おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

男はつらいよ 噂の寅次郎

2022-03-31 08:03:06 | 映画
「男はつらいよ 噂の寅次郎」 1978年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 大原麗子 泉ピン子
   下絛正巳 三崎千恵子 太宰久雄 中村はやと
   佐藤蛾次郎 前田吟 室田日出男 笠智衆 志村喬

ストーリー
旅先で偶然、博の父、風票一郎と出会った寅は、そこで、風票一郎に人生のはかなさについて諭され、「今昔物語」の本を借りて、柴叉に帰った。
その頃、“とらや”では、職業安定所の紹介で、荒川早苗が店を手伝っていた。
寅は帰るや否や、家族を集めて、風票一郎の受売りを一席ブツのだった。
翌朝、修業の旅に出ると家を出ようとするところに、早苗が出勤して来た。
彼女の美しさにギョッとする寅だが、旅に出ると言った手前、やむなく、店を出た。
通りを歩いていると、さくらに出会った寅は急に腹痛を訴えるのだった。
救急車で病院に担ぎ込まれた寅だが、たいしたこともなく、家に帰った。
早苗が現在、夫と別居中であることを聞いて、寅はウキウキしながらも、彼女を励まし、力づけた。
彼女も寅の優しい心づかいに、思わず涙ぐみ、“寅さん、好きよ”とまで言うので、“とらや”一家やタコ社長の心配はつのる一方であった。
ある日、早苗は義兄の添田に夫の離婚届を渡されたが、高校教師の添田は密かに彼女を慕っていた。
暫くして、早苗の引っ越しの日、手伝いに出かけた寅は、そこで生徒を連れてキビキビと働く添田を紹介された。
やがて、そんな添田が、“とらや”に早苗を訪ねてきた。
添田は外出している早苗を暫く待っていたが、意を決するように立ち上がると、手紙と預金通帳を、早苗に渡すように、寅に託して立ち去るのだった。
添田が出て行くと、入れちがいに早苗が戻って来た。
その手紙は、「僕は学校を辞めて、故郷の小樽に帰るが、早苗は、頑張って生きて欲しい」という内容で、預金通帳には、百万円の数字が一行目に記入されていた・・・。


寸評
めっきり体が弱ってきたおいちゃん夫婦は、人件費と利益がトントンでも体が楽になるだけましだと博に諭されて店員を置くことにしたのだが、やってきたのは滅法色っぽい大原麗子演じる荒川早苗。
タコ社長も色っぽいねを連発する。
今回の作品を大雑把に言うと、職安を通じてとらやにやって来た色っぽい女性に寅さんが巻き起こす大騒動ということになるのだが、単なる女性ではなく色っぽい女性というのがミソとなっている。
その点からすると大原麗子の艶めかしい特徴ある声と仕草が、色っぽい女を前面に出して作品にぴったりだ。

僕たちは早苗と出会って寅が一目ぼれしてしまうことは先刻ご承知なのだが、とらやの面々は寅さんが早苗と出会うといつもの病気が出て大変なことになるとヤキモキする姿が可笑しい。
寅さんは早苗が結婚していると聞いてはガッカリし、離婚しようとしていると聞いては張り切りだす。
寅さんが何かと早苗に親切にすると、早苗は寅さんに「わたし、寅さん好きよ」と言ってしまう。
早苗の「好きよ」はLoveではなく、Likeの意味合いで、「親切にしてくれる寅さんが気に入ったわ」程度なのだ。
それで舞い上がってしまう寅さんの様子は毎度のことなのだが、いつもながら面白い。
寅さんが勘違いしてしまうことが分かっているとらやの面々は「どうして早苗さんは、あんなこと言っちゃうんだろうね…」と先行きを不安視する。
そこからの騒動はシリーズの名物なのだから、観客も慣れたものでその可笑しさに浸っていく。

前段として、旅先で博の父親と出会った寅が、そこで今昔物語の話を聞かされる。
絶世の美人に恋した男が、願いがかなってその女性と結婚する。
幸せな生活が続いたが、妻となった女性はすぐに死んでしまう。
妻が忘れられない男は墓を掘り返し、棺を開けるとそこには美人の妻とは思えぬ醜い屍があった。
死んでしまうと美人と言えども皆と同じように醜いドクロとなってしまうという人生のはかなさを悟り、男は出家したという話である。
この今昔物語の受け売りを、面白おかしく言って聞かせた寅さんが、たちまちにしてそれはどこへやらで、美人に恋してしまう男のどうしようもない性を喜劇的に描いていたのだと思う。

早苗は小樽へ帰り、添田と幸せに暮らしているのだろうが、その姿は描かれず、僕たちの想像に任されている。
ハガキの内容からもそれはうかがえないが、おそらく一緒になったのだろう。
もう一人の女性として泉ピン子が登場するが、彼女の位置づけとエピソードの意味合いがよくわからない。
彼女の登場は、早苗に「寅さんてモテるのね・・・」と言わせるためか、それともエンディングの締めに必要な役回りを負わせるためだったのだろうか?
この頃になるとマンネリの面白さというものが板についてきた感がある。
繰り返されてきたドタバタ劇を安心してみていられるし、顔をそむけたくなるようなどぎついシーンなどは排除しているから、誰でも楽しめる作品として昇華を果たしている。
マンネリの中にどのような変化を持ち込むかが大きな命題となりつつあり、今回は博の父親としての志村喬が再登場することがその役目を担っていた。

男はつらいよ 寅次郎と殿様

2022-03-30 08:02:33 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎と殿様」 1977年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 真野響子 嵐寛寿郎
   三木のり平 下絛正巳 三崎千恵子 前田吟
   太宰久雄 佐藤蛾次郎 中村はやと 吉田義夫
   寺尾聡 平田昭彦 笠智衆 斉藤美和

ストーリー
鞍馬天狗の夢からさめた寅さんは、柴又が恋しくなり小さな鯉のぼりを買って勇んで帰って来た。
この鯉のぼりは、最愛の妹・さくら夫婦の一人息子満男のためのものだった。
ところが、さくら夫婦が、やはり満男のためにと大きな鯉のぼりを買ったばかり。
博は寅の心情を知り、庭先の鯉のぼりをいそいでおろすが、寅さんは「みずくさい」と一言いって怒る。
おまけにとらやでは最近、拾ってきた犬に「トラ」と名づけていたから大変。
寅さんは自分が呼び捨てられているものと勘違いして大喧嘩。
例によって柴又を去っていって、愛媛県大洲市を旅することに。
この古い城下町にやって来た寅さんは、墓参りをしている美しい人に一目ぼれ。
その夜、偶然にもその人と旅館がいっしょになって、親に大反対されながらも一緒になった夫が、数カ月前突然亡くなったという身の上話を聞き、しんみりとする。
翌朝、寅さんは持前の気っぷの良さを発揮し、「何かあったら柴又のとらやを訪ねてくれ」といって別れた。
その直後、ふとしたことから時代劇口調の変な老人と寅さんは知り会い、妙に二人は馬が合った。
実はこの変な老人とは、大洲藩十八代目当主・藤堂宗清であり、その夜宗清のお屋敷に連れていかれた寅さんは、そこで、急死した息子の話を聞かされ、その息子の嫁・鞠子に二人の結婚のことを反対したことをあやまりたいという宗清の気持ちに打たれるのであった。
そして、持ち前の義侠心を発揮した寅は東京で鞠子を見つけ出すことを約束して大洲を去った。
それから10日後、待ちきれなくなった宗清は柴又に寅を訪ねて来た。
丁度タイミング良く寅も旅から帰って来たのだが、驚いたのはとらやの連中で、何しろ、この広い東京の中から一人の娘を捜し出さなければならないのだ。
そんなある日、寅さんが大洲で会った美しい女性がとらやを訪ねてきた。


寸評
漫才のつかみ、落語の枕とでもいうべき導入部が満男のための鯉のぼり騒動なのだが、それよりも野良犬のトラ騒動が笑わせる。
今回のマドンナ役は真野響子なんだけれども、彼女への片思い騒動は軽いものですぐに決着がついている。
ゲスト出演は真野響子というより断然副題となっている殿様の嵐寛寿郎に存在感がある。

僕らの世代にとっては嵐寛寿郎、通称アラカンと言えば鞍馬天狗で、杉作少年はあの不世出の大歌手美空ひばりの少女時代であったり、ライオンに頭をかじられたことのある松島トモ子であったりしたのだ。
寅さんの見る冒頭の夢が「鞍馬天狗」であることからしても、やはり本作のメインはアラカンさんだったと思う。
それをサポートするのが執事の三木のり平で、この人のやるドタバタ劇がとんでもなく面白い。
喜劇役者の芸の神髄を見せられたような気がする。
殿様に斬りつけられ、「殿、人情でござる」と逃げ回る姿が可笑しく、「宮仕えも疲れる」とつぶやいて飄々と去っていくシーンなどは爆笑だ。
寅さんと殿様という浮世離れした二人がかもし出す御伽噺なのだが、それに超現実主義者の執事である三木のり平さんが絡む。
のり平さんが上手すぎるくらい上手いのだ。

アラカンさんは伊予大洲藩藤堂家の末裔なのだが、とにかく現実離れしている。
こんなに現実離れした登場人物は本作の殿様を置いて他にいなかったのではないか。
全くもってリアル感がないのだが、その芝居じみた態度、否、わざとらしい大芝居がアラカンさんの魅力を引き出していて、往年のアラカンさんを知る者にとっては嬉しくなってしまう。
アラカンさんは「甘露じゃの~っ」と言ってラムネを飲むし、刀を振りかざして大立ち回りを演ずる。
アラカンさんは手品師のような格好でとらやを訪ねてくるし、リヤカーでとらやにやってくる。
アラカンさんは「ムスメ!聞いておりますか!」とさくらを呼び捨て、鞠子さんと二人で涙をハラハラと流す。
絵になるのだ。
そして夕暮れの江戸川土手を鞠子さんと二人して歩いていくアラカンさんの後姿が何とも郷愁を呼ぶ。
すべてがこのシーンの為にあったような気がしてくるのである。

