あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

「愛国主義者」を名乗る幼稚さ、「憂国の士」を気取る傲慢さ

2017-03-21 22:24:00 | 思想
「俺は日本の国を心から愛している。」と公言する人がよく存在する。所謂、愛国主義者である。そのように言う人の口調からは、『おまえは自分のことしか考えていないようだが、俺は自分のことよりも日本のことを考えているのだ。』という主張が、ありありと窺われる。恥じらいもなく、よくそのようなことが言えるものだとあきれてしまう。なぜならば、人間とは、自分を愛する動物であり、日本の国を心から愛しているといっても、究極的には、自分自身を愛しているに過ぎないからである。日本人にとって、日本という国は自分の一部なのである。だから、愛国主義者だけでなく、日本人ならば、誰しも、日本のことを愛しているのである。日本人にとって、日本を愛することと自分を愛することとは同じことなのである。人間とは、自分が所属しているもの、自分に所属しているものを愛する動物なのである。だから、日本人は、自分が所属している日本、家族、会社、学校などを愛し、自分に所属している家、車、作品、趣味、肉体、スタイル、顔などを愛しているのである。自分とは、自分が所属しているものと自分に所属しているものから成り立ち、それ以外からは存在しないのである。自分とは、自分が所属しているものと自分に所属しているものとの集合体である。自分のそのあり方を、心理学では、自我という言葉で表現している。人間の行為は、愛の表現、つまり、自我の表現なのである。安倍晋三は、「美しい国、日本」とよく言う。しかし、安倍晋三だけでなく、日本人ならば、誰しも、そう思っているのである。しかし、口幅ったく、恥ずかしくて、言えないのである。なぜならば、「美しい国、日本」という言葉には、言外に、『他の国はどうだか知らないが、日本は美しい国だと断言できる』や『日本は、他のどの国よりも美しい国だ』などの意味が込められているのが容易に想像できるからである。そこには、日本という国を差異化して、優越感に浸ろうという思いがありありと窺われるからである。しかし、安倍晋三は、ある意味では、自分の思いを述べることに正直だと言える。なぜならば、自我の欲望とは、自分を差異化して、優越感に浸ろうという思いだからである。誰しも、自分の子供、自分が勤務している会社、自分が卒業した学校、自分の家、自分の車、自分の趣味、自分のスタイル、自分の顔などを誰かに自慢したく思い、また、誰かに褒められたいと思っているのである。しかし、ある日本人が、周囲の日本人に向かって、日本という国以外のもの、自分が所属しているものや自分に所属しているものを自慢すると、往々にして、顰蹙を買ってしまう。なぜならば、自分が自慢したものが周囲の者にも所属していたり、自分が自慢したものが周囲の者に所属していたりしていることは、滅多にないからである。もっとも、会社内において、ある社員が別の社員に向かって、会社を褒めることは、何の差し障りもないだろう。なぜならば、同じ会社に所属しているからである。もちろん、外国人にも、愛国心はある。韓国人にも中国人にも愛国心はある。だから、同じ島を、日本人は竹島と名付けて愛し、韓国人は独島と名付けて愛している。日本人も韓国人も、その島は自国に所属していると思っているから愛し、その所有権を巡って争っているのである。また、同じ島々を、日本人は尖閣諸島と名付けて愛し、中国人は釣魚島および付属島嶼と名付けて愛している。日本人も中国人も、その島は自国に所属していると思っているから愛し、その所有権を巡って争っているのである。しかも、日本、韓国、中国の愛国主義者たちは、戦争も辞さない覚悟で、竹島(独島)、尖閣諸島(釣魚島および付属島嶼)を確保せよと叫んでいるのである。愚かである。無人島確保のために血を流せと叫んでいるのである。愛国心という自我の欲望に取り憑かれた者たちの暴走である。しかし、愛国心は、誰にでも存在し、愛国主義者の主張は容易に理解できるから、自らの思想を確立した者でない限り、愛国主義者に真っ向から立ち向かうことはできないのである。なぜならば、愛国心の発露とは、自我の欲望の正直な発露だからである。「子供は正直だ」と言われている。子供は、自我の欲望を正直に発露するから、そのよう言われるのである。フロイトが提唱し、ラカンが完成した心理学的な思想に、エディプス・コンプレクスという思想がある。エディプス・コンプレクスとは、子供の自我の欲望の発露の顛末を表している。