おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

アルプススタンドのはしの方

2023-07-31 07:04:38 | 映画
「アルプススタンドのはしの方」 2020年 日本


監督 城定秀夫
出演 小野莉奈 平井亜門 西本まりん 中村守里
   黒木ひかり 平井珠生 山川琉華 目次立樹

ストーリー
埼玉県立東入間高校野球部は夏の全国高校野球の1回戦に出場した。
東入間高校の全校生徒が甲子園球場に詰めかけ、吹奏楽部や応援団が必死に声援を送った。
演劇部に属する安田あすはと田宮ひかるはアルプススタンドのはしの方で観戦していたが、二人とも野球のルールを知らず、ただ気だるそうにグラウンドを見つめるばかりだった。
その頃、元野球部員の藤野富士雄は中々応援席に着く決心がつかずにいた。
藤野はラジオ中継で試合の経過を追っていたが、応援席には藤野が密かに想いを寄せている帰宅部の宮下恵がいたことから、彼女の席の近くまで行ってみることにした。
安田と田宮はたまたま近くにいた藤野に声をかけ、元野球部員とは気づかずに野球の解説をしてもらった。
常に成績学年トップだった宮下はその座を吹奏楽部部長の久住智香(黒木ひかり)に奪われていた。
4人の近くに熱血漢の英語教師・厚木修平がやってきた。
厚木は応援する気のない生徒たちにもっと気合い入れて応援しろと発破をかけており、安田はそんな厚木を疎ましく感じていた。
安田と田宮は野球部のエースピッチャーである園田がプロ野球球団のスカウトからマークされていることを知り、野球部があまりにも演劇部を含む他の部活よりも優遇されていることに改めて驚いた。
園田に密かに想いを寄せている宮下は、思い切って藤野に声をかけてみた。
藤野は宮下がてっきり自分に振り向いてくれたのかと勘違いして舞い上がってしまったが、「園田くんって野球以外で何が好きなの?」と問われて落胆してしまう。
そんな宮下は田宮と藤野の会話から、園田は実は久住と交際していることを知って深く傷ついてしまう。


寸評
誇張ではない高校生を感じさせる脚本が素晴らしいのだが、実は全国高等学校演劇大会で最優秀賞に輝いた戯曲の映画化ということなので、それはすなわち高校生が高校生に見せるために作られた話の映画化と言うことであり、どうりでリアリティを感じたはずだ。
何の変哲もないくだらない会話が高校生の言葉で語られながらドラマを成り立たせていくのが心地よく、それを75分でまとめているのも素晴らしい。
彼らは野球の試合を見に来ているが、試合の劇的な場面になってもグラウンドや選手の姿は一度も登場することはなく、彼らの会話を通じてのみ試合状況を想像するのも新鮮に感じる。
その為に元野球部の藤野君を登場させ、今どきそこまで野球を知らない女子高生はいないだろうと思われるような安田さんと田宮さんと言う女子生徒を登場させている。

高校生を描くとどんなことがあっても一生懸命に頑張る姿を描くものが多いが、ここに登場する藤野君はそうではなく、野球部でピッチャーだった藤野君は園田君という絶対エースがいて自分は高校三年間でマウンドに立てることはないと見切って野球部を辞めている。
そしてその行為を安田さんに肯定させている。
藤野君は時間を他のことに費やした方が有意義な高校生活を送れると言っているが、彼に野球に代わる他のものが見つかっているようには思えない。
振り返れば僕にも経験のあることで、あの頃は立派な理屈を言うようになっているのだが実際は何も出来ていなかった事を恥ずかしく思う。
高校時代に友人とラグビー部の試合を応援に行ったことがあるが、ルールを知っていた事を除いてまったくもって彼らと同じような状況で、彼らの姿はくすぐったいくらいにあの頃の僕たちであった。

4人が距離を置いている野球というものを触媒にして自分たちの心の内を吐露していくのが瑞々しい。
さらにブラスバンド部の部長である久住さんも絡んできて高校生の生身の姿が生き生きと描かれることになる。
安田さんは高校生を描く映画では禁句とも言える「しようがない」を連発する。
しかし「しようがない」ことって世の中にはよくあることなのだ。
男の僕は女性徒のやり取りが興味深かった。
僕は時々高校時代の友人と飲み会をやっているが、半世紀を過ぎても話題になるのは高校時代に経験したバカバカしい出来事である。
今から思えば笑い話に過ぎないようなことに真剣に対峙していたのだ。
彼らも卒業後に再びアルプススタンドのはしの方で再会する。
絶対エースだった園田君は社会人野球で頑張っていて、控え選手で練習の虫だった矢野君は努力が実りプロ野球選手になっている。
彼らが矢野君とどのような関係になったのかは分からないが、矢野君のデビュー戦を見るために集まってくる。
藤野君は野球用品のメーカーで働いており宮下さんと交際しているようだ。
それぞれが思い思いの道に進んでいるが園田君と久住さんは別れたみたいだ。
矢野君の打った打球は4人の前を通り過ぎていくが、それは彼らの未来を祝福する打球だったと思う。

ある殺し屋

2023-07-30 07:17:12 | 映画
「ある殺し屋」 1967年 日本


監督 森一生
出演 市川雷蔵 野川由美子 成田三樹夫 渚まゆみ 千波丈太郎
   松下達夫 小林幸子 小池朝雄 伊達三郎 浜田雄史 橋本力

ストーリー
塩沢(市川雷蔵)は名人芸の殺し屋として、やくざ仲間に名を知られていた。
ふだんは平凡な一杯飲屋の主人だが、どんな困難な殺人でもやってのけた。
ある日、塩沢は無銭飲食と引きかえに体で金を払うという圭子(野川由美子)の金を払ってやった。
その日から圭子は塩沢につきまとい、塩沢のやっている小料理屋“菊の家”までおしかけ、あげくの果にはおしかけ女中として“菊の家”に住みこんでしまった。
そんなところへ、暴力団木村組から、競争相手のボス大和田(松下達夫)を殺してほしいと依頼があった。
塩沢は二千万円でその仕事を引きうけた。
競馬場、大和田邸、大和田の二号茂子(渚まゆみ)のマンションと、塩沢は大和田をつけ狙ったが、強力なボディガードに守られた大和田に手が出なかった。
しかし、ついに大和田主催のパーティに芸人として潜りこんだ塩沢は、大和田暗殺に成功した。
塩沢の手口の鮮やかさと、報酬の大きさに惚れこんだ、木村組幹部前田(成田三樹夫)は、塩沢に弟子入りを頼んだが断わられた。
しかし、前田は圭子から手なづけようと、強引に圭子と関係を結んだ。
前田の若さと強引さに惹かれた圭子は、塩沢を殺して彼の金を盗ろうと前田にもちかけた。
前田と圭子は色と慾で組み、そして計画を練って塩沢に話を持ちかけた。
それは、ボスを失った大和田組が麻薬を扱っているから、それを横どりしようというのだ。
無論塩沢に異存はなかった。
塩沢一流の周到な計画で、塩沢、前田、圭子の三人は、大和田組から二億円の麻薬をカツあげした。
その瞬間前田は塩沢に拳銃を向けた。
しかし、裏切りを予想していた塩沢は前田の拳銃の弾を抜いていた。


寸評
時代劇が多かった市川雷蔵だが本作ではニヒルな殺し屋を演じている。
ストイックで一匹狼的な殺し屋だが、全く人を寄せ付けないとか、普段何をしているのかもわからないスーパーヒーロ的な男としては描かれていない。
雷蔵は普段は小料理屋を営んでいるのだが、そこにヤンキー娘の野川由美子が店員の小林幸子(デビュー間もない頃で、紅白歌合戦で派手な衣装を見せるのはずっと後年の事)を追い出していついてしまう。
雷蔵は迷惑そうだが小林幸子を追いかけるでもなく、野川由美子を追い出すでもなくそのまま居座らせる。
彼のその姿勢は最後まで続いて、自分の周りに誰も近づけない謎の男と言うイメージはない。
正体を知られても野川由美子を殺したりはしない。
非情な殺し屋ならその時点で秘密を知られた女を殺してしまうシーンが描かれたはずだ。
裏切られても温情を見せるどこか浪花節的な心情を持ち合わせているキャラクターである。

ストーリーは時間軸を前後させながら進んでいくので、ファーストシーンでなぜ雷蔵がそこに現れたのかが判明するのは随分後の方である。
その間に依頼された殺人を慎重ながらも確実にやり遂げる様子が描かれる。
特段に新しい手口ではないが、渚まゆみを利用した犯行手口は工夫していた。
同時に野川由美子の調子のよい張ったり女の様子が小気味よく描かれ、この映画を面白くしている。
これにいかにもといった悪人面した成田三樹夫が絡むので、どうみてもやがてこの二人が問題を起こしそうなのは推測がつき、ああやはりこうなったのかという展開を見せるが、プログラムピクチャ―としてはそれでも良いと思う。

