おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく

2024-04-30 07:12:06 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」 1978年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 木の実ナナ 下絛正巳 三崎千恵子
   前田吟 太宰久雄 笠智衆 佐藤蛾次郎 竜雷太 犬塚弘

ストーリー
初夏の景色でいっぱいの柴又に、例によってブラッと寅が戻ってきた。
風邪で寝込んでいたおいちゃん、その寅に「俺も年だ、店を継いでもらえたら……」と一言。
「俺だってそれは考えている」と寅も無理して言うが、それからいつものように調子に乗ってバカを続けてしまう。
みんなに馬鹿にされて、寅はまた柴又を後にする。
九州は肥後の温泉にやってきた寅は、そこで後藤留吉という若者と知り合った。
幼ななじみの芋娘に振られてガックリしていたところを寅に励まされた留吉は寅を気に入ってしまった。
寅もつい長逗留してしまい、宿代もたまってしまい、さくらにSOSの手紙を書くのである。
久しぶりに柴又に戻ってきた寅をみんなは大歓迎した。
その時、紅奈々子がさくらを訪ねてきた。
彼女はさくらの学生時代の同級生で、二人ともSKDに入るのが夢だった。
今、SKDの花形スターになった奈々子を知った寅は理由をつけては浅草国際劇場に通いはじめた。
梅雨に入る頃、留吉が上京してきた。
国際劇場に案内された留吉は、踊り子の富士しのぶに一目惚れしてしまう。
留吉は浅草に残り、トンカツ屋に就職して、国際劇場専門の出前持になってしまった。
梅雨が明ける頃、奈々子はまたさくらを訪ねてきた。
彼女は照明係の男に恋をしており、結婚するか、舞台ひと筋に生きるかを、さくらに相談に来たのである。
愛をえらんだ奈々子の最後の舞台「夏の踊り」の初日、満員の国際劇場の二階の最後列で、むなしく失恋した寅は彼女の晴れ姿を見た。
奈々子の大きな眼にあふれる涙が輝いていた。
しのぶにふられて、泣く泣く故郷に帰った留吉を励ましに、寅はまた旅に出るのである。


寸評
寅さんを「お兄ちゃん」と呼んだのは、妹のさくらと本作の紅奈々子以外にいない。
紅奈々子はSKDの踊り子で非常に賑やかな女だ。
例によって寅さんは紅奈々子にゾッコンとなるが、彼女は結婚問題で悩んでいた。
ダンサーの道を歩むか、好きな男との結婚を取るかの二者択一なのだが、彼女は結婚を諦め一度はダンサーの道を選択する。
寅さんはガッカリしたり、再び希望を持ったりと右往左往するが、隣の社長は「逆転打を打たれたピッチャーみたいだ」とか、「とんだ逆転劇だ」とか言って、寅さんの恋模様を楽しんでいるようでもある。
結局彼女は結婚を選び、引退のステージでそれまでのことを歌った「道」を披露する。
紅奈々子を演じた木の実ナナはダンスも上手いし、歌も上手い。
結構長いフレーズを歌う木の実ナナは決まっていた。

しかし、思うのである。
なぜ二者択一なのか?
たしかに紅奈々子の体力は落ち来ていて練習もきつそうだし、彼女自身が言うように若い子たちと比較すると、体の張りも違ってきているのだろう。
あるいはSKDや宝塚には、結婚すれば引退の不文律が存在しているのかもしれない。
それでも今の時代、二者択一はないだろうと思うのだ。
寅さんはしみじみと言う。
「ダンサーをやめない方がいいんじゃないかなあ・・・。俺ならそんなことはさせないけどなあ・・・」と。
結婚=退職はそこいらの会社がやっていることではないか。
優秀な女性、能力を持った女性、才能を持った女性が結婚と引き換えに築き上げたものを棄てる必要はない。
メッセージ性を持っているのも映画なのだから、ここは紅奈々子に結婚後も頑張らせて良かったのではないか。
第一、SKD出身の倍賞千恵子が頑張っているではないか。

寅さんは九州は肥後の温泉町で農業を営む留吉と出会うが、この留吉を演じているのが武田鉄矢である。
武田鉄矢は前年の「幸福の黄色いハンカチ」で映画デビューを飾り、その軽薄な演技が注目された。
ここでもそのキャラクターを引き継いで軽妙な役柄を演じている。
留吉は寅さんと同じで、女の子に恋をしてはフラれているからっきしダメな男である。
女性に関しては同じような対場なのだが、寅さんと違って為吉は積極的である。
女の子の気を引くためのプレゼントをし、あるいは直接告白もする。
あわよくば事に及ぼうともするので、好きな女性に対してとる行動は寅さんとは対極にある。
留吉に同じくSKDの若いダンサーしのぶをアタックさせて、その対比を際立たせていた。

寅さんが引退ステージの紅奈々子を遠く二階席から見ているシーンは胸を打つし、見届けると途中で退席して劇場を後にするのもよかったなあ。
最後のオチは読めたけど・・・。

男はつらいよ 葛飾立志篇

2024-04-29 08:03:36 | 映画
「男はつらいよ 葛飾立志篇」 1975年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 樫山文枝 下絛正巳 三崎千恵子
   前田吟 太宰久雄 笠智衆 桜田淳子 中村はやと
   佐藤蛾次郎 米倉斉加年 大滝秀治 後藤泰子 谷よしの
   戸川美子 吉田義夫 小林桂樹

ストーリー
秋も深まったある日の午後、数カ月ぶりに寅は“とらや”に帰って来た。
ところが、そこには山形から修学旅行で上京したついでに寅を訪ねに来ていた高校2年の順子がいた。
寅は彼女を見るなり、おもわず「お雪さん!」と叫び、順子は目に涙をため「お父さん!」と叫んだ。
実は順子は寅が17年前に恋焦がれた人--お雪の娘だったのだ。
寅は毎年正月になると少しの金を添えて手紙を送っていたので、順子は、寅を本当の父親と勘違いしていたのだった。
そのお雪がつい最近死んだと聞き、寅は歳月の流れをしみじみと感じた。
とらやの人々がホッとしたのも束の間、「寅がまともに結婚していたらこの位の娘がいるのになあ」と愚痴るおいちゃんの言葉が原因で、怒った寅はまた旅に出てしまった。
数日後、寅はお雪の墓参りを兼ねて、山形を訪ねた。
そこで寅は、寺の住職から、お雪の生前の不幸を聞かされた。
彼女は学問がなかったために男に騙されたのだった。
そして住職は、学問の必要な事を寅に教え、寅も晩学を決意した。
一方、とらやでは、御前様の親戚で大学の考古学教室に残り勉強を続けている筧礼子が下宿することになったのだが、そんなところへ寅が帰って来た。
明るく誰とでも気軽に口をきき、インテリぶらない礼子に、寅は次第に惹かれていき、勉強の方も彼女に教えてもらいながら真面目につづけた。
また、礼子の恩師である、奇人だが天才肌の田所博士をも寅はすっかり気に入ってしまった。
そんな寅がまた礼子に振られてしまうと心配したさくらだったが、寅は「礼子さんに色恋を感じたら失礼だ。彼女はもっと高い事を考えている人で、結婚なんかするはずがない」と答えたのだが・・・。


寸評
今回は珍しいことが二つある。
一つ目は寅さんが足長おじさんをやっていたことだ。
毎年の正月にお雪さんという女性に、子供の学資にと手紙を添えてお金を送っていた事実が明かされる。
子供が大きくなり、順子と名乗る女子高生が修学旅行に来たついでに「とらや」を訪れる。
寅さんと出会い「お父さん」と呼ぶから大騒ぎである。
貧乏暮らしを続けている寅が送っていたお金は500円札一枚だったことがわかり、父親と思っていたのは順子の勘違いだったことも判明するのだが、この順子を演じているのが歌手の桜田淳子である。
寅さんはよく片思いをし、よく振られるのだが、別れた女性をいつまでも気に掛けていたことがうかがえる。
足長おじさんは形を変えてよく映画で用いられる話だが、実の父親と思って訪ねてきた順子が、父親ではないと知った時の後始末が予想外にあっさりとしている。
シリアスにしすぎると重たくなってしまうからなのだろうが、ここではもっと泣きたかった。

お雪の墓参りをし、そこで学問の重要さを感じて葛飾に帰ってきた寅は喫茶店で「とらや」に下宿している礼子と出会うのだが、それが考古学の勉強をしているという設定の樫山文枝である。
僕たちの年代の者にとってはNHKの朝ドラ「おはなはん」のイメージが飛びぬけている女優さんだ。
「おはなはん」はNHK連続テレビ小説、通称朝ドラ初期の大ヒット作で、放送が始まると水道の使用量が激減したと言われている伝説のドラマだ。

例によって寅が礼子に熱を上げる騒動が持ち上がるのだが、今回は礼子に社会科の家庭教師役を買ってもらっていて、その勉強ぶりが可笑しい。
特に卑弥呼から大和朝廷の話になり、日本の始まりだとの説明を受けると、寅が「それ、知っている」と俄然元気になるくだりが愉快だ。
それは寅さんお得意の口上だったのだ。
「国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりが小平の義雄、続いた数字が二、仁吉が通る東海道、憎まれ小僧が世に憚る。仁木の弾正はお芝居の上での憎まれ役。三、三、六歩で引け目がない。産で死んだが三島のおせん。おせんばかりがおなごじゃないよ」というものだ。
さらに、「四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン」と続く小気味よいものである。

熱を上げ始めたところでマドンナの本当の相手が現れるのが通例で、今回はそれが小林桂樹の田所博士となるのだが、この先生意外とさばけていて寅さんと気が合いそうなキャラクターとして登場してくる。
珍しいのは、田所博士から告白を受けた礼子がその申し出を断ってしまうことだ。
結婚すると早とちりした寅はいつものように一人淋しく旅立ってしまうのである。
さくらが後を追うが間に合わず電車は出てしまう。
どこまでもおっちょこちょいな寅さんなのだが、その後始末処理はなかなか愉快でほっこりさせてくれた。
礼子さんはどうなったか分からない。

