あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

大衆は戦争に向かうか、革命に向かうか(自我その55)

2019-03-11 22:06:37 | 思想
青野季吉という文芸評論家は、1926年(昭和元年)に書いた「自然成長と目的意識」で、「大衆の苦境を描く文学はこれまでに多数自然に生まれ来たが、これからは、大衆に、苦境の生活から、プロレタリア意識(労働者階級という意識)を目覚めさせ、、革命に向かうという目的を持たせる文学が必要だ。」と述べた。「プロレタリア文学からプロレタリア運動への転換」を説いた。この評論以後、大衆の苦しい実態を暴きつつ、革命を起こさざるを得ない社会、革命に目覚める大衆、革命に目覚めた大衆、革命運動に向かう大衆、革命に向かう大衆を描いた文学が矢継ぎ早に現れた。果たして、大衆に、プロレタリア意識(労働者階級という意識)が目覚めたか。いや、目覚めなかった。大衆は、愛国心に目覚めた。大衆は、革命に向かったか。いや、向かわなかった。大衆は、戦争に向かった。太平洋戦争へと突き進んでいった。つまり、大衆は、愛国心に目覚めて、太平洋戦争へと突き進んでいったのである。それどことか、大衆は、戦争に反対する知識人を、警察や特高(特別高等警察)や憲兵(軍事警察に属した兵)に密告した。逮捕された知識人は、警察や特高や憲兵によって、転向(戦争反対から戦争賛成へと考えを変えること)を強要され、それらを拒否した者は、彼らの拷問によって殺された。百人以上の者が、裁判を受けず、逮捕されたその日のうちに、拷問で殺された。その中には、作家の小林多喜二、共産党員の岩田義道がいる。三木清は、逮捕され、殺されはしなかったが、劣悪な刑務所で、敗戦直後、亡くなっている。明治政府誕生以来、国家権力の中枢にいる政治家・軍人・官僚たちは、国民に、「臣民は天皇の赤子なり」(天皇を親であり、臣民(国民)はその子供である)、「万世一系」(天皇は永遠に同一の系統が続いていること)、「神国」(日本は神の国だから、元寇の時に神風が吹いたように、日本が危機に陥ったら、神が救ってくれる)という考えを教え込んでいった。そして、「徴兵令」(明治6年)で国民皆兵にし、「軍人勅諭」(明治15年)で「上官の軍人の命令は天皇の命令と同じである」や「軍部は天皇の命令以外は聞く必要が無い」など、「戦陣訓」(昭和16年東条英機陸軍大臣)で「捕虜になるような恥ずかしいことをするな」などで、国民に、天皇直属、上官の軍人絶対の兵士意識を植え付けた。彼らは、国民に、愛国心を持たせ、天皇直属、上官の軍人絶対の兵士意識を植え付けることに成功したのである。だから、国民は、海軍による真珠湾攻撃に狂喜し、東条英機内閣によるアメリカへの宣戦布告に乱舞したのである。真珠湾攻撃が成功したのは、宣戦布告前で、アメリカが戦闘準備に入っていなかったからである。また、日本とアメリカの国力の差は十倍以上あると言われ、その当時の世界中の誰もが、日本にアメリカに宣戦布告すると思っていなかった。もちろん、アメリカ国民も、そう思っていた。だから、アメリカは戦争の戦争の準備をしていなかった。アメリカが戦闘モードに入ると、日本はもはやアメリカの敵ではなかった。真珠湾海戦の後のミッドウェイ、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、沖縄での戦いは、アメリカの連戦連勝になった。神風は吹かず、日本は神国ではなかった。それでも、国家権力の中枢にいる天皇・政治家・軍人・官僚たちは、国体護持(天皇制の維持)が連合国によって保証されるまで、無条件降伏を拒否し続けた。そして、アメリカが広島・長崎を原子爆弾を投下し、三十万の大衆の命を奪い、ソ連が参戦するに及んで、日本は無条件降伏を受け入れた。戦争中における、軍部の上官たちは大衆を虫けらのように扱った。兵士は、戦闘死よりも、病死・餓死の方が多かった。味方兵の死肉を貪る者が現れるまで、兵士を追い詰めた。それは、兵士を一個の駒として見ていなかったから、食糧補給をないがしろにしていたからである。病兵は足手まといになるから、自決を強要し、それに従わなかった者は射殺した。アジア諸国に住む日本人民間人に対して、そこがアメリカに支配されそうになると、青酸カリ溶液や手榴弾を渡し、自殺を強要し、数万人の命を奪った。挙げ句の果てに、戦争末期になり、戦況の不利を悟り、戦闘機・戦艦・武器などが少なくなると、若い兵士や学徒出陣の学生・生徒たちに強要し、「自分も後に続くから。」と言って、六千人以上を特攻という苦悶の死を与えたが、ほとんどの上官は後に続かなかった。そして、戦後、彼らは、特攻の責任を、自決した大西瀧次郎海軍中将などに押しつけ、「特攻を希望した若者たちは立派だった。彼らの名誉ある死があるから、現在の日本の繁栄があるのだ。」と言って、自らの責任を回避した。彼らは、行動が詐欺師であるばかりでなく、言動まで詐欺師である。特攻のほとんどは、希望ではなく、軍部の上官による強要である。