おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

騙し絵の牙

2023-12-31 12:05:47 | 映画
「騙し絵の牙」 2020年 日本


監督 吉田大八
出演 大泉洋 松岡茉優 宮沢氷魚 池田エライザ
   斎藤工 中村倫也 坪倉由幸 和田聰宏 山本學
   佐野史郎 リリー・フランキー 塚本晋也
   國村隼 木村佳乃 小林聡美 佐藤浩市

ストーリー
出版不況の煽りを受ける大手出版社「薫風社」では、創業一族の社長・伊庭喜之助(山本學)が犬の散歩中に倒れ急逝したことにより、次期社長の座を巡る権力争いが勃発。
文芸評論家の久谷ありさ(小林聡美)は、次期社長候補は伊庭の息子・惟高(中村倫也)でも、後妻・綾子(赤間麻里子)でもなく、専務の東松龍司(佐藤浩市)が最有力だとの見方を示した。
専務の東松が進める大改革で、変わり者の速水(大泉洋)が編集長を務めるカルチャー誌「トリニティ」は、廃刊のピンチに陥ってしまう。
嘘、裏切り、リークなどクセモノぞろいの上層部、作家、同僚たちの陰謀が入り乱れるなか、雑誌存続のために奔走する速水は、「トリニティ」編集部会議を召集した。
副編集長の柴崎真二(坪倉由幸)、ベテラン編集者の中西清美(石橋けい)、若手編集者の安生充(森勇作)などが次々と特集のアイデアを提示するも、それらは「旅行」「グルメ」「エンタメ」などいずれも使い古されたネタばかりだった。
薫風社では役員会議が開かれ、東松が新社長に就任し、改革の一手として不採算部門の整理と独自の物流ルート構築を目的とする「プロジェクトKIBA」の立ち上げを提案した。
「プロジェクトKIBA」には伊庭の後妻である綾子や、東松の腹心である経営企画部長の相沢徳朗(中野英樹)、そして大手外資系ファンドの日本支社代表・郡司一(斎藤工)らが参画していた。
新人編集者の高野(松岡茉優)は人員削減の一環として販売管理部への異動を命じられていた。
途方に暮れる高野が父・民生(塚本晋也)が営む小さな本屋・高野書店を手伝っていると、そこに速水が現れて人手不足だから「トリニティ」編集部に来ないかと誘ってきた。
高野を「トリニティ」に引き入れた速水は、現在「小説薫風」が独占契約を組んでいる二階堂(國村隼)の新連載を「トリニティ」でも始めると提案した。


寸評
会社における部門間の主導権争いであり、出版社をめぐる内幕物でもある。
宣伝文句として「騙し合いバトル、開幕!」と謳われているので、権力争いの中で敵陣営を欺く騙しの手口が描かれ、裏切り行為が繰り広げられるのかと思っていたが、意表を突く展開があるものの案外と静かな語り口である。
薫風社では佐藤浩市の専務派と佐野史郎の常務派の対立があるが、社長の死による次期社長争いはアッサリと専務の東松に決まってしまう。
次期社長をめぐる熾烈な争いがあるものと思っていたら肩透かしを喰ってしまった。
そこからは出版社における小説部門と雑誌部門の対立が描かれる。
新聞社に於ける政治部と社会部の関係の様なものだろう。
権力争いによる失脚者は大泉洋の速水が主人公であることに加えて、一方が佐野史郎と木村佳乃となれば勝敗は最初から見えている。
権力争いは描かれてはいるが、それがメインでないことはそのキャスティングからしても明白だ。
常務派だった男が東松に灰皿を差しだすシーンは派閥争いの決着を示しているが、世渡りの悲哀でもある。
メインはやはり観客を驚かせる意外な展開にある。
それを担うのが松岡茉優の新人編集者高野が見出した矢代聖と、大泉洋の速水が見つけ出した城島咲だ。
矢代聖を演じた宮沢水魚と城島咲の池田エライザはミステリアスで中々のキャスティングである。
超メジャーな俳優でないところがいい。
もちろん彼らをめぐる結末も意表をついていて期待に応えている。

塩田武士が大泉洋を主人公にあてがきした小説が原作だけに、主人公は速水の大泉洋なのだが、僕には真の主人公は松岡茉優の高野恵であったように思えた。
高野の父親は小さな書店を営んでいる。
子供たちの立ち読みも許す本を愛する優しい店主だ。
子供の誕生日祝いの本が売り切れていたので、店主が大手書店の紀伊国屋に買いに行く所などは笑わせるが、どこかホッコリさせるエピソードでなぜか嬉しくなった。
作家に対する編集者の関わり方も僕には新鮮だった。
騙し続けた速水に最後で一矢を報いるのも高野である。
彼女は、消息不明だった謎の作家に22年ぶりの新作を書かせて、自分の本屋でしか買えない本として、三万円の値付けで売り出す。
そこに予期せぬ店員を登場させ、さらに以前に「映画にもドラマにもなってないから、読むしかないじゃん」と言ってその作家の本を買いに来た女子高高校生を登場させている。
Amazonは便利だが、本には作家は勿論のこと、出版社も書店も一丸となってこその世界は残っていると思う。
本を愛する人の代表者として高野が存在していたように思える。

速水が最後に「メチャメチャ面白いです」と言って映画は終わる。
何が面白い本なのかは読む人によって違ってくるが、本も映画もその人にとって面白くなくてはならない。
映画「騙し絵の牙」はメチャメチャ面白いとは言えないが、面白い映画にはなっている。

旅立ちの時

2023-12-30 12:11:11 | 映画
「旅立ちの時」 1988年 アメリカ


監督 シドニー・ルメット
出演 リヴァー・フェニックス クリスティーン・ラーチ
   マーサ・プリンプトン ジャド・ハーシュ
   ジョナス・アブリー エド・クロウリー
   L・M・キット・カーソン スティーヴン・ヒル
   オーガスタ・ダブニー デヴィッド・マーグリーズ

ストーリー
郊外の野球場で試合が行われている。
バッターボックスに立っているのは、眼鏡をかけた繊細そうな少年・ダニー(リヴァー・フェニックス)。
彼が三振になり試合が終了となって、すぐに選手たちは帰り始める。
ダニーも自転車でグラウンドを離れたが、自分を尾行している車に気が付いた。
さり気なく立ち止まり、逆方法に走り出すダニー。
空き地で自転車を捨て、弟(           ジョナス・アブリー)を家から連れ出す。
彼らは父母(ジャド・ハーシュ、クリスティーン・ラーチ)を待ち、父が運転するバンの車中へ乗り込む。
そのまま一家は家を捨てて逃げ出した。
実はダニーの父母はお尋ね者だった。
1970年代にナパーム弾製造に関わる施設を爆破し、警備員を障害者にさせていた。
以来彼らは支援者の地下組織に頼って逃亡生活を続けていたのだ。
その事件の時にダニーは2歳で、彼にとっては逃亡こそが生活そのものだった。
やがて、一家は組織のお陰で新しい身分証明書を得て、ニュージャージーの小さな田舎に落ち着いた。
ダニーも転校生として新しい学校へ。
長男のダニーは、この地の学校で音楽教師のフィリップス(エド・クロウリー)に才能を認められた。
フィリップスはぜひジュリアード・スクールを受験するようにダニーに勧めたのだが、父母がお尋ね者である彼にはそれは不可能だった。
一方、その教師の家に招かれた際、ダニーは教師の娘・ローナ(マーサ・プリンプトン)と知り合い、やがて恋愛関係に陥った。
彼女を自分の家のパーティに呼び、一緒にダンスをするダニー。
ローナへの愛が深まるにつれ、自分の秘密を隠しているのが苦しくなり、ついに彼は家庭の事情を打ち明けた。


寸評
アーサーとアニーのホープ夫妻は元過激派で、爆破事件を起こし警備員を失明させていてFBに追われている。
冒頭でダニーが尾行され、弟を連れ出して両親のところへ行き、”車が2台、FBIが4人”と告げて逃亡を図るまでのスピーディな演出で一気に緊張感を高めている。
ダニーとハリーの兄弟を含めた一家4人は逃亡生活を余儀なくされているのだが家族の結束は強い。
兄のダニーはしっかり者だし、弟のハリーは小さいながらも明るいひょうきん者で、父親が時々強権的になることはあるが総じて明るい家庭である。
母親の誕生日パーティのシーンなどは、見ているこちらがウキウキしてしまう雰囲気がにじみ出ている。
制作時期的にベトナム戦争への反省も見受けられるが、本筋は成長していく少年と家族の絆を描いた作品だ。
一家は逃亡生活に慣れているのか、FBIの影が近づいていると知るや全てを捨て去り逃亡する行動が素早い。
子供たちもその行為に疑問を感じていない。
父親は指名手配されているために母親の死にも立ち合えなかった。
彼にとっては家族だけが生き甲斐であり、ダニーに言わせれば家族がいないと生きていけない人で、子供のダニーが支えてあげないといけない人なのだ。
だからと言って父親はダメな人間ではなく、逃亡先ではシェフの仕事を見つけてきて働き、母親も看護婦などをして外形的にはごく普通の家庭である。
逃亡生活なので転居は何度もあり、その度に子供たちは転校を余儀なくされて名前も変えている。
そんな生活なのにダニーは転校先で存在感を示し続けているようだ。
父親も逃亡先で労働組合を組織したりしているので、この家族は優秀な一家なのだ。
新しい高校に通うようになったダニー少年は家族と恋人と自分の夢の中で揺れ動くようになる。
ダニーを演じたリヴァー・フェニックスによる等身大の演技はリアル感がある。

