おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

めぐり逢えたら

2023-04-26 06:54:03 | 映画
「めぐり逢えたら」 1993年 アメリカ


監督 ノーラ・エフロン
出演 トム・ハンクス メグ・ライアン ビル・プルマン
   ロス・マリンジャー ロージー・オドネル ギャビー・ホフマン
   ヴィクター・ガーバー リタ・ウィルソン バーバラ・ギャリック
   キャリー・ローウェル ロブ・ライナー

ストーリー
ボルチモアの新聞記者アニー・リードは、カーラジオで偶然聞いた番組に心ひかれた。
それはリスナー参加のトーク生番組で、シアトルに住む8歳の少年ジョナ・ボールドウィンが「落ち込んでいるパパに新しい奥さんを」といじらしいまでに切々と訴えていた。
続いて電話口に出た父親サム・ボールドウィンの声が、彼女の胸に響き、もらい泣きするアニー。
その時から彼女の内部で何かが変わり、婚約者のウォルターを相手にしても楽しくない。
一方のサムは、心配した仕事仲間のジェイから、女性との積極的な交際をアドバイスされている。
やがてサムこそ自分にとって最もふさわしい相手だと信じたアニーは、ジョナに手紙を書き、データベースでサムのことを調べ始める。
サムは友人たちの紹介でビクトリアという女性とデートするが、ジョナはお気にめさない。
パパにふさわしいのはアニーだけだと考えたジョナはラジオを通じて彼女に呼びかける。
アニーはシアトルに向かうが、お互いの顔を知らない彼女とサムは幾度かすれ違っただけだった。
バレンタイン・デーに、ニューヨークのエンパイヤ・ステート・ビルの展望台でのめぐり逢いを約束するメッセージをアニーはサムに送り、ジョナも「会ってあげて」と頼むが、サムは耳を貸さない。
ジョナはアニーとの約束を果たすため単身ニューヨークに向かい、あわてて追いかけるサム。
そのころ、エンパイヤ・ステート・ビルを望むレストランでは、アニーがウォルターに婚約解消を告げていた。
彼女はやはりサムのことが気になって仕方なく、入口が閉まりかかったエンパイヤ・ステート・ビルの屋上に登らせてもらうと、そこにサムとジョナがいた・・・。


寸評
事前にあらすじなどを見て、「あれ、これって見たことのある映画と似ているなあ」と思ってひらめいた。
そうだ、これはケイリー・グラントとデボラ・カーが主演した「めぐり逢い」だと。
そう思いながら見ていたら、本当にその「めぐり逢い」へのオマージュ作品となっていて、ビデオ再生による「めぐり逢い」のシーンが何度も出てくる。
おまけにサムの妹が映画のクライマックスで演じられるケイリー・グラントとデボラ・カーのやりとりシーンを話しだして泣き出す。
僕はそのシーンに「そうだった、そうだった」と相槌を打っていた。
そしたらサムがリー・マービンやアーネスト・ボーグナインが出ていた「特攻大作戦」を語りだして、両作品を見ていた僕はそれだけで嬉しくなった。

ラストシーンのエンパイヤ・ステート・ビルの屋上シーンは完全に「めぐり逢い」を髣髴されるものがあり、ノーラ・エフロンはよほどケイリー・グラント&デボラ・カーの「めぐり逢い」が気に入っているのだろうと思わせる。
そこに至る展開はまったく別の試みで、二人が空港で言葉もなくすれ違い、シアトルの街で道路を挟んで向かい合いお互いに「ハロー」と言葉を交わすだけである。
サムの息子ジョナが恋のキューピッド役を演じ、ジョナの女友達がオマセで手助けするのも微笑ましいのだが、子供を絡ませるとそれだけで映画はなんとなく治まりを見せてしまう。
子供と動物には不思議な力がある。
しかし、よくよく考えてみれば、まだ見ぬアニーをジョナがなぜ気に入ったのか、なぜ自分の新しい母親だと思えるようになったのかはよく分からない。
サムがアニーを一目見て心を奪われたのはマジックなのだろう。
アニーがジョナのラジオを聞いてサムに心を奪われるのもマジックのなせる業なのだろう。
アニーの母親が語った、父との手の触れ合いのマジック話がラストシーンに生かされていた。

二人が結ばれるためにお互いの相手は極端に描かれていて、そのことが作品を軽いものにしている。
サムの相手のビクトリアはハイエナのような笑い声を多発する女性で、見るからに馬鹿っぽく見える。
ジョナでなくても嫌悪感を抱かせる女性として描かれている。
アニーの婚約者のウォルターはアニーを愛しているようだが魅力の乏しい男で、小さい時からニック・ネームもつけられたことがない平凡な男である。
アレルギーの為に使用したティッシュ・ペーパーをフワフワさせる寝姿などを見ると、若い女性は興ざめしてしまうだろうし、アニーも同じような気持ちになったかもしれない。

アニーはサムの妹を恋人と勘違いしてショックを受けたのだが、彼女のことを「ジョナがアバズレだと言った風には見えず友達になれそうな気がした」と同僚のベッキーに語って終わらせるなど、全編を通じて恋に付き物の微妙な心の動きをしっとりと描き感じさせる演出は見られない。
反面、すごく気楽に見ることができる作品で、「めぐり逢い」を見ていれば全く違う印象を受けるだろう。