おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

人斬り

2021-09-30 07:52:53 | 映画
「人斬り」 1969年 日本


監督 五社英雄
出演 勝新太郎 仲代達矢 石原裕次郎
   三島由紀夫 倍賞美津子 新條多久美
   仲谷昇 山本圭 伊藤孝雄 田中邦衛
   山内明 清水彰 滝田祐介 萩本欽一
   坂上二郎 辰巳柳太郎

ストーリー
時は幕末、文久年間の土佐に、剣術の才覚がありながら、藩内の厳しい身分制という壁に阻まれ立身を望めず、いまだその日暮らしに甘んじていた青年・岡田以蔵(勝新太郎)がいた。
彼は、背に腹は替えられぬ思いで、ついに家の隅で埃をかぶる先祖伝来の鎧兜を質屋に売り払うも相手にされず悲嘆に暮れる。
そんなとき、土佐随一の政治力を握るに至った武市半平太(仲代達矢)は、参政・吉田東洋(辰巳柳太郎)をクーデターによって追い落とし、自ら取って代わることを宣言。
以蔵は半平太に呼び出され、東洋暗殺の現場を視察せよと命じられる。
その夜が以蔵を変え、以蔵は次第に人斬りとしての本能を呼び醒ましてゆく。
数年後、京に上洛し、瑞山と号した武市は勤皇一派の中心人物となり、都で栄華の限りを尽くしていた。
そして以蔵もまた武市の下で多くの謀略・破壊工作の実行役として加担し、人斬りとして鳴らしていた。
人斬りの給金を得た以蔵は遊郭のおみの(倍賞美津子)に通い詰める。
土佐勤皇党はこの自分で持っているようなものだ、とまで得意の絶頂を誇示する以蔵の前に、武市とは異なる道を選んだ男・坂本龍馬(石原裕次郎)が現れる。
本間精一郎(伊吹総太朗)、井上佐一郎(清水彰)らを新たに葬った以蔵だが、龍馬は以蔵に人斬りをやめるよう忠告する。
はじめは聞き入れるつもりもなかった以蔵であったが、龍馬の「身分を誰も気にすることのない時代を切り開く」という言葉に次第に共鳴を覚えてゆく。
それは、かつて武市に随行した際に逗留した、攘夷派の急進的公卿・姉小路公知(仲谷昇)邸を訪れた際に出逢った美しい姫(新條多久美)の存在を忘れる事が出来ずにいたからであったのだが・・・。


寸評
幕末期に天誅と称して要人暗殺を行った尊王攘夷派の志士は京都の人々を震撼させたという事である。
特に4名は著名で、僕も少しぐらいの知識は持ち合わせている人たちである。
佐久間象山を暗殺したことで知られる肥後藩の河上彦斎(かわかみげんさい)。
薩摩藩には人斬り新兵衛と呼ばれた田中新兵衛、人斬り半次郎と呼ばれた中村半次郎がいる。
土佐藩には人斬り以蔵こと岡田以蔵がいる。
中村半次郎だけは明治維新後に桐野利秋と改名し大日本帝国陸軍少将を務めたのだが、河上彦斎は暗殺の嫌疑を理由に捕縛されて斬首され、田中新兵衛は暗殺の嫌疑で捕縛されて取り調べ中に自刃、岡田以蔵は京都で捕縛されて土佐で拷問の末に打ち首獄門に懸けられたなど非業の死を遂げている。
桐野利秋は下野し西南戦争で政府軍と闘い戦死したのは周知のことであろう。
この映画の主人公は人斬り以蔵と呼ばれた岡田以蔵である。
文豪三島由紀夫が田中新兵衛役で出演して異彩を放っている。
「憂国」に続き緊迫感あふれる切腹シーンを披露しているが、翌年、自身も壮絶な死を遂げることとなった。

実在の岡田以蔵が描かれたような男であったのかどうかは知らないが、演じられた岡田以蔵は勝新太郎の以蔵像なのか五社英雄の以蔵像なのかは別として、岡田以蔵のイメージを植え付ける事には成功している。
換言すれば勝新太郎は熱演、好演していたと思う。
岡田以蔵のむごい半生を描いているのだが、彼の単純さや苦悩がイマイチ伝わってこなかった。
以蔵は武市半平太に師事しているというより、いいように使われている飼い犬のような存在である。
以蔵が盲目的に武市に従うようになった理由が不明確だし、坂本龍馬との関係も不明確なことが以蔵の人物像を弱めているような気がする。
以蔵は功名心が強く、「土佐の岡田以蔵だ」と叫んで斬り込んでいくような男で、武市はその態度を苦々しく思っているが、暗殺という汚い仕事をこなすことに以蔵が長けていたから捨て去るようなことはしていない。
以蔵はテロの実行部隊の先頭にいる。
現在に於いてもテロの指導者はテロの標的を定めて殺害を指示し、時には自爆も強要している。
山本圭の宮川一郎などはまるで自爆ではないか。
彼が武市の命で持参した酒に毒が入っていることを知りながら、目的達成のために自らの命を懸けて飲み干す事が出来たのは何故なのか。
武市の宮川への指令には、彼が命を懸けるほどの説得力を持つものだったのだろうか。
以蔵は竜馬に頼まれて勝海舟の護衛を引き受けるが、実際に岡田以蔵は勝の護衛をやっていたようである。
そこで彼は刺客の一人を斬り捨てるが、これもどうやら史実にあるらしい。
しかし考えてみれば、勝海舟を襲った連中は以蔵と同じ側にいる志士だったのだから、彼は仲間を斬ったことになり、武市からもその行為を叱責されている。
以蔵は武市と竜馬の狭間で、彼らとどのような信頼関係を築いていたのだろう。
揺れ動く以蔵の心の内を見たかった。
最後には武市と決別する以蔵だが、この様な方法でしか武市と決別できなかった以蔵の半生は悲惨だ。
僕としては、五社には幕末の狂気にもう一歩斬り込んで欲しかった気持ちがある。

羊の木

2021-09-29 06:47:22 | 映画
「羊の木」 2017年 日本


監督 吉田大八
出演 錦戸亮 木村文乃 北村一輝
   優香 市川実日子 水澤紳吾
   田中泯 松田龍平 中村有志
   安藤玉恵 細田善彦 北見敏之

ストーリー
過疎化が進む港町・魚深市の市役所に勤める月末(錦戸亮)は、上司から新たな移住者6人の受け入れ手配を任される。
しかし彼等は言動に落ち着きがなく尋常ではない様子で、彼らの周囲には不審な同行者がいた。
転入者は杉山(北村一輝)、太田理江子(優香)、栗本清美(市川実日子)、福元(水澤紳吾)、大野(田中泯)、宮腰(松田龍平)という性別も年齢もバラバラな6人だった。
彼らの転入は、犯罪者の更生と過疎化対策の一環として、この町に10年間住み続けることを条件に刑期を大幅に短縮して釈放させる政府の極秘プロジェクトによるものだった。
もちろん、そんな新住民の過去は一般市民には一切知らされることはなかった。
しかし、6人を取り巻く人たちは彼等に殺人歴があることを知ることになる。
犯した罪に囚われながら、それぞれ居場所に馴染もうとする6人。
そんなある日、港で死亡事故が発生。
月末の同級生・文(木村文乃)を巻き込んで、町の人々と6人の心が交錯していく。


寸評
受刑者を受け入れることで刑務所の経費を削減しながら、同時に過疎化問題も解決してしまおうという突飛な着想に驚かされ、受け入れ窓口となる市役所内のやり取りが滑稽で、きわもの的な作品の割にはスンナリと入り込むことが出来る。
「いい町ですよ。人はいいし、魚も美味いし」と受刑者に通り一辺倒の挨拶をする月末が狂言回しとして話を紡いでいくので、6人も登場する割には頭が混んがることなく見ることが出来る。
誰かを割愛することが出来ないので、6人のエピソードを描く必要が有り、ちょっと人数が多いかなとも思ったが、それなりに要領よくまとめられていた。
就職口の店主が元受刑者だったり、殺人犯と知っても受け入れてくれる店主がいたり、過剰な色気を持った女が老人と結婚しようとしたりと、趣を変えた話をうまく散りばめている。

それぞれの個性はやがて衝突し連鎖していくが、中心は松田龍平の宮腰と北村一輝の杉山だ。
北村一輝の杉山には嫌悪感を抱き、松田龍平の宮腰には肩入れをしたくなるのだが、ところがどうしてどうして、宮腰という人物は並大抵の人間ではない。
こういう精神的アンバランスを有している若者(とは限らないけど)は現実社会に存在しているような気がする。
宮腰という若者の存在を際立たせるために、異質な人間との共生という寛容さを福元、大野、太田理江子を通じて描ていたと思う。
同時に異質な人間、あるいはよそ者を排除しようとする不寛容さも同時に存在している。
町の一体感を表すものとして祭りが存在しているが、祭りを襲う雨は異質な人間を洗い流してしまう前触れだったのかもしれない。
平和を中心に置き、周囲に波乱を据える構図は吉田大八監督のパターンだろう。
その波乱の中に人間の本性のようなものを描き出していて見ごたえのある作品だ。

