あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

日本人の心の後進性について

2016-09-09 22:06:13 | 思想
日本人は、現実を、ありのままに見ることをしない。自分の都合の良いように見ようとする。戦前もそうであった。少し調べれば、戦力的に、アメリカ合衆国が圧倒的に優位であることがわかるのに、それをせずに、戦争に突き進んだ。いや、アメリカ合衆国の戦力を熟知していた者も、精神論をぶつ者の前に沈黙した。精神論者は、「日本は神国であるから、これまでも、外国との戦争で負けたことはなく、アメリカとの戦争でも負けるはずがない。」と豪語した。政治家や軍人の中では、一部の者は、日本とアメリカの戦力比較を冷静に分析し、アメリカ優位を知っていたが、暗殺を恐れて沈黙するか、保身のために積極的に戦争を支持した。現代でもそうであるが、自らの保身のことしか興味・関心がない官僚たちは、権力者たちの動きに呼応し、戦争を始め、遂行するために積極的に動いた。彼らにとって、アメリカの戦力優位、日本の戦力劣位はどうでも良かった。自らの地位の維持だけが関心事だった。ほとんどの文化人も、時局に乗っかり、積極的に戦争を賛美し、中には、「アイツは表面的に戦争に賛成しているように見せかけているが、実際は、平和主義者で、陰で、戦争反対の主張をしている。」と言って、体制に、仲間を売る者がいた。しかも、それは珍しくなかった。一部の知識人は、戦争に反対したが、ほとんどの者は、特高や憲兵に逮捕された。特高や憲兵の目を逃れることができた者も、大衆(近隣の者)の警察への密告により、逮捕された。しかも、密告した大衆(近隣の者)は自らの行為を正義感による行為だと思い込んでいた。逮捕された有力な知識人の多くは、裁判を待たずに、拷問で、転向させられた。拷問でも、転向しない知識人の中には、虐殺される者もいた。その数は、少なくなかった。拷問・虐殺をするように、特高を指図した多くの者は、東京帝国大学出身のエリート官僚だった。彼らは、戦後において、誰一人として、その責任を問われることはなかった。マスコミも、積極的に戦争を支持した。朝日新聞、毎日新聞、讀賣新聞、いずれの全国紙も積極的に戦争を支持した。現代においても、軍部の圧力はないのに、産経新聞、読売新聞、週刊新潮などのマスコミは、アメリカを盾に、尖閣諸島の帰属問題、竹島の帰属問題、拉致問題について、戦争も辞さない覚悟で、中国、韓国、北朝鮮と対峙せよと説く。自民党や右翼の論調と同一なのである。マスコミの第一の使命は、権力と対抗することではなかったのか。産経新聞、読売新聞、週刊新潮は、自民党の広報誌だと名乗った方が良いのではないか。また、「日本が、中国、韓国、北朝鮮と戦争をすれば、アメリカが助けてくれる。」と思っている日本人は多いが、それは単なる思い込みである。彼らは、「日本はアメリカの同盟国であり、友好国だから、日本が外国と戦争をすれば、アメリカは兵隊を送って助けてくれる。」と思い込んでいるのである。しかし、日本は、アメリカの同盟国ではない。同盟国ならば対等な関係のはずである。しかし、日本とアメリカは対等な関係ではない。アメリカ軍用機が、日本の許可を得ずに、日本中を、好きな時間に飛ぶことができ、アメリカ軍人が勤務中に犯罪を犯した場合も、アメリカ軍用機が日本国内に墜落した場合も、日本の司法は関与できない。対等な関係と言えるはずがないのである。同盟国ではないのである。日本はアメリカの属国なのである。わかりやすく言えば、日本はアメリカの植民地なのである。そもそも、日本が、中国、韓国、北朝鮮と戦争した場合、どうして、「アメリカは、兵隊を送って、日本を助けてくれる。」と考える日本人が多いのだろうか。アメリカが、自国の大切な兵隊を送って、どのようなメリットがあるというのか。中国は、アメリカの国債を大量に買い、アメリカとの貿易も盛んで、アメリカの経済を支えている。韓国は、朝鮮戦争で、国連軍というが、実態は、アメリカ軍の支援を受けて、共に戦い、以来、アメリカに政治的・経済的・軍事的に支えられ、今もって、韓国内にも、アメリカ軍基地があり、アメリカの友好国の一つである。北朝鮮は、今や、核保有国である。