自分の立場を表明できないもどかしさが次々と描かれていく。
転校するにも前の学校の証明書は引っ越しで失くしてしまったとウソをつかねばならない。
大学への進路希望を聞かれてもあいまいな答えしか言えない。
ローナといい仲になっても一線を越えることができない。
脚本は細かいところにも配慮していてホロリとさせられる。
ダニーはピザ配達を装って祖母の家を訪ねるがそこでは何も起きない。
何も起きなかった祖母との対面は、アニーが父親と対面するときのやり取りにおける補足となっている。
母親もピアノの才能に恵まれていて、ダニーの才能は母親によってもたらされたように感じさせる。
両親がそうであったように、自分も両親が味わった気持ちを持つだろうことなどを、それとなく描いている。
母親はハリーの独り立ちを待って自首する気持ちを固めたようだ。
父親もかつての仲間の死を知って、自分の末路を感じ取ったのかもしれない。
最後の別れに至る原因も、弟を含めた家族と別れる様子も上手い描き方だ。
母親が成績表を偽造すると言っていたが、あの成績表はどうなったのだろうと思ったけれど・・・。
薬物に手を染めたとは言え、リヴァー・フェニックスが23歳の若さで亡くなったのは惜しい。

TAKESHIS’

2023-12-29 14:18:14 | 映画
「TAKESHIS’」 2005年 日本


監督 北野武
出演 ビートたけし 京野ことみ 岸本加世子
   大杉漣 寺島進 渡辺哲 美輪明宏
   六平直政 上田耕一 武重勉 ビートきよし

ストーリー
芸能界の大スターとして、日々忙しく過ごしているビートたけし。
雀荘で麻雀を打っていた彼は、隣の卓にいたヤクザ の組長ジュニアから映画に出してくれと頼まれ、オーディションがあるから受けるよう促した。
麻雀に負けて店を出ると、女に 「貢いだ金を返せ」と水を浴びせられた。
たけしはマネージャーと共に、愛人の待つ高級車へ戻った。
テレビ局に到着したたけしは、美輪明宏がプロデューサーを叱責しながら出て行く姿を目にした。
局の廊下を歩いていた彼は、早乙女太一 のマネージャーから「一回でいいんで使ってやって下さいよ」と売り込みを掛けられ、それから彼は別の部屋に行き、タップの練習をしているTHE STRiPESに声を掛けた。
一方、そんなたけしと外見がそっくりの北野は、しがないコンビニ店員。
彼は中年の峠を越えても売れない役者として苦闘中で、色々な舞台や映画のオーディションを受けまくっているものの、受かったためしがない。
ある日、北野は偶然にもビートたけしと出会う。
北野は憧れのスター、ビートたけしからサインをもらうが、この出会いをきっかけに北野はたけしの映画の世界へと迷い込んでいく。
しかし、それは虚構とも現実とも区別がつかない危険なファンタジーの世界だった…。


寸評
北野武による自己満足映画に思える。
描かれていることに脈略はなく、色んなエピソードが交錯しながら映像化されていく。
顔がそっくりのスターであるビートたけしと、コンビニでアルバイトをしているような北野武の人生が対比的に描かれていくのだが、大スターとアルバイトの構図は格差社会そのものである。
顔がそっくりなのにここまで格差がある社会の不平等、不公平、理不尽が妄想から狂気へ転じていく。
ちょっとした違いで、まったく別の人生を歩むことになるのが人の世なので、出演者が二役も三役もこなしている。
京野ことみは、たけしの愛人とチンピラの情婦の2役。
大杉漣はたけしのマネージャー&タクシーの運転手。
寺島進はたけしと同期のタレント&アパートのチンピラ。
岸本加世子に至っては、雀荘の女&オーディション審査員&コンビニの客など7役ぐらいをやって いる。

美輪明宏や早乙女太一が本人役で登場しているが、それが誰なのか分かっているから成り立っている。
北野武の映画は明らかに日本よりもヨーロッパの方が評価が高い。
この映画に美輪明宏や早乙女太一本人を登場させているが外国人の理解を得ることが出来たのだろうか。
「ラーメン店の親父がゾマホンだったら面白いよな」と言うシーンがあって、実際にゾマホンがラーメン店の親父をやっている映像を 挿入しているが、僕でさえゾマホンなんて知らなかった。

一部の評論家が高く評価したところで、つまらない映画はつまらない。
だからハッキリ言って、僕にはこの映画は退屈だし、分からないと言い切れる。
しかしこの映画の構造が全く分からないというわけではない。
描かれている内容は全てビートたけしと北野武が見ている夢の世界なのだ。
ビートたけしと北野武がそれぞれ夢を見て、そして夢から覚めたと思ったら、まだ夢の中ということが重なる入れ子構造に なっている箇所もあったりするからついていくのが辛い。
しかし、その夢に深い意味はない。
彼らは映画という虚像の世界にもいる。
ところが現実の世界では大きな格差がある生活を送っている。
ただそれだけの映画なのだと思う。

北野映画の常連組が大半のキャストの中で、京野ことみはオーディションでたけしが選んだそうだ。
作品当時は20代半ばで、テレビの人気ドラマなどで知られる清純派だった。
それが、どういう風の吹き回しかオールヌード的な濡れ場を演じていることが、この映画一番の驚きで一番印象に残るシーンになってしまった。
冒頭でタクシーの運転手が眠っているシーンが出てきて、大杉連が「タクシーの運転手はいいよな、いつでも寝れて」と言うのだが、この映画はそれを実践するかのようで、いつでも眠ることが出来て、再び見ることができる作品だったように思う。

抱かれた花嫁

2023-12-28 07:30:37 | 映画
「抱かれた花嫁」 1957年 日本


監督 番匠義彰
出演 望月優子 大木実 有馬稲子 田浦正巳 高橋貞二
   片山明彦 高千穂ひづる 永井達郎 桂小金治
   日守新一 朝丘雪路 須賀不二夫 桜むつ子
   高屋朗 小坂一也

ストーリー
浅草の老舗「鮨忠」の女将ふさ(望月優子)は未亡人ながら三人の子を育て上げ店まで復興させた男まさり。
ところが長男の保(大木実)は芸術家肌で、すし屋を嫌って家出、今はストリップ劇場の座付作者、次男の次夫(田浦正巳)は大学生だが哲学専攻という変り者で、店を継ぐ子供がいずふさの頭は痛い。
仕方なく彼女は長女の和子(有馬稲子)に、袋物屋の三男坊、秀人(永井達郎)を養子に迎えようとするが、下町娘の和子は店の客で動物園の獣医福田健一(高橋貞二)と意気投合し秀人との縁談に見向きもしない。
ふさは、妹の絹枝(桜むつ子)から気性が強いばっかりに子供たちとうまく行かないのだと云われ、若い者に理解を見せようと次夫が結婚したいと云う光江(朝丘雪路)に会うため国際劇場へ行く。
ところが光江をロケット・ガールと知って若い者を理解するどころか二人の交際を禁じてしまう。
次夫は悲観、見かねた和子は彼を家出させ兄の保のアパートへかくまう。
次夫の家出で憂うつなふさは今度は和子から、福田と結婚できなければ家出すると云われ、福田を養子見習として店に入れる。
福田は慣れぬすし屋の仕事をやるが失敗の連続。
さすがに見かねて和子が偽グレン隊を店に乗込ませ福田がこれを軽くさばくというプランを立てたが、話の行違いで福田は本物の立回りを演じて店を壊す、自分は怪我するで、ふさの信用を益々落す。
福田は日光へ療養に出かけたが、その福田に和子の恋のライバルとしてニュー・フェイスの富岡千賀子(高千穂ひづる)が現れた。
それを知った和子が当てつけに秀人を連れて行ったのがもとで、福田と和子の仲は破れた。
和子は潮来の友人宅に身を隠した。
和子の失踪に、ふさは慌てるが騒ぎのうちに「鮨忠」は近所の火事で類焼してしまう・・・。


寸評
松竹の大型映画として本格的な第一作となるので、タイトルが表示される前にけたたましいぐらいに松竹グランドスコープと映し出される。
話の内容は他愛のないものだし、映像的にも描かれ方にも目立ったものがある作品ではない。
逆に言えば大量放出されるこの様な作品を多くの映画ファンはくつろいで見ていたのだろうと想像できる。
ホームドラマに属するが、所々に笑いを誘うシーンを挿入しながらテンポよく話を紡いでいく。
舞台は浅草で、冒頭の浅草寺のシーンで勝気な和子と、なよなよした婿養子候補の秀人が描かれ、観客は早くも和子はこの男を婿にするはずがないと知る。
そこから主人公である和子と福田の恋の行方、弟の次夫とダンサー光江の恋の行方が並行して描かれていく。

途中で光江が踊っているのであろうレビューのシーンが挿入される。
松竹映画なので用いられている映像は浅草国際劇場でのSKDのレビューで、SKDの公演映像としてはなかなか迫力のあるものが使用されている。
松竹グランドスコープの威力を発揮するように、奥行きと巾がある団員のラインダンスが繰り広げられ、宝塚歌劇の方が馴染みのある僕だが、こちらも圧倒されるものがある。
ピンクの傘をもってのフィナーレが行われるが、団員が小さく見えてこの劇場の大きさが伝わってくる。
SKDのダンサーを宝塚を退団した朝丘雪路が演じているのも、キャスティングの面白さを狙ったのかもしれない。
当時の浅草を見ることができるし、日光や中禅寺湖に水郷など、ある時代の日本の風景も堪能できる。

