おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

次郎長富士

2018-09-29 11:40:56 | 映画
大映の次郎長もの

「次郎長富士」 1959年 日本

監督 森一生
出演 長谷川一夫 市川雷蔵 勝新太郎
   京マチ子 若尾文子 山本富士子
   根上淳 黒川弥太郎 鶴見丈二
   近藤美恵子 船越英二 島田竜三

ストーリー
次郎長は子分・桝川仙右衛門(島田竜三)の兄を殺した小台小五郎(尾上栄五郎)の引渡しを頼みに武井安五郎(香川良介)の所へ行ったところ、ちょうど居合せた黒駒の勝蔵(滝沢修)は含むところがあって小五郎と仙右衛門の一騎討ちを計った。
仙右衛門は小五郎を倒したが、神域を血で汚したという理由で次郎長の身辺に役人の手が回る。
次郎長は旅に出ることになり、夫の身を案じるお蝶(近藤美恵子)が石松(勝新太郎)を供に後を追った。
酒を止められていた石松だが、お新(山本富士子)と飲み比べをして酔いつぶれ、金をとられてしまう。
道中でお蝶は発病、途方にくれたとき通りかかったのが、以前世話をした豆狸の長兵衛(伊沢一郎)で、彼の家に厄介になることになった。
そのころ次郎長の泊った旅籠・大野鶴吉(鶴見丈二)の家では、鶴吉の許婚・お妙(浦路洋子)に土地の代官が横恋慕し、妾によこせとの無理難題に、怒った鶴吉が代官屋敷に乗り込むという事件が起っていた。
それを聞いた次郎長らの大暴れに代官は平あやまりに謝った。
日ましに上る次郎長の人気に業をにやした黒駒勝蔵は、浜松の大貸元・和田島太左衛門の跡目相続の席で憤まんを爆発させ、華やかな宴席が修羅場となりかけたとき、和田島の二代目おかつ(京マチ子)が割って入り仲裁し事なきを得たが勝蔵の憤りはつのり、彼は武井安五郎に府中の盆を盗ませた。
これを知った清水の二十八人衆は安五郎の賭場になだれこみ、民家にかくれた安五郎を斬り倒した。
が、このとき勢い余ってその家を焼き、これが次郎長の怒りにふれ、大政(黒川弥太郎)らは、お蝶の配慮で吉良の仁吉(市川雷蔵)のもとへワラジをぬぐことになった。
仁吉の家では、荒神山の盆割りを無法にも安濃徳(小堀阿吉雄)に奪われた弟分の神戸の長吉が泣きついきたので、仁吉は恋女房おきく(若尾文子)が安濃徳の妹であるため、おきくを離縁、清水28人衆と長吉に力をかすことに・・・。

寸評
大映版の清水の次郎長物で次郎長、森の石松、吉良の仁吉を中心にしてダイジェスト的に清水一家の活躍が描かれるが、オールスター作品らしく看板スターがわずかな登場シーンで出演している。
男性映画なので女優陣にその傾向がみられ、石松に絡むのが色気を振りまき酒がめっぽう強いうわばみお新の山本富士子 、次郎長と黒駒の勝蔵の一触即発を止めるのがおかつの京マチ子、吉良の仁吉の女房おきくが若尾文子なのだが、それぞれちょっとしたエピソードで登場しているだけとなっている。
後に勝新太郎夫人となる中村玉緒はまだ駆け出し中で、仲居の役で勝新太郎と少しだけ絡んでいるのが今となっては面白い組み合わせだ。
次郎長一家の小政、桶屋鬼吉、大瀬半五郎、法印大五郎、追分三五郎などが当然画面を賑わすが、特に目立ったところはなく集団の中の一人という感じだ。
わずかに目立つのは桶屋の鬼吉が自分の棺桶を担いで黒駒勝蔵のところへ喧嘩状の返事を持っていくぐらい。
むしろ敵方である小岩の根上淳の方が目立っている。

