おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

明日の記憶

2022-01-31 09:28:48 | 映画
「明日の記憶」 2005年 日本


監督 堤幸彦
出演 渡辺謙 樋口可南子 坂口憲二 吹石一恵
   水川あさみ 袴田吉彦 市川勇 松村邦洋
   遠藤憲一 木野花 木梨憲武 及川光博
   渡辺えり子 香川照之 大滝秀治

ストーリー
広告代理店に営業マンとして勤める佐伯雅行は、長年、仕事に没頭してきた。
今年50歳になる彼には、一人娘・梨恵の結婚と大きなプロジェクトを控え、ありふれてはいるが穏やかな幸せに満ちていた。
そんなある日、佐伯は原因不明の体調不良に襲われる。
重要なミーティングを忘れたり、部下の顔が思い出せなくなったりするのだ。
心配になった佐伯は妻・枝実子に促され、渋々病院を訪れて検査を受けると、医師から「若年性アルツハイマー」の診断が下された。
こぼれ落ちる記憶を必死に繋ぎ止めようとあらゆる事柄をメモに取り、闘い始める佐伯。
毎日会社で会う仕事仲間の顔が、通い慣れた取引先の場所が思い出せない。
知っているはずの街が、突然“見知らぬ風景”に変わっていく。
そんな夫を懸命に受け止め、慈しみ、いたわる枝実子。
彼女は共に病と闘い、来たるべき時が来るまで彼の妻であり続けようと心に決める。
希望退職するであろう夫に代わって働きはじめ、枝実子は家計を支えるようになる。
梨恵の結婚式、初孫の誕生を経て、静かに時間は流れてゆく。
時に子供のように癇癪を起こし、感情が昂ぶって泣きじゃくる夫を、枝実子は黙って包み込む。
幾度もの夏が訪れ、病が進行した佐伯は枝実子の名も思い出せなくなってしまったが、枝実子は静かに夫を見守るのだった。


寸評
若年性のアルツハイマー病って、もっと過酷な世界ではないのかなと思った。
知り合いの奥様がアルツハイマー病になられて、その経過や関わり方を聞いていると、患者本人はもちろん、関わることになる家族の人達にとっても負担を強いられ、社会的な救済が必要な世界なのだと感じている。
そのような感覚からすると全体的には綺麗にまとまりすぎた気がしないでもない。
それでも生活維持のために奥さんが働きの出ることや、最後には奥さんのことすら誰だか分からなくなってしまう状況の過酷さは理解できた。
若年性のアルツハイマーの進行過程が描かれたようなものなのかどうかはよく知らない。
会社の仲間の顔と名前が一致しなくなって、名刺に似顔絵や特徴を書き込んでいたりするのは症状の一過程なのかもしれないな。
やはり、自分がそうなったらどうしようという思いで見てしまう映画だ。
奥さんは献身的だ。
私の知人も献身的だったように思う。
家族、特に夫婦のどちらかがそうなったら、やはり伴侶は自身の苛立ちを抑えて介護していくことになるのだろう。
自分は樋口可南子が演じる枝実子のように振る舞えるだろうかと不安になる。
病気の映画は、どうしても自分と置き換えて見てしまう。
本当はもっと悲惨な世界なのだろうけれど、映画はそれを非情に描くことを避けている。
なじられた夫が妻に危害を加えてしまうシーンなどは直接の場面を写すことはしない。
病気がそうさせるのだとの演出手法でもあるのだろうが、悲惨さを示すような映画にはしたくなかったのだろう。

及川光博の先生はいい医者だ。
自分が同じ病気になったら、あのようなお医者さんに掛かりたいものだ。
淡々とした診察と屋上での説得、そして患者を待つ態度など、なかなかの人格者だと思った。
いい人といえば、取引先の課長である香川照之もいい役柄だった。
佐伯選手と呼ぶ間柄は仕事を通じた信頼関係があってのことだったと思う。
悪態をついてはいるが信頼を寄せている姿が見て取れた。
病気が判明して配置替えとなった佐伯に電話して、佐伯とじゃなかったらキャバクラに行っても面白くないんだと言うのだが、それが彼の思いやりであり激励だったのだと思う。
企業戦士も捨てたものではないなと思わせた。

知っているはずの街が突然わからなくなってしまう混乱を、カメラを回すことで表現したり、歪んだ映像を見せたりするのは、少しばかり短絡的な表現だとは思ったが、こぼれ落ちる記憶を必死に繋ぎ止めようとする姿は胸打つものがある。
それでも渡辺謙と樋口可南子はちょっと立派すぎるよなあ・・・。
ラストシーンはいいと思う。
そしてそのラストシーンはオープニングシーンに続いていて、最後にホームのシーンを持ってこなかったのはいい演出だと思った。

あこがれ

2022-01-30 10:20:34 | 映画
「あこがれ」 1966年 日本


監督 恩地日出夫
出演 内藤洋子 田村亮 林寛子 沢井正延
   新珠三千代 小夜福子 加東大介
   賀原夏子 小沢昭一 乙羽信子
   沢村貞子 小栗一也

ストーリー
母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎(田村亮)は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。
しかも、“貰い子”とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。
一郎が十九歳になった信子(内藤洋子)と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。
信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。
幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子(新珠三千代)に逢い、楽しい一時を持った。
信子には酒飲みの父親恒吉(小沢昭一)がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。
毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。
しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けたが父親の怒りを買った。
それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。
一郎の悩む姿に母親(賀原夏子)は“もう一人の子供が出来たと思えば…”と父親(加東大介)をといた。
そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえ(乙羽信子)が訪ねて来た。
再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。
園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎を励ます。
園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。
出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。
“一郎ッ”“お母さん”と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。


寸評
内藤洋子は1960年代後半の東宝の青春路線で一世風靡していたオデコが印象的な清純派で、この映画が初主演映画である。
映画デビュー作はあの黒澤明の「赤ひげ」だった。
僕は彼女の歌う「白馬のルンナ/雨の日には」というシングル盤のレコードを持っていた。
思春期の僕には、甘ったるくチャーミングな歌い方がくすぐったくなってくるレコードだった。
娘さんは喜多嶋舞さんで、どちらも中途半端な女優さんで終わってしまったが、少なくとも母親の内藤洋子は一時期人気を博したことだけは確かだ。

施設で育った若い二人の純愛物語だが、同時に父と娘、母と息子の親子の物語でもある。
内藤洋子は日雇いの現場を歩く父親・小沢昭一の元で育ち、小さいころを保育園で育った。
母親はどうなったのかは分からないが、この父親はどうしようもない父親で内藤洋子の足手まといとなっている。
施設に預ける時には愛情のひとかけらも感じさせないし、大きくなってからは娘に金をせびりに来る父親である。
ぐうたら親父を演じる小沢昭一は適役だが、内藤洋子はこの父親を捨てきれない。
父親は工事現場を渡り歩いているが、娘は父親の行く先々で働き口を見つけてついていっているのである。
一方の田村亮は実の親とは音信がない。
しかし立派な陶器屋にもらわれ、加東大介と賀原夏子の夫婦に実の息子以上の愛情で育てられている。
一方は実の親と交流を持ちながら不遇な生活を送っている女性、一方は不自由のない生活ながら実の親とは疎遠な男性と言う構図である。

加藤大介は息子可愛さで立派な嫁をと高望みをしているので、内藤洋子との付き合いには反対である。
田村亮は自分の気持ちと、育ててもらった恩義のある育ての親との間で悩むが、お世話になった施設の先生・新珠三千代は育ててくれた親の気持ちを考えて内藤洋子を諦めろと助言する。
理不尽だが、至極まっとうな意見に思える。
その中で、内藤洋子は中華屋の出前持ちだったり、食堂のウェイトレスだったりするのだが、当時の若い娘と等身大という感じがするし、若い二人が属している社会状況も当時としては珍しくはなかったと思われる。

内藤洋子と田村亮の映画なのだが、よくできてると思えるシーンは乙羽信子が保育園にきて、新珠三千代と園長の小夜福子を交えて三人で話をするシーンだ。
三人の心の微妙な変化がわかるいいシーンとなっている。
当初園長は今更息子に会いに来た母親を迷惑がっていたのだが、母親の真の気持ちを知り思いが変わる。
新珠三千代は親の愛情を知り、この後の言動が支離滅裂となっていく。
乙羽信子は息子の幸せを確認するだけで満足し、思い出の品として田村亮の店でティカップを買ってブラジルに旅立っていく。
泣ける。
タイトルの「あこがれ」だが、何に対するあこがれだったのだろう。
内藤洋子は田村亮を諦めたのではなかったのか?

