あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

教師の嘘(自我の世界(その3))

2015-11-10 14:42:44 | 思想
今月の一日、名古屋市の中学一年の男子生徒が電車に飛び込み自殺した。彼は、卓球部に所属し、上級生にいじめれていたそうである。無記名のアンケート調査の結果、約80名の生徒が、彼がいじめられているのを、直接的にしろ間接的にしろ、知っていたそうである。しかし、教師のアンケートでは、誰一人として、知らなかったそうである。これは、嘘である。同じ中学校で教えているのであるから、たとえ、卓球部の顧問でなくても、彼のクラスに出ていなくても、彼のことを知らなくても、陰に陽に、他の生徒から、他の教師から、卓球部の活動状態から、彼がいじめられているのを知っていたはずなのである。毎日のように、彼と同じ空間で過ごしているのであるから、知らないはずはないのである。それでも、知らなかったと答えているのは、知っていたと答えると、「知っていたのに、なぜ対処しなかったのか。」と問い詰められるからである。この学校では、二か月に一度、記名による、いじめのアンケートを取っているとのことである。彼は、九月のアンケートに、いじめの事実を隠し、さらに、卓球部は楽しいというように答えていたそうである。なぜ、そうしたのか。もしも、いじめられていることを記すと、いじめっ子たちにそのことが知られ、いっそう激しくいじめられる可能性があるからである。教師がアンケートの内容を秘密事項にすることも、教師たちが上手にいじめから自分を解放することも信用していないのである。それは、いじめのアンケートを記名にしていることからも、彼にはわかっていたのである。記名によるいじめのアンケートを実施している学校では、その件数は極端に少ない。なぜならば、彼と同じように、いじめっ子による報復が怖いから、いじめられっ子は事実を記す傾向があるからである。校長を頂点として学校教師集団も、それに気づいていないわけではない。むしろ、それを狙っているのである。いじめが表面化しない方がいじめを解決するための労力が省かれ、いじめの件数が少ない方が大きな顔をして教育委員会へ報告できるからである。現在の学校は、校長が絶対君主である。教師は、校長ににらまれると、自分の意に沿わない校務分掌を任されたり、生徒指導の大変な学校や通勤に長い時間が掛かる学校に異動させられたり、最悪の場合、不適格教師として教育委員会に差し出されたりする。教師は、校長の顔色を窺い、校長の意を汲んで行動している。だから、校長が、断固とした姿勢で、いじめ撲滅に立ち上がらないと、教師も、いじめの根絶に消極的になってしまう。いじめ対処に消極的な学校では、一人の教師が、自分一人でも頑張ろうと思って、いじめ解決に積極的に動くと、逆に、孤立してしまう。校長や他の教師から協力を得られない。そればかりか、生徒たちも、校長や教師たちの動向に敏感だから、口をつぐんでしまう。だから、現在の学校では、校長の姿勢がすべてなのである。校長が、表面化したいじめはもちろんのこと、表面化していないいじめも洗い出して解決していこうする姿勢を見せない限り、教師は、いじめに気付いても、自分からは動かないのである。だから、彼の場合も、どの教師もいじめに気付かなかったと答えるのである。そのように嘘を言うことによって、教師という自我を守ろうとしているのである。

戦前の亡霊が戦後を支配している(自我の世界(その2))

2015-11-02 12:04:11 | 思想