小説や講談で語られる主なエピソードは形を変えながら描かれていると思うが、マキノ雅弘の「次郎長三国志」における描き方と比べるとどちらが本当か僕は知らないでいる。
こちらの作品では、お蝶は病気を回復し清水に帰ってきているし、百姓家を燃やしてしまう一件も次郎長方のやらかしたことになっている。
次郎長が渡した金は見舞金でなく、お詫びの金だった。
石松が次郎長の刀を金毘羅さんへ奉納するエピソードも描かれているが、一般的に語られているだまし討ちに会ってあって石松が殺されてしまうという風にはしていない。
「次郎長三国志」では描かれなかった荒神山の出入りが描かれていて、吉良の仁吉はここで落命する。
しかしいくら草鞋を脱いでいたとはいえ、吉良の仁吉の亡骸が次郎長一家にあるというのはどうなんだろう。
それとも子分も多数死んで仁吉一家は解散したので、しかたなく亡骸を次郎長一家が引き取ったのだろうか。

最後はこれも「次郎長三国志」では描かれなかった黒駒の勝蔵との一大決戦だ。
黒駒は400人、次郎長は100人という出入りだが、決戦場所は富士川である。
富士川と言えば平安時代の後期に源頼朝と平維盛が戦った源平合戦、富士川の戦いが思い起こされる。
森一生演出は多分にこれを意識していると思われる。
東に陣取ったのは次郎長方で白旗をなびかせている。
一方西に陣取ったのが黒駒の勝蔵方で赤旗をなびかせている。
それはまるで源氏の白に、平氏の赤を表しているようで、戦う前から白の勝ちを暗示していたようなものだ。
もっとも主人公は清水の次郎長なのだから観客は白組の勝ちを初めから知っていることになる。
娯楽作品として軽妙なシーンを盛り込みながら楽しく見せているが、一番の功績は懐かしい往年のスターを垣間見ることが出来ることで、ぼくにとっては、一度はリアルタイムで見たことのある映画スターたちの若かりし頃を再見できることだ。

次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊

2018-09-27 16:46:31 | 映画
ご存知!清水の次郎長シリーズの第8話だが、今回は森の石松の物語。

「次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊」 1954年度 日本

監督 マキノ雅弘
出演 森繁久彌 小泉博 志村喬 小堀明男
   河津清三郎 田崎潤 森健二 田中春男
   澤村國太郎 山本廉 越路吹雪 青山京子
   川合玉江 水島道太郎

ストーリー
清水一家は次郎長の女房お蝶と豚松の法事の日を取り仕切っている。
百姓姿の身受山鎌太郎(志村喬)が受付に五両置いたのを石松(森繁久彌)は二十五両と本堂に張り出した。
さて読経の声もたけなわ、死んだ豚松の母親(馬野都留子)や許婚お静(北川町子)が来て泣きわめく。
鎌太郎のかん言もなく次郎長は深く心打たれていた。
法事を終えた次郎長は愛刀を讃岐の金比羅様へ納める事になり、選ばれた石松は一同心ずくしの八両二分を懐に旅の空へ出た。
途中、知り合った浜松の政五郎(水島道太郎)にすっかりノロけられた石松は金比羅様に刀を納めると、そのまま色街に足を向けて、とある一軒の店へ入った。
夕顔(川合玉江)というその女の濡れた瞳に惚れた石松は八両二分をはたいて暫く逗留、別れ際には手紙迄貰って讃岐を去った。
近江で立寄った身受山鎌太郎は先の二十五両を石松に渡して義理を果し、石松の落した夕顔の手紙に同情して、夕顔を身受して石松の女房にする事を約した。
その頃、盆踊りが始まっていた小松村では、都鳥の常吉(佐伯秀男)と梅太郎兄弟が、博打の借金を取り立てを理由に、七五郎(山本廉)の家を訪ねていたが本当の目的は、石松が立ち寄っていないかと探りに来たのだ。
都田村の吉兵衛(上田吉二郎)は石松暗殺を助けると布橋一家に請け負って20両を受け取っていた。
七五郎の家では、訪ねてきた石松が、自分が金を持っているので、それで借金を返してくれと申し出た。
石松は、林の中を進んでいたが、そこで待ち伏せていた面をかぶった集団に囲まれ命を落とす。
石松の死を知った次郎長一家が東海道を西に急ぐ頃、清水へ向う二人、それは鎌太郎と身受けされた夕顔であった。

