「アウトロー」 1976年 アメリカ
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド
チーフ・ダン・ジョージ
ソンドラ・ロック
ビル・マッキニー
ジョン・ヴァーノン
ポーラ・トルーマン
ストーリー
南北戦争も終わろうとしていた1860年代なかば、ミズリーの丘を越えてやってきたカンサス・レッドレッグ(北軍秘密軍事組織)の一隊が、罪もない農夫ジョージー・ウェールズの妻と息子を殺し、リーダーのテリル大尉の剣で重傷を負ったジョージーを残して立ち去った。
幸い命をとりとめたジョージーは、復讐の一念から鋤を捨てて銃をにぎり、フレッチャー率いる反逆者の一団に加わってテリルを捜すうち、戦争は終わった。
ほどなく反逆者たちに対する恩赦が発令され、フレッチャーたちはそれに応じたが、実はこれはテリルの策略で、少年ジェイミーを除いて全員が射殺され、仲間に加わらなかったジョージーはジェイミーを救って逃げた。
ただちにジョージー追撃の一隊が組まれ、命だけは助けられたフレッチャーも、しぶしぶそれに加わった。
その頃、ジョージーの努力の甲斐もなくジェイミーは死に、彼はひとりインディアンの土地に向かった。
やがてインディアンへの武器密売で稼いでいるならず者の群れコマンチェロスに、美しい娘ローラ・リーとその祖母サラが襲われているのを目撃し救い出した。
行きがかり上、死んだ息子が残してくれた牧場に行くというサラとローラを連れて行くことになった。
牧場に1番近い町、サント・リオでは酒場の女ローズを始めとする5人の人間が死んだように生きていた。
ローズの案内でめざす牧場に向かう途中、コマンチ族の酋長テン・ベアーズの姿をみかけて一同緊張したが、翌朝早く、ジョージーは単身テン・ベアーズに会いに行き、二人は義兄弟の儀式をとりおこなった。
その夜、牧場では呑めや歌えの大騒ぎが続き、ジョージーとローラは結ばれたが、執拗に追跡してきたテリルとその部下、フレッチャーが牧場をとり囲んだ。
しかし、一致団結して追跡隊を倒し、ジョージーは1人残ったテリルを町に追いつめて殺した。
寸評
南北戦争を扱った作品では北軍が正義の様な描き方をする作品が多いが、ここでは北軍の中にもひどい奴がいたのだという視点で描いている。
製作年の1976年はベトナム戦争の影をまだ引きずっていたころで、正義をかざした北軍がひどいことをするのはラルフ・ネルソンが1970年に撮った「ソルジャーブルー」などでも描かれていた。
理不尽な暴力は個人だけに存在しているのではなく、時には国家もその過ちを犯す。
主人公に土地を追われた先住民を同行させることによって、国家の政策もまた理不尽な暴力に過ぎないということを浮き彫りにしていて、いかにもベトナム戦争の傷を背負っていたころの作品らしい。
もっとも主張はオブラートに包んだものとなっていて、極めてエンタメ性の高い、ユーモアを含んだ作品である事には間違いない。
映画はジョージーが農耕生活を送っているところから始まり、いきなり妻と息子を殺されてしまう。
時代は南北戦争末期の頃で、南北戦争における両軍の熾烈な戦いはクレジットの後ろでさらりと流されていて、本筋が始まると南軍はいきなり敗戦ムードである。
ジョージーは北軍に屈することを潔しとせず追われる身となる。
妻子を殺されて復讐を果たそうとしているというよりも、北軍の追跡隊から逃げる逃亡者のように見える。
ジョージー・ウェルズは名前の知れたガンマンの様で、身には何丁かの銃を携えている。
どうやらこの時代の銃は、弾丸を装填するのにいちいち火薬を詰め直さなければならない「雷管式」と言われるシロモノだったので、一人で大勢を相手にする時には何丁もの銃が必要だったらしい。
一応の時代考証はなされているようで、ジョージーは見慣れた西部劇のガンマンとは少し違う拳銃使いである。
南軍の若い兵士に自分の息子を重ね合わせるのだが、一緒に逃亡したその兵士も死んでしまう。
このあたりまでは北軍による虐殺シーンなど派手な場面もあるが総じて内容は暗いものだ。
ジョージーが孤独の逃亡と復讐を行うのかと思いきや、むしろここからはユーモア満載の娯楽作品に転じていく。
成り行きから老インディアンが同行することになるのだが、寡黙なジョージーに対して老インディアンは雄弁で、まるで珍道中の様相を呈してくる。
さらに、ジョージーに助けられたインディアンの娘や野良犬まで加わり、果ては、ジョージーに向かって説教をタレる頑固ばあさんとその孫娘まで一緒になっての旅となり、なんだかほのぼのとしていて楽しい旅に見えてしまう。
家族を殺されて復讐の鬼になった男が、再び家族を得て少しずつ人間性を取り戻していく姿を感じるので、行く手を阻む事件が色々と起きても楽しい旅と見えてしまう。
戦闘的なコマンチ族と一触即発の事態に陥った時、ジョージーは単身コマンチ族の所に行き、リーダーの戦士に向かって、「人間にとっては死を選ぶ方が簡単だ。しかし生を分かち合うことだってできるはずだ」と訴え、「自分は生を選びたい」と言う。
ジョージの生き方が変わったと分かるシーンでもあり、これは一人の男の再生物語でもあったと思わせる。
国家に疑問を感じていた当時の世相心情は南軍兵士に、「合衆国に従うことを誓います」と言わせておいてから銃殺する場面に一番現れていたような気がする。
それでもこれはメッセージ映画と言うよりも完全な娯楽作品だと思う、特に後半は。