寅次郎恋やつれ

2024-04-28 07:00:04 | 映画
「寅次郎恋やつれ」 1974年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 吉永小百合 松村達雄 三崎千恵子
   前田吟 太宰久雄 笠智衆 中村はやと 佐藤蛾次郎
   高田敏江 小夜福子 宮口精二

ストーリー
香具師渡世の寅の夢は、カタギの職業について、気立ての良い女性を妻に迎えて、東京は葛飾・柴又で暮す、おいちゃん、おばちゃん、そして妹さくら夫婦を安心させることだった。
そんな夢が一度にかないそうな機会がやって来た。
温泉津というひなびた温泉町で、ひょっとしたキッカケから温泉旅館で働いていた寅は、夫が蒸発している働き者の絹代という人妻と所帯を持とう、と決心したのだった。
早速、柴又に帰った寅は、この縁談をまとめるべく、さくらと裏の工場の社長を引き連れて絹代に会いに行ったが、その絹代は寅の顔を見るなり、夫が戻って来たことを、嬉しそうに告げるのだった。
さくらに置き手紙を置いてまた旅に出る寅。
山陰にある城下町・津和野で、寅はなつかしい歌子と再会した。
二年前、寅の恋心を激しく燃え上らせた歌子は、小説家の父の反対を押し切って陶芸家の青年と結婚したのだが、その後、その夫が突然の病気で亡くなり、今は夫の実家のあるこの町で図書館勤めをしていた。
現在の彼女は不幸に違いないと思った寅は「困ったことがあったら、“とらや”を訪ねな」と言って別れた。
歌子が柴又を訪ねたのは、それから十数日後。
人生の再出発をする決意ができたと語る歌子は、暫くの間とらやの二階に住むことになった。
歌子にとって一番の気懸りは、喧嘩別れしたままの父・修吉のこと。
寅は早速、単身修吉を訪ね、歌子の代りに言いたい放題を言って帰って来た。
そのことを知って皆が蒼くなっているところへ修吉が現われ、歌子と二年ぶりの父娘の対面となった。
やがて、歌子は東京に帰って来たもう一つの目的である仕事について、博とさくらにも相談して、悩みぬいた結果、伊豆大島にある心身障害児の施設で働くことを決心した。


寸評
寅がひょっこり「とらや」に帰って来て、お絹さんと言う女性のことを話し「今夜重大発表がある」と告げる。
寅の話しぶりからしてどうやらその女性と所帯を持とうとしているらしい。
周りの者が早合点してオメデタ騒ぎとなるが、肝心の寅とお絹さんの間では何も話し合われていなかった。
結局は寅の一人合点なのだが、「とらや」の面々とのやり取りで先ずは笑わせる。

お絹さんとの一件は早々とカタがついてしまい、歌子の登場となる。
吉永小百合が歌子として二度目の登場である。
国民的女優としての立場を築きつつあった吉永小百合ではあるが、寅さんの相手としてはいかにも若い。
同じ役で二度目の登場とあって、結婚相手の夫は亡くなっているという設定だ。
亡き夫の実家で居ずらくなっている様子が描かれるが、くどい説明はなくそれとなく知らせる演出は上手い。
しかし同じ役で二度目の登場となると、観客は初回の9作目を見ていることが前提となるから「男はつらいよ」シリーズは多くの固定ファンに支えられたシリーズであることがうかがわれる。
寅が彼女のことを気に掛けながら「とらや」に帰ってくると、やがて歌子が訪ねてくるのはいつもの通りである。
傷心の彼女であるが、どうも若い吉永小百合には不幸が似合わない。
いつまでたっても明朗快活な吉永小百合なのである。
元気を取り戻した歌子はさくらの家に夕食を招待してもらうのだが、歌子との夕食を楽しみにしていた寅は歌子をさらわれてむくれてしまう。
寅がスネてさくらに不満の態度をとるシーンが愉快で、作中で僕が一番大笑いした場面だ。
渥美清は面白い。

歌子は結婚を反対された父親と疎遠である。
父娘が共に意地を張っているせいでもある。
さくらや寅がその仲を気に病んでなんとか元の鞘に収めようと腐心する。
特に寅が大作家の父親を訪ねて説教するのも愉快だ。
廊下が掃き清められていないことを指摘して、こんなんじゃいい作品が書けないと捨て台詞を残す。
寅さんのそんな努力が実り、父親は娘が厄介になっている「とらや」を訪ねてきて、父娘が久しぶりの対面を果たすことが出来るのだが、ここでの父親宮口精二の芝居が泣かせる。
お互いが歩み寄ることの難しさと、歩み寄る勇気の尊さを丁寧に描いていたので、歌子と父親が「とらや」で泣き崩れるシーンはこの作品屈指の名場面だった。
僕は父親の心情に触れた思いで大泣きしてしまった。
どうやら伊豆の大島に旅立つことになった歌子を寅が訪ね、打ち上げ花火を見る歌子の後姿に「浴衣が綺麗だね」とつぶやく。
ふられた女性にこんなロマンチックな言葉を投げかけたのはこの作品を置いて他にない。
吉永小百合の歌子はシリーズ中でも特別な存在だったのだろう。
歌子は大島の身障者施設に勤めることになるが、身障者問題は山田洋次にとって一つのテーマになっていたのかもしれない。

男はつらいよ 寅次郎夢枕

2024-04-27 08:53:44 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎夢枕」 1972年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 八千草薫 松村達雄 三崎千恵子
   前田吟 太宰久雄 笠智衆 米倉斉加年 津坂匡章
   佐藤蛾次郎 田中絹代 吉田義夫 河村憲一郎 清水将夫

ストーリー
晩秋の甲州路を今日も旅する香具師の寅は、ある旧家でその家の奥さんと雑談の最中に昔、寅と同じ香具師仲間が、この地で行き倒れ同然の死に方をした事を聞き、その墓を詣でる。
寅は急に故郷、柴又に帰りたくなり、矢も楯もなく柴又に戻ってしまった。
“とらや”に帰ってみると、二階の部屋は、御前様の甥で東大の助教授をしている岡倉が貸りており、気分を害した寅は家を出ようとする。
その時、幼な馴染の千代がすっかり美しくなって訪ねて来たので、とたんに気嫌が良くなってしまう。
千代は二年程前に離婚して、つい一ヵ月前から近くに美容院を開店したばかりなのである。
それを聞いた寅は、急に張り切り始め、毎日のように美容院を訪ね千代の面倒をみるようになる。
ところが、やっかいな事に岡倉が千代に惚れてしまったのである。
そうと気付いた寅は、岡倉の惚れた弱味を突っつき、さかんにからかう。
アメリカ留学を棒に振ってもこの恋を実らせたいという真剣な想いは重症になり、とうとう寝こんでしまった。
やがて、病いの床に寅を呼んだ岡倉は、全てを「告白」し、千代との仲をとりもってくれと懇願する。
断わりきれなくなった寅は、千代をデートに誘い話をきり出した。
岡倉の恋する気持ちを伝えようと「あらかた察しはついているんだろうけど……」と言うと、千代は寅のプロポーズと感違いしてしまい、「寅さんとなら一緒に暮したい」と返事する。
さてあわてたのは寅の方で、必死で岡倉の話を推めるが、別れたあとで何か割切れない寂しさが残った。
「ああ……しまったなァ」まさか千代が自分に好意を寄せていたなんて、と思っても全て後の祭り、寅は岡倉に報告してから一人部屋に閉籠もり後悔するのだった。
数日後、岡倉は正式に千代からの断りの返事を受けて、傷心のうちにアメリカ留学へと旅立っていった。
寅はまた再会した登と一緒に北風の中へと旅をつづけていた。


寸評
10作目にして新天地を目指したかのような作品となっている。
それは10作目にして初めてマドンナの千代からプロポーズされるという展開である。
マドンナの八千草薫に一目ぼれした東大助教授の岡倉が「とらや」の二階に下宿しており、岡倉の気持ちを知った寅次郎が、幼なじみのお千代坊に恋の橋渡しをしてやった。
千代への思いもあってモジモジしながら、やっとのことで寅は「察しがついているだろうけれど・・・」と切り出した。
寅が伝える岡倉の気持ちを、千代は寅のことだと思い了解するが、それが勘違いだと分かり、そのことをもって岡倉は失恋したことになる。

驚くのは千代がはっきりと寅次郎にプロポーズしていることである。
この後も寅次郎にそれらしき気持ちを伝える作品は時々登場したが、本編における八千草薫ほどはっきりと積極的に表現した女性は登場してこない。
幼なじみとして寅の幼い頃をよく知っていて、寅の気質を見抜いている千代は、「照れ屋なのよ、あなたのお兄さんは。小さい時からそうだったわ。人が見ているといじめたり、悪口を言ったりするけど、二人っきりになるととっても親切よ」とさくらに語る。
一見おっとりして引っ込み思案にみえるが、千代は自分の気持ちをはっきりと相手に伝える強さを持っている。
千代を演じた八千草薫は正に適役だったが、彼女のもつそのような印象の開花を、僕は後年テレビドラマの「岸辺のアルバム」(1977年放送)で見出した。
僕にとっての八千草薫は三船敏郎の「宮本武蔵」におけるお通さんだけが印象に残っていたのだが、本作と「岸辺のアルバム」によって、彼女のイメージが僕の中で出来上がったと言って過言でない。