寸評
森繁久彌演ずる森の石松が、次郎長の刀を奉納するため讃岐の金比羅に出かけ、その帰りに、都田村の吉兵衛に騙されて死ぬまでを描いている。
女に持てない石松が、薄幸の美人遊女夕顔と出会うドラマが丁寧に描かれているので、後半の悲劇性が強まって、悲しいまでの恋物語が胸を打つ。

この回の見所は、何と言っても、身受山の鎌太郎を演じている志村喬の存在感だ。
鎌太郎親分は百姓姿でひょひょうと現れるので、志村喬がよくやる役柄をイメージしてしまう。
法事の席で豚松の母親が「お前は参列している親分衆に参ってもらいたいから死んだのか」と泣き叫んだことで親分衆の不評かったとしょげかえっている次郎長一家の子分を鎌太郎親分が叱る場面がある。
この時のドスの効いた志村喬のタンカは随分と迫力があった。
近江の親分らしく違和感のない関西弁で子分たちを叱るシーンは胸に迫り、先ずは観客を感動させる。
石松が鎌太郎親分を訪ね、そこでの金のやり取り、夕顔の手紙を巡るやりとりは一人娘おみの(青山京子)が加わって人情味があふれるいい場面となっている。
夕顔をどうしていいか分からない石松に説教し、夕顔がいないながらも借り祝言をあげるまでの描き方もなかなか堂に入ったものでテンポも良い。
ここでは森繁久彌の森の石松もかすんでしまう、志村喬の身受山の鎌太郎親分である。
名前の通り、鎌太郎親分は夕顔を身請けする役目を申し出て終わるこのパートの締めくくりは小気味よい。

さてその夕顔だが、彼女は薄幸の女性である。
夕顔を演じた川合玉江の美しさは、人柄も飾り気のない素朴で優しい女性でありながらも幸せ薄い女性を絵にかいたようなもので、白黒画面で観ても、その美貌は輝いている。
夕顔は風呂に入っている石松の着物の片袖がないことに気付く。
昨夜夕顔を巡って男と争った時に破れたようである。
翌朝婆さんは石松の着物の片袖を道で拾い上げ、それを庭で洗濯をしていた夕顔に手渡す。
夕顔は石松の袖を繕いながら、「どうせ、うちらは、山鹿の猿やけん…」と寂しそうに呟くのだが、この一連で夕顔が石松に思いを寄せたことを示していたと思うのだが、ちょっとわかりにくい描き方だった。
初めて男に思いを寄せる夕顔の気持ちの変化をもう少し上手く処理できたような気がする。

最後の盛り上がりが小松村の七五郎の借金を巡って石松が襲われる場面である。
都田村の吉兵衛一家の連中は顔が知れてはまずいので祭りの面をかぶっている。
その面をかぶった男たちの顔だけが次々と画面を横切り、石松が襲撃される緊張感を高めていく。
この様な緊迫感が出る演出はこのシリーズで初めてだ。
ラストには、半死半生で七五郎の家の側まで戻って来た石松が思わず木に手を伸ばし、そこに咲いていた夕顔の花をもぎ取るようにしてその場にしゃがみ込んでしまうことで石松の死を感じさせ、そして身請けされて花嫁姿になって馬の背で揺られる嬉しそうな夕顔が映るという万感胸に迫る何ともいいシーンがある。
尚、作中で出会った浜松の政五郎が後の小政らしい。