ビッグ・ガン

2021-09-28 07:39:27 | 映画
「ビッグ・ガン」 1972年 イタリア / フランス / デンマーク


監督 ドゥッチオ・テッサリ
出演 アラン・ドロン
   リチャード・コンテ
   カルラ・グラヴィーナ
   マルク・ポレル
   ロジェ・アナン
   アントン・ディフリング

ストーリー
トニー・アルゼンタは七回目の誕生日を迎えたひとり息子のカルロを抱きしめながら、足を洗わなければと心に決めた。
トニーは組織の中でも一目置かれた存在で、狙った獲物は決して逃がさない腕ききのハンターだった。
二大ボスのニックとクチッタは、トニーが彼らの同郷のシチリア島出身ということもあって高く評価していた。
パーティの翌日、トニーはニックにその由、申し入れたが彼は色よい返事をしなかった。
トニーは組織をあまりに知りすぎているのだ。
ヨーロッパ各地に拡がっている組織の幹部も同様で、会合での結果は「トニーを亡き者にせよ」となった。
それから数日後、組織の黒い手は、トニーを消すつもりが誤って彼の妻と子を殺してしまった。
彼は復讐を誓い、故郷から駆けつけた神父のドン・マリアノや弟分のドメニコのなぐさめにも救われなかった。
第一の犠牲者はカーレで、手引きしたのは、以前トニーが助けたことがあるカーレの情婦サンドラだった。
ミラノに戻ったトニーはドメニコが見つけてくれたアパートに身を隠す。
次なる獲物は組織の大立物グルンワルドだ。
サンドラの情報によって、幹部たちがコペンハーゲンのグルンワルドの元に集まる事を知る。
グルンワルドが迎えのベントレーに乗り込もうとした瞬間、待ち伏せていたトニーの拳銃が火を吹いた。
目的を果たしたものの自らも負傷したトニーは、同郷のデンニーノの友情に救われた。
その頃、ミラノでは、ドメニコがトニーのアパートの住所を白状させられたうえで、惨殺されるという事件がもちあがっていた。
アパートに入り込んだクチッタの部下は、部屋に身を隠していたサンドラを徹底的に痛めつけ、トニーの帰りを待ち伏せていた。


寸評
アラン・ドロンによる復讐劇で、無表情のドロンの表情、特にアップの切り取りが素晴らしい。
妻子を殺され復讐の鬼と化していくのは目新しい描き方ではないが、そこからのドロンはスタイリッシュな振る舞いを見せてカッコイイ!
トニーは腕利きの殺し屋だが、いつか自分も誰かに殺されると思っている。
マフィアの掟では息子が父の仇を打たねばならないので、可愛い息子にその道を歩ませたくない彼は足を洗うことを決意する。
それほど幼い息子を可愛がっているトニーを描いているのに、復讐すべきボスの一人が孫のような幼い男の子を抱いていたのに、男の子が連れていかれてボス一人が殺されてしまうのは工夫の足りない演出である。
ボスが孫を盾にするとか、トニーが殺害をためらうとかの演出があってしかるべきだったのではないか。
そうでなければ、何のためにあの幼い男の子を登場させたのか、登場させた意味がなくなっているように思う。

トニーは腕利きの殺し屋ではあるが人情味のある男であるらしい。
ドメニコという相棒は忠節を尽くしているし、サンドラという女性も彼に助けられたことを恩義に思っている。
同郷であるシチリア出身のデンニーノも彼に恩義があるらしい。
トニーの親派である彼らが物語に大きく絡んでくる展開は見応えがある。
彼らの結束が強いことを示すためには、ドメニコが最後まで口を割らない方が良かったと思うので、トニーの居場所は別の方法で判明させる工夫があっても良かった。
そうすることでラストシーンはもっと衝撃的なシーンになったと思う。
トニーに潜む優しさを利用した襲撃シーンは工夫が見られ、組織側との攻防に変化をつけている。
復讐の為の殺人に変化をつけているが、どれも目新しさのないものなので、相手側の反撃とは言え僕は女を使ったこの襲撃シーンが結構楽しめた。

トニーが復讐を遂げていくシーンは緊迫感をもってもって描かれているが、一番ドキドキ感があるのはラストの結婚式の場面である。
トニーと手打ちを行いたいニックは娘の結婚式にトニーの家族を招待する。
娘の結婚式を血で汚すわけはないだろうと母やサンドラと共にトニーは結婚式に参列する。
それぞれの陣営の人々の緊張を隠したような態度と、思惑ありげな顔のアップが映画を盛り上げる。
ここで何も起こらないわけがないと観客は感じ取っているので、自然と気分は高揚してくる。
花嫁の純白のドレスが真っ赤な血で染められるのかと想像を働かせてしまう演出が冴えわたる。
そして衝撃のラストシーンが待っているという一連の場面はこの映画の白眉だ。

この映画もマフィア内部のイザコザを描いた面白い作品だと思うが、殺人シーンの生々しさ、結婚式の雰囲気、マフィアのボスが組織を束ねている描き方などを比べると、後年に撮られた「ゴッドファーザー」がどれほど素晴らしい映画なのかを教えてくれる作品でもある。
マフィアを題材にした映画と言えばやはり「ゴッドファーザー」だな。

ビッグ・ウェンズデー

2021-09-27 07:21:13 | 映画
「ビッグ・ウェンズデー」 1978年 アメリカ


監督 ジョン・ミリアス
出演 ジャン=マイケル・ヴィンセント
   ウィリアム・カット
   ゲイリー・ビューシイ
   リー・パーセル
   バーバラ・ヘイル
   パティ・ダーバンヴィル

ストーリー
1960年代初め、アメリカの西海岸で遊び暮れるマット、ジャック、リロイの若者がいた。
毎日働きも学びもせずにサーフィンにのめりこみ、その日暮らしを楽しんでいる仲良し3人組は数十年に一度来る伝説の大波ビッグウェンズデーに挑戦することを夢見ていた。
彼らは、地元では有名な凄腕サーファーで、毎晩、女たちとパーティを繰り広げ、踊り、酒を浴びるように飲み、大麻を楽しみ、そして、どんなにベロベロに酔っぱらっても、朝には、ビーチに行きサーフィンを楽しんだ。
そんな能天気な日々に、水を差すベトナム戦争が勃発する。
ベトナム戦争の招集令をあの手この手で交わす能天気な西海岸のメンバー。
そんな中、生真面目なジャックだけ志願して戦争に行く。
そこから3年が経つ中で、引っ越しする者、結婚して家庭をもつ者、戦死する者などが出てきて、西海岸で遊び暮れていたメンバーはサーフィンから遠ざかりバラバラになる。
かつて子供たちの憧れだったマットは、サーフィンから遠ざかり落ちぶれた日々を過ごしている。
戦争からかえってきたジャックは、恋人が他の男と結婚していること、かつての町並みが失われていることに落胆する。
みんな、かつてのような笑顔がなくそれぞれの場所でそれぞれ小さな不幸を抱えながら生きている。
それは、青春に終わりを告げれずにズルズルいろんなものに流された結果だった。
そんなある日、夢見ていた大波ビッグウェンズデーが来る噂を聞きつけた3人は、かつての海に集結する。
彼らは青春にピリオドを打ち、明日をしっかり見つめるために、伝説の大波ビッグウェンズデーに挑戦する。
仲間たちが次々に波乗りに失敗する中、マットはビッグウェンズデーの波乗りに成功する。
マットは海岸で羨望している若者に手に持っているサーフボードをプレゼントする。
青春にピリオドを打てた3人は、すがすがしい気持ちで、それぞれいるべき場所に帰っていく。


寸評
サーファーのバカ騒ぎ映画かと思っていたら、実に様々な要素が散りばめられている作品となっている。
見る年代によって受ける感覚は違うだろうと想像する。
歳をとった僕は、青春時代の楽しき日々、その中で育んだ仲間との友情を懐かしんでいた。
描かれた彼らは、夢を持ち、故郷を愛し、そして大人になることへの恐れを有して苦悩する若者たちだ。
それらを大きな時代のうねりの中で、時には温かく、時には爽やかに、そして時には厳しく見つめている。
流れてくる音楽も心地よいものがあるし、サーフィンのシーンは臨場感があり見応えがある。

僕も彼らほどではないが、あの時代には随分とバカをやった。
我が家に集まった連中は、流石に彼らのようなパーティと大騒ぎは出来なかったが随分と騒いだものだ。
映画でも店主の女性が若者の大騒ぎを咎めもせずに見守っているが、階下で眠っていた母も同じ思いだったのか、それとも息子の体たらくに悲しみ諦めていたのかもしれない。
青春時代が楽しければ楽しいほど、青春時代との決別は淋しいものだ。
僕はこの映画を見ていて、社会人になるときの虚脱感を思い出した。
卒業が決まって、夢中になったものが中心にあった世界の崩壊への淋しさが襲ってきた。
何をしてよいのか分からず、相変わらず短期のアルバイトをするだけだった。
会社勤めが始まっても、空いた時間は映画館にいるだけの生活だった。
社会人としての自覚が持てるようになったのは随分経ってからだったように思う。