殿様は「一目お会いした時から、わたしにはよく分かりました。あなたがそばにいてくださって、克彦はどんなにしあわせ…」と泣き続けると、鞠子も「お父様、あたくしもね、...あたくしも幸せでしたよ」と涙を流す。
人情喜劇の見せ場だった。
その後でおばちゃんも交えて楽しげに語らう二人を見ていると、二人の間には確執なんてなかっただろうに・・・もっと早く会えばよかったのにと思ってしまう。
すっかり寅を気に入ってしまった殿様だが、大洲を再訪した寅さんは相変わらず執事の吉田に絡まれている。
渥美清、三木のり平の姿が最後まで笑わせる絶妙のコンビで、まさに名人芸を見る思いである。
そんなこんなで、やっぱし真野響子の印象が薄かったなあ~。
登場時間が少なかったこともあるけど・・・。

男はつらいよ 寅次郎純情詩集

2022-03-29 09:39:47 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」 1976年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 京マチ子 檀ふみ
   前田吟 下絛正巳 三崎千恵子 太宰久雄
   佐藤蛾次郎 笠智衆 浦辺粂子 吉田義夫

ストーリー
「とらや」の連中は朝からそわそわしている。
というのは、担任の先生が産休のため、代わりに、美しい雅子先生がやって来るからである。
「こんな時に寅が帰って来たら大変なことになる」と一同が噂している最中、雅子先生の後から、寅が平和な顔をしてブラリと帰ってきた。
あきれる皆をよそに寅は持前の饒舌で雅子先生の相手をし、家庭訪問をメチャクチャにしてしまった。
さくら夫婦はカンカンに怒ってしまった。
寅に反省を求めようと、皆がまちかまえている所へ、バツの悪そうに寅が帰って来た。
それからは、例の通りの大喧嘩を引き起こし、寅は再び旅に出てしまった。
数日後、寅は紅葉美しき信濃路を旅していた。
寅はここで昔世話した旅役者の一行に偶然出会い、その晩、寅はドンチャン騒ぎの散財をしたところ、翌朝になって旅館に無銭飲食がバレて、警察のやっかいになってしまった。
知らせを受けたさくらは寅を引きとりに来て、さすがの寅も後悔してションボリ柴又へ帰ってきた。
そんな折も折、雅子先生が綾という美しい、しかも未亡人の母親をつれて、「とらや」にやって来た。
綾は由緒ある家柄の未亡人だが、昔から病気がちで、ほとんど家にとじこもっていた。
綾と寅は昔からの顔なじみであった。
そんなある日、寅は夕食に招待され、綾に捧げる寅の慕情はつのる一方であった。
しかし綾の病気はすでに悪化していて、ある日、綾は眠るようにしてこの世を去った。
明けて昭和五十二年のお正月。
帝釈天の参道は、初詣客でいっぱいで、とらやの連中はてんてこ舞いの忙しさ。
そんな頃、寅は雪に覆われた山々を背にした、田舎の小学校に転任した雅子先生を訪ねていた。


寸評
前段は満男の家庭訪問騒動と、寅さんの無銭飲食騒動だが、特に無銭飲食騒動が笑わせる。
寅さんは信州最古と言われる別所温泉で、馴染の旅役者とであい、車先生と慕われ彼等に散財する。
もとより金のない寅で、警察のお世話になりさくらがその尻ぬぐいにやって来る。
ところが警察でお世話になっている寅さんがすっかり我が物顔でいる様子がとても可笑しい。
出前はとるわ、署員にコーヒーをおごるわ、ベテラン警官とは友達状態であり、さくらはあきれるが、見ている僕たちは可笑しくてしかたがない。
渡辺巡査の梅津栄が人のいい田舎の巡査をほのぼのと演じていて好感が持てた。
婆やの浦辺粂子さんも好感が持てたし、ベテラン俳優は何気ない演技を上手いと感じさせる。

18作目となるとあの手この手も底をついてきて、今回の新趣向は寅さんとマドンナの別れが死に別れとなること。
相手はすっかり貫禄がついた京マチ子である。
最初は満男の臨時担任となった雅子先生の檀ふみだったのだが、さくらが弾みで「娘さんぐらいの先生はどうかしている、せめてお母さんぐらいの年齢なら応援して上げれるけど」と言ったところへ現れるのが、落ちぶれ資産家のお嬢様であった綾だったのだ。
おばちゃんに「さくらちゃん…大変なこと言っちゃったねえ」と言われるが、後の祭りである。
その後も何かと綾の家を訪ねようとする寅が「行っちゃいけないかな」とさくらに聞くと、さくらはつい「あまり迷惑にならない程度なら…」と言ってしまい、再びおばちゃんに「ちゃんと言わなきゃだめだよ」と釘を刺されるが、これまた後の祭りである。
度々繰り返されたやり取りだが、それらはすべて、綾の体調急変で駆けつける時の伏線だったことがわかる。
旅芸人が見せる不如帰の芝居も伏線となっていたことにも気が付く。

綾は世間知らずのお嬢様育ちだったし、長期療養と3年もの間入院していたので世間ずれしている。
印刷工場社長の梅太郎はとらやではしゃぐ綾をみて「世間ばなれしている…」とつぶやくが、それは寅さんに対しても言っているようだった。
ちょっと浮いたような演技だったけれど、京マチ子が精一杯の喜劇役者ぶりを見せていた努力は買える。

綾の柳生家は落ちぶれていたので彼女は政略結婚で資産家と一緒になったのだが、愛はなく旦那も死んだので実家に戻ってきた身の上で、愛されるということを知らない。
寅の思いを感じていた綾の気持ちを娘の雅子先生が語るのだが、やけにしんみりさせる。
僕などは涙が流れてしようがなかった。
当初は真面目なシーンにとどまっていたのだが、この頃になるとお涙を頂戴するような演出になっている。
この作品ではマドンナの悲劇や絶望を過剰に表現せず、寅のやさしさや、さくらの思いやりに重点を置き、絶望の中でもユーモアを忘れず、とらやの人々が人の気持ちに寄り添っているからこそ泣けるのである。
マドンナが死んでしまうなんて禁じ手だと思うのだが、寅が無償の愛を提供する姿に感動した。
喜劇なので寅の奉仕活動は源公に雑用をさせるなどだが、源公も婆やにかかれば「可愛い坊やだね」となるので、このシリーズはそんな市井の人々の思いやりの気持ちの上に成り立っていることを痛感したのである。

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け

2022-03-28 10:05:43 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」 1976年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 太地喜和子 下絛正巳
三崎千恵子 前田吟 太宰久雄 佐藤蛾次郎
中村はやと 桜井センリ 寺尾聰 佐野浅夫
大滝秀治 笠智衆 岡田嘉子 宇野重吉

ストーリー
春、4月。“とらや”を営むおいちゃん夫婦は、寅の妹さくらの一人息子・満男の新入学祝いで、大忙し。
そんな所へ、久し振りに寅が、旅から帰って来た。
ところが、おいちゃんたちと大喧嘩の末、家を飛び出してしまう。
その夜、寅は場末の酒場でウサンくさい老人と知り合い、意気投合して、とらやに連れて来た。
ところが翌朝、この老人はぜいたく三昧で、食事にも色々注文をつけて、おばちゃんを困らせる。
そこで寅は老人に注意すると、老人はすっかり旅館だと思っていたと言い、お世話になったお礼にと一枚の紙にサラサラと絵を描き、これを神田の大雅堂に持っていけば金になる、といって寅に渡した。
半信半疑の寅だったが、店の主人に恐る恐るその絵を渡すと、驚いた主人は7万円もの大金を寅に払うと言うので寅はびっくりしてしまい、とらやでは老人の正体を知って大騒ぎ。
この老人こそ、日本画壇の第一人者・池ノ内青観だったのだ……。
それから数日後、青観が生まれ故郷の兵庫県・竜野へ市の招待で来た時、偶然、寅と会った。
市の役人は、青観と親しく話す寅をすっかり青観の弟子と勘違いして、二人を料亭で大歓迎。
美人芸者のぼたんの心ゆく接待にすっかりご機嫌の寅。
翌日、用事があると言って出かけた青観の代理で、寅は市の観光課長の案内で、昼は市内見物、夜はぼたんを連れてキャバレーやバーの豪遊に、観光課長も大弱り。
その頃、青観は初恋の人を訪ねて帰らぬ遠い青春時代の感傷にひたっていた。
やがて、寅はぼたんに別れを告げ、竜野を発った。
夏が来て、とらやにぼたんが寅を訪ねて来ると、やがていつもの騒動がもちあがる・・・。


寸評
1976年の日本映画は不作の年で、あまりいい映画が作られなかった。
キネマ旬報のベストテンで2位に選ばれているが、1位が長谷川和彦の「青春の殺人者」で、3位が増村保造の「大地の子守歌」、以下山本薩夫の「不毛地帯」、市川崑の「犬神家の一族」と続いた。
内容的にベストテンの2位になるような作品ではないが、それでも「男はつらいよ」シリーズの水準の高さを感じさせる作品となっている。

今回の舞台は兵庫県の竜野で三木露風の童謡「あかとんぼ」で有名な町である。
僕は学生時代に友人とこの竜野を訪れ、国民宿舎の「あかとんぼ荘」に宿泊した。
何もない土地で、それがかえって風情を醸し出していたのだが、浴場で一緒になったおじさんたちから「あんたら若い者がこんなところに来ても麻雀ぐらいしかすることがないで」とからかわれたのだが、何のことはない僕たちは麻雀に没頭するためにそこを訪れていたのである。
今は改装もなったのか随分と小奇麗な国民宿舎に生まれ変わっているようだ。