聖の青春

2018-09-13 07:13:49 | 映画
将棋の記事を見たので、将棋を題材にした作品を再見。

羽生善治を追い詰めた棋士・村山聖(さとし)。
病と闘いながら全力で駆け抜けた、わずか29年の生涯を描く。

「聖の青春」 2016年 日本


監督 森義隆
出演 松山ケンイチ  東出昌大  染谷将太
   安田顕  柄本時生  北見敏之
   筒井道隆  竹下景子
   リリー・フランキー

ストーリー
村山聖(松山ケンイチ)は幼い頃から腎臓にネフローゼという難病を抱えていた。
漏れることのないたんぱく質が尿中に漏れ出してしまうことで顔や手足のむくみ、血圧の低下などがあり、悪い時には尿が出にくくなり血液が固まり命にかかわることもある。
聖は入退院を繰り返す中で、父から教わった将棋に夢中になる。
やがてプロ棋士を目指すようになり、森信雄(リリー・フランキー)に弟子入り。
15歳の頃から10年間森師匠と同居、師匠に支えられながら将棋に打ち込んでいった。
1994年、七段になった聖は将棋界最高峰のタイトル『名人』を狙い、森師匠のもとを離れ上京しようとする。
家族や仲間は反対する中、将棋にかける聖の情熱を見てきた森師匠は、彼の背中を押す。
将棋会館に行くと関西の村山として有名だったこともあり、遠慮されて橘正一郎(安田顕)と荒崎学(柄本時生)が来るまで誰も話しかけてくれなかった。
東京で荒れた生活をする聖に皆あきれるものの、聖の思いを理解し陰ながら支えていく。
前人未到の七冠を達成した同世代のライバル・羽生善治(東出昌大)を猛烈に意識する一方で憧憬も抱く聖。
橘と荒崎と飲みに行くが、酒癖の悪い聖は羽生に勝てば20勝の価値があるが荒崎に勝っても一勝の価値しかないと言ってのける。
名人位獲得のため一層将棋に没頭し、快進撃を続けていくが、彼の体をガンが蝕んでいた。
それでも医者の制止を聞かず、聖は“打倒、羽生”と“名人獲得”という目標に向かってなりふり構わず将棋を指し続ける。
名人目指して将棋に没頭する聖は順調な成績を収めていくが突然道端で倒れてしまう。

寸評
難病物でもありプロ棋士の世界を描いた内幕物でもある。
僕の将棋はヘボ将棋で弱いのだが駒の動かし方ぐらいは知っている。
最初の永世名人である木村義雄の名前ぐらいは知っているし、同じく永世名人である大山康晴や中原誠の活躍時代はよく知っている。
そういえばこの作品でも三名の揮毫による掛け軸が三本並んで将棋会館での対局シーンで写り込んでいた。
その後に登場した棋士で将棋の世界に詳しくない僕の記憶に残るのは谷川浩司、羽生善治ぐらいなのだが、この作品ではその羽生善治を東出昌大が演じている。
現役のバリバリ棋士でもあり、マスコミへの登場も多い羽生のイメージを出すのに苦労したような気がする。
漫画、酒、麻雀が好きな村山と、それらを全くやらない羽生との会話シーンが面白かった。

村山聖が倒れたり入院するシーンがあるものの、病魔と闘う場面は少なく悲壮感はないので難病物としての迫力には欠けている。
むしろ棋士の世界を描いた内幕物の要素が強く、僕には将棋会館内の描写が新鮮だった。
村山は関西の棋士で、冒頭では大阪の福島にある将棋会館での対局シーンがある。
対局は長時間を要するのだが、その時間経過をよくある時計を映して表現ではなく、朝の環状線の様子、昼の女子高生の下校姿などをスローで切り取り時間経過を感じさせる演出は好感が持てた。
村山は漫画が好きで本屋に立ち寄っているのだが、そこの女性店員との交流に広がりを見せなかった。
女店員は恋愛の対象者としての存在を感じさせるための存在だったのだろうか。
村山は自分の夢は名人になることと恋愛をすることだと言っているのだが、難病を抱え長生きを諦めている村山にとっての叶わぬ夢の象徴だったのかもしれない。

村山は直情的で棘があり人様に好かれるタイプの人間ではないように思えたが、橘や荒崎のモデルとなった仲間に巡り合えてよかったと思う。
特に荒崎のキャラクターは面白い。
じっさい彼のようなキャラクターの人間がプロ棋士の中にいるに違いないと思わせる。
そんな荒崎や師匠の森などが控室で批評しながら見ている中で行われた羽生との対局場面は、静かなものにならざるを得ない将棋の対局シーンながら緊迫感をだしている。
控室の面々は次の一手で村山の勝ちだと皆が思ったところで、村山は悪手を指してしまい負けてしまう。
その前の、後から考えると自分でもどうしてあんな手を指してしまったのかと疑問に思うような指し方をしてしまうことがあるいう会話が伏線となっている一手だ。
村山は棋譜を言いながら死んでいくが、将棋を教えた父親との関係がいいなと思わせた。
特にテイクアウトされた吉野家の牛丼を食べながら自分の葬式の話をする場面は、父親を知らずに育った僕にはうらやましく思えた。
藤井聡太という若き天才棋士が出現して盛り上がっている将棋界なので、作品的にはタイムリーだと思うが何か一つ物足りなさを感じさせたのは残念だ。
  