ジャックは志願してベトナム戦争に行き、帰って来てかつて付き合っていた女性を訪ねると別の男と結婚していたというエピソードが描かれているが、ジャックの落胆はよくわかる。
かつて愛し合った女性の結婚を聞くと、どうすることも出来なかった自分が情けなくなってくる。
兵役逃れの芝居が過ぎて徴兵されてしまったワクサーは戦死して帰郷を果たす。
何歳になっても友人の死は辛いものだ。
僕も若くして亡くなった後輩が居たし、この間まで元気だった友人が連絡を取ると亡くなっていたこともあった。
人の生死のはかなさと言えばそれまでだが、親の死よりも淋しいものがある。
マットは請求書に追われる落ちぶれた生活を送っているが、彼の救いはペギーといういい伴侶を得ていることで、結婚後のペギーはあまり登場しないが、落ちぶれ亭主を支えるいい奥さんだと感じ取れる。
マットをビッグ・ウェンズデーに送りだすときのさりげない態度に、僕は妻の理想像の一端を見た。
かつてはサーフィンのスターだったマットがビッグ・ウェンズデーに向かうと、自分は忘れ去られて新しいスターが登場している。
若い時にたむろしていた場所から海に向かうと、ジャックとリロイが待ち構えている。
彼らはありったけの力で大波に挑戦するが、その姿が美しい。
そして自分たちの時代が終わったことを悟り、それぞれの居場所に戻っていく。
青春時代は誰にでもあり、そして誰もが通り過ごして新しい生活を始める。
不本意なことも有るだろうが、強く生きていくしかない。
又会おうと言って別れられる、いつまでも仲間でいられる者がいる幸せを守りたいものである。

左きゝの拳銃

2021-09-26 07:28:53 | 映画
「左きゝの拳銃」 1958年 アメリカ


監督 アーサー・ペン
出演 ポール・ニューマン
   リタ・ミラン
   ジョン・デナー
   ハード・ハットフィールド
   ジェームズ・コンドン
   ジェームズ・ベスト

ストーリー
1880年代のニューメキシコ平原で、熱気と疲労にやられたウィリアム・ボニイは牛商人のタンストール老人一行に救われた。
彼こそは既に12歳にして殺人を犯した札つき男ビリイ・ザ・キッドだったが、度胸をみこんだ老人は彼を雇った。
折からリンカーンの町では保安官ブラディ、副保安官ムーン、家畜商ヒル・モートンが結託して、老人の牛群が町に入るのを阻み、単身商談に来た彼を3人は峠道で射殺した。
逃げる3人を目撃したビリイは復讐を誓い、町に入って白昼の路上で保安官ブラディと対決、罵倒してこれを射ち殺した。
一味の一人だった副保安官のムーンは法の名によって彼を制裁しようとし、町の人々ともに彼の隠れ家を囲んで火をかけた。
銃撃戦ののち、全身に火傷をうけたビリイはマデロの旧知、サバルと美しい妻セルサのもとに身をよせた。
仲間の牧童チャーリーとトムに合流したビリイは再びリンカーンの町に乗りこみ、怯える副保安官ムーンを倒し復讐を果たした。
保安官殺しによってお尋ね者となった3人を恐れた最後の1人ヒルは、腕のたつギャレットに保護を求めた。
ところがギャレットの婚礼の日、ビリイは恐怖に発砲したヒルを射殺した。
祝いの日を血で汚されたギャレットはさすがに怒って自ら保安官に就任、自警団を組織して追跡し、トムとチャーリーを射殺、ビリイを捕まえて絞首刑を宣告した。
獄につながれたビリイは重い鎖を切って辛くも逃亡したが、ギャレットの一隊はこれを追った。
彼等はビリイの旧友モールトリーの手引きで彼がサバルとセルサの家にいるのを知った。
セルサ夫婦の冷たい態度に家を出てきたビリイは、ギャレットに声をかけられて振り向いた瞬間、夜空に響く1弾をうけて絶命した。


寸評
僕はどうしたわけか21歳にして21人を殺したと言われる無法者としてのビリィ・ザ・キッドと保安官のパット・ギャレットの名前を知っていて、この作品で彼等を知ったわけではない。
僕とアーサー・ペン監督との出会いは1966年の「逃亡地帯」で、当時高校生だった。
僕がアメリカ映画の凄さを知った初めての作品と言っていい。
名優マーロン・ブランドもこの作品で知った。
僕とポール・ニューマンの出会いは同じく1966年の「動く標的」だった。
ポール・ニューマンが主演するアーサー・ペンの処女作であるこの「左きゝの拳銃」を見たのはずっと後年である。
すでに1968年に封切られた傑作「俺たちに明日はない」を見ていた。
「俺たちに明日はない」があったから、名画座で「左きゝの拳銃」がかかったと思うし、僕もこの作品を見ることが出来たのだと思う。
名画座ではそんな上映作品選びがなされていて、随分とお世話になったものだ。
今また再見してみると、これがまたなかなか味わいのある作品であったことを再確認することになる。

ビリィは全くの善人という風でもなく、かと言って全くの悪人というわけでもない。
感情移入できるところもあるけれど、全く同感できない部分もあるのは「俺たちに明日はない」にも通じる感情だ。
ビリィは子供の頃に母親を侮辱した男を刺殺している。
愛する人のためにはキレる男なのである。
彼はタンストールに拾われるが、タンストールは彼を可愛がり、ビリィもタンストールを慕うようになる。
タンストールが殺されたことで復讐を誓うが、その動機は母親の時と同じ感情から来ていることがうかがわれる。
かと言って、この西部劇は単純な復讐劇ではない。
ビリィの複雑な性格がそうさせている。
ビリィ、チャーリー、トムの行動は無軌道な若者の行為である。
時として酔いつぶれ、時として暴れまわり、その持っていきようのないエネルギーを発散させている。

ビリィはヤバイことになるとメデロに住むサバルの世話になるのだが、そこで彼の妻であるセルサと出来てしまう。
セルサは当初拒絶していたが若者の情熱に負けたようだ。
最後まで描かれていないが、一人出てきたビリィの申し訳なさそうな歩き方が事の成り行きを想像させた。
この描き方が後半でのサバルの受けるショックと、セルサが巻き込まないでくれと切望する姿を際立たせた。
ビリィはサバルに射殺されることを望み、パット・ギャレットに殺られるのは嫌だと言いながらも、パットの前に丸腰で向き合う。
決闘場面ではないが、非常に緊迫感が出ていたいいシーンだ。
ビリィは親友のチャーリーとトムを失い自暴自棄にもなっていたのだろうが、トムとチャーリーが殺される場面もなかなか雰囲気のあるものだった。
ビリィの反抗が何ゆえなのか、若者にあるであろう権力に対するいら立ちだったのだろうか。
そのあたりがもう少し感じとれたらと思わないでもないないが、さすがにアーサー・ペンの処女作だとも思わせる。
この作品で描かれた感じのようなものは、「俺たちに明日はない」で完全燃焼されたと思う。

ビジランテ

2021-09-25 09:06:52 | 映画
「ビジランテ」 2017年 日本


監督 入江悠
出演 大森南朋 鈴木浩介 桐谷健太
   篠田麻里子 嶋田久作 間宮夕貴
   般若 吉村界人 岡村いずみ 菅田俊

ストーリー
真夜中の川を三人の兄弟が渡ろうとしていて、長男が何かを入れた箱を埋めたところ、首から血を流した三兄弟の父が追いついてきた。
三兄弟は連れ戻されて激しい暴行を受け、耐え兼ねた長男は家出、そのまま消息を絶った…。
30年後、地元の有力者だった父親(菅田俊)が亡くなり、次男・二郎(鈴木浩介)は葬儀の喪主を務めていた。
父の後を継いだ二郎は今や市議会議員となり、妻・美希(篠田麻里子)を娶り、出世コースを歩んでいた。
葬儀に参加しなかった三男・三郎(桐谷健太)は地元の暴力団・石部組の大迫護(般若)の企業舎弟としてデリヘルの雇われ店長をしていた。
二郎は父の遺産であり、大型複合商業施設の建設予定地でもある土地の権利を相続しようとしており、父に憎しみを抱いていた三郎も了承していた。
そんなある日、二郎と三郎の前に30年前に生き別れた長男・一郎(大森南朋)が現れた。
一郎は生前の父から託されたという遺言書を持っており、土地相続の権利は自分にあると主張した。
二郎が会長を務める自警団「けやき防犯会」は町の治安維持の活動をしていたが、在日中国人が多く住む地域でメンバーの一人・石原(吉村界人)が中国人相手に暴力沙汰を起こしたことから大騒動に発展、中国人らは報復として石原の片目を失明させた。
三郎は大迫から、一郎が持つ土地の権利を譲り受けるよう要求されるが、一郎は先祖代々から受け継がれてきた土地を商業施設ごときのために手放す訳にはいかないと拒否した。
結局権利を得られなかった三郎は裏社会から足を洗おうとしたが、激昂した大迫に暴行を受け、更には翌日17時までに土地の権利を得られない場合は三郎の店のデリヘル嬢全員を殺すと脅された。
その頃、病院から抜け出した石原は仲間たちと共に在日中国人の居住区域にガソリンを巻き、火を放った。
三郎は二郎に助けを求めたが、放火の報を受けた二郎は三郎を突き放し、美希と共に火災現場に向かった。