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド
チーフ・ダン・ジョージ
ソンドラ・ロック
ビル・マッキニー
ジョン・ヴァーノン
ポーラ・トルーマン
ストーリー
南北戦争も終わろうとしていた1860年代なかば、ミズリーの丘を越えてやってきたカンサス・レッドレッグ(北軍秘密軍事組織)の一隊が、罪もない農夫ジョージー・ウェールズの妻と息子を殺し、リーダーのテリル大尉の剣で重傷を負ったジョージーを残して立ち去った。
幸い命をとりとめたジョージーは、復讐の一念から鋤を捨てて銃をにぎり、フレッチャー率いる反逆者の一団に加わってテリルを捜すうち、戦争は終わった。
ほどなく反逆者たちに対する恩赦が発令され、フレッチャーたちはそれに応じたが、実はこれはテリルの策略で、少年ジェイミーを除いて全員が射殺され、仲間に加わらなかったジョージーはジェイミーを救って逃げた。
ただちにジョージー追撃の一隊が組まれ、命だけは助けられたフレッチャーも、しぶしぶそれに加わった。
その頃、ジョージーの努力の甲斐もなくジェイミーは死に、彼はひとりインディアンの土地に向かった。
やがてインディアンへの武器密売で稼いでいるならず者の群れコマンチェロスに、美しい娘ローラ・リーとその祖母サラが襲われているのを目撃し救い出した。
行きがかり上、死んだ息子が残してくれた牧場に行くというサラとローラを連れて行くことになった。
牧場に1番近い町、サント・リオでは酒場の女ローズを始めとする5人の人間が死んだように生きていた。
ローズの案内でめざす牧場に向かう途中、コマンチ族の酋長テン・ベアーズの姿をみかけて一同緊張したが、翌朝早く、ジョージーは単身テン・ベアーズに会いに行き、二人は義兄弟の儀式をとりおこなった。
その夜、牧場では呑めや歌えの大騒ぎが続き、ジョージーとローラは結ばれたが、執拗に追跡してきたテリルとその部下、フレッチャーが牧場をとり囲んだ。
しかし、一致団結して追跡隊を倒し、ジョージーは1人残ったテリルを町に追いつめて殺した。
寸評
南北戦争を扱った作品では北軍が正義の様な描き方をする作品が多いが、ここでは北軍の中にもひどい奴がいたのだという視点で描いている。
製作年の1976年はベトナム戦争の影をまだ引きずっていたころで、正義をかざした北軍がひどいことをするのはラルフ・ネルソンが1970年に撮った「ソルジャーブルー」などでも描かれていた。
理不尽な暴力は個人だけに存在しているのではなく、時には国家もその過ちを犯す。
主人公に土地を追われた先住民を同行させることによって、国家の政策もまた理不尽な暴力に過ぎないということを浮き彫りにしていて、いかにもベトナム戦争の傷を背負っていたころの作品らしい。
もっとも主張はオブラートに包んだものとなっていて、極めてエンタメ性の高い、ユーモアを含んだ作品である事には間違いない。
映画はジョージーが農耕生活を送っているところから始まり、いきなり妻と息子を殺されてしまう。
時代は南北戦争末期の頃で、南北戦争における両軍の熾烈な戦いはクレジットの後ろでさらりと流されていて、本筋が始まると南軍はいきなり敗戦ムードである。
ジョージーは北軍に屈することを潔しとせず追われる身となる。
妻子を殺されて復讐を果たそうとしているというよりも、北軍の追跡隊から逃げる逃亡者のように見える。
ジョージー・ウェルズは名前の知れたガンマンの様で、身には何丁かの銃を携えている。
どうやらこの時代の銃は、弾丸を装填するのにいちいち火薬を詰め直さなければならない「雷管式」と言われるシロモノだったので、一人で大勢を相手にする時には何丁もの銃が必要だったらしい。
一応の時代考証はなされているようで、ジョージーは見慣れた西部劇のガンマンとは少し違う拳銃使いである。
南軍の若い兵士に自分の息子を重ね合わせるのだが、一緒に逃亡したその兵士も死んでしまう。
このあたりまでは北軍による虐殺シーンなど派手な場面もあるが総じて内容は暗いものだ。
ジョージーが孤独の逃亡と復讐を行うのかと思いきや、むしろここからはユーモア満載の娯楽作品に転じていく。
成り行きから老インディアンが同行することになるのだが、寡黙なジョージーに対して老インディアンは雄弁で、まるで珍道中の様相を呈してくる。
さらに、ジョージーに助けられたインディアンの娘や野良犬まで加わり、果ては、ジョージーに向かって説教をタレる頑固ばあさんとその孫娘まで一緒になっての旅となり、なんだかほのぼのとしていて楽しい旅に見えてしまう。
家族を殺されて復讐の鬼になった男が、再び家族を得て少しずつ人間性を取り戻していく姿を感じるので、行く手を阻む事件が色々と起きても楽しい旅と見えてしまう。
戦闘的なコマンチ族と一触即発の事態に陥った時、ジョージーは単身コマンチ族の所に行き、リーダーの戦士に向かって、「人間にとっては死を選ぶ方が簡単だ。しかし生を分かち合うことだってできるはずだ」と訴え、「自分は生を選びたい」と言う。
ジョージの生き方が変わったと分かるシーンでもあり、これは一人の男の再生物語でもあったと思わせる。
国家に疑問を感じていた当時の世相心情は南軍兵士に、「合衆国に従うことを誓います」と言わせておいてから銃殺する場面に一番現れていたような気がする。
それでもこれはメッセージ映画と言うよりも完全な娯楽作品だと思う、特に後半は。