「お嬢さん乾杯」 1949年 日本
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e4/157ca8fbda7717a8cd290bed9485d552.jpg)
監督 木下恵介
出演 原節子 佐野周二 青山杉作
東山千栄子 佐田啓二 村瀬幸子
ストーリー
自動車の修理業をやっている圭三(佐野周二)の所へ得意先の佐藤専務(坂本武)が縁談を持ち込んだ。
相手は池田泰子(原節子)という華族の令嬢で、提灯に釣り鐘だと圭三は問題にしないが、熱心な佐藤に口説かれてとにかく見合いという事になった。
さて見合いをしてみると泰子は予想した高慢なお嬢さんでなく圭三はすっかり好きになった。
佐藤から結婚承諾の返事を聞いた圭三はものすごい上機嫌。
圭三は泰子の家族の人達に紹介されたが、皆善い人達ばかりである。
だが家族の中で一人だけ欠けているのは泰子の父の浩平(永田靖)である。
浩平は詐欺事件の巻き添えで刑務所に送られていた。
そして池田邸も五十万の抵当に入っていて、その期間はあと三月だと佐藤から聞いた圭三は金の為の結婚であったかと失望するが、泰子に対する愛情は深まった。
圭三は泰子と帝劇へバレエ見物に出かけるが興味がなく、その帰りに見た拳闘試合の方が楽しめた。
泰子は趣味の相違を見てとった。
圭三と泰子は刑務所に父を尋ねたが、父から「金の為の結婚はするな」と忠告されて泰子の心は重い。
そぐわない雰囲気のまま別れた圭三は、自分と泰子は違う世界の人らしいと感じた。
圭三はその翌日泰子に心の中を打ち明けてくれと頼むと、その返事は愛情のない結婚に悩む泰子の姿だったが、泰子は結婚すれば愛することも出来ようと考え、圭三に自分のわがままをわびた。
披露宴の日、圭三は泰子の祖父達(青山杉作、藤間房子)の口から恭子の愛人であった戦死した芳彦の話を聞いて何か惨めな気持ちがわいてきて、圭三は泰子に手紙を残して帰ってしまう・・・。
寸評
僕が生まれた年に撮られた作品だが、敗戦後の復興もかなり進んでいたのかもしれないと感じさせる。
この作品が公開されていたこと思うと闇市の混乱は想像できず、ユーモアを交えた軽妙な内容は肩がこらない。
それでも敗戦後の社会を感じさせる設定がなされていて興味深い。
池田家は随分と裕福な家柄だったようだが、敗戦ですべてを失い借金によって邸宅も担保に入っている。
一方の圭三は時代を先取りした自動車関係の仕事をしていて羽振りがいい。
見合い相手の泰子は都会育ちのお嬢様育ちだが、圭三は田舎育ちの成金である。
嫌な関係の間柄だが、圭三の人の好さを描くことで落ちぶれた華族の令嬢を金にものを言わせて手に入れようとするいやらしい感じはまったくない。
小津安二郎とはまた違った木下恵介が持つ軽妙な味が持ち込まれていて楽しめる作品となっている。
原節子は僕よりも年齢が上の人たちによって日本映画の歴代ナンバーワン女優に押されることが多いのだが、この作品を初め彼女が演じることが多い心がきれいな令嬢役を見ていると、永遠の処女として男性ファンのあこがれの女優であったろう事が想像できる。
清楚で美しいお嬢さんなら圭三でなくても好きになると言うものだ。
反面、バーのマダムが言うような、惚れ抜いて狂わんばかりの恋に溺れる女性と言うイメージには程遠い女優さんでもあると思うし、この映画でもそんな様子は見せない。
だからラストで原節子に戻ってこさせて「惚れてます」と言わせた木下演出は冴えていたと思う。
高根の花に一途な恋心を持つ圭三の気持ちはよくわかる。
気を引こうとしてあれこれやるのだが、それがどうも空回りしてしまってどうすればいいのか分からなくなって悶絶すよるような気分は惚れた弱みなのだが、相手が高根の花であればあるほど苦しくなってくるものだと思う。
佐野周二の兄、佐田啓二の弟の恋を対比的に描き、敗戦による地位の入れ替わりを背景にしながらも、軽妙なシーンを挿入して明るく描いている。
圭三が泰子を送っていくために、会社に連絡して車を持ってこさせるが、用意された車はマイクロバスだったり、その後で圭三と泰子が見つめ合い、やっとキスするのかと思ったら手袋をした圭三の手にちょっとキスして走り出してしまうシーンなどはその典型である。
さらに勝手口から入ろうとしたときに泰子がこけてしまい、それを原節子が演じているのも予想外で面白い。
成り上がりの圭三が良かれと思って、泰子の誕生日にピアノを贈ったり、自分は金もうけだけは得意なのだと豪語し、池田家の借金を清算してやるなど嫌味な行動をとっているのだが、それでも彼の人の好さが嫌味な行動をカモフラージュしている。
しかし一方で木下恵介は泰子の祖父に「施されているようで嫌だ」と語らせている。
戦争をしたことで、敗戦をしたことで、全財産をなくしてしまった人々への同情を示していたのかもしれない。
ブルジョアに同情する気持ちはなかったとしても、それでもすべてをなくしてしまった人は大勢いたと思う。
いわゆる社会派映画ではないのであまり理屈をこねても仕方がない。
駅に駆けつけた泰子が圭三と抱き合あうといったお決まりのエンディングではなく、原節子の一言に続いて佐田啓二の運転する車を映して終わるラストシーンには感心した。