とらばいゆ

2018-09-12 07:28:14 | 映画
将棋の記事を目にしたので将棋関連の映画を再見。

“勝負”が彼女たちの仕事。女流棋士の世界を描いた作品。

「とらばいゆ」 2001年 日本


監督 大谷健太郎
出演 瀬戸朝香  塚本晋也  市川実日子
   村上淳  鈴木一真  徳井優
   辻香緒里  あだち理絵子
   山口美也子  大杉漣

ストーリー
本城麻美(瀬戸朝香)は女流棋士で、現在名人戦のB級リーグに属している。
麻美の妹、里奈(市川実日子)も同リーグに所属する女流棋士である。
麻美は、エリートサラリーマンの一哉(塚本晋也)と最近入籍した。
一哉は「恋愛よりも将棋が大切」という麻美を説得して、3年間の試験的な同棲の後、結婚したのだ。
しかし麻美は最近スランプで、「一哉と入籍してから、ほとんど勝ってない」と言ってしまい、口論が始まる。
ある冬の日、二人のマンションに里奈が、新しい彼氏の弘樹(村上淳)を連れて遊びに来た。
弘樹は売れないミュージシャンで、里奈の部屋に居候しており、家事をすべてこなしているらしい。
かたやエリート・サラリーマンで妻の仕事に理解のある夫、かたや家事万能の恋人。
麻美と里奈はお互いの相手を羨ましがる。
次の休日、麻美は一哉に嘘をついて、棋士仲間のアイ(辻香緒里)と競馬に出かけた。
競馬場で麻美は、元カレと一緒にいる里奈の姿を見つける。
麻美がマンションにもどると里奈が来ていて、弘樹と喧嘩したので、今日は麻美と一緒だったと口裏を合わせてほしいと頼んだところ、思わず麻美は「嘘つき。 元カレと一緒だったじゃない!」と言い放ち、今度は麻美が嘘をついていたことがばれ、逆に麻美が一哉から責められるはめに。
女流名人戦の対局は続き、今日の麻美の相手は女子中学生だったが完敗してしまう。
ついに麻美は「C級クラスに落ちたら離婚するから!」と言い放つ。
そして、麻美がBリーグ残留を賭けた対局の日、相手は奇しくも里奈であった。

寸評
男性棋士に対して実力も賞金的にも厳しいのが女流棋士の世界の様で、作中でも厳しい状況が語られている。
女流棋士の厳しい世界としてより、僕には共働き家庭を維持していく大変さを感じさせた作品だった。
掃除、洗濯、炊事と家事の多くを女性に任せる構図は想像できる。
女性からすれば同じように働いているのだから、家事も協力してもらわねばの気持ちが湧くであろうことも想像できるのである。
職場にトラブルやストレスはつきもので、それをお互いに家庭に持ち込まないことは出来そうで出来ないことなのかもしれない。

麻美と里奈の姉妹はどちらもB級に属する女性の棋士で、麻美は同棲にケリをつけ入籍したばかりに対し里奈は目下同棲中である。
この姉妹が兎に角負けず嫌いの意地っ張りで、男目線からは非常に我儘な女性である。
麻美は最近負けが込んでいてB級陥落が目前なのだが、その原因は結婚したことにあるとダンナを責める。
家事を押し付ける夫の勝手も描かれてはいるが、麻美から受ける印象は自分勝手な理屈で夫に食って掛かる嫌な女で、これが瀬戸朝香でなければ殴りたくなってくる身勝手さを感じる。
彼女は負けて帰ってくると不機嫌で、職場の嫌な雰囲気を家庭に持ち込んでいるような感じである。
もちろんその日の夜の食事を作るような雰囲気ではなく、夫は「君が負ければ俺の食事はないのか」と怒るが、妻は「私の気持ちを理解しないで食べる事ばかり気にしている」と反論する。
対局の日に夫が妻の好きな弁当を買って帰ると、「無神経だ。私が負けてまた食事を作らないと思っていたんでしょ!」と弁当を床に投げつける始末である。
それでも夫はひどいことをするなというだけで極めて冷静だ。
この包容力のある夫を塚本晋也が演じていて、監督としての実力もさりながら、どうしてどうして俳優としても中々の味を出している。
麻美は何かといえば実家によりついているが、芳江ちゃんと呼んでいる姉妹の母親である山口美也子は悪いのは麻美だと思っていて、彼女を諭すのだが麻美は聞く耳を持たない。
麻美と一哉夫婦が楽しくしている場面は全く出てこなくて、いつも気まずい雰囲気が流れているのだが、それがこの映画の中心でもあり、二人の会話が可笑しく瀬戸朝香のタンカにはそれは理不尽な言い分だと思っていてもスカッとさせるものがある。
いつもふてくされていて笑顔を見せない麻美の姿は、ラストの将棋で見せる笑顔のためのものだったのだろう。