千代は亀戸天神の境内で、「私ね、寅ちゃんと一緒にいるとなんだか気持ちがホッとするの。寅ちゃんと話をしていると、ああ、私は生きているんだなぁーって、そんな楽しい気持ちになるの。寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいいって、今、フッとそう思ったんだけど…」と告白する。
千代は「とらや」の面々にも同様のことを告げているのである。
しかし寅次郎は千代のその思いを受け入れない。
あんなにも結婚願望がある寅次郎なのにである。
あらゆる女性に恋をして結婚願望を示した寅が、実はギリギリのところになると結婚というものから逃げているのだと言うことが露出している。
寅は自分と一緒になることが、相手女性の幸せにつながらないことを知っているのだ。
照れ屋なのよと言った千代の言葉が効いてくる。
恋に恋して大騒ぎする寅の行動は彼のエゴイズムの表現でもある。
結婚には学歴や人格など必要でなくて、結婚して家庭を維持していくという覚悟が必要なのだ。
寅にはその覚悟がない、否、覚悟が持てない実に勝手な男なのである。
しかしその身勝手さは寅の様な男には実に都合の良いものである。
そんな身勝手さを許されない僕たちは、寅さんの身勝手さとシャイな生き方、自由な生き方にあこがれを見出してしまうのだが、ただしそれは自分もああなりたいという願望ではないのだが…。


男はつらいよ 柴又慕情

2024-04-26 07:26:11 | 映画
「男はつらいよ 柴又慕情」 1972年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 吉永小百合 松村達雄 三崎千恵子
   前田吟 太宰久雄 中村はやと 笠智衆 津坂匡章
   桂伸治 佐山俊二 吉田義夫 宮口精二 佐藤蛾次郎

ストーリー
“フーテンの寅”こと車寅次郎(渥美清)が、初夏を迎えた東京は葛飾柴又に久しぶりに帰って来た。
ところがおじ夫婦(松村達雄、三崎千恵子)は寅の部屋を貸間にしようと「貸間あり」の札を出していたからびっくり仰天し、札を見た寅は捨てゼリフを残して出て行ってしまい寅の下宿探しが始まった。
手前勝手な条件ばかり言う寅を不動産屋は相手にせず、やっと三軒目の不動産屋(佐山俊二)に案内されたのがなんと「とらや」で、その上、不動産屋は手数料を要求する始末。
払う気のない寅と不動産屋との間が険悪になりそうになったが、博(前田吟)が仲に入り手数料を払った。
今度はそのことで、寅はおじ夫婦とも喧嘩になり、果ては建築中のさくら夫婦の家にケチをつけさくら(倍賞千恵子)を泣かせてしまい、居づらくなった寅は、また旅に出ることにした。
最初に行った金沢で寅は、久し振りに弟分登(津坂匡章)と再会した。
翌日、登と別れた寅は、三人の娘たちと知り合った。
歌子(吉永小百合)、マリ(泉洋子)、みどり(高橋基子)というこの娘たちを寅は何故か気に入り、商売そっちのけで御馳走したり、土産を買ってやったり、小遣いをやったりする始末。
やがて、三人と別れた後、急に寂しくなった寅は柴又に帰ることにした。
寅は柴又・帝釈天の境内でみどりとマリに再会した。
翌日には、みどりに聞いた歌子がひとりで寅を訪ねて来て想い出話に花を咲かせる。
それ以来、たびたび歌子は遊びに来るようになり、寅は歌子に熱を上げ始めた。
ところが歌子は、小説家の父(宮口精二)と二人暮しで、好きな青年との結婚と、父との板挟みで悩んでいたのである。


寸評
「男はつらいよシリーズ」は毎回寅さんが思いを寄せる女性が登場し、そのマドンナ役を誰が務めるかが注目を集めたシリーズでもあった。
マドンナ役は第一作の光本幸子から佐藤オリエ、新珠三千代、栗原小巻、長山藍子、若尾文子、榊原るみ、池内淳子と続いてきて、マドンナ役の人気投票を行ったところ吉永小百合が1位となり彼女を迎えた第9作である。
吉永小百合の為の「男はつらいよ」となっており、僕は内容的には深いものがあると思えないでいる。
娘が父親を心配して結婚をためらう話は、松竹の大先輩である小津安二郎が好んだテーマでもある。
山田洋次には小津へのオマージュがあったのかもしれない。
冒頭で寅次郎が夢を見ているシーンがあり、夢の中で登場する寅さんは長い爪楊枝をくわえている。
これは当時人気を誇ったテレビ映画の「木枯し紋次郎」を意識したものだろう。
また寅さんは度々レコード大賞受賞曲の「いつでも夢を」の一節を口ずさんでいるが、これも受賞者である吉永小百合を意識したものであることは明らかで、一種のサービスとなっている。

寅さんが歌子のことで明るくなっていくと、おいちゃん、おばちゃん、さくら、博が落ち込んでいく姿が面白い。
歌子にぞっこんの寅さんなのだが、歌子と二人きりになると無口になってしまう。
大好きな女性を前にすると、それも飛び切りの美人であれば、寅さんならずとも無口になってしまうのは分かるような気がする。
寅さんは旅先で歌子たちと親しくなり、それがきっかけで歌子はとらやにいる寅さんの元を度々訪ねるようになる。
寅さんは訪ねてくる歌子を待ちわびるだけで、特別歌子に対して世話を焼いてやっているわけではない。
結局この回では博が貴子に語る内容がテーマだったように思う。
それを寅さんに語らせることによって、貴子が決心をして寅さんから離れていく方が、寅さんに対する悲劇性は高まっていたように思う。

寅さんが歌子と親しくなったのは旅先での写真撮影によってである。
そこでの記念撮影で、にっこり笑うポーズの時にバターと言ってしまい大笑いとなるのだが、これはかつて御前様がやったギャグである。
その事で女性三人は笑いこげるのだが、僕にはその演技がわざとらしく見えた。
僕に不自然と思われたそのシーンは、結局吉永小百合を可愛らしく見せるためだったように思え、第9作は吉永小百合を際立たせるための企画だったように思えるのだ。
もっとも、それが狙いなら目的は十分に果たされていたようには思える。

今回はおいちゃんが松村達雄に代わっている。
松村達雄はおいちゃんとしての存在感は示しているが、渥美清の寅さんとの掛け合いにおいてはやはり先代の森川信に一日の長があったと思う。
「バカだねえ~」のセリフが消えていないのだ。
おいちゃん宅を歌子の父親である宮口精二が訪ねてくる。
歌子が世話になった礼に訪れたのだろうが、父親の娘に対する愛情は感じ取れなかった。
満男をあやす姿に、歌子の子供を抱きあげたい気持ちが凝縮されていたのだろうか。

男はつらいよ 寅次郎恋歌

2024-04-25 08:01:52 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎恋歌」 1971年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 池内淳子 森川信
   三崎千恵子 前田吟 太宰久雄 笠智衆
   梅野泰靖 穂積隆信 吉田義夫 中沢祐喜
   岡本茉莉 谷村昌彦 志村喬

ストーリー
例によって車寅次郎(渥美清)は半年ぶりで故郷柴又へ帰ってきた。
一同は歓迎したつもりだったが、些細な言葉のゆき違いから竜造(森川信)やつね(三崎千恵子)と喧嘩となり、又もや旅にでることになった。
寅が去って静かになったある日、博(前田吟)の母が危篤という電報が入り、光男(中村はやと)を竜造夫婦に託した博とさくら(倍賞千恵子)は岡山へ急いだ。
博の父(志村喬)は元大学教授で、研究一筋に生きてきた学者だった。
葬式の日、驚いたことに寅がヒョッコリ現われた。
さくらは近所の人から借りたダブダブのモーニングを寅に着せ、葬儀に参列させるが、トンチンカンなことばかりやってその場をしらけさせてしまう。
岡山で生涯生活するという父を一人残して毅(梅野泰靖)、修(穂積隆信)、博の兄弟は去っていくが、父親の淋しい生活に同情した寅が一度は去った諏訪家に戻ってくる。
父親も、自分のこれまでの人生をふりかえって、人間らしい生活をするよう寅に語った。
秋も深まった頃、柴又「とらや」で皆が集まって寅の噂をしているところに、題経寺山門の近くに最近開店したコーヒー店の女主人六波羅貴子(池内淳子)が挨拶に来たのだが、この美人を見て一同は身震いした。
もしこの場に寅が居合わせたらどうなることか、と考えたからである。
しかも、何たる不幸か、寅はその日帰ってきたのである。
みんなの予感は摘中し、寅は貴子に身も心も奪われて、そのまま柴又に滞在する仕儀と相成った。
貴子には、学(中沢祐喜)という小学校四年になる男の子があった。
学は自閉症的な性格のうえに、新しい学校にも馴染めず、貴子も心を痛めていた。


寸評
おいちゃん役として3人の交代があったシリーズだが、その中では「バカだねぇ…」のセリフが似合っていた森川信が一番良かったと思う。
その森川信が1972年に60歳で亡くなったので、本作が森川信のおいちゃんを見ることが出来る最後の作品となってしまった。
この映画では、庭にリンドウが咲く田舎の家で家族が食事をする話が度々語られる。
もともとは博の父親が語った話だが、それを寅さんが受け売りであちこちで語って聞かせる。
家族の幸せとは何なのか、それぞれは幸せな生活を送っているのだろうかと問いかけている話である。
博の母親が亡くなり、葬儀が終わり家族そろっての食事の時に兄弟の間で母親が幸せだったのかについて口論となる。
長男は、母親が亡くなる前に思い残すことはないと言って息を引き取ったことで幸せな一生だったと言い、次男も欲もなく父親によく尽くした立派な人だったと持ち上げる。
しかし博は兄たちと違い、父が知らないところで母が「私は豪華客船に乗って、胸の開いたドレスを着るのが夢だったの」と言って、「結婚したことでその夢を諦めたのよ」と語ったことを打ち明け、母さんにも夢があり決して幸せな一生なんかじゃなかったと反論する。
それに対し兄たちは博を責めるのだが、父は特に何をいうでもなく、すっと自室へ立ち去っていく。
そして後日、寅さんに語って聞かせるのがリンドウの咲く家の話である。
とらやを訪ねてきた博の父親に、おいちゃんが寅はその話をどこかのバカに吹きこまれたのだろうと告げると、父親は自分が話したのだと打ち明ける。
その場にいた博は、一家で食卓を囲むことが出来た母親は幸せを感じていたのだのだと悟ったことだろう。
無言の博であるが、葬儀の場での博の慟哭我伏線となっていてシンミリとさせる。