安倍晋三は、岸信介の孫である。岸信介は、満州国の高官を経て、太平洋戦争を起こした東条英機内閣の商工大臣になった。太平洋戦争中、軍部は、八紘一宇(はっこういちう・世界を一つの家にすること)を掲げて、日本の中国、東南アジアの侵略を正当化しつつ、アメリカを中心とした連合国と戦争を行った。また、日本は、満州国の建国理念として、五族協和(日・朝・漢・満・蒙の五族の協和。日本人、朝鮮人、漢族、満州族、モンゴル族が平等の立場で満州国を建設すること)・王道楽土(おうどうらくど・王道主義によって、各民族が対等の立場で搾取なく強権のない楽土(理想郷)を実現すること)を掲げた。しかし、八紘一宇、五族協和、王道楽土は、見せかけだけのスローガンであった。真実は、日本軍人(日本人)はアジアの諸民族を蔑視し、嫌悪していたのである。その証拠として、次のような実例を挙げることができる。日本軍(日本人)は、中国や朝鮮や東南アジアにおいて、日本の神社を拝ませ、日本語を強制し、拷問、レイプ、虐殺を行った。陸軍の細菌戦部隊である731部隊は、中国において、ペスト、コレラ、チフスなどの細菌の研究を進め、実戦に使い、中国人、ロシア人などの捕虜・抗日運動家を使って人体実験を行った。その犠牲者の数は三千人近いといわれている。日本軍(日本人)は、朝鮮において、創氏改名(朝鮮人の姓名を日本式の氏名に改めること)を強制した。日本軍人は、東南アジアにおいて、現地の若い女性をだまして、暴力的に従軍慰安婦に仕立て上げた。戦争は終わった。日本は敗北した。しかし、日本人の中には、アジアの諸民族対する蔑視感・嫌悪感を、現在も、持ち続けている人が存在するのである。それも、決して少ない数ではない。特に、中国、韓国、北朝鮮に対して蔑視感・嫌悪感を抱いている人が多い。それは、「在日韓国人や在日朝鮮人は日本から出て行け。」と叫びながら、デモ行進をする集団の行動にはっきりと表れている。戦前の亡霊が現在まで生き残っているのである。特に、安倍晋三が首相になってから、我が意を得たりとばかり、ヘイトスピーチする集団とともに、中国・韓国・北朝鮮に対して、あからさまに非難する人が増えてきた。岸信介は、太平洋戦争中、あくどいやり方で、中国で利益を上げた。それ故に、今もって、多くの中国人に嫌われている。当然のごとく、戦後、A級戦犯として逮捕された。しかし、共産主義国であるソ連の台頭、中国の共産党の勃興、朝鮮戦争が起こりそうな機運が高まってきたので、アメリカは政治判断を下し、岸を釈放した。その後、自民党の衆議院議員になり、そして、首相にまで上り詰めた。1960年、安保条約(日米安全保障条約)を改定した。旧安保条約には、アメリカ軍が安全保障のために日本に駐留し、日本が基地を提供することなどを定めていたが、新安保条約は、それに、軍事行動に関して両国の事前協議制などを加えた。旧新ともに、安保条約は、日本がアメリカの従属国家であることを示している。また、岸信介は、旧安保条約の細目協定である日米行政協定を、新安保条約では、日米地位協定と改定した。日米地位協定には、基地・生活関連施設の提供、税の免除や逮捕・裁判に関する特別優遇、日本の協力義務、日米合同委員会の設置など、アメリカ軍人とその家族の権利が保証されている。日本人がアメリカ人の下位にあることは一目瞭然である。岸信介は、政治家を退いた後も、自主憲法やスパイ防止法の成立を目指した。安倍晋三の父である安倍晋太郎も、自民党の衆議院議員であったが、首相にはなれなかった。岸信介の実弟が佐藤栄作である。つまり、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父(おおおじ)に当たる人である。佐藤栄作も、自民党の衆議院議員であったが、首相となり、ノーベル平和賞を受賞した。安倍晋三は、祖父の岸信介についてはよく言及するが、父の安倍晋太郎、大叔父の佐藤栄作についてはほとんど触れることがない。それは、安倍晋三の深層心理が岸信介に繋がっているからである。安倍晋三の自我は岸信介に連なっているからである。安倍晋三が靖国神社あを参拝するのは、そこに祀られているA級戦犯者の復権、延いては、A級戦犯者だった岸信介の復権を目指しているのである。安倍晋三の集団的自衛権は岸信介の対米従属外交、新安保条約、地位協定に繋がっている。