作品中で竜野は池ノ内青観の故郷となっていて、彼は若い頃に思いを寄せた女性を訪ねている。
彼女は「人生は後悔の積み重ねで、ああすればよかったという後悔、あんなことをしなければよかったという後悔だ」と話すが、初恋の相手に関しては後悔ばかりが先立つものである。
なぜこの話が挿入されたのか判然としないが、行き過ぎるタクシーの窓越しに挨拶をかわす老人たちの姿にある種のあこがれを感じた。

今回のマドンナは太地喜和子の芸者ぼたんであるが、シリーズ中で多く描かれた寅がマドンナに入れあげて片思いの騒動を起こしていない。
むしろ寅の片思い騒動は非常に抑えたものとなっている。
みすぼらしい恰好の池ノ内青観に親切にしてやると、青観は金に換えるための絵を書いてやるのだが、タコ社長が言うように自分たちが汗水たらして得ることを思うと随分と楽なように見える。
それも池ノ内青観という名前があるからで、竜野においてもその名前で歓待を受けている。
竜野の観光課では殿様の末裔が足軽の末裔の課長の部下となっていたりと、権威主義に対する皮肉がチクリと描かれている。
そんな権威とは無関係な世界にいるのが寅とぼたんである。
あっけらかんとしたぼたんの太地喜和子は生き生きしていて華やいでいる。
「寅さんには好いた人がおるんやろね、その人に私がよろしゅう言うてたと伝えといてください」と言ってとらやを去るぼたんは粋な女性を感じさせ、女性から寅への愛情表現としてもなかなか粋なセリフであった。

随分と堅気の女性に恋をしてきた寅さんであるが、彼の生活態度からかどうも玄人筋、水商売の女性の方がピッタリとくるようだ。
シリーズ中では浅丘ルリ子のリリーと、太地喜和子のぼたんが双璧だったように思う。
太地喜和子は再登場することなく早世してしまった。

男はつらいよ 私の寅さん

2022-03-27 09:33:25 | 映画
「男はつらいよ 私の寅さん」 1973年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 岸恵子 前田武彦 倍賞千恵子
   松村達雄 三崎千恵子 前田吟 中村はやと
   太宰久雄 佐藤蛾次郎 笠智衆 津川雅彦

ストーリー
テキヤ稼業のフーテンの寅の故郷、東京は葛飾・柴又。
寅の妹・さくらと夫の博は、おいちゃん夫婦への感謝をこめて九州旅行へ招待することになった。
準備万端整えて、明日は全員揃って観光旅行へ出発する、というその日、寅がフラリと帰ってきた。
驚いた皆は、寅に旅行のことを隠そうとしたが、つまらぬことからパレて、寅は大いにムクれてしまった。
ふくれっ面の寅に、さくらは真情を込めて、おいちゃん夫婦への感謝の旅行だと説明すると、やっと寅は了解し、今度は留守番を買ってでた。
数日後、寅はふとしたことから、小学校時代の級友で、今は放送作家をしている柳文彦に会った。
何十年ぶりかの再会で話は大いにはずみ、調子にのった寅は、文彦に連れていかれた妹・りつ子の家で、彼女のキャンパスにいたずら描きをしてしまった。
寅にしてみれば軽い気持でやったのだが、画家を職業としているりつ子にとっては言語道断、二人は会うなり大喧嘩をしてしまう。
翌朝、おいちゃん達へ、りつ子の悪口を言っているところに、当人が喧嘩の詫びを言いに現われた。
寅はその日以来、貧乏画家のパトロンを気取り、次第に彼女に惹かれていった。
ある日、りつ子が病気で寝こんだと聞いた寅は早速見舞いに出かけた。
りつ子は寅に、失恋の痛手から寝こんでしまった、と笑いかけた。
寅はそんなりつ子を懸命の努力でなぐさめ、とらやに帰るやいなや、恋の病いが伝染したかのように、そのまま床についてしまった。
数日後、とらやを訪ねたりつ子は、寅が自分に想いを寄せていることを感じて複雑な気持ちになる。
しかし、寅は寅なりに、自分の恋心が、とらや一家のみならず、次第にりつ子や文彦に知れわたってしまったことを恥じ、旅に出る決意を固めてりつ子の許を訪ねた。


寸評
さくらを初め、おいちゃん達一家が出かけようとするところに寅が帰って来て気まずくなるというのは時々描かれる導入部のパターンである。
おいちゃん夫婦にずっと世話になってきたことへの感謝の気落ちもあって、さくら夫婦が九州旅行をプレゼントしたのだが、明日出発するという日に寅が帰って来て騒動が起きる。
行先は色々あるが、スネた寅が言う文句の口上は毎回同じである。
シリーズのファンならば、「あーあ、またやってるわ」的なやり取りである。
ひと悶着があって、寅さんを留守番にして一家は旅立つことが出来たが、一人淋しい生活を送る寅さんは、さくらが掛けてくる旅先からの電話を心待ちにしている。
その子供じみたやり取りが面白い。

やがて3泊4日の旅を終えた一家が帰ってくるが、寅さんは行き届いた心配りで彼等を迎える。
あっさりした食べ物をと、鮭の塩焼きやお漬物を準備し、旅の疲れを取るためにお風呂も沸かしておいてやる。
このような手配をさせると才能を見せる寅さんなのである。
そのことを感謝されると照れてしまうシャイな寅さんでもある。
照れる寅さんの態度が笑わせる。

家族の有難さを知り、すっかりおとなしくなった寅さんを「なんだか兄さんみたいじゃない」と博がさくらに言ったのを皮切りに、寅さんの片思い騒動が始まる。
今回のマドンナは小学校で級友だった前田武彦の妹である岸恵子である。
彼女の演じるりつ子は画家としての生活に浸りきっていて婚期を逃している。
どうやら好きな男もいたようなのだが、その男も金持ちの女性と結婚してしまった。
当然のように寅さんはりつ子に恋するのだが、新しい切り口として今回ははっきりとりつ子から拒否されている。
寅さんを見舞いに来て、寅さんの気持ちを知ったりつ子は急いでその場を立ち去る。
雰囲気が悪くなったしまった寅は後日りつ子を訪ねるが、りつ子は「寅さんの気持ちは分かっているのだけれど、画家として自由に生きたい。寅さんとはずっと友達でいたい」とハッキリ告げるのである。
これほど気持ちをはっきりと伝えるキャラクターとして、岸恵子をキャスティングしたのは的を得ている。
もしかすると岸恵子のキャスティングで、このような展開にしたのかもしれない。
岸恵子にうじうじする女性は似合わないだろう。

思いを寄せる女性に気持ちを伝えたばかりに関係が崩れ、それっきりとなってしまうことも確かにあるだろう。
しかし、いつまでもいい関係を続けたいがために、友達を装い思いを告げられなかったという恋もある。
あの時、あんなことを言わねばよかったという後悔もあり、あの時はっきりと言えばよかったという後悔もある。
人生は後悔の連続である。
寅さんは後悔しているのか、していないのか、今日も威勢のいいタンカ売を行っていて、小気味よい口上がスクリーン一杯に響き渡る。
僕たちは元気な寅さんを見ることで、安心して映画館を出ることが出来るのである。

続・男はつらいよ

2022-03-26 07:09:29 | 映画
さすがに後半は息切れした感のある「男はつらいよ」シリーズでしたが、水準を守り続けた珍しいシリーズだったと思います。
特によかった「男はつらいよ 望郷篇」、「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」、「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」は2019/2/21から紹介済みです。
今回は残りの作品から少し抜粋していきます。


「続・男はつらいよ」 1969年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 佐藤オリエ ミヤコ蝶々 
   森川信 三崎千恵子 前田吟 山崎努 
   津坂匡章 太宰久雄 佐藤蛾次郎 笠智衆
   財津一郎 東野英治郎

ストーリー
フーテンの寅さんこと車寅次郎(渥美清)は、故郷・葛飾を離れて弟分の登(津坂匡章)としがない稼業を続けていた。
そんなある日、北海道でうまい仕事があるとの知らせに出発したが、途中で妹さくら(倍賞千恵子)や、おじ(森川信)、おば(三崎千恵子)の顔みたさに東京で下車したのが運のつき。
茶一杯で退散と決心したが、中学時代の坪内先生(東野英治郎)の家の前を通りかかり、懐かしさの余り、玄関先で挨拶のつもりが、出てきたお嬢さん(佐藤オリエ)の美しさに惹かれ、さっきの決心もどこへやら。
上がりこんでの飲むわ食うわがたたって腹痛を起こし、病院へかつぎこまれ一週間の入院を命じられた。
退屈そうな入院患者相手に香具師の実演をやらかして藤村医師(山崎努)に大目玉を食い、たまらずやってきた登とウナギが食べたいと窓から脱出したが、無銭飲食から大喧嘩となり留置所入りの破目になった。
さくらは泣くやら、おじとおばは怒鳴るやらの喧嘩の末、夜逃げ同様に柴又を後にした。
北海道の仕事はうまくいかず、再び登と本州に戻った寅は東京を素通りして、関西に来た。
かねがね母親のお菊(ミヤコ蝶々)が関西にいると聞いていた寅が、仲間に頼んで捜していたところ、偶然、坪内先生と一緒に買物をしているお嬢さんと出会った。
やがて、母のいどころが判り、お嬢さんについて行ってもらった。
ところがその母親は、寅の夢の中に出てくるやさしい母親と違い、厚化粧をし、三流どころの連れ込み宿を経営する女だった。
カーッとなって怒鳴りつけた寅は、そのまま汽車に乗って去った。
半月後、先生は他界し、寅が世話になった病院の藤村医師とお嬢さんの結婚を聞いた寅は、またも悲しみに打ちひしがれ、詑びるお嬢さんの言葉を胸に、登とともに柴叉を後にするのだった。