主人公の気の強い看板娘を演じるのが有馬稲子で綺麗だ。
往年のスター女優は惚れ惚れするような美しさを持っていたのだと思わされる。
和子に思われているのが高橋貞二の福田で、かれはお姫様女優の高千穂ひずるにも言い寄られているモテ男なのだが、その割にはモテ男としての存在感を感じない。
彼のスター性なのか、脚本によるものか演出によるものか判断に悩むところだ。
歌手が出てきて歌を披露するのも当時はよくあった演出だが、この映画では小坂一也とワゴン・マスターズが出ていて僕のような年代の者には懐かしさを感じる。
当時の小坂一也はカントリーミュージックのアイドル的な存在で、僕の耳には「青春サイクリング」の鼻に抜けるような歌声が蘇ってくる。
長年の同棲相手だった女優の十朱幸代と未届けながら挙式しながら、1年もしないうちに破局したのだが、一体何があったのだろう。

子供たちの顛末はホームドラマとしての成り行きを見せるが、母親である望月優子と、かつてはいい仲だったオペラ歌手の日守新一の焼けぼっくいに火が付きそうな展開は面白いと思ったのだが、匂わす程度で終わっている。
頑固な母親がかつての恋人から子供たちの結婚の相談をされ、それが自分へのプロポーズと勘違いする可笑しいシーンが用意されているし、しんみりとしたデートシーンも用意されて、二人の成り行きを期待させていたのだが、大村の秘かな恋もそのままだったなあ。
桂小金治が得な役回りで、道化師的なパートを引き受けている。

誰が為に鐘は鳴る

2023-12-27 07:20:42 | 映画
「誰が為に鐘は鳴る」 1943年 アメリカ


監督 サム・ウッド
出演 ゲイリー・クーパー   イングリッド・バーグマン
   エイキム・タミロフ   アルトゥーロ・デ・コルドヴァ
   カティーナ・パクシヌー ウラジミール・ソコロフ
   ミハイル・ラサムニー  ジョセフ・カレイア
   ヴィクター・ヴァルコニ フランク・パグリア

ストーリー
1937年。内乱のスペイン北部では、アメリカのカレッジ教授ロバート・ジョーダン(ゲイリー・クーパー)が人民戦線派に投じて右翼のフランコに対するゲリラを行なっていた。
彼に与えられた新任務は山間の峡谷にかかる鉄橋の爆破で、期限は3日後の未明と定められた。
ジョーダンはアンセルモ(ウラジムル・ソコロフ)という同志のジプシーを連れ、山間に巣食うジプシーのゲリラに援助を頼むためその本拠を訪れた。
ここの頭はパブロ(エイキム・タミロフ)という男で、かつては人民戦線派の闘士だったが、今では殺人に対する懐疑から、妻のピラー(カティナ・パクシヌー)や手下に牛耳られている有様だった。
またこの本拠には、スペインのある市長の娘で、右翼にはずかしめを受けて救われたマリア(イングリッド・バーグマン)という娘もかくまわれていたが、マリアはジョーダンを一眼みて情熱的な思慕を抱いた。
ピラーはジョーダンの手相に死を予見して、2人の恋を成就させてやりたいと願ったが、ともすれば裏切りしそうなパブロの態度や、馬の調達などで、ジョーダンには恋に酔う暇は与えられていなかった。
馬の調達を引き受けたエル・ソルド(ジョズフ・キャレイア)は右翼軍に包囲され、爆撃を受けて死んだ。
ジョーダンはこれを見ても救けるわけにはゆかなかったが、パブロは恐ろしさのあまり鉄橋爆破用の機械を焼いて逃亡してしまった。
若い2人の恋の夜も明けてついに当日の朝が来、改心したパブロも馬を連れて戻ってきた。
一隊は二手に分かれて警備隊の詰所を襲い、ジョーダンとアンセルモは手ずから鉄橋にダイナマイトを仕掛けて、敵戦車が通過する直前に爆破した。
アンセルモは死に、一隊は敵の面前を駆け抜けて逃走しようとした時、一弾がジョーダンの足を打ち砕いた。
死を悟った彼は、泣き叫ぶマリアを一行とともに送り帰させたのち、敵軍に向けて機関銃の引金を引いた。


寸評
タイトルに出る通りゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマン主演の映画なのだが、工作員ゲリラにしては弱々しい感じも受けるゲイリー・クーパーに比べて、髪を短く切って登場するイングリッド・バーグマンの新鮮な魅力が前面に出た作品だ。
19歳という設定には少し無理があるけれど、それでも若々しいイングリッド・バーグマンが時折見せる笑顔がとてもチャーミングである。
その美しさを引き立てるために、彼女のアップではソフトフォーカスが多用されていた。
イングリッド・バーグマンが原作者であるアーネスト・ヘミングウェイの自宅に押しかけて自分を売り込んだという話も聞くから、その意気込みや如何という感じでイングリッド・バーグマンの映画になっている。
役得なのはピラーを演じたカティーナ・パクシヌーで、自分は美人でないと自虐的になりながら美人のマリアを娘のようにかばい、夫をバカにし殺してしまえと言いながらも、かつてはいい人だったと捨てきれないでいる複雑なキャラクターを好演している。

ジョーダンに与えられた任務は山間の峡谷にかかる鉄橋の爆破なのだが、その守備隊との交戦や爆破作業のスペクタクルは特に目立ったものではない。
制作当時はそれでも手に汗握るものだったのかもしれないが、この手の映画を散々見てきた者にとっては特筆されるようなものでない。
ゲリラと政権側との戦いもそんなには描かれていない。
ユニークな存在は妻のピラーに見下げられ、恐怖のあまり逃亡したり起爆装置を壊したりするパブロと言う男で、仲間を裏切ったり、仲間から殺せと言われたりしているのだが、一方ではボスとして仲間の命を守ろうとしたりする二重人格を見せる。
仲間の命を救うために、新たに仲間に引き込んだ男たちをためらいもなく殺してしまう男なのだ。
彼は逃亡の道を知っていると言うことで生かされている男なのだが、いい奴なのか悪い奴なのかよくわからないキャラクターで、物語の重要なファクターとなっている。
アーネスト・ヘミングウェイが生み出した特異なキャラクターだ。

一方の軸であるジョーダンとマリアの恋模様の描き方はスペクタクルに比べれば濃厚である。
特にマリアの情熱的な恋が印象深い。
マリアは政府軍によって辱められた過去を持つ若い女性だが、ジョーダンに一目ぼれしてしまう。
ジョーダンも彼女を好きになるが、その過程を情緒的に描いているわけではない。
むしろ互いに一目ぼれといった具合で急激に盛り上がるし、とくにマリアが超積極的にジョーダンに迫る。
19歳の娘が初めて男を見染めたという感じで、それをピラーが陰ながら応援する姿が微笑ましい。
二人が結ばれるような環境作りを保護者として行っている。
恋愛編とでもいうべきこのパートを支えているのがイングリッド・バーグマンの美しさと毅然とした振る舞いだ。
彼女の存在感にさすがのゲイリー・クーパーもかすんでしまっている。
将軍に届けるジョーダンの手紙が間に合うかというスリル感はイマイチ乏しいけれど、ラストシーンをあそこで終わらせる演出は良かったと思う。

大列車強盗

2023-12-26 06:54:28 | 映画
「大列車強盗」 1972年 アメリカ


監督 バート・ケネディ
出演 ジョン・ウェイン アン=マーグレット
   ロッド・テイラー ベン・ジョンソン
   クリストファー・ジョージ
   リカルド・モンタルバン
   ボビー・ヴィントン ジェリー・ガトリン

ストーリー
ウエルス・ファーゴがら5万ドルの賞金がでることもあって、レイン(ジョン・ウェイン)は、若くて美しいロウ未亡人(アン=マーグレット)に手をかすことを承知した。
夫人と一緒にメキシコの荒野の奥深くにいき、そこに捨てられているボロ機関車に隠されている50万ドル相当の金を取り戻そうというのだ。
その金は、今は亡き彼女の夫が、生前に列車から強盗したものだった。
レインは危険な旅の応援を頼むため、古い相棒のウイル・ジェシー(ベン・ジョンソン)、グラディ(ロッド・テイラー)、ベン・ヤング(ボビー・ヴィントン)などを集めた。
グラディはカルフーン(クリストファー・ジョージ)にサム・ターナー(ジェリー・ガトリン)という2人も連れてきた。
一行は武器を積み込み、メキシコに向けて出発した。
その日おそく、武装した20人の屈強な男たちがレイン一行の跡をつけて出発した。
その中の7人はマット・ロウと一緒に列車強盗をした生き残りで、他の男は雇われガンマンだった。
ロウ夫人の跡をつけ、金を見つけ次第、それをかっさらおうというのだ。
3日後、大した混乱もなく目的の機関車にたどり着き、50万ドルの金塊を発見した。
尾行者たちに気づいたレインは、彼らの攻撃をさそう為に、箱をわざと目につきやすい所に置いた。
案の定、一味は攻撃してきたが待ち構えたレインたちは敵10人を倒した。
翌日、鉄道駅に着いた一行は、生き残った無法者たちの銃撃をうけた。
レイン、ジェシー、グラディの3人が酒場にたてこもり、ベンとサムがロウ夫人をホテルの安全地帯に移す一方、馬に乗ったカルフーンは、ロバに積んだ金を酒場に入れた。
レインとグラディは走ってきた貨車に飛び乗って、ダイナマイトを投げつけ、一味は残らず吹っ飛ばされた。
次の朝、列車に金を積み込んだ一同は、ロウ夫人に賞金は息子さんのために使うようにといった。
泣き出しそうな顔で彼女が列車に乗ると、フォームのはしから、葉巻をくわえたナゾの男が姿を現わした・・・。