そしてリンドウの家の話は妻子もおらず定住していない寅さんと対極にある世界である。
寅さんの世界は豪華客船に乗って世界をめぐり舞踏会で胸の開いたドレスを着て踊るという博の母親が語った世界と同様のものである。
そして池内淳子の貴子も好きな人と旅を続けてみたいと語る。
しかし貴子も博の母親もそうしようとは思っておらず、ないものねだりをしているだけなのだ。
ひとり寅さんだけはそんな彼女たちの思い描くことを具現化している。
寅さんは風来坊の自分と一緒では貴子は幸せにならないのだと悟る。
寅さんは貴子にフラれたわけでもないのに、バカな俺でも引き時は心得ていると去っていく。
貴子のトラブルもどうなったのか分からないままだが、大家との家賃についての電話をかすかに聞かせることで、一人息子との定住を求めている彼女と寅さんとの価値観の違いを知らせている細かい演出に唸らされる。
冒頭で妹のさくらを悲しませる場面など、家族というものを感じさせるシーンが多い。
もちろんさくらを初め、おいちゃんたちが寅さんをけなしながらも本心では寅さんを心配しているという家族の間にある絆がこのシリーズを支えている。
森川信のおいちゃんをこれ以降は見ることが出来なくなってしまった。
「お~い、おいちゃんよぉ~」と叫びたい気分である。

男はつらいよ 奮闘篇

2024-04-24 07:01:44 | 映画
「男はつらいよ 奮闘篇」 1971年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 榊原るみ 森川信 三崎千恵子
   前田吟 太宰久雄 笠智衆 佐藤蛾次郎 光本幸子
   ミヤコ蝶々 田中邦衛 犬塚弘 柳家小さん

ストーリー
春三月。残雪の越後を旅する車寅次郎は、集団就職のために別れを惜しむ少年とその家族を見て故郷を想い出してしまった。
一方、柴又には、寅の生みの親である菊が三十年振りで「とらや」を訪れた。
しばらくして菊は帰ったが、そこに寅が帰って来た。
そして、さくらと一緒に宿舎の菊を訪ね、再会した嬉びも束の間、寅の結婚話が元で喧嘩になってしまった。
菊は、そんな寅に終始気を使うさくらに感謝しつつ京都へ帰った。
寅もこのことが原因でまた柴又を去った。
その旅で寅は、津軽から紡績工場へ出かせぎに来ている、頭は弱いが純真で可愛い少女花子と知りあったのだが、彼女は工場になじめず、故郷に帰りたいと寅に相談した。
寅は旅費としてなけなしの金をはたき、道に迷った時は柴又を訪ねるよう住所を教えた。
数日後、柴又に戻った寅は、津軽に帰らずおいちゃんの店で働いている花子を見てびっくりした。
ある日、突然花子が寅さんのお嫁になりたいと言う。
その気になった寅は、早速さくらに相談した。
さくらは、おにいちゃんが幸せになれるならと賛成したが、おいちゃん、おばちゃんは、生れてくる子供のことを考えて猛反対である。
そんな時、花子の身許引受人と名乗る福田先生が、突然紡績工場から行方不明になった花子を引き取りに来て、花子は寅の不在中に福田先生と共に津軽へ帰っていった。
それから数日後、失意の寅は置手紙を残して柴又から消えたが、さくらは、直感で津軽にとんだ。
さくらの勘は当り、バスの中で偶然に寅と出会った。
窓の外には、まだうっすらと雪を残す津軽山脈の向こうに真赤な夕陽が沈もうとしていた。


寸評
面白さはあるのだが何か釈然としない思いが残る。
多分それはヒロインの花子(榊原るみ)が知恵遅れの少女だったということに起因していると思う。
寅次郎の母親であるお菊(ミヤコ蝶々)が久しぶりに登場し、寅と帝国ホテルで面会する。
言い争いとなり、お菊は寅に身障者でも知恵遅れの子でも嫁になる者が出てきたら喜んでやるとののしる。
お菊が発した言葉はテレビでは禁止用語と思われるような言葉で重くのしかかってきた。
知恵遅れだということは度々語られ、語られること自体は少女が実際にそうなのだから違和感はないのだが、生まれてきた子はどうなんだのような会話は健全娯楽作品としてはいかがなものだったか。
僕は素直な気持ちで笑うことが出来なかった。

花子は知恵遅れなので「わたし寅ちゃんのお嫁さんになろうかな」などと言ってしまうのだが、純情な寅次郎はその言葉をまともに受け取ってしまう。
花子は親切な寅さんになついているのだが、本心は別の所にある。
それがはっきりするのは、おばちゃんとヨモギ摘みにでかけた土手で、田舎に帰りたくないのかと聞くおばちゃんに花子が「寅ちゃんがいつまでも居ろというの」というシーンだ。
花子は嫌々「とらや」で働いているわけではないが、親切な寅次郎に遠慮しているのである。
花子は純真な少女だが、寅を相手としたヒロインとしては余りにも若すぎる。
マンネリを打開するためだったのかもしれないが、どうも花子の設定には無理があったような気がしてならない。
山田洋次の作品としては後に「息子」や「学校Ⅱ」で身障者を取り上げているが、本作ではまだそこまでの昇華を見せていない。

さくらの兄思いは相当なもので、お菊と会った時に今の言葉はひどいとお菊に詰め寄る。
お菊はさくらが寅のことを心底思ってくれていることを知り感謝する。
ジーンとくる場面だ。
一方で、さくらは皆が反対する結婚話を応援するような気持になり、おばちゃんからは寅のことだけではなく花子の幸せも考えてやらねばならないと意見される。
さくらはお兄ちゃん一筋なのだ。
それでも、寅が「花子は津軽に帰った方が幸せだというのか!」と怒鳴った時に、何も言えない者の中にあってたった一人「そうよ」と毅然と言い切れるのも妹さくらならではなので、羨ましい限りの妹だと思う。

最初と最後では盛んに津軽弁が話される。
その土地の人を活写しているが、地方を表すには方言が一番だし、生の方言はやはり真実の雰囲気がある。
言語指導によって話される方言とは一味も二味も違う本物の魅力があった。
津軽の田舎で花子は学校の臨時職員として生き生きと働いている。
寅次郎もその姿を確認したのだろう。
自殺をほのめかす内容のハガキを出した寅次郎だが、すっかり元気になって「死ぬわけないか!」と明るい。
変わり身の早いのも車寅次郎なのである。

男はつらいよ 純情篇

2024-04-23 06:54:33 | 映画
「男はつらいよ 純情篇」 1971年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 若尾文子 森川信
   三崎千恵子 前田吟 太宰久雄 笠智衆
   森繁久弥 宮本信子 松村達雄 垂水悟郎

ストーリー
相も変らずテキヤ渡世に身をやつしている車寅次郎は、五島列島の福江島に出かけていった。
そこには長崎港で知り合った赤ん坊連れの出戻り女絹代の家があった。
そこで絹代と父親千造の愛情あるやりとりを聞いているうちに、たまらなく故郷柴又が恋しくなって、一目散に柴又へ向った。
一方「とらや」では、おばちゃんの遠い親せきで和服の似合う美しい女性夕子が、事情あって寅さんの部屋に寝泊りしながら店を手伝っていた。
「寅がいたらまた熱を上げてしまう」というみんなの心配をよそに、寅さんがひょっこり帰って来た。
寅さんは自分の部屋が誰かに貸してあるのを知るとカンカンに怒って外へ出ようとするが、現われた夕子を一目見るなり、たちまちのぼせ上り、旅に出るのはやめてしまった。
「とらや」に腰を落着けた寅さんのところにある日のこと、さくらの夫博が独立問題を相談に来た。
それは、いい印刷工場の出ものがあるから、将来のために独立したいが、永年世話になって来た社長梅太郎に言い出しにくいから寅さんからうまく話してくれということだった。
事情を聞いて寅さんは、「お前に向いている」とこの話に大賛成、翌日梅太郎のところに出かけた。
そんな寅さんは梅太郎に、「博が会社をやめないように話して下さい」と泣きつかれ、義理と人情の板ばさみになった寅さんは、きのうの博との約束はどこへやら、胸をたたきこれまた二ツ返事で引受けたから話はこんがらがって来た。
やがてみんなの心配通り、寅さんが、夕子に一層熱を上げ始めた。
数日後、別居していた夕子の夫が「とらや」を訪ねて来たことで寅さんの恋にも終止符が打たれた。
夕子は売れない小説家の夫と逃げるように柴又を去り、寅さんもさくらに見送られて旅へ出た。
明けて1971年。とある地方で、立て板に水を流すような名調子で売をしている寅さんの姿があった。