寸評
ビジランテとは変わったタイトルだが自警団のことらしい。
僕は町内の防犯委員会に属して活動を行っているが、ここで描かれた自警団「けやき防犯会」は我々の防犯委員会と状況が少し違う。
市会議員である次郎の妻が自警団の会長は出世コースなんだからと言っているが、我々の防犯委員会は出世とは関係のない全くのボランティアである。
そしてこれが大きなことなのだが、彼らが担当している地域には中国人が多く住んでいる地域があり、地元住民との間に溝を作っているということで、幸いなことに僕の町内には外国人差別を生み出す要因は存在していない。
しかしそれでも、昔からの住民と新しくやってきた住民との間には意識的な溝が存在している。
昔からの土地柄には、いわゆる「よそ者」との軋轢が生じることは分らぬでもないし、それがアジア系の外国人となればなおさらだろう。
ここではそれが誇張されたように最悪の事態として描かれている。
人種差別にみられるように人にも闇の部分があり、時としてその闇は兄弟の中にもある。
社会にも裏社会を初め、政治権力や利権を巡る闇の部分が存在している。
その為なのかこの映画には夜のシーンが多い。
夜のシーンのカメラはなかなか良くて、いい雰囲気を出している。

子供の頃は仲の良い三兄弟だったのだろうが、大人になるとそれぞれが違った生き方を選んでいる。
長男は家出していたこともあって、すさんだ生活を送っており借金地獄にもあえいでいるようだ。
しかしあれだけ嫌っていた父親とは連絡がとれていて、問題の土地を相続する話が出来ていたようだ。
ひどい父親だが、父親は長男は先祖が最初に手に入れた土地を手放さないことを分かっていたのだろう。
しかしどうつながっていたのかは全く不明だし、想像することもできない。
一郎は長男として弟たちの身代わりとなってやる優しさは持っていたようだ。
二郎は意気地がないのだが、妻の美希がその穴埋めを行っている。
美希を演じる元アイドルの篠田麻里子が夫の出世に体を張るしたたかな女を好演している。
夫の出世に生き甲斐を見出しているようだが、本当は幼い息子の立身出世にかけていたのかもしれない。
二郎は妻のとる行動を分かっていたのだろうが、何も言えない。
火災現場に向かう時も、自分の意思を妻によって押しとどめられている。
彼が委員会のメンバーに選ばれたのも、妻が体を提供したからであることを匂わせている。
それでいながら、感謝の意を演説して頭を下げる二郎なのである。
三郎は裏家業のような仕事をしているが、根はやさしい男である。
風俗をやめて去っていく女の子にお金を渡してやる気遣いを見せているし、捕らわれた女の子たちからは三郎がきっと助けに来てくれると信じられている。
三人の中では一番兄弟思いなのではないか。
桐谷健太は内面からほとばしり出るような悲劇性をにじませるいい演技をしている。
手に刺さった箸を抜くシーンは、こちらも力が入った。
女の子がスヤスヤ眠る車に、三郎はきっとたどり着けたに違いないと思う。

蜩ノ記

2021-09-24 06:50:41 | 映画
「蜩ノ記」 2013年 日本


監督 小泉堯史
出演 役所広司 岡田准一 堀北真希
   原田美枝子 青木崇高 寺島しのぶ
   三船史郎 井川比佐志 串田和美
   吉田晴登 小市慢太郎 川上麻衣子
   石丸謙二郎 矢島健一 渡辺哲

ストーリー
ある日、城内で友人の水上信吾(青木崇高)とわずかなことで刃傷沙汰を起こした檀野庄三郎(岡田准一)は、家老の中根兵右衛門(串田和美)の温情によって罪を免じられ、代わりに幽閉中の戸田秋谷(役所広司)を監視せよと命じられる。
郡奉行だった戸田秋谷は藩主の側室お由の方(寺島しのぶ)との不義密通および小姓を斬り捨てたことにより10年後の切腹と、それまでの間に藩の歴史である藩主・三浦家の家譜を編さんし完成させるよう大殿・兼道(三船史郎)から命じられていた。
監視の内容は、藩の秘め事を知る秋谷が7年前の事件を家譜にどう書くか報告し、秋谷が逃亡のそぶりを見せた場合には妻子ともども始末するというものだった。
はじめは秋谷のことを懐疑的に思う庄三郎だったが、編さん途中の三浦家譜と『蜩ノ記』と名づけられた秋谷の日記には、前藩主の言葉を守り事実のまま書き留め、切腹が迫りつつも編さんに誠実に向き合い一日一日を大切に生きる彼の姿があり、感銘を受ける。
そして7年前に一体何が起きたのか、事の真相を追ううちに、彼の人間性に魅せられていく。
庄三郎は剃髪し今は松吟尼となったお由の方に会い事の真相を聞きただす。
秋谷に深い愛情と信頼を寄せる妻・織江(原田美枝子)や心の清らかな娘・薫(堀北真希)らとともに暮らす中で、いつしか庄三郎と薫との間に恋が芽生えていた。
やがて庄三郎は不義密通事件の真相に辿り着き、事件の謎を解く文書を入手するが、そこには藩を揺るがすようなことが記されていた。
秋谷と庄三郎は水上信吾の協力を得て真相にたどり着いたのだが…。


寸評
小泉堯史監督らしい静かな映画だ。
時代劇は古き良き日本の良さを無条件で表現できる数少ないジャンルだと思う。
本作も本格的時代劇ならではの静謐な間合いと深みある映像、そして主人公たちの所作からなる様式美の世界にひたることが出来る。
主人公はなんだかよくわからない仕置きを受けているのだが、その仕置きとは家譜の編纂を行いながら10年後に切腹を行うと言うものだ。
そのような死を待つ状況に置かれながら、しかもその期限があと3年に迫りながらも、主人公の戸田秋谷は悠然としている。
自分の監視役でもある壇野を穏やかな笑顔で迎えるのだが、妻の織江も娘の薫もまったくうろたえていなくて父親を信頼している。
父の罪は不義密通と言うものだが、そのようなことを仕出かす夫でない、父ではないと信じているのだ。

時代劇に付き物の殺陣はほんのわずかで見せ場と言えるほどのもではない。
武士道の素晴らしさを描きながら、いったいなぜこの男はこんなに平然としていられるのか、裏がありそうな不義密通事件だが事実はどうだったのかのミステリ的要素で観客を引っ張る。
残念ながらその間に意外性はないので物足りなさは残る。
まず家老の中根兵右衛門がいい人間なのか悪人なのかがよくわからない。
どうやら秋谷とは同門で気心も知れている間柄の様なのだが、中根は財政再建を成し遂げながらも利権をめぐって秘かに播磨屋と結びついている。
播磨屋は財力に物を言わせて村人から搾取しているのだが、中根の庇護を受けていることを後ろ盾としている商人なのだ。
それなのに「村人たちにも我慢してもらった。そろそろ還元してやる次期かも…」などと言わせている。
家名を思っている所もあり、温情も持ち合わせているようだし、これ以上恥をかかせるなと諫める理性も持ち合わせている男で、どうもその立ち位置がはっきりしていないと感じてしまった。
立ち位置がはっきりしないのは中根の甥である水上信吾も同様で、親友の壇野に味方するかと思いきや叔父にも義理立てしている。
そのことを告げてはいるのだが、この叔父と甥はどうもはっきりしない。

悪徳商人と思われる播磨屋の仕置きがどうなったのかは描かれていなくて不明である。
その後粛清されたのかどうかも分からないし、それらしいことをにおわせる場面もない。
一揆の首謀者とみられていた万治がその後帰還できたのかどうかも不明のままである。
どうやら一揆をおこす前に中根によって救済されたように思えるのだが、それらは想像の域である。
悲しみを押さえながらも妻の織江は夫の死に装束を準備する。
祝言が成った檀野庄三郎と薫も、更には元服した郁太郎も取り乱すことなく父を見送る。
悠然と切腹の場に向かう戸田秋谷の姿で映画は終わるが、時代劇を見たと言うより、時代劇の世界に浸ったと言ったほうが適切な作品だった。

