おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

燃えつきた地図

2023-04-27 07:32:52 | 映画
「も」は今までに
2020/5/21の「もうひとりの息子」から「モテキ」「もらとりあむタマ子」「モリのいる場所」「モロッコ」「モンタナの風に抱かれて」と6作品を
2021/12/16の「目撃」から「モダンタイムス」「モダン・ミリー」の3作品を紹介しています。

「燃えつきた地図」 1968年 日本


監督 勅使河原宏
出演 勝新太郎 市原悦子 中村玉緒 渥美清 長山藍子 酒井修
   笠原玲子 吉田日出子 小松方正 田中春男

ストーリー
男は妻と別居し、最も職業らしくない職業という理由で興信所の調査員になった。
間もなく男は、ある女から失踪した夫の行方動向の調査を依頼された。
しかし、女は夫を探すのには熱心ではなく男に協力的でなかった。
男はまず失踪者が残していった運転手募集広告、喫茶店「つばき」の電話番号を手掛りに調査を始めた。
しかし、いずれもはかばかしくなく、何の結果も得られなかった。
そんな時、男は女の弟と名乗るやくざ風の男に会った。
弟は失踪者の日記を見せるといって姿を消した。
男は弟に会ったが河原に連れて来られ、そこで、やくざの乱闘に巻き込まれてしまった。
この事件で弟は殺され、男も興信所から解雇されてしまった。
結局、弟が死に日記も入手出来ずに終ったが、男は単独で失踪者を探そうと決心した。
男は久しぶりに妻に会ったが、男には何の感激もなく、自分が失踪者であるような感覚に襲われた。
翌日、失踪者の部下田代の案内でヌード・スタジオを訪れた男は、田代が失踪者のことで嘘を言っているのを知った。
田代は弁解したが、男は取りあわず、そのため田代は予告自殺を遂げてしまった。
間もなく、「つばき」を訪れた男は、そこがいつもと違って運転手の客でごったがえしているのに驚いた。
「つばき」は日雇運転手の斡旋所で、彼らは身許も過去も問われない、一種の失業者の群だった。
男は失踪者について情報を得ようとして何者かに襲われ、気を失ったまま、女のベッドの上で目覚めた。
その時男は、失踪は脱落ではなく、都会の砂漠の中で生きている人間の、人間的な抵抗だと悟った。


寸評
成功したとは言い難い映画だが、所々に面白いシーンが登場する観念的な作品である。
興信所の勝新太郎が市原悦子から疾走した夫の調査依頼を受けて行動を開始するが、一向に手がかりがつかめない中で、依頼人のヤクザな弟の大川修や怪しい雰囲気を持つ喫茶店のマスター信欣三などが登場してサスペンス映画の様相を呈してくる。
おまけに依頼人の市原悦子は非協力的で、夫の安否よりも夫の失踪原因に興味がありそうである。
謎解き映画と思って見ていると、やがてそれは全然思惑違いであることを感じてくる。
勝新太郎があちこち動き回るが、探す男の足取りはまったく分からないどころか、無意味と思われるような出来事が描かれるようになってくると、僕は作品自体が分からなくなってきた。
図書館で勝新太郎の前に座る女が見つからないように本を切り取っているのだが、この女は何のために登場したのかよくわからなかった。
市原悦子の弟がヤクザの乱闘騒ぎで殺されてしまうので日記の話は立ち消えとなってしまうのだが、一体あの日記の存在は何だったのだろう。

失踪者の会社を訪ねると、そこには部下だった渥美清がいたのだが、渥美は小心者で言っていることが本当なのか嘘なのかが分からない男である。
失踪者がヌード写真を撮ることを趣味にしていたと語り、勝新太郎をスタジオに連れていきモデルになった長山藍子を紹介するが、写真のモデルは彼女だったかどうかは不明で、もしかするとモデルは奥さんの市原悦子だったのかもしれないと思わせる。
それよりも、渥美は失踪願望を持っており、そして究極の失踪でもある自殺を遂げてしまう。
渥美は喜劇役者としてのイメージが強いが、ここではシリアスな演技を見せて、人々に巣くう現実逃避の悩みを持つか弱い人間を演じている。
関係のない人物や関係ない事物のショットが入り込み、時には思わせぶりに反転した映像で描かれるシーンもあったりで、この頃になるとストーリー的には何が何だか分からなくなっている。
そう言えばあの頃、蒸発する人がかなりいて社会問題化していた。
社会は高度経済成長期に入っていたが、ノルマに追われ自らの人間性との狭間で悩むサラリーマンが出始めていた頃でもあったと思う。
そんな時代性が出ている作品でもある。

勝新太郎は闇営業をやっている喫茶店の「つばき」で客たちから暴行を受けて記憶をなくし、彼自身も失踪者の様になってしまう。
記憶をたどり「つばき」に行くと顔を見せない店員は吉田日出子ではなく、声を聞く限り市原悦子のようだ。
勝新太郎が出会ってきたことは幻だったのだろうか。
誰もが自らが進むべき道を記した地図をなくして彷徨い始めているのではないかとのメッセージが読み取れる。
安部公房原作、勅使河原宏監督のコンビ作品は肩の凝る作品ばかりだ。
なぜだか知らないが、冒頭のタイトルクレジット部分が紛失し、現存版では外国版のものが適用されている。
タイトル部のフィルムも失踪したようだ。