あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

対自化・対他化・共感化(深層心理の役割)(自我その63)

2019-03-19 20:00:50 | 思想
人間は、物事や人に対したり接したりする時、対自化、対他化、共感化の三つの視点のいずれかが働く。しかも、それは、無意識で行われている。つまり、深層心理が行っている。人間は、意識して、意志を働かせて主体的に行動することはできない。意識や意識による意志は表層心理である。つまり、表層心理が人間を動かすことはできないのである。表層心理ができることは、現在の自分の気持ちと行動を意識すること、つまり、現在の自分の状態を意識することだけである。さて、対自化とは、主体は自分にあり、物や人を、自分の役に立たせるような視点で見ることである。山で檜を見つけたならば、風呂の材料にしたら、幾らで売れるかと考えることである。これは、檜を対自化して見ているのである。上司が部下を、主人が奴隷を、自分の都合の良いように使うことを考えることである。上司が部下を対自化して、主人が奴隷を対自化して見ているのである。また、対他化とは、主体は他者にあり、他者がそばにいると、その人に自分がその人にどのように見られているか考えることである。そこには、必ず、良いように見られたいという思いがある。部屋に一人しかいないので、今まで机の上に足を投げ出して椅子に座って読書していた社員が、他の社員が入ってくると、慌てて、足を床に下ろすのは、自らを対他化したからである。彼は、深層心理の働きで読書しているから、自分がどのような格好で読書しているかの意識はない。他の社員が現れ、表層心理が働き、自分の格好を意識したのである。そして、その社員の顰蹙を買わないようにしようという対他存在が働き、すくっと床に足を下ろしたのである。表層心理は、自分の気持ちや姿や行動などの自分の状態を意識することであり、必ず、他者が現れた時、物事が順調にいかなかった時、大きな変化があった時、苦悩や痛みがあった時に働く。しかし、そのような時で無くても、表層心理が働き、ふっと自分を意識することがある。それは、恐らく、辺りを警戒する、動物の習性が備わっているからだろう。だから、対人関係は、ある時は、自分が主体となってその人を対自化し、ある時は、相手が主体となって自分が対他化されることになる。そこで、サルトルは、「対人関係は、見つめるか・見つめられるかの、支配・被支配をめぐっての戦いだ。」と言ったのである。そして、共感化は、主体を固定せず、被支配の関係を作らず、相手の良さや立場を理解して接する視点である。山で檜を見たらその美しさに感動し、上司が部下を、主人が奴隷を立場の違いを認めながら接する態度である。絵画、彫刻、俳句、短歌、詩などの芸術作品は共感化の賜物である。恋愛も共感化の賜物である。もちろん、恋愛も、最初は、片思いに始まり、相手がそばにいると、その人に自分がその人にどのように見られているか考えるのであるが、次第に、相手の気持ちを理解し、遂には、互いに、対他化の垣根を取り払い、共感化するのである。それが、相思相愛なのである。このように、我々は、毎日、いついかなる時でも、深層心理が、対自化、対他化、共感化の三つの視点のいずれかを働かせて、行動を起こさせ、暮らしているのである。表層心理が働いて、自分を意識することはあるが、それは力にならないのである。意志の力を強調する人がいるが、表層心理は、意志を作り出すことができないのである。ニーチェが、「意志は意志できない。」と言っているのは、このことである。く。もしも、意志に力があるとすれば、それは、「権力への意志」(自分が主体となって積極的に他者に認められようとする意志)であり、深層心理である。それを理解せず、「根性だ。」などと言って、自分で作り出した意識、つまり、表層心理によって作り出され意志を過信している人が多い。愚の骨頂である。だから、思い通りに行かないと、いたずらに、他者を責め、自分自身を責めるのである。挙げ句の果てに、精神疾患や自殺である。表層心理の役割と深層心理の役割の峻別を図ること、特に、深層心理の役割を理解することが大切なのである。