だから、大西瀧次郎は、責任を取って、自決したのである。特攻によって命を散らされた若者が生きていたならば、日本は現在もっと繁栄しているだろう。日本は、昭和20年に無条件降伏を受け入れ、敗戦となり、翌年の1月1日、昭和天皇は、マッカーサーのアドバイスに従って、人間宣言をし、天皇は神ではないと言った。同年5月3日から、東京市谷で開廷される極東軍事裁判で裁かれることを回避するためであった。マッカーサーは、天皇を利用して、円滑に日本を統治しようと考えていたから、アドバイスしたのである。昭和天皇は、死刑になりたくなかったからそれに従ったのである。さて、戦後、大衆は目覚めたか。いや、目覚めていない。目覚めていないと言っても、青野季吉の言うような、プロレタリア意識(労働者階級という意識)に目覚めていないという意味でも、革命に目覚めていないという意味でもない。日本の大衆に限らず、大衆は、共産主義革命に目覚めるというということはない。況んや、共産主義革命を起こすことはない。大衆が起こすのは、暴動であり、一揆であり、打ち壊しである。大衆は、現在の食うや食わずの生活や希望のない現在の地位に怒りを覚えて、国家権力に暴動・一揆・打ち壊しなどの反乱を起こすことがあるのである。つまり、大衆の反乱は、現在の自我(境遇)の不満によるものであり、共産主義革命とは異なるものなのである。共産主義革命とは、大衆(プロレタリア・労働者)が国家権力を奪い取り、社会構造を根本的に変革して、支配階級私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差を無くそうとすることであるが、主体は大衆ではなく、知識人である。知識人が、大衆の暴動・一揆・打ち壊しを利用して、共産主義革命を起こすのである。しかし、その知識人の共産主義者も、共産主義革命の第一の目的は、共産主義を利用して国家権力者になることだから、共産主義革命成功後は、血なまぐさい権力闘争が起こるのである。知識人の共産主義革命の動機も、現在の自我(境遇)の不満であり、大衆と同じである。マルクスは、「資本主義の発展した国に共産主義革命を起こる」と言ったが、資本主義の未発展国のロシア・中国・北朝鮮・キューバなどに共産主義革命が起こったのは、このような知識人と大衆によるものだからである。もっとも、知識人にしろ、大衆にしろ、人間とは、自分の自我(境遇、ポジション、地位、身分)を中心に考える動物だから、マルクスの理想とする共産主義革命は起こる可能性はほとんどないのである。マルクスは、資本主義の分析においては天才であるが、人間の深層心理から湧き上がる欲望にまでに理解が至っていないのが惜しまれるところである。フロイトやニーチェやハイデッガーがマルクスより先に生まれていて、マルクスが彼らの書物に触れていたならば、マルクスの思想は別の展開を見せていただろう。このように、戦後の日本の大衆は、プロレタリア意識(労働者階級という意識)に目覚めず、当然、共産主義革命にも目覚めなかったのであるが、国家権力というものは、愛国心を利用して、大衆を操り、自分の思い通りに動かすものだということにも気付かなかった。そして、今でも気付いていない。現在の大衆も、戦前の大衆と同じように、盲目的な愛国心を抱いている。盲目的な愛国心とは、愛国無罪と言うような、無反省の幼児の愛国心である。だから、戦前、中国、朝鮮(韓国・北朝鮮)を侵略し、占領したのに、「在日は日本からで出ていけ。」と叫ぶ大衆も存在する。戦前の大衆は盲目的に天皇の力を信じたが、現在の大衆はアメリカを盲目的に頼りにしている。現在の大衆は、日本とアメリカは同盟国と言うが、実際は、アメリカが主人で、日本は家来である。それは、日米安保条約・地位協定を丁寧に読めばわかることである。アメリカには、日本が戦争をしても守る義務はなく、議会にかけるだけである。日本はアメリカに奴隷のように仕え、媚びを売り、身銭を切っている。日本は、アメリカに、六千億円を使って辺野古基地を作って差し上げようとし、世界にまれに見る多額の基地費用援助、多くの基地の提供、核の持ち込み自由、軍人の出入り自由、日米合同会議での在日アメリカ軍の要望の全面的な認可、核の持ち込み自由、基地からの他国への攻撃自由、基地の建設の自由、アメリカ軍の軍事訓練の時間と場所の自由を与えている。これは独立国のすることではない。奴隷根性と言わずして、何と言えようか。あまつさえ、安倍晋三首相は、強行採決によって、集団的自衛権を獲得した。これによって、いつでも、どこでも、アメリカの要請があれば、自衛隊を派遣できるようになった。そして、これでも満足せず、日本国憲法を変えて、正面から戦争をできる国にしようとしている。それでも、安倍内閣の大衆の支持率は高いのである。安倍晋三首相、自民党議員、官僚たちが、中国、韓国、北朝鮮を敵対国として煽り立てることによって、大衆の愛国心を刺激するからである。このままでは、現在の大衆も、早晩、戦前の大衆と同じく、自分を生かす革命に向かわず、自分を殺す戦争に向かうしかないであろう。