プログラムピクチャーは半ばB級作品と同義語的に使われているが、本来は日本映画全盛の時代に映画会社が製作・配給・興行を一手に支配して、映画館における年間の上映日程が映画会社のスケジュールに沿って作品が上映された形態及び映画をさすものだ。
スケジュールを埋める必要から月に10本近い作品が撮られていたのだから非常に乱作である。
そんな中でも映画人たちは何とかキラリと光る作品を生み出そうとしていた。
俳優たちも何本も掛け持ちしながら同じような気持ちを持っていたと思われる。
本作もそんな意欲が垣間見える作品となっている。
増村保造と石松愛弘による脚本も練られているし、 森一生の演出も雰囲気を出している。
しかし、雷蔵は時価2億円と言われる麻薬を奪う話に乗るが、それはどうだったのかなあ。
麻薬取引の現金を奪うならともかく、あれだけ大量の麻薬を手に入れて売りさばけば目立つのは確かだし、足のつかない完璧な仕事をモットーとする男が金に目がくらんで手を出す仕事ではなかったと思う。
この映画では一番の違和感を感じたが、取り分を分け与えるエピソードの小道具として必要だったのかも。
雷蔵が成田三樹夫に「色と仕事の区別がつかない奴は嫌いだ」と言うと、言われた成田三樹夫が今度は野川由美子に「女は色と仕事の区別をつけねえからいけねえ」と言って去っていく。
決め台詞としては気が利いているし、このトリオはなかなかいいアンサンブルだった。
市川雷蔵は現代劇ではひ弱な男を演じれば様になった役が多かったが、結構ニヒルな男も似合う役者だった。
当時の映画の雰囲気を味わえるハードボイルドなジャパン・ノワールとして鑑賞に堪える作品だと思う。

ある公爵夫人の生涯

2023-07-29 08:25:58 | 映画
「ある公爵夫人の生涯」 2008年 イギリス / イタリア / フランス


監督 ソウル・ディブ
出演 キーラ・ナイトレイ レイフ・ファインズ
   シャーロット・ランプリング ドミニク・クーパー
   ヘイリー・アトウェル サイモン・マクバーニー 
   エイダン・マクアードル

ストーリー
18世紀後半のイギリス。貴族の家に生まれたジョージアナ・スペンサーの嫁ぎ先が決まった。
相手は世界で最も裕福な貴族のひとり、デヴォンシャー公爵である。
結婚後、年の離れた夫は彼女への愛情を見せることなく、無関心な態度をとる。
彼がジョージアナに望んでいることは、立派な男子の後継者を生むことだった。
情熱的な性格のジョージアナは、そっけない彼との生活に不安を感じつつも、公の社交の席では公爵夫人として魅力的なふるまいを見せる。
その斬新なコスチュームも社交界の話題の的だったが、それだけに留まらず、賭け事にも興味を示し、遂には政治の世界にも足を踏み入れる。
公爵は愛人が生んだ幼い娘の世話をジョージアナに押しつけ、その後、ジョージアナとの間に誕生した娘たちには関心を示さず、彼はひたすらに男子の後継者の誕生を待っていた。
苦い結婚生活の中で、ジョージアナは娘たちへの愛情をはぐくみ、公爵夫人としての品格を保とうとした。
そんな彼女はある社交界の席でレディ・エリザベス・フォスターと出会う。
不幸な結婚生活を送ってきたエリザベスとジョージアナはすぐに意気投合し、その友情は夫に愛されないジョージアナの大きな心の慰めとなった。
しかし、公爵はエリザベスを愛人に選び、親友を失ったことに激しいショックを受けるジョージアナ。
そんな彼女にエリザベスは本心を打ち明ける。
今では3人の息子たちと引き離され、子供たちを取り戻すために公爵の力にすがっているのだ、と。
やがて、エリザベスの子供たちも屋敷で同居することになり、公爵の屋敷では奇妙な三角関係の共同生活が始まった・・・。


寸評
目に付くのは世界最高ともいえる英国建築美と豪華絢爛な衣装の数々で、この物語の重要な背景をなしている。
ほとんどが侯爵邸を初めとする宮殿の中で繰り広げられるのだが、その内装、空間、奥行きに圧倒される。
英国の貴族はこのような屋敷に住んでいたのだなと知るだけでも価値のある作品だ。

社会に生きていると完全なる自由など得ることが出来ない宿命を背負っている。
僕は誰よりもその宿命を背負い責任を果たし耐えている人に尊敬の念を抱く。
日本人の多くが皇室を敬うのも、無意識のうちにそのような感情があるからではないかと思う。
同時に守り抜いてきた家系を絶やさないというプレッシャーにも耐えなければならない。
変えることが出来ない歴史の重みからくるその重圧を日本人である僕は大いに理解できる。
ここに出てくるデヴォンジャー公爵も妻との幸せよりも、後継者の誕生が第一と考えている男だ。
浮気ばかりする貴族の男と見えもするが、家系を絶やさないという貴族としての宿命の苛烈なストレスにさらされていることもうかがえる。
それに耐えていることも感じ取れるのでこの男に嫌悪感が湧いてこない。
先祖代々の栄えある歴史を自分が途絶えさせてしまうかもしれないというプレッシャーを、僕は知らず知らずのうちに皇室とだぶらせていることでこの男に同情すら感じた。

ジョージアナの実家であるスペンサー家もその家系の維持に腐心していて、母親も娘のジョージアナが男児を出産することを切に願っている。
日本の古代史における蘇我氏や藤原氏が天皇と姻戚関係を結ぶことで権力を手に入れていったのと同様で、娘のジョージアナも母親の進める縁談はスペンサー家のためでもあることを理解している。
いわゆる政略結婚なので双方に打算が働いているのは明らかだ。
不幸なのは夫であるデヴォンシャー公爵が男児の出産のみを妻に求めていたことだ。
ジョージアナはシャーロットというデヴォンシャー公爵の愛人の子を引き取るし、ハリヨーとリトル・Gという女児をもうけているのだが、デヴォンシャー公爵は彼女たちが騒ぐ声に「耳障りだ!」と叫んでしまう。
その間に男児二人を死産していたこともデヴォンシャー公爵をイライラさせていたのだろう。
夫を除けば皆に愛されていたというジョージアナの立場の危うさが感じられる。

事故死したダイアナ妃はスペンサー家の直系の末裔であるから、ジョージアナにダイアナをダブらせていることは間違いない。
皆に愛されたダイアナ妃の姿はジョージアナにかぶるし、またダイアナが1997年8月にパリで事故死した後にチャールズ皇太子と愛人関係にあったカミラさんと公然と交際するようになり、後に結婚に至ったことも重なる。
これを見るとダイアナは今もイギリス及び欧州の人々に今も愛されているのだなと感じ取れる。
だから内容的にはジョージアナを取り巻く悲劇でありながらも、彼女に対する絶望感は湧いてこない。
そして最後にジョージアナ、ベス、グレイのその後が示されて安堵感を決定付ける。
英国史、特にホイッグ党のこと、チャールズ・グレイ首相のことを知っていればまた違った楽しみ方が出来たかもしれない。
歴史ものは見る人の知識も問われる作品でもある。

アリー/ スター誕生

2023-07-28 07:00:07 | 映画
「アリー/ スター誕生」 2018年 アメリカ


監督 ブラッドリー・クーパー
出演 ブラッドリー・クーパー レディー・ガガ
   アンドリュー・ダイス・クレイ デイヴ・シャペル
   サム・エリオット ラフィ・ガヴロン アンソニー・ラモス

ストーリー
ジャックはライブが終わり、鬱々とした表情を浮かべながらふらりと小さなドラァグ・バーを訪れる。
ドラァグ・クイーンたちの悪くない歌を聴きながら浴びるように酒を飲んでいたジャックの手が、ひとりの女性の歌声に惹きつけられ止まる。
その女性はアリーと言い、昼間はウェイトレスとして働きながら歌手になることを夢見ていた。
後日、自身のコンサートにアリーを招待したジャックは、無謀にもステージにアリーを押し上げる。
自信もなく緊張に震えながら、それでも必死に大観衆の前で歌ったアリー。
その歌唱力はすぐに話題となり瞬く間に有名になった。
二人は互いに激しい恋に落ち、共にライブを楽しみ幸せな時をすごした。
そこへ、レズ・ガヴロンが現れ、アリーはインタースコープ・レーベルと契約することが決まった。
こうしてソロとして少しずつ軌道に乗り始めていくアリーとは反対に、ジャックは幼少期のトラウマによる難聴とアルコール依存症に襲われていく。
兄でマネージャーを務めるボビーの忠告も聞かず、常にギリギリの精神状況でステージに立つ日々が続く。
そんな中、ツアーで訪れた故郷メンフィスで会った旧友、ジョージ・"ヌードルス"・ストーンの後押しによりジャックとアリーは結婚した。
アリーが自信をなくしそうになる瞬間でもいつもそばで支えてくれたジャックだったが、心では嫉妬を抱え酒や薬物により状態は悪化していった。
アリーはアーティストとして最高の名誉であるグラミー賞にノミネートされ、晴れの舞台で新人賞を受賞する。
拍手喝采の中ステージへ上がり感謝のスピーチを述べるアリー。
するとそこへ泥酔したジャックがステージ上へ現れた。
支離滅裂な言葉はマイクに拾われ、会場から呆れ声が発せられる。


寸評
「スタア誕生」は恋愛ドラマとして劇的なストーリーなので映画化に向いているのだろう。
この作品で4度目の映画化で、原題「A Star Is Born」におけるStarの邦題表記がスタアからスターになると、話が映画業界から音楽業界に変わっている。
それに伴って、主人公が立つ晴れの舞台もアカデミー賞の授賞式からグラミー賞の授賞式へと移っている。
オリジナルは1937年の「スタア誕生」だが、その後1954年にジュディ・ガーランドとジェームズ・メイソンが主演した「スタア誕生」、1976年のバーブラ・ストライサンドとクリス・クリストファーソンが主演した「スター誕生」がある。
話が音楽業界にかわると女性歌手にはバーブラ・ストライサンド、レディー・ガガと実力派が起用されている。

音楽映画としてブラッドリー・クーパーとレディー・ガガの歌が聞けるので、それだけでも楽しめる音楽映画だが恋愛映画としてもいい出来栄えである。
前半で描かれるジャックがアリーを見出して彼女が頭角を表す過程と、ジャックが影ながら彼女を支えアドバイスを送る姿に大人の恋を感じさせる。
アリーはジャックを信頼し、ジャックはアリーの才能を開花させようとする。
ジャックもスターなのだが、アリーは新星としてこれから大スターになりうる素材である。
音楽を通じてお互いを尊敬し合う素敵な関係で、恋愛ドラマとしてもウットリさせるのが前半部分だ。