エディプス(子供)は、異性の親に恋愛感情を抱く(自我の欲望を発露する)が、同性の親の真っ向からの妨害に遭い、その妨害の力が強いだけでなく、周囲の者も同性の親に味方するから、その家族の中で生きていくためには、自らの欲望を抑圧せざるを得なくなるのである。もしも、子供が、同性の親の反対を退け、周囲の者も子供に味方すれば、その家族の人間関係は破壊されるのは目に見えている。愛国主義者の愛国心の発露(自我の欲望の発露)と子供の異性の親に対する恋愛感情の発露(自我の欲望の発露)は、自我の欲望の発露という面で同じである。もしも、愛国主義者の主張が、民主主義者・自由主義者・平和主義者・社会主義者(共産主義者)の反対に遭っても、大衆の多くが愛国主義者を支持すれば、愛国主義者は、自我の欲望のままに、愛国心を発露し、日本は、早晩、アメリカに追随して、戦争をすることになるだろう。現に、日本はそのような方向に向かっているのである。日本の大衆の多くが、安倍晋三という愛国主義者内閣、自民党という愛国主義者政党を支持してきたからである。安倍晋三内閣は、国家戦略会議、特定秘密保護法、集団的自衛権を確立させてきた。もう暫くすると、共謀罪を成立させるだろう。残るところは、憲法改正だけである。憲法改正が成されれば、日本は、戦前に戻るだろう。軍国主義の復活である。愛国主義者政党の一党独裁である。国家主義者の国の誕生である。国内では、現在以上に言論統制の効いたファシズムが横行し、国外では、外国との戦争が日常化するだろう。そこには、日本人の愛国心という自我を満たすだけの欲望が不気味にうごめいているだろう。また、愛国主義者は、「現在の日本人の動向が心配だ。」や「日本はこのままで良いのか。」などと言い、憂国の士を気取ることがよくある。これもまた、言外に、『おまえは自分のことしか心配していないようだが、俺は自分のことよりも日本のことを考えているのだ。』ということを言っているのである。しかし、愛国主義者が、恥じらいもなく、そのように言えるのは、日本人のプライドを守るためには、日本は戦争すべきであり、自分も積極的に戦争に参加しようという気持ちがあるからである。愛国心という自我に取り憑かれた愛国主義者には、当然のごとく、容易に帰結する気持ちである。しかし、愛国主義者ならずとも、日本人は、誰しも、愛国心を有している。それ故に、日本の現状を心配している。なぜ、日本に愛国心を抱いている者は、誰しも、日本の現状を心配するのだろうか。それは、愛国心を抱いている者は、誰しも、心の中に理想の国家像を持っていて、現状の日本ではそちらの方に向かうようには思われないからである。だから、日本人は、全て、憂国の士なのである。しかし、国家像ならずとも、理想と現実が一致しないのが世の常である。そのような場合、一般には、三つの対策を取るものである。一つ目の方法は、自分の理想とする国家像を再構成することである。二つ目の方法は、自分の理想の国家像と現実の国家の動向になぜ齟齬が生じたのかを分析し、自分の理想の国家像、現実の国家の動向ともに修正するのである。三つ目の方法は、現実の国家の動向を再分析することである。だから、常に、一般の憂国の士は、自己修正を迫られている。常に、自己修正を迫られているから、自信なげになってしまうのである。しかも、彼らは、日本が、国家主義の国、ファシズムの国に向かっていると認めるのが怖い上に、愛国主義者と対峙するのが怖いから、自分たちが負けるはずがない、少数派を敵として探し出し、寄ってたかって批判する。少数派とは、民主主義者・自由主義者・平和主義者・社会主義者(共産主義者)である。一般の憂国の士は、安倍晋三を中心とする愛国主義者たちを批判すると、現在の自らの自我(地位・仕事・立場・ステータス)を失う可能性があるから、むしろ、安倍晋三を中心とする愛国主義者たちに媚びを売っている。しかし、自我に取り憑かれた愛国主義者は、三つのいずれの方法もとらない。「俺が理想とする国家に向かっていない、現状の日本は間違っている。現代の日本人は、間違っている。」と考えるのである。彼らにとって、戦争を手段と考えていない日本人は、愛国心を持っていないのである。反日、非国民、売国奴なのである。三島由紀夫は、1970年11月2日、自らの組織する「楯の会」会員とともに、自衛隊内に乱入し、決起を訴えたが、果たさず、割腹自殺した。三島由紀夫は、自衛隊員にクーデターを呼びかけ、日本国憲法を改正し、天皇に日本人が統率され、天皇のために戦争ができ、天皇のために死ねる国にしたかったのである。三島由紀夫は、生まれるのが早過ぎたのである。