自民党の憲法改正案は、岸信介の自主憲法制定の考えに連なっている。安倍晋三とは岸信介のことなのだ。確かに、日本は、太平洋戦争でアメリカに敗れ、満州国は崩壊した。しかし、アジアの諸民族に対しての蔑視感・嫌悪感を残している人々がまだ存在する。特に、中国、韓国、北朝鮮に対してそうである。アメリカに対して敗北したのであって、中国や朝鮮に対しては敗北していないというのである。彼らは、日本をアメリカの従属国にしても、中国、韓国、北朝鮮と対峙しようと考えているのである。言うまでもなく、その一人が安倍晋三である。岸信介の満州国における見果てぬ夢を、安倍晋三が首相となって、今見ようとしているのである。戦前の亡霊が現在の日本を支配しようとしているのである。麻生太郎は、安倍内閣の副首相兼財務大臣である。麻生は、「ワイマール憲法も、いつの間にか、ナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。」と発言し、憲法を変えずとも、解釈によって、実質的な憲法改正の道を示唆した。それは、安倍晋三が、ほとんどの憲法学者が反対する中で、強引な憲法解釈と強行採決によって、国会で、集団的自衛権を認めさせたのと、底で繋がっているのである。麻生太郎の祖父が、吉田茂である。吉田茂は、戦前は、外交官として、日本が太平洋戦争に突き進むために、暗躍した。戦後は、首相となり、最初の安保条約(旧安保条約)を成立させた。戦前は、無鉄砲にも、日本がアメリカと戦争するように仕向け、アメリカが世界の第一の強国だとわかると、戦後は、アメリカに阿諛追従(あゆついしょう・相手に気に入られようと、こびへつらうこと)している。麻生太郎の節操のなさは吉田茂と繋がっている。確かに、吉田茂は、アメリカからの要求である日本の軍備増強を拒否した面は評価しても良い。しかし、安保条約を成立させて、日本をアメリカの属国にし、沖縄をアメリカの基地の犠牲にした基礎を造ったことは、批判しても批判しつくせるものではない。中曽根康弘は、戦前、海軍主計中尉として、インドネシアにいた時に、従軍慰安施設を作った。自叙伝でそれを自慢げに語っていたが、従軍慰安婦が問題となると、沈黙を保っている。戦後、首相となるや、日本に原発を導入し、レーガン大統領に対して、「日本列島は不沈空母」と言い、アメリカの軍事行動を全面的に支援することを約束した。防衛費の対国民生産GNP比率1%枠を突破させた。さらに、首相として、初めて、靖国公式参拝を行った。また、国家秘密法の制定、有事法制の制定、イラン・イラク戦争末期の1987年に自衛隊の掃海艇の派遣を試みたが、いずれも党内外の反対意見が強く、成功しなかった。中曽根康弘の姿勢は、常に日本のナショナリズムを喚起することであり、海軍時代と全く異なっていない。平沼赳夫は、郵政民営化関連法案に反対して自民党を飛び出したが、安保法案に賛成すると菅官房長官に表明し、復党を許された。また、「慰安婦は売春婦だ」と言って、物議をかもした。平沼赳夫のの養父が、平沼騏一郎である。平沼騏一郎は、1910年の大逆事件で検事を務め、冤罪で、幸徳秋水以下12名を死刑台に送り込んだ。世紀の大犯罪者である。その国家主義思想は、右翼団体の国本社を主宰するまでに至った。1939年1月から8月まで、平沼騏一郎内閣を組閣し、国民精神総動員体制の強化と精神的復古主義を唱えた。また、1945年1月から4月まで、枢密院議長として、降伏反対の姿勢で終戦工作をした。このような人物がいたために、戦争終結が遅れ、日本は、沖縄戦、本土爆撃、広島・長崎の原爆投下の大惨劇に見舞われるのである。戦後、逮捕され、A級戦犯として終身刑を下されたが、健康上の理由で仮出所を許され、その後、病死した。日本は、戦後のほとんどの内閣は、自民党によるものであった。自民党の本質は、憲法改正案に見られる通り、上意下達の全体主義なのである。それは、戦前の政治と同じである。つまり、戦前の亡霊が戦後の日本を支配しているのである。