寸評
何とものんびりした西部劇である。
のんびりとは郷愁に満ちたほのぼのとした内容という意味ではなく、描き方が随分とのんびりしていて緊迫感や面白さに欠けているのだ。
亡き夫が列車強盗で奪った金塊を息子が後ろ指を指されないように持ち主に返そうとする未亡人と、それを助ける男たちという設定自体は楽しめる組み合わせである。
亡夫が率いていた強盗団の生き残りがその金塊を狙って襲ってくるのだが、女性を交えたレイン率いる一団と、金塊を狙う強盗団の駆け引きがまったくなく、強盗団は数を頼りに攻めてっくる単純さで面白みが少ない。
強盗団は銃撃戦の時以外は遠景でとらえられ、彼らにどれほどのリーダーがいるのかはさっぱり分からない。
よくある展開だと、レインたちの中から欲に目がくらんで金塊を独り占めしようとしたり裏切る者が出てくるものなのだがそれもない。
ロウ夫人に襲いかかる男がいたり、恋が芽生えるといった展開もないので、野営を繰り返しながら目的地を目指しているだけといった印象を持つ。
彼らにピンチらしいピンチが見当たらない。

冒頭から謎の男が登場して興味を持たせるが、謎めいている割には存在感が薄い。
レインたちはロバにダイナマイトを背負わせているのだが、一体何のためにダイナマイトを持って行ったのかよくわからない。
最後になってそのダイナマイトが役立つのだが、そもそもの目的は何だったのだろう。
金塊が隠されている機関車をふっ飛ばすなら分かるのだがそれもなかった。
最後の対決場面で、死んでいるはずの酒場の親父が瞬きをしてしまうのは愛嬌としておこう。
ロウ夫人は荒くれ女ではないし、セクシー派のアン・マーグレットが演じると淑女にも見えない。
ジョン・ウェインとの掛け合いもどこかのんびりしている。
でも最後を見ると、ロウ夫人はアン・マーグレットで良かったのかもしれない。
レインに従っているのは南北戦争時代からの生き残りで、先も長くないと思っているジェシーとグラディのしんみりした語らいも、ジンワリと心に響いてこなかった。
中年の男の哀愁のようなものがもっとにじみ出てほしかったところである。
レインがかつて悪の道から救ったという若いベン・ヤングの描き方もアッサリしたもので、レインの若者たちに言いたいような説教の忠告相手としての存在にとどまっている。
彼らの中に負傷者は出るが犠牲になる者は出てこず、一方的な勝利に終わっている。
その辺も対決ものとしては物足りないと感じさせたのかもしれない。

ラストシーンでは彼らからロウ夫人への思いやりが描かれ、西部劇のエンディングらしいと思わせるのだが、そこからどんでん返しがあり、結局このどんでん返しを描きたいために長々と描かれてきたのだと判明する。
本当のラストシーンは娯楽作品らしい終わり方で一応の納得ができる。
「大列車強盗」という物騒な邦題の割には随分とのんびりした内容で、タイトルから内容を想像すれば期待を裏切られるのだが、のんびりと肩を凝らさず見る分には安心て見ることができる娯楽作である。

太陽はひとりぼっち

2023-12-25 07:52:41 | 映画
「太陽はひとりぼっち」 1962年 イタリア / フランス


監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
出演 アラン・ドロン モニカ・ヴィッティ
   フランシスコ・ラバル

ストーリー
ヴィットリアは婚約者リカルドと重苦しい話しあいの一夜をあかしたすえ、彼との婚約を解消した。
あとを追うリカルドをふりきって、彼女は一人になる。
ブルジョアの彼との間にある埋めがたい距離をそのままに、結婚することは耐えられないことだ。
彼女は証券取引所にいる母を訪ねる。
株価の数字の上げ下げを追う狂騒的な取引所の雑踏の中で相場を張っている素人投資家の母は、彼女の話を聞こうともしない。
女友達のアニタとマルタの三人で、深夜のアパートでふざけちらしてみても、空しさは消えない。
アニタの夫のパイロットが操縦する飛行機にのってみても、倦怠の日々は少しも姿をかえはしない。
ふたたび訪ずれた取引所では、株の大暴落がはじまっていた。
彼女の母は投資資産のすべてを失ったすえ、大きな借金をせおいこんだ。
巨額の金を暴落で一瞬に失った肥った中年男は、カフェのテラスで茫然と紙に草花の絵を描いていた。
取引所には株式仲買所につとめる美貌の青年ピエロがいて、前から彼女と時々言葉をかわしていた。
この日を境に、二人は接近した。
公園、ビルの谷間、建てかけの建築物のある道、市場、二人は町を歩く。
そして二人は、ピエロのオフィスで結ばれる。
抱きあって、話をかわし、笑い、やがて朝がきて、二人は別れる。
やがて電話のベルがオフィスに鳴りひびいて、新しい一日がはじまろうとしている。
二人が散歩した公園もビルの街並も、建てかけの建築物のある道も、今日も少しも変らずにそこにある。
しかし、新しくはじまった今日のどこが過ぎ去った昨日と違うのか。


寸評
僕がミケランジェロ・アントニオーニと出会ったのは確か高校時代か浪人時代に見た「欲望」だった。
この作品に触発されて僕はバイト代から大枚を吐き出し写真の現像機を買ったのだ。
作品自体も良かったし、歴史上の大芸術家であるミケランジェロと同じ名前だったことでも印象に残った。
その後、何本か見たような気がするが「欲望」以上の作品には出会わなかった。
「太陽はひとりぼっち」はそれ以前の作品で、僕の感性にはもう一つマッチしない作品だが、公開当時は話題作として興行的にも成功したらしい。
主演のアラン・ドロンは「太陽がいっぱい」で人気者になり、美男子と言えばアラン・ドロンと言われ、特に女性には人気のあった俳優だ。
その彼が主演ということで興行成績に寄与したのだろうが、本当の主演はモニカ・ヴィッティである。
モニカ・ヴィッティ演じる若い女の視点を通じて、男女の愛の可能性について、というより男女の愛とは何かという、答えのない疑問が展開される。

モニカ・ヴィッティ演じるヴィットリアという若い女性が、フィアンセとの婚約を解消するところから始まるが、何故二人がそういう不幸な結末に至ったかについては何も語られない。
破局を宣言したのは女の方だが、フィアンセの方は全く訳が分からない。
男は別れを受け入れることがなかなかできないのだが、当のヴィットリア自身もその理由がよくわかっていないようで、これは男女間の愛に対するとらえ方の違いを描いた作品なのかなと思っていたら、何も起こらない。
一人の男と別れた一人の女は時の流れに身を任せ、あてもなく生きているうちに次の男と出会い楽しく過ごす。
その新しい男を演じるのがアラン・ドロンというわけだ。
男はローマの証券取引所のディーラーということに加え、ヴィットリアの母親が株取引にハマっていることもあって、証券取引所の場面が必要以上と思われるくらい描かれている。
なぜこんなにも長い時間をかけて描く必要が有ったのか、僕の幼稚な頭脳では理解できない。
ヴィットリアという若い女性に時間の経過だけがあって、特に何も起きない静かな世界と対比するために、1分の世界に生きている騒々しい人々を描き続けたのだろうか。
とにかくこの映画、何も起きないのだ。
ヴィットリアは「愛し合うのに互いに知る必要はないわ」というのだが、彼女にとって愛とは肉体の事柄であり、精神の事柄ではないと思っているのだろう。
しかし彼女は、女は精神的に男を愛することもあるということに少しずつ気付きだしたようにも見え、「男を愛するには今よりも愛さないか、もっと愛するかだ」と述べる。
この愛もまた成就する見込みはなさそうだ。
二人は、今後も愛し続けることを誓い合い、とりあえず次のデートの約束をするのだが、二人ともその場に赴くことをしなかったのだ。
二人は元の生活に戻り、街の景色も昨日のままである。
なにがあったって大した事ではなく、時間がそれを洗い流していくし、たとえ太陽が欠けたとしてもまた元通り丸くなっていくのだ。
ぼくも一喜一憂しないでおこう。

大菩薩峠 完結篇

2023-12-24 07:16:07 | 映画
「大菩薩峠 完結篇」 1961年 日本


監督 森一生
出演 市川雷蔵 中村玉緒 本郷功次郎 小林勝彦
   近藤美恵子 三田村元 丹羽又三郎 見明凡太朗
   阿井美千子 矢島ひろ子

ストーリー
竜神の滝の断崖から落ちた盲目の竜之助はお豊の助けで伊勢大湊の与兵衛宅にかくまわれていた。
お豊は古市の廓に身を沈めたが病に犯され自害した。
竜之助あての遺言状と金は流しのお玉に手渡された。
挙動不審を咎められたお玉は役人に追われ金は落してしまうが、手紙だけは竜之助に渡すことができた。
裏宿の七兵衛はやっとのことで竜之助を探し出すが、竜之助は生花の師匠お絹と発った後であった。
お絹の色香を狙うがんりきの百は山中で二人の駕籠を別々に引き離してしまった。
怒った竜之助は百の片腕を切り落すが谷底に落ちてしまい、それを救ったのはお徳であった。
甲府勤番となって湯元にやって来ていた旗本神尾主膳は、土豪望月家から金を捻出しようと面策、婿の清一郎を召捕った。
お徳からこれを聞かされた竜之助は清一郎を救い出すが、自分は主膳の家に捕われた。
主膳は竜之助の腕を見込んで、甲府勤番頭駒井能登守の暗殺を条件に屋敷へかくまった。
主膳は有野村の馬大尽の一人娘お銀との縁組を強制していた。
一夜、お銀を屋敷に連れこむがお銀は竜之助に救われた。
お銀は顔半面むごたらしいヤケドの跡を作っているため、盲目の竜之助にかえって愛情を持った。
竜之助もお銀の声にお豊、お浜の面影を思いだしていた。
竜之助はある夜、駒井能登守を襲うがその人格にうたれて討つことができなかった。
お銀とともに大菩薩に舞い戻った竜之助は、お浜の墓地をみつけて愕然とした。
それからというものは、竜之助の辻斬りが毎夜のように続いた。
辻斬りの噂を聞いて兵馬も大菩薩に帰って来た。


