あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

うつ病の精神分析

2014-06-19 19:18:19 | 思想
精神疾患には様々なものがあるが、共通の原因としては個人の名が傷付けられたり、傷つけられる虞があることから生じるように思われる。具体例を挙げて、説明していきたいと思う。典型的な気分障害に、鬱病(うつびょう)がある。「精神医学」(上島国利監修・ナツメ社)では次のように記している。「うつ病の基本症状は、気分が落ち込む、気がめいる、もの悲しいといった抑うつ気分です。また、あらゆることへの関心や興味がなくなり、なにをするにも億劫(おっくう)になります。知的活動能力が減退し、家事や仕事も進まなくなります。抑うつ気分が強くなると、死にたいと考えたり(自殺念慮)、自殺を図ったりします(自殺企図)。自殺率はおよそ15%と高く、注意が必要です。さらに、睡眠障害、全身のだるさ、食欲不振、頭痛などといった身体症状も現れます。うつ病の生涯有病率は10~15%です。一生のうち、6人に1人がかかる病気で、女性のほうが男性の約2倍かかりやすいことがわかっています。年代別では10歳代後半から壮年期にもっとも多くみられますが、老年期にもみられます。」また、原因については、次のように記している。「うつ病の原因ははっきりわかっていませんが、遺伝的要因や脳の機能的要因などが複雑にからみ合って発症すると考えられています。発症のきっかけとしてもっとも多いのは、ストレスです。転勤や退職、結婚、離婚などのライフイベントや、家族との離別(喪失体験)などがストレスとなります。」つまり、転勤、退職、結婚、離婚、家族との離別などのストレスがうつ病を引き起こすというのである。誰しも、転勤、退職、結婚、離婚、家族との離別がストレスになるという考えに異議を唱えないだろう。しかし、なぜ、転勤、退職、結婚、離婚、家族との離別がストレスになるのだろうか。人間は、誰しも、いついかなる時でも、各々の構造体において、一つのステータス(身分、社会的な地位・階級)を得て、安心感を抱き、その心の安定があってこそ、健全な生活を営むことができるからである。つまり、会社・工場・店舗・役所などという構造体の中で、社員・係長・工員・工場長・店員・店長・職員・課長などのステータスの下で、安心感や安定感を抱いて暮らしていた人が、転勤・退職などによって、その安心感や安定感を失ったり、失う可能性があったりする時に、うつ病になることがあるということなのである。また、家族という構造体の中で、息子・娘・夫・妻・父・母などのステータスの下で、安心感や安定感を得て暮らしていた人が、結婚・離婚・家族との離別などによって、それを失ったり、失う可能性があったりする時に、うつ病になることがあるということなのである。すると、それは、学校(クラス・クラブ)という構造体の中で、友人・クラスメート・クラブ仲間などのステータスの下で、安心感や安定感を得て暮らしていた人が、いじめ・仲間外れなどによって、それを失ったり、失う可能性があったりする時に、うつ病になる可能性があるということを意味しているのである。また、それは、恋愛関係という構造体の中で、恋人というステータスの下で、安心感や安定感を得て暮らしていた人が、失恋によって、その安定を失った時、うつ病になる可能性があることをも意味しているのである。つまり、我々は、常に、何らかの構造体の中でステータスの得て、安定的に暮らしているが、そのステータスを失ったり、失う可能性があったり、傷付けられたり、傷付けられる可能性があったりなどして、その安定を失ったり、失う可能性があったりする時に、うつ病に陥ることがあるのである。それが、個人の名を失ったり、失う虞があったりすることなのである。個人としての名とは、単なる固有名詞ではなく、ステータスとしての個人なのである。それほどまでに、我々にとって、ステータスは重要なのである。いわば、人間とは、ステータスとして生きているのであり、ステータスそのものだと言っても過言ではないのである。もちろん、ステータスは構造体が存在してこそ、存在できるのであるから、構造体の重要性はステータスに決して劣らない。例えば、日本人というステータスは、日本という構造体が存在して、初めて成立する存在者であるから、日本人は日本という構造体に愛着の念を抱くのである。それは、アメリカ人、中国人、韓国人、ロシア人など、諸外国の人々にとっても同様である。つまり、日本人と同様に、アメリカ人・中国人・韓国人・ロシア人という国民のステータスを得ている人は、アメリカ・中国・韓国・ロシアという国という構造体に愛着の念を抱くのである。つまり、国民というステータスを持っている人も、それを失ったり、失う可能性があったり、傷付けられたり、傷付けられる可能性があったりなどして、その安心感や安定感を失ったり、失う可能性があったりする時に、うつ病に陥る可能性が十分存在するのである。しかし、一般に、国民というステータスを得ている人がうつ病にならないのは、孤立化していないからである。つまり、日本国民、アメリカ国民、中国国民、韓国国民、ロシア国民が多数存在するからである。このように、我々は、いついかなる時でも、構造体に属し、ステータスを得て安心感・安定感を得ているが、それを失ったり、失う可能性があったりした時、孤立化すれば、うつ病になる可能性が存在するのである。つまり、人間は自由な存在者だと一般に説かれているが、真実はそうではなく、真実は、人間は、構造体とステータスに愛着の念を抱き、つまり束縛され、構造体内ステータス的存在者として、この世に存在しているのである。換言すれば、我々は、いついかなる時でも、構造体内ステータス的存在者として存在し、それに応じて、思考し、そして、行動しているのである。さて、「精神医学」(上島国利監修・ナツメ社)では、「発症のきっかけとしてもっとも多いのは、ストレスです。」