おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

プライベート・ライアン

2020-03-04 08:27:36 | 映画
「プライベート・ライアン」 1998年 アメリカ


監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 トム・ハンクス
   トム・サイズモア
   エドワード・バーンズ
   バリー・ペッパー
   アダム・ゴールドバーグ
   ヴィン・ディーゼル
   ジョヴァンニ・リビシ
   マット・デイモン

ストーリー
1944年6月。連合軍によるフランス・ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、激戦に次ぐ激戦は多くの死傷者を出していた。
そんな中、オマハビーチでの熾烈な攻防を生き延びたジョン・ミラー大尉に新たな命令が下された。
ひとりの落下傘兵を戦場から救出せよ。
その兵士、ジェームズ・ライアン二等兵には3人の兄がいるが、この一週間の間に全員が死亡。
兄弟全てを戦死させる訳には行かないという軍上層部はひとり残されたライアンをなんとしてでも故国へ帰還させようと考えたのだ。
ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発するのであった……。


寸評
強烈な戦闘シーンが2度登場する。1度目が冒頭のDディでのオマハビーチ上陸作戦。2度目がラストにおける橋を巡る攻防戦。
それをつなぐ様に冒頭では、米国旗とフランス国旗に続いて老父となったJ.ライアンの姿が映し出される。
ラストでは、その老父ライアンから星条旗が映し出されて映画は終わる。
このすさまじいモノローグとこのエピローグは、戦場で死ぬということの簡単さと、生きるということの難しさとを対照的に描いていたと思う。

繋がりという点では、冒頭の戦没者墓地の十字架から、オマハビーチの上陸阻止用の鉄杭へと展開させている。
そのあたりの映画的編集はこの作品への感情移入をスムーズにさせていたように思う。
兎に角、冒頭の30分間は戦場における阿鼻叫喚の様子をこれでもかと描き続けていて、この映画の記憶がこれらのシーンだけになってしまってもしかたがないと言えるほどの描写だった。
 上陸艇のゲートが開かれた途端、機銃の掃射によって頭を撃ち抜かれれる兵士。
待ち構える独軍が上陸艇のゲートが開かれるのに照準を当てていたことは容易に想像できるので、たちまちにしてリアルもどきの戦場に引きずり込まれてしまう。
海に没した者には海中までにも銃弾が襲いかかり、海は血の海と変わっていき、ヘルメットで救う海水も真っ赤に染まっている。
あまりの爆撃で魚も海岸に打ち上げられていて、その様子がリアル感を増す。
更には片足が吹っ飛んでいる者、片腕が吹っ飛んでいる者、内蔵をぶちまけて母親の名を呼ぶ若者などが次々と映し出される。
ヘルメットで銃撃を免れた兵士が、ヘルメットを脱いで運が良かったとつぶやいた直後に頭を撃ち抜かれて即死するエンタメ性を描きながらも、戦場においては生死を分けるものがほんのわずかの運命でしかない事が次々と映し出される。

ミラー大尉の "この光景すごいな…" でビーチの惨状が写しだされ、S.ライアンの死が観客に知らされる。
そして同じノルマンディ上陸作戦でのP.ライアンの死と、ニューギニア戦線でのD.ライアンの死が知らされて映画は展開を迎え、その後はライアンを求めて行軍するミラー大尉一行での、わずかな運命が描かれていき、戦場でのヒロイズムが何の役にも立たないことを冷酷に描いていく。

マット・デイモン演じる末弟のライアンがバカ兵士だったら、もっと皮肉めいていたのかもしれないが、それでも若い兵士を前線に送り込んでおきながら、兄弟の死を知るや一方的に帰還を命じる軍部。
そのために多くの人命が危険にさらされるという事は無視されるという矛盾と皮肉を痛烈に訴えかけてはいるのだが、同時にアメリカ万歳的なことも感じて僕自身は微妙な感傷に浸ってしまった。
シーンとしては、冒頭の戦闘シーンが強烈だが、三人の死が母親に知らされる一連のシーンの映像が素晴らしいと感じた。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「プライベート・ライアン」について (風早真希)
2024-06-30 08:19:21
ノルマンディー上陸作戦を辛くも生き延びた、トム・ハンクス扮するミラー大尉に、今度は行方不明のライアン二等兵を探し出せという緊急指令が下る。
死者をも出した苛酷な任務に、次第に兵士の不満がくすぶり出す。

凄まじいまでの迫力の戦闘シーンが、最初から最後まで貫かれ、これがこの映画の絶対的な魅力になっていると思う。
その徹底したリアリズムに基づく、悲惨な戦争の描写に、スピルバーグの反戦のメッセージが読み取れる。
とりわけ、冒頭の30分間のオハマビーチの激戦は、壮絶の一語に尽きる。

波打ち際を、悶える兵士の視線に合わせて、カメラを水中に沈めたり、爆発音で一瞬、兵士の耳が聞こえなくなるシーンでは音を中断したりと、視覚や聴覚のイメージを捉えた演出が見事だ。
まるで、その場にいるかのような臨場感を体感でき、戦闘に直面した兵士の実感がダイレクトに伝わってくる。

ここまで素晴らしい戦闘シーンを撮ることが出来るのは、やはりスピルバーグの手腕に他ならず、今まで数々のダイナミックな娯楽活劇で培ってきた賜物だと言えるだろう。
そういう意味では、メッセージ云々より、一番観客に観せたかったのは、この戦闘シーンであり、スピルバーグの最も自信のあるコアな部分だったのであろう。

敢えて、この映画にテーマを求めるとすれば、尊厳溢れる戦士達への鎮魂歌といったところだろう。

戦地で時折見せる、兵士の人間らしい素顔が、たまらなく魅力的に映し出される。
映画の冒頭と結末になびく、アメリカ国旗やリンカーン大統領の書簡の引用などにも、戦士への敬意ある最大限の賛辞が感じられる。

苛酷な任務に対する疑問、一方では、任務遂行へのあくなき思い。
彼らは死地で何を考えたのか。名誉、勇気、戦争の無為-------。
戦争の真実がここにある。
返信する
ノルマンディー上陸作戦 (館長)
2024-06-30 17:07:59
ノルマンディー上陸作戦では各国が上陸地点を受け持ったが、中でもオハマビーチが一番の激戦地で、アメリカ軍が一番苦労した。
冒頭ではその様子が描かれ圧倒される。
それでも実際の戦場はもっとひどかったのではないかと想像します。
そんな戦場に飛び出して行かないといけない若者たち。
戦争ほどの愚行はないと思います。
返信する

コメントを投稿