そんな国々を、アメリカは敵国にして戦うはずはないのである。確かに、日米安保条約にも、日本が、外国と戦った場合のアメリカの支援の規程はある。しかし、それは、アメリカの議会に諮るというだけで、必ず支援するという規程は存在しないのである。日本人は、お人好しである。日本がアメリカに誠意を尽くせば、アメリカは日本に良いことをしてくれると思い込んでいる。しかし、アメリカは、自国の国益のためだけに、国際関係を営んでいる。日本だけを友好国にし、特別待遇をすることはない。そもそも、国益とは、エゴイスティックなものでしかない。日本がすり寄ってくるから、アメリカは、そこから、最大の利益を得ようとしているだけなのである。利益を吸収できるだけ吸収して、利用価値が無くなれば、ぽいと捨てるだけである。日本人のアメリカに対する気持ちは、現実の恋愛を知らないうぶな娘が、身持ちの良くない男に恋した時の気持ちとよく似ている。うぶな娘は、自分が尽くせば、男は自分に気持ちを寄せてくると思い込んでいる。しかし、身持ちの良くない男は、彼女の肉体に飽き、金品を巻き上げられるだけ巻き上げ、彼女の存在が他の女性との交際の障害になれば、彼女をぽいと捨てるだけである。アメリカは、自国の利益だけのために、日本にアメリカ軍基地を置いているのに、日本人のお人好しの性格を見透かして、多額(9465億円)の思いやり予算(2016年度から5年間の在日米軍駐留費)をぶんどっている。また、これまでも、アメリカの言うがままの日本から経済的な利益を吸い上げているが、これからも、TTPなどで吸い上げられるだけ吸い上げるつもりでいる。だから、もしも、軍事的な価値や吸い上げるだけの経済的な利益がないと判断したり、他国との関係に日本が障害であると判断したりすれば、日本をぽいと捨ててしまうだろう。果たして、今後、アメリカが、日本と中国の二者択一を迫られたら、日本を選ぶだろうと、誰が自信を持って答えるだろうか。日本人だけである。ほとんどの日本人は、「これまで、ずっと仲良くしてきたのだから、必ず、日本を選んでくれるはずだ。」と思っているだろう。しかし、アメリカは、その時の国益を鑑みて、選ぶだろう。中国が選ばれた時、ほとんどの日本人は、「これはひどい。あんなに仲良くし、あんなに尽くしたのに。」と、アメリカの非人情を恨むだろう。しかし、国とはそういうものなのである。国益とはそういうことなのである。その時、日本人は気付くだろう。自分が、あまりに、お人好しであったことを。そして、他国に身をゆだねず、したたかに、政治を行わなければならないことを。しかし、それに気付いた時、日本人は、「他国に頼ってはいけない。頼るのは、自国だけだ。」という考えに陥ってしまうだろう。そして、日本の政治は、完全に、戦前の軍国主義時代のものに戻るだろう。政府は、現在以上に中国脅威を煽って、核武装をし、徴兵制を敷き、軍備拡張に走るだろう。戦前もそうであった。日本が、中国大陸を侵略し、満州国を建てると、全ての国から、バッシングを受けた。日本人は、それを怒り、「頼るのは自国だけだ。」と考え、国際連盟を脱退し、軍備拡張に走り、アジア諸国を侵略し、挙げ句の果てに、太平洋戦争を起こした。そして、大敗北を喫し、焼け野からの再興となった。太平洋戦争の惨劇で、日本人は気付くべきなのである。政治は、八方美人的に、したたかに行わなければいけないことを。自国一国を頼りにすると、軍人が力を得、軍備に多大な予算を割かなくてはならなくなり、国民が疲弊することを。現在の北朝鮮の状態を見れば、一目瞭然ではないか。しかし、現在の自民党政権や日本会議などの右翼は、日本を戦前の国家に戻したいのである。現在の日本国憲法を改正し、大日本帝国憲法に近いものにし、教育勅語を復活させたいのである。彼らにとって、戦前の日本が理想のあり方なのである。だから、彼らは、戦前・戦中の日本・日本軍・日本人を批判し続ける中国、韓国、北朝鮮に謝罪したくないのである。中国、韓国、北朝鮮に謝罪することは、戦前の日本を否定することになるからである。もちろん、彼らは、靖国神社にも、積極的に参拝する。靖国神社には、A級戦犯が祀られているが、彼らには、戦犯は存在しない。むしろ、彼らにとって、A級戦犯こそ、命をかけて、戦中の日本を指導した英雄である。