後半になってくると二人の関係は映画的に俄然面白くなってくる。
アリーの名声が高まってくるとアルコール依存症のジャックが重荷となって来て、マネージャーのレズは「ジャックがアリーの成長には邪魔になっていて、夫婦でいることが笑いものなのだ」とはっきり伝えなければならなくなる。
それでも二人は愛し合っていて、お互いを思いやる気持ちは強い。
アリーにはジャックでさえ10年もかかったヨーロッパへのツアー参戦が計画されていて、レズはそのツアーを成功させたいので、ジャックとの共演にも反対である。
アリーはツアーを諦めジャックと一緒に過ごすことを選ぶのだが、ジャックにはアルバムが好調なので2枚目を作ることになりレズも喜んでいると嘘をつく。
ジャックを愛し過ぎているアリーの精一杯の思いやりである。
しかし、ジャックは大きく飛躍できるツアーを諦めるアリーの気持ちを知り、レズが言うように自分が邪魔になっている事を悟る。
良かれと思ってやったことが、かえって相手の負担になったり有難迷惑になったりすることはあることで、ここでのアリーの思いやりは、ジャックが取れる究極の愛の表現を引き起こす。
アリーは最後についた嘘がジャックを苦しめたと悩む。
お互いに愛し合い、お互いに相手を思いやる気持ちを持ちながらも導かれる悲劇が痛ましい。
ジャックの兄であるボビーは、アリーのせいではなくジャックの責任だったのだと慰め、ジャックとの在りし日を思い出しながら追悼コンサートで歌うアリーの姿が感動的である。
レディー・ガガは紛れもなく人気と実力を兼ね備えるミュージシャンだが、日本の人気歌手なら決して見せることはない姿態も見せて、女優としても存在感のある演技を披露しているのは立派だ。
並のアイドル映画ではない。

嵐が丘

2023-07-27 07:21:33 | 映画
「嵐が丘」 1988年 日本


監督 吉田喜重
出演 松田優作 田中裕子 名高達郎 石田えり 萩原流行 志垣太郎
   伊東景衣子 今福将雄 高部知子 古尾谷雅人 三國連太郎

ストーリー
火の神を知る呪われた一族の娘・絹(田中裕子)と、下人・鬼丸(松田優作)との巡り合いを端として、一族の崩壊につながる狂気の恋愛が始まる。
時は中世。
父の神を祀る山部一族の東の荘の当主・高丸(三國連太郎)はある日、都から鬼丸と名づけた異様な容貌の童児を連れて帰り下男として仕えさせたが、高丸の嫡子・秀丸(萩原流行)は鬼丸に嫉妬した。
秀丸の妹・絹は京に上り巫女となる身だったが、鬼丸にひかれて一計を案じ、東の荘と敵対している西の荘の嫡子・光彦(名高達郎)に嫁ぐことにした。
式の前日、鬼丸と絹は結ばれ、変わらぬ愛を誓い合った。
高丸が侍に殺され、家を出ていた秀丸が妻・紫乃(伊東景衣子)と嫡子・良丸(古尾谷雅人)を連れて帰った。
東の荘の当主となった鬼丸が姿を消して数年後、絹は光彦との間に女児を出産した。
東の荘では紫乃が野盗に輪姦されたあげく殺され、秀丸も村の衆に惨殺された。
代わって鬼丸が東の荘の当主となり、光彦の妹・妙(石田えり)を下女として迎えた。
絹は産後の日たちが悪く、やがて息を引き取り、鬼丸には狂気が兆した。
妙は鬼丸に犯された後に首を吊って自殺し、光彦も野盗によって殺された。
絹は娘にも自分と同じ絹という名前をつけていた。
母親譲りで気丈な絹(高部知子)は、東の荘に下女として仕えた。
鬼丸は柩の中の絹と交ろうとするが、娘の絹に揶揄されたのに怒った。
絹は良丸と情を通じ、二人で鬼丸を討つことにした。
良丸に片腕を切り落とされた鬼丸は、絹の柩を抱えて火の山の火口へと進んでいった。


寸評
吉田喜重はエミリ・ブロンテの「嵐が丘」の映画化を永年温めていたらしい。
この頃は元気だった西武セゾングループのバックアップを受け映画化にこぎつけた。
黒澤明の「乱」の城ほどではないが、豪華なセットに壮大なロケーション撮影などによって「金がかかっているなあ」と感じる作品ではあるが、結局何が言いたいのかよくわからない内容に思えた。
古典芸能の能を思わせる演出は意図したもので吉田喜重の気合いを感じさせる。
しかし、世界的に有名な悲劇であるエメリー・ブロンテの「嵐が丘」を日本人の美意識に照らして映画化したと思われるが、それにしては観念的な部分が多く日本人にも理解しがたい難解なものになってしまっている。
有名な悲恋物語をベースにしているが、ここまでひねることはなかったと思う。

この映画においては鬼丸と絹の関係に理解しがたいものがある。
鬼丸は高丸が拾ってきた子だが、大きくなり高丸の娘である絹と愛し合うようになっている。
鬼丸は絹を心底愛していたようだが、絹と鬼丸が互いに抱く熱い想いは伝わってこなかった。
絹は鬼丸と都に行くことを嫌い、この地に留まるために光彦と結婚する道を選ぶ。
絹は鬼丸への愛よりも土着の生活を選んだと言うことになってしまうから、光彦との結婚は理解できなかった。
二人の仲は秘めたる思いで繋がっていたはずだが、絹は「きっと私が鬼丸を殺してあなたをまもってみせる」と光彦に言い残して死んでいく。
絹は鬼丸を愛していたはずだが、光彦と夫婦になり子供も授かったことで光彦を愛するようになっていたと言うことなのだろうか。
田中裕子がヌードを披露する結婚前夜に鬼丸と結ばれた濃厚なシーンからは想像できない心変わりである。

絹が亡くなってからは怪奇の世界で、まるで「雨月物語」だ。
絹の美しい姿にウジがわき、やがてドクロとなっていく。
宗教的な雰囲気も加わって、僕には話が何処に向かっているのか分からなかった。
能舞台を見ているような雰囲気のせいかもしれないが、テンポが遅すぎて上手く作品に乗り切れない。
黒澤明の「蜘蛛巣城」も能の様式を用いていたが、それなりのテンポを有していたと思う。
妙が鬼丸の所へやって来て妻にしてくれと言うが、鬼丸は下女として扱い開かずの間に閉じ込めてしまう。
ある日、鬼丸は妙に襲い掛かり犯すのだが、妙の石田えりもヌードを披露し「絹の身代わりで抱かれるのは嫌だと」泣き叫ぶ。
妙は鬼丸の心がどこにあるのか感じ取っていたのだ。
そして鬼丸の心を知るもう一人の女性が、絹の遺児である同じ名前の絹である。
絹の高部知子もヌードを披露して、鬼丸にかかわる3人の女性は彼の前に裸身をさらしたことになる。
鬼丸は女を食いつぶす毒蛇だったのだろうか。
良丸が絹に託されたオロチ退治の神事で使用される刀によって腕を切り落とされている。
片腕となった鬼丸は絹のドクロが入った棺を担いで火口に向かう。
このあと鬼丸は棺と共に火口に飛び込んだと思うが、怪奇がすぎて悲恋物語はどこかに行ってしまっていた。
田中裕子は往年の京マチ子を髣髴させ美しかった。

荒馬と女

2023-07-26 07:09:39 | 映画
「荒馬と女」 1961年


監督 ジョン・ヒューストン
出演 クラーク・ゲイブル マリリン・モンロー
   モンゴメリー・クリフト イーライ・ウォラック
   セルマ・リッター ジェームズ・バートン
   エステル・ウィンウッド ケヴィン・マッカーシー

ストーリー
原爆実験地に近いネバダ州リノの町は、離婚の町としても有名な所だ。
ここにきて離婚したロズリンは世話ずきのイザベルおばさんの紹介で、2人の男と知り合う。
自動車修理工のギドとその親友であるカウボーイのゲイで、ロズリンはゲイを頼もしいと感じた。
話のはずみで彼ら4人は田舎に行ってパーティをやることになった。
田舎での朝、自分のボロ飛行機で砂漠の上を飛んでいたギドが、野性の馬の群れを見つけた。
馬の肉は罐詰業者に高く売れる。
早速ギドとゲイは気のいい風来坊青年パース・ハウランドを仲間に入れ、馬狩りの計画を立て始める。
馬のことでゲイを残酷な男と思いはじめたロズリンの心は、パースにかたむく。
3人の男とロズリンは砂漠でテントを張った。
ギドが飛行機で追い出した野性の馬を、ゲイとパースが投げ縄でトラックの上からとらえる。
なかには仔馬を連れた母馬の姿もあった。
綱をまかれた馬はやがて疲れはてて横転する。
こらえきれなくなったロズリンは子供のように泣きじゃくり、男たちをとめる。
ロズリンの頼みに負けたパースは縛った馬を次々と放す。
怒ったゲイは単身馬を捕らえようとして、たけり狂う1頭に組みついた。
血だらけになりながら馬を縛り上げるゲイを、よくやったとギドは助け起こす。
しかしゲイは、立ち上がると捕えた馬の縄を切り放し、馬はたちまち逃れ去った。
呆然としてこれを見ていたロズリンをゲイはトラックの上に拾い上げると、砂煙を上げて砂漠のかなたに走り去っていった。


