12/31 BSプレミアム 19;00放送
「赤ひげ」 1965年 日本
監督 黒澤明
出演 三船敏郎 加山雄三 山崎努
団令子 桑野みゆき 香川京子
江原達怡 二木てるみ 根岸明美
頭師佳孝 土屋嘉男 東野英治郎
志村喬 笠智衆 杉村春子 田中絹代
ストーリー
医員見習として小石川養生所へ住み込んだ保本登(加山雄三)は、出世を夢みて、長崎に遊学したその志が、古びて、貧乏の匂いがたちこめるこの養生所で、ついえていくのを、不満やるかたない思いで、過していた。
赤っぽいひげが荒々しく生えているので赤ひげと呼ばれている所長の新出去定(三船敏郎)が精悍で厳しい面持で、「お前は今日からここに詰める」といった一言で、登の運命が決まった。
人の心を見抜くような赤ひげの目に反撥する登はこの養生所の禁をすべて破って、養生所を出されることを頼みとしていた。
薬草園の中にある座敷牢にいる美しい狂女(香川京子)は、赤ひげのみたてで先天性狂的躰質ということであったが、登は赤ひげのみたてが誤診であると指摘したが、禁を侵して足しげく通った結果登は、赤ひげのみたてが正しかったことを知った。
蒔絵師の六助(藤原釜足)が死んで、娘おくに(根岸明美)から六助の不幸な過去を聞いて登は、不幸を黙々と耐え抜いた人間の尊さを知る。
また登は、むじな長屋で死んだ車大工の佐八(山崎努)とおなか(桑野みゆき)の悲しい恋の物語を佐八の死の床で聴いて胸に迫るものを感じていた。
登が赤ひげに共鳴して初めてお仕着せを着た日、赤ひげは登を連れて岡場所に来た。
そして幼い身体で客商売を強いられるおとよ(二木てるみ)を助けた。
人を信じることを知らない薄幸なおとよが登の最初の患者であった・・・。
寸評
冒頭で着任した保本が先任の津川(江原達怡)から赤ひげ批判を聞かされながら療養所の中を案内してもらうシーンがあるのだが、この小石川養生所のセットはなかなか見事で、美術担当の村木与四郎の仕事は評価に値する。
見事なのは江戸時代の町並みなどもそうで、特に地震で家屋が倒壊する場面などは金が掛かっていることを感じ取れる見事なものだ。
保本と初めて対面するときの赤ひげの三船はさすがの貫禄で、振り返ったその所作と顔だけで画面を威圧し、赤ひげがどのような医者であるのかを無言のうちに語っていた。
「赤ひげ」のタイトルからして主演は三船敏郎なのだが、全体としては登場シーンは少なくセリフも少ない。
むしろ保本の加山雄三が狂言回し的に登場して物語に絡んでいて、不幸を背負った人々を描いたオムニバス映画とも見て取れる。
一つは蒔絵師の六助に関わる物語、一つは車大工の佐八(山崎努)の話、もう一つは身も心も病んでいるおとよに関わる話である。
それに座敷牢に隔離されている美しく若い女の話なども加わってくるし、保本と許嫁であったちぐさ(藤山陽子)との間にある個人的な問題も彩を添える。
盛り沢山なので185分の長尺となっており、途中では5分間の休憩が入る作品だ。
一つ一つの話は泣かせる。
六助の死ぬ様はさすがは藤原釜足と思わせ、危篤状態で一切セリフはないなかで見事な息の引き取り方を演じてみせていた。
娘のおくにが語る話は、彼女の家族間で起こった悲劇的な内容で唖然とさせるが、そんなおくにを赤ひげが救ってやる経緯は少し甘ったるいヒューマニズムと感じるが、それぐらいがないと救われないからなあ・・・。
車大工の佐八の話は妻おなかとの純愛物語なのだが、義理に翻弄されるおなかの行動が切ない。
事前の佐八の告白シーンでその伏線が張られていたが、おなかが行方不明となるきっかけの地震のシーンは前述の通りすごい迫力で、倒壊した街並みのセットも凝ったもので圧倒される。
香川京子、二木てるみの両女優の狂人ぶりも話を盛り上げている。
香川京子は、それまでの役柄のイメージを打ち破る熱演で、メイクで表情を一変させ保本に襲いかかる姿に驚かされた。
暗い小石川療養所が舞台だけにライティングが効果を上げていて、特におとよに当たるスポットライト的な使い方は目だけを光らせる素晴らしいものだ。
おとよの狂人性を表すためのものだが、おとよが飛び起きた時にピタリとそこに決まるのには、撮影時における苦心がうかがえて映画職人たちの技術に感心するシーンだった。
おとよが同情を寄せるコソ泥の長次(頭師佳孝)に関わるエピソードには泣いてしまった。
賄い婦たちにネズミとあだ名されている長次が一家心中に巻き込まれて瀕死の状態でいるときに「ネズミがネズミ取りを飲むなんて」という可笑しくなるセリフを持ち込みながら、最後の最後は大団円を迎える。
申し訳程度の乱闘シーンはあるものの、暴力を排除した黒澤明一世一代の泥臭いヒューマニズム作品とも言えるが、泥臭さもここまで徹底すると重厚な作品に仕上がっているし、黒澤の力量を感じ取れる作品になっている。
