転化するのは、容易なことである。男児の母に対する気持ちが、慕情から欲望に転化するのと同じである。「子供は正直だ」と言う。子供は、誰かが止めない限り、自らの欲望に正直に行動する。だから、恐いのである。現在の日本は、子供である。男児の欲望に取り憑かれている。このままでは、早晩、右翼の狙い通り、中国、韓国、北朝鮮と戦うはめに陥り、多くの自衛隊員の命、多くの国民の命が失われるだろう。

ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼の末路

2017-04-04 16:38:59 | 思想
安倍晋三は、真の右翼ではない。似非右翼である。もちろん、その安倍晋三を支持している、ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼も、真の右翼ではなく、似非右翼である。真の右翼とは、国粋主義者、民族主義者、国家主義者、全体主義者を兼ね備えた者を意味する。安倍晋三は、国家主義者、全体主義者であるが、国粋主義者、民族主義者ではない。国家主義とは、「国家を至上の存在と見なし、個人を犠牲にしても国家の利益を尊重しようとする考え方。」(明鏡国語辞典)である。全体主義とは、「個人は国家・社会・民族などを構成する部分であるとし、個人の自由や権利より国家全体の利益を優先するとする思想。」(明鏡国語辞典)である。国粋主義とは、「自国の政治や伝統的な要素をどの国よりもすぐれたものと考え、それだけを守り広めようとする主張や立場。」(明鏡国語辞典)である。民族主義とは、「他の民族の干渉や支配を排し、自国の民族の統一・独立・発展をめざす思想および運動。」(明鏡国語辞典)である。安倍晋三は、アメリカに媚びを売り、アメリカを後ろ盾にして、中国・韓国・北朝鮮に威張り、日米安全保障条約及びそれに付随した日米地位協定を改定しないどころか、アメリカ軍の言うがままに、沖縄を中心にアメリカ軍に基地を提供し続けようとしている。そんな男が、真の右翼であるはずがない。もちろん、安倍晋三を支持している、ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼も、真の右翼ではないことは、当然のことである。哀れなのは、ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼の末路である。恐らく、安倍晋三政権そしてそれに続く政権は、早晩、日本をファシズム国家にするだろう。なぜならば、公明党は、自民党と連立与党を組んでから、平和主義を捨てて、自民党の考えにすり寄っているからである。大半の民進党議員、全ての維新の党議員は、安倍晋三そして自民党と同じ考えをしているからである。社民党には、国民の支持者が少ないからである。共産党を危険視国民が多いからである。民進党を支持している、日本の最大の労働組合である、連合(日本労働組合総連合会)は、原発再稼働の支持を掲げ、低所得の労働者を切り捨て、労使協調路線に走っているからである。しかし、最も大きな原因は、ほとんどの国民が、安倍晋三そして自民党の国家主義者像、全体主義者像を把握していないことである。ニーチェの「大衆は馬鹿である」という言葉は、まさしく、それを言い当てている。だが、日本がファシズム国家になった時、ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼の粛清が始まるだろう。自民党議員、高級官僚、軍人、警察によって粛清されるだろう。感情的に動く、先見の明のない、ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼は、安倍晋三と同じく、似非右翼ではあるが、ファシズム国家の障害になるからである。ファシズムとは、「一党独裁による国家主義的・全体主義的な政治理念。また、その政治体制。自由主義・共産主義に反対し、対外的には勢力圏拡大のための侵略政策をとる。」(明鏡国語辞典)である。一党独裁のファシズム国家の政治理念は、政治家と高級官僚によって作られるだろう。そこには、エリート意識が充ち満ちている。感情的に動く、庶民のネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼は、愚かな、不純物でしかないのである。似非右翼と言えども、右翼を名乗る限り、無視できず、それ故に、粛清するしかないのである。歴史的に、ファシズム国家の誕生の際には、常に、同属の粛清があった。ナチスが政権を執ると、それの最大の功績者の一人である、突撃隊長のレームがいきなり逮捕され、ヒトラーによって、銃殺刑にあい、突撃隊は消滅した。ヒトラーにとって、レームは異分子であり、国防軍にとって突撃隊は邪魔な存在であったからだ。国家主義運動の理論的指導者であった、北一輝は、二・二六事件を起こした青年将校に与えたとして、自らは直接は指揮しなかったのだが、その事件の首謀者として、死刑になった。ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼、つまり、似非右翼たちの将来を憂えるばかりである。自業自得と言えば、それまでだが。