寸評
原題は「The Misfits」で、日本語に翻訳したら「不適合な者たち」とか「順応できない人たち」という意味になる。
それを表すように、クレジット・タイトルにジグソー・パズルのはまらないピースが流れる。
作品としては無駄なシーンや必要以上に長いシーンがあるし、急変するロズリンの態度とかが脈略もなく描かれていることなどもあって成功作とは言えない。
ところが、クラーク・ゲイブルとマリリン・モンローが死亡したことで、二人にとってはこれが最後の作品になったこと、また共演したモンゴメリー・クリフトが活躍を期待されながら5年後の1966年に心臓発作で死去したことで、不幸をもたらした作品として記憶されることになった。
そして仲の冷え切っていた夫の劇作家アーサー・ミラーが脚本を書いていて、この後すぐに離婚したことを知っているので意味深ととらえられる場面があり興味を引くことになっているのは歴史のいたずらだ。

ここでのマリリン・モンローは、繊細で感受性豊かながら感情の起伏が激しく情緒が不安定、男の仕事を理解せず、肝心なときは泣きわめきコブシをふりまわす女性として描かれている。
男はあきらめるか、途方にくれてさじを投げるしかない。
家の出入り口に階段を作っただけで有頂天になったりする我儘な女性でもある。
それはたぶん、アーサー・ミラーのマリリン・モンローに対する当てつけだったのではないかとすら思えてくるひどい描き方で、遺作にしては悲しくなるマリリン・モンローの姿だ。
妻を亡くしたギドに「信じやすい女だった。不思議な女だよ」と言わせているのは、マリリンに対する印象だったと思わせるし、マリリンが「奥さんはあなたが踊りが上手なことも知らずに死んだのね。心が離れ離れだったのね。みな死に向かって生きているわ。なのに知っていることを教えあわない」と言うが、死んだ奥さんとはマリリンのこととも受け取れる。 そんな邪推がまかり通るのがこの「荒馬と女」だ。

マリリン・モンローは”頭の悪いセクシーな金髪美女”というレッテルに抵抗しようとしていたと思う。
この作品でもセックス・シンボルとしての一面ものぞかせているが、同時に性格俳優としての一面も見せている。
気分屋で言動に一貫性のないという、どうしようもないジコチュウ女を伸び伸びと演じているように見える。
持病であった精神の病のため睡眠薬の使用を続けるうち依存症となり、過剰摂取により自宅のベッドで不慮の死を遂げたということで、長生きしていればまた違った評価を得ることができた女優になっていたと思わせる。
マリリンの死には自殺説や陰謀説もあって本当の所は分からないが、ケネディ兄弟との不倫疑惑などがそんな憶測を呼んでいるのだろう。 真実はわからない。

僕はこの映画は失敗作だと思っているが、その原因が脚本のアーサー・ミラーにあるのか、監督のジョン・ヒューストンにあるのかよく分からない。
モンゴメリー・クリフトが母親に電話しているシーンなんて必要だったのか、そしてあれだけの長さが必要だったのかと疑問を抱く。
先ほどまではしゃいでいたマリリンが外に出ると木にもたれかかり絶望的な姿を見せる演出も、一体何を見せたいためのものなのかと思ってしまう。
これは脚本のせいなのか、演出のせいなのか? よくわからん。

雨の訪問者

2023-07-25 07:16:18 | 映画
「雨の訪問者」 1970年


監督 ルネ・クレマン
出演 チャールズ・ブロンソン マルレーヌ・ジョベール
   ジル・アイアランド コリンヌ・マルシャン
   ガブリエル・ティンティ ジャン・ガヴァン アニー・コルディ

ストーリー
マルセイユにほど近い海岸の町、バスからグレイのコートに赤いバッグをさげた男が降り立った。
この町を訪れる人が余りなかったから、メリーはいぶかしそうにその男を見た。
町の洋服屋で、メリーはその男を見かけたのだが、メリーをつけているような不気味さがあった。
そしてその夜、飛行機のパイロットである夫トニー不在の家でメリーはその男に襲われた。
メリーは、ショット・ガンで地下室にいる男を殺し、証拠を焼き捨て死体は海へ棄てた。
翌日、友人の結婚式で、メリーはドブスというアメリカ人と知り合った。
がっしりして、口ヒゲをたくわえた男は、「なぜあの男を殺した」といきなり聞いてきた。
だが、メリーはドブスに、自分は殺しなどやらない、と言い張った。
ドブスの目当ては殺された男のもっていた赤いバッグだった。
ドブスはアメリカの陸軍大佐で、その赤いバッグには大金がかくされていたのだ。
だが、メリーが駅でみつけた赤いバッグには金などなく、夫のトニーの写真が入っていた。
写真の裏には自分たちの住居が書かれてある。
ドブスは、金のありかをメリーに問いただすが、メリーは全く知らなかった。
トニーは、どうやらパイロットという職業をいいことにして、方々で女をつくっていたらしい。
やがて、殺された男の情婦が犯人としてあげられ、メリーは自分の車の中に金の入ったバッグを見つけた。
だが、ドブスはしつようにメリーにつきまとう。
被害者の情婦の住んでいたパリを訪れたメリーは、うさんくさい男たちに拷問されたが、かけつけたドブスに救われた。


寸評
ブロンソンが絶好調時の映画で彼の魅力がよく出ているが、どうも平板な感じがする作品だ。
出だしの雰囲気はいいんだが、その後がどうもいただけない。
メリーはレイプ犯を射殺し、警察に連絡するのを思いとどまり死体を海に捨てる。
彼女が警察への連絡をしなかったのは、世間の目を考え暴行の事実を隠したかったのか、夫との生活を守りたかったのか、彼女の動揺が伝わってこず理由がよく分からない行動に感じられる。
夫は副操縦士で稼ぎは良さそうだが、裏でヤバイことをやっていそうな雰囲気を出しながらそれは全く描かれず、夫の悪事はメリーの親友との浮気ぐらいというのもサスペンスとしては弱い。

ドブスが追っているのは殺された男と、その男が持っていた大金だと分かるが、それが判明する盛り上がりはなく、ましてやその金が一体どういった金なのかも分からないこともあって、途中からサスペンスとしては物足りなさを感じてくる。 
ドブスはメリーの口を割らせようとするが、その手段が酒を大量に飲ませるというものだから、なんだかホンワカしたムードが漂ってしまう。
サスペンス映画としてのハラハラ感がもっとあってもよかったと思うし、あきらかに説明不足という感じだし、伏線もなさ過ぎに思える。
伏線と言えるのはドブスがクルミを窓ガラスにぶつけて割れると誰かに恋しているとメリーに言うことぐらいで、最後に今迄ドブスが投げたクルミで割れなかった窓ガラスが割れることにつなげている。

観客を欺くような仕掛けは、メリーが殺した男の死体が発見され、犯人として男の情婦が誤認逮捕されることによってもたらされる。
メリーは無実の情婦を救うためにパリに飛ぶのだが、この経緯が全く説明不足で何が何やらわからない。
ドブスが救出に駆けつける事が出来たのもよく分からない。
僕の理解不足なのかと思ってしまう。
メリーがドブスの正体を知る経緯も間の抜けたもので、ドブスがドアに鍵もかけておらずメリーが簡単に入室できてしまうなんてありえない話だ。
メリーは幼い頃に母親の浮気を目撃したことがトラウマになっているようなのだが、その為に自分だけは夫婦関係を維持しようと殺人をひた隠しにしたのかもしれない。
それ以外にメリーのトラウマが描かれた理由を僕は見いだせない。
思わせぶりなコインを拾えないシーンがあるのだが、子供のころの経験が重要なエピソードになっていないのは脚本が悪いのか。
最後に母親がメリーにメランコリーと父がつけた名前を呼ぶことにつなげるためだったとしたら、ちょっと寂しい演出ではないかと思う。
ブロンソンは男性ファンが多かったから、男性ファンの為にマルレーヌ・ジョベールの艶めかしいシーンを用意してサービスしているが、どうもメリーというキャラクターが描き切れていたとはいいがたい。
ルネ・クレマンとしては成功した演出と言えないと思うが、ブロンソンの雰囲気だけは描き出していた。
フランシス・レイの音楽はいい。

天草四郎時貞

2023-07-24 07:47:43 | 映画
「天草四郎時貞」 1962年 日本


監督 大島渚
出演 大川橋蔵 大友柳太朗 三国連太郎 丘さとみ
   平幹二朗 毛利菊枝 佐藤慶 千秋実 戸浦六宏

ストーリー
徳川家光の治下。島原、天草のキリシタン百姓は、キリシタン禁制とその苛酷な政治下に喘いでいた。
松倉藩の代官田中宗甫(千秋実)は幕府直参多賀主水(佐藤慶)の督励を背景にキリシタン弾圧を実行。
名主与三右衛門(花澤徳衛)の息子三蔵(和崎隆太郎)の嫁、身重の梅(木内三枝子)は殺され、助けに行った三蔵は極刑に倒れ、また南蛮渡来の油絵の魅力につかれた絵師・右衛門作(三國連太郎)は、絵のために何度か信仰を裏切り、娘の菊(立川さゆり)は雑兵に犯された。
天草の救世主と仰がれるキリシタン青年、天草四郎(大川橋蔵)は、父甚平衛(佐々木孝丸)、母マルタ(毛利菊枝)、姉レシイナ(八汐路佳子)と共に隠れ家にあり、百姓と共に起ち上る日を待っていた。
四郎は武士時代の親友で、恋人桜(丘さとみ)を譲った岡新兵衛(大友柳太朗)に捕われのキリシタンとの連絡を頼んだところ、新兵衛はキリシタンではないが、武士の情けで引き受けるのだった。
一方、弾圧にたえかねた名主与三や角蔵(吉沢京夫)らは、四郎の制止をきかず、宗甫勢を襲った。
百姓方に浪人群も加わったことを知った四郎は決起を決意し、城内のキリシタンへの連絡を新兵衛に頼んだのだが、連日の拷問に苦しむ善右衛門(芦田鉄雄)が主水に新兵衛のことを告げてしまう。
新兵衛が捕えられたので、四郎は新兵衛の妻桜をかくまった。
百姓達と浪人群の総勢は島原城攻撃を開始した。
主水は新兵衛に、桜と四郎の仲に疑問を抱かせ、四郎を斬ることを条件に新兵衛を放した。
新兵衛は四郎に会って総てを了解したが、味方の銃で重傷を負ってしまう。
松倉藩は事の容易ならざるを知って幕府に急報し、幕府は早速十万の大軍を送ることになった。
その大軍が来る前に、百姓達は第二回の城攻めを行ったが、オランダの大砲の前に失敗した。
浪人群は四郎の母マルタ、姉レシイナを奪って主水に届け、交換に禄にありつこうとするが断わられた。
野望に破れた浪人群は百姓達にも見放された。
四郎は四万七千名を率い、原の古城に幕府十万の大軍を迎えようとしていた・・・。