2021-09-23 07:06:00 | 映画
「光」 2017年 日本


監督 大森立嗣
出演 井浦新 瑛太 長谷川京子 橋本マナミ
   梅沢昌代 金子清文 足立正生
   福崎那由他 紅甘 早坂ひらら
   岡田篤哉 南果歩 平田満

ストーリー
東京の離島、美浜島。
記録的な暑さが続くなか、中学生の信之(福崎那由他)は閉塞感を抱きながら日々を過ごしている。
だが、同級生の恋人・美花(紅甘)がいることで、毎日は彼女を中心に回っていた。
信之を慕う年下の輔(タスク)(岡田篤哉)は、父親から虐待を受けているが、誰もが見て見ぬふりをしていた。
そんなある夜、信之は美花と待ち合わせをした神社の境内で、美花が男に犯されている姿を目撃する。
美花を救うため、激高した信之は男を殺してしまう。
一部始終を目撃していた輔はこっそりとその惨状をカメラに収めた
次の日、理不尽で容赦ない自然の圧倒的な力、津波が島に襲いかかり、全てが消滅してしまう。
生き残りは、信之のほかには美花と輔とろくでもない大人たちだけで、信之の罪も消し去られたかに思われた。
25年後、信之(井浦新)は結婚し、一人娘にも恵まれ、穏やかな生活を送っていたが、島を出てバラバラになった彼らのもとに過去の罪が迫ってくる。
妻の南海子(橋本マナミ)と一人娘とともに暮らしている信之の前に25年前の秘密を知る輔(瑛太)が現れ、過去の事件の真相を仄めかす。
南海子は育児につかれ、住まいの団地の閉そく感に辟易して素性も知らない男のもとに通い体を重ねていたが、その男こそ輔だった。
密会の相手が夫と因縁深い輔であること知らない南海子は密会を続けるが、地元を離れていたスキに椿が変質者にいたずらされるという事件が起き、一方では輔の前に暴力をふるっていた父の洋一が現れる。
封じ込めていた過去の真相が明らかになっていくなか、信之は、一切の過去を捨ててきらびやかな芸能界で貪欲に生き続ける美花(長谷川京子)を守ろうとするのだが……。


寸評
一つの犯罪がさらなる罪を生んでいく悲劇なのだが、その悲劇は極めて暴力的だ。
東日本大震災を思わせるような大災害で信之の犯罪は闇に葬られるが、生き残った信之と輔のその後がどうだったのかは不明である。
しかし信之はエリートコースを歩んだようだし、輔は下層の生活になっているらしきことは分かる。
二人の格差が確執となったのかもしれないが、直接的要因はよくわからない。
それでいながら信之、輔、美花に潜む暴力は、原生林の中から生まれてきたような神秘性を感じさせる。
ジェフ・ミルズによる大音量のサウンドと、原生林の巨木が彼等の心証を象徴するように流れ描かれる。
巨木の穴倉にカメラが入っていき、奥の方の小さな穴を通して差し込む光かと思われたものがタイトルとなって出てくるのは、先ずは映画の世界に引き込むという流れで僕の気に入る処理だ。

一般的に言って、愛されている側が愛している側を支配するという構図が存在しているのではないかと思う。
ここでも美花が子供のころから信之を支配している。
待ち合わせの時間を決めるのも美花なら待ち合わせ場所を指定するのも美花だ。
最初の事件の時も美花は信之に「殺して」と指示し、信之は従うようにして殺人を犯す。
子供の頃には信之を慕ってした輔だが、大人になった輔は信之の奥さんと関係を持つことで信之との関係が逆転したかのように見える。
しかし、冷静な信之の狂気がよみがえってくるとともに、信之は次第に輔を支配していく。
いつの間にか子供の頃の関係に立ち戻っていて、その頃のトラウマから脱却することができない。
腕力ではすでに勝っているはずの輔は、虐待されていた父親の暴力から今もって逃げることができないでいる。

信之は南海子と結婚し女の子がいるが、二人の間に愛情があるとは言えない。
信之の心は美花にあり、同じ島で生まれ育った信之、輔、美花に比べ南海子だけが部外者の様でもある。
足をなめるという信之が美花に行った行為を幼い輔は眺めていた。
何も知らない南海子が輔に「あなたと同じように足をなめる」と告げるのは、南海子の疎外感を表している。
南海子が輔と不倫を重ねていることを信之は知っていて、しかもそれは輔から知らされたことなのだが、信之は荒れ狂う気持ちを押さえて南海子の前では知らないふりを装っている。
ここでも南海子は信之と輔という男たちの枠の外に置かれているのだ。
人間は牛や豚と言う動物を殺して生きている。
人間という動物を殺しても生きていかねばならない人という生き物にとって、生きると言うことは何なのか。

男優たちは静かで冷酷な信之を演じる井浦新、狂気を発散する輔役の瑛太は抜群に良い。
比べると信之の妻を演じた橋本マナミの浮いた演技はいただけない。
亀裂の入った夫婦関係を表現するには物足りない。
篠浦未喜となった長谷川京子にも小悪魔的雰囲気が欲しかったところで、女優がよくないと映画は面白くない。
暴力と欺瞞を描く情け容赦ない映画だが、原始の世界から生み出される生命賛歌のようなものも感じたかったが、そんな映画ではないな。

ヒート

2021-09-22 07:17:03 | 映画
2020/2/1 「ピアノレッスン」に続く「ひ」の項目です。
前回の紹介作品はバックナンバーからご覧ください。

「ヒート」 1995年 アメリカ


監督 マイケル・マン
出演 アル・パチーノ
   ロバート・デ・ニーロ
   ヴァル・キルマー
   ジョン・ヴォイト
   トム・サイズモア
   ダイアン・ヴェノーラ

ストーリー
LA。大胆で緻密な手口で大きなヤマばかりを狙う冷徹なプロの犯罪者、ニール・マッコーリーとその仲間たちは、ハイウェイで多額の有価証券を積んだ装甲輸送車を襲ったが、新顔のウェイングローが警備員の一人を射殺してしまう。
急報を受けた市警強盗・殺人課の切れ者警部、ヴィンセント・ハナが陣頭指揮に当たるが、過去2度の離婚歴を持つ彼は、妻ジャスティンや連れ子ローレンとの現在の家庭でしっくりいっていない。
ニールは長年の犯罪ブレーンであるネイトから、債券は元の持ち主に買い戻させた方が徳だと説明され、その考えに従った。
ニールたちは勝手な行動をするウェイングローを人けのない駐車場で始末しようとするが逃げられた。
報酬を得て、それぞれの家庭に戻る犯罪者たち。
金庫破りと爆破のプロ、クリスには愛妻シャリーンがいるが、夫の裏稼業を知る彼女には見えない不安と不満が鬱積している。
生粋の犯罪者チェリトは幼い娘たちのよき父親。
一人、帰るべき安らぎの場所を持たないニールだったが、ある夜、グラフィック・デザイナーのイーディと出会い、この無垢な娘との新しい世界が広がっていく。
ニールはセザールという犯罪同業者から千二百万ドルの上がりが見込める銀行強盗の襲撃計画を買うことにするが、そのための資金にと考えた債券の元の持ち主である悪徳金融業者ヴァン・ザントとの債券取引交渉が、相手の奸計によって失敗する。
一方、執拗な追跡調査を進めるヴィンセントはチェリトとクリスの顔の割り出しに成功し、二人の家や車に盗聴器が仕掛けられた・・・。