あげまん

2022-01-29 09:31:35 | 映画
「あげまん」 1990年 日本


監督 伊丹十三
出演 宮本信子 津川雅彦 大滝秀治 金田龍之介
   一の宮あつ子 菅井きん 三田和代 洞口依子
   橋爪功 高瀬春奈 柳谷寛 横山道代 関弘子
   不破万作 上田耕一 六平直政 東野英治郎
   内田あかり 北村和夫 宝田明 島田正吾

ストーリー
捨て子だったナヨコは老夫婦に育てられるが、中学を出てナヨコ(宮本信子)は芸者の道を歩むことを決心する。
そして芸者の置屋に預けられたナヨコはそこで一人前の芸者に成長してゆくがそんなある日、僧呂多聞院(金田龍之介)のもとに水揚げされ、彼女の人生は一変するのだった。
ナヨコと暮らすようになって多聞院の位はめきめきと高くなっていったのだ。
だが、間もなく多聞院は病死してしまうのだった。
何年かたち銀行のOLになったナヨコは、ふとしたことからうだつのあがらない銀行員鈴木主水(津川雅彦)と知り合い、お互い愛し合うようになる。
だが同時に政界の黒幕である大倉善武(島田正吾)もナヨコの“あげまん”に目をつけていた。
結局主水と結ばれるナヨコだったが出世街道を走り始めた主水は、出世のために瑛子という女と婚約してしまいナヨコと別れてしまうのだった。
主水に捨てられたナヨコは大倉のもとへいき、再び芸者となった。
そんな時、総理の椅子をめぐって鶴丸幹事長(北村和夫)と争う犬飼政調会長(宝田明)もまたナヨコに目をつける。
その頃主水は上役千々岩(大滝秀治)が鶴丸に政治資金を横流ししていた不正をきせられてピンチにおちいっていた。
そのことを知ったナヨコは、やはり主水のことが気がかりになっていた。
だがその時犬飼から鶴丸が癌で先長くない命であることを知らされたナヨコは、それをネタに主水の危機を救うのだった。
そしていつしか二人は永遠の愛で結ばれるのだった。


寸評
"あげまん"という艶っぽいタイトルが目を引く。
足を引っ張る女は間違いなく居そうだが、果たしてツキを呼ぶ女が存在するものかどうか?
存在だけで運気をもたらすことはなさそうだが、多分内助の功のような支えでもって男を出世させる女は居そうだ。
僧侶の多聞院(金田龍之介)はナヨコの体を触るだけで、精力を問い詰められてしょげかえるシーンなど滑稽さが前面に出た作品だ。
この滑稽さは、前作にあたる「マルサの女シリーズ」における滑稽さから見ると、随分とストレートでくすぐったいような笑いではない。
全体的な印象としてはウケ狙いの演出も目立ち始め「お葬式」「マルサの女」に見られたようなシャープな演出は影を潜めている。
運気をもたらす"あげまん女"の着想は悪くないが、それに群がる僧侶や政治家の強欲な姿が弱い。
特に幹事長鶴丸(北村和夫)と政調会長の犬飼(宝田明)の権力争いなどは上辺だけをなぞったような感じで、黒幕の大倉膳武(島田正吾)の登場とあっては子供だましのテレビドラマを見ているようだ。
主水の津川雅彦とナヨコの宮本信子のコンビはいい。
(宮本信子の娘役はちょっと無理があったけど)
「マルサの女」「マルサの女2」で培われた二人の間のようなものが完成を見たような感じがする。
津川の抑えた演技がそれを物語っていた。

主水役の津川雅彦が新支店長として赴任した時の訓示シーンがある。
結構長い訓示が続くが、これを伊丹監督はワンカットで撮っている。
行員の真ん中を割るように画面左から右へ移動していくのだが、それを行員の人垣越しで津川雅彦を追っている。
やがて最後まで行くと今度は手前に向かって喋りながら進んでくる。
そして今度は手前側を逆に右から左へと進んでいき、そして次長の言葉使いを叱責する。
ここまでを一気に撮り上げているのだが、人の影になったりするのを配慮しながらカメラは主水を追って外さない。
こういうカメラワークは難しいはずで撮影の山崎善弘の腕の見せどころだったろうと思う。

主水は取締役就任と引き換えに、一度は別れた瑛子(ミツコ)と一緒になる決意をするが、出世のためとは言え、あれほど嫌った瑛子との結婚を決意できるものだろうか?
それともあの調子良さで、外で目いっぱい羽を伸ばすつもりだったのだろうか。
瑛子も主水の気性は分かっていたはずで、そのあたりのお互いの打算に対する決断がやけにアッサリしていた。
そのような内面を突き詰める映画でないことは分かっていたが、やはりちょと物足りなさを感じた。
権力を握った政治家はもっと悪だと思うし、頭取(大滝秀治)のスキャンダルもありきたりだったな。
「お葬式」「マルサの女」でその才能を見てきただけに、期待した分ちょっと肩透かしを食った作品だった。

悪魔の手毬唄

2022-01-28 07:53:13 | 映画
「悪魔の手毬唄」 1977年 日本


監督 市川崑
出演 石坂浩二 岸恵子 若山富三郎 仁科明子
   北公次 永島暎子 渡辺美佐子 草笛光子
   頭師孝雄 高橋洋子 原ひさ子 川口節子
   辰巳柳太郎 大羽五朗 潮哲也 加藤武
   中村伸郎 大滝秀治 三木のり平 山岡久乃
   林美智子 白石加代子 岡本信人 常田富士男

ストーリー
古い因襲に縛られ、文明社会から隔離され四方を山に囲まれた鬼首村(オニコベムラ)。
青池歌名雄(北公次)は、葡萄酒工場に勤める青年。
歌名雄には、由良泰子(高橋洋子)という恋人がおり、仁礼文子(永野裕紀子 )もまた、歌名雄が好きであった。
この由良家と仁礼家は、昔から村を二分する二大勢力であった。
しかし、二十年前に由良家は恩田という詐欺師にだまされ、それ以来勢いはとまってしまい、逆に仁礼家が前にもまして強くなった。
その時、亀の湯の源治郎、つまり歌名雄の父親が判別のつかない死体でみつかった。
この事件を今も自分の執念で追いかけているのが磯川警部(若山富三郎)。
磯川は、ナゾをとくために、金田一耕助(石坂浩二)に調査を依頼し、金田一は磯川が懇意にする歌名雄の母である青池リカ(岸惠子)の営む亀の湯で落ち合うことになった。
その家の蔵には顔に赤あざのある青池里子(永島暎子)が人目を避けるようにひっそりと暮らしていた。
金田一は、最初に恩田と特にかかわりがあった多々良放庵(中村伸郎)に会う。
その頃、この村出身の別所千恵(仁科明子)が、今では人気歌手・大空ゆかりとなり、里帰りしてくると言うので村では大騒ぎが起きていた。
千恵が里帰りを果たしたその晩に歓迎会が開かれ、その時に第一の殺人事件が起きた。
泰子が何者かによって殺されたのだった。
そして、泰子の通夜の晩、葡萄工場の発酵タンクの中に吊り下げられて死んでいる文子が発見された。
この二つの殺人事件には、この地方につたわる、手毬唄の通りに行なわれていることを金田一は発見した。
そして、文子の通夜の晩、犯人は、千恵に入れかわっている里子を殺してしまう。


寸評
古い因襲に縛られた村で起きるか遺棄事件と言う設定は横溝正史の得意とするところだが、その映画化において市川崑はその雰囲気を上手く匂わせている。
由良家と仁礼家という旧家と新興の名家を登場させるのは原作によるものだろうが、その二大勢力に支配されている文明社会から隔離された村を、山村風景を遠望しながら山道を歩く黒マントの金田一を描くことで上手く表現している。
磯川警部が金田一を自転車に乗せて走らせるシーンも遠望から撮っているのだが、それなども同様の効果を狙ったものだろうと思う。

この映画には違和感がどうしても残ってしまう。
それは、殺人事件が伝承されている毛鞠唄に従って起きるのだが、その必然性がよくわからないのだ。
なぜ犯人はややこしい細工をしてまでして殺人を犯さなければならなかったのかが見えてこないのである。
しかしそれをミステリーと言う一言で包んでしまう市川崑の演出は流石と思わせる。
殺害されたとされる青地源治郎が活弁師だったことから、無声映画として大河内伝次郎が演じる丹下左膳が挿入され、活弁時代に終わりを告げた「モロッコ」のラストシーンも挿入されているのだが、僕はこれなどは市川崑監督の遊び心だったのだろうと思っている。
反転させたモノトーン・シーンなどもあって、古めかしい雰囲気にアクセントをつける演出も垣間見える。
古めかしい内容の作品だが市川崑らしい映画だと思う。

僕は若い頃に横溝正史の推理小説を何冊か読んだけれど、どうも好きになれなかった。
そのためだろうか、この作品の話自体にはあまり興味を示せなかったのだが、キャスティングの贅沢さには目を見晴らされた。
メインである金田一耕助の石坂浩二、青池リカの岸恵子、磯川警部の若山富三郎はもとより、端役に至るまでなだたる俳優が名を連ねているのである。
脇役として仁礼嘉平に新国劇の大物辰巳柳太郎、由良敦子に草笛光子、別所春江に渡辺美佐子、多々良放庵
に中村伸郎といった布陣である。
その他にも青池里子の永島暎子、別所千恵の仁科亜季子、由良泰子の高橋洋子、立花捜査主任の加藤武、権堂医師の大滝秀治、弁士仲間・野呂十兵衛の三木のり平、女中お幹の林美智子、辰蔵の常田富士男などが脇をがっちりと固めているので、その出演シーンを見ているだけでも楽しくなってくる。