寸評
大島渚が東映で撮った作品だが完全な失敗作。
60年安保闘争を時代劇に持ち込んでいるのだろうが、何が言いたいのかチンプンカンプンで、おまけに東映時代劇らしい天草四郎と浪人の果し合いもないし、キリシタン側と幕府側の合戦場面もないので娯楽作を期待していた観客はがっかりだろう。
キリシタン農民は言ってみれば一般大衆である。
無力な大衆を先導して武力改革を目指す戸浦六宏の浪人などは闘争指導者への疑問を呈している。
名主の花澤徳衛などは日和見の代表者のような存在で、最後には戦っても意味がないようなことを言って闘争から離脱していく人物として描かれている。
四郎は今は城に攻め込んでも無駄死にするだけで、全国のキリシタンが団結して立ち上がる時期を待つべきだと主張しているが、権力に対抗する国民運動の総決起を望むのは難しい。
路線の違いで、慎重派と強硬派の間に内部分裂が生じてくるのは集団闘争にはつきものである。

四郎には菊という恋人がいるが、菊は雑兵に犯されてしまう。
身体はきれいでも心が汚れている者もおれば、体が汚れていても心がきれいな人もいると慰めるが、その後の二人の顛末は描かれておらず、一つの挿話としてだけで描かれたエピソードとなっている。
さらに四郎の親友である新兵衛の妻となっている桜と四郎の間には愛が存在している風に思えるのに、深く追及されることはなく、四郎の二人の女性に対する気持ちはどうだったのかは想像するしかない。
大川橋蔵の天草四郎はじっと我慢するだけのような感じで、宗教に殉じた敬虔なキリシタンという感じもしない。
アジ演説を行うわけでもなく、この作品では存在感そのものがない。
それまで大川橋蔵が演じてきた美男剣士、明朗快活な青年のイメージを壊した役柄だが、壊しただけに終わってしまっている。

よく分からないのは三國連太郎の右衛門作も同様である。
元はキリシタンだったが、今は信仰を捨てて絵師となっている。
キリシタンの取り締まりを強化している代官田中宗甫の肖像画を描いている男なのだが、この男の苦悩がほとんどと言っていいぐらい上滑りな描き方に終始してしまっている。
宗教を捨て去ったことなのか、あるいは仲間を裏切ったと言う気持ちからなのか、暗い影を引きずっているのだが、僕はこの男の人物像を最後まで把握できなかった。
立場や振る舞いがよく分からないのは大友柳太朗の新兵衛も同様で、内部通報者なのだが幕府側の接し方は生ぬるいものだし、最後の行動も理解に苦しむものがある。
あの微笑みは、妻と共に磔にされた喜びからだったのだろうか。
名作を送り出してきた石堂淑朗 と大島渚のコンビによる脚本だが、安保を意識しすぎた脚本に問題があったのかもしれない。
期待を裏切った究極はラストシーンで、僕などは「ええ、ここで終わるの?」という印象を持った。
大川橋蔵、大友柳太朗はミスキャストだったように思う。

アフリカの女王

2023-07-23 07:37:08 | 映画
「アフリカの女王」 1951年 イギリス / アメリカ


監督 ジョン・ヒューストン
出演 ハンフリー・ボガート キャサリン・ヘプバーン
   ロバート・モーレイ ピーター・ブル
   セオドア・バイケル ウォルター・ゴテル

ストーリー
1914年、欧州で戦乱が起った頃、アフリカのドイツ領コンゴではドイツ軍が村の掠奪を行い、宣教師はそのショックで死んでしまい、彼の妹ローズ・セイヤアは天涯孤独の身となった処を、カナダ生れの飲んだくれ男チャリイ・オルナットに引き取られた。
チャリイは村々に食糧や郵便をくばる川蒸気船「アフリカの女王」号を操っていたが戦争の終るまでに仕事をやめて引こもろうと決心したが、ローズは川を下って下流の湖に碇泊しているドイツ砲艦「ルイザ」に近づき、船もろとも魚雷をぶつけて撃沈しようと言い張った。
やっとみこしをあげたチャリィは、彼女と共に川を下りはじめたが、雨が降っても彼女の居る被いの中には入れて貰えず、秘蔵のジンは川に捨てられてしまう始末だった。
やがて船はドイツ砲台の前を通過、エンジンをこわされ、やっと逃れると激流にはまって矢のように岩の間を滑り出した。
エンジンが直った時二人は思わずキスし、以後、曲ったスクリュウを一週間もかかって叩き直したり、マラリアにおかされたチャリイをローズが必死に看護したりする苦労を重ねて、ようやく湖にすべりこんだ。
二人はひそかに船に魚雷をとりつけ、夜と共に「ルイザ」に向け突進したが、波が高く寸前で転覆してしまい、沈没してしまった。
二人は「ルイザ」に捕われ、スパイとして絞首刑を宣告されたが、チャリイは執行前にローズとの結婚式をあげさせてくれと頼み、許されて二人の式が行われている時、突如「ルイザ」は大爆発を起した。


寸評
ハンフリー・ボガードとキャサリン・ヘプバーンという名優による二人芝居映画である。
「アフリカの女王」というタイトルから、キャサリン・ヘプバーンを主演にした作品かと思いきや、アフリカの女王とはハンフリー・ボガードが運転している小さな船の名前である。
しかしヘプバーンが女王様のような態度を見せるので、タイトルは両方に掛けているのかもしれない。

アフリカのコンゴを支配するドイツ軍がローズの兄が布教活動をしている村を焼き払い、兵士として村人たちを強制連行してしまう。
ショックを受けた兄は廃人のようになって死んでしまい、妹のローズはイギリス軍の進行を助けるために障害となっているドイツの軍艦を撃沈しようと決心するのだが、このお嬢さんの短絡的な発想が物語の発端となっている。
蒸気船「アフリカの女王」号を操っているオルナットは渋々付き合わされることになるのだが、命が保証されない危険極まりない行動に同調するには、オルナットが普段からローズに秘かな思いを寄せているなどの、さらなる動機づけが必要だったように思う。
荒くれ男のオルナットと淑女のローズによる川下りが始まるが、油のにおいがしてきそうな二人の薄汚れた衣装がこの運航の大変さを物語っていて、二人の演技と相まって作品全体の雰囲気を上手く表現できている。

異国のアフリカに取り残され、しかも二人きりの危険な船旅ともなれば、二人の行く末は見え透いたものだが、オルナットがローズに遠慮しながら接する様子が、武骨な割には純情な男の滑稽な態度として笑わせる。
ハンフリー・ボガードはこの作品で念願のアカデミー賞の主演男優賞を受賞したが、髭ぼうぼうのむさくるしい男を一生懸命演じている。
僕はむしろキャサリン・ヘプバーンの体を張った流石の演技に感心し、彼女あっての「アフリカの女王」だと思う。

川下りのエピソードは現地ロケのこともあって楽しめるものとなっている。
スペクタクルシーンは合成などもあるけれど、お決まりの激流を乗り切る悪戦苦闘や、滝つぼに吸い込まれるシーンなども盛り込まれてていて飽きさせない。
川に入って船を引っ張るところでは、これもお決まりともいえるヒルに襲われるというシーンもある。
現地ロケならではの群がっているワニが川に飛び込むシーンや、カバが水浴びしているシーン、猿が群れているシーンなどが挿入されてアフリカの雰囲気を引き出している。

彼らは入り組んだ川で水草の生い茂った場所に迷い込んでしまうが、二人がくたびれ果てたところでカメラが上空にパンすると湖が拡がっているシーンは感動的で、僕はこの作品中で一番感激した。
やがて目の前にドイツ軍艦「ルイザ」が現れるが、この「ルイザ」がどれくらいスゴイ軍艦なのかがわからない。
オルナットの船に比べれば巨大だということは分かるが、装備も不明なので英国軍の侵攻をこの一隻で食い止めるだけのものとは思えない。
この作品の雰囲気でもあるのだが、艦長たちもどこかのんびりしていて喜劇的だ。
オルナットは魚雷まで作ってしまう何でも屋のスーパーマンだが、「カサブランカ」とは違うボギーを見せてくれて楽しませてくれた。

アビエイター

2023-07-22 08:43:49 | 映画
「アビエイター」 2004年 アメリカ


監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ ケイト・ブランシェット
   ケイト・ベッキンセイル ジュード・ロウ
   アレック・ボールドウィン ジョン・C・ライリー
   アラン・アルダ イアン・ホルム ダニー・ヒューストン