寸評
昨今の犯罪映画に見られるアップ・テンポで犯人の追跡劇を見せるサスペンスとは一線を画している。
登場人物たちの私生活を丁寧に描いて、彼らの心情をじっくりと見せる。
ボス的存在のニール(ロバート・デ・ニーロ)は仲間に対して高圧的な態度は取らない。
しかし追い詰められて逃げる際には一切のしがらみを断ち切るために裕福だが孤独な生活を送っている。
金庫破りと爆破のプロ、クリス(ヴァル・キルマー)には愛妻のシャリーン(アシュレイ・ジャッド)がいるが、稼いだ金を博打につぎ込んでしまい争いが起きている。
シャリーンは子供との平穏な生活を希望しているが、夫の裏稼業のためになかなかそうは出来ないでいる。
ニールが彼らの関係修復に骨を折る姿などが、普通のサスペンス・アクション映画とは違う点だ。
チェリト(トム・サイズモア)は幼い娘たちのよき父親なのだが、ニールとヤマを踏むことが好きな男だ。
妻が資産運用していて仲間の中では堅実な家庭にいるが、ニールに「今度こそはどうするか自分で決めるんだ」と言われると、結局ニールと共に犯罪計画に参加してしまう犯罪好きだ。
ニールは孤独な男だが、そこにまた孤独を感じさせる女性イーディ(エイミー・ブレネマン)を登場させて、ニールの生き方に微妙な変化を与える役目を負わせている。
一方、追う側のロス市警の切れ者警部、ヴィンセント・ハナ(アル・パチーノ)の私生活も順調ではない。
彼は犯人逮捕を生きがいとしており、現在の妻であるジャスティン(ダイアン・ヴェノーラ)に神経が行っていない。
残酷な殺人現場の状況を家庭に持ち込めないストレスも抱えているし、オマケに連れ子のローレン(ナタリー・ポートマン)との生活もうまくいってそうにない、いわゆる家庭を顧みることが出来ない男なのだろう。
立場は違えど、彼もニールと同類の人種なのだ。
この他の登場者も丁寧に描いている。
出所してきた保護観察身分の男が、搾取されながらも下等な仕事ばかりさせられていて、それを励まます女性がいながらニール達に合流するしかない男の悲哀とか、この種の映画ではオーソドックスな描き方ではあるが、理性に欠けて組織の足を引っ張るウェイングロー(ケヴィン・ゲイジ)の馬鹿さ加減などだ。
サスペンス・アクション映画だが女性陣もお飾りではない。
警部ヴィンセントの妻であるジャスティンは、夫への不満から浮気をするが、なんとか元に戻れないものかと思っているし、連れ子のローレンは実の父親を待ちわびながらも、ある事件では母親よりも義父であるヴィンセントを選んだりする不安定な精神下にある。
ニールと知り合ったイーディは彼の真の姿を知って戸惑うが、結局彼と行動を共にする決断をしている。
しかし30秒でしがらみを捨て去ることを心情としていたニールとの別れに見せる表情がいい。
クリスの妻のシャリーンは子供との安住した生活を選びそうなのだが、最終局面で彼を救おうとする。
イーディ、シャリーンの表情対比はその時の女性心理を上手く表現していたと思う。
この作品は、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの共演が売りの作品だと思うが、その割には最後まで二人が同時に画面に映ることはない。
二人が対峙するシーンでもロバート・デ・ニーロが顔を見せるときはアル・パチーノの顔は映らず後ろ姿だったりするし、逆にアル・パチーノがアップになると、それはロバート・デ・ニーロの肩ごしだったりしているのだ。
これは意図されたものなのだろうか?
それとも、二人のスケジュールが合わず代役を立てた撮影という下世話な理由によるものなのだろうか?

半世界

2021-09-21 07:07:00 | 映画
「半世界」 2018年 日本


監督 阪本順治
出演 稲垣吾郎 長谷川博己 渋川清彦
   池脇千鶴 竹内都子 杉田雷麟
   信太昌之 菅原あき 堀部圭亮
   牧口元美 小野武彦 石橋蓮司

ストーリー
生まれ育った地元の山中の炭焼き窯で備長炭を作り、なんとなく父から受け継いだ仕事をやり過ごすだけの日々を送る39歳になる炭焼職人の高村紘(稲垣吾郎)。
紘には家庭もあり、反抗期真っ只中の息子・明(杉田雷麟)もいるが、父から受け継いだ備長炭づくりを生業としているだけで、今の仕事に特別な思い入れがあるわけでもなく、先行き不安定な仕事を理由に家の事はすべて妻の初乃(池脇千鶴)に任せていた。
紘はそんな家族に対する無関心な姿を同級生・光彦(渋川清彦)に指摘されてしまう。
初乃は家計のこと、息子のことで頭がいっぱいで、絋が父親から継いだ“高村製炭所”は受注が減ってジリ貧、息子の高校進学も危うい状態。
その息子は悪い仲間からいじめられているようで、そのことを全く気にも留めない絋に初乃はいらだつ。
そんな単調な日常をただやり過ごすだけの毎日が続いていたある日、中学時代からの親友で、自衛隊員をしていた沖山瑛介(長谷川博己)が妻子とも別れて一人で突然の帰郷を果たす。
誰もいない実家に暮らし始めた瑛介は引きこもっていた。
同じ中学の同級生だった三人は久々に3人で酒を酌み交わす。
瑛介は何か深い事情を抱えているようだったが、多くを語ろうとはしなかった。
やがて瑛介は絋の仕事を手伝うようになった。
光彦が車の販売でヤクザともめていたので、瑛介は相手を叩きのめして警察沙汰となる事件が起きた。
紘と光彦は次第に瑛介が地元を離れてから過ごした過酷な経験を知り、人生の半ばを迎えた男3人にとって旧友とのこの再会が、残りの人生をどう生きるか見つめなおすきっかけとなる。


寸評
瑛介は元自衛官で海外派遣にも行っていたのだが、部下の早乙女が戦場での経験が原因で入水自殺したことに必要以上の責任を感じたことで家族との関係もおかしくなったようで、ひとりで生まれ故郷の空き家になっている実家に戻ってくる。
瑛介の見た世界は想像を絶する世界だったことはニュース映像などを見ている我々には容易に想像がつく。
それが現実の世界で、平和な日本に暮らしている我々の世界は半世界だと瑛介は感じている。
それに対し「こっちだって世界なんだ」と紘が叫ぶシーンは胸を打つ。
紘は備長炭の炭焼きを生業としているが、炭焼きも後継者がいない職業ではないかと思う。
そんな職業を据えたのは意表を突いた着想で、農業や漁業の後継者問題以上に斜陽産業に思われることが物語にハマっていると思う。
テレビを見ていると色んな人の過酷な実情や、つらい状況などが放映されることがある。
しかし、この人たちは大変だとの感想を聞くと、気楽な稼業のサラリーマンだってがけっぷちの世界で生きているのだと僕は叫びたくなる。
こっちにはこっちの世界があり、テレビに映る世界だけが大変な世界ではないと言いたくなる。
それぞれにはそれぞれが抱える世界があるのだ。

光彦は39歳になるがまだ結婚をしていない独り身である。
姉の麻里(竹内都子)は父親(石橋蓮司)よりも年上の藤吉郎(牧口元美)と結婚しようとしている。
紘は息子を全く気にかけていない風でもないのだが、どう接していいのか分からないので上手くいっていない。
瑛介は別れた息子のことが気になるようだが、戦場の後遺症なのか突如としてキレまくることがある。
三人はそれぞれに問題や悩みを抱えているのだが、幼なじみの親友同士とあって言いたいことを言い合える仲で、お互いを心配する関係でもある。
僕は3歳で母に連れられ実家に戻り、幼稚園は叔母の家に居候し、小学校は元の実家に戻り、中学校は転居したので彼らのような幼なじみと呼べる人はいない。
気安く家を行き来して、時には泊まり込むような彼らの交流を見ていると羨ましく思える。
瑛介は実家に住み着いてから暫くは心を閉ざして閉じこもっていたが、紘の炭焼きを手伝い三人で飲む機会を持ったことで急に饒舌になり早乙女のことを語りだす。
この急変に僕は違和感を持ったのだが、早乙女との関係が明らかになったことで、このシーンはこのシーンで意味があったのだと思えるようになった。

物語は幼なじみ三人の関係を描いていて、三人を演じた稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦が熱演しているが、異彩を放っているのが初乃の池脇千鶴で、彼女の演技は輝いている。
生活の中での何気ない態度や、息子に突き飛ばされた時につぶやく「近づいてみたら大きかった・・・」と言うシーンに彼女の存在感がにじみ出ていた。
上手いし、貴重な女優である。
ラストシーンはある程度予測できたものではあるが、それでもホッとするし、明にサンドバッグを叩かせているのが何よりも良かった。

バンコクナイツ

2021-09-20 10:01:28 | 映画
「バンコクナイツ」 2017年 日本 / フランス / タイ / ラオス


監督 富田克也
出演 スベンジャ・ポンコン
   スナン・プーウィセット
   チュティパー・ポンピアン
   タンヤラット・コンプー
   サリンヤー・ヨンサワット
   伊藤仁 川瀬陽太 村田進二
   田我流 富田克也

ストーリー
タイの首都バンコク。日本人専門の歓楽街のタニヤ通りの人気店「人魚」で働くナンバーワン娼婦のラックは5年前に故郷のタイ東北部・イサーンからこの街に出稼ぎのためにやってきた。
今ではラックは、日本人のヒモ、ビンを連れ回して高級マンションで暮らす一方、バンコクから遥か遠く離れたラオスとの国境付近、メコン川のほとりにあるノンカーイ県に住む家族に仕送りをしていた。
そんなある夜、ビンが何でも屋の金城とつるんで企画した裏パーティーで、ラックはかつての恋人だった日本人男性、オザワと5年ぶりに再会を果たした。
自衛隊を辞め、日本を捨ててタイに流れ着いたオザワはネットゲームで小銭を稼ぐその日暮らしの貧しい日々を送っており、見かねた兄弟分のしんちゃんに誘われて裏パーティーに参加していた。
ラックに会うための金がいるオザワは、自衛隊時代の上官で今ではバンコクで店を営む富岡に会い、ラオスで日本人向けの現地妻付き介護老人ホーム事業を展開するために現地での不動産調査を依頼された。
オザワは依頼を引き受け、ラックはオザワがラオスに行くついでにノンカーイの家族に紹介しようと決意した。
ラックの実家には、金の無心ばかりしては何かと確執の絶えない母ボーンと父違いの弟ジミーがいた。
ラックとオザワは、ラックが支えている大家族からの出迎えを受けたが、そこにはボーンの姿はなかった。
オザワはラックにバンコクを捨ててここで一緒に暮らそうと持ちかけたが、ラックは家族を支え続けるためにも稼ぎ続けねばならず、ドラッグに溺れるボーンから虐待を受ける妹インも助けねばならなかった。
オザワは仕事のため単身ラオスに向かい、そのまま消息を絶った。
残されたラックは、自分は所詮母や家族の金づるでしかないことを思い知らされてバンコクに戻り、今まで以上に仕事に精を出すが、店では新人のリンが台頭しており、ビンとつるんでドラッグに明け暮れていた。