この連続殺人事件の背景に一人の好色な男の存在があるのだが、どうやらこの男は凶悪強姦犯などではなく、浮気性だが魅力的な男であったようで、関係した女たちに心底惚れされるものを持ち合わせていたようなのである。
一度も登場しないが、女に対してだらしのない男であったと想像させ、そのことで磯川警部の純真な愛を浮かび上がらせている。
ラストシーンなどはそのことをダメ押ししていたように思う。
磯川警部のいじらしさが心に残り、健気な男心を絶妙なバランスで演じた若山富三郎の印象が強く残る。
「悪魔の手毬唄」の悪魔とは無論犯人のことなのだろうが、本当の悪魔は恩田だったと思う。

赤いハンカチ

2022-01-27 07:56:45 | 映画
「赤いハンカチ」 1964年 日本


監督 舛田利雄
出演 石原裕次郎 浅丘ルリ子 二谷英明 川地民夫
   桂小金治 笹森礼子 芦田伸介 森川信
   金子信雄 杉江弘 河上信夫 木島一郎

ストーリー
三上、石塚の両刑事は、兇悪な麻薬ルートを追っていた。
容疑者一味の内、唯一人の生存者である屋台の親爺、平岡が現場で犯人に接したことから、平岡は警察にひかれたが、三上らの峻烈な調べに対しても口を開こうとしなかった。
護送中に逃げようとした平岡と激突した三上らは、誤って拳銃を平岡の胸に発射した。
過失とはいえ世論は三上らにきびしかった。
それから三年、三上は北海道のダム工場で働いていた。
神奈川県警の土屋警部補の訪問を受けた三上は、石塚が平岡の遺児玲子と結婚し、今は大実業家になっていると知らされ、そしてその裏には三年前のあの事件がからまっていると告げられる。
決心した三上はその謎を解くため、再び横浜に帰って来た。
ハマでからまれた三上は、傷を負って病院に入った。
一方玲子は、三年前見た三上の面影が忘れられず、石塚の愛をうけながらも、父の死の原因は石塚にあると思いつづけていた。
ある施設で三上と再会した石塚は、仕事を手伝ってくれと約したが、三上の拒絶にあうと、翌日から三上の上に危険が襲って来た。
“赤いハンカチ”の歌を歌いながら流していた三上は、三上の命を狙う殺し屋に瀕死の重傷を負わせた。
警察は三上を指名手配した。
石塚は子分に三上を必ず殺すよう命じ、玲子も石塚の真の姿を感じる。
その後に、今こそ全てを知った三上の姿があったが平岡謀殺の証拠はない。


寸評
石原裕次郎は日本を代表する男優の一人である。
けっして上手い役者ではなかったが、それまでにない雰囲気を持った俳優で、量産体制の日本映画界を支えた男優だった。
俳優でありながらその歌声は本職の歌手を凌駕するものがあってヒット曲も数多い。
この「赤いハンカチ」もテイチク創業30年記念レコードとして作られヒットした。

「アカシアの 花の下で あの娘がそっと 瞼を拭いた 赤いハンカチよ 怨みに濡れた 目がしらに それでも涙は こぼれて落ちた」
「北国の 春も逝く日 俺たちだけが しょんぼり見てた 遠い浮雲よ 死ぬ気になれば ふたりとも 霞の彼方に 行かれたものを」
「アカシアの 花も散って あの娘はどこか おもかげ匂う 赤いハンカチよ 背広の胸に この俺の こころに遺るよ 切ない影が」
この歌をモチーフに書き下ろされた作品だが、作中に赤いハンカチは登場しない。

小川英、山崎巌、舛田利雄が脚本を担当しているが、その中身はかなり荒っぽい。
アメリカ映画ならもっと違った雰囲気を醸し出しただろうし、事実この様な内容の映画は度々登場している。
しかしそれでもこの映画には時代の特徴がある。
「ムード歌謡映画」とはよく言ったもので、前述の歌が裕次郎によって度々うたわれる。
その歌声だけで映画の世界に入っていける作品で、それを観客は享受していたのだ。

三上は麻薬事件の容疑者の一人である屋台の親爺平岡の娘玲子を訪ねる。
そこで何も知らない玲子とのやりとりの様子が描かれるが、お互いが心の中に残り続けるには描写不足だ。
平岡が三上の誤射によって死んだ時の対面では玲子には憎しみしかなかったはずである。
そして玲子は石塚と結婚して幸せな生活をしていたはずだ。
その彼女がいとも簡単に三上に惹かれていってしまう状況は不自然だ。
石塚は3年前の事件で大金を入手して今の成功を得たようなのだが、そこに裏があったことは明白な展開である。
石塚はヤクザ組織の誰かと思われる男と連絡を取り合っている。
そのやり取りはあまり描かれないので石塚の悪人ぶりはもうひとつ伝わってこない。
ヤクザ組織の芦田伸介や 金子信雄の土屋警部に三上の突然の成功を指摘されただけで石塚を疑いだすという経緯も深くはない。

挙げだしたらきりがない作品ではあるのだが、それでもある種の雰囲気を持った映画ではある。
最初は不良青年の様な役が多かった裕次郎だが、少し歳をとってからはこのような役が多かった。
まさに裕次郎映画なのである。
石原裕次郎という稀有な俳優はすべての疑問を吹っ飛ばしてしまう大スターだったのだ。
大笑いしてしまいそうなラストなのだが、それこそが日活映画だったのだと思う。


赤い橋の下のぬるい水

2022-01-26 08:34:25 | 映画
「赤い橋の下のぬるい水」 2001年 日本


監督 今村昌平
出演 役所広司 清水美砂 中村嘉葎雄
   ミッキー・カーチス 矢野宣 坂本スミ子
   北村有起哉 小島聖 ガダルカナル・タカ
   夏八木勲 不破万作 北村和夫 倍賞美津子

ストーリー
リストラされた失業中の中年男・笹野陽介(役所広司)は、職探しの合間にホームレスの集落を訪れていた。
そこで今は亡きタロウ(北村和夫)に出会う。
陽介は、生前のタロウから「盗んだ金の仏像を、能登半島の日本海に面した赤い橋のたもとの家に隠したので俺の代わりにあの家に行って、どうなったか確認してくれ」と言われていた。
陽介の足は自然と「赤い橋のたもとの家」へと向かっていく。
陽介は、富山湾沿いにあるその場所を尋ねながらようやく赤い橋にたどり着く。
その橋の向こうには、ノウゼンカズラが咲き誇る二階建ての家が本当にあったのだ。
そして陽介は、その家から現れた妙齢の女性・サエコ(清水美砂)が、スーパーでチーズを万引きすのを目撃する。
サエコの立ち去った跡には、不思議な水たまりができていて、水の中には片方だけの銀色のイヤリングが残されていた…。
彼女のあとを追って行くと、その家は昔は菓子作りを行っていて今はサエコと、ばあさんのミツ(倍賞美津子)が住んでいた。
二階からは、タロウの言葉どおりに赤い橋が見渡せ、日本海の向こうには雄大な立山連峰が広がっている。
サエコは自分は和菓子職人で、祖母のミツは神社におみくじを書いて納めている事を陽介に語り始める。
そして、突然陽介を押し倒し、うつろな眼差しで繰り返し大きく息を吐いた。
歓喜の声を発するサエコ、その時サエコの体からは不思議な水が湧き出ていた…。
サエコは、水が体内に溜まると我慢できなくなり、万引きをすることを陽介に告白する。
陽介はそんなサエコに惹かれたこともあって漁師になることを決意する。
漁から帰ると一目散にサエコの家に走り込み、二人は毎日のように愛を確かめ合う。
しかし、ある日陽介はサエコの不思議な水が減っていくことに気づくのだった…。
サエコを疑いはじめる陽介。
そんな時、漁師の新太郎の父・正之(夏八木勲)から、かつて流れ者が痴情のもつれで漁師を刺したという話を聞かされる。
そしてある日、陽介は街中で見知らぬ男・泰造(ガダルカナルタカ)と親しげに話すサエコを目撃する。
陽介は新太郎から50ccバイクを借り、二人のあとをつけ始めるのだが、陽介を待っていたのは意外なる真実だった…。


寸評
随分前の話になるのだが、”私は潮吹き女だ”と公言してチョットもてはやされたタレントさんがいたことを思い出した。
テレビ番組も「3時のあなた」のような番組はあったけれども、今のようなワイドショー番組ではなかったので、もっぱら「11PM」のようなチョットHが混ざった番組で取り上げられていたような気がする。
時が過ぎてそのタレントさんの顔は思い浮かべる事も出来ないけれど、この映画に出てくる清水美砂ほどのいい女ではなかったことだけは確かだ。
下半身をムズムズさせながら手鏡に太陽の光を反射させて男を誘う彼女は抜群だ。
なんていい女なんだろうと思ってしまう。
絶対に彼女のファンのせいだけではない。
彼女は本当にいい女なのだ。

以前熱帯魚を飼っていて汽水なる言葉をはじめて知った。
淡水と海水が混ざり合う場所で、色んな魚が集まってくる。
もちろん汽水域を最良の住処とする魚も居る。
サエコがながす「水」が汽水域の川に流れ込むとさらに魚たちが集まってくる。
それは彼女に引きつけられる男の象徴で、いい女のもとには自然と男が引き寄せられてしまうのだろう。
リストラ、離婚、生き甲斐などの苦悩の中から生気を取り戻す陽介を見ていると、男は母なる女の子宮を求め、其処に安住の地を見出すのではないかと思ってしまう。

今村昌平、役所広司、清水美砂のトリオ映画としては、カンヌでグランプリをとった「うなぎ」よりもこちらのほうが面白い。
でも最近の日本映画の男優は役所広司しかいないのかと思うほど、これはと言う映画に彼が登場する。
何とかしてくれい、男優陣!