と記し、うつ病の原因の多くはストレスだとしている。そして、ストレスの例として、「転勤や退職、結婚、離婚などのライフイベントや、家族との離別(喪失体験)」を挙げている。そして、私は、転勤・退職・結婚・離婚・家族との離別を、ステータス(身分、社会的な地位・階級)の安心感や安定感を損なうものとして説明してきた。つまり、ストレスとステータス(身分、社会的な地位・階級)の安心感や安定感を損なうこととは同意なのである。さて、ストレスとはどういう意味であるか。ストレスについて、明鏡国語辞典では、次のように、二種類の意味を記している。「物理的・精神的な刺激によって引き起こされる生体機能のひずみ。また、それに対する生体の防衛反応。」と説明し、「生体機能のひずみ」と「生体の防衛反応」の二つの意味があることを記している。前者の意味で取ると、うつ病とは転勤、退職、結婚、離婚、家族との離別などの精神的な刺激によって引き起こされる生体機能のひずみであるということになる。後者の意味で取ると、うつ病とは転勤、退職、結婚、離婚、家族との離別などの精神的な刺激によって引き起こされる生体機能のひずみに対する防衛反応であるということになる。「精神医学」(上島国利監修・ナツメ社)の説く「気分が落ち込む、気がめいる、もの悲しいといった抑うつ気分」は、前者においては「生体機能のひずみ」そのものを意味し、後者においては「生体機能のひずみに対する防衛反応」を意味する。一般的には、前者の意味でストレスを解釈し、うつ病とは、転勤・退職・結婚・離婚・家族との離別などのストレスによって引き起こされた、気分が落ち込む、気がめいる、もの悲しいといった抑うつ気分という生体機能のひずみであるということになるだろう。しかし、私は、後者の意味でストレスを解釈し、うつ病とは、転勤・退職・結婚・離婚・家族との離別などの精神的な刺激よって引き起こされた生体機能のひずみから逃れるための、気分が落ち込む、気がめいる、もの悲しいといった抑うつ気分という防衛反応であると考えている。つまり、一般的には、うつ病をストレスによって引き起こされた生体機能のひずみとして、現象的に捉えているのに対して、私は、うつ病をステータスの傷害・消滅や傷害の可能性・消滅の可能性による生体機能のひずみから逃れるための防衛反応として捉えているのである。つまり、私は、うつ病をステータスの傷害・消滅という嫌な現実から目を背けるために無意識的な心理状態として捉えているのである。それは、「精神医学」(上島国利監修・ナツメ社)に記されている、うつ病の基本症状に表れている。「うつ病の基本症状は、気分が落ち込む、気がめいる、もの悲しいといった抑うつ気分です。また、あらゆることへの関心や興味がなくなり、なにをするにも億劫(おっくう)になります。」つまり、鬱病に罹ると、現実を正視できなくなり、現実から逃避できるのである。もちろん、誰しも、鬱病に罹ろうと思ってうつ病になるのではない。なぜならば、ステータスの傷害・消滅を正視することも苦悩であるが、うつ病もまた苦悩であるからである。うつ病は無意識のうちに招来される。いわば、深層心理によって、うつ病は招来されるのである。深層心理は、ステータスの傷害を正視することを避けるために、自らの精神をうつ病に陥らせたと私は考えている。うつ病に罹ると、抑うつ状態になり、何事にも興味・関心が無くなるが、その第一義の目的はステータスの傷害を正視することを回避することにある。また、うつ病が治らないのは、深層心理が成せる業であり、意志の通じる表層心理の及ばないところにあるからである。また、「抑うつ気分が強くなると、死にたいと考えたり(自殺念慮)、自殺を図ったりします(自殺企図)。自殺率はおよそ15%と高く、注意が必要です。さらに、睡眠障害 、全身のだるさ、食欲不振、頭痛などといった身体症状も現れます。」とあるが、これは、うつ病が強まった状態であるが、ステータスの傷害を正視することの回避が主作用であるが、これは副作用と考えられる。ステータスの傷害を正視することの回避の抑うつ気分の延長上に自殺念慮があるのであり、深層心理の目的は、自殺ではないと考えられる。なぜならば、鬱病に罹るとすぐに自殺する人はいないからである。それ故に、うつ病の緩解の可能性があるのである。しかし、深層心理がもたらしたうつ病であるから、他の人からの表層心理としての意志の働き掛けはうつ病治癒のための直接的な手段にはならない。なぜならば、うつ病とはステータスの傷害という現実性から逃れるための、いわば、現実遮断の一つのあり方だからである。現実を遮断している人は、他者からの現実的なアドバイスに対して聞く耳を持っていないのである。むしろ、そのアドバイスはステータスの傷害に加算され、より現実的な重みとして、うつ病罹患者にのしかかっていくことが多いのである。それ故に、薬物治療、そして、気長に深層心理に訴えることによって、緩解を待つしかないのである。しかし、気長に深層心理に訴えると言っても、先に述べたように、既にうつ病に陥っている人には、健常者と同じような接し方では理解が得られないどころか、より悪化する可能性があるのである。そこには、なぜうつ病に罹ったのか、その原点を探る必要があるのである。それは、うつ病を緩解させるだけでなく、再度うつ病にならないためにも、また、うつ病という病気に罹患しないためにも必要なことである。先に、私は、「うつ病は、ステータスの傷害・消滅や傷害の可能性・消滅の可能性による生体機能のひずみから逃れるための防衛反応である。」、そして、「人間は、誰しも、いついかなる時でも、各々の構造体において、一つのステータス(身分、社会的な地位・階級)を得て、安心感を抱き、その心の安定があってこそ、健全な生活を営むことができるのである。」と述べた。つまり、我々は、いつでも、うつ病になる可能性があるということなのである。なぜならば、うつ病の原因はステータスの傷害・消滅や傷害の可能性・消滅の可能性であり、いついかなる時でも何らかのステータスを得て暮らしているからである。