寸評
僕はタイに行ったことはないのだが、仕事半分、遊び半分の内容でタイに行った人の話を聞いたことがある。
ゲスな僕の興味を引いた話はやはりここで描かれた歓楽街の話であった。
彼が言うには、タイの娼婦は若い美人が多くて優しいとのことである。
そして観光案内もしてくれるし、一日中付き合ってくれてそのままお泊りもOKなのだと言っていた。
前半で描かれたのは売春目的でやって来る日本人を相手にする娼婦たちの姿である。
タニヤ通りは日本人相手の店が多いらしく日本語の看板が目立つし、彼女たちは日本語に通じている。
しかし日本人は「タイ語なんて片言くらいがちょうどいいんですよ。タイ語なんて邪魔なくらいです」と言っている。
何がちょうどいいのか?
それはセックスするのにはそれぐらいの方が都合がいいのだという事だろう。
きわどい会話は盛んにおこなわれるが、きわどいシーンは登場しない。
そのあたりはタイの国情を思わせるし、かつての日本映画はそうだった。
僕はタニヤ通りの娼館に巣くう日本人に対して嫌悪感を抱くし、そこに出入りする日本人にも嫌悪感を抱く。
どこか日本人の恥部を突きつけられているような気がするのだ。
バンコクの街には高層ビルも目立つ。
そこでは多くの日本人ビジネスマンがうごめいていると思うが、映画が描いているのは夜の世界だ。
しかし映像は夜にもかかわらず極めて明るいし、バンコクを捉えた映像は青味がかった乾いた映像で、描かれている世界とは全く違った印象をもたらす。
タニヤ通りでうごめいている日本人たちは、日本での居場所を失くした者たちだ。
発展途上国ではいかがわしい商売を通じてのし上がれると思っている連中である。

タニヤ通りでの群像劇から状況が一変するのがオザワのラオス行きである。
オザワには田舎のノンカーイが近いこともあってラックが同行している。
ラックのノンカーイへの帰郷はバンコク生活からの逃避行でもある。
オザワはここで数度にわたって幽霊と出会う。
殺された反体制派詩人チット・プーミサックの幽霊や、夜のジャングルに現れるベトコンたちの幽霊である。
忘れかけているベトナム戦争の影が刷り込まれてくる。
オザワ達が訪れた場所にはベトナム戦争時にアメリカ空軍が落としていった爆撃跡が巨大な穴となって残っていて、まるで火山の噴火の後に出来たカルデラが連なっているようである。
不平ばかりのラックだが、ノンカーイに返った彼女はやはり大地との結びつき、家との結びつきから逃れることはできない事を悟ったのだろう。
一方のオザワはタニヤ通りでしみついた事から逃れられず、地に足がついた生活が送れない男なのだ。
ラックはオザワに少なからず恋愛感情を持っていたと思うが、決定的な価値観の違いが彼女のビンタによって描かれていたと思う。
映画は特に大きな事件が起きるわけでもないのに3時間を引っ張る。
音楽を初めとするリズミカルな描き方と、タイの女たちの強い生き方を感じ取れたからだろう。
タイ人たちとの撮影は楽しかったのだろうと思わせるエンド・ロールだ。

パルプ・フィクション

2021-09-19 07:54:05 | 映画
「パルプ・フィクション」 1994年


監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ジョン・トラヴォルタ
   サミュエル・L・ジャクソン
   ユマ・サーマン
   ハーヴェイ・カイテル
   ティム・ロス
   アマンダ・プラマー

ストーリー
ロサンゼルスの朝、コーヒーショップで不良カップルのパンプキンとハニー・バニーが突然立ち上がり強盗を始める。
2人組ギャング、ビンセントとジュールスがボスの命令でだまし取られたアタッシュケースを取り返しに若いギャング団のアパートに車を走らせ、虫けらのように彼らを殺して出ていく。
その頃ボクサーのブッチがギャングのボスであるマーセルから八百長の依頼金を受け取っていた。
ビンセントはマーセルから留守中、若く美しい妻ミアの食事の相手を命令され、2人は50年代風のクラブ・レストランに行きダンスを踊り、互いに魅かれ合う。
ブッチはマーセルを裏切って自分に大金をかけて試合に勝ってしまった。
ブッチは恋人ファビアンの待つモーテルにかけ込むが彼女が父の大切な形見である金時計を忘れていることを知り、危険を覚悟で再び自分のアパートに戻る。
そこにはビンセントが待機していたが銃を置きっぱなしにしてトイレに入っていたビンセントは逆にブッチに撃たれて死んでしまう。
しかしその後ブッチはマーセルに出会い、その後2人は変質者たちに捕まってしまい拷問を受ける。
ブッチはそれでも最後はファビアンとともに街を離れることに成功する・・・。


寸評
時間を前後していくつかの物語が描かれ、それぞれの登場人物たちが自分の意志とは関係なく微妙に絡んでいるという作品で、このような構成の映画はこの後に何作か出会ったのだが(日本映画における内田かんじの「運命じゃない人」など)、この頃は珍しい手法だったのかもしれない。
会話の多い映画なのだが、その会話の内容は大して意味のないくだらないもので、我々が交わすバカ話の範疇に入るものであることも特徴の一つとなっている。
描かれていく内容が時系列に沿っていないので観客は戸惑うことになるが、時系列に沿う形に話をまとめてみると以下のようになる。

ビンセントとジュールスがアタッシュケースを取り戻し、相手方の一人であるマーヴィンを連れて帰るが、その途中でマーヴィンを誤って殺してしまい、慌てて車と死体を処理するのが始まりだ。
この時処理先として立ち寄ったのがジミーの家で、このジミーをクエンティン・タランティーノ自身が演じている。
ウルフと呼ばれる男の助けを借りてなんとか死体を処理した二人は、返り血を浴びたスーツからラフなTシャツに着替えてレストランで朝食をとる。
観客はこのレストランが冒頭で出てきたレストランだと勘を働かせ、冒頭で描かれたレストラン強盗が起きる。
ジュールスが聖書の言葉を引用して阻止するが、僕は彼の言っている内容をよく理解できなかった。
ビンセントとジュールスはそのままボスのマーセルスところへ戻ると、マーセルスはブッチと八百長の打ち合わせを行っていて、ブッチは八百長で負けることを約束し、マーセルスはそのままビンセントにミアの面倒を命令する。
ビンセントはミアに振り回されながらも言われるままに相手をする。
出かけたところはプレスリーやマリリン・モンローのそっくりさんがいる店で、そこでツイスト大会があり、優勝トフィーが欲しいミアに誘われ、ビンセントはミアと共に踊りを披露する。
ビンセントをやっているのが ジョン・トラボルタで、 ジョン・トラボルタと言えば後年「サタデー・ナイト・フィーバー」でディスコ・ブームを引き起こし、一世を風靡した俳優であることを思うと面白い。
帰宅したミアは薬物の過剰接種で危篤状態になるが、友人の家で治療しなんとかミアを死なせずに帰る。
ビンセントはミアに好意を感じ始めていたようだが、ボスの怒りを恐れて手が出せないでいる。
一方、ブッチは八百長試合を裏切り、賭けで儲けて逃亡するが、祖父から引き継いできた金時計をアパートに忘れてきたため取りに戻ると、そこにはボスの命令を受けたビンセントがいた。
ブッチはビンセントを射殺するが、この映画ではビンセントにはやたらとトイレの話がついて回っている。
逃げる途中でブッチがマーセルスと出会ってしまったことで銃撃騒ぎが勃発し、二人は質屋へなだれ込む。
マーセルスがゲイの男に犯されるが、彼を救ったことで二人は和解し、ブッチはマーセルスがゲイの男に犯されたことを口外しないこと、この町に戻らないことを条件に許され、恋人のファビアンとバイクで去っていく。
恐れられているマーセルスがゲイに犯されたことを恥じる姿が面白い。

時系列で書き出すとなんて事のない話であるが、映画ファンが議論したい要素はある。
まず、あのアタッシュケースに入っていたのは何なのか、くだらない会話の連続は何のためだったのか、マーセルスの後頭部に貼っている絆創膏は何なのかなど・・・。
ストーリー展開の整理など、考えを巡らさないといけない所がこの映画の面白いところだろう。