寸評
監督が前2作の三隈研次から森一生に代わったが、演出上に特段の変化は見られない。
しかし、重要人物の一人であるお松の山本富士子が全く登場せず、与八が「お松さんはここにおられます」と述べるにとどまっている。
山本富士子のスケジュールが合わなかったのか、中里介山の原作が未完の為に脚本上もそうなってしまったものなのかの真相は知らない。
しかし本郷功次郎の宇津木兵馬と山本富士子のお松との恋の行方は、物語上の関心事の一つだったはずなのに全くの尻切れトンボ感があり肩透かしを食ったのは残念だ。

代わって登場するのがお銀で、これをお浜、お豊に続き中村玉緒が演じている。
お銀は顔に大きなヤケド傷があり、それがコンプレックスになっているのだが、盲目の竜之介には見えるはずがなく、そのことでお銀は竜之介に心を寄せる。
竜之介はお銀を通じてお浜やお豊に思いをはせる。
虚無的で人のことなど知ったことかという竜之介だが、お浜に通じる女には関心を寄せているので、彼の女に対する出発点はお浜にあるのだろう。

竜之介は薄情な男で平気で無関係な人を切るいわば悪人だ。
それに対するのが宇津木兵馬で、兵馬は正義の代表と言っていい。
しかし正論ばかりを述べる善人より、少々悪いところがあり、悩んでいる人間の方が魅力的だったりする。
二人を見比べると、主役であるということを除いてもやはり机竜之介の方が人間的魅力がある。
東映版の片岡千恵蔵は人間としての表現に勝っていると思うが、机竜之介という男のイメージ、魅力は市川雷蔵の方が出せていると思う。
竜之介を恐ろしい男と知りながらも女たちは彼に吸い寄せられていく。
雷蔵には女を吸い寄せる魅力が天性のものとして備わっているように思う。

竜之助ががんりきの百の片腕を切り落すが谷底に落ちてしまい、それを救ったのがお徳で、どうしたわけかお徳は必要以上に竜之介の面倒をみている。
竜之助はお徳の子蔵太郎を見てわが子郁太郎の身に思いをはせるが、抱いたこともない郁太郎のことをなぜ思うようになったのだろう。
出会うことなどないであろうお玉にまで「もし出会ったなら決して剣術使いなどにはなるなと伝えてほしい」などと言っているのである。
僕はこの変節の理由がいちばん分からなかった。

崖から落ちても死ななかった竜之介である。
笛吹川の濁流にのまれて行った竜之介の今後を中山介山はどう描くつもりだったのだろう。
郁太郎との出会いがあっただろうと想像するのだが・・・。

大菩薩峠 竜神の巻

2023-12-23 08:50:35 | 映画
「大菩薩峠 竜神の巻」 1960年 日本


監督 三隅研次
出演 市川雷蔵 本郷功次郎 中村玉緒 山本富士子
   近藤美恵子 見明凡太郎 三田登喜子
   須賀不二男 藤原礼子 片山明彦 中村豊

ストーリー
京の島原で狂乱の机竜之助と宇津木兵馬との対決は、お互いを霧の中に見失ってしまった。
裏宿の七兵衛はお松を島原より身請けし、彼女を部屋に閉じこめた浪人者こそ、お松の爺さんを斬った机竜之助であると初めて語った。
兵馬は竜之助を求めて新選組を脱け、お松、七兵衛とともに竜之助の後を追うことにした。
竜之助は八木の街道で、浪人酒井新兵衛に兵法試合を望まれるが、仲裁に入った植田丹後守の人柄に引かれて彼の屋敷にしばらく逗留することとなり、そこで竜之助は過日助けたことのある女、お豊と再会した。
お豊は心中の生き残りとして屋敷の手伝いをしていたが、土地の庄屋の息子金蔵に言い寄られて困っていた。
そのために竜之助が江戸へ発つ時、同行を申し出たが、金蔵は土地の猟師と語らいお豊を奪って去った。
上野の旅篭についた竜之助はいつかの浪人酒井新兵衛と会い、天誅組の総裁松本奎堂に引き合わされた。
そして遊山がてら彼らと行動をともにすることになった。
天誅組と木樵小屋に潜んでいた竜之助は、追手の投げ込む爆薬のため盲目となったが血路を開いて竜神の森へと逃れた。
竜神の篭堂で休み、滝にあたって目を洗う竜之助はお豊と再会した。
一方、兵馬も七兵衛の働きによって竜之助の後を確実に追っていた。
だが、お松は天誅組騒動の際に巻き添えをくい藤堂藩の作業員黒滝の鬼蔵にさらわれたが、お玉、米友に救われていた。
そんな頃、金蔵夫婦の旅篭に兵馬が草鞋を脱いだ。
お豊は竜之助の身に危険が迫ったことをさとり、旅支度を整えて篭堂に登った。
それを不審に思った兵馬はお豊の後をつけ竜之助に勝負を挑んだ。


寸評
三部作の二作目なのだが、前作のシャープさが消えて中だるみ感がある。
中村玉緒がお浜に瓜二つの女として登場するが、彼女が演じる女はお浜を初めとして竜之介と係わることで身を持ち崩す女である。
一方で男たちに翻ろうされるのがお松の山本富士子で、この両者に係わる物語は手を変え品を変えで描かれているが、描かれている内容は同じもので、それが中だるみ感を出してしまっているのかもしれない。
だとすれば、中だるみ感は脚本のせいだし、さかのぼれば原作のせいなので致し方のないところである。

前作で少しだけ登場したお豊だが、彼女は駆け落ちした男と心中するために消え去り、竜之介から「死にたい奴は死ねばいい」と言われていた女である。
二作目となる本作で、彼女の口から「心中したが男が死に、自分は助けられた」ことが語られる。
地元で生き恥をさらすわけにもいかないので、一緒に江戸まで連れていってほしいと申し出る。
お豊もお浜と同じで、夫や駆け落ち相手を見限り竜之介に身を預けようとする。
そして「初めて会った時からあなたに魅かれていた」と言い出すのである。
竜之介に絡む女は、どうしてそんなにも心変わりが激しい女たちなのかと思ってしまう。
竜之介はお浜を自分勝手で男を狂わす女だと言っているが、本心ではお浜を好いている所があって、心がゆがんでいる彼はあのような形でしかお浜に接することが出来なかったのかもしれないと思う。
竜之介は常にお浜の亡霊に付きまとわれていることになるが、それはあながち自ら手に掛けたことだけが原因と思われないものを感じる。

男たちによってあちこち連れまわされるのがお松である。
お松は伯母たちによって島原に売り飛ばされていたが、裏宿の七兵衛によって身請けされ自由の身となる。
その時、お松から親切に傷の手当てをうけた兵馬が、八木の宿で病気になったお松を看病していることで、二人の気持ちは通じ合っていることを描いていて、決して二人の間で行く末を誓うような直接的会話はされていない。
竜之介に直接的に迫る女と、その女を簡単に見捨てる竜之介との対比だろう。
お松は藤堂藩の人夫黒滝の鬼蔵にさらわれ伊勢山田の遊女に売り飛ばされようとするのだが、お松は七兵衛や兵馬と別れて一人になると、必ず誰かに連れ去られる。
しかし山本富士子は中村玉緒と違って、男に無理やり犯されるような所はない。
前作の終了時に竜之介は兵馬と対峙していたはずだが、本作の始まりではその勝負は終わったところから始まっているので、ちょっとした拍子抜けを感じるオープニングである。
竜之介の後ろ盾となっている芹沢鴨がやってきて二人の対決が中途半端に終わったようだが、その事が原因で竜之介は新選組を離れたのだろうか。
これ以降、新選組は竜之介に係わってこず、新たに登場するのが天誅組で、竜之介が失明する原因となる。
火事が山に迫って夜空を焦がし、皆が籠堂にいる竜之助のもとに駆け上がる場面のセットがいい。
山道の下は板張りなのだろうと思われる音が気になるが、火災を見せる仕掛けをし、大木や岩場を作った大道具さんたちスタッフの尽力に感心した。
セットであることが丸わかりだが、今はもうこのような職人さんはいないかもしれない。