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監督 木下恵介
出演 原節子 佐野周二 青山杉作
東山千栄子 佐田啓二 村瀬幸子
ストーリー
自動車の修理業をやっている圭三(佐野周二)の所へ得意先の佐藤専務(坂本武)が縁談を持ち込んだ。
相手は池田泰子(原節子)という華族の令嬢で、提灯に釣り鐘だと圭三は問題にしないが、熱心な佐藤に口説かれてとにかく見合いという事になった。
さて見合いをしてみると泰子は予想した高慢なお嬢さんでなく圭三はすっかり好きになった。
佐藤から結婚承諾の返事を聞いた圭三はものすごい上機嫌。
圭三は泰子の家族の人達に紹介されたが、皆善い人達ばかりである。
だが家族の中で一人だけ欠けているのは泰子の父の浩平(永田靖)である。
浩平は詐欺事件の巻き添えで刑務所に送られていた。
そして池田邸も五十万の抵当に入っていて、その期間はあと三月だと佐藤から聞いた圭三は金の為の結婚であったかと失望するが、泰子に対する愛情は深まった。
圭三は泰子と帝劇へバレエ見物に出かけるが興味がなく、その帰りに見た拳闘試合の方が楽しめた。
泰子は趣味の相違を見てとった。
圭三と泰子は刑務所に父を尋ねたが、父から「金の為の結婚はするな」と忠告されて泰子の心は重い。
そぐわない雰囲気のまま別れた圭三は、自分と泰子は違う世界の人らしいと感じた。
圭三はその翌日泰子に心の中を打ち明けてくれと頼むと、その返事は愛情のない結婚に悩む泰子の姿だったが、泰子は結婚すれば愛することも出来ようと考え、圭三に自分のわがままをわびた。
披露宴の日、圭三は泰子の祖父達(青山杉作、藤間房子)の口から恭子の愛人であった戦死した芳彦の話を聞いて何か惨めな気持ちがわいてきて、圭三は泰子に手紙を残して帰ってしまう・・・。
寸評
僕が生まれた年に撮られた作品だが、敗戦後の復興もかなり進んでいたのかもしれないと感じさせる。
この作品が公開されていたこと思うと闇市の混乱は想像できず、ユーモアを交えた軽妙な内容は肩がこらない。
それでも敗戦後の社会を感じさせる設定がなされていて興味深い。
池田家は随分と裕福な家柄だったようだが、敗戦ですべてを失い借金によって邸宅も担保に入っている。
一方の圭三は時代を先取りした自動車関係の仕事をしていて羽振りがいい。
見合い相手の泰子は都会育ちのお嬢様育ちだが、圭三は田舎育ちの成金である。
嫌な関係の間柄だが、圭三の人の好さを描くことで落ちぶれた華族の令嬢を金にものを言わせて手に入れようとするいやらしい感じはまったくない。
小津安二郎とはまた違った木下恵介が持つ軽妙な味が持ち込まれていて楽しめる作品となっている。
原節子は僕よりも年齢が上の人たちによって日本映画の歴代ナンバーワン女優に押されることが多いのだが、この作品を初め彼女が演じることが多い心がきれいな令嬢役を見ていると、永遠の処女として男性ファンのあこがれの女優であったろう事が想像できる。
清楚で美しいお嬢さんなら圭三でなくても好きになると言うものだ。
反面、バーのマダムが言うような、惚れ抜いて狂わんばかりの恋に溺れる女性と言うイメージには程遠い女優さんでもあると思うし、この映画でもそんな様子は見せない。
だからラストで原節子に戻ってこさせて「惚れてます」と言わせた木下演出は冴えていたと思う。
高根の花に一途な恋心を持つ圭三の気持ちはよくわかる。
気を引こうとしてあれこれやるのだが、それがどうも空回りしてしまってどうすればいいのか分からなくなって悶絶すよるような気分は惚れた弱みなのだが、相手が高根の花であればあるほど苦しくなってくるものだと思う。
佐野周二の兄、佐田啓二の弟の恋を対比的に描き、敗戦による地位の入れ替わりを背景にしながらも、軽妙なシーンを挿入して明るく描いている。
圭三が泰子を送っていくために、会社に連絡して車を持ってこさせるが、用意された車はマイクロバスだったり、その後で圭三と泰子が見つめ合い、やっとキスするのかと思ったら手袋をした圭三の手にちょっとキスして走り出してしまうシーンなどはその典型である。
さらに勝手口から入ろうとしたときに泰子がこけてしまい、それを原節子が演じているのも予想外で面白い。
成り上がりの圭三が良かれと思って、泰子の誕生日にピアノを贈ったり、自分は金もうけだけは得意なのだと豪語し、池田家の借金を清算してやるなど嫌味な行動をとっているのだが、それでも彼の人の好さが嫌味な行動をカモフラージュしている。
しかし一方で木下恵介は泰子の祖父に「施されているようで嫌だ」と語らせている。
戦争をしたことで、敗戦をしたことで、全財産をなくしてしまった人々への同情を示していたのかもしれない。
ブルジョアに同情する気持ちはなかったとしても、それでもすべてをなくしてしまった人は大勢いたと思う。
いわゆる社会派映画ではないのであまり理屈をこねても仕方がない。
駅に駆けつけた泰子が圭三と抱き合あうといったお決まりのエンディングではなく、原節子の一言に続いて佐田啓二の運転する車を映して終わるラストシーンには感心した。