瀬戸朝香の麻美よりも女の勝手さを出しているのが里奈の市川実日子である。
家事一切を同棲中の弘樹に任せていて、麻美以上に家庭的でない。
この様な役しかできない市川実日子だが、このような役をやると輝きを見せる女優である。
勝気な女二人と、優しい男二人の交流が何ともおかしい。

対局シーンもあるが、勝負の緊迫感はない。
ハッピーエンドはいいけれど、ちょっと甘ったるさを感じてしまった。

王手

2018-09-11 07:53:20 | 映画
将棋の記事を見たので、将棋を題材にした作品を再見。

大阪の新世界を舞台に、賭け将棋に生きる男たちを描く。

「王手」 1991年 日本


監督 阪本順治
出演 赤井英和  加藤昌也  広田玲央名
   仁藤優子  金子信雄  伊武雅刀
   麿赤児  國村隼  笑福亭松之助
   若山富三郎

ストーリー
大阪・新世界に住む飛田(赤井英和)は『通天閣の真剣師』と呼ばれ、借金取りに追われながらも賭け将棋で暮らしていた。
真剣師の飛田と、プロの名人を目指す香山(加藤昌也)は幼なじみで、対照的な性格でありながらも二人は将棋が取り持つ腐れ縁の仲だった。
香山は薬屋の加奈子(仁藤優子)に想いを寄せていたが、彼女は“将棋オタク”の香山がじれったい。
一方、日本海の温泉町に出向いた飛田は、そこでストリッパーの照美(広田玲央名)と出会い、また想いを寄せる。
そんな折り、二人の前に伝説の老真剣師・三田村(若山富三郎)が現れる。
老いたりとはいえど強い三田村に飛田は歯が立たない。
そんな中でも借金取りから逃げながら、プロ、アマ問わず真剣勝負に燃える飛田。
実力一流の彼はプロアマ戦に出場し、並みいるプロ相手に勝ち進んでいく。
やがて彼は新世界のドン(金子信雄)を巻き込んで名人戦に挑むことになる。
相手はまだ少年だったが甘くはない。
飛田は名人戦にすべてをかけて、平安の本将棋で三田村と再度勝負をする。
飛田はようやく三田村に勝ち、遂に矢倉名人(坂東玉基)に挑む。
そして、長時間の勝負の末、飛田は矢倉を打ち崩すのだった。

寸評
将棋をテーマにここまで楽しい映画を撮れる阪本監督に敬意を表する。
オープニングのタイトルの出方がまず素晴らしい。
思わず映画に引き込まれてしまう。
名人を負かして「今度は真剣でやろや」と去っていくのもかっこいい。
加奈子役の仁藤優子は「どついたるねん」の相楽晴子と同じ路線で僕の好きなタイプの女優さんなのだが、その後あまり作品に恵まれていないのは残念だ。
主演の赤井英和はもちろんいいし、若山富三郎の怪演もなかなか見物。
加藤雅也がモヤシ君役を見事に演じているのも面白い。

「まいど!」の挨拶に「おいど!」と答えたり、暑い盛りにフグをたべてウンコ話で盛り上がる、あるいは四文字熟語として欧陽菲菲(当時人気のあった歌手)と扇子に書いているなど、大阪人らしい細かいギャグもふんだんで大いに笑える。
真剣師という人が実際にいるのかどうか知らないが、賭け将棋を生業にしている世界を描いているので、たとえば「麻雀放浪記」のような殺伐とした雰囲気をイメージしていたら、とんでもない喜劇性を持っていて笑いの連続だ。
ちょっと軽薄な新世界男をやらせると赤井英和はいい味を出す。

