納税者に寄り添う税の専門家 税理士法人 元(GEN)のブログ

会計・税金・経営情報について「わかりやすい」を合言葉に現場の声を発信しています。

非数値の重要性

2007-07-31 21:36:40 | Weblog
今なら携帯用のノートブックで瞬時にお客様の前で分析表を見ながら
話をするのはあたりまえでしようが、当時はお客様をインタビューしお客様の年度ごとの決算書や月次ごとの損益計算書、貸借対照表を入手して手書きで数値分析をするという方法でした。分析は何日か日数を要する場合もありましたし、急を要するときはホテルに泊まり夜中に作成し翌日にお客様に届けるというのもありました。数値分析をすることにより問題点を抽出し、経営者と話し合い、問題点が明らかになったら今度は経営者と非数値によって改善点を話し合い、アドバイスをする。その繰り返しでした。先生は非数値の重要性をよく説いていました。長年、経営の現場で鍛えられている実務経験は飲食業のすべてに精通していて、机上でない具体的な経営アドバイスはお客様の心を捉えていました。 

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数値分析

2007-07-30 09:26:28 | Weblog
小熊先生は大学の教授でありながらコンサルタント会社を起こし、
外食産業の指導にあたっていました。水商売から飲食業、飲食業から外食産業へと成長、変化する業界の発展に多大な貢献をされました。学者だったからでしょうか自分の理論に強いこだわりと自信を持っていました。外食産業の数値分析や開業計画書で現在一般的に使われている減価償却費、支払予定利息、賃借料などをまとめて初期条件と呼ぶ分析方法などは小熊先生の発案でした。店舗ごとのアルバイトを固定費ではなく変動費として分析する方法も先生の独特の方法でした。

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小熊辰夫先生のこと

2007-07-29 11:57:06 | Weblog
 小熊辰夫先生のことは活字に残しておきたいという気持ちが強くありました。
 
 本格的にコンサルタント業務に取り組むきっかけは一人のコンサルタントとの先生との
出会いが大きく影響しています。その人はフードビジネスコンサルタントの草分け的存在で東京証券取引所市場第一部に株式上場を後に果たす株式会社すかいらーくの店舗名の名付け親であり第一号店オープン時にコンサルタントとして指導にあたった故・小熊辰夫先生でした。小熊先生は昭和40年代の半ばごろ第一回外食産業アメリカ視察ゼミを組織し、そのコーディネータを務め、多くの経営者をアメリカに連れて行きアメリカの外食産業を招介しました。その参加者からは後に日本の外食産業をリードする経営者たちが数多く輩出しました。

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初めてのコンサルタント業務

2007-07-27 12:41:39 | Weblog
最初のコンサルタントの仕事はあるコンピュータ会社の社員研修でした。
ベンチャー起業として話題の会社でしたが、急成長企業にありがちな社員のほとんどが中途採用で社内のまとまりがありませんでした。経営者の意向を受けて4人でチームを組み、組織作りに対応しました。私は、20代でしたし、人前で話をするのも慣れていなくて大変緊張をしました。社員全員に能力適性検査を実施し、社員一人一人と個別面談をし、経営者のベクトルと全社員のベクトルを合わせ一枚岩の組織作りを目指しました。初めてのコンサルタントの経験は自分に進むべき方向を与えました。

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OAコンサルタント

2007-07-26 20:19:47 | Weblog
身近な例でいえば、お客様が0A投資をしました。
そこでこれを機会にお客様に合う会計ソフトの選択を依頼されました。税理士はお客様の要望や業種、規模などを検討して最適な会計ソフトの選択のアドバイスをしました。お客様の規模が大きくなるとパッケージやイージーオーダでは合わなくなりオリジナルなシステム設計となります。事務所側からみると0Aコンサルタントという仕事で若手の税理士ではほとんどの者が取り組んでいます。お客様の要望をひとつひとつ解決していくことから巨大なコンサルタントファームもできました。蛇足ですが大企業を取り巻く事務所の最近の世界的な流れでは税務と監査とコンサルはそれぞれ系列でない別々の事務所で行う傾向になってきています。これはコンサルタント部門があまりにも巨大になってしまつた結果、法定業務に弊害がでたためです。しかし中小企業の場合は、監査は法定されていないため税務業務とコンサルタント業務はひとつの事務所の仕事として密接な関係にあります。お客様の要望により様々なコンサルタント業務が発生していますし、今後もあらたなニーズが発生するものと考えられます。

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税理士の仕事は税務だけ?