寸評
二代目マドンナは佐藤オリエだが、前半は彼女が引っ張るような形で、寅さんと実の母親との対面が描かれる。
対面場面は、この後パターン化した夢のシーンが単なる夢にとどまらず本編の伏線となっていた。
面白いのは対面で打ちひしがれた寅が帰ってくるシーンだ。
皆は母親のことを思い出せない為に、母に通じる言葉を禁句としていたのだが、ついつい誰彼となく無意識のうちに口走ってしまう。
テレビをつけると「お母さーん!」と叫んでいるコマシャールが写っているというものである。
そういえばこの頃のテレビでは「ハナマルキみそ」のコマーシャルがよく流れていた。
当然それあってのギャグである。

おいちゃん、おばちゃんが寅のことを「寅」や「寅ちゃん」ではなく「寅さん」と呼んでいるぎこちなさは残っているが、一作目がヒットしたために急きょ取られた二作目にもかかわらず、手抜きは見られずキッチリとまとまっている。
坪内先生のお嬢さんの姿が見えるとソワソワしだす寅の姿も滑稽さを増していた。
坪内先生は「天然ウナギが食べたい」と言いだす騒動は、病院でのウナギ騒動が伏線となっていたと思う。

寅はこの坪内一家に入りびたりとなるが、兎に角いたるところでこの坪内親子と出会うことになる。
この辺は喜劇映画の都合のよさだ。
柴又で事件を起こし京都へ来ていた寅が、都合よく京都見物に訪れていた坪内先生たちと出会う。
そのことがあって寅は実の母親との面会を果たすのだが、そこでのやり取りも面白い。
グランドホテルとは名ばかりのラブホテルで、部屋に通された二人が見せる戸惑いも笑わせる。
しょげて帰ってきた旅館で寅は泣きじゃくるが、そこでも部屋から庭に転げ落ちるギャグを見せて、悲しい場面を面白い場面に変えてしまっている。
とにかく吉本新喜劇も顔負けの、これでもかという小ネタの連続なのだ。
坪内先生のお嬢さんとは再び京都で出会うが、寅はそれに気づいていない。
どうなるのかと思うと母親が再び登場してホンワカした雰囲気を出して、後味が悪かった話にもケリをつけていた。

この二作目をもって「男はつらいよシリーズ」の形が固まったと言っても良いと思う。
夢物語に始まり、タイトルが出て、クレジットに重なるように渥美清の歌う主題歌が流れる。
その後は片思いによるマドンナを巡る騒動が巻き起こるというストーリー立てだ。
それを補うように若干のエピソードが付け加えられる。
映画を支えるのは渥美清の喜劇役者としての振る舞いだ。
東宝の喜劇である「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」とは全く違う雰囲気を出しているし、植木等の「無責任男」のドタバタとは異次元にあると思わせる松竹の喜劇である。
笑いたければ「男はつらいよ」を見ればいいと思わせるようになった作品でもある。
シリーズ化されることになったことへの貢献度が大きい作品で、この二作目が水準を保ったことでシリーズ化が可能になったと思う。

男たちの挽歌

2022-03-25 07:02:12 | 映画
「男たちの挽歌」 1986年 香港


監督 ジョン・ウー
出演 チョウ・ユンファ
   ティ・ロン
   レスリー・チャン
   エミリー・チュウ
   リー・チーホン
   ケン・ツァン

ストーリー
ホーは香港の紙幣偽造シンジケートに属するヤクザで、闘病中の父と学生である弟キットの面倒を見ていたが、弟が警官になる希望を持っていることで病床の父から足を洗うよう頼まれる。
キットは兄が相棒のマークとともにボス・ユーの片腕的存在だとしらず恋人ジャッキーをホーに紹介した。
組織の仕事で台湾に飛んだホーは、これを最後の仕事として闇社会から足を洗おうと決意していた。
しかし取り引きは密告によって警察に知られており、同行した後輩シンを逃しホーは自首することになる。
そのころ、香港ではホーを憎む組織の刺客がホーの留守宅を襲い、父を殺されたキットはそのことで尊敬する兄が香港マフィアと知る。
“ホー逮捕”の記事を読んだマークは復讐を決意し台湾に向かい、乗り込んだレストランで敵を皆殺しにしたものの組員の銃弾を受けて右足を傷めてしまう。
そして3年。台湾で刑期を終えて香港に戻ったホーは、今では警察官になり結婚もしているキットから、父親の死の責任とマフィアの兄を持つことから出世の出来ない不満をぶつけられた。
そんなある日、自分のために負傷し落ちぶれたマークとばったり会ったホーは、弟のためにもニセ札組織壊滅に動き出すが、今、組織を取り仕切っているのは、かつて舎弟扱いをしていたシンだった。
彼が組織の悪事が外にもれることを恐れてマークを襲ったことでシンに対するホーの怒りが爆発する。
ホーはキットにニセ札組織壊滅の手柄を立てさせ、シンから金を奪ってマークと共に香港からの脱出を企てる。
したたかなシンは大ボスのユーを殺し、すべての罪をホーの仕業とみせかけ暗黒街を支配しようとしていた。


寸評
香港ノワールとしてはベタな内容だが、火付け役となるだけの雰囲気は兼ね備えていて一応の及第点はある。
兄はマフィアで父親もかつてはマフィアの一員だったらしく兄がマフィアであることを知っている。
警察官を目指している弟だけがその事実を知らない。
その家族関係がどのようにして出来上がったかの説明がないので、兄と弟の関係悪化に至る描写は奥深いものではない。
偽札を扱うマフィア組織は偽装しているのか、えらく明るい普通のオフィスで、社員が明るくホーやマークに挨拶しているのだが、二人とも黒ずくめに黒サングラスで、めっちゃ怪しい格好をしている。
それでもオフィスの人々は裏稼業を知らず、ホーやマークを普通の会社の役員とでも思っていたのだろうか。
マフィアが父親を襲う場面や銃撃戦シーンなどは滑稽であったり、漫画的であったりしてリアルさを感じない。
数え上げればきりがないツッコミどころ満載の映画なのだが、場面展開がテンポよく進んでいくので、見ているうちは疑問を挟んでいる暇がない。
そこがいいところだ。

ストーリー的にホーのティ・ロンが主役なのだろうが、一見そこいら辺にいる普通のオッサンという印象で凄みに掛けるのが作品を弱くしているかも。
悩める兄を描くために、あえてアクのないティ・ロンを起用したのかもしれないなとは思う。
逆に準主役ながら、マッチ棒をくわえて二丁拳銃をぶっ放すマークに扮するチョウ・ユンファがカッコイイ。
キットに説教するところや死にざまを見ると、むしろこちらを主役にしたほうがと思わせ、ユンファは儲け役である。
ホーが服役している間にのし上がったシンのレイ・チーホンも線が細く、全体的に凄みを感じさせるキャスティングとはなっていないという印象がある。

マークはマフィアから磁気テープを奪うが、一体あの磁気テープには何が記録されていたのだろう。
悪事がすべてバレてしまう内容のようなのだが内容はわからない。
磁気テープの争奪戦がもっとあっても良かったように思う。
最後の銃撃戦は、もう無茶苦茶だ。
銃撃戦はマンガの世界で、足が悪かったマークが走り回っているという状況である。
爆発的な攻防戦があった後なので、ラストシーンのストップ・モーションは男の哀愁を感じさせた

香港ノワールとして評価が高いようだが、僕はそれほど評価しない。
後年送り出された「インファナル・アフェア」などの作品に比べると粗雑感をぬぐい切れないのだが、それは制作年度によるものだろうか。
「男たちの挽歌」のような作品があったからこそ、後年にハリウッドも顔負けと言う作品が撮られるようになったのかもしれない。
カンフー映画しか知らなかった者に、ノワール作品だってあるぞと知らしめた作品ではある。
その意味では香港映画における歴史的作品と言えるかもしれない。

おとうと

2022-03-24 07:34:51 | 映画
「おとうと」 2009年 日本


監督 山田洋次
出演 吉永小百合 笑福亭鶴瓶 蒼井優 加瀬亮
   小林稔侍 森本レオ 茅島成美 キムラ緑子
   笹野高史 小日向文世 石田ゆり子 加藤治子

ストーリー
東京で薬局を営む高野吟子は、夫を早くに亡くし、女手ひとつで一人娘の小春を育ててきた。
その小春もエリート医師との結婚が決まり、喜びもひとしお。
式の当日、吟子の兄の庄平は、「お世話になりました」と母に頭を下げる小春を見ただけで涙ぐむ。
ところが式の当日、音信不通だった吟子の弟、鉄郎が突然羽織袴姿で現われた。
鉄郎は酒癖が悪く、たびたび問題を起こしてきた家族の鼻つまみ者。
庄平に酒を飲むなと強く釘を刺されるが、我慢できたのは最初の数十分だけ。
若者に交じって酒を一気飲みた鉄郎は、タガが外れて大暴れし結婚式を台無しにしてしまう。
誰もが激怒する中、それでも鉄郎をかばってしまう吟子だった。
小春の結婚生活は長くは続かなかった。離婚が成立し、再び高野家で三人の暮らしが始まった。
ある夏の日のこと、鉄郎の恋人だという女性が、借金を返してほしいと高野薬局にやってきた。
吟子はなけなしの預金を引き出すと全額手渡すのだった。
ほどなく、鉄郎が東京に現れ言い訳をするが、その不誠実な言動に「もうこれきりにして、お姉ちゃんなんて呼ぶのは」と、吟子は鉄郎との絶縁を言い渡す。
「わいみたいな、どないにもならんごんたくれの惨めな気持なんか分かってもらえへんのや」と言って去った鉄郎の消息はぷっつりと途絶えてしまった。
季節が流れ、小春をひそかに想い続けていた幼なじみで大工の長田亨が、何かと高野薬局に顔を出すようになり小春の表情にも明るさが戻ってきた。
消息不明だった鉄郎が、救急車で病院に運ばれたという連絡が入った。
反対する小春を諭して大阪に向かう吟子。駆けつけた大阪で、吟子の恐れは現実となる。
鉄郎の身体中にガンが転移、あと何カ月も生きられないというのだ。
吟子は去来する想いを胸に、鉄郎と再会を果たすが──。