三島由紀夫が理想とする国が、現在、生まれつつある。現代日本は、愛国主義者を名乗る者、憂国の士を気取る者が、大手をふるって街角を歩き回り、マスコミ界を席巻している。しかし、三島由紀夫は、アメリカに媚びを売る安倍晋三を、真の愛国主義者として見ないかもしれない。しかし、このような愛国主義者、国家主義者の台頭の中でも、少数派と言えども、民主主義者・自由主義者・平和主義者・社会主義者(共産主義者)は、戦わなければいけない。幸徳秋水、大杉栄、小林多喜二が、死を賭して戦ったように。ニーチェが言ったように、たとえ、大衆が馬鹿であるために、理解されなくても。ガンジーが言ったように、現在の政治に流されないために。自らの存在の証のために。

森友学園の早過ぎた登場(安倍晋三の誤算)

2017-03-09 19:37:59 | 思想
もう、誰しも、わかっていることではないか。安倍晋三が、財務省の岡本薫明官房長、迫田英典理財局長、近畿財務局、大阪航空局などの高位の役人たちを動かして、大阪府豊中市の国有地を、破格の安価で、しかも、多額のいろいろな補助金をほとんど無審査で付けて、籠池泰典に、瑞穂の國記念小學校開校のために、提供したことを。高位の役人たちは、安倍晋三の国家主義・米国隷属主義に賛成であり、かつ、自らの立身出世のために、進んで法を犯し、国民を裏切ったことを。そこには、麻生太郎副総理・財務大臣、大阪維新の松井知事、大阪府私学課も、進んで協力したことも。籠池泰典は、既に開園している、塚本幼稚園で、戦前回帰の国家主義的な教育を行っている。籠池泰典は、園児に、教育勅語を暗唱させたり、安倍晋三応援の宣誓をさせたり、中国人・韓国人を蔑視するように仕向けたりしている。籠池泰典、安倍晋三、麻生太郎は、同士である。日本会議の同士である。安倍晋三にとって、籠池泰典は同士であり、同じ教育思想を持っているから、陰で、不正な形で、大いなる便宜を図ったのである。籠池泰典が、大阪で、これまで行い、これからも行おうとしている教育形態は、安倍晋三が、将来、日本において、行おうと考えている教育形態なのである。日本会議とは、現在の日本国憲法・教育基本法を改正し、戦前の大日本帝国憲法を受け継いだ憲法(自民党の憲法草案)を成立させ、その改正憲法の下で国民を統合し、戦前の教育勅語で子供たちを教育することを目指した組織、言わば、戦前の日本を復活させようと動いている全国組織である。中心になって運動をしてきたのは、神社本庁(全国の神主がほとんど加入している組織)の神主たち、旧生長の家の信者たち(現在の生長の家は安倍晋三の政治姿勢に反対している)である。日本会議には、自民党の244人の国会議員、民進党の15人の国会議員、大阪維新の会の10人の国会議員、日本のこころを大切にする党の3人の国会議員、無所属の7人の国会議員が加入している。合計279人の一大勢力の組織である。安倍晋三の誤算は、籠池泰典の塚本幼稚園そして瑞穂の國記念小學校の出現が早過ぎたことである。安倍晋三政権は、自民党・公明党を領導して、国家戦略会議を作り、秘密保護法を通し、集団的自衛権を確立した。そして、戦前の治安維持法のような、共謀罪を成立させ、あらゆる組織に国家権力が介入できるようにしようとしている。おそらく、早晩、共謀罪は成立するだろう。そして、安倍晋三が、次に向かうのは、自民党が作成した憲法(戦前の大日本帝国憲法を受け継いだ憲法)を成立させ、戦前の教育勅語を復活させることである。そして、有無を言わさず、自民党が作成した憲法の下で、戦前回帰の国家主義的な思想で、日本国の国家運営をし、教育勅語の下で、戦前回帰の国家主義的な思想で、学校教育を行うつもりであった。ところが、憲法改正が成される前に、安倍晋三の思惑が露見したのである。籠池泰典の塚本幼稚園そして瑞穂の國記念小學校における教育理念は、安倍晋三と一致しているのである。安倍晋三が、子供だけでなく日本人全体に求めているものは、籠池泰典と同じく、天皇に対する絶対的な崇拝、日本民族の優位性、中国人・韓国人(朝鮮人)に対する蔑視、地位が上の者・年齢が上の者には絶対服従の精神、国のためには命を投げ出す精神である。国家主義思想なのである。テレビ、新聞、週刊誌などのマスコミにおいて、連日連夜、籠池泰典の卑しい人間性、非人間的な教育観そしてその実践、高位の役人たちの陰での不正、政治家の関与が話題になっている。しかし、最も非難されてしかるべき人物は、籠池泰典と同じ教育観を持ち、陰で高位の役人たちを動かした安倍晋三ではないのか。不正な土地取引に関与し、使嗾した最大の犯罪者の政治家は安倍晋三ではないのか。