ここで、うつ病が多いという教師を例に挙げて、説明してみよう。山田和男は、山田家で妻と二人の子どもと共に暮らしている、48歳の公立の工業高校に勤務する数学の教師である。2014年5月16日(金)の一日の行動を追ってみよう。山田和男は、いつものように、目覚まし時計によって午前6時過ぎに起きた。この時が、彼の2014年5月16日(金)の一日の生活の始まりである。山田家という構造体での父というステータスから、2014年5月16日(金)が始まったのである。それは、午前7時過ぎに家を出るまで続く。午前7時過ぎに、家を出て、道路を歩き始めると、道路が構造体となり、通行人というステータスを得て歩いている。途中に、近所の川島さんに出会い、挨拶や会話を交わすと、近所という構造体の中で、知人というステータスを得る。午前7時20分から午前7時50分まで電車に乗っているが、この時は、言うまでもなく、電車という構造体の中で乗客というステータスを得て電車に乗っている。その後、電車から降り、駅から出ると、再び、道路が構造体となり、通行人というステータスを得て、道路を歩く。午前8時15分頃に高校に着くと、午後6時過ぎに下校するまで、高校という構造体で教師というステータスの下で働く。その後、道路、コンビニ、道路、電車、道路、喫茶店という構造体の下での行動が続く。つまり、通行人、客、通行人、乗客、通行人、客というステータスの下での行動が続くのである。但し、喫茶店では、かつての教え子と会話しているので、客というステータスと共に恩師というステータスを得ている。つまり、喫茶店の店員との関係では客であり、喫茶店に入る時やコーヒーを注文をする時は客というステータスで行動するが、教え子に対ししは恩師というステータスで話をする。その後、道路、電車、道路、自宅という構造体の下での行動が続く。つまり、通行人、乗客、通行人、父というステータスの下での行動が続くのである。こうして、一日が終わるのである。もっとも、帰宅した時には、二人の子どもは自室に既に入ってしまっているので、この夜は、父としてのステータスの活躍の場はなく、夫としてのステータスしか生かせなかった。このように、山田和男の2014年5月16日(金)の一日は、自宅という構造体の中で父そして夫というステータス、道路という構造体の中で通行人というステータス、近所という構造体の中で知人というステータス、電車という構造体の中で乗客というステータス、工業高校という構造体の中で教師というステータス、喫茶店という構造体の中で客というステータスを得て、行動している。つまり、一日のうちで居場所を変え、それぞれの構造体の変化に応じてステータスを変え、各々のステータスを演じて生きているのである。つまり、役柄を演じて生きているのである。しかし、誰しも、その役柄を意識して演じているのではない。無意識に、深層心理の中で演じているのである。つまり、人間とはステータスそのものなのである。(ハイデッガーは人間を世界内存在だと言ったが、その用語を借りて言えば)人間とは構造体内存在者であり、ステータスを演じる役柄存在者なのである。人間には役柄を演じていない時間は存在しない。それ故に、人間の本質は存在しない。それぞれのステータスがその時間においての、つまりその構造体においての本質である。しかし、山田和男に自己紹介をしてもらうと、「高校教師です。」もしくは「結婚していて、二人の子どもがいます。」と話すだろう。つまり、一般的には、職業としてのステータスや家庭・家族としての構造体が重要視されているからである。そして、一般的に、職業としてのステータスや家庭・家族という構造体におけるステータスの傷害が、うつ病の原因になっているのである。山田和男も、また、職業上の悩みを抱えていた。彼は、二年生のクラスの担任をしていたが、4月から全く登校して来ない生徒が一人いた。校長、進路指導課の主任、二年生の学年主任から積極的な対処を求められてて、電話をしても本人は出てこず、一週間に最低一度は家庭訪問をしているのだが、一度も会ってくれなかった。本人は家族の話し掛けにも応じず、部屋に閉じこもったきりであった。一年生の時は風邪で三日間欠席するだけであった。クラスの生徒に尋ねても、何が原因なのかわからなかった。また、5月初旬にいじめのアンケート調査をする、クラスにいじめがあると答えている生徒がいるのだが、クラス全員に面談をしたのだが、誰がいじめていて、誰がいじめられているかわからなかった。そして、工業高校には分数すらできない生徒がいるのだが、今年の一年生は授業中に寝ていたり、私語を交わしていたり、膝の上に雑誌を置いてこっそり読んでいる生徒が例年以上に多く、注意しても無視したり、向かってきたりする者もいた。彼はすっかり参ってしまっていたが、学校内において、相談相手がいなかった。うっかり相談すると、校長に知られてしまい、不適格教諭として認定される虞があった。彼はこの高校に勤務して三年目だが、一年目の4月当初からほとんどのクラスで授業が成立せず、その年度末に異動を希望した。校長をあきれるばかりで、まともに取り合おうとしなかった。次第に疲労がたまってきたが、今年は最も辛く、次第にほとんど眠れない日が多くなっていった。異動できないようなので、毎日退職を考え、塾の講師や家庭教師で糊口を凌ごうと思うのだが、高校三年生の息子と中学二年生の娘がいるので、まだ、決断にまで至らなかった。妻も小学校で苦労しているのを知っているので、妻にも話さなかった。しかし、妻も薄々彼の考えに気づいていたが、敢えてそのことに触れようとしなかった。そんな彼の心の拠り所になっていたのは、今日喫茶店で一時間程会話した、かつての教え子で、現在は進学校で数学の教師をしている女性だった。彼女は名を高田由美と言い、38歳の独身女性で、最初は彼に相談事を持ちかけて、彼の家を訪ねていたが、次第に、彼の妻の表情が険しくなってきたので、外で会うようになっていた。一週間に一度程、彼女から連絡が入り、今日のように、喫茶店で一時間会話していた。