寸評
市川崑監督の「おとうと」に捧げる作品とあったが、岸恵子さんと川口浩さん主演による市川版「おとうと」とはモチーフは同じでも少し違った内容であった。
一番の違いは、どちらもしっかり者の姉がダメな弟をかばってやり、弟は姉だけには心開きながら死んで行くのだが、川口浩の弟が時折姉さんを助けてやったりするのに対し、笑福亭鶴瓶が演じる鉄郎は姉さんに迷惑の掛けっぱなしで助けてもらうばかりなところ。
それでも最後にテープで手つないで眠るところなどは引き継がれていて、市川崑監督の「おとうと」を思い起こさせた。

「ディア・ドクター」に続いて笑福亭鶴瓶が頑張っていてダメな弟を熱演していた。
ホームレスとも親しくなって御馳走してもらうような人なつっこさを持った気のいい男の雰囲気を十二分に表現していたと思う。
脇役陣に人のよい善良な人々として森本レオや笹野高史などの人情味あふれた商店街のおじさん達や、小日向文世や石田ゆり子などの福祉施設を支えるボランティア活動の人々などを登場させ、この世の中は善意の人たちが満ち溢れていると言わんばかりの人間愛を信じたような演出はいつもながらである。
したがって、小春が離婚することになるお医者さんも「それは違うだろう・・・」と誰にでも思わせるような描き方をして、とことんぶつかり合う丹野家の家族との違いを感じさせ、唯一の悪役をやらせていたが、それでも決してこんな憎たらしい奴はいないと感じさせる描き方はしていない。
この辺りは山田洋次映画の特徴でもある。

脇役の出色は吟子の亡くなった夫の母親を演じた加藤治子で、嫁と姑の関係をコミカルに描きながらも、その実家族を思っている老婆を好演していたと思う。
キムラ緑子の大阪の女も光っていた。
「アンタが悪いわけやない」と思わず囁かせるような熱演ぶりだった。
肉親だからこその骨肉の争いもあるなかでの、切っても切れない肉親の感情を丁寧に描いていて、感動する場面もたくさんあって安心できる映画であった。
私は、吟子が縁切りだと言っていた弟の命があとわずかと知って「死んでしまう・・・」と泣き崩れるシーンに大泣きだった。
ただ、この役は吉永小百合さんが一番の適役だったのだろうか?
主演女優賞も何回か取っており、性格もすこぶるよさそうな高感度バツグンの女優さんなのだけれど、どうも現実感のない女優さんで兄弟の切っても切れない、特に母親代わりとなって面倒を見てきた弟の関係を内面から感じさせるには至っていなかったように思う。
これは演技力以前の問題で、彼女の持っている雰囲気の損な部分だと思っている。
小林稔侍の兄をその後一度も登場させなかったのだから、そのあたりをもう少し感じさせてもらいたかったなあと言うのも正直な気持ち。
池乃めだかや横山あきおは登場シーンや台詞は少ないがいいアクセントになっていた。
心配していた「男はつらいよ」のイメージは全くなかったが、出来は市川崑版の方が断然いい。

オズの魔法使

2022-03-23 08:26:39 | 映画
「オズの魔法使」 1939年 アメリカ


監督 ヴィクター・フレミング
出演 ジュディ・ガーランド
   バート・ラー
   ジャック・ヘイリー
   レイ・ボルジャー
   ビリー・バーク
   マーガレット・ハミルトン

ストーリー
アメリカ合衆国カンザス州でエム叔母、ヘンリー叔父、小さな飼い犬のトトと共に少女ドロシーは暮らしている。
ある日、ドロシーとトトは竜巻に巻き込まれて、不思議なオズ王国の中のマンチキンの国へ飛ばされてしまう。
落ちた家は、マンチキンたちを独裁していた東の悪い魔女を圧死させる。
北の良い魔女がやってきてマンチキンたちと喜びを分かち合い、悪い魔女が履いていた不思議な力を持つ赤い靴をドロシーに授け、良い魔女はドロシーに家に帰れる唯一の方法はエメラルドの都に行って壮大な魔力を持つオズの魔法使いに頼むことだと語る。
マンチキンによるパーティに出席した翌日、ドロシーは棒に引っ掛かったカカシを助け、ブリキの木こりに油をさし、臆病なライオンと出会う。
カカシは脳を、ブリキの木こりは心を、ライオンは勇気を手に入れる願いを叶えてもらうため、ドロシーとトトと共に魔法使いに助けを求めにエメラルドの都に向かう。
一行はエメラルドの都で1人1人呼ばれ、ドロシーは大理石の王座の上の巨大な頭、カカシは絹の紗に包まれた愛らしい女性、ブリキの木こりは恐ろしい野獣、臆病なライオンは火の玉の形をした魔法使いに会う。
魔法使いはもしオズ王国のウィンキーの国を独裁する西の悪い魔女を殺せば全員の願いを叶えると語る。
西の悪い魔女は一行をやっつけるために、狼、野生のカラス、黒い蜂の群れ、ウィンキーの兵士たちを送るが、彼等に敗れ去ってしまったので、ついに魔女は黄金の冠の力を使い飛ぶ猿を呼び集めた。


寸評
ジュディ・ガーランドを一躍スターダムに乗せた伝説的作品だが、童話の世界を題材にした古いタイプのミュージカルで、日本人に受けるかどうかの疑問符がつく作品のように思う。
最初と最後はセピア調のモノクロ画像だが、ドロシーが夢の中で見ていたであろう魔法の国のパートはカラー撮影となっていて、制作当時に於いてはその事も評価されたのかもしれない。
主人公のドロシーは少女で、演じた16歳のジュディ・ガーランドをそれらしく見せる工夫が見て取れる。

童話の世界なので、セットはわざと作り物であることが分かるようにしてある。
その事がなんだか子供だましのような気がして、僕は余り乗り切れなかったが、ミュージカルとして歌われるナンバーのシーンは素直に楽しめる。
テーマソングとして歌われる「 Over The Rainbow 虹の彼方に」は間違いなく映画史に残る名曲だと思う。
登場するキャラクターは面白いけれど、やはり僕には子供だましに思えた。
ドロシーのお供は三人のキャラクターなのだが、お供としては三人が治まりが良いのだろうか。
桃太郎のお供も猿、犬、雉で、それぞれ智・仁・勇を表しているとのことであるが、ここで登場する案山子は知恵を求め、ブリキ男は心を、ライオンは勇気を求めている。
智・仁・勇は日米を通じて共通した価値観なのだろう。
ドロシーがエメラルドの国を目指す途中で、一人ずつ仲間に加えていくのも桃太郎と同じだ。
桃太郎の家来たちと違い、彼らは自分たちの持つ能力を生かして戦うことはしない。
むしろ弱点ばかりがあって、案山子は体に藁を詰め込まれているので火に弱く、藁を抜かれてしまうと動けなくなってしまうし、ブリキ男は水に弱くすぐに錆びついてしまう。
涙を流すだけでも錆びついてしまって動けなくなるので、すぐに油を刺してあげないといけない。
ライオンは強そうに見えるが、実は弱虫で非常に怖がりである。
そのような設定が映画を楽しいものにしていて、子供を含めた家族で見る分には満足できると思う。

魔女や魔法の国での登場キャラクターが特異なため、主人公のドロシーが可愛く見える。
ジュディ・ガーランドは特に抜きん出た可愛さがあるわけでもないが、その歌声は魅力的で役柄の加勢もあって一躍人気者になったのは理解できる。
エメラルドの国の大王は、愛することよりも、愛されることの方が大事だと語り、ドロシーは家庭こそ一番だと悟る。
そして夢から覚めたドロシーは魔法の国で出会った人たちは、自分の周りにいた人たちだったことを知る。
ドロシーはその人たちを愛し、その人たちから愛されていたから、魔法の国で出会えたのだろう。
小犬のトトが少し活躍するのが微笑ましい。
魔女がドロシーに水を掛けられて解けてしまうが、なぜ魔女は水に弱かったのだろう。
ドロシーはケシが咲き誇る丘で眠りこけてしまう。
ケシと言えば麻薬の原料となる花で、後年ジュディ・ガーランドが薬物中毒になったことを想うと、皮肉なシーンだなと思えた。
47歳のジュディ・ガーランドは滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去し自殺説もある。
演技力も備えた女優で、この若さはやはり惜しい。

おしゃれ泥棒

2022-03-22 08:06:49 | 映画
「おしゃれ泥棒」 1966年 アメリカ


監督 ウィリアム・ワイラー
出演 オードリー・ヘプバーン
   ピーター・オトゥール
   イーライ・ウォラック
   ヒュー・グリフィス
   シャルル・ボワイエ
   マルセル・ダリオ