ストーリー
1927年、21歳の青年ハワード・ヒューズは、ハリウッドへ単身飛び込み、父の遺産をすべて注ぎ込んで航空アクション映画「地獄の天使」の製作に着手。
30年にそれが完成すると、彼は一躍ハリウッド・セレブリティの仲間入りを果たす。
まもなくハワードは、人気女優のキャサリン・ヘップバーンと恋に落ちる。
一方で、たくさんの話題の映画を世に送り出し、また飛行機会社を設立して、自ら操縦桿を握ってスピード記録を次々と更新。
人生の絶頂期を謳歌するかに見えたハワードだったが、夢にのめり込み過ぎた結果、やがてキャサリンと破局。
ハワードは次なる恋の相手に15歳の新人女優フェイス・ドマーグを選んだが、ハリウッド一の美女と讃えられるエヴァ・ガードナーとの仲に彼女が嫉妬し、ゴシップ誌の餌食となる。
そして自らデザインした偵察機のテスト飛行を行なったハワードは、墜落して炎上する大事故を起こす。
奇跡的に一命を取り止めたものの、米空軍との契約を打ち切られた開発中の巨大飛行艇、ハーキュリーズについてFBIの強制捜査が入り、精神に異常を来していく。
それでも裁判を乗り切った彼は、ハーキュリーズの完成に向けて力を注ぐ。
そして47年、いよいよハーキュリーズのテスト飛行。
結局これ一回限りとなる飛行を敢行し、ハワードは幼い日の自分のことを思い出すのだった。


寸評
アカデミー賞がすべてだとは思わないが、この作品は数多くにノミネートされながら結局、助演女優賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞の5部門受賞に終った。
作品賞を逃し(受賞はミリオン・ダラー・ベイビー)、ディカプリオの主演男優賞も話題になっていたが受賞を逃した。やむを得ないかなと言うのが正直な感想で、アカデミー賞会員の評価に納得した。僕はどうもディカプリオという俳優に魅力を感じない。彼のベビーフェイスに戸惑いを感じるのか、彼が熱演すればするほど距離をおいてしまう。こうなってはもう好き嫌いの世界だ。
それもあって、僕にはディカプリオ演じる所のハワード・ヒューズにリアリティを感じなかった。違う役者さんで撮っていたらどうなっていたのかなと思った。もっとリアリティが出せたんじゃないかと想像した。

ヒューズ社による航空会社TWAの買収や、パンナムの政治家を使った独占戦略なども、もう少し色濃く描いて欲しかったけど、そうすればハワードがボケてしまったのかな。
ハワードの描き方としては、恋に生きるハワードの姿より、強迫性障害で苦しむ彼の姿の方が迫るものがあった。
汚れが気になって、何度も手を洗う極度の潔癖症もその一つだろうし、不快な考えが頭に何度も浮かぶため、その不安を振り払おうと、同じ行動を何度もくり返してしまう彼の苦悩と、周りのものの取り繕いを興味深く見ることが出来た。彼の飛行機や映画にかける情熱、あるいは彼の恋愛遍歴を描いた伝記映画ではなくて、強迫性障害に苦しむ一人の人間を描いた映画だったのかもしれない。

ハワード・ヒューズの父親は、彼が18歳の時に死亡。そして父親が設立したヒューズ・ツール社(油井掘削機メーカー)と莫大な財産を相続。つまり、18歳で億万長者になったのだが、そのことは無視して映画は始まる。
20歳の若造が金を無駄使いして、飛行機の映画を作っているといころから映画は始まるのだが、その金の使い方と言い、やり方と言い、まさに時代の寵児で、ハリウッド全盛を感じさせるに充分な導入部で、僕はこの入り方は良かったと思う。

映画では、パンナムの傀儡議員がTWAのヒューズに公聴会で言い負けるのがかなりの時間をかけて描かれている。
その結果としてTWAは大西洋を横断する定期便を始めて就航させた筈なんだが、そのTWAもパンナムに買収され、そのパンナムも1991年に倒産している。
それぐらいの予備知識をもって映画館に足を運んだし、映画を通じてハワード・ヒューズの名前は知っていたし、登場するメイヤー氏がMGMの創設者の一人だということもわかったけれど、それでもどうもアメリカ人ほど背景が解っていないのが、僕がもうひとつ乗り切れなかった真の原因かもしれない。
これでキャサリン・ヘップバーンやエヴァ・ガードナーやジーン・ハーロウを知らなかったら、もっと入り込めなかったかもしれない。
映画ファンでよかった・・・。

アバター

2023-07-21 07:13:03 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/1/21は「インセプション」で、以下「インファナル・アフェア」「ウエスト・サイド物語」「浮雲」「雨月物語」「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」「うなぎ」「海よりもまだ深く」「海を飛ぶ夢」「裏切りのサーカス」「裏窓」と続きました。

「アバター」 2009年 アメリカ


監督 ジェームズ・キャメロン
出演 サム・ワーシントン ゾーイ・サルダナ
   シガーニー・ウィーヴァー スティーヴン・ラング
   ミシェル・ロドリゲス ジョヴァンニ・リビシ
   ジョエル・デヴィッド・ムーア CCH・パウンダー

ストーリー
22世紀。人類は地球から遠く離れた宇宙にまで進出していた。
そこで豊かな大自然と未知の動植物が生息する衛星パンドラに出会い、“アバター・プロジェクト”を開始する。
青い肌と人間よりも大きな体を持ち、原始的な生活を送る先住民族“ナヴィ”が暮らすこの星の大地には、莫大な利益をもたらす鉱物が眠っていた。
だが、大気は人間にとって有毒な性質で、鉱物採掘を実現するには大気の問題をクリアしなければならない。
これを解決するために、ナヴィと人間のDNAを組み合わせた肉体“アバター”を生み出し、自由に活動できるようにすること。
それがプロジェクトの目的だった。
戦争で負傷し下半身不随となり車いす生活を余儀なくされた元海兵隊員のジェイク。
ある時、彼は“アバター・プロジェクト”にスカウトされる。
車椅子の生活を送っていたジェイクは、体の自由を取り戻すために計画に参加、“アバター”を手に入れる。
そしてジェイクに課せられた任務は、そのアバターに意識をリンクさせ、遠隔操縦によりパンドラで生活し、ナヴィ族との交流を図ること。
アバターを介してついに身体の自由を得たジェイクは、さっそく神秘的なパンドラの森へと足を踏み入れ、やがてナヴィ族の美しい女性ネイティリと運命的な出会いを果たす。
次第にパンドラの生命を脅かす任務に疑問を抱くようになったジェイクは、やがてこの星の運命を決する選択を強いられていくのだった……。


寸評
環境問題なども読み取れるが中身はそんなに深いものではない。
話題は3D技術を駆使した初めての本格的作品ということで映画はヒットした。
数々の博覧会で体験していた映像が映画館では2時間半も楽しめた。
作品はそれを多分に意識したもので、それなりのストーリー展開を見せるが主眼はアッと驚かせる映像に置かれていることは間違いない。

惑星パンドラは楽園である。
それを思わせる森の映像は美しい。
架空の惑星の世界を描いているけれど、人間の発想の限界もあって出てくる生き物は地球上の動物の延長線上にあるものばかりだ。
逆に言えばそれらに違和感はない。
オオカミだったり、像かサイの化身の様な動物だったりするし、太古の翼竜のようなものも登場する。
光る植物などもたくさん描かれるが、これを見ていると人間の発想は危害を加えない植物の方が多彩なのではないかと思ったりした。

主人公のジェイクは戦争で下半身不随になっている。
かれはプロジェクトが成功した暁にはその下半身を手に入れることが約束されている。
そのことでジェイクが当初積極的にこのプロジェクトを推進する理由づけとしている。
この設定は物語上違和感がなく、むしろスムーズな入りをもたらしていたように思う。
かれはカプセルに入ることで分身のアバターに同化する。
パンドラの住人であるナヴィはこの種の映画のほとんどがそうであるように、武器は前近代的な弓矢である。
毒が塗られているとは言え、動物にまたがってそれで攻撃する様子は何回も見たような気がする。

クオリッチ大佐は典型的な軍人で、力でもって相手を屈服させようとしている。
最新の兵器を携えており軍事力は強大で、力による征服を疑っていない。
その姿は米軍そのものでもある。
それでもキャメロンがそんな中でも良識的な人間はいるのだと少し弁護しているようなものを感じる。
それはジェイクであり、科学者のグレースであり、ナヴィへの攻撃を途中でやめてジェイクたちに味方する女性兵士を登場させていることだ。

最後はクオリッチ大佐率いる地球軍と、ナヴィに同化したジェイクを含めたパンドラ住人達との大活劇が映像を駆使して展開される。
ハリウッドの人材と才能が爆発したようなシーンの連続で、このような映像展開にはアメリカ映画は一日の長があると感じさせる。
映画に資金を投入して力任せの作品を提供してくるのは、内容と同様にアメリカらしい。
映画は米国の一大産業なのだと感じさせた。

あの夏、いちばん静かな海。

2023-07-20 07:38:06 | 映画
「あの夏、いちばん静かな海。」 1991年 日本


監督 北野武
出演 真木蔵人 大島弘子 河原さぶ 藤原稔三 寺島進 小磯勝弥
   松井俊雄 石谷泰一 窪田尚美 大和田剛 澤井革 杉本達也
   深谷朋民 千原正子 芹沢名人 渡辺哲 鍵本景子

ストーリー
茂は生まれつきの聴覚障害者で、掃除車の助手をしている。
ある日、海岸脇のゴミ収集所に捨ててあった壊れたサーフボードに心ひかれた茂は、それを持ち帰って修理し、早速恋人の貴子を連れて海辺に出掛けた。
貴子もまた茂と同じろうあ者だった。
茂は必死にサーフィンに挑戦するが失敗の繰り返し。
貴子は常連のサーファー達に笑われながらも練習に明け暮れる茂を微笑みを浮かべて見守っていた。
やがてサーフボードは壊れてしまうが、茂は給料日を待って新品を買うと、また海辺に通い詰めた。
スーツもつけずにサーフィンに挑み、そんな茂のひたむきさを見たサーフショップ店長の中島は、彼に一着のウェストスーツとサーフィン大会の出場申込書を差し出した。
そのサーフィン大会の当日。
茂と貴子はじっと出番を待っていたが、そうこうするうちに大会は終わってしまう。
自分の出番を告げるアナウンスが聞こえずに失格となってしまったのだ。
それでも茂のサーフィンの情熱はつのるばかりで、仕事さえも忘れるほどだった。
また、常連のサーファーたちとも次第に打ち解けるようになっていた。
こうして二度目のサーフィン大会を迎え、腕を上げた茂は、見事に入賞し、仲間たちの祝福を受ける。
大会終了から数日後、ただ一人で荒波を見つめる茂・・・。


