あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間は、権力者になると、幼児に似て、欲望の虜になる。

2016-11-18 13:33:07 | 思想
芥川龍之介の箴言集「侏儒の言葉」の「小児」という項目に、次のような一節がある。「軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云う必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。」さすがは、芥川龍之介である。人間の心理を喝破している。戦前の日本は、軍人が横暴を極めた。特に、軍部指導者が自らの欲望の虜になっていた。兵士や国民を犠牲にしてでも、自らの栄光を求め、英雄になろうと思いはかった。その悲劇が、日中戦争、そして、太平洋戦争であった。敗戦後、大日本帝国憲法が棄却され、日本国憲法という新しい憲法の下で、日本軍は消滅したが、朝鮮戦争をきっかけに、1950年に警察予備隊が設置され、それが再軍備の始まりとなった。それが、54年に保安隊と改編され、54年に自衛隊となり、現在に至るのである。戦前の軍部は、天皇の直属機関であることをいいことにして、わがまま放題であった。しかし、自衛隊は、内閣総理大臣が最高指揮権を有し、防衛省が管理・運営している。現在の自衛隊の幹部は、わがまま放題なことはできない。しかし、自衛隊の最高指揮権を有している、安倍晋三総理大臣は、どうであろうか。自衛隊の管理・運営をしている防衛省のトップである、稲田朋美防衛大臣はどうであろうか。戦前の軍部指導者のように「英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだり」していないだろうか。「殺戮を何とも思わぬ」ようになっていないだろうか。安倍晋三総理大臣は、国家安全保障会議や秘密保護法によって、総理大臣を中心とした一部の内閣閣僚が軍事作戦を決めることができるようにした。安倍晋三総理大臣は、安保法そして集団的自衛権の確立によって、海外でも、自衛隊がアメリカ軍の指揮の下、戦闘できるようにした。そして、安倍晋三総理大臣と稲田朋美防衛大臣は、現在、紛争国の南スーダンに、自衛隊員を派遣している。安倍晋三総理大臣と稲田朋美防衛大臣は、戦前の軍部指導者と、何ら異なるところはない。彼らも、また、栄光を求め、英雄になろうと思いはかり、自衛隊員が殺戮し、殺戮されることを、何とも思っていないのである。しかし、政治権力者とは、常に、大いなる対抗勢力が存在せず、冷静な判断ができる社会的勢力(国民)が存在していない時には、自らの欲望の虜になってしまうものなのである。フロイトが提唱したものの中で、人間の深層心理(無意識心理)についての最も基本的な概念の一つに、エディプスコンプレックスなるものがある。男性は、幼児期において、母親に対して、欲望(近親相姦的な愛情)を抱くが、父親の存在の意味に気づき、父親を憎むようになるが、父親に反抗すればこの家にいられなくなることに気づき、さらに、自分の欲望は社会的に容認されていないことを知り、意識にとどめることができずに、無意識内に抑圧してしまう。この抑圧された欲望を伴う心的表象(コンプレックス)を、エディプスコンプレックスと言うのである。ディプスコンプレックスという命名は、自らは知らずに、父親を殺し母親と結婚した、ギリシア神話に出ている、エディプス王の悲劇が由来となっている。ちなみに、後に、ことの真実を知り、母親は自殺し、エディプス王は盲目になり、死出の旅に出るのである。つまり、本質的に、エディプス王の欲望は許してはならないのである。幼児の欲望は、無批判に、満たしてはならないのである。「子供は正直だ」とは、子供は、自分の欲望に駆られて行動しがちだということである。しかし、「子供は正直だ」と笑って言えるのは、大人が子供の欲望を抑圧できる自信からきているのである。もしも、幼児の欲望を抑圧できるものが存在しなかったならば、どうなるであろうか。男児の母親に対する欲望を抑圧するものが存在しなかったならば、その家庭は壊れるだろう。もしも、子供の欲望を抑圧できるものが存在しなかったならば、どうなるであろうか。学校におけるいじめとは、第三者に加害者が特定されずに、加害者の子供の欲望が満たされることなのである。もしも、大人の欲望を抑圧できるものが存在しなかったならば、どうなるであろうか。もちろん、大人にも欲望は存在する。人間である限り、欲望は存在する。言うまでもなく、大人の欲望の最たるものは、政治権力者の欲望である。しかし、政治権力者とて、大いなる対抗勢力が存在し、冷静な判断ができる社会的勢力(国民)が存在している時には、自らの欲望をむき出しにはできない。自らの欲望を、無意識内に抑圧せざるを得ない。しかし、現在の安倍晋三総理大臣の前には、大いなる対抗勢力も冷静な判断ができる社会的勢力(国民)も存在しない。むしろ、稲田朋美防衛大臣を始めとする、同士ばかりである。このような状態の中では、聖人君子でない限り、自らの欲望の虜にならないことのほうが不思議である。安倍晋三総理大臣は、自らの欲望をむき出しにして、栄光を求め、英雄になろうと思いはかっている。自衛隊員が殺戮し、殺戮されること、国民が殺戮し、殺戮されることを、何とも思っていないのである。むしろ。安倍晋三総理大臣にとって、自衛隊員や国民は、自らの栄光のため、自らが英雄になるために存在するのである。このように、安倍晋三総理大臣を、自らの欲望の虜にさせ、自らの欲望をむき出しにさせてしまった原因は何か。言うまでもなく、野党勢力の不在と的確な判断をする社会的勢力(国民)の不在である。安倍晋三総理大臣の栄光とは何か。現代日本が、戦前の大日本帝国になることである。これが、彼の言う、美しい国日本の紛れもない姿である。安倍晋三総理大臣の英雄性とは何か。現代日本に、大日本帝国をもたらすこと、その礎を築くことである。しかし、安倍晋三総理大臣に導かれた日本の行く末に待っているのは、美しい国ではなく、血塗られた国であることは想像に難くない。

