おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ビッグ・フィッシュ

2024-06-30 06:14:33 | 映画
「ビッグ・フィッシュ」 2003年 アメリカ


監督 ティム・バートン
出演 ユアン・マクレガー アルバート・フィニー
   ビリー・クラダップ ジェシカ・ラング
   ヘレナ・ボナム・カーター アリソン・ローマン
   ロバート・ギローム マリオン・コティヤールストーリー

ストーリー
息子のウィルとその父エドワード・ブルームは、3年前のウィルの結婚式で仲違いをしてしまった。
父はウィルが生まれた日に、結婚指輪を餌にして巨大な魚を釣り上げたと、その場にいた人々を沸かせたのだが、その話を何回も聞いているウィルはウソの昔話をまたしていると父を責めた。
それから父と疎遠になっていたウィルは、病で倒れたという父のもとにやってきた。
しかし同じように父は過去の話をウィルに話しはじめるのだった。

エドワードは大人になると町で人気者となった。
しかし、ある日町にやってきた巨人カールを町から遠ざけるために一緒に旅にでた。
途中でスペクターという町にたどり着き、詩人ノザー・ウィンズロウ、ジェニファーという少女に出会った。
町をでたエドワードはカールとともにサーカス団に加わった。
サーカス団のサンドラという女性に恋をしたエドワードは彼女と結婚したのだが、戦争に駆り出されてしまった。
中国やロシアなど危険な任務をこなしサンドラのもとにエドワードは帰ってきた。

ウィルはジェニファーと父が浮気をしていたのではと疑いジェニファーのもとを訪れる。
ジェニファーはエドワードが町を救ってくれたことなど彼の思い出をウィルに話して聞かせた。
ウィルの質問にジェニファーは父が決して母を裏切らなかったと話し、ウィルは父の元へと戻った。
ウィルが戻ると、発作をおこして危険な状態の父はウィルに自分の死ぬときの話を聞かせてくれと頼んだ。
父から死ぬときの話は一度も聞いたことのなかったウィルだったが、父が今まで出会った人々に囲まれながら、大きな魚となって川へと泳いでいくという空想の話を父にきかせた。
ビッグ・フィッシュの正体は父であったと締めくくるウィルにエドワードはその通りだと答える。


寸評
年老いたエドワード(アルバート・フィニー)と大人になったウィル(ビリー・クラダップ)が生きる「今」と、若かりし頃のエドワード(ユアン・マクレガー)の冒険を描く「過去」が交互に描かれ、父と子の和解へと導いていく。
「過去」のパートは思いっきり鮮やかで華やかに彩られているファンタジックな作品だ。
息子が子供の頃は父の話を面白おかしく聞いていたが、それがホラ話だとわかる年齢になると、毎回聞かされることに辟易して疎遠になってしまっている。
しかし、聞かされる話として、愚痴や自慢話より失敗談の方が断然面白いものだ。
時として失敗談も自慢話に聞こえることも有るが、聞く側として話を楽しく聞くことが出来る。
話す方としては受けを狙う気持ちもあって、往々にして話を盛る傾向があると思う。
エドワードのホラ話はそのように盛られたものだったのだろう。
本当ではないが、全くの作り話でもなかったのだと思う。
母親のサンドラは「本当のこともあったのよ」と語るが、その事を知ったウィルの行動からラストに向かう展開が「ビッグ・フィッシュ」というタイトルを浮かび上がらせる。

エドワードのファンタジックなホラ話の本当はどうだったのかを想像するのも楽しい。
5メートルもある巨人は2メートルを超える大男だったのではないかとか、下半身が一つの双子の美女歌手は普通の双子だったとか(実際そうであったように示されている)、ノザーの多額の謝礼で白い柵の現在の家を手に入れたのは本当だったのではないかなどだ。
お化け屋敷の魔女の正体も上手く処理されている。
過去の話が華やかな色彩で描かれるのに対し、今の世界は落ち着いた色調で語られる。
ウィルと違って、エドワードが愛するサンドラと、ウィルの妻はエドワードを理解して寄り添っているようで、死を迎えるエドワードにそのような人がいたことは彼にとって幸せなことだったと思う。

死を迎えようとしているエドワードが息も絶え絶えにウィルに自分の最期の話をしてくれと頼む。
ウィルは父親がやったようにホラ話の結末を考えながら話し出す。
その話の結末はエドワードが口から金の婚約指輪を出してサンドラに渡すと言うもので、エドワードが話していたビッグ・フィッシュはエドワードその人だったということだ。
葬儀の参列者は喪主を初めとして生きている人の人脈によることが多いと思うのだが、エドワードの葬儀に集まった人たちはエドワードを慕って参列した人たちだったと思う。
エドワードも「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」に該当する人だったと思う。
確執のあったウィルもその事を知ったのだろう。
数年後、実家のプールで遊んでいるウィルの息子は友達に「おじいさんは5メートルの大男と戦ったことがあるんだ」と自慢すると、ウィルは「そうだよ」と答える。
ホラ話は父から息子へ、そのまた息子へと語り継がれていく。
そのようにして長い年月を語り継がれたホラ話はやがて伝説となって残るのだろう。
各地に残る伝説はそのようにして出来上がったのかもしれない。
ティム・バートンらしい作品で子供たちも楽しめるのではないかと思う。