2007-07-25 13:11:03 | Weblog
納税者の代理人としての税理士の仕事は大変すばらしく、奥が深くやりがいのあるもの
です。しかし実務に携わるようになってみてすぐに気がついたのですが、
お客様の税理士に対するニーズは当然に税務に限定されているわけではなく、税理士はお客様と深くかかわっているわけですからお客様の質問は当然に経営全般に及ぶものです。これは業界雑誌のアンケート調査などからも中小企業の経営者が経営に関しての相談相手として税理士を身近な存在として最も頼りにしている事実からもわかります。もちろん一人の税理士がお客様のすべての経営相談に応えられるはずがありませんが、できる限りお客様の役に立ちたい、お客様とともに成長したい、そういう強い気持ちが、税理士がコンサルタント業務を手がけるきっかけになっています。

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コンペティションとコラボレーション

2007-07-24 14:59:42 | Weblog
また、税理士という同じ職業を志したことによって数多く税理士の友人ができました。
当初は他の税理士は同業者でコンペティションとして距離をおいていましたが、若手の税理士の集まる任意団体のお手伝いをしているうちに自分と同じ考え方や行動をする者が多くいてすぐに意気投合しました。学校を卒業して大企業にはいる友人が周りに多かったせいか、独立開業という安定の志向ではなくまったく正反対の道を進んだ同志たちには学生時代には味わえなかった連帯を強く感じています。特に同世代の人たちとは税理士の将来を深く話し合えるほど親しくなっています。仕事でも複雑な事案を一緒に問題解決したり、仕事を紹介しあったりとよくコラボレートしています。

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忍耐の大切さ

2007-07-23 12:22:43 | Weblog
忍耐の大切なことは税理士試験への挑戦が教えてくれました。
税理士試験は科目別合格制がとられているため税理士事務所に働きながらの受験生が多いのですが、科目別合格制が試験そのものを難しくしているため最終合格まで何年もかかる忍耐を要する難関国家試験のひとつになってしまいました。しかし国家試験の挑戦は受験生を鍛え、独立後の大きな支えになります。これは友人の税理士たちの一致した意見です。毎朝、私の事務所の朝礼の締めくくりに松下幸之助氏の「日に新た」を全員で唱和をしていますが「忍耐」とか「努力」とか学生時代には恥ずかしくて口にできない言葉でもいまではその重みをずしりと感じいつも初心へ帰れます。松下語録の忍耐のところを紹介しますと「忍耐なくして成功はないーちょっとした困難にもすぐに音を上げ、あれこれと言い訳し、簡単にあきらめてしまっては何事もなし得ない。耐えるべきときに耐えてはじめて成功への道も開ける。」

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独立開業

2007-07-22 15:55:14 | Weblog
念願がかなって、試験に合格し開業したときに事務所所在地の税理士会の支部に
所属しました。税理士会は登録し開業するものは全員入会しなければならない強制入会制度でした。
最年少でした。一人歩きをはじめた独立の不安より、ようやく自分の事務所が持てた充実感で一杯でした。お客様は一件もありませんでしたが、いずれなんとかなるさという想いでした。友人などの紹介で一件、一件とお客様が増えていく手ごたえは大きな感動とやりがいに置き換えられるものでした。自宅で開業しましたが一年後にはささやかな事務所に移転することができました。現在は、東京は板橋区の成増というところに事務所を構えています。独立開業にあたり当時も今も事務所を持つべきかどうかの議論がありますが、私はどちらでもよいと考えます。大きな事務所や最新鋭のコンピュータをそろえなければお客様が増えないというものではないし、同業者との競争に負けるものではありません。自分のおかれた環境でひとつひとつのハードルをこえていくことにこそ達成感が味わえます。何もないところから始めたほうが毎日、夢ばかりで楽しくてしょうがありません。夢はひとつずつ達成していけます。税理士はいろいろな業種の経営者と知り合いになれるので人好きの者にはもってこいの仕事で興味は尽きないですし、人生の機微に触れる局面は多々あります。多くの人と接触していると多くの考え方を知り、自分の思考の幅も広くなり、こころ豊かになります。