大衆は馬鹿である(その3)

2016-11-12 18:52:25 | 思想
安倍晋三首相は、ファシスト(国家主義者)であることは、言うまでもないことである。2012年暮れの衆議選で、自民党が政権復帰し、翌年7月の参院選で圧勝し、安倍晋三自民党内閣が独裁体制ができあがった。それ以来、現在も続いている。安倍晋三内閣は、その成立以来、国会で、民主主義を破壊するような法案を通し続けている。自民党・公明党議員が、衆議院・参議院で、絶対多数を占めているから、それは容易なことである。国会で、一応、審議しているような形を取り、最後は、強行採決をすれば良いのである。まず最初に、国家安全保障関係の法案を通した。国家安全保障会議とは、アメリカ合衆国のNSC(National Security Council)を模倣したものである。アメリカ合衆国のNSCは、大統領に直属し、安全保障に関わる内外の重大問題を検討し、政策を決定する機関である。日本の安倍晋三内閣は、それを模倣し、外交関係の情報を一元化し、安全保障に関する外交政策を迅速に決定するために、総理大臣・官房長官・外務大臣・防衛大臣の四大臣会合を開き、国家安全保障局がその事務を司るという体制を作り上げたのである。これによって、日本が戦争を行うか行わないかの決定は、総理大臣・官房長官・外務大臣・防衛大臣の四大臣に委ねられることになったのである。次に、安倍晋三内閣は、特定秘密保護法を通した。この法律によって、国民も国会も、総理大臣・官房長官・外務大臣・防衛大臣が四大臣会合(国家安全保障会議)において、どのようなことを議論しているのかを知ることができなくなったのである。総理大臣・官房長官・外務大臣・防衛大臣の四大臣は、合法的に、秘密裏に、戦争を行うことができるようになったのである。国会議員には、国政調査権が与えられているのだが、自民党・公明党を中心とした国会議員はこの特定秘密保護法を強行採決し、自ら、積極的に、国政調査権を放棄してしまった。何という、国会議員の集団であろうか。国会議員失格であることは、言うまでもない。そして、 安倍晋三内閣は、安全保障関連法(安保法)を、国会で通した。もちろん、最後は、例のごとく、自民党・公明党を中心とした国会議員の強行採決である。安全保障関連法案(安保法案)には、次のようなことが、盛り込まれている。集団的自衛権を認める。自衛隊の活動範囲や使用できる武器を拡大する。有事の際に、自衛隊の派遣するまでの国会議論の時間を短縮する。在外邦人救出や米韓防護を可能にする。武器使用基準を緩和する。上官に反抗した場合の処罰規定を追加する。つまり、安全保障関連法(安保法)によって、自衛隊は積極的にアメリカ軍に加担して、積極的に戦争ができるようになったのである。アメリカが要請すれば、日本が攻められていなくても、自衛隊はアメリカ軍の指揮の下、戦争をしなければならなくなったのである。安倍晋三ファシズムの完成である。しかし、これらの法律は、強行採決とは言え、国会の議決によって成立しているのである。ヒットラーファシズムの完成とよく似ている。しかも、安倍晋三内閣は、世論調査では、高い支持率を維持し、現在も50%を前後している。日本の国会議員のレベルも低いが、日本の大衆のレベルも低いのである。  