赫い髪の女

2022-01-25 08:52:01 | 映画
「赫い髪の女」 1979年 日本


監督 神代辰巳
出演 宮下順子 亜湖 石橋蓮司
   阿藤海 三谷昇 山口美也子
   絵沢萠子 山谷初男 石堂洋子
   庄司三郎 高橋明 佐藤了一

ストーリー
ある雨の日、光造(石橋蓮司)と会社の後輩の孝男(阿藤海)はドライブインの前でカップラーメンをすすっていた赫い髪の女(宮下順子)をトラックに乗せた。
光造は女を自分の部屋に入れ、女が生理なのもかまわずセックスを始めた。
女は4歳と3歳の男の子がいるが、ヤクザの夫から逃れてきたようだ。
そして、覚せい剤中毒の女友達が海に入って死んだ話をする。
光造の仕事は、会社から工事現場に派遣されて重機を運転することだが、雨の日は土方が休みなので彼も休み。
翌日さっそく雨で早く帰ってきた光造は女とのセックスにふける。
女は必要な品を買って部屋に居つき、光造とセックスを繰り返す。
三ヵ月ほど前、光造は孝男とともに、社長(高橋明)の娘で高校生の和子(亜湖)を廻してしまったが、先にやって彼女の処女を奪った孝男の方を和子は選び、孝男に弁当を作ってもってくるようになっていた。
和子は孝男に妊娠したことを告げ、駆け落ちを迫る。
駆け落ちすれば、市会議員のくせに娘に暴力をふるう父親から逃げることもできる。
雨が降る中、光造は女を姉夫婦(絵沢萠子、山谷初男)の家に連れていく。
呉服の行商をしている姉夫婦は女をどこかの販売会場で見かけたことがあると言うが、女はおびえた様子でそれを否定する。
光造は女に両足を男の肩に乗せる体位のセックスを仕込んだ夫の存在が気になっていた。
光造と女が姉夫婦の家へ行った日に二人がいっしょに歩いているのを見ていた孝男が、そのことについて作業現場で光造をからかい、二人は大げんかになる。
その仲直りの印のように、帰宅した光造は部屋を暗くして女をだまして、女の抗議を無視して孝男に女を抱かせる。
でも、外に出た光造はスナックに入って別の女とセックスをするが、それは虚しい試みだった。
部屋に帰った光造に女は、孝男と和子がその晩駆け落ちする話をする。
女は二人をうらやましいと言い、光造と赫い髪の女は再び体を重ねるのだった。


寸評
日活ロマンポルノ中期の傑作のひとつだ。
1時間少しの映画だが、その間描かれるのはひたすら二人の愛欲の日々だけといっていいぐらいである。
それなのに猥褻感がなくて、どんな事をしても、なにがあっても離れられなくなっていく二人が濃密に描かれている。
もう若くはない二人が、人生の停滞感を性愛によって抜け出そうと、もがいているように見える。
本来映画にはない匂いまで伝わってくるから不思議だ。
終始一貫あふれ出るエロスの中で、性愛の化身とも言うべき女を演じる宮下順子はやっぱりスゴイ!

アウトレイジ 最終章

2022-01-24 07:50:15 | 映画
「アウトレイジ 最終章」 2017年 日本


監督 北野武
出演 ビートたけし 西田敏行 大森南朋
   ピエール瀧 松重豊 大杉漣 塩見三省
   白竜 名高達男 光石研 原田泰造
   池内博之 津田寛治 金田時男
   中村育二 岸部一徳

ストーリー
日本の二大勢力だった関東山王会と関西花菱会の巨大抗争後、韓国に渡った元大友組組長・大友(ビートたけし)は、日韓を牛耳るフィクサー張会長(金田時男)の下で市川(大森南朋)ら手下を従え、済州島の歓楽街を裏で仕切っていたがある日、買った女が気に入らないと日本のヤクザからクレームが入る。
クレームの主は花菱会直参幹部・花田(ピエール瀧)だったが、女を殴ったことで逆に大友から脅されて大金を請求されたが、花田は側近たちに後始末を任せ、ひとり日本に帰国する。
後始末を任された花田の側近が張会長の若い衆を殺害してしまい、激怒した大友は日本に戻ろうとするが、張会長に制止される。
花菱会の新会長の座には、前会長の娘婿で元証券マンの野村(大杉漣)が就いていたのだが、金さえ稼げれば何でもありという野村のやり方に、古参幹部の若頭・西野(西田敏行)は敵意を燃やしていた。
西野を厄介払いしたい野村は、若頭補佐・中田(塩見三省)に若頭の跡目を取らせようと手を回すが、本心は二人を揉めさせ、いずれまとめて捨ててしまう算段だった。
一方、花田が張会長率いる巨大グループを敵に回したことを知った西野は花菱会の会長代理として、花田を連れて張会長に詫びを入れに行ったが、張会長には無視されるような形で追い返された。
野村は自分の地位を守るため、この西野の行動を利用しようとするが、野村の思惑に勘づいた西野も中田を抱き込んで奇策を講じる。
花菱会と張グループの揉め事の裏で、野村と西野の覇権争いが始まり、事態は張会長襲撃にまで発展する。
張会長の身に危険が及んだことを知った大友は、張会長への恩義に報いるため、また殺害された若い衆と、過去の抗争で殺された兄弟分・木村の仇を取るため、日本に戻る決意をする……。


寸評
「アウトレイジ」シリーズは次々と男たちが死んでいくという話と言っていい。
その殺され方をユニークな会話で面白く描いているのも特徴の一つである。
第1作では山王会大友組若頭の水野(椎名桔平)が「ドライブに行こう」と言われて連れ出され、頭巾をかぶせ道端の支柱に繋がれたロープを首に巻き車を発進指せるというやり方で絞殺されている。
第2作では裏切った石原(加瀬亮)が「何でもします」と詫びを入れたところ、大友から「野球をやろう」と言われ、バッティングセンターで縛りつけられてマシーンから出るボールを顔面に受け続け撲殺されている。
今回は野村が「キャンプに行こう」と言われ、夜の道路に首だけ出した状態で埋められひき殺される。
花田などは「口の中で花火をあげてやろうか」と言われ、爆弾を口に押し込まれ爆死させられている。
さらに今回は今まで登場しなかったマシンガンが出てきて乱射による皆殺し状態が描かれている。
北野監督が殺し方を楽しんでいるようでもある。
ストーリーの継続上前作に引き続き、西田敏行の花菱会若頭西野や塩見三省 の花菱会若頭補佐中田が登場しているのだが、実は西田敏行も塩見三省も病み上がりで十分な演技が出来ていない。
二人とも座った演技が多いし、特に塩見三省は痛々しく前作の迫力が失われている。
二人の迫力不足はこの映画を削いでしまっていると思う。
このシリーズの特徴でもあるのだが、これだけの抗争が発生し死者も出ているのにマスコミが全く登場しない。
そして警察側も前作までは片岡が動いているだけだし、今回も繁田(松重豊)が一人で対応しているように見え、組織だった取り締まりをやっているようには見えない。
ヤクザ組織が好き放題をやっているようで、その意味でリアリティに欠けるシリーズでもある。

下部組織の悲哀と内部抗争の醜さも描かれてきたが、今回は大友の張会長への義理立てと復讐の為の殺人に的が絞られているために、描かれている内容は単純である。
ただし木村組の吉岡の立場はこの作品を見ただけではわかりにくい。
山王会との抗争に勝利し、事実上山王会を傘下に納めた花菱会は山王会配下だった木村組の組長・木村がヒットマンの凶弾に倒れてから、木村組の組長に吉岡を送り込み木村組の縄張りと組織を維持していたということで、関東を仕切っていた山王会の会長白山や若頭五味も若い吉岡に頭が上がらないという事だろう。
気持ちが通じ合った木村を殺された大友が、木村組を引き継ぎ傍若無人な行動を取る吉岡を殺すというのは納得できるし、大友の復讐の一部でもあったのだが、やはり少々分かりづらい構図だったように思う。
大友が鉄鋼業者を殺したは、木村を殺したのがマル暴の片岡にそそのかされたその鉄鋼業屋だったからなのだが、それもこの作品からだけではわからない。
その意味ではシリーズをずっと見てきている人を対象とした作品と言える。
日本ヤクザである花菱会の野村新会長や、西田がひどい人間として描かれているのに対し、韓国ヤクザともいえる張会長がいい人間に描かれているように見える。
済州島で売春組織も仕切っているような人物だが、死亡した若い組員への手厚い対応などを見ていると、悪いヤクザは野村や西田で良いヤクザは張だと言っているようでもある。
まさか日本社会の堕落を訴えるために韓国ヤクザを登場させたわけではないだろうな。
日本に対する韓国政府の態度は良かったためしはないからなあ・・・。