寸評
帰らないでおこうと思っても体が自然と向いてしまうのが故郷で、同様に頭でわかっていても気持ちが勝手に動いてしまうのが女性への思いだと寅はさくらに語る。
そんな寅さんが恋するのはおばちゃんの遠縁にあたる夕子さんの若尾文子である。
例によって何かと世話をやき大はしゃぎする寅次郎なのだが、今回は関係において少し趣を変えている。
思いを寄せる寅次郎の態度を親切心だと思い、感謝しながらその気持ちに気付くことなく去っていくのが多くのパターンだが、本篇における夕子さんは寅次郎の気持ちに気がつく。
それとなく気持ちを受け入れられないと告知するが、鈍感な寅次郎には伝わらなくて、寅は思い当たる男に夕子さんに近寄るなと言いに行く始末だ。
そんなところへ離婚を考えて「とらや」に逃げ込んでいた夕子さんのもとへ、別居中の夫が訪ねてきて夕子さんは元に戻ることになるのだが、どうもメデタシメデタシの雰囲気とは思えないのである。
夕子は「今度こそ離婚しようと思っていた」「女って弱いわねえ」などと言って、大満足でよりを戻す風でないのだ。
迎えに来た夫も「あいつはわがままな奴で…」などと言っているから、この二人の今後は大丈夫かと心配になる。
女性が幸せを求めて離れていくというのが従来の作品だったが、見方によっては夕子さんは寅次郎の思いから逃れるために不本意ながらも元の鞘に収まったようにも見えた。
ちょっと冷めた感じの夕子さんで、僕は感情移入できなかった。

それを取り巻くように二つの話が盛り込まれている。
ひとつは博の独立騒ぎだ。
タコ社長の印刷所は博でもっているような会社である。
こんな印刷所にこれだけの職工が必要なのかと思うくらいの従業員がいるが、博はその中でも中心人物だ。
社長に拾ってもらい、技術を教えてもらった恩義があるから独立を言い出しにくい。
義理、人情と自分の夢の板挟みになっているのだ。
博と社長がとりなしを寅次郎に頼んだばかりに大変なことになるが、両方に安請け合いをする寅次郎のいい加減さがでているエピソードとなっている。
博は父親に独立資金の援助を申し出たところ、余裕がないと断られてしまうのだが、父親が前作においてお金があるようなことを言っていたこととの整合性はどうなったのだろう。
またそのことで博が簡単に独立を撤回し、万事一件落着となってしまうのは簡単すぎやしないか。
夕子は下町の人間味あふれるやり取りに感激するが、いくら喜劇だと言っても都合がよすぎる。

もうひとつが男と別れて故郷五島列島の島へ帰ってきた子持ち女性の話だ。
島では年老いてきた父親が一人で生活しているが、父親は娘を冷たく突き放し、これから先のことをこんこんと言って聞かせる。
この父親が森繁久彌でさすがと思わせ、正月に東京に戻った娘からの電話に涙するシーンがいい。
娘役は伊丹十三の「お葬式」でブレイクする前の宮本信子である。
この時宮本信子はすでに伊丹十三と結婚していたはずである。
宮本信子を開花させたのは、やはり夫の伊丹十三だったのだと思う。

男はつらいよ

2024-04-22 07:05:28 | 映画
シリーズも後半になってくるとパワーが落ちてきていたと思いますが、紹介していなかった「男はつらいよシリーズ」のなかから、これはと思われる作品を掲載します。

「男はつらいよ」 1969年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 光本幸子 森川信
   三崎千恵子 前田吟 太宰久雄 笠智衆
   志村喬 津坂匡章 佐藤蛾次郎 関敬六

ストーリー
車寅次郎(渥美清)は、“フーテンの寅”と呼ばれる香具師だ。
父親と喧嘩してとびだした中学の時以来、ヒョッコリ故郷の葛飾柴又に帰って来た。
というのも唯一人の妹・さくら(倍賞千恵子)を残して両親が死んだと風の便りに聞いたためである。
おいちゃんと呼ぶ叔父(森川信)の家へと向った寅次郎はそこで、美しく成長したさくらに会い大感激し、妹のためなら何でもしようと発奮する。
妹可愛さの一心で、さくらの見合の席へと出かけたが、慣れぬ作法に大失敗し、おまけに酔っぱらって下ネタ騒ぎを起こし縁談をこわしてしまった。
いたたまれずに、また旅にでた寅次郎は、奈良でお寺巡りをしている柴又帝釈天の御前様(笠智衆)と娘の冬子(光本幸子)に会い、冬子の美しさに魅せられ、故郷へと逆戻り。
職工なんかに大事な妹を嫁にやるわけにはいかないと豪語していた寅次郎を待っていたのは、工場の職人・博(前田吟)の「さくらさんが好きです」という告白だった。
博の真剣さにうたれ、何とかしてやろうとしたものの、寅次郎はもち前の荒っぽさで、またまた失敗。
が、かえってこれが、博、さくらを結びつけた。
結婚式には博と疎遠で招待もしていなかった父親(志村喬)が控室で静かにたたずんでいた。
さくらの結婚の後の寂しさを、冬子の優しさに慰められていた寅次郎は、ある日、冬子の結婚を知り、「寅がお嬢さんに惚れている」という噂を耳にして、冬子に迷惑がかかることを恐れて、地方での香具師商売にと、旅立つのだった。


寸評
学生時代にこの作品を見たが、これは面白かった。
場内が大爆笑だったことを思い出す。
ドタバタ喜劇ではなく人情喜劇で、シリーズ化された「男はつらいよ」の基本と、骨格が形成されている。
寅さんはネクタイ姿で登場するが、彼のユニホームともいえるスタイルが披露される。
両親が亡くなっていること、不良の寅が親と気が合わず飛び出していたこと、寅をかばってくれた兄も亡くなっていることなどが要領よく描かれる。
寅は父親が芸者に産ませた子で、さくら(本当は桜らしい)とは腹違いの子だから、さくらは本妻さんの子ということになり、このシリーズのヒロインとなる。
倍賞千恵子は下町の娘がよく似合う。

おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、御前様、さくらの夫になる博など常連となる登場人物が勢ぞろいしている。
源公(佐藤蛾次郎)も鼻歌だけしか声を発していないが登場している。
「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして成就しない寅次郎の恋愛模様も描かれることが、毎回のパターンとなっていくが、ここではそれがメインとはなっていない。
それは寅の境遇であったり、妹さくらの結婚などが描かれて、物語を形あるものに作り上げているからであろう。
記念すべきマドンナの第1号となるのが御前様の娘である光本幸子である。
寅の幼馴染であり、寅の寺通いが話されるが悲恋物語としてはまだまだ軽いものである。
当時は東映のヤクザ映画が全盛の頃で、松竹がそれに対抗すべく送り出したヤクザな男の物語なのだ。
僕は学生の頃東映監督だった加藤泰氏と対談することがあって、氏は「ヤクザ゙映画はパターンの繰り返しだが、『男はつらいよ』は落語的な面白さなので、男はつらいよシリーズの方が長続きするだろう」と予見されたのだが、流石に分析力は大したものだったと思う。
この後、本シリーズは年2本のペースを保って、主演の渥美清が亡くなるまで続いた。

テレビで放映されていたドラマの映画化だが、映画として世に出た功績はきわめて大きい作品だ。
内容は粗削りではあるが新鮮な笑いと感動をもたらした。
渥美清が誘う笑いは何気ない仕草や、ちょっとした会話や表情によるものである。
その間が何とも言えないのだ。
おいちゃん役は何人かが演じることになったが、僕はこの作品での森川信が一番雰囲気を出していたと思う。
博の父親で北大の教授である志村喬の人の親としての言葉に涙した。
志村喬は上手い俳優で、渥美清は上手い役者だと思う。
博の告白シーンも感動的な場面で、このようなシーンを有していることで作品が引き締まっている。
さくらの見合い話が寅のせいで壊れてしまうが、この見合い場面も滑稽だ。
その裏で、博が秘かにさくらを思っている様子がそれとなく挿入される。
それは、背後にいる博をボカしたままでさくらを気に掛ける様子を演技させているなどで、雰囲気の出し方がいいし、さくらのまんざらでもない姿も微笑ましい。
この作品と共に成長していく満男が生まれている。

狼よ落日を斬れ

2024-04-21 07:30:31 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/10/21は「誰も知らない」で、以下「タワーリング・インフェルノ」「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「団地」「タンポポ」「チェンジリング」「地下室のメロディー」「近松物語」「父親たちの星条旗」「父、帰る」と続きました。

「狼よ落日を斬れ」 1974年 日本


監督 三隅研次
出演 高橋英樹 松坂慶子 緒形拳 近藤正臣
   西郷輝彦 太地喜和子 田村高廣 辰巳柳太郎

ストーリー
杉虎之助(高橋英樹)は御家人の総領として生まれたが、十四歳の時に家出、池本茂兵衛(田村高廣)に捨われ、無外流に似た実戦的な剣術使いとなった。
八年後、江戸に戻った虎之助は屈強の勤番侍にからまれている叔父の旗本・山口金五郎(佐野浅夫)を偶然救ったところ、幼年時代の虎之助の親代りだった金五郎はその早業に目を見張った。
またもう一人虎之助の働きに瞠目したのが心形刀流伊庭道場の後継ぎ、伊庭八郎(近藤正臣)だった。
時に、国中は勤王、佐幕の抗争が続き、京都では近藤勇(和崎俊哉)、沖田総司(西郷輝彦)ら新選組が池田屋騒動で勤王の志士を大量殺戮した頃である。
虎之助の腕を見込んだ八郎は、自分の友人が隊長をしている洛中見廻り組に力を借してくれと口説いた。
その夜、虎之助は池本の使いの僧から、礼子(松坂慶子)という女を連れて京都に来いとの伝言を受けた。
道中、箱根で二人は薩摩藩士に襲われるが、虎之助は全員斬り伏せる。
京の町は騒然としていたが、その中で虎之助の目をひく使い手に薩摩の中村半次郎(緒形拳)がいた。
半次郎の情婦となった法秀尼(太地喜和子)は、虎之助が江戸にいる時、やくざの手から救ったお秀だった。
数日後、虎之助は乞食に身をやつした池本と再会した。
池本茂兵衛は、自分は幕府の密偵で薩摩藩を探索する身であることを明かし、「お前だけは今の時の流れに巻き込まれず、次の世の中を見つめてくれ」と諭すのだった。
祇園祭の夜、池本が薩摩藩士に襲われて死んだが、虎之助に対する池本のいまわの言葉は「礼子と共に江戸へ帰れ、無駄死するな」だった。
鳥羽伏見の戦いで、八郎、沖田総司ら幕軍は、半次郎らの官軍に破れた頃、虎之助は師茂兵衛の遺志を守り、礼子と二人で江戸で愛の日を送っていた。