阪本監督の新世界三部作ではこれが一番新世界の雰囲気が出ていると思う。おすすめ。
若山富三郎はこれが遺作となった。
でたらめで実におもしろい、男の映画だ。









王将

2018-09-10 08:13:37 | 映画
将棋の記事を見たので、将棋を題材にした作品を再見。

ご存知坂田三吉をご存知阪妻こと坂東妻三郎が熱演。

「王将」 1948年 日本


監督 伊藤大輔
出演 阪東妻三郎  水戸光子  三條美紀
   奈加テルコ  小杉勇  斎藤達雄
   大友柳太郎  滝沢修  三島雅夫
   香川良介  葛木香一  寺島貢

ストーリー
時は明治も終わりごろ、大阪は天王寺付近、がけ下の長屋住まいで麻裏草履をこしらえてその日暮らしのしがない稼業、これが坂田三吉という男で、将棋が三度の飯より好き。
好きこそものの上手なれで、玄人はだしの腕前、手合わせする者は素人も有段者も相手構わぬナデ切り、負けたためしがないという。
やれ春季大会のそれ、何々主催の将棋会のとあちらこちらに手を出した挙句、家業はおろそかになり収入は減る一方である。
女房の小春は青息吐息、何度亭主に意見したか知れぬが三吉はあらためるどころの沙汰ではない。
関根七段との千日手の一局で、その執念は恐ろしいばかり。
小春は娘の玉江を連れて家出した事も一度や二度ではないが、その度に自分のいなくなった後、子供の様に愚かな三吉がどんなになるだろうと心配してはもどって来るこころ優しい小春であった。
しかし今日も今日とて朝日新聞主催の将棋大会に、会費の二円を工面するに事欠いて、玉江の一張羅の晴衣を質に置いて出掛けた始末の三吉。
小春はそれを知り今はこれまでと、娘をつれて自殺を計る可く鉄道線路の方に出ていった。
勝負半ば注進に驚いた三吉が駒を放り出して飛んで帰り、長屋の皆とやっとの事で小春母子の生命をとりとめ、以後はすっぽり将棋をやめると誓うが、反って小春はその必死の気組みに心変わり、いっそやるなら日本一の将棋差しになれと励ました折も折、関根八段が来阪し三吉と平合わせた・・・・。

寸評
大阪人にとって将棋名人は坂田三吉をおいて他にない。
戯曲やこの作品のヒットに加え、東京への反骨精神も重なり支持を得たのだろう。
新世界には坂田三吉を讃えた顕彰碑もある。
故村田英雄が歌った「王将」という歌謡曲の大ヒットも寄与しているのかもしれない。
西條八十の作詞になるが「吹けば飛ぶよな将棋の駒に 賭けた命を笑わば笑え」と唄いだされるように、三吉が将棋に熱中する姿と、それがために貧乏暮らしに難儀する女房の小春の姿が描かれる。
将棋大会に目がなく、参加費を工面するために家財道具や、はては子供の晴れ着まで売り飛ばしてしまう三吉を
阪妻こと阪東妻三郎がいききと演じている。

宿敵関根金次郎との対局で二五銀という手を指し、その一手で三吉は勝利を得る。
しかし、その銀は進退きわまって出た一手で、出るに出られず引くに引かれず斬死の覚悟で捨て身に出た破れかぶれのハッタリの一手だったのだ。
それを娘の玉江にとがめられるシーンが一番盛り上がるところでもあるが、僕はちょっとした疑問を感じた。
はたして玉江はそれを見抜くほどの将棋に対する腕をどこで磨いていたのかということだ。
父の世話をしているうちに自然と身に着けたというのでは、勝った勝ったと騒いでる周囲の者たちの実力はよほど低いものということになる。
しかし、この時の指摘する三條美紀と指摘された坂東妻三郎の表情は魅せるものがある。
作品中では描かれていないが、「銀が泣いている」という名セリフを生んだ場面で、そうだとすれば三吉は何としてでも勝ちたいという自らの強情さを恥じていたことになる。
「ワシの銀が泣いとる」というセリフはないが、玉江のいう通りなのだと言うことで、勝ったはいいけれどという三吉の心情は描かれている。