ただ、それだけのことだった。別の場所で会うことも、時間を延ばすこともなかった。それだけで二人は満足だった。山田和男は、彼女にも、学校における苦悩を話していなかった。恩師というプライドと彼女は進学校に勤務しているのに、自分は工業高校に勤務しているという劣等感が話すことをためらわせた。それでも、彼女と会っている一時だけが心の救いだった。彼は学校で追い詰められ、誰にも話せず、彼女との会話だけが唯一の逃げ場だった。高田由美も、山田和男だけが信頼できる人間だった。大学卒業後、すぐに進学校の高校の教師になったが、授業の進め方を年輩の同僚の数学の教師に尋ねても、数学の女性教師ということで、ぞんざいな扱いを受けた。そこで、他校にいる高校時代の恩師である山田和男を頼り、彼の自宅を訪ねた。山田和男は既に結婚して、真面目な教え子である高田由美の質問に丁寧に教えた。彼女は、それによって、次第に授業の進め方に自信を持てるようになっていった。しかし、最初の頃は、彼の妻も彼女の訪問を歓迎していたのだが、次第に疎んずる雰囲気が見えてきたので、喫茶店で会うようにした。彼女はすっかり彼を信頼し、最初の頃は授業の進め方だけを尋ねていたが、次第にプライバシーにまで、特に恋愛相談をするようになった。大学時代に、三年間も交際していた恋人に二股をかけられ、それを知ってから、男性不信に陥っていたからである。教師になってから、38歳の今までに、五人の男性に交際を申し込まれて、その中の三人と交際したが、デートの細部にわたって山田和男に話し、相談をしていた。結局、三人と別れることになったが、山田和男のアドバイスによるものが大きかった。彼女は、彼のアドバイスは的確だったと、今でも思っている。山田和男は、優しかった。大学時代に彼女を裏切った男性とも、教師になってから彼女が交際男性とも、同僚の男性とも山田和男は異なっていた。彼女は彼に全幅の信頼を置いていた。山田和男の存在があるから、高田由美は独身であることにも何ら心配をしていなかった。一生、このままでも良いとも思っていた。山田家の家族関係を壊すことを望まず、これ以上深い関係になろうとも思っていなかった。山田和男以上の男性が現れたら、その時は結婚を考えても良いと思っていたが、恐らく、現れないだろうとも思っていた。和男の妻の琴美は、45歳で公立の小学校の教師をしている。彼女も職業上でも個人的にも悩みを抱えていた。彼女は、五年生の担任しているのだが、毎日のように、クラスの女子児童の母親から学校に電話が掛かってきた。所謂クレーマーである。4月中旬の国語の授業時間に、隣の席の女子と話をしていたので注意すると、泣き出し、琴美の制止も聞かず、家に帰ってしまった。校長の指示により、琴美は、その日の夜、その子の家に事情を話すと共に謝罪をした。その件は、それで収まったのだが、次の日から、母親は自分の娘に対する担任の対応に対して、非難の電話を掛けるようになってきた。琴美が授業の時は校長が出て、放課後掛かってきた時は、彼女が電話に出た。琴美も注意してその女子児童に接しているのだが、何でもないことでも、母親はクレームを付けた。校長も、毎日、琴美にその女子児童に対して昨日どのような指導をしたか尋ねてきた。琴美は、学校に行くのが嫌になっていた。休職も考えてみたり、今年一年勤めた後異動希望を出そうと考えてみたり、息子の翔と娘の由香が大学を卒業するまでは頑張ってみようと考えたりした。しかし、琴美もまた夫の和男に相談しようとは思わなかった。夫に不信感を抱いていたからである。夫が、教え子だと言え、悩みごと相談を理由に、一週間に一度、高田由美に会っているのが許せなかった。琴美は八方塞がりの状態にあった。山田家の長男の翔は、進学校の高校三年生である。父も母も国立大学の出身者だったので、彼もそれを望んでいた。しかし、成績は一年生の初期は学年200名近くの生徒の中でも20番以内の上位に位置していたが、日を追うごとに下がり、現在では、100番前後に位置している。なぜ、彼は成績が下がっていったのかわからなかった。卓球部も一年生の三学期に退部し、勉強に専念するはずだったが、逆に生活のリズムが狂い、集中できなくなっていった。現代文の成績が上がらなかったが、それ以上に数学が振るわなかった。理系のクラスのいたため、二年生になってから数学の授業が多くなったので、ますます学校に行くのが苦痛になった。父が高校の数学の教師だったので、クラスメートに陰口をたたかれているのではないかと心配していた。父も母も成績について無頓着で、有名大学にも、国立大学にもこだわっていなかった。しかし、彼は国立の有名大学にこだわっていた。父母を超えたかったのだ。しかし、超えるどころか、このままで足元にも及ばない大学に進学するようになるのでプライドが大いに傷付けられていた。頭をかきむしりたくなる思いだった。長女の由香は、中学二年生で、テニス部に所属していた。テニスはとても好きで、部内に仲良しの女子生徒がいたので、一年生の時はクラブ活動が楽しかった。しかし、二年生になって、仲良しの同級生が上級生から、態度が生意気だという理由で、毎日説教されるようになると、クラブをやめてしまった。それと同時に、その生徒は別の女子生徒と仲良くし、由香が話し掛けても、無視するようになった。由香は学校ではその女子生徒もいつも一緒にいて、家に帰っても寝る時までメール交換をして連絡を取っていたので、ショックが大きかった。学校には行っていたが、実際は、無理矢理行っていたに過ぎず、苦行の毎日だった。誰にも相談できず、学校でも、家の中でも、どうしたらもう一度その女子生徒と仲良くできるのだろうかと悶々と一人苦しんでいた。ここに挙げた、五人はそれぞれ悩みを抱え、うつ病まで後一歩の段階にあった。彼らだけにその傾向が強いのではなく、ステータスに傷害がある者・ステータスに傷害の可能性がある者は、うつ病になる可能性があるのである。