寸評
「狼よ落日を斬れ」と大層なタイトルで上映時間も2時間半に及ぶが、中身は随分と散漫としていてあらすじを追っているような内容だ。
三隅研次はプログラムピクチャを数多く撮っているが、「座頭市物語」などキラリと光る作品もあって手堅い監督だったが、最後の作品となった本作の演出は冴えを欠いている。
高橋英樹の杉虎之助を中心に、伊庭八郎、沖田総司、中村半次郎らの若者が親交を交えてお互いを認めながらも、幕末と言う時代の流れの中でそれぞれが敵と味方に別れて散っていく様を描いているが、一つ一つのエピソードに深みがなく、ただ単に斬り合いをやっているだけに見える。

杉虎之助はやくざに追われているお秀を救ってやり、傷の手当てをしてからお粥を与え一夜を共にする。
そのことでお秀には杉が忘れられない人となるのだが、お秀が賭場で金の代わりに体を賭けて迄して京都までの旅費の10両を工面しようとした理由が全く分からない。
尼になって突然半次郎の前に現れても何が何やら分からないのだ。
杉は師匠の池本から何度も「江戸に帰れ、次の時代に生きろ」と言われているが、何度も京にとどまってしまう。
これは池本の言う、分かっていてもどうしようもないことなのだろうか。
杉と言う男には悩みとか苦悩と言ったものが感じられない、実にあっけらかんとした男である。
もともと演技力に乏しい高橋英樹なので、この様な演技を必要としない立ち廻りの多い役柄は似合っていたのかもしれないが、そんな彼に引っ張られるように登場人物にリアル感がない。
彰義隊の一員として戦った伊庭八郎が負傷して山小屋で杉と出会う。
杉は片腕を切り落として伊庭の命を救い、江戸の婚約者の元へ帰るように説得する。
それを納得した八郎だったが、杉が水を汲みに行っている間に抜け出して榎本と共に函館に向かっている。
彼が函館に向かわねばならない心情はどうだったのかは分からず、杉への言葉もなく次のシーンでは開陽丸に乗っているので、僕はただ話が時代を追って進んでいるだけにしか思えなかった。
登場人物だけでなく、描かれている内容にもリアル感がないので、息を詰めるような緊迫感を感じることが出来ず、ただぼんやりと見ているだけの2時間半になってしまっている。

薩摩藩士村田以喜蔵が、虎之助の留守を襲い杉の妻となっている礼子を惨殺する。
残党狩りを続ける官軍の一隊の中に村田を見つけた杉は彼らに斬りかかる。
礼子を襲った三人の一人の首をはねると、その首が空中に舞い上がる。
主犯の村田に憎悪の一撃を加えると、村田の体が真っ二つに割れる。
ゾッとするより場内から笑い声が起きるシーンだが、他の作品でも見たような気がする演出だ。
池本殺害の真犯人が半次郎であったと知った杉は、西南戦争勃発で鹿児島にいる半次郎を追って鹿児島に向かい対決するがあっけなく終わってしまい、やがて西南戦争も終わり号外には西郷が自刃、半次郎戦死との記事があり、それを読んだ杉が時の流れを感じながら去っていく。
なんだかあっけない、沖田総司の死もあっけない描き方だったし、もう少し絞り込んでじっくり描いて欲しかった。
三隅研次はこの映画の翌年、54歳の若さで早逝しているのだが、これだけの尺を与えたのは長年の彼の功績に対するご褒美だったのかもしれない。

エジプト人

2024-04-20 08:00:37 | 映画
「エジプト人」 1954年 アメリカ


監督 マイケル・カーティス
出演 エドマンド・パードム ヴィクター・マチュア
   ジーン・シモンズ ジーン・ティアニー
   マイケル・ワイルディング ピーター・ユスティノフ
   マイケル・アンサラ ジョン・キャラダイン

ストーリー
紀元前1370年頃、エジプト第17王朝。
テーベの都に住む若い医師シヌヘはナイル河に流された捨て子だったが、有名な医師に引き取られて育った彼は多神教に疑問を持ち、神は1つであると固く信じていた。
ふとしたことから片眼の男カプターを召使いとし、また酒場の女メリトに慕われるようになっているシヌヘは、軍人志望の友ホレムヘブと獅子狩に出かけ、獅子に襲われている一神教の予言者アクナトンを救ったが異端者を助けた者として投獄された。
が、数日してアクナトンは新国王の位置につき、シヌヘは黄金の首飾りを贈られ、ホレムヘブは近衛隊長に任命された。
やがてホレムヘブは王妹バケタモンに心惹かれ、満たされぬ望みのはけ口を求めてバビロニアの女ネフェルの宴会に行った。
シヌヘも招かれ、彼女の魅力に負けて自分の財産を与えて関心を買おうとし、彼を慕うメリトを驚かせた。
バケタモンはホレムヘブをそそのかしてネフェルに贅沢な贈物をさせ、シヌヘから離れさせようと企てた。
ネフェルの変心を知ったシヌヘは怒って彼女を溺死させようとさえした。
やがてシヌヘの養父母が自殺し、彼は自責の念にかられ、90日間謹慎して亡骸を丁寧に葬った。
数年後、テーベの都は異民族ヘテ人の侵略の前に曝されていたが、太陽神を凶信する国王アクナトンはなすすべを知らなかった。
シヌヘはメリトが孤児を育てているのを知り、彼女と会って長い放浪ののちはじめて人生の幸福を味わった。
シヌヘは国王の狂った頭脳の治療を命じられたが、バケタモンから自分が先王の子で彼女とは腹ちがいの兄妹であることを知らされ、アクナトンとホレムヘブを毒殺しようともちかけられた。
シヌヘは一旦拒絶したが、メリトが太陽教徒に殺されたのに怒り、ついにアクナトンに毒を盛った。
国王の死後ホレムヘブはバケタモンと結婚して王位につき、異境に流されたシヌヘは回顧録を執筆した。


寸評
当時としては破格の、製作費500万ドルをかけた超大作であり、マイケル・カーティスの晩年の力作であることは認めるが、主人公に存在感がなく波乱万丈の物語を上辺だけをなぞっただけの奥行きのなさを感じる。
主人公を巡る物語だけは目まぐるしく進んでいく。
古代エジプトを舞台に、主人公のシヌヘが孤児から医師になり、ひょんなことから国王と親しくなるが、悪女に骨抜きにされて財産や養父母を失い、親友とも敵対し、愛してくれる女性にも死なれたが、王家の血筋を引いていることを知るというドラマチックすぎるストーリーである。

ジェットコースタ―のようなシヌヘの人生は余りにも作り話過ぎて乗り切れないものがある。
両親が貧しい人々の為に医術を捧げているのに対し、当初はそうであったシヌヘもやがて金持ちだけを相手にするようになるなど、シヌヘがきれいごとを言っても素直に共感できない人物であることも一因だ。
ただし僕は、この物語が紀元前20世紀頃書かれたと思われる古代エジプト文学の最高傑作「シヌヘの物語」が題材となっている事に驚くとともに、エジプト文明の凄さを思い知らされた。

シヌヘを演じたエドマンド・パードムには作品の雰囲気を生み出していくにはやや重荷だったようにも感じる。
この役は当初マーロン・ブランドであったらしいのだが、彼が演じていればまた違った印象の作品になっていただろうにと思わぬでもない。
そう思うと、エドマンド・パードムには気の毒なような気もする。
メリトのジーン・シモンズはこの映画のヒロインの筈だが、描かれ方に存在感がなく、したがってその死もドラマチックでない。
面白い立場と性格設定がなされているバケタモンのジーン・ティアニーの役柄にも物足りなさを感じる。
バケタモンは気の強い性格で、母から兄よりも国王に向いていると言われているのだが、その片鱗がうかがえないのは映画として淋しい。

エジプトが攻められようとしているのに、理想主義者で戦うことを拒否するファラオのアクナトンは、国王としては疑問符がつく存在で、シヌヘもついにはアクナトンの暗殺に加担するのだが、死の間際に残した彼の言葉に感銘を受け、自分がファラオになることを放棄し国外追放となる。
ここでアクナトンが告げる言葉、シヌヘが述べる言葉がこの映画のテーマだと思うのだが、その訴えもなぜか心に響かなかった。

映画はシヌヘが回顧録を書いている所から始まり、書き終わるところで終わっているが、シヌヘの召使になった隻眼の奴隷カプターと、彼が連れて行ったト-トのその後はどうなったのだろうと思う。
最後に、「イエス・キリストの誕生より13世紀前のことである」という字幕がでるが、これは意味不明で、なにが言いたいのかわからない。
キリストが誕生したことで彼らが信仰する神が滅びたとでも言うのか。
それとも、そんなに古い時代の物語だと言いたかったのか。
エジプトの超古代史劇に興味を持ったのだが、期待が過ぎたのか肩透かしを食った感じだ。

