あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

傘がない、未来もない

2016-07-09 14:28:01 | 思想
井上陽水にの歌に、「傘がない」という歌がある。1970年代にヒットした、フォークソングである。歌い出しは、「都会では、自殺する若者が増えている。」とあり、衝撃的である。しかし、その後、すぐに、次のように、若者の自殺の多さに頓着しない歌詞が続く。「だけども、問題は、今日の雨、傘がない。行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ。」つまり、この歌は、若者の自殺の多いという社会的な問題よりも、好きな女性に会えないという個人的な問題の方が大切だと説いているのである。歌詞は、その後、「テレビでは、我が国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をして、しゃべっている。」とあるが、再び、「だけども、問題は、今日の雨、傘がない。行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ。」と応える。ここでも、国の将来という政治的な問題よりも、自分の恋愛の成就という個人的な問題の方が大切だと歌い上げている。このように、「傘がない」という歌の特徴は、社会的な問題よりも、政治的な問題よりも、自分の差し迫った恋愛の方が大切だと高らかに歌い上げているところにある。井上陽水は、大人たちから、利己主義者ではないかと非難されることを恐れず、自分の気持ちを高らかに歌い上げている。そこに、多くの若者が共感したのである。つまり、予想される大人たちの批判を意に介さず、他人のことよりも、全体のことよりも、自分の気持ちを大切にすることを高らかに歌い上げた井上陽水の姿勢を、多くの若者が支持したのである。しかし、現在は、この歌は成立しないと思う。現代という時代においては、敢えて、社会的な問題や政治的な問題を無視する姿勢を見せて、自分の個人的な問題だけを語ってはいけないと思う。現代は、田舎と都会の区別がなくなり、社会的な問題と個人的な問題の区別がなくなり、政治的な問題と個人的な問題の区別がなくなった時代なのである。井上陽水が「傘がない」を歌った時代は、日本が戦争をする可能性がなかったから、自分の個人的な問題に専念できた。しかし、現在、日本は、アメリカに追随して、いつ、戦争に参加しても不思議ではない時代に入った。井上陽水が「傘がない」という歌を歌った時代は、日本にとって、良い時代であった。自ら仕掛ける戦争の可能性も、アメリカに追随する戦争の可能性も全くなかったからである。日本国憲法が、日本の戦争の可能性をゼロにしていたのである。よく、日米安保条約があったから日本は戦争に巻き込まれなかったのだ、アメリカが守ってくれたから日本は戦争をしなくて済んだのだと言う人がいるが、それは誤りである。アメリカは、朝鮮戦争の時も、湾岸戦争の時も、イラク戦争の時も、日本政府に、兵隊を派遣し、戦闘に参加するように要請してきた。しかし、日本政府は、その都度、「日本国憲法は、戦争をすることを禁止している。」と言って、日本国憲法を盾にして、あるときは、兵隊の派遣そのものを断り、あるときは、派遣したが、戦闘には参加しなかった。しかし、安倍内閣が、安保法案を国会に提出し、憲法学者のほとんどが憲法違反だと主張しているのに、自民党・公明党は、強行採決によって、通過させてしまった。これで、集団的自衛権により、自衛隊がアメリカの軍隊に協力し、アメリカ軍の指揮の下、いつでも、戦争ができるようになったのである。もう、日本国憲法は、自衛隊員の戦闘行為を止めることができなくなったのである。総理大臣が、命令すれば、自衛隊員は戦場に赴き、戦闘行為に参加しなければならなくなったのである。だから、井上陽水が「傘がない」を歌っていた時、「我が国の将来の問題を、深刻な顔をして、しゃべっている」人の心の中には、日本が戦争に巻き込まれる不安はなく、政治家の汚職や公務員の天下りなどを問題にしていたはずである。井上陽水自身も、日本に戦争の不安がなく、若者が戦争に行かさせる虞がなかったから、「傘がない」を高らかに歌い上げることができたのである。しかし、今や、「傘がない」ことを問題にできる時代ではなく、「平和という安心感がない」時代に入ったのである。しかし、今回の参議院議員選挙も、与党の自民党・公明党が勝つだろう。ニーチェは「大衆は馬鹿だ」と言ったが、もしも、ニーチェが言う通りならば、そうなるだろう。