山田和男は工業高校という構造体における教師というステータスに、山田琴美は中学校という構造体における教師というステータスと夫婦という構造体における妻というステータスに、山田翔は進学校という構造体における受験生というステータスに、山田由香は友人関係における友人というステータスに、高田由美は恋愛関係という構造体における恋人というステータスにおいて傷害・傷害の可能性があるからである。この五人は、職業上の苦悩、夫婦関係における苦悩、進学上の苦悩、恋愛関係上の苦悩、友人関係上の苦悩を抱えている。だが、それは、どこでも見られる、ありふれた苦悩である。つまり、全ての人に、うつ病に陥る可能性があるということを意味しているのである。確かに、「精神医学」(上島国利監修・ナツメ社)では、「発症しやすい性格として、メランコリー親和型(秩序を重視し、他者につくす傾向が強い)がよく知られています。」と記されているが、メランコリー親和型(秩序を重視し、他者につくす傾向が強い)の性格は、日本人の特質だと言われているので、日本人は、うつ病の傾向が強いのである。それでは、なぜ、メランコリー親和型(秩序を重視し、他者につくす傾向が強い)の人間がうつ病になる可能性が高いのか。先に述べたように、うつ病とは、決して、心の傷ではない。うつ病とは、ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性から来る苦悩から逃れる精神状態である。深層心理(奥深に隠れている心の働き。外に現れない無意識の心の働き)が、自らの精神をうつ病という精神状態に陥らせることによって、ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性の現実から、逃れようとしているのである。「うつ病の基本症状は、気分が落ち込む、気がめいる、もの悲しいといった抑うつ気分です。また、あらゆることへの関心や興味がなくなり、なにをするにも億劫(おっくう)になります。知的活動能力が減退し、家事や仕事も進まなくなります。」(精神医学・上島国利監修・ナツメ社)とあるように、うつ病とは苦悩による現実逃避である。ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性もまた苦悩である。つまり、深層心理が、ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性という現実によって苦悩している精神を、うつ病という精神状態に置くことによって、ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性という現実から逃れようとしているのである。それ故に、うつ病の治療は難しいのである。深層心理がもたらした病であるから、うつ病の治療は難しいのである。ある人がステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性で苦悩していても、うつ病になっていなければ、まだ現実に対して心を閉ざしていないので、周囲の人のアドバイスや心遣いを受け入れる余地がある。しかし、うつ病になって心を閉ざしてしまうと、周囲の人のアドバイスや心遣いが理解されないばかりか、時には、誤解したり、重荷になったりする。それほど、うつ病の治療は難しいのである。うつ病を含めて、神経症や精神病に、薬物療法が有効なのは、深層心理が自らの心を閉ざしているので、大手で心に働き掛けることはできず、搦め手で直接に脳に働きかけているからである。うつ病になる前に、周囲の人が適切なアドバイスや心遣いがあれば有効であるが、うつ病になってしまうと、深層心理がうつ状態になっているだけでなく、表層心理も働きが低下してしまう。表層心理とは、深層心理に後続して起こる、理性や意志などと呼ばれる心の働きである。「理性」や「意志」が表層心理の働きである。「広辞苑」では、「理性」や「意志」について次のように記している。「概念的思考の能力。実践的には感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力。真偽・善悪を識別する能力。理念によって認識を統一する能力。理性による思慮・選択を決心して実行する能力。ある行動をとることを決め、かつそれを生起させ、持続させる心的機能。」また、深層心理の暴走を抑えるのも表層心理の大きな働きの一つである。その場における喜怒哀楽や感動は深層心理によるものである。一般的には、感情は深層心理の働きによるものだとし、理性は表層心理の働きだとしているが、深層心理には感情を伴った行動の論理があり、表層心理には理性を伴った感情の動きがある。ラカンが「無意識は言語によって構造化されている」と言ったが、それは、深層心理のことを述べているのである。無意識とは深層心理のことである。健常者の心理や行動は、最初に、瞬間的な深層心理の心の動きがあり、それに伴い、表層心理の心が動き、その兼ね合いの中で人間の行動が決定されていくのであるが、うつ病者は、深層心理が心を閉ざしているだけでなく、表層心理も働きを失っているのである。人間の深層心理と表損心理は不即不離の関係にあるからであるである。さて、先にうつ病に薬物療法が有功であると述べたが、薬物療法だけでは、うつ病は緩解しない。精神療法も必要不可欠である。なぜならば、うつ病患者と言えども、四六時中、人間関係の中で暮らしていて、死ぬまで、人間関係から逃れることはできないからである。つまり、死ぬまで、ステータスから逃れることはできないのである。ニーチェの「力への意志」の思想こそ、構造体とステータスに執着する人間のあり方を指す。「広辞苑」では、「力への意志」について、次のように記されている。「ニーチェ哲学の根本概念。他を征服し同化し、一層強大になろうとする意欲。ニーチェはこの意欲が単なる生存闘争ではなく、存在の最奥の本質であり、生の根本衝動である」と説く。しかし、ここに記されている「他を征服し同化し、一層強大になろうとする意欲」とは、決して、単なる征服欲ではない。