大菩薩峠

2023-12-22 07:19:41 | 映画
大菩薩峠シリーズの大映版です。

「大菩薩峠」 1960年 日本


監督 三隅研次
出演 市川雷蔵 本郷功次郎 中村玉緒
   山本富士子 菅原謙二 根上淳
   見明凡太郎 笠智衆 島田正吾

ストーリー
秀麗富士を遠望する大菩薩峠の頂上。
黒紋付着流しの机竜之助(市川雷蔵)は、一刀のもとに居合わせた老巡礼を斬り捨てた。
この祖父の死に驚くお松を、通り合わせた怪盗裏宿の七兵衛(見明凡太朗)が助けて江戸へ向った。
一方、机道場に帰った竜之助を持っていたのは、字津木文之丞(丹羽又三郎)の妹と偽るその妻お浜(中村玉緒)で、御嶽山奉納試合の勝ちを譲れと願い出た。
お浜の言葉をはねつけ、その帰途を水車番の与八(真塩洋一)に襲わせた竜之助は、その小屋でお浜を犯す。
それから数日、奉納試合は文之丞の意趣で殺気をはらんだが、竜之助の音無しの構えは一撃にして文之丞を倒し、竜之助はお浜を伴って江戸へ。
この兇報に馳せ戻った文之丞の弟兵馬(本郷功次郎)は、竜之助の父弾正(笠智衆)から、妖剣音無しの構えを破るには並大抵の修行ではだめだと教えられ、剣聖島田虎之助(島田正吾)に正剣を学ぶため江戸へ向った。
江戸に出た竜之助は新撰組に出入りし、近藤勇(菅原謙二)、芦沢鴨(根上淳)らと知り合うが、ある夜、誤って島田虎之助に斬りかかった土方らが、虎之助の絶妙な剣の冴えに一蹴されたのを見て動揺する。
また七兵衛に救われたお松(山本富士子)は、生花師匠お絹の家で行儀見習いをするうちに、亀田道場へ通う兵馬と知り合い、恋し合うようになる。
ところで兵馬は、遂に竜之助を探し出し果し状を送ったが、竜之助はこれを知って兵馬に討たれてくれとたのむお浜を斬り、お浜との間に出来た一子の郁太郎を残して江戸を去った。
京都に入った竜之助は芦沢をたよって新撰組に入り、これを追うようにして現われた兵馬は近藤の世話で新撰組入りしたがここでも宿命の対立を見せた。


寸評
衣笠貞之助の脚本がしっかりしているし、三隈研次が堂々と撮っていて見応えがある。
雷蔵の机竜之介は、何の罪もない人を殺したりする彼に憤りを感じさせながら、その底に流れる行動力を見せて活動力のともなったニヒリストという雰囲気を出している。
これは年齢からくるものもあって、東映版の片岡千恵蔵には出せなかったものだ。

市川雷蔵の机竜之介は父親の大先生弾正からも見放される邪剣を使う狂人だが、それ以上の狂人ぶりを見せるのが中村玉緒のお浜である。
字津木文之丞の妹と偽った彼女は家名の為、肉親の為なら女の操も捨てると言っておきながら、水車小屋でいざその場面になると自分は文之丞の妻だとあかし、竜之介に抵抗する偽善性を見せる。
勝ちを譲るように願い出たこと、また竜之介に犯されたことで、お浜は字津木文之丞から離縁されると、自分を犯した竜之介を「憎し!」と言いながら、同時に夫であった文之丞を「ふがいない!」とも言い、たちまち机竜之介のもとに走る女なのだ。
大きな目を見開き、下から睨み上げるような視線で男にくってかかるすさまじい女で、雷蔵の机竜之介もいいが、この一部ではお浜の中村玉緒が存在感を見せている。

中山介山の原作がそうなのだろうが、幕末の剣士たちの名前が登場するのも興味をそそる。
新選組設立にかかわる清川八郎(登場しない)、近藤勇と芹沢鴨はこの映画でもすでに対立関係にある。
宇津木兵馬が支持する島田虎之助も実在の人物で、「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣又正しからず。すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学べ」という言葉が知られているが、そっくりそのまま作品中でも述べさせている。

照明の岡本健一、撮影の今井ひろしによるシーンも印象的だ。
竜之介とお浜が対面している場面では、長時間に及んでいることを示すためにロウソクが部屋に持ち込まれてくるのだが、その時パッと部屋が明るくなる。
また竜之介とお浜は江戸で一緒に暮らして、郁太郎という子供も生まれているのだが、お浜のグチもあって二人の関係は気まずいものだ。
言い争いをして竜之介が出ていき、郁太郎に添い寝するお浜の後姿を映しながら、日が暮れたことを示すように外の明かりがすーと落ちていく。
非常に細やかな演出で、その丁寧さがこの作品を見せるものとしている。
一番は最後に竜之介が呑んでいる部屋の場面での照明とカメラワークだ。
薄暗い部屋で艶やかな着物を着た山本富士子と、モノトーン調の着物を着た市川雷蔵がいる。
山本富士子のお松が亡霊の存在を感じはじめ、雷蔵の竜之介が変調をきたしてくる。
竜之介は、ついには御簾やふすまを切り裂くようになり、半ば発狂状態である。
そんな見せ場を作り、最後は宇津木兵馬と竜之介の対峙でエンドマークとなる。
次も見たくなるという絶妙の終わり方だ。

大学の若大将

2023-12-21 07:02:48 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/6/21は「サウンド・オブ・ミュージック」で、以下「櫻の園」「細雪」「サッド ヴァケイション」「座頭市物語」「サニー 永遠の仲間たち」「さびしんぼう」「サムライ」「さよなら渓谷」「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」と続きました。

「大学の若大将」 1961年 日本


監督 杉江敏男
出演 加山雄三 有島一郎 飯田蝶子 中真千子
   星由里子 団令子 北あけみ 江原達怡
   田中邦衛 土屋嘉男 上原謙 久慈あさみ
   藤山陽子 左卜全 藤原釜足 菅井きん

ストーリー
京南大学水泳部の田沼雄一(加山雄三)は、明治からの歴史を誇るすきやき屋「田能久」の若旦郡である。
父久太郎(有島一郎)は昔気質の頑固者で、商売仇のステーキハウス「黒馬車」が進出してきて機嫌が悪い。
おまけに雄一が「黒馬車」で歌手のはるみ(北あけみ)と仲良く歌っているとあってカンカンに怒った。
そんな時、祖母のりき(飯田蝶子)がいつも雄一の味方となって父と子の仲を円くおさめていた。
水泳部主催のパーティの日、雄一は同級生の団野京子(団令子)や、はるみとばかり踊るので石山製菓のキャンディストア店員中里澄子(星由里子)は面白くない。
その夜、雄一は店の肉を持ち出して部員達にオゴってしまったためとうとう久太郎に勘当されてしまった。
雄一は夏季休暇をさいわいに、芦ノ湖へアルバイトに出かけた。
親友多湖(江原達怡)もアルバイトでデパート会社の社長野村家の別荘の管理人をしていた。
雄一は、ボート小屋に泊りこみ、ボートの貸し出しと看視人をやっていた。
澄子も出張で「ビーチハウス」に来ており、はるみも湖畔ホテルで歌っていた。
石山製菓社長の息子で、雄一の同級生石山新次郎(田中邦衛)は澄子に惚れていて、澄子をヨットに誘った。
ヨットの中で新次郎が澄子にケシカラン振舞いに出た時、雄一が澄子を救った。
雄一は自分が本当に愛しているのは澄子だとその時悟った。
カラリと晴れたある日、雄一は転覆したボートから野村父子を救った。
夏休みが終り、水泳部の合宿が始ったある日、野村社長(上原謙)より娘の千枝子(藤山陽子)との見合いを雄一は言われる。
多湖が千枝子を愛していることを知った雄一は、見合い場所へ多湖を連れて行く。
そんなことを知らない澄子は大むくれで、そんな澄子に新次郎が言い寄って・・・。


寸評
加山雄三の「若大将シリーズ」は18作ほど作られたが、これはその記念すべき第1作である。
後にサラリーマンとなった若大将作品も撮られたが、暫くは大学生の若大将として描かれていて、シリーズの途中から見始めた僕などは大学とはなんて楽しいところなんだと思ったものだ。
もっとも魅力が発揮されているのは第6作の「エレキの若大将」だと思うが、「大学の若大将」は第1作だけに若大将のイメージを定着させたと言えるし、加山雄三のキャラクターも決定づけられたような所がある。
加山雄三は決して演技が上手い俳優ではなかったが、明るい性格とスポーツに音楽にと才能多彩で能天気な作品にはもってこいのキャラだったと思う。

この作品は大学生たちがワイワイガヤガヤ騒いでいるだけの映画で、主演の加山が同級生の団令子、歌手の北あけみなどにモテモテの中でマドンナ役の星由里子が絡んでくるというもので、この構図は以後の作品でも変わらないのだが、若大将のライバルである青大将の田中邦衛のクレジットが本作ではまだ脇役扱いである。
10年ぶりに撮られた18作目の「帰ってきた若大将」は加山雄三の芸能生活20周年記念作品として撮られたから、若大将シリーズが加山雄三の代表作という認識が東宝にもあったのだろう。
記念すべき第一作とあって、加山雄三の実父である上原謙がゲスト出演的に出ている。
授業での代返や部室でのバカ騒ぎなどは、歳をとった今の自分には懐かしく思える光景だが、僕の学生時代は周りにあんなに女性がウヨウヨいなかった。
若大将は植木屋のオヤジの家に転がり込んだり、多胡がアルバイトで管理している別荘で冷蔵庫の食材を使いまくって食べるなど、観客としては羨ましくなってくる環境下に居る。
ましてや大学生が見合いをしたりしているのはどうなんだと思うが、微笑ましさだけを追求しているので何でも許されてしまう。
プログラムピクチャの青春ものではよくある大学生の描き方だが、そのどれもが適当に金に困っている割には、適当にエンジョイしていて、女の子たちも周りを取り巻いているというものだ。
「若大将シリーズ」はその典型で、僕たちの学生時代と違って随分と大人びた学生に感じる。
もっとも、古いアルバムなどを見ると、写っている学生はさらに大人びていて思慮深さを感じさせる。
時代を重ねるごとに学生は軽薄化しているのかもしれない。