そうなると、安倍内閣は、日本国憲法を改正して、徴兵制を導入して、自衛隊員だけでなく、日本人全体が戦争に行かせられるような体制を作り上げるだろう。戦前に逆戻りである。もちろん、憲法改正には、衆議院・参議院ともに3分の2以上の賛成票、国民投票で過半数の賛成票が必要であるが、現在の日本の国民の意識ならば、安倍内閣に騙されるだろう。そして、後で、悔いることになるだろう。でも、そのときは手遅れである。後の祭りである。自民党の憲法改正案を見ると、現在の日本国憲法の民主主義を停止して、戦前の国家主義の大日本帝国憲法によく似た憲法を作ろうとしているのがわかる。国民の多くが気付いていないが、現在の日本国憲法を誰よりも守ろうと考えているのが、天皇陛下であり、皇后陛下である。天皇陛下も皇后陛下も平和主義者だからである。だから、高齢で持病を抱えながら、太平洋戦争のアジア地域の激戦地を訪ね、戦死した人たちを慰霊しているのである。また、靖国神社には、太平洋戦争の首謀者が祀られているので、参拝しないのである。将棋の米長名人が、天皇陛下に、「私の夢は、日本中で、国家として君が代が歌われ、国旗として日の丸が掲揚されることです。」という意味のこと言った時、天皇陛下は、「無理をしないで下さい。」と言った。自民党の憲法改正案
には、天皇陛下を日本の元首とし持ち上げ、日本を国家主義の国としようとしているが、天皇陛下は、現在の日本国憲法を評価し、常日頃から、日本の象徴としての自らのあり方に満足し、現在の民主主義がずっと維持されることを期待している。もちろん、自民党議員も右翼も、天皇陛下のその姿勢が不満である。彼らは、天皇陛下には直接には言わないが、出版物で、天皇陛下の靖国参拝を期待すると言っている。天皇陛下も皇后陛下も、賢明だから、現在の日本の政治的な動きを的確に捉え、危惧している。それは、言葉の端々から窺うことができる。インターネットで調べるとすぐにわかることなのだが、国民の多くは、自民党改正案を知らない。知ろうとしていないからである。たとえ、今回の参議院議員選挙の結果、自民党・公明党の与党が3分の2以上の参議院議員を占めなくても、自民党を中心にした政府は、徴兵制を導入するように画策する。それは、次のような過程をたどる。まず、アメリカに要請され、日本政府は、アメリカの戦争に加担するために、自衛隊員を海外に派遣する。そして、何人かの自衛隊員が戦死する。すると、自民党やマスコミの一部(産経新聞、読売新聞、週刊新潮など)が、「自衛隊員だけを死なせるのはかわいそうだ。国民全体で責任を持つべきだ。」と声高に唱え、それが世論を動かし、徴兵制が導入されるだろう。いつの時代でも、若者が、真っ先が徴兵される。しかし、世論調査によると、若者の安倍内閣に対す支持率が高いのである。その第一の理由が、安倍内閣が成立しているから、就職率が高くなったからだそうである。しかし、確かに、就職率が高くなったが、それは、非正規雇用者が増えたからである。安倍内閣は労働規約を会社側に有利に変更した。そのため、会社側は、正規雇用者を減らし、非正規雇用者を大幅に増やすことができるようになったのである。会社側は、正規雇用者より非正規雇用者を歓迎する。なぜならば、正規雇用者に対しては、簡単に首にできず、年々給料を上げなければならず、厚生年金の半額を国に納めなければならないが、パートタイマーやアルバイトや派遣社員に対しては、簡単に首にでき、給料を据え置くことができ、厚生年金を国に納めなくても済むからである。だから、雇用者の犠牲の上で、就職率が高くなったのであり、決して、景気が良くなったのではないのである。だから、大企業や銀行の自民党への政治献金は増えている。さらに、自民党の戦前回帰を陰で後押ししている、大きな組織の一つが日本会議である。日本会議は、神社組織の神社本庁などが中心になって組織されたものである。日本会議は、暗躍して、これまで、国旗、国歌、建国記念の日の制定などで、地方議員や国会議員を動かしてきた。神社組織は、自民党と同じく、戦前回帰を目指しているのである。国家神道として、国から保護され、重用され、莫大な資金援助を受けたいのである。そこには、戦時中、軍人と一体となって、無辜の国民を戦地に赴かせたという反省はみじんもない。戦前のように、国家神道として、国民の心を支配したいのである。このように、政治的にしろ、社会的にしろ、今、日本は、戦後史の曲がり角に来ている。圧倒的な戦前回帰(戦前の国家主義への回帰)の勢いの中にいる。その中で、何ができるのだろうか。