誰でもストーカーになり得る

2016-11-08 16:55:31 | 思想
失恋すれば、誰しも、必ず、ストーカー的心情に陥ってしまう。今まで交際してきた人から、突然、「別れてほしい。」と言われた時、誰も、すぐに、その言葉を信じることはできない。一瞬、疑い、相手の顔をまじまじと見る。冗談ではない。相手は真剣な顔をしている。この時、誰しも、「うん、わかった。これまでつきあってくれてありがとう。」とは言えない。目の前が真っ暗になる。これまで二人で築いてきたと思っていた恋愛関係という構造体(恋人同士という構造体)を、相手が一挙に消滅に向かわせようとしていることに気付いたからだ。この時、相手をなじる人もいるだろう。泣く人もいるだろう。怒る人もいるだろう。「今まで上げた物を返してほしい。」という人もいるかもしれない。殴り掛かる人もいるかもしれない。しかし、ほとんどの場合、よりは戻せない。泣いたり、消沈したりした様子を見て、それに同情して、よりを戻してくれる人は、一部、いるかもしれない。しかし、それは例外である。ほとんどの場合、別れを告げられたら、失恋が確定してしまう。しかし、誰が、すぐに、失恋を認めることができようか。確かに、意識(表層心理)では、失恋を認めている。しかし、無意識(深層心理)では、すぐには、認めることができないのである。なぜならば、恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)は、既に、深層心理(無意識)の中に住み着いてしまっているからである。深層心理(無意識)とは、恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)だけでなく、家族という構造体(家族関係という構造体)、友人という構造体(友人関係という構造体)、仲間という構造体(仲間内の人間関係)、学校という構造体(学校内での人間関係)、会社という構造体(会社内の人間関係)など、種々の構造体から成り立ち、ひたすら、その構造体(人間関係)の安定を願っているものなのである。構造体(人間関係)の安定こそ、直接的に、深層心理(無意識)の安定に繋がっているのである。一つの構造体(人間関係)の不安は、深層心理(無意識)の不安定に繋がり、深層心理(無意識)が苦悩することになるのである。だから、深層心理(無意識)は、恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)の消滅に苦悩し、それを許すはずもないのである。しかし、失恋した、ほとんどの女性は、表層心理が、意識的に、相手の男性を憎悪し、軽蔑することによって、深層心理(無意識)から恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)を追い出してしまうのである。そうして、男性によって、一方的に、恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)が消滅させられたのではなく、自分自身も、積極的に、恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)を消滅させたということで、敗北感を味わうことがないのである。しかし、失恋した、ほとんどの男性は、表層心理が、意識的に、相手の男性を憎悪し、軽蔑しようとしても、それが、深層心理(無意識)にまで届かないのである。未練が残るのである。未練が残るということは、相手が愛していないのに、自分が愛しているということだから、いつまでも、敗北感が残っているということである。それでも、失恋した、大抵の男性は、何かに気を紛らわせ、相手の女性と会わないことによって、徐々に、深層心理(無意識)から、恋人同士という構造体(恋愛関係という構造体)を消していくのである。しかし、一部の男性は(稀には女性も)、未練に堪えきれず、つまり、敗北感に堪えきれず、一挙に、敗北を挽回しようとして、つきまとったり、盗聴したり、嫌がらせをしたり、襲ったり、時には、殺人を犯したりするのである。つまり、ストーカーの誕生である。だから、誰しも、失恋すれば、ストーカーの心情に陥るのである。そして、誰がストーカーになるかは、失恋してみないと、わからないのである。はっきり言えることは、男性の方が、女性よりも、その可能性が高いということだけである。