ストーリー
シャルル・ボネ(ヒュー・グリフィス)は美術の愛好家であり収集家である。
また美術品を美術館に寄附する篤志家でもある。
さらに時々はコレクションの一部を競売に出すのだが、彼のいうところによると、それらの美術品は彼の父が買い集めた遺品だというが、誰もコレクションを見た人はいない。
実をいえば、ボネは偽作の天才なのだ。
ブローニュの森の近くにある彼の大邸宅内には、秘密のアトリエがあって、彼は自ら偽作をしているのだ。
彼には1人娘のニコル(オードリー・ヘップバーン)がいるが、彼女は父親の仕事を止めさせようと、いつも胸を痛めている。
パリ一の美術商ド・ソルネ(シャルル・ボワイエ)は、得意客のボネが、どうしてあんなにコレクションがあるのか、いつも不思議に思っていた。
もしかするとあの傑作はニセモノでは……というわけで、私立探偵シモン・デルモット(ピーター・オトゥール)に万事を頼んだ。
ところがヘマなシモンはニコルに見つかり、苦しまぎれに自分は泥棒だ、といったが、何故かニコルは彼を警察に引き渡さなかった。
ボネが所有している美術品中の逸品はチェリーニのビーナスだが、彼はそれを美術館に出品するという。
しかし、もし偽作だと分かったら大変と、ニコルはシモンに頼んでまんまと盗み出してしまった。
ここにリーランド(イーライ・ウォラック)というアメリカの美術収集家がいた。
彼はビーナス欲しさに政略結婚を考え、ニコルと婚約を結んだ。
そしてド・ソルネのあっせんでシモンと会見したが、シモンは3つの条件を出した。
第1は売価が100万ドル、第2はすぐに国外へ持ち出すこと、第3はニコルとの婚約を取り消すこと。
ビーナスさえ手に入ればと、リーランドはすぐにこの条件を承知。


寸評
ドタバタ喜劇のような作品で、これがオードリー・ヘップバーン主演でなかったら単なるB級作品である。
「おしゃれ泥棒」の企画にオードリーを抜擢したのではなく、オードリー・ヘップバーンがいて彼女の魅力を生かすために企画された作品だと推測する。
オードリーの魅力とはそのエレガンスさにある。
それを支えるのはジヴァンシーの衣装である。
オードリーとジヴァンシーの組み合わせは、ジヴァンシーが「麗しのサブリナ」の衣装を担当してからであるが、本作でも彼の衣装をまとったゴージャスなオードリーを見ることが出来る。
一番印象に残るのはピーター・オトゥールと待ち合わせをした時の黒のヴェールのようなマスクに全身黒ずくめのドレス姿のオードリーだ。
カルティエのイヤリングと片方だけ白の手袋というシンプルな組み合わせもいい。
僕はその姿を見てなぜか1961年の「ティファニーで朝食を」を思い起こしていた。

父親が美術館に貸し出した彫刻が贋作だと露見することを心配した娘が、その彫刻を美術館から盗み出すという話なのだが、本筋が盗み出すスリルにあるわけではないので、盗みのテクニックはおおらかなものだ。
オードリー・ヘップバーンとピーター・オトゥールが物置室に閉じ込められてしまうが、ピーター・オトゥールの用意した道具で抜け出すことが出来る。
事前にピーター・オトゥールが物置室の鍵の場所をメジャーで計測していたことが役に立ったのだが、よくよく考えてみるとピーター・オトゥールは閉じ込められてしまうことを予測していたことになる。
なんでそんなに都合よく小道具を持っているのだと突っ込みたくもなるが、ロマンチック・コメディなのだからそのような見方は野暮と言うものである。
この場面はオードリー・ヘップバーンとピーター・オトゥールのほんわかムードを単純に楽しめばいいのだろう。

本質がコメディなので登場人物は軽いキャラクターばかりである。
美術館の警備員たちは風采からして間抜けばかりで、ワインを隠し持って巡回中に盗み飲みをやる男もいる。
贋作であるチェリーニのビーナスに惚れこんで、盗品でも構わないから手に入れたいと願うアメリカの大富豪の男などは、とても大富豪という感じはしない。
警備員たちは何回も鳴る警報に右往左往し、真夜中の騒音で大臣が起こされたと警視総監から叱責を受ける。
業を煮やした警備員は警報が鳴らないようにスイッチを切ってしまうのだが、コメディとは言えここは大臣命令で渋る警備員に地位を使って切らせるぐらいの権力批判を見せても良かったのではないかと思う。
社会批判を思わせるエピソードは全く盛り込まれていない娯楽作となっている。

オード―リー・ヘップバーンは美術館のクリーニング会社の一員に変装し、ピーター・オトゥールは警官に変装して脱出しているのだが、二人はどのようにしてその変装を利用して美術館から退去したのかは不明である。
特にピーター・オトゥールがなぜ警官に変装する必要があったのかの理由がわからない。
突っつけばいくらでも出てくる作品だが、とにかくエレガンスなオード―リーの存在だけは動かしようがなく、このような役は彼女にピッタリなのだと思う。

鴛鴦歌合戦

2022-03-21 08:31:32 | 映画
「鴛鴦歌合戦」 1939年 日本


監督 マキノ正博
出演 片岡千恵蔵 市川春代 志村喬 遠山満
   深水藤子 ディック・ミネ 香川良介
   服部富子 尾上華丈 石川秀道 楠栄三郎
   近松竜太郎 福井松之助 富士咲実

ストーリー
浅井禮三郎(片岡千恵蔵)は城勤めを嫌い、長屋で気楽な浪人生活を送っている。
隣人の志村狂斎(志村喬)は骨董品狂いで骨董品購入の為に散財を繰り返している。
娘のお春(市川春代)は、そのお金を「米代に」と言っているが中々聞き入れてもらえず喧嘩が絶えない。
禮三郎はそのお春といい感じなのに、素直に仲良くできない。
豪商香川屋惣七(香川良介)の娘お富(服部富子)は美人で町の若旦那の間の人気者だった。
しかし、お富は禮三郎に一目ぼれしてしまい猛アタックを開始する。
禮三郎を張り合うお春とお富の前に、更なる強敵、禮三郎の叔父の遠藤満右ェ門(遠山満)の娘・藤尾(深水藤子)が現れる。
彼女は禮三郎の許嫁で満右ェ門は婚礼を迫ってくる。
ある日、例によって狂斎が骨董品屋で古物を吟味していると、これまた骨董品狂いの殿様・峯澤丹波守(ディック・ミネ)が店に入ってきた。
狂斎は1点の掛け軸に目を付けたが、金が無い。
すると殿様がそれを買ってくれると言うではないか。
大喜びの狂斎を迎えに来たお春を一目見た殿様は、彼女に一目惚れ、お側仕えになれと言ってくる。
禮三郎との結婚を夢見るお春は、断固拒否。
三人の女性からの求愛を受けて、禮三郎は果たしてどんな決断を下すのか…。


寸評
何ともたわいのないオペレッタではあるが、1939年という製作年度を思うと実によくできた楽しい作品だ。
ミュージカルというジャンルに入る作品ではないので強烈なダンスナンバーがあるわけではないが、日本映画らしいほのぼのとした歌声が最初から最後まで流れてくる。
歌手が本職という人も出演しているが、役者連中も楽しい歌声を聴かせてくれる。
特に志村喬がなかなか渋いノドを披露していて、彼の歌声としては黒澤の「生きる」が鮮明に残っているのだが、このような軽快な歌声は意外や意外といったふうで驚かされる。
モテ男を一手に引き受けている片岡千恵蔵の歌声も一節あるが、これもなかなかの聴きものである。

オペレッタは「軽歌劇」などと訳されるようにオペラから派生したもので、貴族の楽しみだったオペラを庶民にも楽しめるようなコメディ形式にしたのがオペレッタで、セリフの大半が歌唱という点はほぼオペラと同じだが、オペラの多くが悲劇を扱うのに対し、オペレッタは軽妙な筋と歌による娯楽的な作品が多いと言われている。
ミュージカルは、歌と踊りが主体の歌劇で、形式的にはオペレッタに似ているが、一般的にはポピュラー音楽を使い、日常的・庶民的な題材が多く、オペレッタがアメリカに渡り発展したのがミュージカルということになる。
そんな区分けを考えても、まさしくこの作品はオペレッタで、当時としては斬新な作品だったのではないだろうか。
どうしても歴史的な価値を感じながら見てしまうので、内容以上に楽しめる作品だ。

話自体は単純そのもので、一人のモテ男に三人の娘が恋をしていて、それぞれが恋の鞘当を行うというもの。
それに本命の父親が骨董狂いということが付け加わり、そのからみで同じく骨董狂いの殿様が登場して本命の娘を我がものにしようとする話が付随するだけのもので、内容は深くはない。
それでも冒頭から、お富と町衆の掛け合いや、恋敵のお春とお富によるコーラスの掛け合いなどで、当時の映画の世界に誘われてしまう。
ディック・ミネはジャズシンガーらしく軽快にスウィングしながら登場し、本職の歌声を披露して軽薄な殿様を演じていて楽しい。
映画が始まってすぐに繰り広げられるこれらのシーンによって「鴛鴦歌合戦」という作品が、どのような映画であるのかが理解できる。
構成の僕たちが見る分には、随分と的を得た演出だったと思う。

戦後生まれの僕たちが、戦前の作品を目にして批評めいたことを言うのはどうも的外れなような気がする。
そもそもフィルムが残っているだけでも奇跡的と思えるし、当時の技術なり映画事情などは全く知らないわけで、ただただ興味本位だけで見てもそれなりの価値はあると思う。
ましてや作風がこのようなものであると物珍しさが覆いかぶさってきて、作品の出来以上に価値を見出してしまう。
志村喬と市川春代の親子がは貼りをして生計を立てているのだが、その傘がモノクロ画面ながらも色とりどりで重要な小道具になっていて、画面の雰囲気を華やかにしていた。
ラストシーンはまるで宝塚のレビューみたいだった。
邦画でミュージカル映画と呼べる作品は少ないが、そのジャンルで映画史の中から選出すれば、てもおそらく選抜されるであろう作品だと思う。

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

2022-03-20 08:38:16 | 映画
「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」 2017年 日本