他者を闘争によって自らに従わせようとする意欲ではない。他者に自らを認めさせる意欲である。この場合の自らとは、抽象的な自己ではない。おのおのの構造体における自己の存在、つまり、自らのステータスを認めさせようとする意欲なのである。さて、先に、ステータスの傷害とステータスの傷害の可能性がうつ病を引き起こすのだと述べたが、それは、自分の所属している構造体の消滅・消滅の可能性、自分に与えられたステータスが奪われること・奪われることの可能性、自己(ステータスとして存在している自己)が低く評価されること・侮辱されるを意味している。それ故、当然の結果として、うつ病の精神療法は、ステータスの傷害の除去、ステータスの傷害の可能性の消去が主眼となる。「精神療法」について、「ブリタニカ国際大百科事典」では、次のように記している。「心理療法ともいう。心理的、ことに情緒的混乱に対する治療法をいうが、情緒的混乱に関する理論はいくつかあり、それらに基づいて精神療法の技法もいくつかに分かれている。井村恒郎によれば次の四つに分類される。(1)支持法 相手を安心させるために説得したり、保証を与えたり、励ましたり、助言を与えたりする。環境を変えることで成果をあげようとする間接法もこのなかに含まれる。(2)表現法 抑圧されている不満や敵意を十分に聞き、汲取ることで発散をはかる。(3)洞察法 本人が自分の病理性をみずから洞察するように取計らう。(4) 訓練法 現実の体験をやり直させることで心理的構えを修正する。なお精神療法は、個別に面接を行う場合と、集団行動で行う場合とがあり、後者を集団精神療法と呼ぶ。」ここに記されている四つの方法は、うつ病の原因になっている、ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性から来ている苦悩を癒す効果があることは言うまでもないだろう。四つの方法を個別に取り上げて、詳細に分析してみようと思う。最初に確認しておきたいことは、先に述べたように、人間は、構造体内におけるステータス的存在者ということである。自分が所属する構造体、自分が与えられたステータスに執着する。自分が所属する構造体、自分が与えられたステータスが他者から褒められると喜び、けなされると悲しくなる。自分が所属する構造体が破壊されたり傷付けられたりすると、怒る。自分が与えられたステータスが傷付けられたり奪われそうになったりすると、怒る。人間は、自分が所属する構造体と自分が与えられたステータスのために生きているのである。それ故に、自分が所属する構造体、自分が与えられたステータスが障害を受けたり、障害を受ける可能性がある時に、苦悩し、そこから逃れるために神経症や精神病に陥る。その一つにうつ病があるのである。特に、構造体の傷害・傷害の可能性においての苦悩は、多くの人で分かち合うことができるから、癒やし合うとことができるが、ステータスの傷害・傷害の可能性においては、たった一人で堪えなければならないから、神経症や精神病に陥る可能性が大なのである。それ故に、当然、精神療法(心理療法)は、鬱病に罹った者からステータスの傷害・傷害の可能性を取り除くことにある。そして、「ブリタニカ国際大百科事典」に取り上げられている「支持法」、「表現法」、「洞察法」、「訓練法」の四つの方法も、ステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性の苦悩が原因でうつ病になった(深層心理がその苦悩を逃れるために自らにうつ病をもたらした)者から、そのステータスの傷害・ステータスの傷害の可能性を取り除くことを目的としている。まず、「支持法」だが、「安心させるために説得したり、保証を与えたり、励ましたり、助言を与えたりする。」とあり、ステータスの傷害で自信喪失のうつ病者に自信を与えたり、これまでのステータスの対処の仕方を変更できるように示唆する。その後、「環境を変えることで成果をあげようとする間接法もこのなかに含まれる。」とあるが、これは、うつ病に陥らせた、これまでのステータスそのものから去ることを意味する。続いて、「表現法」だが、「抑圧されている不満や敵意を十分に聞き、汲取ることで発散をはかる。」とあり、うつ病者の考えを肯定することで、孤立感から逃れようとさせる。さらに、「洞察法」だが、「本人が自分の病理性をみずから洞察するように取計らう。」とあり、ステータスの傷害の苦悩を逃れるために深層心理が自らうつ病になったのだが、敢えて、ステータスの傷害そのものに向き合うことによって、それを克服しようという試みである。逃亡から観察への方向転換である。そして、最後に、「訓練法」だが、「現実の体験をやり直させることで心理的構えを修正する。」とあり、これまでのステータスに対する考え方を変更しようという試みである。これまでのステータスに対する考え方が苦悩を産み出し、それがうつ病に繋がったので、これまでにステータスに対する考え方を変えれば、うつ病にならないはずだからである。このように、四つの精神療法(心理療法)があるが、いずれもステータスの傷害・傷害の可能性に対する処置だということがわかる。苦悩を癒やしたり、孤独感から逃れさせたり、自信を与えたり、これまでのステータスを変えることを勧めたり、これまでのステタスをに対する考え方を変えることを勧めたり、ステータスに苦悩する自分を見つめることでそれを克服するさせようとしたりすのである。いずれの療法も、ステータスにそのものにはうつ病を引き起こす力はなく、ステータスに対する考えがうつ病を引き起こしているという考えから発している。端的に言えば、ステータスにこだわり過ぎるからうつ病になるのである。しかし、世間では、「根性」、「粘り」、「夢を諦めない心」、「一途な心」が推奨されている。暗に、ステータスにこだわることを強く勧められているのである。心理学者のラカンが「人は他者の欲望を欲望する」と言っているように、人間は周囲の人の言動に左右されやすいのである。