あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

聞くこと、話すこと、話し合うこと、語ること(自我その56)

2019-03-12 18:57:51 | 思想
話すことは、聞くことから始まる。それは礼儀だからではない。相手の言葉を聞かなければ、自分の方でも言葉が思い浮かんでこないからである。たとえ、相手に会い、自分から話し掛けていくことがあったったとしても、相手の表情から、相手の言葉を聞くのである。背を向けている相手に話し掛ける時も、背を向けた相手の姿から、言葉を聞くのである。それほど相手の言葉を聞くことが大切なのであるが、それは、そうしないと自分の言葉は浮かんでこないのである。それほど自分の話を聞いてほしいということを意味しているのである。話を聞いてもらえることは、相手から自らの存在が認められたことになるからである。誰しも、他の人から、自分の存在を認めてほしいのである。人間の人間たるゆえんの第一義は、他者から自分の存在を認められることを願う動物だということである。「一人でいい」とか「孤独がいい」と言う人は、他者から自分の存在を認められることが叶わなかったことから来る絶望感を恐れているのである。また、言葉や話は、自分で意志(表層心理)が作るのではない。無意識のうちに作られるのである。自分の深層心理が(無意識)が作るのである。例えば、相手に、「明日は行けないよ。」と言うことがあっても、意識的に、自分の意志で、一つ一つの単語を組み合わせて作るのではない。一挙に、作られるのである。自分の意志や意識に拠らず、自分の深層心理が(無意識)が、一挙に、作り上げてしまうのである。また、人は、言うまでもなく、相手の言葉を聞くことが大切であるが、それと同じように、自分の言葉を聞くこと大切なのである。相手の言葉を聞かなければ、相手の考えていることがわからないように、自分の言葉を聞かなければ、自分の言葉がわからないからである。だから、話し合うことは、次のような過程をたどる。相手の言葉を聞き、相手の考えていることを理解し、自分の言葉を聞き、自分の考えていることを理解し、相手の言葉を聞き、相手の考えていることを理解し、自分の言葉を聞き、自分の考えていることを理解するということが、繰り返されるのである。講演会で聴衆の表情を見ながら、話すのが語りである。まず、演壇に立ち、聴衆の表情から聴衆の声を聞き取り、自分の言葉が思い浮かんできて話し、自分の考えを知り、聴衆の反応で聴衆の声を聞き取り、自分の言葉が思い浮かんできて話すということが、講演時間内に繰り返されるのである。語ることもまた、自分の存在を他の人に認めてもらうことが第一の目的である。だから、聴衆の反応が好意的であれば、聴衆に自分の存在価値が認められるから嬉しいのである。淡々と話しているように見える講演でも、常に、聴衆の反応を探り、声を聞こうとしているのである。このように、人間にとって他の人と言葉を交わすということは、人間として生きていくために、非常に重要な要素の一つなのである。