監督 大根仁
出演 妻夫木聡 水原希子 新井浩文 安藤サクラ
   江口のりこ 天海祐希 リリー・フランキー
   松尾スズキ 李千鶴 カイ・ホシノ・サンディー

ストーリー
“力まないカッコいい大人”奥田民生を崇拝するコーロキ(妻夫木聡)は、おしゃれライフスタイル雑誌編集部に異動したが、慣れない高度な会話に四苦八苦するコーロキを編集長の木下(松尾スズキ)は励ましてくれた。
コーロキは次第におしゃれピープルに馴染み、奥田民生のような男を目指していた。
そんなある日、仕事で出会ったファッションプレスの美女・天海あかり(水原希子)に一目ぼれ。
その出会いがコーロキにとって地獄の始まりとなるのだった。
あかりに釣り合う男になろうと仕事に力を入れ、嫌われないようにデートにも必死になるが常に空回り。
あかりの自由奔放な言動と行動に振り回され、コーロキはいつしか身も心もズタボロになってしまう。
おまけにあかりのDV男が同僚の住吉(新井浩文 )だと判明しあわてるコーロキ。
コーロキは基本的には仕事はできるのだが、あかりに対しては醜態をさらし続けている。
ある日、いつものように自宅マンションでSEXした翌日、コーロキとあかりは京都旅行を計画する。
だがそのためには、コーロキは土曜日の夜までに美上ゆう(安藤サクラ)の原稿を手に入れないといけない。
遅筆で有名な美上は、金曜の夜の段階で逃げた猫を捜しに駒沢公園に行ってしまい、原稿を書く様子はない。
あかりとの約束を破りたくないコーロキは発狂するが、編集長の真っ当な助言もあり、一緒に公園で猫を追い掛け回す。
美上はそのあとすぐ家に戻り、コーロキに付き添ってもらいながら一日がかりで原稿を仕上げ、奥田民生と絡めた最高傑作のエッセイを仕上げる。
すぐさま編集部に戻り入稿の準備をするが、エッセイに添えられたイラストに重大なミスが発見される。
コーロキは美上に電話を入れて訂正を依頼するが、あかりとの約束は果たせなくなってしまう。


寸評
コーロキが奥田民生を崇拝しているのは他人の目を気にせず自分らしさを貫く姿に感銘しているからである。
ところが現実のコーロキは、あかりに気に入られるためにはと常にあかりの存在を気にしてしまっている。
目指す自分の姿とは違うが、コーロキがあかりの前で右往左往する姿は分らぬでもない。
思いを寄せる女性の前で背伸びしながら自分を演じ続け、相手の気を引こうとする姿は片思い経験のある男性なら思い当たるふしがあるのではないか。
そんな時の女性は悪魔的に思わせぶりな態度をとったりする。
その小悪魔的な態度に男はさらに悶絶しながら翻弄されるのである。
男目線ではあるが、そんな恋模様が面白おかしく描かれていて楽しめる作品となっている。

遅筆で有名な美上からの入稿にたいして、ウジウジするコーロキに優対して、それまで彼に優しかった編集長が一喝するが、その一喝はしごくまともなものである。
コーロキは目を覚ましたように美上と共に猫を探し、その事を通じて原稿を手に入れる。
恋愛ごっこから仕事に目覚めていく姿でもある。
男はどこかで仕事と恋愛の二者択一を迫られた時に決断しなければならない時がある。
コーロキはその場面に直面した時に仕事を選択したのだ。
その事をさらに描き出したのが、それに続くシーンである。
エッセイに添えられたイラストにミスが発見され、描き直してもらっていたら新幹線には間に合わない。
イラストの間違いに目を瞑れば新幹線に間に合って、あかりに会うことができるという状況となる。
恋愛と仕事をごっちゃにしてきたコーロキが、これらに順序をつけなくてはいけなくなる。
そこでコーロキは仕事を選択し、結果的にあかりと別れることになってしまう。

ところがコーロキと美上の距離は、ここで縮まったのだろうと思わせる描き方が意味深いものとなっている。
コーロキは仕事のクオリティを優先させたことによって、本当の恋愛を手に入れたのだと思う。
この一件によってコーロキは、あかりによる試練を乗り越えたと見るべきなのだろう。
そうみると、この映画のヒロインは天海あかりの水原希子ではなく美上ゆうの安藤サクラだったのではないかと思えてくる。
松尾スズキの 編集長がコーロキに語っていた青春時代の恋の景色が、コーロキの目の前で再現される。
編集長はそれをバネに仕事に目覚めたようなことを述べていたが、コーロキも仕事に邁進していくのだろう。
それは憧れていた自分の生き方を捨て去ることではない。
夢を描いていた頃の自分と出会いながら、今の自分を感じるコーロキの前途は開けていると言える。

あかりを巡る三人の男の存在は面白かったが、その男たちを翻弄する天海明かりを演じる水原希子がそれ以上に面白い表情を見せる。
場面場面によって全く違う女を感じさせるのがいい。
嫌味な女に思え、こんな女性はまっぴらだと反感を持ちながら見ていた水原希子だったのだが、この作品における女優としては中々のものだった。

オカンの嫁入り

2022-03-19 10:40:20 | 映画
「オカンの嫁入り」 2010年 日本


監督 呉美保
出演 宮崎あおい 大竹しのぶ 桐谷健太 絵沢萠子
   林泰文 斎藤洋介 綾田俊樹 春やすこ
   たくませいこ 友近 國村隼

ストーリー
大阪。月子と陽子は、母ひとり子ひとりで仲良く暮らしてきた親子。
ある日の深夜、陽子が酔っ払って若い金髪の男・研二を連れて帰ってくる。
何の説明もないまま玄関で眠りこける二人。
翌朝、ケロッとした顔で陽子が言う。
「おかあさん、この人と結婚することにしたから」……
あまりに突然のことにとまどう月子は、とっさに家を飛び出し、隣の大家・サクのもとへ向かった。
月子が生まれる前に、陽子は夫・薫と死に別れており、ずっと「薫さんが、最初で最後の人」と言っていた。
しかも、研二は30歳で態度もヘラヘラしていて、元板前だというが、今は働いていないらしい。
納得がいかない、というよりも母の行動が理解できない月子は、サクの家に居座り続ける。
「月ちゃんがいない家に同居はできない」と研二は庭の縁側の下で寝泊りする。
そんな中、陽子に対しても、研二に対しても頑なに心を閉ざし続ける月子に、陽子の勤め先、村上医院の村上先生は、これまで誰にも話すことのなかった陽子との秘密を告白、月子を驚愕させる。
それを聞いて渋々だが、陽子の結婚を了承することにした月子。
ところがある朝、陽子と研二が二人で衣裳合わせに出かける間際、陽子が倒れてしまう。
緊急搬送され、診断結果は軽い貧血。
ホッとする月子であったが、次の瞬間、医師から受け止めがたい現実を突き付けられる。
月子は、陽子を白無垢の衣裳合わせに連れて行くことを決意。
由緒ある神社の静かな衣裳部屋で、白無垢に身を包んだ陽子が三つ指をついて月子の前に座る。
涙をこらえ、これまで決して話すことのなかった本音を、陽子が月子に語り始めた……。

寸評
京阪電車が度々登場するだけで親近感がわいてくる。
登場する駅は京阪電車の牧野駅なのだが、もう少し大阪よりだったらもっと親近感がわいただろう。
ストーリー自体はそれほど驚くようなものではなく、よくある母と娘のドラマといった感じで新鮮味はない。
それでも堅実な脚本と演出で、あらゆる層の観客が一応の満足感を得ることが出来る作品になっている。
母と娘のごく自然な親子愛に触れて、誰もが温かな気分になれると思う。

陽子と月子の家庭は母子家庭で、陽子は女手一つで月子を育ててきた。
その為に、普通の親子に比べれば陽子と月子の結びつきは女同士だけに強いものがあったと思う。
そこに母の結婚相手として若い研二が現れたことでその関係にひびが入る。
特に一人娘である月子の動揺が描かれるが、その様な内容はごくありふれた母と娘の物語である。
母娘の関係がギクシャクする中で、それぞれの微妙な心理を巧みに描き出していく内容である。
ずっと一人で来た母が連れてきたのが若い金髪の男で、30歳にして無職と言うのがちょっと変わった設定だ。
あっけらかんとした母親の陽子を演じるのが大竹しのぶ、一見気の強そうな娘の月子を演じるのが宮崎あおいなのだが、特に粋がるところもなく彼女たちによく回ってくるワンパターン的な演技を堅実にこなしていた。

月子はセクハラで会社を辞めている。
加害者の男が月子との天秤で、謹慎期間があったとはいえ会社に残り、月子が退職を促された恰好だ。
女性に対する理不尽な対応なのだが、その事を声高に叫んだりはしていない。
しかし月子はセクハラ男から受けた駅の自転車置き場の出来事がトラウマとなって電車に乗れなくなっている。
月子が社会で生きていくためには乗り越えなくてはいけない障害で、母親と一緒になってトラウマを克服するシーンがあるのだが、セクハラ事件と言い、トラウマといい、何かこの物語の中で宙に浮いた感じを受ける。
改札口のシーンは親子が揃って、一歩前に踏み出すエピソードとしては少し弱いような気がする。

主演の二人は勿論だが、サクちゃんと呼ばれている大家さんの絵沢萠子がいい役をやっている。
大阪のおばちゃんとして、月子を迎え入れ、時として励まし、陽子の理解者でもある。
僕はこの映画では絵沢萠子が彼女の存在感あってのことだがいちばん儲け役だったと思う。
医院の院長役の國村隼と共に絶妙のスパイスになっていた。

白無垢を着たがっていた陽子が、月子が結婚を認めてくれるようになって衣装合わせに出かける。
始まってから白無垢を着たいと言い続けていたので、この映画のクライマックスとなっている。
呉監督は観客の涙を無理強いしない演出で、押しつけしないさわやかな感動を呼び起こしている。
桐谷健太の研二が板前だったということもあり、食事のシーンが度々出てくる。
特別な料理でなく家庭を意識させるための食事シーンであったと思う。
大家さんは大阪のおばちゃんらしく「じゃこ食べるか?」と言ってはいってくる。
昔はお隣さんとそんな交流が当たり前のようになされていたが、最近では珍しくなってしまった。
最後の食事シーンは余韻を残した。

