おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

めがね

2023-04-24 07:08:03 | 映画
「め」は2020/5/11の「明治侠客伝・三代目襲名」から「夫婦善哉」「女神は二度微笑む」「めぐりあう時間たち」「めし」「メジャーリーグ」「メゾン・ド・ヒミコ」「めまい」「メリー・ポピンズ」「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」を掲載しています。

今回は3作品になりました。

「めがね」 2007年 日本


監督 荻上直子
出演 小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研 もたいまさこ 橘ユキコ
   中武吉 荒井春代 吉永賢 里見真利奈 薬師丸ひろ子

ストーリー
春まだ浅い南の小さな海辺の町の空港に一機のプロペラ機が着陸した。
小さなバッグを手にタラップを降りてきためがねの女性サクラ(もたいまさこ)は、迎えの人に深々と一礼する。
同じ飛行機から降りてきたもう一人の女性、タエコ(小林聡美)。
大きなトランクを引きずりながら、地図を片手に不安げに向かった先は小さな宿、ハマダ。
出迎えたのは宿の主人ユージ(光石研)と犬のコージ。
翌朝、宿の一室で目覚めたタエコの足元に、不思議な雰囲気を持つサクラの姿があった。
サクラは毎朝、町の人たちと共に自作の「メルシー体操」を浜辺で行い、そのあとはカキ氷の店を開いている。
そして泊り客でもないのに、高校教師ハルナ(市川実日子)が、いつも宿周辺でぶらぶらしている。
奇妙な人たちの言動にペースを狂わされてばかりのタエコは、ついにたまりかねて別の宿に移る決心をする。
だがマリン・パレスという宿の女主人・森下(薬師丸ひろ子)に出迎えられたタエコは、危険な雰囲気を察知して、すぐに踵を返す。
そして道に迷っていたところをサクラに助けられ、またハマダに戻ってきた。
編み物をしたり、釣りをしたり、ただ海を眺めたり、気ままに日々を過ごすうち、彼女の心の枷がゆっくりと外れていく。
数日後、タエコを「先生」と呼ぶ青年・ヨモギ(加瀬亮)がハマダに現れ、すぐにここの生活に溶け込む。
いつしか全員めがねを掛けた五人は、お互いの素性もよく知らないまま、奇妙な連帯感で結ばれていった。
だがやがて季節の変わり目が訪れ、ヨモギはハマダを去って行く。
タエコも元の生活に戻ることにするのだが、気がつけばまたハマダに戻っているのだった。


寸評
フィンランドの食堂を舞台にスローな日常を描いた癒し系映画『かもめ食堂』に続いて荻上直子が撮ったスローライフ映画だが、前作ほどの新鮮味はない。
兎に角、何も起こらないし、謎めいたことがひとつも明らかにされない。
観光する場所もなく、「たそがれる」くらいしかすることがない島と語られるが、「たそがれる」くらいしかすることがないとは一体どのような状態を言うのだろう。
なんだか分かったような、分からないような表現だが、この映画を見ていると何となく納得させられる表現だ。
僕は映画を見ながら遥か昔のハネムーンを思い出していた。
石垣島から、さらにツアーで西表島に渡ったのだが、ツアーバスの集合時間に遅れそうになり大急ぎで駆け戻ったら、ツアーコンダクターに「ここまできて走るのなんかやめましょうよ」と優しく言われた出来事だ。
僕が一番印象に残っている出来事で、時間に縛られない雰囲気の島内観光は時間を忘れさせてくれたのだ。
今日中に帰ればいいやの雰囲気があった。
帰りの船では退屈しのぎに、人生初めてで唯一の高速艇の運転をさせてもらったことも懐かしい。

タエコはどのような理由で、一体何の為にこの島を訪れたのかは不明である。
一応、観光名所を聞いたりしているので単純な逃避行ではなさそうだ。
それでもあまり人とは関わり合いたくなさそうで、食事に誘われても、体操に誘われても、かき氷に誘われても「結構です」を連発する。
とにかくノンビリと時間が過ぎて行き、タエコの引きずる大きな旅行ケースは周りの景色に馴染まない。
タエコを先生と呼ぶ青年も登場するが、一体何の先生なのかさえわからずじまいだ。
高校教師のハルナもこの島に移り住んでしまっているようなのだが、そうなった理由はわからない。
ハマダの主人ユージは「あのかき氷に出会っていなかったら、ここにはいなかっただろう」と言うが、彼が背負っているものも一切描かれない。
何もわからないし、何も起こないことで観客はいつの間にか心癒されているような作風である。
そうなれるのは、あまりにも美しすぎる海や空が映し出され、登場する料理が実に美味そうだからでもある。
何気ない朝食もそうだし、もらったのを忘れていたとして出された"てんこ盛りの伊勢海老"などにお腹が鳴った。

サクラは息を潜めて小豆を煮ながら「大切なのはあせらないこと、あせらなければやがて…」と言う。
サクラは時間の精だったのだろうか?
描かれる島民は自給自足の生活で、物々交換の経済活動のようですらある。
それをユートピア的に描いているけれど、僕たちはそんな世界などあり得るはずがないことは知っている。
したがって、描かれていることへの白々しさはあるけれど、登場人物の一切を描かないことでメルヘン世界の存在を訴えていたのだろう。
でも僕のようなナマケモノが、あんな場所に住んだら本当に何にもしないで毎日毎日ボーッとした生活を送ってボケてしまうのではないかと思うが、少し憧れもある。
登場人物が全員メガネをかけているのは一体なんだったのか、僕はまだ答えを見いだせないでいる。