もちろん、中国、韓国、北朝鮮は、日本人は戦前・戦中の行為を反省していないのかと反発する。しかし、彼らは、戦前の日本に憧れを抱いているのだから、反省するはずがないのである。彼らは、戦中の日本軍の残虐も戦争につきものであるとし、むしろ、日本軍は日本国のためによく戦ったと賞賛の言葉を惜しまないのである。特に、安倍首相は、尊敬する岸信介の孫であるから、戦前回帰の願いが強いのである。岸信介は、満州国高官を経て、太平洋戦争を主導した東条内閣の商工相であったために、戦後、死刑にならなかったが、A級戦犯として逮捕された。その後、首相となり、日本国憲法改正を目指していたが、道半ば、60年安保闘争で、退陣した。安倍首相は、A級戦犯という岸信介の汚名を晴らしたいのである。それは、すなわち、A級戦犯の孫という自分の汚名を晴らすことである。そのためにも、日本国憲法を大幅に改正して、大日本帝国憲法の精神を受け継いだものを制定したいのである。そして、教育勅語を復活させたいのである。もちろん、徴兵制の導入もその延長線上にある。そうすれば、日本は戦前のようになり、実質的に、戦前の日本が肯定され、岸信介は戦犯から外されるばかりでなく、存在価値が認められ、自分自身もA級戦犯の孫から解放されるからである。案の定、自民党の憲法草案を読むと、基本的人権が、ことごとく、否定されている。時代錯誤も甚だしいしろものである。全体主義国家の憲法である。まず、天皇を元首として祭り上げている。天皇の言うことならば、誰でも従うから、それを利用しようとしているのである。坂口安吾も言っているように、戦前において、天皇の身の回りの政治家や軍人が天皇の名をかたり、独断的に政治を推し進めたのである。自民党は、自らも、そのうまみを味わいたいのである。次に、罪を犯さなくても、他人に迷惑をかけていなくても、公が行使すれば、個人の自由が制限される。公とは、国家権力である。つまり、国民は、自分の考えを捨て、国家権力に従順でなければならないのである。次に、家庭を重視しているようで、聞こえは良いが、戸主権が復活し、女性の人権、子供の人権がないがしろにされている。父親が絶対的な権限を持っている。家庭で育児や介護をするようなことも記されているが、これでは、女性の負担が増えるばかりである。次に、夫婦別姓に反対している。男女同権の考えが全くないのである。さすがに、戦前の日本に憧れを抱いている者たちが作った、憲法草案である。さらに、在住外国人の参政権にも反対している。国際化の時代だと言われているのに、これは、非常に危険な兆候である。しかし、大衆は、自民党の憲法草案を読もうと思わないだろう。それを読んでも、おもしろくないからではない。自民党のありのままの考えを知るのが怖いからである。それよりも、夢を託したいのである。現実を見て幻滅するよりも、自分で夢を紡いで、夢見ていたいのである。だから、安倍首相が、秘密保護法案や安保法案を強行採決させても、原発の再稼働をさせても、その現実を見ず、アベノミクスという有名無実なものに、経済発展の夢を見て、満足しているのである。まさしく、日米の戦力格差の現実を見ようとせずに、戦勝に夢を託して、太平洋戦争に突き進んだのと同じである。大衆には、小泉進次郎に、清廉潔白なイメージを持ち、その支持者も多い。しかし、小泉進次郎も、自民党議員である。安倍晋三と同じ穴の狢である。しかし、大衆は、小泉進次郎に夢を託すのである。小泉進次郎も権力者の一人なのに、その現実を敢えて見ようとしないで、夢を叶えてくれるように思うのである。いや、思おうとしているのである。しかし、権力者に夢を託してはならない。ありのままの現実を見ずに、夢見ていれば、後に、避けることができない、歪んだ現実が大衆に覆い被さってくるのである。それが、太平洋戦争の悲惨な戦場であり、全国の都市爆撃被災であり、沖縄戦であり、広島・長崎の原爆被災だったのである。それを忘れてはならない。絶対に、この世の現実には、水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍、大岡忠相は現れることはないのである。決して、大衆の味方になる権力者は現れることはないのである。権力者に、夢を託してはならないのである。