寸評
若い聾唖のカップルが主人公なので二人の会話は一切なく、時折聞こえるのは二人を取り巻く人たちの会話と波の音だけという半ばサイレント映画を見ているような雰囲気を白石譲の哀愁を帯びたロディが包み込む。
二人はそばにいて、ただ視線を交わすだけで分かり合っているのだが、観客である僕たちも分かり合えるような描写がよくて引き込まれるものがある。
茂が同乗している清掃車の運転手、サーフショップの店長、二人を送り届ける軽トラの運転手など、大げさではない優しさを持っている人たちの扱いもくどくなくていい。
茂はやっとの思いでサーフボードを買うが、店長は他店では安く売っているのでもう少し負けてやればよかったかなと言い、その事が咎めたのか後日の寒い日に古いウエットスーツをプレゼントしてやるし、自分を慕うサーフの後輩たちに「ちゃんと面倒見てやれよ」と声をかけ、主人公とサーフ・コミュニティの架け橋となっている。
二度目の大会の後ではすっかりコミュニティに馴染んでいて、居場所のなかった茂が彼女と共に居場所を見つけたようだと思わせるショットもなかなかいい。
清掃車の運転手は仕事上は厳しい言葉をかけているのだが、サーフィン大会に出る茂をかばってやり、大会で小さなトロフィーをもらって帰ってきた主人公カップルを晩酌に誘い、まるで自分の息子の快挙を喜ぶような嬉しそうな表情を見せる。
軽トラの男は定員オーバーを咎められた警官に食って掛かるような乱暴者だが、無事に二人を送り届けている。
彼の乱暴さは二人を送り届ける義務感と正義感から来ていることが観客にもよく分かるのだ。

海に入るときに必ずコケる男や、茂の友人らしいコンビなどが道化役を引き受けていて、北野武流のユーモアも所々で披露されている。
相反する場面が貴子が一人で乗ることになったバスのシーンだ。
やっとサーフボードを手に入れた茂がバスに乗ろうとすると、混雑しているからサーフボードはだめだと乗車を拒否されてしまい、貴子が一人でバスに乗ることになってしまう。
茂はサーフボードを抱えてバスを追いかける。
満員のバスから乗客が下りていき空席が目立つようになってくるが貴子は座ろうとはしない。
歩いてくる茂を思ってのことで、バス停を降りた貴子は追いかけてきた茂に駆け寄っていく。
貴子は一筋の涙を流し、それまでそっけない態度だった茂は貴子をそっと抱き寄せ歩きはじめる。
なんてピュアなラブシーンなんだろう。
ビートたけしのキャラクター・イメージからすれば考えられないような演出である。
冗談抜きのいいシーンだった。
帰りの船の中で二人がトロフィを嬉しそうに眺めるシーンにも思わず笑みが自然とこぼれた。

最後になって「あの夏、いちばん静かな海。」というタイトルの意味が分かる。
これは二人の現在進行形のラブストーリーを描いていたのではなく、あの夏の日の思い出話だったのだ。
泣き崩れることもなくサーフボードを横に置いて海を眺める貴子の姿には万感迫るものがある。
想い出のシーンにはグッと来るものがあった。
一言も発しないで自然体で臨んだ真木蔵人の演技は賞賛に値する。

あなたへ

2023-07-19 08:01:17 | 映画
「あなたへ」 2012年 日本


監督 降旗康男
出演 高倉健 田中裕子 佐藤浩市 草彅剛 余貴美子 綾瀬はるか
   三浦貴大 岡村隆史 根岸季衣 大滝秀治 長塚京三 原田美枝子
   浅野忠信 ビートたけし

ストーリー
北陸のある刑務所の指導技官・倉島英二のもとに、ある日、亡き妻・洋子が残した2枚の絵手紙が届く。
そこには、一羽のスズメの絵とともに“故郷の海を訪れ、散骨して欲しい”との想いが記されていた。
そして、もう1枚は、洋子の故郷・長崎県平戸市の郵便局への“局留め郵便”だった。
その受け取り期限まで、あと十日。
刑務所に歌手として慰問にきていた洋子とは穏やかで幸せな夫婦生活を営んでいた。
長く連れ添った妻とはお互いを理解し合えていたと思っていたのだが、妻はなぜ生前その想いを伝えてくれなかったのか…。
英二はその真意を知るためにも、妻の願い通り彼女の故郷・長崎を目指すことにし、本当ならば妻と旅行するために準備していた手製の改造キャンピングカーに乗り込み、いざ富山を後にする英二だった。
妻の故郷を目指すなかで出会う多くの人々。
彼らと心を通わせ、彼らの家族や夫婦の悩みや想いに触れていくうちに蘇る、洋子との心温かくも何気ない日常の記憶の数々。
さまざまな人生に触れ、さまざまな想いを胸に目的の地に辿り着いた英二は、遺言に従い散骨する。
そのとき、彼に届いた妻の本当の想いとは―。


寸評
高倉健の遺作として記録に止められる作品だが、奇しくも大滝秀治の遺作ともなってしまった。
映画自体は何の変哲もないロードムービーで、主人公が各地で出会うユニークな人々は演技力(それを披露すること)より知名度優先のキャスティングになっていたと思う。
高倉健が80歳を過ぎても堂々と主役を張っているのだから、やはり映画史に残る大スターということだ。
そのたたずまい、表情には圧倒的な存在感があるが、映画界における年期は手に現れていた。
年数を経てきた感じが指先に出ていて、それが決して役柄のためのものではないと感じた。
これが遺作だと知ると余計に感慨深いものがある。

ハンドメイドで改造したキャンピングカーに乗って、富山から九州の平戸へ向かう主人公・倉島が旅先で遭遇する様々な出来事が描かれ、同時に妻との過去の回想シーンがあちらこちらに挟み込まれる構成になっているのだが、主人公が出会う人々のエピソードが本筋と全くと言っていいぐらい絡まないのでイマイチ盛り上がりに欠ける作品になってしまっている。
セピア調の色合いで振り返られる洋子との思い出シーンが素晴らしいだけに、尚更そちらのリアル感の欠如が目についてしまうのだが、ただし演じる俳優は名前のある人たちばかりで、そちらの方の興味は最後まで尽きない。

主人公の同僚夫婦は長塚京三と原田美枝子で、長塚京三は退職届を出した高倉に「受理できない、休暇扱いにしておく」と言って送り出している。
いい同僚に巡り会えたものだと羨ましくなる。
飛騨で出会うのが元国語教師(?)というビートたけしで、彼は山頭火を語る。
放浪と旅の違いも語り、目的のあるのが旅だと語り、帰るところがあるのも旅だと言う。
京都では草彅剛の駅弁の実演販売をして全国を回っている男と出会うが、エピソードとしては深みに欠けていた。
ロードムービーとして大阪が登場したといった感じで、ナイナイの岡村隆史が阪神ファンで登場し阪神の優勝がテレビ放映されている。
道頓堀の景色は定番で、道具屋筋が登場するのは大阪人の僕はちょっと嬉しい(大した意味はないけど)。
天空の城と呼ばれる竹田城址の思い出として、音楽祭で歌う洋子の姿が描かれる。
慰問歌手をしていた洋子の歌は冒頭でも歌われているが、洋子が慰問歌手をしていた理由が後日明らかになり、倉島と妻・洋子の夫婦愛がイメージとして物語のベースになっていたと思う。
宮沢賢治の作詞、作曲になる「星めぐりの歌」だが、これを田中裕子自身が唄っており聴きものだ。
下関では事件に巻き込まれるが、浅野忠信が警官役で少しの出演。
門司では再会した草彅剛の同僚として佐藤浩市が登場するが、この男の顛末は。とってつけたようで不自然だ。
目的地の平戸では食堂を営む余貴美子と綾瀬はるかの親子、その婚約者の三浦貴大、さらに彼の祖父である大滝秀治などが登場し、まさにオンパレード。
ロードムービーの大きな魅力である各地の美しい風景はキッチリとらえられていて、特にラスト近くの海と太陽の風景は絵画のような美しさには絶句する。
平戸は僕も旅したことがあり、僕が旅した中でも一、二を争う風情のあるいいところだった。

アナザーラウンド

2023-07-18 06:50:50 | 映画
「アナザーラウンド」 2020年 デンマーク / スウェーデン / オランダ


監督 トマス・ヴィンターベア
出演 マッツ・ミケルセン トマス・ボー・ラーセン マグヌス・ミラン
   ラース・ランゼ マリア・ボネヴィー スーセ・ウォルド
   ヘリーヌ・ラインゴー・ノイマン 