「赤ひげ」 1965年 日本
監督 黒澤明
出演 三船敏郎 加山雄三 山崎努
団令子 桑野みゆき 香川京子
江原達怡 二木てるみ 根岸明美
頭師佳孝 土屋嘉男 東野英治郎
志村喬 笠智衆 杉村春子 田中絹代
ストーリー
医員見習として小石川養生所へ住み込んだ保本登(加山雄三)は、出世を夢みて、長崎に遊学したその志が、古びて、貧乏の匂いがたちこめるこの養生所で、ついえていくのを、不満やるかたない思いで、過していた。
赤っぽいひげが荒々しく生えているので赤ひげと呼ばれている所長の新出去定(三船敏郎)が精悍で厳しい面持で、「お前は今日からここに詰める」といった一言で、登の運命が決まった。
人の心を見抜くような赤ひげの目に反撥する登はこの養生所の禁をすべて破って、養生所を出されることを頼みとしていた。
薬草園の中にある座敷牢にいる美しい狂女(香川京子)は、赤ひげのみたてで先天性狂的躰質ということであったが、登は赤ひげのみたてが誤診であると指摘したが、禁を侵して足しげく通った結果登は、赤ひげのみたてが正しかったことを知った。
蒔絵師の六助(藤原釜足)が死んで、娘おくに(根岸明美)から六助の不幸な過去を聞いて登は、不幸を黙々と耐え抜いた人間の尊さを知る。
また登は、むじな長屋で死んだ車大工の佐八(山崎努)とおなか(桑野みゆき)の悲しい恋の物語を佐八の死の床で聴いて胸に迫るものを感じていた。
登が赤ひげに共鳴して初めてお仕着せを着た日、赤ひげは登を連れて岡場所に来た。
そして幼い身体で客商売を強いられるおとよ(二木てるみ)を助けた。
人を信じることを知らない薄幸なおとよが登の最初の患者であった・・・。
寸評
冒頭で着任した保本が先任の津川(江原達怡)から赤ひげ批判を聞かされながら療養所の中を案内してもらうシーンがあるのだが、この小石川養生所のセットはなかなか見事で、美術担当の村木与四郎の仕事は評価に値する。
見事なのは江戸時代の町並みなどもそうで、特に地震で家屋が倒壊する場面などは金が掛かっていることを感じ取れる見事なものだ。
保本と初めて対面するときの赤ひげの三船はさすがの貫禄で、振り返ったその所作と顔だけで画面を威圧し、赤ひげがどのような医者であるのかを無言のうちに語っていた。
「赤ひげ」のタイトルからして主演は三船敏郎なのだが、全体としては登場シーンは少なくセリフも少ない。
むしろ保本の加山雄三が狂言回し的に登場して物語に絡んでいて、不幸を背負った人々を描いたオムニバス映画とも見て取れる。
一つは蒔絵師の六助に関わる物語、一つは車大工の佐八(山崎努)の話、もう一つは身も心も病んでいるおとよに関わる話である。
それに座敷牢に隔離されている美しく若い女の話なども加わってくるし、保本と許嫁であったちぐさ(藤山陽子)との間にある個人的な問題も彩を添える。
盛り沢山なので185分の長尺となっており、途中では5分間の休憩が入る作品だ。
一つ一つの話は泣かせる。
六助の死ぬ様はさすがは藤原釜足と思わせ、危篤状態で一切セリフはないなかで見事な息の引き取り方を演じてみせていた。
娘のおくにが語る話は、彼女の家族間で起こった悲劇的な内容で唖然とさせるが、そんなおくにを赤ひげが救ってやる経緯は少し甘ったるいヒューマニズムと感じるが、それぐらいがないと救われないからなあ・・・。
車大工の佐八の話は妻おなかとの純愛物語なのだが、義理に翻弄されるおなかの行動が切ない。
事前の佐八の告白シーンでその伏線が張られていたが、おなかが行方不明となるきっかけの地震のシーンは前述の通りすごい迫力で、倒壊した街並みのセットも凝ったもので圧倒される。
香川京子、二木てるみの両女優の狂人ぶりも話を盛り上げている。
香川京子は、それまでの役柄のイメージを打ち破る熱演で、メイクで表情を一変させ保本に襲いかかる姿に驚かされた。
暗い小石川療養所が舞台だけにライティングが効果を上げていて、特におとよに当たるスポットライト的な使い方は目だけを光らせる素晴らしいものだ。
おとよの狂人性を表すためのものだが、おとよが飛び起きた時にピタリとそこに決まるのには、撮影時における苦心がうかがえて映画職人たちの技術に感心するシーンだった。
おとよが同情を寄せるコソ泥の長次(頭師佳孝)に関わるエピソードには泣いてしまった。
賄い婦たちにネズミとあだ名されている長次が一家心中に巻き込まれて瀕死の状態でいるときに「ネズミがネズミ取りを飲むなんて」という可笑しくなるセリフを持ち込みながら、最後の最後は大団円を迎える。
申し訳程度の乱闘シーンはあるものの、暴力を排除した黒澤明一世一代の泥臭いヒューマニズム作品とも言えるが、泥臭さもここまで徹底すると重厚な作品に仕上がっているし、黒澤の力量を感じ取れる作品になっている。