むしろ、大衆は、ありのままの現実を見つめ、政治・政治家を監視しなければならないのである。また、政治家は、アメリカに依存してはならない。必ず、早晩、アメリカは日本の期待を裏切ってくる。アメリカは、アメリカの国益に従って、政治を進めているからだ。政治家は、したたかに、八方美人型に、外交関係を結ばなければならない。そのためには、右翼や産経新聞・読売新聞・週刊新潮などのマスコミから、土下座外交と批判されても、謝罪すべき国には、謝罪しなければならない。領土よりも、経済よりも、国民の命が大切であることを肝に銘じて、政治を行わなければいけない。

大衆は馬鹿である(その2)

2016-09-08 14:50:27 | 思想
女優高畑淳子さんの息子の高畑裕太が逮捕された。強姦致傷の容疑だと言われているが、詳細は不明である。その件に関して、高畑淳子さんが記者会見をし、謝罪した。誰に対して謝罪したのか。例のごとく、世間に対してである。裕太容疑者が迷惑をかけた被害者、所属事務所、放送局、映画会社に対してならば、直接出向いて、謝罪するだろう。そうではなく、マスコミが正義を御旗に大きく報道し、大衆が正義を御旗に騒ぎ、母親の責任を問うから、芸能界に身を置いているので、やむなく、記者会見をしたのである。そこまでしなければならない、この国の世間の正義とはいったい何であろうか。さらに、テレビのバラエティー番組では、司会者やコメンテーターと呼ばれる人たちも、正義を御旗に、高畑淳子さんの子育ての誤り、高畑裕太容疑者の歪んだ性格を指摘する。いったい、この人たちは、何を知っていると言うのだろうか。真実がまだ明らかにされない中で、警察に逮捕されたというだけで、彼らは、正義を御旗に、よってたかって、高畑淳子さんや高畑裕太容疑者を非難するのである。応分に批判することを彼らは知らないのである。そのような彼らの多くは、自民党政権におもねって、秘密保護法や安保法は、おおっぴらに批判することはなかった。彼らは、弱い者いじめの典型である。多勢に無勢という言葉があるが、高畑淳子さんや高畑裕太容疑者は、圧倒的な多勢に取り囲まれている。二人の味方になってくれる人は、家族と弁護士だけである。このような時、友人も親戚も、関わりを恐れ、沈黙を保つものである。この国は、一旦、警察に逮捕されると、よってたかっていじめられるのである。容疑者の容疑の内実・真実が明らかにされないうちに、容疑者とその家族は全否定されるのである。それを熟知している警察や検察は、自分たちが支持する国家権力にとって都合の悪い人物を、針小棒大に容疑を解釈したり、容疑をねつ造したりして、逮捕したり、起訴したりして、社会的に抹殺してきた。戦前においては、戦争反対を唱える人たちを社会的に抹殺するだけでなく、生命すら奪った。近時においては、民主党政権をつぶし、自民党政権に戻すために、小沢一郎を収賄罪で逮捕し、起訴した。小沢一郎は無罪になったが、政治的生命はもはや風前の灯火である。民主党政権はすぐにつぶれた。警察・検察の思惑通りである。もちろん、官僚たちも、大衆のこの動向を熟知している。だから、自分たちに都合の悪い人物、自分たちが支持している自民党政権に都合の悪い人物、自分たちが頼りとしているアメリカ政府や軍部に都合の悪い人物が現れたら、警察・検察を使って、逮捕したり、起訴したりする。まず、逮捕ありきである。逮捕さえすれば、後は、マスコミが大きく報道し、大衆が騒ぎ、テレビ番組のコメンテーターや司会者が容疑者の性格を全否定して、その容疑者は社会的に抹殺される。大衆は、いつも、一人もしくはほんの少人数の生け贄を待っている。正義を御旗に、多勢で無勢をいじめるのが楽しいからである。吉本隆明は、かつて、「大衆は、時には、大きく動き、時代を変えることがある。」という意味のことを言って、賞賛していた。だが、吉本隆明は、大衆は誤った方向に変えることもあり、それがむしろ多いということを知らなかったのだろうか。そして、これは、最も重要なことであるが、大衆は責任を取らないのである。むしろ、責任を取りたくないから、多勢側に与するのである。今日も、大衆は、正義の御旗を振りかざすことができそうな、一人もしくはほんの少人数の生け贄が現れるのを、虎視眈々と狙っているのである。