永遠の人

2024-04-19 07:03:35 | 映画
「永遠の人」 1961年 日本


監督 木下恵介
出演 高峰秀子 佐田啓二 仲代達矢 石浜朗
   乙羽信子 田村正和 藤由紀子 加藤嘉

ストーリー
◇第一章 昭和七年、上海事変たけなわのころ。
阿蘇谷の大地主小清水平左衛門(永田靖)の小作人草二郎(加藤嘉)の娘さだ子(高峰秀子)には川南隆(佐田啓二)という親兄弟も許した恋人がいた。
隆と、平左衛門の息子平兵衛(仲代達矢)は共に戦争に行っていたが、平兵衛は足に負傷、除隊となって帰ってきて、平兵衛の歓迎会の旬日後、平兵衛はさだ子を犯した。
さだ子は川に身を投げたが、隆の兄力造(野々村潔)に助けられ、やがて隆が凱旋してきたが幸せになってくれと置手紙を残し行方をくらしました。
◇第二章 昭和十九年、さだ子は平兵衛と結婚、栄一(田村正和)、守人(戸塚雅哉)、直子(藤由紀子)の三人の子をもうけていた。
隆はすでに結婚、妻の友子(乙羽信子)は幼い息子豊(石濱朗)と力造の家にいた。
長いあいだ病床にふしていた平左衛門が死に、翌日、友子は暇をとり郷里へ帰った。
◇第三章 昭和二十四年、隆は胸を冒されて帰ってきた。
一方、さだ子が平兵衛に犯された時に身ごもった栄一は高校生になっていたが、ある日、自分の出生の秘密を知り、阿蘇の火口に投身自殺した。
さだ子と平兵衛は、一そう憎み合うようになった。
◇第四章 昭和三十五年、二十歳になる直子と二十五歳になる隆の息子豊は愛し合っていたが家の事情で結婚できなかったので、さだ子は二人を大阪へ逃がしてやった。
そこへ巡査(東野英治郎)がきて、次男の守人が安保反対デモに参加、逮捕状が出ていると報せにきた。
◇第五章 昭和三十六年、隆は死の床についていた。
隆は死の間際に、平兵衛を苦しめていたのは逆に私だ、謝ってくれと、さだ子に告げた。


寸評
地主と小作人の関係は農地解放がなされるまで存在していて、僕はその上下関係を未だに感じている老人を知っている。
もっとも、その小作人は元の地主よりも土地成金となって羽振りが良くなっているのだが。
封建的な制度が存在する中で登場人物たちがもがき苦しむ。
描かれているのは人間が持っている感情の中で一番わかりやすい憎悪を抱きながら生きた人々である。
平兵衛は隆という恋人がいるさだ子を犯し、父親である地主の小清水平左衛門は小作人の草二郎を屈服させて強引にさだ子を息子の嫁にしてしまう。
さだ子はその事で平兵衛を許すことが出来ず、犯されたことで生まれた栄一を素直に愛せない。
さだ子の後ろに隆の存在を感じている平兵衛もさだ子に素直にはなれない。
一方の隆夫婦にも同じような感情が渦巻いており、どちらも夫婦関係を維持しながらも心の底に憎悪の気持ちを抱いている。
それでいながら、家に嫁いだという意識からか、それぞれに子供が生まれている。
栄一は自分の出生の秘密を知り、自分の存在が両親を苦しめていると悟り自殺してしまう。
兄の栄一を慕っていた次男の守人は、兄を自殺に追いやった母親を許していない。
母は逃亡資金を提供することで守人への愛情を示すが、守人からは許さないとのきつい言葉を浴びせられる。
さだ子は娘の直子と隆の息子豊の結婚を許して二人を大阪へ逃がしてやるのだが、その行為も平兵衛への復讐だったのだろう。
憎悪の対極にあるのが愛情であり、愛の表現が直子と豊の夫婦であったと思うが、愛と言う感情に比べれば憎しみと言う感情は、人間関係においては遥かに強いものだと思わされる。
憎悪で結びついた人々が印象的に描かれ続ける。
それぞれの憎悪を映像的に示されるのがアップで撮られた顔の中で光る目だ。
高峰も仲代も乙羽も名優としての目を見せる。
変わらぬ阿蘇の自然を背景として、人の醜さを表すようにシルエット的に撮られるショットが印象的だ。

効果的と評価する人もいるのだろうが、僕はギターによるフラメンコの激しい音楽と、唄と合いの手がどうもしっくりこなかった。
「昔一人の女が鬼になったです それはですな(それはですな) 好かん男のおかみさんいなって子供ができたったい そればってん(そればってん) 婿さんの子供も地獄の炎で火傷したったい」
などという唄は物語を補完しているのだが、どうも描かれている内容とマッチしていないような気がした。
異様な関係を表すための異様な音楽だったのだろうか。
義父を看病するさだ子の姿も憎悪に満ちていたし、亡くなった義父に浴びせる言葉も封建制への痛烈な批判に思えた。
同時に嫁と舅の確執への究極の表現でもあった。
最後はちょっとまとめ過ぎかなと思えたが、そうでもしないとまったく救いようのない映画になってしまう。
そもそも憎悪を描いているのだから、見ていて重い気持ちになるのも当然なのだが、それに耐えた高峰秀子、仲代達矢、乙羽信子は、やはり名優であった。

エアフォース・ワン

2024-04-18 07:36:46 | 映画
「エアフォース・ワン」 1997年 アメリカ


監督 ウォルフガング・ペーターゼン
出演 ハリソン・フォード  ゲイリー・オールドマン
   グレン・クローズ   ウェンディ・クルーソン
   リーセル・マシューズ ポール・ギルフォイル
   ザンダー・バークレイ ウィリアム・H・メイシー

ストーリー
アメリカとロシアの合同特殊部隊は、「カザフスタンの指導者」を自称し、同国を拠点にソ連復活を目論む独裁者イワン・ラデク将軍を拘束する。
アメリカ合衆国のジェイムズ・マーシャル大統領は、訪問先のロシアの歓迎パーティで自分の言葉で演説し、決してテロには屈しないことを強調した。
大統領は演説を終えて、側近たちとマスコミを連れて妻のグレースや愛娘のアリスも搭乗した大統領専用機エアフォース・ワンでアメリカへの帰路につく。
しかしその飛行機の中にイワン・コルシュノフをリーダーとするロシアの過激派テロ集団が紛れ込んでいた。
なんと、彼らを手引きした中に、大統領の側近の一人がいたのだ。
飛行機はテロ集団に襲われて、何人かの同乗者が撃たれてしまう。
テロ集団が飛行機をハイジャックし、アメリカでは副大統領が知らせを受けて対応に追われることになった。
大統領は脱出用カプセルで飛行機から脱したと見せかけて、家族と仲間を守るため飛行機に残った。
テロのリーダーは大統領を逃してしまったと思い、大統領の家族の命と引き換えに、副大統領にテロ組織のリーダーを釈放するように取引を持ちかけた。
副大統領たちが手をこまねいていると、テロリストたちにより人質は一人一人殺されていく。
飛行機に潜んでいた大統領は外部と通信を取ることに成功し、ホワイトハウスに「エアフォース・ワン」を攻撃するよう指示した。
人質の一部をパラシュートで脱出させるが、大統領はついにイワンたちに捕まってしまう。
アリスに銃を突き付けて脅迫された大統領は、イワンの要求に従ってロシア大統領に連絡を取り、ラデクを釈放させた。
釈放に歓喜する隙をついて大統領たちはテロリストを全員殺害し、ロシア側もラデクの釈放を取り消した。


寸評
「ダイ・ハード」のエアフォース・ワン編とでもいったような内容だが「ダイ・ハード」ほどの緻密さはない。
大統領のハリソン・フォードが一人で大活躍するのはブルース・ウィリスの刑事ジョン・マックレーンと同じだ。
イワンはラデクの解放を要求し、応じるまでの間は30分毎に人質を1人ずつ殺害すると告げる。
人質が次々と射殺されてしまうのはどうかと思うのだが、テロリストの残虐性と悪としての存在を際立たせるためだったのだろう。
まずドハーディ国家安全保障問題担当大統領補佐官が射殺される。
イワンは潜伏者をおびき出そうと、グレースとアリスの眼前でミッチェル報道官を殺害し、その様子を機内に放送するのだが、さすがに女性報道官を射殺する直接的シーンはなかったものの残酷なシーンとして嫌悪感が湧く。

内容的にはエアフォース・ワン機内と、ラデクの釈放とテロリストとの交渉を図る地上の米政府との間をテンポ良く行き来して飽きさせないのだが、どこか物足りなさを感じてしまう作品となっている。
テロリストはラデク将軍の釈放を要求しているのだが、彼が釈放されると何が起きるのか想像できない。
どうもロシアの生協に絡んでいるようで、民主化なったロシアが再び独裁国家に戻ってしまうようなのだが、まるでロシアが米国の傀儡政権になっているようでリアリティが感じられない。
それともこの頃はそれが米国の希望であったのかもしれないが。
大統領が名誉勲章を受賞したベトナム戦争の戦線で活躍した元軍人なる設定も都合よすぎるのだが、そうでもないと彼の孤軍奮闘が陳腐になってしまう。

テロに屈しないと宣言していた大統領が、家族が殺されるとなるとテロリストの要求を飲んでしまう。
家族を思うことは万人の思いだと思うが、それすら犠牲にするのが大統領なのだとの思いがあり、それはないだろとの疑問を持つ。
大統領が命よりも愛している妻子なので、我々も死んで欲しくないと願ってしまうのだが、それなりにハラハラする瞬間も多々あって、女性を殺したテロリストなら妻子のどちらかを殺すかもしれないと思わせる演出は十分だ。
ただ大統領を守るためにみずから犠牲となっていく人たちが登場してくるが、それがアメリカンヒーロ―の姿として描かれ、大統領は彼らにとっても唯一無二の存在なのだと思わせる。
ちょっと怖い精神で、まるで天皇陛下万歳と叫んで死んでいく日本兵のようだ。