クライマックスとなる水泳大会の場面はまるでマンガの世界なのだが、その単純さを単純に楽しめるのがこの映画の存在価値となっている。
試合当日におばあちゃんの飯田蝶子が青大将の車に引かれて病院に運び込まれる。
輸血が必要な重傷だが若大将の血をもらうことで一命をとりとめる。
すでにスタートしていた800メートルリレーに間に合うように神宮プールへ向かって出発する。
途中で青大将の運転する車がスピード違反で捕まるという出来事に出会うが、気のいい警官によって神宮プールまで先導してもらって会場に到着するが、すでに第三泳者はスタートしており予定通りリードされている。
会場に到着した若大将は大急ぎで着替えて飛び出し間一髪のところでタッチに間に合い大逆転の勝利を得る。
したがって手に汗握るシーンとなってはいないが、予測された結末に納得してしまうのである。
B級作品の典型だ。

ターミネーター3

2023-12-20 07:35:33 | 映画
「た」行です。

「ターミネーター3」 2003年 アメリカ


監督 ジョナサン・モストウ
出演 アーノルド・シュワルツェネッガー
   ニック・スタール クレア・デインズ
   クリスタナ・ローケン デヴィッド・アンドリュース
   マーク・ファミリエッティ アール・ボーエン

ストーリー
T-1000との死闘を制し、核兵器管理システムのスカイネットが自らの意志を持ち人類を滅ぼす“審判の日”を、見事阻止してから10年後、ジョンは新たな人生の目的を模索するように放浪生活を送っていた。
スカイネットが人類に反乱し、核戦争が起きるはずだった1997年8月29日は無事に過ぎ去り、「審判の日」は回避されたかに思われた。
母サラ・コナーを白血病で失い、青年に成長したジョン・コナーは、平穏かつ無目的な日々を送るが、未だに胸のどこかで不安を感じており、時にはターミネーターの夢を見ることさえもあった。
不安は的中し、2032年から新たに2体のターミネーターが送り込まれた。
1体は未来のジョンの副官となる者達の抹殺を目的とする、T-1000の性能を遙かに凌ぐ、強力なターミネーターT-Xで、そしてもう1体は、十数年前にコナー親子をT-1000の襲撃から守り、燃え盛る溶鉱炉へ入って自決したT-800の改良版T-850である。
すぐさま副官達の殺害に回ったT-Xは、その過程でジョンの行方を把握し、殺害しようとするが、そこへT-850が現れてジョンを救う。
スカイネットの誕生を阻止したはずなのに再びターミネーターが現れたことに驚くジョンへ、T-850は「核戦争は回避されたわけではなく、ただ予定が狂い延期されたのみ」かつ「審判の日は回避不可能」であることを告げる。
幼馴染であり、未来では妻かつ反乱軍副官となるケイト・ブリュースターも巻き込んだ逃避行の中、ジョンはその新たな「審判の日」がまさに今日がその日であり、ケイトの父かつ軍の高官ロバート・ブリュースターがその鍵を握る人物であることを知る。
一行はスカイネットの誕生を阻止すべくロバートの許へ向かうが、一足遅く彼はT-Xに殺害されてしまう。
自らもろともT-Xを倒したT-850に別れを告げ、スカイネットとは何であるかを確かめようとしたジョンが核シェルター内で目にしたものは、冷戦時代の時代遅れの大型コンピューターに過ぎなかった。


寸評
アクションシーンやカーチェイスのシーンなどはパワーアップして迫力を増しているが、描かれている内容は前2作とほぼ同じで新鮮味はない。
敵対するのが女ターミネーターになっていることが目を引くくらいで、この映画の特徴であるアクションシーンが延々と描き続けられる。
クリスタナ・ローケンが見せるT-Xの無表情は印象に残るし、ターミネーターとしての動きも面白い。

母親のサラ・コナーは死亡しているので、同級生の女性ケイトが力強い同志となり、彼女のたくましい姿に、ジョン・コナーが「母さんそっくり」と言う笑えるセリフがある。
サラ・コナーのリンダ・ハミルトンのパワフルさが思い起こされる。
シュワちゃんターミネーターもギャグっぽいセリフを発して楽しませてくれる。
12年ぶりの続編なので懐かしさも手伝って楽しく見られるが、復習的に前作を見てこの作品を見るとややマンネリ感が出てきているなと感じる。
生きる目的をなくしたジョンの自分探しのドラマという側面があるけれど、それが十分に描かれたとは言えず、やはりターミネーターは人間ドラマになりえず、あくまでもアクション映画なのだと感じる。

審判の日を回避しようと奮闘するジョンとケイトはスカイネットシステムを破壊するために、スカイネットの開発責任者であるケイトの父に指示された場所に向かう。
本来ならここから劇的な展開が繰り広げられるはずだが、内容の割には意外とあっさりと終わってしまうのは肩透かしを食ったようで、次回作に続くと言われたような気分になってしまう。
行き着いた場所は大統領が指揮を執る政府高官のための核シェルターだったのだが、そこは何十年も利用されたことがないので廃墟のようになっている。
しかし、いつ起きるか分からない核戦争に備えたものであるならば、たとえ使用されなくても最新設備に更新されていくべきものだと思うから、廃墟になっているのは説得力に欠ける。
ジョン・コナーが生き残った人類のリーダーになった経緯だけが理解できた。

インターネットで繋がれた仮想空間では、一体誰がどこで何をやっているのか分からない世界だ。
便利なシステムではあるが、ウィルスの拡散やサイバー攻撃など発信者の不明性が恐怖でもある。
インターネットは軍事用のネットワークから出発したものだけに、核兵器管理システムのスカイネットが空想の産物と言い切れないものがある。
現社会では核戦争は引き起こされていないが、テロ行為がそれに代わるように頻発している。
攻撃対象が明確でないテロ行為は防ぎようがない。
死を恐れず自らの命をかけて仕掛けてくるテロ行為は増々世界に拡散しそうである。
そのテロ行為を行うのも、また導き出しているのも人間なのである。
テロ行為は人対人の戦いなのだが、まるでターミネーターとの戦いの様でもある。
審判の日は避けることが出来なかったけれど、ジョンはそれでも戦い続ける決意を表す。
アメリカがテロとの対決を表明しているように・・・。

續姿三四郎

2023-12-19 06:59:19 | 映画
「續姿三四郎」 1945年 日本


監督 黒澤明                                                        
出演 藤田進 月形龍之介 河野秋武 轟夕起子
   大河内伝次郎 清川荘司 森雅之 宮口精二
   高堂国典    菅井一郎 石田鉱 光一

ストーリー
明治20年。
檜垣源之助(月形龍之介)との戦いに勝利をおさめた三四郎(藤田進)の名は、最強の武道家として全国に知れ渡っていた。
三四郎をアメリカ領事館通訳の布引(菅井一郎)が訪ね、アメリカ人拳闘家と試合をしないかと持ちかける。
見世物にでることは禁じられていると断る三四郎だが、試合を見に行くことになる。
そこには中年の柔術家が三四郎の代わりに試合に出ていた。
試合は一方的な展開となり中年柔術家はボロボロに、そしてそれを囃すアメリカ人観客達。
三四郎は苦悶の表情を浮かべ、修道館で矢野(大河内伝次郎)と対面する。
村井の墓参りに出かけた三四郎はそこで村井の娘の小夜(轟夕起子)と再開する。
その頃三四郎に敗れ病床に臥す檜垣源之助の弟の鉄心(月形龍之介)と源三郎(河野秋武)が上京してきた。
二人は唐手使いで修道館に乗り込み、矢野に三四郎との立ち会いを申し込むが断られる。
どうにも収まりが付かない三四郎は、わざと禁を破り破門されようと思い、道場で酒を喰らう。
そこに矢野が現れ、わざと気付かない振りをし、徳利に技をかけて柔道の極意を教える。
矢野の思いやりに両手をついて頭をたれる三四郎。
鉄心と源三郎の姿に昔の自分の姿を見て苦しむ源之助は修道館を訪れ弟たちの非礼を詫び、二人が打倒三四郎のため山に籠もったことを告げる。


寸評
冒頭は車夫がアメリカ人の水兵に絡まられているのを三四郎が助ける場面から始まる。
相手を見事に岸壁から海に投げ落とすのだが、アメリカ人をやっつけるのはそれだけではない。
アメリカ人ボクサーとの試合ではこれまた見事に投げ飛ばして気絶させてしまう。
あまりにも日本柔道強し、アメリカ人弱しの演出が空々しい。
これらは多分に当時の世相を反映したものであろうから致し方がないのかもしれない。
それにしても、映画の出来としてはよろしくない。
先のボクサーとの試合もそうだし、檜垣鉄心との雪原での試合もそうなのだが、試合としての迫力がない。
ボクサーは1回投げられただけで気絶してしまうし、檜垣鉄心は投げられて雪の斜面を転がり落ちていくが、クッションの様な雪の上に投げられて参ったもないものである。
檜垣鉄心の月形龍之介はやたらと叫んでいるだけで、おおよそ生死をかけた決闘には程遠いものである。
アクションにしても檜垣鉄心の空手はまるで相手に受け止められるような動きでスピード感がない。