アウトレイジ

2022-01-23 08:04:37 | 映画
「アウトレイジ シリーズ」では「アウトレイジ ビヨンド」が一番だと思っています。
2020年8月30日に照会しています。
興味のある方はバックナンバーからご覧ください。
今回は第一作の紹介です。

「アウトレイジ」 2010年 日本


監督 北野武
出演 ビートたけし 椎名桔平 加瀬亮
   小日向文世 北村総一朗 塚本高史
   板谷由夏 中野英雄 杉本哲太
   石橋蓮司 國村隼 三浦友和

ストーリー
関東一円を支配する巨大暴力団・山王会の関内会長(北村総一朗)は、傘下の池元組が麻薬を扱う村瀬組と兄弟杯を交わして親密になっていることを快く思っていなかった。
そこで関内の右腕・加藤(三浦友和)はこの2つの組を仲違いさせようと企て、池元(國村隼)に対して「村瀬を締めろ(軽い制裁を与えろ)」と無理な命令をする。
兄弟分の村瀬(石橋蓮司)に手を出せない池元は、配下の大友組に村瀬組を締めることを命令する。
池元の二枚舌、山王会の思惑に翻弄されながらも、大友組は村瀬組を締めることに成功し、村瀬組は解散する。
池元の行動に不愉快を覚えつつ、大友(ビートたけし)は村瀬のシマを事実上継承し、大使館の闇カジノで成功を収める。
一方、村瀬が隠れて麻薬を売っていることが発覚し、池元にそそのかされた大友は村瀬を殺害する。
ところが、このことを口実に池元は大友に破門を言い渡し、大友は怒りを露わにする。
大友は復帰のため、関内の元を訪れ許しを請うが、逆に関内は池元の殺害をそそのかす。
そこで大友は悪びれず闇カジノを訪れていた池元を殺害する。
闇カジノを狙っていた関内は、今度は池元組若頭の小沢(杉本哲太)に、組を継ぎたければ親の仇を討てと煽り、大友組と池元組の抗争を仕掛ける。
本家の手助けも得た小沢は、次々と大友組の組員を殺害し、彼らを追い詰めていく・・・。


寸評
バイオレンス映画ではあるが、北野監督だからと期待する目新しい演出は見当たらない。
指を詰める、顔を切るなどの残酷描写はあるが通り一辺倒の描き方だ。
拳銃もバンバン発射されるが、さして緊張感のあるものでもない。
目新しさと言えるのは、総じて善人を演じることが多い三浦友和とか小日向文世とかが悪役を演じていることで、それが作品のコンセプトの一つでもある。
暴力シーンを次から次へと描いているが、全体的に緊張感が漂わないのはどこか滑稽なところがあるからだ。
もしかすると、これはバイオレンス映画というよりは、コメディー色の強いエンターティメント映画なのかもしれない。
筆頭は石橋蓮司演じる組長の村瀬で、登場するシーンでは笑いどころがタップリなのだ。
弱小組織の組長なのだが、池本組の國村隼と兄弟分の盃をかわしていて「兄弟…」と常に泣きついている。
子分には強くあたっているが、事が起きると頼りなくなっていく様が愉快だった。
石橋蓮司と國村隼の掛け合いはまるで漫才のボケとツッコミのようなやり取りで笑わせる。

冒頭は巨大暴力団・山王会の会合シーンで、外で待っている大友などは組の親分とは言え下っ端であることが分かる。
真ん中で食事をする國村隼の池本が会長かと思わせるが、彼も山王会の一組織の親分に過ぎないことが示され、本部の三浦友和演じる加藤に叱責される。
その加藤を支配しているのが会長の関内で、演じている北村総一朗が二枚舌のずる賢い部分を見せる。
過激組織としてでしか生きられない大友組には椎名桔平や加瀬亮の組員がいるが、腕力担当の椎名桔平とインテリヤクザと思われる加瀬亮の役割分担も出来ていて、終盤にその違いが生きてくるのはいい。

暴力バーの一件から、力対力の対決が描かれていくのだが、その力による支配は敵対組織だけではなく、自分たちの組織内でも発生していくというのが大きな構図だ。
ヤクザ同士の言い争いは熾烈を極め、当事者同士の罵り合いは間髪を入れずの凄まじいもので圧倒される。
登場人物が次から次へと死んで行くが、その殺され方にもうひと工夫欲しかったと思うのが正直な気持ち。

官権に対する皮肉は、治外法権の大使館の登場や、椎名桔平が警護の警官の足元にタバコを投げ捨てるなど、所々に見受けられるが、なんと言ってもピカイチは小日向文世の片岡刑事だ。
片岡は大友の学生時代のボクシング部の後輩で、未だに影では「先輩、先輩」と頭が上がらない関係なのがユニークである。
取調室ではマル暴の刑事らしく凄んでみせるが、仲間がいなくなると「先輩、スミマセン」と態度を変える。
暴力団ともつるんでいて、山王会の加藤からは情報料として小遣い銭をもらっているいい加減な刑事だ。
彼の発する一言一言もなんだか可笑しく、彼の存在がこの作品を支えている。
最高経営者、中間管理職、最下層の下っ端労働者など、誰もが共感できる人間模様を、ヤクザ社会という極端にデフォルメされた舞台で描いた作品でもあった。
新鮮さの乏しい映画ではあったが、椎名桔平の殺され方は面白いと思った。
残酷でなくても、あれくらいのハッとするシーンが、北野監督作品だけにもっと欲しかった。

愛を読むひと

2022-01-22 10:44:21 | 映画
「愛を読むひと」 2008年 アメリカ / ドイツ


監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 ケイト・ウィンスレット
   レイフ・ファインズ
   デヴィッド・クロス
   レナ・オリン
   アレクサンドラ・マリア・ララ
   ブルーノ・ガンツ

ストーリー
1958年、ドイツ。15歳のマイケル・バーグは、学校からの帰宅途中に具合が悪くなったところを助けてくれた21歳年上のハンナ・シュミッツに恋をする。
ハンナに命じられて石炭を運んだマイケルは煤だらけになり、言われるままに風呂に入る。
バスタブから出る彼を、大きなタオルで抱きしめたのは裸のハンナだった。
次の日もその次の日もハンナの部屋へと走るマイケルとハンナは激しく求め合う。
やがてハンナは、本を読んで聞かせてとマイケルに頼み、彼は「オデュッセイア」から「チャタレイ夫人の恋人」まで一心に読み続けた。
そんなある日、マイケルが彼女の部屋を訪ねると、中は空っぽで、ハンナの姿も消えていた……。
1966年。マイケルは大学の法科に通い、ロール教授の特別ゼミを受講していた。
実際の裁判を傍聴する授業で、マイケルはハンナと再会する。
彼女はかつてナチ親衛隊の看守として収容所に勤務、戦争中の犯罪を問われ裁かれている女性たちの一人だったが、ハンナはある秘密を隠し通そうとしており、そのために不利な証言を認め、無期懲役の判決を言い渡される。
1976年。弁護士になったマイケルは、結婚と離婚を経験し、幼い娘とも別れ、再び一人で生きていた。
彼は、ハンナへの想いという答えの出ない問題を抱え続けていたが、彼女の傷跡に向き合うために、そして彼女の無数の傷を癒すためにある決意をする・・・。


寸評
第二次世界大戦は1939年9月のドイツによるポーランド侵攻で始まり、1945年8月15日、日本の無条件降伏で幕を閉じるが、ドイツの降伏は1945年5月のことだ。
その結果もたらされたのがドイツ分割だったが、その象徴だったベルリンの壁は1989年11月10日に崩壊する。
この映画は1995年のベルリンから始まるから、東西ドイツの統一後の時代だ。
成人しているマイケルが過去の出来事を回想することで物語は始まる。
全体は2部構成になっていて、最初は1958年、西ドイツのノイシュタットという街での出来事が描かれる。
15歳のマイケルは21歳年上のハンナ・シュミッツと出会い恋に落ちるが、15歳の少年と36歳の女の恋といえば描かれることは一つで、マイケルはハンナの肉体に溺れていく。
その様子はありふれたものといえば、ありふれたもので公式的なものだ。
マイケルはアイロンを当てるブラジャーを興味を持って眺め、ハンナの着替えに大人の女性を感じる。
やがて彼女の虜になっていき、入浴後に彼女から誘われてその肉体を求めるようになる。
15歳の男が快楽を知ればこうなるのだと言わんばかりに、裸、裸のオンパレードで、なんだか少し低俗に感じた。
ケイト・ウィンスレットは、最初から問題ありの顔をしているので、サスペンスとしてはイマイチだが、生きているのがつらいという、やつれた表情の作り方はさすがに上手いし、崩れかけた肉体をさらして女の性を見せた女優根性は見上げたものだ。
そしてハンナはマイケルから本を朗読してもらうのが喜びで、事が終わってから朗読してもらっていたのを逆にして、むしろ朗読こそが目的のようになるのだが、この成り行きをもっと深く描いていたら良かったのにと感じた。
マイケルとハンナの情事に割く時間の半分をこちらに回すべきだったのではないか。
4週間ばかりの間に彼らは燃え上がり自転車行に出かけるが、この旅行で第2部への伏線が張られる。