分からないのは裏切り者の行動で、彼は正体を明かさなければ何事もなく生き延びることが出来たはずなのに、どうして最後に自分の正体をばらしてしまったのだろう。
本国の執務室の様子は、さもありなんと思わせ副大統領は頑張っていたと思う。
テロリストのリーダー、イワン・コルシュノフが米副大統領と電話越しに交渉する様子がスリリングだ。

女性の副大統領としてグレン・クローズは熱演していたが、存在感を見せたのはイワンのゲイリー・オールドマンで、何をしでかすか分からない恐怖感を出している。
一口で言うなら、この映画はシンプルだが使い古されたストーリーであり、伏線を最後にスマートに回収してくれることもない、アクションだけを楽しむ作品と言えるだろう。

噂のモーガン夫妻

2024-04-17 07:51:12 | 映画
「噂のモーガン夫妻」 2009年 アメリカ


監督 マーク・ローレンス
出演 ヒュー・グラント サラ・ジェシカ・パーカー
   サム・エリオット メアリー・スティーンバージェン
   エリザベス・モス マイケル・ケリー
   ウィルフォード・ブリムリー セス・ギリアム

ストーリー
メリル・モーガン(サラ・ジェシカ・パーカー)は、マンハッタンで数千億円の物件ばかりを扱う不動産会社の女社長である。
夫のポール・モーガン(ヒュー・グラント)は、全米屈指の敏腕弁護士。
常にニューヨーク中の噂の的となっているモーガン夫妻である。
週刊誌の表紙を飾ることも珍しくない2人は人も羨む完璧な超セレブカップルだった。
だが、そんな満ち足りた幸せな日々も、ポールの浮気が発覚して過去のものとなってしまう。
冷め切ってしまった妻メリルの気持ちを、プレゼント攻撃で何とか取り戻そうとするポール。
その夜も、夜景の美しいレストランに妻を誘い、関係の修復に懸命に努めていた。
だが、その帰り道、思わぬ事態が2人を襲う。
殺人事件を目撃してしまい、殺し屋・ヴィンセントに二人は狙われることになってしまった。
犯人に顔を見られた2人は、警察の“証人保護プログラム”により、身分を隠してワイオミング州のレイという田舎町へ向かうことになる。
ポールとメリルはそこで、ウィーラー夫妻にかくまわれるが、夫のクレイは頑固そうな顔つきの無口な男性で、妻のエマは銃マニアだった。
人間よりも牛や馬の方が多い田舎で2人きり。
生まれながらのニューヨーカーから見ると、まるで異星人のような農村の住人たち。
彼らとの交流や、大自然との出会いの中で、2人の関係には変化が生まれてくる。
だが、メリルは夫に告げられない、ある事実を抱えていた。
さらに、2人の後を追ってくる殺人者。
その恐怖に怯えながら、命の危険をともに乗り越えた末に、2人が辿り着く結婚の真実とは……?


寸評
主演のヒュー・グラントはベネチア映画祭で主演男優賞を取ったし、サラ・ジェシカ・パーカーはテレビドラマの主演を務めたこともあるので、両者ともにそこそこの人気俳優なのだろうが、この作品ではミスキャストだと思う。
日本人好みでないのか、僕好みでないのか、どうもこの二人にはしっくりこないものがあった。
ロマンティック・コメディとしては着想が面白いし、脚本も不十分ながらもそれなりに練られていると思うのだが、その面白さが十分に昇華しているとは思えなかった。

モーガン夫妻は別居中のセレブ夫妻だが、夫のポールが敏腕弁護士である事、妻のメリルがセレブ相手の不動産業を営む辣腕女社長であることは画面を見る限りよくわからない。
彼等の秘書の存在でそれを感じさせる程度である。
ポールの秘書は男性で、メリルの秘書は女性で、彼等はどうやら恋人らしいのだが、圧倒的な女性上位の関係で、いつも女性が上から目線で指図しているのがコメディらしい。
日本人にはあまり受けないであろうアクの強い笑いを提供している。
一方でサスペンス・タッチのコメディ映画とも言えるのだが、サスペンス部分に関しては全くの付け足しでハラハラするような描写はない。
彼等を保護するニューヨークの警察官が存在感のあるものだったら、シリアスな刑事ドラマになってしまう恐れがあったのか、どこか間の抜けたような警官を登場させている。
このキャスティングは意図されたものだろう。

モーガン夫妻はニューヨークのセレブだが、向かった先は似ても似つかぬワイオミングの片田舎である。
ワイオミングと言えば名作西部劇「シェーン」の舞台となったところではないか。
ワイオミングのレイは「遥かなる呼び声」が聞こえてきそうな牧歌的な町である。
ニューヨークの光景が時折挿入され、ワイオミングの景色との違いを強調する。
星空はプラネタリウムのように広がっており、町の人たちはいつでも貸せるように車のキーも掛けっぱなしにしているような人ばかりだ。
かくまってくれることになったウィーラー夫妻は西部劇から抜け出てきたような夫婦である。
彼等の家で生活することになったモーガン夫婦は言い争いが絶えないが、どこか仲が良い風でもある。
彼等夫婦とウィーラー夫妻の関係が面白いが、ここをもっと徹底的に描いておけば素晴らしいコメディ映画になっていたような気がする。
夫婦がよりを戻すシリアスなドラマではないのだから、もっと大笑いしたかった。
クスリと笑うコメディを狙ったのかもしれないが僕はイマイチ乗れなかった。

暗殺者は盗聴装置を用いてモーガン夫婦の居場所を突き止めるが、サスペンスとしての盛り上がりはない。
純粋サスペンスではないのでそれは当然かもしれないが、暗殺者がレイに到着してからは中途半端だった。
笑いを取るでもなく、それにしてはあっけなく捕まってしまうなどだが、これが米国流の笑いなのかもしれない。
主人公たちの顔立ち、セリフ回し、演技・・・。 どれをとっても何か違和感を持った作品だった。
ベースは面白いと思うのだがなあ・・・。

海を駆ける

2024-04-16 07:15:03 | 映画
「海を駆ける」 (2018) 日本/フランス/インドネシア


監督 深田晃司
出演 ディーン・フジオカ 太賀 阿部純子 鶴田真由
   アディパティ・ドルケン セカール・サリ

ストーリー
インドネシア、スマトラ島北端に位置するバンダ・アチェの海岸で男(ディーン・フジオカ)がひとり倒れている……。日本からアチェに移住し、NPO法人で地震災害復興支援の仕事をしている貴子(鶴田真由)は、大学生の息子・タカシ(太賀)と暮していた。
タカシの同級生クリス(アディパティ・ドルケン)、その幼馴染でジャーナリスト志望のイルマ(セカール・サリ)が、貴子の家で取材をしている最中、日本人らしき男(ディーン・フジオカ)が海岸で発見されたとの連絡が入る。
まもなく日本からやって来る親戚のサチコ(阿部純子)の出迎えをタカシに任せ、貴子は男の身元確認に向かう。
記憶喪失ではないかと診断された男は、しばらく貴子の家で預かることになり、海で発見されたことからインドネシア語で“海”を意味する“ラウ”と名付けられる。
だが彼に関する確かな手掛かりはなく、貴子と共にタカシやクリス、イルマ、サチコもラウの身元捜しを手伝うことに。
片言の日本語やインドネシア語は話せるようだが、いつもただ静かに微笑んでいるだけのラウ。
そんななか、彼の周りで不可思議な現象と奇跡が起こり始めるのだった…。


寸評
「歓待」「ほとりの朔子」「さようなら」「淵に立つ」と見てきた深田晃司なので大いに期待したが、今回の「海を駆ける」は少し期待を裏切られた。
得体のしれないラウだが超能力を持っているらしいので何が起きるのかと思って見ていたら、結局何も起こらなかったという印象。
海からやって来て海に帰っていった。
彼は命そのものの化身なのかもしれない。
軽トラの荷台に乗って貴子の家に向かう時、かれが叫び声をあげると死んでいたはずの魚が飛び跳ねる。
運転手は海辺に二人の人間を発見し急停車するが、死者をよみがえらせたのか、幻だったのか二人は消えていて他の誰もが見ていない。
しおれていた花を再び咲かせる。
少女の命を救ったかと思うと、サチコの病気を治したりする。
超能力で周りの人間に幸せをもたらすのかと思うと、そんな単純な人物ではない。
それなら足の悪いイルマの父親の足を直してやっても良いようなものだがそうはしていない。
子供の水死事件はその延長線上にある。
究極は貴子に行った行為だ。
彼は一体何者なのか?
ちょっとしたフラストレーションがたまる。

ラウと絡むようでいながら、それでいて素通りするように進むのが若者4人の話だ。
母親が日本人のタカシは日本語とインドネシア語を離すことが出来、国籍選択時にインドネシアを選んでいる。
インドネシア生まれのインドネシア育ちだから、タカシにとっては当然の選択だったのだろうが、サチコはどうして日本を選ばなかったのかと疑問に思う。
僕を含めた日本人からすれば自然な疑問だろうが、それは日本人の思い上がりだと言われているようでもあった。
インドネシア語を駆使し、その事を感じさせる太賀はいい演技しているなあと思わせた。
サチコの阿部純子もなかなか良くて、表情の変化に非凡なものを感じた。
登場人物としてのサチコは日本の大学を辞めているので精神的に何かあるのだろうが、一体彼女に何が起きていたのかは不明のままで、これも僕にフラストレーションを起こさせた。
4人は最後に海の上を駆けるが、奇跡は途絶えて突然海中に落ちる。
希望の誕生でもあり、苦難の出現でもある。
ファンタジーでありながら、淋しい思いを抱かせるのは「さようなら」と同じだと思った。
「月がとても綺麗ですね」と同様に、どうも深田晃司の真意が僕に伝わらなかった。