オーシャンズ13

2022-03-18 06:57:25 | 映画
「オーシャンズ13」 2007年 アメリカ


監督 スティーヴン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー
   ブラッド・ピット
   マット・デイモン
   アンディ・ガルシア
   ドン・チードル
   バーニー・マック

ストーリー
ダニー・オーシャン率いるプロフェッショナルな犯罪チーム“オーシャンズ”のメンバーの一人、ルーベンは、今まさに生死の境を彷徨っていた。
世界を股にかけるホテル王、ウィリー・バンクと組み、ラスベガスに新たな巨大ホテルを立ち上げようとしていた矢先、バンクの裏切りによってホテルを乗っ取られ、失意のあまり心筋梗塞で倒れてしまったのだ。
ルーベン危篤の報せに、盗み出す寸前だった大金さえも放り出し、ラスベガスへ駆けつけたラスティー。
やがて病床に集まったライナスたち“オーシャンズ”のメンバーは、バンクへの復讐を誓う。
まもなくダニーは、バンクへの最後の警告として、ホテルの権利を返した方が身のためだと伝えるが、バンクは平然とこれを拒否。
所有するすべてのホテルで最高の格付けを得てきたバンクには、“オーシャンズ”など所詮敵ではないと思えたのだ。
一方、“オーシャンズ”の狙いは、バンクがルーベンから奪い取った、まもなくグランド・オープンを迎える超高級ホテル“バンク”。
カジノを併設するそのホテルは、世界最新にして最高の人工知能セキュリティ“グレコ”に守られていた。
だが、“オーシャンズ”は仲間の借りを返すため、金品のみならずバンクのすべてを奪い取るつもりだ。
そして“オーシャンズ”にとって因縁の宿敵であり、バンクのライバルであるベネディクト、またバンクの右腕である女性アビゲイルらも巻き込んで、壮大なリベンジ計画が繰り広げられるのだった。


寸評
オーシャンズのメンバーが再び結集するが、前作で重要な役割を担ったヒロインのテス(ジュリア・ロバーツ)とイザベル(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は会話の中で1回しか登場しない。
代わりのスターはアル・パチーノが敵役バンクとして登場。
仲間のルーベン(エリオット・グールド)がバンクに裏切られてホテルを乗っ取られてしまい、そのショックで心筋梗塞を起こしてしまう。
危篤状態のルーベンを励まし、敵を取るためにオーシャンズのメンバーが立ち上がると言うのが今回の作品。
前2作を見ておかないと消化不良を起こしてしまうのは第二作と同じだ。

バンクを徹底的に痛めつけるために3つのミッションが同時進行で進められる。
先ずはカジノで大損させるための仕掛けが行われるが、この準備が一番手が込んでいてトラブルも含めた詳細が描かれている。
更にバンクの自尊心を打ち砕くためにホテルの格付けを最低ランクにさせる算段が実行される。
さらにその格付けの最高ランクの5つ星を記念したダイヤのネックレスを盗み出すと言うものである。

変化は計画実行中で資金に窮した彼等が宿敵のベネディクト(アンディ・ガルシア)に借金を申し込み、条件付きながらも手を結ぶことである。
人工的に地震を起こすためにドーバー海峡を掘った掘削機を購入してラスベガスの地下を掘り進んだり、ヘリコプターでダイヤモンド盗み出すなど大掛かりとなっているが、かえって陳腐になってしまった様な気がする。
イギリス側から掘り進んだ掘削機がダメになり、フランス側から掘り進んだ掘削機を購入するエピソードが盛り込まれ、そのことを通じてアンディ・ガルシアが登場してくる。
かれはメンバーに加わったので、今度はオーシャンズの詐欺にちょっとした加担を行う。
これだけのメンバーを相手にするのだからバンクのアル・パチーノは防戦一方である。
あまりの一方的攻撃のために、攻防のスリル感はほとんどない。
計画がどのように実行されるかだけが興味の対象となるが大したトラブルもなく、彼等は苦も無く計画を実行していくように思える。
とばく場で使うダイス工場がメキシコにあって、低賃金のためにストが起こり細工を施すためにそこに潜り込んだモロイ兄弟の作業がストップするが、わずかの賃金アップで騒いでいることが分かり資金提供することでアッサリとストは解除されてしまう。
掘削機もそうだが、金が物事を解決していく。

ソール・ブルーム(カール・ライナー)が偽の格付け審査官になりすまし、本物がむごい仕打ちを受けるパートはコミカル部門を受け持ったという感じで息抜き物語だ。
ライナス(マット・デイモン)がダイヤ強奪のためにバンクの秘書に近づくのに高い鼻をつけて媚薬を用いるなどはマンガの世界だ。
ライナスのパパの登場は、それこそ前作を見ていないと何が何やら分からないのではないか。
シリーズファンのための映画で、今回もお遊びが目立った作りとなっていた。


オーシャンズ12

2022-03-17 07:59:32 | 映画
「オーシャンズ12」 2004年 アメリカ


監督 スティーヴン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー
   ブラッド・ピット
   ジュリア・ロバーツ
   キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
   アンディ・ガルシア
   マット・デイモン

ストーリー
超キレ者の犯罪立案者ダニー・オーシャンは、かつてラスベガスのカジノ王、テリー・ベネディクトが経営する、誰にも破れないと言われたカジノの金庫から想像を超えた策略で大金を奪い、一躍犯罪界のもっとも悪名高き首謀者となった。
強奪金はしめて1億6千万ドルで、それを仲間たちと山分けした後、ダニーは別れていた元妻テスと復縁。
静かで“合法的な”暮らしをそれなりに楽しんでいたが…。
詐欺師としてのキャリアが行き詰まっていたラスティー・ライアンは、ダニーからカジノ強奪の話を持ちかけられ、彼の右腕として才覚を発揮し、みごと、信じられないような大成功を収める。
その後、彼はオシャレなハリウッドのホテル経営者に転身。
そんなラスティーを待っていたのは、次なるビッグな強奪計画だけではなく、本物の“LOVE”の予感が…。
スリにかけては右に出る者のいない、しかし野心が先走りして失敗しがちのナイス・ガイ、ライナス・コールドウェルだが、カジノ強奪で立派に役割を果たした彼は、ダニーを真似て自分自身のチームを作ろうと、シカゴで“人材開発”に金を使っている。
来たるべき任務の到来に、彼は一人前のオトコとしてチームの要に立候補するが…。
憎きオーシャンズに復讐できるなら、手段は問わない冷酷非情な実業家テリー・ベネディクト。
特に、どさくさにまぎれて恋人まで盗んだ首謀者ダニー・オーシャンは、絶対に許せない。
彼が取る道は盗まれた金と同額(+利子)の損害賠償をダニーからせしめるか、それとも彼らを殺すか。
ヨーロッパのFBIとして誉れ高い、ユーロポールの捜査官イザベル・ラヒリは高度な窃盗事件を扱うエリートであるうえ、ミステリアスでエレガントな色香を併せ持ち、オーシャンズの前に強敵として立ちふさがる…。


寸評
第一作の後日談で、この作品を楽しむならやはり第一作を見ておいたほうが良い。
前作に比べると話は相当込み入っているし、ひねりが効きすぎている感じもする。
スター俳優の大量投入という物量作戦に舌を巻く作品となっている。

出だしは冷酷非情なベネディクト(アンディ・ガルシア)の復讐劇で、大金を強奪したのがオーシャン一味であることを突き止め、彼等に3年間の利息を加算した強奪金の返済を迫っていく様子が描かれる。
一味が、2週間以内に返済しない場合は命が保証されないという窮地に追い込まれるところから話が始まる。
そこから誰が泥棒の一番なのかというナイトフォックスとのNo1争いが展開して、話がより複雑化していく。
これに新たなヒロインとして一味の中心人物であるライアン(ブラッド・ピット)の元恋人のイザベル(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が登場するが、何と彼女は泥棒犯罪に精通した国際刑事機構の刑事で、しかも父親は・・・という設定で、凝りに凝っている。
その為に作品としては泥棒物語なのか、詐欺物語なのか分からないような展開を見せる。
さらに若者のライナス(マット・デイモン)がオーシャン(ジョージ・クルーニー)のようなリーダーになりたがっていることも付け加えられている。
ライナスのパパとママの手助けが笑わせた。

この作品の特徴である豪華配役人は相変わらずどころか、ますます役者が増えていた。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズが魅力たっぷりな女性として登場するのは前座みたいなもの。
テスの ジュリア・ロバーツが何と本物のジュリア・ロバーツに変装するというズッコケぶりで、その友人として本物のブルース・ウィリスが登場し、ジュリア・ロバーツと漫画の様なやり取りを見せる。
サービスもサービスで、ここまで観客を楽しませるのかと感心してしまう。
ブルース・ウィリスはそれなりの登場シーンもセリフもあるのにクレジットに名前はない。
スティーヴン・ソダーバーグ監督の人脈かも知れないが、一体ギャラはどうなっているのだろうと映画とは関係ないところに興味が行ってしまった。

本作はハリウッドでときたま作られるオールスター作品で、要するに時の大スターを何人も集めてゴージャスなドラマという企画作品で、前作を踏襲しているが前作を見た者には新鮮味はない。
ストーリーは退屈だし、人物描写は希薄でスター頼りとなっていてドラマとしても薄っぺらだし、アクション的な見せ場もほとんどない。
登場する俳優に興味のない人がこの映画をみると楽しめないだろうし、最初に述べたように前作を見ていない人には退屈な映画と映るだろう。

ほとんど自己満足的な作品で、出演者は楽しめたかもしれない。
メンバー全員が集まってはしゃぐラストのシーンは、まるで映画の打ち上げ場面を撮影したかのような雰囲気だ。
それだったら、撮影中のプライベートシーンをエンド・クレジットと共に見せてもらったほうが楽しめたと思う。
ハリウッドが作るB級作品はこんな感じになるのだと知らされた思いだけが残った。