第2部と言えるのが、予想もしなかったハンナの裁判劇だ。
僕は前半の出来事よりも、ここからの裁判劇とそれに伴うエピソードの方が断然面白かった。
時は過ぎて1966年となっており、マイケルはハイデルベルグ大学の法科で学んでいる。
マイケルは裁判を通じて、戦時中の彼女の生活を知り、そして彼女の秘密も知る事になる。
しかしこの秘密の暴かれ方は劇的でないし、そのことに対する苦悩も深くは描かれていない。
彼女の恥ずかしさの度合いと、そう感じる理由が不明確だ。
ハンナに無期懲役の判決が下りると、マイケルはある行為を行うが、ドラマチックなこの行為も平板だった。
どうも盛り上がりに欠けるのはこのあたりの演出にあるのではないかと思う。
1976年に幼い娘を連れて母親に離婚の報告をするマイケルだが、彼は父親の葬儀に出席していなかった事が母によって語られ、彼もこの街での傷を背負っていたことが匂わされる。
1995年1月、マイケルは娘を伴ってハンナの墓に行き、過去の出来事を娘に語りだすところで映画は終わるが、1995年は映画が始まった時に示された年なので、映画の常套手段だがファーストシーンはラストシーンにつながっていたのだとわかる。
しかしファーストシーンの愛人らしき女性の登場はどんな意味があったのか僕はよくわからない。
そしてナチスに対する憎しみがどの程度のものであるのかも、日本人の僕は想像できない。


愛を乞うひと

2022-01-21 07:57:02 | 映画
「愛を乞うひと」 1998年 日本


監督 平山秀幸
出演 原田美枝子 野波麻帆 小日向文世
   熊谷真実 國村隼 西田尚美
   うじきつよし 中村有志 モロ師岡
   中井貴一 小井愛 

ストーリー
早くに夫を亡くし、娘の深草(野波麻帆)とふたり暮らしの山岡照恵(原田美枝子)は、昭和29年に結核でこの世を去ったアッパー(父)・陳文雄(中井貴一)の遺骨を探していた。
そんなある日、彼女の異父弟・武則(うじきつよし)が詐欺で捕まったという知らせが届く。
30年ぶりの弟との再会に、照恵の脳裡に蘇ってきたのは、幸せだとは言い難い幼い頃の母親との関係だった─。
文雄の死後、施設に預けられていた照恵を迎えに来たのは、かつて父によって引き離された筈の母・豊子(原田美枝子/2役)だった。
ホステスをしている豊子にバラックの家に連れていかれた照恵は、そこで新しい父・中島武人(モロ師岡)と弟・武則と引き合わされる。
やがて中島と別れた豊子は、ふたりの子供を連れて“引揚者定着所” に住む和知三郎(國村隼)の部屋へ転がり込むが、和知は傷痍軍人をいつわり街角で施しを受けている男で、子供たちには優しかった。
しかし、この頃から豊子の照恵に対する折檻が、日増しにひどくなってゆく。
だが、ただひとつ髪を梳く時だけは豊子は照恵を褒めてくれ、その時だけは照恵は母の愛を感じられた。
中学を卒業した照恵は、建設会社に就職し、独り暮らしを考えるようになる。
しかし給料は全て豊子に取り上げられる始末で、思いつめた照恵は遂に家を飛び出すのだった──。
文雄の遺骨の手がかりを辿るうち、照恵は深草と父の故郷である台湾を訪ねる。
照恵は、かつて父と親交の厚かった車谷夫妻を、台湾の奥地に訪ね、車谷夫妻から文雄と豊子の出会いや自分の誕生の話を聞かされる。


寸評
兎に角、豊子は照恵を虐待する。
小遣いをねだったといっては叩きのめし、事あるごとに殴り飛ばす。照恵はゲロをはき、顔はアザだらけとなる。
それでも幼少の照恵は逃げ出すことが出来ない。豊子の髪をすいてあげた時に「上手だね」とたった一度誉めてもらったことが、鬼畜のような母を憎みきれなかった要因なのだろう。
虐待を受けながらも照恵はひたすらに母の愛を求め続けていたのだ。
あまりの虐待に照恵は「何故私を施設から引き取ったのか、可愛かったからではないのか」と叫ぶ。
僕の勝手な解釈だが、引き取った理由は去っていった男に対する執着が歪んだ形で表れたものだと思う。
ファーストシーンの雨の中で、照恵を連れて去っていく陳文雄に置き去りにされた豊子が叫ぶ姿があった。
そして終盤で車谷夫人から、豊子が子供が生まれることで陳の愛情を一身に受けられなくなるのではないかとの疑念を持っていたらしいことが語られる。
それらをつなぎ合わせると、豊子は本当に陳を愛していて独り占めしたかったのかもしれないと思うのだ。

ではなぜ豊子は照恵を虐待し続けたのか?
豊子は強姦されてできた子だから産みたくなかったと言い放つが、どうやらそれも事実ではなさそうだ。
そのための虐待とは思えないフシがある。
あるいは豊子も虐待された経験があったのかもしれないが定かではない。
男なしでは生きられない豊子は次々と男を代えるが、どの男も生活力には欠け最低の生活をし続けている。
そんないら立ちが弱い者いじめに向かわせたのだろうか?
それにしては就職が決まった和知に「あんた勘違いしてんじゃないの」と言い放っていたしなあ・・・。
昨今の虐待事件なんて訳の分からない虐待行為が多いから、豊子もそんな気分だったのかもしれない。
現実世界ではそうでも、映画の世界ではそれだと単純すぎるけどなあ~。
しかし、陳への愛の後遺症があったとしても、なぜあれほど虐待したのかなあ・・・?

照恵が父の遺骨探しに奔走するのは、母が捨てたものを全部拾っていくことを決意したからだと言う。
しかし娘の深草からは豊子への見返しなのだと看過されてしまう。
つらい時や困った時にはそれを誤魔化すように笑みを浮かべてしまう照恵は、なかなか正直に自分の気持ちを表現できない。
小さい頃から抑圧されてきたために本当の自分を見失っている照恵にとって、遺骨探しは自分探しの旅でもあったのだ。最後に拾ったのは自分自身ともいえる。
老いた母との美容院での再会シーンは額に受けた傷が伏線となって緊張感が漂う。結局老母から娘に向けた言葉はなく、親子としての会話は交わされなかった。「やっとサヨナラが言えた」と愛を求め続けた自身の執着にピリオドを打てたのは娘の存在があったからで、幼少に経験した親子関係とは真逆の愛の存在が際立った。

二つの時代を戸惑わせることなく行き来する語り口は絶品。
原田美枝子の二役は、照恵を演じているときには豊子を感じず、豊子を演じているときには照恵を感じさせない。
無理なく正反対の両方になれてしまうんだから女優ってスゴイ!

アイランド

2022-01-20 07:55:48 | 映画
「アイランド」 2005年 アメリカ


監督 マイケル・ベイ
出演 ユアン・マクレガー
   スカーレット・ヨハンソン
   ジャイモン・フンスー
   スティーヴ・ブシェミ
   ショーン・ビーン
   マイケル・クラーク・ダンカン

ストーリー
21世紀の前半、近未来。
海に浮かぶ緑豊かな島、憧れの地“アイランド”を目の前に、海へ引きずりこまれてしまういつもの悪夢…。
しかし、夢から覚めたリンカーンを待っていたのは、普段と変わらない1日だった。
壁のスクリーンに映し出される健康アドバイス、管理の行き届いた食事、そして、女性用の住居棟で暮らすジョーダンとの、心はずむ会話。
数百名の住人と共に彼らが住むその閉鎖的な施設は、厳重な管理下に置かれ、住人たちの日常は常に安全を考えて監視されている。
大気汚染から救い出され、このコミュニティで暮らし始めてもう3年。
ここで暮らす人々の夢は、地上最後の楽園“アイランド”へ行くことだった。
その島は放射能汚染を逃れた地上唯一の楽園で、人類は地球規模の環境破壊によって、彼ら施設の住人を除いてすでに死に絶えてしまっているらしい。
日々行われる抽選会が、彼らの最大の関心ごとだった。
しかし、リンカーンはある日、換気口から入ってきた一匹の蛾を発見して、ある疑問を抱く。
そして施設内を探索するうちに、恐るべき真実を目撃する。
彼らは、保険契約を結んだクライアントに臓器を提供するためだけに生産された“クローン”であり、「アイランド行き」とは、すなわち臓器摘出の死刑宣告だったのだ。
そして次の当選者に決まったのは、なんとジョーダンだった!
リンカーンとジョーダンは、生きるための脱出を試みる。
初めての外の世界へ逃れ出たふたりを施設から派遣された追っ手が執拗に追跡する。