檜垣鉄心との戦いに勝利した三四郎は山小屋で熱を出した檜垣鉄心を介抱している。
傍らには病的に凶暴性を見せる弟の源三郎がいる。
おかゆを進められても狂気をはらむ源三郎は受け付けない。
やがて疲れが出たのか、三四郎は眠ってしまう。
源三郎は今がチャンスと隠していたナタを取り出し三四郎を殺害しようとする。
その時、三四郎は夢の中で小夜の声を聞きニッコリと微笑む。
その無邪気な寝顔を見て源三郎は殺意を失くしてしまう。
この一連の流れにしても、何かもう一工夫がなかったものかと思うほど単純な演出で、なんだか肩透かしを受けたような感じがした。
目覚めた三四郎はおかゆを食べている源三郎をみて、温かいおかゆを作ってやろうと言い水汲みに出かける。
そのくったくない姿に、檜垣鉄心は「負けた」と言葉を発し、三四郎の笑顔の大写しで映画は終わる。
これまた、取って付けたような演出で重厚感はない。
後年の黒沢作品を見ている者にとっては寂しすぎる演出だ。
黒沢がまだまだ開眼するには時間を要した時期の作品なのだとみるべきか、当時の時代背景からしてその内容、製作費等に制約を受けていたためなのかは判断がつかない。

草原の椅子

2023-12-18 10:11:32 | 映画
「草原の椅子」    2013年 日本

                                    
監督 成島出                                            
出演 佐藤浩市    西村雅彦 吉瀬美智子 黒木華 小池栄子
   貞光奏風    中村靖日 若村麻由美 井川比佐志
   AKIRA(EXILE)

ストーリー
長年連れ添った妻と離婚し、年頃の娘と2人暮らしの営業マン、遠間憲太郎。
50歳を過ぎ人生に疲れた彼に、思いがけない3つの転機が訪れる。
ひとつは、取引先の社長・富樫に懇願され、いい年になってから親友として付き合い始めたこと。
もうひとつは、ふと目に留まった独り身の女性・貴志子の、憂いを湛えた容貌に惹かれ、淡い想いを寄せるようになったこと。
そして3つめは、娘の弥生が母親に虐待されていた4歳の少年・圭輔を連れ帰り、しばらく家で面倒を見るようになったこと。
すっかり心を閉ざしてしまい口もきけない圭輔だったが、遠間たちとの触れあいを通じて少しずつ変化を見せ始めていく。
憲太郎、富樫、貴志子の3人は、いつしか同じ時間を過ごすようになり、交流を深めていく中で、圭輔の将来を案じ始める。
年を重ねながら心のどこかに傷を抱えてきた大人たち。
そして、幼いにも関わらず深く傷ついてしまった少年。
めぐり逢った4人は、ある日、異国への旅立ちを決意する。
そして、世界最後の桃源郷・フンザを訪れたとき、貴志子が憲太郎に告げる。
「遠間さんが父親になって、私が母親になれば、あの子と暮らせるんですよね」


寸評
『草原の椅子』というのは、家具職人をしている冨樫の父が、さまざまな障害を持つ人のために作っている特注品の椅子のこと。
草原に置かれたその椅子を写した写真が有る。
草原に見えるのは富樫の実家にある草が茂ったちょっとした土地だ。
その椅子はこの世のひとりの人間が安心して身を委ね、くつろぐため
の場所でもあるのだ。
見る人によっては草原に見える場所であり、左右非対称でも使う人にとっては座り心地のよい椅子なのだ。
この映画は彼らが安心して身を委ね、くつろぐための『草原の椅子』を探す物語なだと思う。

大人たちは少年の態度に自分が経験した状況を重ね合わせ、そこからの脱却を模索し、少年に癒される。
少年の母親も父親も実に自分勝手でひどい。
彼等を極めて道化役者的に描くことで、現実離れしている遠間、富樫、貴志子にリアリティを持たせていたのだろうか?
なんだかもう一つ心に響いてこなかったなあ。

映画には冒頭と終盤に、パキスタン北西部の景勝地フンザが登場する。
この映画の一番のシーンは、そのフンザで主人公たちがどこまでも続く砂丘を駆けて行く場面。
砂丘と雪山が存在する美しい場所だ。
誰の足跡もない前人未踏の大地を踏みしめて主人公たちが駆けていくのだが、この砂丘のシーンは海外ロケを行った価値があったと思う。

この作品で一番いい役者さんだなあと思わせたのは圭輔の母親役だった小池栄子さんだった。
涙ぐんで詫びる姿と、風疹に怯える狂気じみた姿のギャップがいい。
この人を主演に据えた映画がもっとあってもいいと思うのだが・・・。

原作は宮本輝で、同氏の作品と言えば僕は条件反射的に小栗康平監督の「泥の河」を思い浮かべる。
見終わってみると、宮本輝の映画化作品ではやはり「泥の河」が一番だと思った。
成島作品としても「八月の蝉」の方が随分と出来が良かったように思う。

千夜、一夜

2023-12-17 07:05:55 | 映画
「千夜、一夜」 2022年 日本


監督 久保田直
出演 田中裕子 尾野真千子 安藤政信 ダンカン
   白石加代子 長内美那子 田島令子 山中崇
   阿部進之介 田中要次 平泉成 小倉久寛

ストーリー
北の離島の美しい港町。
30年前、若松登美子の夫が突然姿を消した。
彼はなぜいなくなったのか。
生きているのかどうか、それすらわからない。
登美子は漁協で働きながら今も夫を探し続けて帰りを待っている。
父親は登美子の結婚に反対していたが今は亡くなっており、母親が一人で暮している。
登美子は漁港からの帰りに魚を届けたりして母の様子を気にかけていた。
漁師の藤倉春男は登美子に想いを寄せ続けていて、港の人々はその事を誰もが知っていた。
漁港の仲間から春男の申し出を受けたらどうかと言われても、「何も手続きはしていない。私はまだ結婚したままなのだ」と答え、彼女が春男の気持ちに応えることはなかった。
ある日、登美子のもとに、2年前に失踪した夫・洋司(安藤政信)を探す奈美(尾野真千子)が現れる。
奈美は病院で看護師を続けながら夫を待ち続けていたが、同じような境遇の登美子を紹介された。
彼女は自分のなかで折り合いをつけ前に進むために、夫がいなくなった理由を探していたのだ。
拉致されたのではないかとの思いもあり、特別失踪人の手続きをとるための書類作りを登美子に手伝ってもらうことにした。
登美子への気持ちが通じない春男は異常をきたしてきたので、長老たちは春男と登美子の仲を取り持とうとしたが逆効果の結果を生み、春男は行方不明になってしまった。
そんな折、登美子は街中で偶然、洋司の姿を見かけた。
登美子は洋司を奈美に引き合わせるが、奈美にはすでに再婚を決意した男が居た。


寸評
日本における行方不明者数は年間8万件程度で推移しているとのことだが、認知症などの疾病関係者など大半は発見されているとのことで、それでも年間数千人が失踪しているらしい。
身近な人間が突如姿を消してしまったら、残された者の思いはどんなだろうというのがこの映画だ。
幸せな日常を過ごしてきたと思っていたのに、何の前触れもなく家族の一人が突然姿を消してしまう。
我々は北朝鮮による拉致被害者を思い浮かべてしまうが、該当者は拉致された者だけとは限らない。
舞台は佐渡なので拉致されたことも考えられるが、大半は理由を告げずに失踪してしまった人たちだろう。
残された家族は理由も分らず「何故なんだ」との思いを持つであろうことは容易に想像できる。

この作品では三人の待ち続ける女性が登場する。
登美子は30年も夫を待ち続けていて、言い寄る男も拒絶し続けているが徐々に夫への思いが薄らいできている。
30年間も居場所も安否も分からない状態が続けばそうなるのも当然だ。
奈美が言うように、どこかですでに亡くなっているのだとの思いが潜在しているのかもしれない。
そう思うのも、そう思いたいのも分かるし、30年も続けてきた生き方から抜け出せない気持ちも分る気がする。
奈美は拉致されたかもしれないと思いだしているが、状況はその可能性は低いと言われる。
彼女は気持ちに整理をつけるために失踪の理由を知りたがっているのだが、本人が行方不明である以上そのことを確かめる手立てはない。
若い彼女は自分の将来を考えだし、自分に思いを寄せる男性と再婚を決意する。
彼女は登美子とは真逆の結論を出そうとしている。
奈美は否定するが、作成してもらった特別失踪人認定の書類は夫・洋司との離婚手続きに利用されることは明白で、奈美の気持ちの重心は夫から自分へと移っていたのだと思う。

いま一人は姿をくらました春男の母親だ。
彼女は以前に登美子に春男を受け入れてくれるように申し入れているし、春男が居なくなったのは登美子のせいだと言わんばかりで随分と身勝手な母親との印象を受ける。
しかしそれは母としての感情であり、彼女が言う待つ身の辛さからでもあり、母親は同じような立場になって初めて登美子の気持ちが分かったのだろう。
親はきっとどこかで生きているとしか思えないのだと思わせた。
しかしこの母親を初めとして、登美子を取り巻く人々は登美子を差し置く随分と身勝手な人たちだ。
母親は息子可愛さのあまり登美子に無理を強いるし、春男を見かねた長老たちの行為は一方だけを考慮した迷惑行為と言っても過言ではない。
春男は困っている人に手を差し伸べることが悪いことなのかと言うが、状況からすれば随分と身勝手な言い分だ。
暗くて静かな映画だが、ここでの登美子の反撃は奈美と洋司が再会した場面と共に数少ない激しいシーンとなっている。
ここでの登美子の激情がラストシーンにおける登美子を補完していたし、結局登美子は今まで通りにしか生きていけないのだろうと思わせた。
失踪者にも言い分はあるのだろうが、それでもやはり罪作りな行為であるのは間違いないのではなかろうか。