うつ病が、現代社会に蔓延しているのは、世間がステータスにこだわるようにし向けていることに大きな原因がある。しかし、人間はステータスから離れて生きることはできない。いつ、いかなる時でも、何らかのステータスを身に引き受けて生きている。そして、ステータスは常に構造体の下で存在する。それ故に、言い換えれば、人間は、いつ、いかなる時でも、何らかの構造体の下で生きているということなのである。これから、、うつ病の可能性のある、先に挙げた、五人の構造体、ステータスの現況を挙げて、対策を講じたい。しかし、現代日本人は、ステータスにこだわることを周囲から勧められているので、うつ病になりやすいのである。そして、端的に言えば、ステータスにこだわらないことがうつ病に罹らないための最大の方策なのである。山田和男は、公立の工業高校という構造体の下で教師というステータスを得ていたが、不登校生を出していることで担任としてのクラス運営の拙さを指弾されることを恐れ、数学の授業が上手く進めることができないことで数学教師としての力量を問われるとを恐れていた。公立高校という構造体から追い出され、教師というステータスを奪われるのは恥だと思い、他者からどのように思われるかが気になっていていた。また、教師を辞めたら次の職が決まらず、生活が成り立たず、家族三人から自分が軽蔑されることも危惧していた。両方とも、他者の目が地獄を呼んでいた。山田琴美は、小学校という構造体の下で教師というステータスを得ていたが、彼女もまたクラス運営で悩んでいた。不適格教師と認定されるのではないかと不安を感じていた。そして、夫が若い女性と会っていることに強い嫉妬心を覚え、苦しんでいた。山田翔は、進学校という構造体で受験生というステータスを得ていたが、成績が伸び悩み、徐々に、志望している有名国立大学に合格する可能性が低くなっていた。進学校の稀な落伍者という烙印を押されることを恐れていた。山田由香は、友人関係という構造体で友人というステータスを得ていたが、たった一人の友人が離れ去り、それを失い、孤独に堪えながら、中学校に通っていた。高田由美は、運命の人だと思い、ずっと結婚を考えていた男性に裏切られ、精神が不安定になっていたが、山田和男との会話で何とか毎日を送れるようになっていた。山田和男のような支える人がいなければ、いつ精神に異常を来しても不思議では無いような状態にあった。しかし、五人の悩みは、うつ病になるような深いものであろうか。深層心理がうつ病に逃げなければならなくなるような苦悩なのであろうか。ところが、傍目では「そんなことでうつ病になるなんて。」と思われることがうつ病の原因でなのである。「発症のきっかけとしてもっとも多いのは、ストレスです。転勤や退職、結婚、離婚などのライフイベントや、家族との離別(喪失体験)などがストレスとなります。」(「精神医学」(上島国利監修・ナツメ社))とあるように、誰にでも起こる、身近な出来事がうつ病の原因になるのである。ということは、誰にもうつ病に陥る可能性があるということなのである。誰しも、いついかなる時でも、何らかの構造体の下で何らかのステータスを得て暮らしているからである。構造体から追い出されること、ステータを奪われること、ステータスの評価が低いことがうつ病の原因になるのである。さらに、構造体から追い出される可能性、ステータを奪われる可能性、ステータスの評価が低いと予想されることがあるだけでもうつ病の原因になることもある。なぜならば、人間とは、構造体に執着し、ステータスに執着し、かてて加えて、ステータスの評価にこだわるように作られた動物だからである。逆に言えば、うつ病になる可能性を持って生まれて来た動物だとも言える。その上、うつ病とは深層心理(無意識)が現実を遮断することで現実の苦悩から逃れようとしている状態であるから、これまでの傍からの働き掛けが、うつ病患者には、功を奏さなかったり、逆に働いたりする。うつ病の治療には、薬物療法と時間を掛けて心を癒やしながら自信を持たせるような精神療法(心理療法)しか存在しない。他の神経症や精神病の治療と同じく、長い時間が掛かるのである。それでは、うつ病にならないためにはどうすればよいか。うつ病になる可能性を持って生まれてきた人間、つまり、構造体に執着し、ステータスに執着し、ステータスの評価にこだわるように作られた人間がうつ病にならないためには、その逆を進むしかない。構造体に執着せず、ステータスに執着せず、ステータスの評価にこだわらない人間になるしかない。五人の例で言えば、山田和男は高校という構造体と高校教師というステータス、山田琴美は小学校という構造体と小学校教師というステータス、山田家という構造体と妻や母のステータス、山田翔は進学校という構造体と国立の有名大学を目指す受験生というステータス、山田由香は友人関係という構造体と友人というステータス、高田由美は恋愛関係という構造体と恋人というステータスにこだわらない人間になるしかない。確かに、構造体に執着し、ステータスに執着し、ステータスの評価にこだわるように生まれてきた人間が、そこから脱却するように自らを持っていくことは並大抵ことではできないことは容易に想像できる。しかし、山田和男が長年馴染み誇りに思っていた高校教師というステータスを捨てること、山田琴美が生き甲斐にしていた小学校教師というステータスと山田和男と離婚すること、山田翔が国立の有名大学への進学を諦めること、山田由香が友人の存在の有無に執着しないこと、高田由美が恋人の存在の有無に執着しなくなることができなければ、この五人には常にうつ病に陥る可能性が存在することになる。確かに、人間は、構造体に執着し、ステータスに執着し、ステータスの評価にこだわるように生まれてきた。だから、深層心理(無意識)は、人間をそれらに執着させるようにしているのである。それ故に、表層心理が軌道修正させるしかないのである。しかし、人間の思いは、深層心理(無意識)から始まる。