周囲の意地で名人位の称号を東京の関根と大阪の坂田で争っていたが、坂田三吉はその称号を自分はその称号にふさわしくないと辞退する。
そして東京で開かれた関根の名人位就任披露パーティにお祝いを言うべく駆けつける。
別室で関根と対面した三吉は祝辞を伝えると共に、関根を仇と思ってきたことを詫び、祝いの品として生計のために行っていた手作りの草履を渡す。
小春が危篤だという知らせも入ってくるもう一つの感動場面だが、ここにきて下賤の者に宿る高貴な精神というテーマが浮かび上がり、伊藤大輔が描きたかったのは破天荒な坂田三吉の生きざまでも、三吉・小春の夫婦物語でもなく、まさにその事だったのではないかと思う。

坂田三吉は非常にお辞儀の長い人であったという証言が残っているようだが、作品中でもそんな坂田を面白おかしく描いている場面が登場する。
僕は坂田三吉に東京に挑み続けた反骨精神旺盛な不遇の棋士というイメージを持っていたのだが、死後の1955年(昭和30年)に日本将棋連盟から名人位と王将位を追贈されているし、この作品を見る限りにおいては反骨一辺倒ではなさそうだし、不遇のままでもなかったようで認識を新たにした。

カメラを止めるな!

2018-09-01 16:58:28 | 映画
もともとは都内2館だけの上映だったのが、口コミで評判が広まり、全国で拡大公開された異例のヒット映画

「カメラを止めるな!」 2018年 日本


監督 上田慎一郎
出演 濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ
   長屋和彰 細井学 市原洋
   山崎俊太郎 大沢真一郎 竹原芳子
   吉田美紀 合田純奈  浅森咲希奈
   秋山ゆずき 山口友和 藤村拓矢
   イワゴウサトシ 高橋恭子 生見司織

ストーリー
ゾンビ映画撮影のため、山奥にある廃墟にやってきた自主映画のクルーたち。
監督は本物を求めてなかなかOKを出さず、ついに42テイクに至る。
雰囲気が悪くなり休憩に入ったところ、本物のゾンビが現れ撮影隊に襲いかかった。
次々とクルーの面々はゾンビ化していくが、監督は撮影を中止するどころか、求めていた本物の雰囲気に嬉々として撮影を続行。
37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップのゾンビムービーを撮った彼らとは・・・。

寸評
内田けんじ作品を思い起こさせる作りだが、はるかにドタバタでエンタメ性に富んだ作品だ。
映画館を出ていく観客の中から、「えらい短い映画やなあと思ってたら、そこからやってんなあ」とか、「最初は、評判になってるけど、どこが面白いねんと思ってたわ」とかの会話が漏れ聞こえてきたが、実際この映画には仕掛けがあり、前半と後半でまったくタイプの違う構成になっている。
上映時間を頭に置いていると、ここからの展開はある程度予測がつくが、「オイオイこれで終わりかよと」思わせるのは、ツカミとしてはまず成功。
前半は観るに堪えない映画で、全編ワンカットの映像はユニークだが、全体のつくりがチープだし役者も大根揃いで、会話に間が開くことがあり、何とも安っぽさが前面に出ていて、これを延々と見せられるのかと思うと嫌になってくる作りである。

しかし、それは意図したもので後半は一変する。
まるでドタバタ喜劇映画の様相を呈してくる。
映画作りの舞台裏を見せているのだが、その様子が可笑しくて爆笑の連続である。
趣味で映画を撮ったことのある者なら、より一層この作品を楽しめるのではないか。
僕は学生時代に16ミリ映画を仲間と撮ったことがあるので、見ている時は彼等の中に入り込んでいるような気分になった。
僕らの映画作りは真剣ながらも半ば遊びのようなものであって随分楽しかったのだが、ここに登場する人々も随分と楽しんでいる。
登場人物を含め、かかわっている人たちが楽しんでいることが感じ取れる作品だ。
ワンカットで中継しなければならないという設定が、巻き起こるドタバタに必然性を生み出している。
タイトル通りカメラを止めるわけにはいかないのだ。
深い人間ドラマなどはないが、ラストのクレーンカメラをめぐるトラブルでは、撮影隊の絆と映画愛を感じさせ、他の観客と違って僕はジーンとくるものを感じた。