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なぜ、税理士になるのか

2007-07-21 12:45:11 | Weblog
税理士になりたいと思う動機には、おそらくみんなに共通するものがあります。
たとえば社会人として通用する専門知識を身につけたいとか、税理士資格を取得して独立してみたいとか、税理士に憧れる動機には税理士の持つ自由な雰囲気にあるのは今も昔も変わらないのでしょう。税理士は法定業務として税理士法に有償、無償にかかわらず独占業務として税務相談、税務書類の作成、税務代理と定められています。最近では税務訴訟に関して弁護士とともに法廷に出て陳述できる補佐人制度、税金の使途に強い関心が高まるなか地方公共団体の外部監査人の仕事も新たに税理士の仕事として増えました。どういう税理士になるのか税理士試験に挑戦中の事務所勤務時代や合格後の実務のトレーニング時期が大変重要であります。私の場合は、税理士事務所勤務時代は修行と割り切っていました。積極的に仕事を習得することに努めました。先輩たちのやりたがらない仕事も進んでしました。サービス残業もよくやりました。冗談でよく趣味は残業、特技は休日出勤などと言っていました。そのせいか今もめったに仕事は休みませんが苦にはなりません。深い理由はなかったのですが師匠は持たないと決めていました。税理士試験を受けるにあたり独立開業を視野に入れていましたのではじめから誰にも頼らず、自力で開業をするつもりでした。10代のころに読んだ坂口安吾の小説か随筆にでていた「不羈独立」が20代の当面の目標でした。会社務めを否定するつもりありませんでしたが、学生時代から4半世紀を経過した結果、年功序列や終身雇用が崩壊してしまうとは当時誰も考えなかったことと思います。ただ自分は未来が見える選択よりも自分で作り上げていく方が後悔は少ないのかなと考えていました。とはいっても何をすべきか決まらず、いろいろ彷徨した結果、職業として税理士を選択しました。税理士という資格は大海原に一人で出航するときの羅針盤のようなものでした。あとの航海図は自分で描いていけばよいのではないでしょうか。きっかけはこの書籍と同じような書籍を偶然に読んだことです。恥ずかしい話ですがそれまでは税理士という職業も仕事の内容も知りませんでした。もともと経営に興味があり、数値を切り口にいろいろな会社に関与する税理士の仕事に強い関心を持ちました。業界に知り合いは一人もいませんでしたし、一緒に受験勉強を始める友人もいませんでした。周りの友人はすべて当時の一流企業に就職しました。受験勉強を始めた当時の記録を読み返してみると「意志あれば道あり」とか「鶏口となるとも牛後となるなかれ」とか「ひとつの扉を開くと他の扉はすべて閉じる」など自分を励ましたり、自分に対する決意表明みたいな文章がやたらと目に留まります。自分ながらに人生を稲穂にたとえ10年ごとに区切り20代は土の時代、30代は種の時代、40代は穂の時代、50代は刈の時代と決めました。畑を耕し、種を蒔き実らせ刈取る。単純なサイクルのなかに自分の進むべき方向を決めました。土の時代は税理士試験の受験も含め修行の時としました。ひとつの事務所だけでなく将来に役に立つようタイプの違ういくつかの事務所に勤め経験を積みました。早くひとり立ちができるように仕事の習得に励みました。

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