寸評
クローン人間を描いた作品として着想は面白いのだが説明のテンポが遅いような気がする。
特に導入部の描き方にスピード感がない。
人々が作られた世界に騙されて閉じ込められているのは他の作品でも見られるものなのだが、作られた世界の本物らしさが上手く描かれているとは言い難いし、一匹の蛾によって疑問がもたらされる場面での盛り上がりにも欠けているように思う。
話に深みはなく、逃げるリンカーンとジョーダンを追跡する追手側との攻防ばかりが目に付く。
間に挟まれるエピソードが面白いものだけに、それを生かす脚本の工夫があっても良かったように感じる。

エピソードで面白いのは男女の接触や感情をコントロールされていたクローンが感情を感じ始めるというものだ。
ロスアンゼルスにやってきたジョーダンはショーウィンドーで男女が愛を交わすコマーシャルビデオを目にする。
演じていたっ女性はジョーダンと瓜二つの女性だと分かるのだが、同時に初めて男女の関係を感じ始めるということも含まれているシーンで、なかなかいい。
二人が初めてキスを交わして感激する場面も微笑ましい。
しかしその前にリンカーンがジョーダンに好意を感じ始めているような描き方がされていたので、リンカーンに恋愛感情が生まれ始め、それが増長していく過程が描かれていたら、このシーンはもっとロマンチックなものになっていただろうと思う。

閉鎖空間で洗脳されてきた彼らは外のことがよく分からない。
ウィスキーを注文して「高いやつか?」とバーテンに値段のことを聞かれ、ジョーダンが上を見上げるシーンなども面白いと思ったので、彼らが実社会に出た時の戸惑いはもっと描かれても良かったような気がする。
クローンに元の人物の記憶が受け継がれていたと言うのも面白いと思ったが、それがどうも劇的に描き切れていないのが残念だ。
追跡バトルに目が行っていて、リンカーンが外の人間であったマックと親しくなった理由などは描かれておらず、細かなところの説明が全体的に省略されている。
リンカーンたちを追うブラックホーク警備と警察の攻防も加わるが、両者の対決は盛り上がりに欠けている。
一方で、リンカーンがオリジナルのリンカーンと対峙する場面は予想されたものではあるが面白く描けているので、もう少し丁寧に撮っていればと惜しまれる。
ブラックホーク警備のローランはジョーダンと一時会話を交わしたことで、クローンにも心があることを知り、ジョーダンに加勢するようになるのだが、ローランの心変わりには唐突感がある。
ローランが戦争で手のひらに刻印されていたことと、クローンたちが手首に刻印されていることも関係していると思われるのだが、それでも急な態度変更である。

秦の始皇帝が不老不死を求め、徐福に仙人を連れてくるように命じたことでも分かるように、権力を持った人間、富を得た人間にとっては、不老不死は共通の欲望なのかもしれない。
永遠の生命を得るための保険としてクローン人間を契約しているという着想はSFとして面白く出来ている。
魅力的な題材だけに脚本の稚拙さが惜しまれる。

愛と誠

2022-01-19 08:50:46 | 映画
「愛と誠」 2012年 日本


監督 三池崇史
出演 妻夫木聡 武井咲 斎藤工
   大野いと 安藤サクラ 前田健
   加藤清史郎 一青窈 余貴美子
   伊原剛志 市村正親

ストーリー
1972年の新宿。ブルジョア家庭の令嬢・早乙女愛(武井咲)は、幼い頃に雪山で助けられた“白馬の騎士”太賀誠(妻夫木聡)と運命の再会を果たす。
富豪のひとり娘で天使のように純真無垢なお嬢様・早乙女愛は、復讐を誓い単身上京した、額に一文字の傷がある不良の誠の鋭い眼差しを一目見たときから恋に落ちる。
すっかり札付きの不良になっていた誠は上京早々、不良グループと乱闘を繰り広げ、少年院送りに。
そこで愛は、彼を更正させようと両親に頼んで自分が通う名門青葉台学園に編入させる。
そんな愛の献身的な努力も誠にとっては単なるお節介でしかなく、すぐに問題を起こして退学となり、不良のたまり場、花園実業へと転入する。
すると今度は、誠を追って愛も転校してしまう。
さらに愛への一方的な想いを貫くメガネ優等生・岩清水弘(斎藤工)、誠に一目惚れのスケバン、ガムコ(安藤サクラ)、誠と心を通わせていくミステリアスな女子高生・高原由紀(大野いと)らも加わり、愛と誠の運命はますます混沌としていくのだが・・・。


寸評
原作は梶原一騎のあまりにも時代錯誤的で大層な純愛物語。
当時でさえそうだったのだから、今ならますます違和感のある作品になるところを、原作のイメージと違った超純愛青春コメディにして、しかもかつて主演した西城秀樹の歌など、昭和のヒット歌謡曲を歌い踊るミュージカル仕立てにしたことによって、ちょっとしたエンタティンメント作品に仕上がっている。
1話完結にするために、原作にあるエピソードをいくつか割愛して話のつじつまを合わせているので、物語の深みは原作ほどにはない。
とは言え、まじめなのかギャグなのかわからない展開でとにかく笑わせてくれる。

オリジナル曲は一青窈による「曙」、「愛のために」、「愛と誠のファンタジア」の3曲のみで、あとは「激しい恋」、「空に太陽があるかぎり」、「あの素晴らしい愛をもう一度」、「夢は夜ひらく」、 「酒と泪と男と女」、「オオカミ少年ケンのテーマ」、「また逢う日まで」と昭和のヒット歌謡曲が濃いキャラによってお遊戯のようなダンスと共に歌われる。
素人っぽい歌唱で決して上手いとは言い難いが(もちろん僕よりは断然上手いけど)、かえってそれが味わいのあるナンバーへと変身していた。
もっとも、見終わって僕の耳に残ったのは武井咲の歌う「あの素晴らしい愛をもう一度」だけだったのだけれど…。

出演者はとても高校生とは思えないのだが、一番そうは見えない伊原剛志の座王権太に"老人病や"と言わせたりして、その不自然さをギャグにしている。
武井咲の早乙女愛も勘違い女と笑い飛ばしていて梶原一騎さんが生きていたら怒りそうなキャラで微笑ましい。
彼女はもっと、もっと勘違い女として描いても良かったのかも(でもカワイかった)。
それを含めてもう一段ハチャメチャにする工夫があれば良かったと思うし、パパイヤ鈴木の振り付けはむしろ本格的な方が面白かったのではないかとは僕個人の感想。
ダンスシーンは例えば、加藤泰の「真田風雲録」のダンスシーンなんかの方が面白かった(ちょっと古いか・・・)。

終盤になると僕の興味は、ナイフで刺された誠が愛のもとに行き、夕暮れの逗子海岸でふたりは初めて唇を合わせ、愛は腹部から大量の血を流す誠に気付かず "これから始まるのだわ。二人の未来が・・・" という原作のラストシーンをどう処理するのかに移った。
う~ん、なるほど。
刺された相手も違うけど、これはこれで有りかと・・・(話、省いてるもんね)。

とんでもない映画だとは思うが、青春時代を当時に送った僕には結構楽しい映画だった。
クレジットの楽曲紹介では「夢は夜ひらく」となっていたが、あの歌詞内容は「圭子の夢は夜ひらく」だと思う。
ちなみに歌われる曲と歌い手は以下のとおりである。
「激しい恋」(妻夫木聡)、「空に太陽があるかぎり」(斎藤工)、「あの素晴らしい愛をもう一度」(武井咲)、「夢は夜ひらく」(大野いと)、「酒と泪と男と女」(余貴美子)、「オオカミ少年ケンのテーマ」(伊原剛志)、「また逢う日まで」(安藤サクラ)、「曙」(一青窈)、「愛のために」(市村正親)、「愛と誠のファンタジア」(一青窈、妻夫木聡、武井咲、斎藤工)  

愛と哀しみの果て

2022-01-18 08:22:46 | 映画
「愛と哀しみの果て」 1985年 アメリカ


監督 シドニー・ポラック
出演 メリル・ストリープ
   ロバート・レッドフォード
   クマリア・ブランダウアー
   マイケル・キッチン
   マリック・ボーウェンズ
   ジョセフ・シアカ