喜怒哀楽、感動、感激、憎悪、恨みなど、感情の全ては深層心理(無意識)がもたらしたものである。しかし、感情の動きだけが深層心理の働きではない。感情とは、何かについての感情であり、その認識は深層心理(無意識)が行っている。更に、その感情と共に、次の行動も深層心理(無意識)はまた、表層心理(意識)に指示する。怒りなどの不快な感情の時は、その感情を沈めるための行動を指示し、喜びなどの快い感情の時は、その感情を維持できるような行動を指示する。そして、表層心理(意識)は、その行動を取ったら、後にどのようなことが起こるか考えて、その行動の認可を決定する。しかし、深層心理(無意識)が起こした感情が強すぎると、表層心理(意識)は、深層心理(無意気)が指示した行動を押さえきれず、それに従うことがある。それでは、次に、先に挙げた山田和男、山田翔、高田由美の三人のある日の行動から、構造体、ステータス、深層心理(無意識)、表層心理(意識)の関わりについて、説明してみよう。山田和男は、二年生のクラスで、授業中、思わず、生徒に暴力を振るいそうになった。最後列の席の男子生徒が、教科書を盾にして、弁当を食べていた。近づいていって、「何をやっているんだ。」と注意すると、生徒は、「殴られるものなら、殴ってみろ。教育委員会に訴えてやるから。」とすごんだ。彼は、一瞬、本当にひっぱたいてやろうと思ったが、生徒が弁当をしまうと、机に顔を伏せて寝てしまったので、それ以上の注意はしなかった。他に二人の男子生徒が机に顔を伏せて寝ていた。このような生徒は、数学が全くわからなかった。起こしても、隣の生徒にちょっかいを出すので、寝ていた方がむしろ良かった。しかし、校長は職員会議で、常に、「寝ている生徒は起こすように。わかりやすく、魅力ある授業をすれば、必ず、寝ている生徒はいなくなる。」と、教師達に言っていた。しかし、このような生徒達は、小学校、中学校で既に数学の授業がわからなくなっていて、中学生の時から、まともに授業を受けていなかった。言うまでもなく、山田和男の深層心理(無意識)が体罰を加えようと思ってまで怒ったのは、教師というステータスのプライドを傷付けられたからである。そして、表層心理(意識)が体罰を思いとどまったのは、体罰を加えた後、教育員会の処分を恐れたからである。最悪の場合、公立高校という構造体から追い出され、高校教師というステータスを奪われる可能性があったからである。山田翔は、その日も、放課後の数学の補習授業に出ようか出ないでおこうか迷っていた。彼は進学校に在籍し、クラスメートのほとんどが国立大学を志望し、父母も国立大学の出身者で、父が数学の教師であるから、彼も国立大学の理学部の数学科を志望していた。しかし、彼は数学は好きでもなく、得意でもなかった。授業の数学が辛いのに、補習に出るのは堪えられないことだった。担任に、国立大学の進学を諦めたと話せば、事済むことだった。担任も、現在の翔の成績では、国立大学への進学は無理なことはわかっていたからだ。しかし、迷った挙げ句、その日も、補習授業に出た。補習授業に出てもわからないから出たくないという深層心理に、許可も得ずに出なかったら後で担任に叱られるという表層心理が打ち勝ったからだ。しかし、進学校という構造体と進学校の受験生というステータスに執着させる深層心理に、無理に国立大学に進もうとせず自分の趣向性に合った私立大学に換えようという表層心理が打ち勝つことはできなかった。高田由美は、高校教師になった二年目の忘年会の帰り、午後10時頃、彼氏のアパートの近くを通りかかったので、驚かせて喜んでもらおうと立ち寄ったところ、見知らぬ若い女性が来ていた。あわてふためいて、言い訳しようとする彼氏に対して、彼女は「あなたは最低な人ね。」と言って、部屋に入らず、ドアを閉めた。その時、このようなことをすると彼氏との交際が終わってしまうのではないかという抑制の気持ちが表層心理に起こったが、恋愛関係という構造体の下での恋人というステータスを傷付けられた深層心理は怒りの言葉と怒りの態度を示すことを要求し、深層心理が強すぎた。翌日から、深層心理が徐々に弱まり、彼氏が謝ってきたら許してやろうと思った。しかし、彼氏からの連絡はなかった。彼女は、寂しく、辛くなって、三日後、電話を掛けても、出ることはなかった。四日後、アパートを訪ねても、彼氏は「もう、やっていけない。終わったよ。」と、ドアの向こうで答えただけで、顔を見せることはなかった。それで、二人の交際は終わった。彼女は、その心の傷を、高校時代の恩師との会話で癒していた。恐らく、誰しも、彼らの苦悩は理解できるだろう。それは、誰しも、彼らと同じく、いついかなる時でも、ある構造体の下であるステータスを中心にして生きているからである。人間は、そのように、生まれてきたのである。それ故に、深層心理(無意識)が人間をステータスにこだわるようにしているのである。これまで述べてきたように、ステータスにこだわることがうつ病の原因になっている。ということは、誰しもうつ病の可能性を持って生まれてきたことになる。確かに、全てのステータスを捨て去ることができれば、うつ病になることはない。しかし、全てのステータスを捨て去れば、この世では、人間は社会的な生活を送ることはできない。つまり、ステータスを保持しつつ、ステータスにこだわらないことが大切なのである。そのためには、表層心理が構造体とステータスに取り憑かれて生かされているという人間の秘密を暴かなければならない。そして、構造体とステータスに動かされて生きるのではなく、構造体とステータスを使って生きるようにしなければならない。それには、まず、深層心理の呪縛を解くことである。我々は、深層心理によって、他者からの自我(ステータスの自己)の評価によって一喜一憂している。表層心理が、その一喜一憂も含めて、ステータスを楽しむようにすべきである。つまり、人生をゲームと見なすこと、つまりゲーム化することが、深層心理の呪縛から脱し、うつ病の可能性から逃れる道である。