ストーリー
マーティンは歴史を教える高校教師で、妻・アニカ、思春期の息子・ヨナスとキャスパーがいる。
彼には仲の良い同僚のニコライ、トミー、ピーターがいた。
心理学が専門のニコライは妻との間に3人のまだ幼い子どもがおり、育児に奔走している。
ピーターは独身で音楽の先生、トミーは小学部のサッカーコーチで介助の必要な愛犬と暮らしている。
マーティンの授業は生徒たちに不評なのだが、マーティン自身も自分の人生に飽き飽きしていた。
帰宅しても妻のアニカとはすれ違いの生活で、子供たちも父親と会話する気がない。
ニコライの40歳の誕生日を祝うため、マーティンたち4人が集まった。
ニコライがフィン・スコルドゥールというノルウェーの哲学者の言葉を引用し、「人間は血中アルコール濃度が0.05%であることが理想らしい」と言い出した。
ワインならグラス1~2杯で、そのくらい飲んでいたほうがリラックスした状態でいいというのだ。
4人は昼間に少量飲むくらいならなにも問題はないし、どうせだから4人全員でスコルドゥールの理論を検証し、「血中アルコール濃度を常に0.05%に保つことが、心と言動にどう影響を及ぼすか」というテーマで論文にしようではないかと話は盛り上がった。
マーティンたちは、酒を飲んでは検知器で濃度をきちんと計測し、血中濃度を0.05%にして授業に臨む。
するとリラックスして臨めたこともあり、授業は生徒たちに好評だった。
調子をよくしたマーティンは、濃度を上げてみないかと提案し他の3人も同意した。
マーティンは家族でカヌー旅行に出かけ子どもとも会話でき、妻のアニカとも距離が縮まった気がした。
ニコライの妻子が実家へ泊まりに行くのを見送ったあと、ニコライたちはいそいそと新たな酒を用意する。
マーティンは飲まずに帰ろうと思っていたのだが、3人がおいしそうに飲むのでその酒を飲んでみた。


寸評
飲酒は気分を高揚させ人を饒舌にもする。
僕もアルコールがない食事会よりは、飲酒をしながらの方が断然話が盛り上がる。
飲酒をすることで授業が上手く進められるようになるこの映画は、飲酒をめぐるコメディかと思われるが案外とシリアスな部分もあるし、アルコール依存のまずい点も描かれているまともな作品だ。
これは飲酒をめぐる物語であると同時に、人生を再生させる中年の物語でもある。

デンマークではアルコール度数が低ければ16歳から飲酒が認められているらしく、マーティンの生徒は毎日晩酌をしている僕などが足元にも及ばないほどのビールを飲んでいる。
北欧の国が飲酒におおらかなのは夜が長いせいかもしれない。
4人が血中アルコール濃度を0.05%にして歴史や音楽の授業を上手くやりだし、サッカーのコーチも仲間外れの少年などを上手く導いていくようになる様子などは、分かっているとは言え楽しませてくれる。
作品に深みを持たせているのは、マーティンの家族に問題があることだ。
マーティンの妻は夜勤が続き、夫婦間にはすれ違いが続いている。
どうやら妻は夫婦関係に不満があり浮気をしているらしいのだが、彼女の浮気がマーティンによって語られる意外に描かれていないので、家庭崩壊の緊迫感は余り伝わってこなかった。
マーティンが妻の行為を知っていたことなどを描けば彼の生気のなさをもっと受け止めることが出来たと思う。
カヌー旅行に出かけたことで彼の家族が再生するかと思ったところで、マーティンが再び酒を口にして離婚騒動に発展してしまうところなどはシリアスさを感じる。

途中で酔っぱらっていると思われる世界の指導者の映像が流れ、またヘミングウェイを例に出して飲んだくれでもノーベル文学賞が獲れるとか言っているくだりは、酒飲みを正当化しているように見える。
穴埋めするように、4人がアルコール依存になっていて失敗をやらかす事を描いているのだが、アルコール依存症にしては症状が軽い。
アルコール依存を描いた作品は何本かあるが、共通することは酒を口にすることは主人公の身の破滅を招き、酒を断ち切れば主人公の再生をもたらすという構図である。
それらの作品では、主人公がどのようにして酒を口にし、どのようにして断念するかに興味が注がれる。
この作品は酒を飲むということをテーマにしているが、それらの依存症作品とは一線を画している。
中年のおっさんたちが酒を飲むことで生き返っていくのだ。
アルコール依存は申し訳程度に描かれているに過ぎない。
彼らは「社会的生活に支障が生じて、アルコール依存症になるおそれが生じたため」として実験を終了する。
そして彼らは卒業生たちと祝い酒でバカ騒ぎをする。
マーティン夫婦の関係修復がとってつけたようだし、僕には飲酒賛歌映画だったとの思いが残った。

最後にイーダに捧げるとクレジットされるが、トマス・ヴィンターベア監督は、この映画の撮影がスタートしてすぐに19歳の娘イーダ・ヴィンターベアさんを交通事故で失っていたので、この映画を彼女に捧げている。
彼女の冥福を僕も祈りたい。

アデル、ブルーは熱い色

2023-07-17 07:08:26 | 映画
「アデル、ブルーは熱い色」 2013年 フランス


監督 アブデラティフ・ケシシュ
出演 アデル・エグザルコプロス  レア・セドゥ  サリム・ケシュシュ
   モナ・ヴァルラヴェン  ジェレミー・ラウールト
   アルマ・ホドロフスキー  バンジャマン・シクスー

ストーリー
女子高生のアデルは上級生の男子とのデート中に街ですれ違った青い髪をした魅力的な女性に目をむける。
その後彼とSEXをするが、アデルはベッドの上で無表情なままで、何かが違うことに気づきだす。
彼とは別れることになり、その後友人のゲイ友達とバーに行き、男同士のキスを見せ付けられた。
いたたまれずその場をあとにするが、次に入ったバーでは女ばかりのバーで同性愛者のためのバーだった。
そのバーで以前見かけた青い髪の女性に声をかけられて話をする。
後日アデルが学校の前で友達と話をしていると、そこに青い髪のエマの姿があった。
ふたりはお互いをもっと知るために話をするが、アデルはすでにエマが好きになっていた。
アデルはエマを家に招待して両親にも紹介し、その夜アデルの家に泊まったエマと初めてのSEXをする。
そして、アデルは学校を卒業後小さなこどもを教える教師になり、エマは絵を描いていた。
ふたりは同棲していて、エマの仲間にアデルを紹介するパーティを開く。
そこはエマの美術仲間ばかりの世界でアデルは自分の居場所に戸惑っていた。
エマは絵のことで頭がいっぱいになり、アデルの求めに応じようとせず、アデルは孤独を感じるようになる。
そんな中アデルは仕事仲間の誘いを受け踊りに行き、男性教師の誘いにのってしまう。
そのことを知ったエマは激怒し、アデルを部屋から追い出してしまう。
そして時が経ち久しぶりに再会するふたり。
アデルは今でもエマを愛しているからどうか自分を受け入れて欲しいとせまる。
自分の足の間にエマの手を引き入れてキスをするアデル、エマも泣きながら人目も気にせず激しくキスをするが、エマにはすでにパートナーがいて、今でもアデルを許せないと告げる。
そしてアデルはひとり去っていく。


寸評
冒頭で女子高生のアデルは一目ぼれに関する授業を受けていて、その後に髪を青く染めた画家を目指す女性のエマに出会い一目ぼれする。
同性愛を描くセンセーショナルな作品だが、描かれている内容は純愛物語であり青春物語である。
異性との関係に興味を持つ年頃でもあるが、アデルは同じ女性のエマに好意を寄せる。
同性愛者の二人は関係を結ぶが、どうも二人の関係は続きそうもない雰囲気が出てくる。
アデルとエマの間ではそもそも生きている世界が違っているのだ。
愛があればと描かれることが多い青春映画だが、育ってきた環境や価値観の相違は埋めようもなく、二人の仲を引き裂く要因でもある。
付き合っている人種もレベルも違い、エマが芸術を通して知り合った人達は上流階級のインテリが多そうだ。
アデルはエマの友人の間で交わされる芸術論に加わっていけない。
途中から二人は自分たちの間に深い溝が横たわっていることを感じていたのではないだろうか
これを男女の関係で描いていたなら非常に分かりやすい。
僕はLGBTに関して偏見を持っていないが、そうではない僕は彼らの恋愛感情と行為が想像できないので、描かれている内容はセックスシーンだけでなくショッキングに感じる場面が多い。
それが僕を画面に引き付けるのだが、彼らが置かれた状況や心の内を描くためなのか一つ一つの場面の描き方が長くて少々まどろっこしく感じる。
この内容であればもう少し尺を短くすることができたのではないかと思う。

エマがアデルの家に招待された時に、アデルの父親が生活の安定を述べているが、そのような父の下で育ったアデルはやはり安定志向で公務員と思われる先生の道を選ぶ。
一方のエマは母の前夫の血を引いているのか自由を求める芸術家タイプで、母の再婚相手の義父もそれに理解を示している家庭環境と思われる。
相反する性格だから魅かれたのかもしれないが、その違いが二人を分かつことになったのだと思う。
エマは絵画制作に没頭し、常にかまってほしいアデルとの距離が出てくる。
アデルは淋しさのあまり同僚の男と関係を持つが、エマにはその事を言えない。
エマはアデルが男と関係を持ったことより、アデルが嘘をついたことに怒って家を追い出す。
どうしてもエマを忘れられないアデルは彼女を呼び出し気持ちを伝える。
二人は涙を流し抱擁し、アデルはエマに関係を迫るがエマは断る。
アデルはエマに一途の気持ちだったろうが、エマも新しいパートナーが出来たとはいえアデルへの気持ちは残っていたのだと思う。
それでもどうしようもない二人の関係を二人が流す涙で表現していた。
エマは展覧会にアデルを招待すると、アデルは青い服で現れる。
エマの青い髪との対比だが、アデルの青はエマの青よりも鮮やかなものである。
この強い青はアデルが強い大人になった事の象徴でもある。
凛として通りを歩く姿はエマとの決別を匂わせ、二人はもう交わることはないだろうと思った。
LGBTを真正面で捕らえていたので興味を引いたが、男女で描けばどおって事のない映画に思えた。