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2 コメント

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「ビッグ・フィッシュ」について (風早真希)
2024-06-30 07:06:52
私の大好きな映画の1本「ビッグ・フィッシュ」のレビューを書かれていますので、コメントしたいと思います。

この映画「ビッグ・フィッシュ」は、信じる心だけが生み出す"奇跡"を描いた、ティム・バートン監督のまばゆい色彩と、ほのぼのとした温かさに満ち溢れた作品だと思います。

息子ウィル(ビリー・クラダップ)とジョセフィーン(マリオン・コティヤール)の結婚式で挨拶をするエドワード(アルバート・フィニー)の話は、「息子が産まれた日に釣った巨大魚」の物語。

いくらチャレンジしても釣ることが出来なかった"ビッグ・フィッシュ"。
それを金の指輪をエサにして釣ることが出来た、要するに、結婚も----というオチがついたスピーチなんですね。

拍手喝采を浴びる父の陰で、息子のウィルはうんざり顔。
耳にタコが出来るほど聞かされている話を、また聞かされ、一生に一度の晴れ舞台の主役まで持っていかれるとは---------。

しかし、このエドワードの話は面白く、実際、彼は誰からも愛される男なのだ。
この冒頭のエピソードを見ただけで、これは"父と子の物語"なのだということがよくわかります。

一人前の男になろうとしている男にとって、父親というのは、大きな壁。
程度の差こそあれ、誰しもが父親という大きすぎる存在に対する、嫉妬を経験するものだと思います。

この冒頭のシーンは、そんな男の"感情のツボ"をよく押さえていると思いますね。

ウィルも子どもの頃は、エドワードが聞かせてくれる"荒唐無稽なホラ話"に夢中になっていたのだ。
しかし、成長し、大人になった今、いつまでたっても"真実"を語ってくれない父親に不信感を拭えないでいる。

そんなウィルが、父親エドワードの危篤を聞き、病床で真の父親を知る、最後のチャンスに賭ける、というのがこのドラマの本筋なのだと思います。

こうして、エドワードの口から飛び出すのは、依然として変わらぬ"夢物語"の数々であった。

ティム・バートン監督が、この映画を撮ることにしたのは、自分自身の父親の死が契機であったと言われています。

また、撮影中には自らも父親になるという体験をしている。
この映画に比類なき"優しさ"をもたらしたのは、紛れもなく、これらの経験であろうと思います。

事実、淋しさと漆黒に彩られた、過去のバートン作品とは比べものにならないほど、この作品は、まばゆい色彩とほのぼのとした温かさに満ち溢れていますね。

若き日のエドワード(ユアン・マクレガー)が遭遇する、死期を眼球に映す魔女、身長5メートルの大男、謎めいたサーカス一座の団長、妖しく艶やかなシャム双生児といった、"異形のキャラクターたち"に注がれる偏愛は、いつものバートン作品と共通するものだ。

ただ、彼らの造形は、何となく予定調和的な感じがします。
しかし、そもそもエドワードが語る"珠玉の物語"の数々は、誰もが昔どこかで聞いたことがある、童話のような世界観で、だからこそ、我々観ている者は、ひたすら心地良く身を委ねることが出来るのだ。

とにかく、バートン監督が紡ぎ出すイメージの一つ一つがしっくりとハマルのだ。

そして、とりわけ印象的なのは、"死という概念"に対するイメージを、我々の憧憬とピタリと一致させているところだと思います。

それゆえに、ラストは心から幸せな涙を流す事が出来、ああ、こういう人生っていいな、と思えるんですね。

この世の天国を思わせるスペクターの町、一万本の水仙の花を贈ったプロポーズ。
この美しく洗練された映像の全てが、ティム・バートン監督の"優しさの象徴"なのだと心から思います。

誰もが小さい頃から、父親はリスペクト出来る存在であって欲しいと願っている。
それでも、父親だって欠点や弱さを持った普通の男であるということに気付く日がやって来る。

そんな父親を一人の人間として受け入れ、今度は負けたくない、という葛藤にぶつかり、それを乗り越えることで、初めて男は一人前に成長するものだと思います。

男が人間としての成長の過程において苦悩する、こうした感情をおおらかに優しく見つめるこの作品は、とても包容力のある映画に仕上がっていると思います。

ジャーナリストであるウィルは、"事実"を求めすぎるあまり、"事実"よりもっと奥深い"真実"を見失っていたのだ。
しかし、彼がエドワードを一人の人間として受け入れた時、初めて"真実"が見えてくる。

信じる心だけが生み出す"奇跡"。
これぞまさしく、本当の意味での"ファンタジー"なのだと思います。
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葬儀に集まる人 (館長)
2024-06-30 17:01:29
エドワードの葬儀に集まった人たちはエドワードを慕って参列した人たちだったと思う。
故人を懐かしんで人々が集まる。
私の葬儀では、友人たちが集まり大いに飲んで大騒ぎをして見送ってほしいと願っている。
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