ストーリー
デンマークに住むカレンは、莫大な財産を持つ独身女性だったが、いつかこのデンマークを離れたいと秘かに思っていたが、そのきっかけともなる出来事が起こった。
スウェーデン貴族のプロア・ブリクセン男爵と結婚することになり、東アフリカのケニアヘと旅発った。
彼女の所有するンゴングの農園に新居を構えることにしたのだ。
ナイロビに向かう列車で、カレンは象牙を列車に積み込んでいた冒険家のデニス・ハットンを見かけた。
彼は友人であるバークレー・コールに象牙を渡してくれるようにカレンに言い残すと、サファリの荒野へと去った。
ナイロビでは、召使いのファラー・アデンが出迎え、カレンをブロアのいる英国人クラブ・ムサイガに案内した。
再びクラブに行ったカレンは、そこでコールと出会う。
たくさんの蔵書に囲まれたその部屋はデニスのものであることを、彼女はコールから聞いた。
紳士然としたコールや、彼から伝え聞いたデニスに、カレンは興味を持つのだった。
カレンは当初計画していた酷農はやめ、コーヒー栽培をすることにブロアが勝手に決めていたことに驚く。
カレンは、収穫が4年先になると聞きながらも、精力的にコーヒー栽培に挑んだ。
ブロアとカレンの平穏な生活は、長くは続かなかった。
第一次大戦の余波がアフリカにも及び、農園から320キロ南の独領との境界線に英国人を中心をする偵察隊が組まれ、その一員としてブロアが加わってしまったのだ。
カレンは梅毒にかかり、デンマークに帰国して手術したが子供の産めない身体になってしまった。
再びアフリカの大地に戻ったカレンは、教育に目ざめ、子供たちのために学校を開放する。
やがて戦争も終わり、いつしか愛を語り合うようになったカレンとデニス。
ある日、コールが、黒死病におかされ死期が迫っていることをデニスに告白した。


寸評
カレン(メリル・ストリープ)という女性の一代記で、彼女の半生は波乱万丈なのだがその内容があまりに多く、そのどれもが淡々と描かれているので盛り上がりに欠けるきらいがある。
静かな語り口はアフリカという大地と、自然を背景としているために意図されたものかもしれない。
資産家のカレンはデンマークで兄が恋人で弟が友人という関係でいたが、デンマークを離れられるというだけで弟のブロア(クラウス・マリア・ブランダウアー)と結婚しケニアに渡る。
これだけでもドラマティックな内容だと思うのだが、その関係をどのように決着をつけたのかは描かれず、結果がカレンのナレーションで語られるだけだ。

この時代ケニアはイギリスが統治していたが、カレンはそこに広大な土地を持っている。
カレンはそこに移り住むのだが、なぜ結婚相手のブロアが先乗りして土地を管理していたのかの経緯もよくわからないし、その間のブロアの生活も想像の域である。
そして無断でコーヒー栽培をすることにしていたので夫婦間の関係がおかしくなると思っていたら、案外と仲良く暮らしている。
カレンは子供を欲しがっていたから、この地で平凡な生活を望んでいたのだろう。
ブロアはカレンとの生活に不満があったのか、他の女性と関係しカレンに梅毒をうつしてしまう。
ブロアのカレンに対する気持ちの変化は全くと言っていいほど描かれない。
事実だけを伝えられるような描き方である。
カレンが梅毒に感染していたことも、医者からブロアも検査を受けた方がいいと言われ、ブロアが「すまない」とあやまるだけのものである。
またブロアの度重なる浮気も、カレンが「車の中に女性の下着が落ちていた」というだけで、どうもカレンとブロアの描き方は淡白だ。

この両名の関係を淡白に描いたのはデニス(ロバート・レッドフォード)の存在を際立たせるためだったのだろうが、二人の関係も激情型ではない。
アフリカの広々とした草原と、サファリの様子が静かに二人を包む。
サファリの緊迫感はライオンに襲われるシーンぐらいで、夕食の雰囲気が度々描かれてムードを醸し出す。
デニスはそれを職業にしているが、とても優雅な貴族趣味に思えてくるものである。
野営地でテーブルクロスをかけたテーブルでワインを飲み、たき火に照らされながら語らっている様子などはブルジョア的で、ある種のあこがれを抱かせる。

カレンは梅毒が原因で子供が産めなくなってしまい、そのこともあって学校を開くのだが、ケニアの子供たちに教育を施す情熱は背景的に描かれるだけだ。
彼女はキクユ族の人々にも慕われていたようだが、その関係も足を怪我した子供で象徴的に描かれているだけで、全体的に間延びする描き方である。
デニスとの結末もあっけなかったなあ。
アフリカの大地の映像と、ジョン・バリーのテーマ曲は良かった。

愛人/ラマン

2022-01-17 08:41:51 | 映画
「愛人/ラマン」 1992年 フランス / イギリス


監督 ジャン=ジャック・アノー
出演 ジェーン・マーチ
   レオン・カーフェイ
   メルヴィル・プポー
   リサ・フォークナー
   アルノー・ジョヴァニネッティ

ストーリー
1929年、フランスの植民地インドシナ(現在のヴェトナム)。
メコン川をゆったりと渡る船の上で、田舎町サデックの自宅から寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中の少女に、黒いリムジンから降りてきた中国人の男性が声をかけた。
男は32歳で、この植民地で民間不動産の全てを掌握している華僑資本家の息子だという。
少女は何となく興味をひかれ、男の車に乗り込んだ。
その日から男は毎日リムジンで少女の学校の送り迎えのために現れた。
ある日、少女は誘われるままに、中華街ショロン地区の騒がしい通りにある薄暗い部屋に連れていかれる。
秘密めいたその部屋で、少女は誘うように男を求め、男は少女を抱いた。
こうして始まった2人の愛人関係は、誰にも知られることなく続いていく。
少女の父親は植民地で死に、母親が貯金をはたいて買った土地は詐欺にあい耕作不能地であった。
生きていくために母親は小学校を経営しているが、上の兄は阿片で働く意欲を失い、下の兄をいじめ抜いていて、異国の地での貧しい暮らしに家族の心はすっかり荒んでいた。
母親は娘の変化に気づきながらも、娘を通して金品を援助してくれる男を黙認するしかなかった。
激しい欲望に引きずられるように重ねてきた2人の逢瀬だったが、ピリオドを打つ時がやってきた。
男は父親の命令通り中国の富豪の娘と結婚式をあげ、少女は家族とともにフランスに帰国することになった。
「金のために抱かれたと言ってくれ」と男は言う。
「お金のために貴方に抱かれたわ」と少女は答えた。
フランスへの旅立ちの日、船の上から男のあの黒いリムジンが見えたとき、「男を愛していたのかもしれない」とふと思った少女は、初めて涙を流した。


寸評
非常に官能的な映画で目がそちらばかりに行ってしまう。
男は家の財産を守るため、家と親が決めた顔も知らない女性と結婚する。
それが中国の習慣だからだ。
愛する少女との結婚を訴えても許してもらえない。
儒教思想の中国では親に逆らえないし、ましてや男は父親の財産で働きもせず生きているのだ。
男は不徳の愛で結ばれていた少女と別れるが一生愛し続ける。
結ばれなくても秘密裏に一生愛し続ける人が居てもおかしくはないし、そのような悲恋もあるだろう。
少女は17歳の高校生で男は32歳。
歳の差15歳は今なら不思議ではないが、なにせ相手は寄宿舎に住みながら高校に通う少女である。
禁断の愛ともいえる関係を描いているのだが、前半においては官能的な場面が多すぎる。
最後に遊びではない本心からの愛を語られても、前半との温度差を感じてしまってピンとこない。
白人が二人しかいない寄宿舎の一方の友人は、学校を出て看護師になるよりも娼婦になりたいなどと言い、少女も知らない男性に抱かれることへのあこがれを語る。
思春期の少女における性への目覚めでもあり、そのこと自体は描かれるテーマとしては成り立つものである。

男は中国の金持ちはこのような家で愛人と密会するのだと言う。
調度品は父親が用意したものだから、父親も愛人の存在は認めているのだろう。
少女は寄宿舎を抜け出しては、その家で逢瀬を重ねる。
金銭的援助を受けるようになった母親は夜間の外出を認めるように学校側と交渉する。
少女は自身に対する売春のうわさの為に孤立するようになっても気にする風でもない。
少女の家は父が死に、母親が詐欺にあったことも有り貧しい家庭である。
長男は家庭内暴力をふるっているが、母親は何もできないし何も言わない。
子供たちに対する愛情を持ちながらも、どうすることも出来ず時間だけを費やしている。
少女は同世代の少女が経験し得ない男との愛人関係を含め、とんでもない環境下にいるのだ。
男に体を捧げ、家庭に安住を得れない少女をジェーン・マーチが見事に演じている。
この映画におけるジェーン・マーチは素晴らしいの一言に尽きる。

セピア調の画面、ベトナムの農村地帯の風景、メコン川を俯瞰したベトナムの遠景、チャイナタウンの雑多な雰囲気など、映像は時に絵画的であり素晴らしいと思う。
男は少女を諦めるために「金の為に付き合っていた」と少女に言わせる。
男は結婚式を見つめる少女と視線を合わせる。
結婚式後に会う約束をした密会場所の家は引き払われて男は現れないが、少女の帰国を陰ながら見送る。
そして希望通り小説家となった晩年の少女に一生愛し続けることを告げる。
ラストにつながる一連のエピソードに僕は酔いしれたのだが、だからこそ前半におけるくどいような官能シーンは一体何のために必要だったのかと思えてくるのだ。
それにしても、少女の面影を残しながら大人の振る舞いをするジェーン・マーチの何と素敵なことか!