バルジ大作戦

2021-09-18 08:12:47 | 映画
「バルジ大作戦」 1965年


監督 ケン・アナキン
出演 ヘンリー・フォンダ
   ロバート・ショウ
   ロバート・ライアン
   チャールズ・ブロンソン
   テリー・サヴァラス
   ダナ・アンドリュース

ストーリー
1944年、第2次大戦のヨーロッパ戦線。
破竹の進撃を続ける連合軍の間では、ナチの崩壊も時間の問題だという楽観ムードになっていたが、陸軍中佐カイリー(ヘンリー・フォンダ)だけは、独軍が必ずもう1度、反撃に出てくるだろうという危惧を抱いていた。
プリチャード大佐(ダナ・アンドリュース)によって一笑に附されたし、グレー将軍(ロバート・ライアン)らにも疑問をもって迎えられただけだった。
その頃ドイツでは、ヘスラー大佐(ロバート・ショウ)らが、大奇襲作戦の準備にかかっていた。
カイリーはあるのんびりした兵営地に行ったが、そのとき独軍の戦車隊の攻撃が始まった。
同じ頃、米軍MPに変装した独兵のパラシュート降下は濃霧をついて敢行されていた。
彼らの任務は戦車が渡り終えるまで、河にかかった橋の、米側による爆破を何とか阻止することだ。
到着した米軍爆破隊を彼らは容赦なく射殺し、道標切り換え作業までやった。
事態のただならぬことを逸早く気づいたのはカイリーだったが、猛進撃の前に撤退を余儀なくされた。
カイリーは、その後決死の低空飛行で偵察を行ったが、敵砲の攻撃をうけ重傷を負った。
ガソリンこそ敵を制する鍵と考えたグレー将軍は、その消耗を目的に戦車同士の鬼ゴッコ作戦をとりそれに成功し、敵は燃料補給のため引き返した。
戦列からはぐれた兵士たちを拾い集めてウェーバー中尉(ジェームズ・マッカーサー)が本隊へ帰って来た。
戦車隊のガフィー軍曹(テリー・サヴァラス)と合流、補給所へ急いだ。
そこは、独軍変装のMPに守られていたがそれを見破り、偽MPの制裁に成功した。
それを知らない独軍戦車が近づいて来た。
カイリーの命令で、ウェーバーはガソリンに火をつけるよう部下に命じた。
あふれるガソリンに手榴弾を投げ込み、独軍の最後の猛反撃は無惨に破局を迎えたのだった。
連合軍の勝利はこのとき決まった。


寸評
ドイツのティーガーII戦車及びアメリカのM4中戦車が実物と違うとか、雪の中の戦いであったはずが撮影地がスペインだったため、後半は砂漠の様な地形になってしまっているなど実際の戦史とはかけ離れているなどという指摘を追いやってしまう娯楽作だ。
特に米軍と独軍の戦車戦は登場する戦車の数も多くて迫力がある。
グラフィック処理ではなく、実物と火薬をふんだんに使って視覚的効果を高めるという懐かしい作風だ。

連合国はノルマンディの上陸作戦を成功させ、パリを開放しモンゴメリ将軍、パットン将軍の部隊がそれぞれの方面から進撃を開始しており、ヨーロッパ戦線の勝利も間近である。
そんな中で偵察要員である警察上がりのカイリー中佐だけがドイツ軍の反撃を予想している。
誰もが懐疑的だが特に反撃を信じないプリチャード大佐とは犬猿の仲となっている。
連合国側ではカイリー中佐のヘンリー・フォンダだけが孤軍奮闘している。
対照的なのがロバート・ショウのドイツ軍大佐ヘスラ―だ。
彼は経験不測の戦車隊長達を指揮して連合軍を蹴散らしていく。
アメリカに在住経験のある英語が達者な連中を集めたパラシュート部隊が、米軍のMPになりすまして後方かく乱をやるが手際も見事で次々と要所を確保し、連合軍のやることを予見して、ことごとくつぶしていく。
まるでドイツ軍賛歌映画の様な気がしてくる快進撃である。

バルジの戦いは史実だが、ヘスラ―大佐が英雄にならないよう彼を戦争の亡者に仕立て上げている。
彼の部隊は死亡率が極めて高い。
犠牲など顧みず任務だけを全うしていく戦争オタクなのだ。
これを際立たせるのが従卒のコンラート伍長(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)だ。
彼はヘスラ―に長年付き添っている親父の様な老兵であるが、最後には彼を非難し見限り離れていく。
捕虜の虐殺事件も描かれるが、ここではドイツ軍の意図したものであるかのような描き方がされている。
事実は意図されていたものか、偶然に起きてしまった事件なのかは不明の様で、どうやら偶然が重なって起きた事件の様に思われる。
映画は脇役たちを活躍させてドイツ軍の進撃をストップさせる。
経験不測の中尉は自分を守る年上の下級兵士の死で成長し、落伍兵を収容し指揮を執れるようになる。
恋人を亡くした軍曹はポンコツ戦車に乗って前述の中尉達と燃料基地を死守し、ヘスラ―大尉をやっつける。
ドイツ軍は戦車の燃料が不足していて、それで退却を余儀なくされたと言うのが事実だとすれば戦争のあやとして皮肉である。
アメリカにはクリスマスケーキを輸送してくるくらい燃料が余っているのに、ドイツは敵の燃料を頂かなければ戦えない状況に追い込まれていたのだ。
戦車を捨てて徒歩で退却するドイツ軍を描いて映画は終わるが、およそ反戦映画と呼ぶことはできない、あるいは戦争はよくないというアジテーションを感じない、大戦争アクション映画であった。
戦車戦を描いた作品としては一番面白い映画かも知れない。
単純に面白いだけではあるけれど…。

遥かなる山の呼び声

2021-09-17 07:23:03 | 映画
「遥かなる山の呼び声」 1980年 日本


監督 山田洋次
出演 高倉健 倍賞千恵子 吉岡秀隆 ハナ肇
   木ノ葉のこ 武田鉄矢 鈴木瑞穂
   小野泰次郎 杉山とく子 大竹恵
   粟津號 畑正憲 渥美清

ストーリー
北海道東部に広がる根釧原野にある酪農の町、中標津で、風見民子は一人息子の武志を育てながら亡夫の残した土地で牛飼いをしている。
激しい雨の降るある春の夜、一人の男が民子の家を訪れ、納屋に泊めてもらった。
その晩、牛のお産があり、男はそれを手伝うと、翌朝、去っていった。
夏のある日、その男がやってきて働かせてくれというので、男手のない民子はその男を雇うことにする。
田島耕作と名乗る男はその日から納屋に寝泊まりして働きだし、武志は耕作にすぐになついていった。
近所で北海料理店を経営する虻田は民子に惚れていて、ある日、力ずくで彼女をモノにしようとして耕作に止められ、彼に決闘を挑むが簡単にやられてしまい、それからは耕作を兄貴と慕うようになる。
民子が腰痛を訴え入院することになり、留守を預かる耕作と武志は心を通わせていく。
ある日、耕作の兄の駿一郎がやってきた。
彼は耕作が起こした事件で教職を追われていたが、耕作の行く末を心配していた。
その夜、兄の持ってきたコーヒーを飲みながら耕作は民子にここにとどまってもいいと胸の内を明かした。
季節は秋に変り、土地の人達が待ちこがれる草競馬の時期となった。
耕作も民子の馬で出場、見事、一着でゴールイン。
興奮する民子、武志、観客たちの中に刑事の姿があった。
刑事の質問にシラを切った耕作だが、その夜、民子にすべてを打ち明けた。
耕作は二年前、妻が高利の金を貸りて自殺し、それを悪し様に言う高利貸を殺して逃げ回っていたのだ。
家を出ていくという耕作に民子は止めるすべもない・・・。


寸評
北海道の牧場で男が雨の夜に一夜の宿を借りる。
翌日男は線路伝いに去っていき、冬が去り、春が過ぎて短い夏がやってくるとの文字と共に男が線路伝いに帰ってきてタイトルが表示される。
オーソドックスだが映画の世界に誘い込まれるオープニングで心地よい。
それにしても、俳優さんてすごなあとまたまた感心させられた。
倍賞千恵子さんは本当に牧場の奥さんという感じで、牧場作業の所作の一つ一つが板についていて違和感を全く感じないのだ。
どれほどの研修を積んだのかは知らないが、よくもまああのような自然体の演技ができるものだと思うのだ。

この種の映画では、先ず男と子供が心を通わすものが多いのだが、本作もその例にもれず高倉健と吉岡秀隆少年の交流が微笑ましく描かれる。
少年は母子家庭の一人息子で、男の子がたくましい男にあこがれ心を通わせるのもよくあるストーリーで、その王道に乗った演出にホッコリとさせられる。
母親が体を痛め入院したことによって、男と少年は一緒に寝ることになるが、その時男は少年時代の兄とのつらい思い出を語る。
その話が後に現れる鈴木瑞穂の兄とのやり取りの伏線となっていた。
どのようにして兄は弟の居場所を知ったのかは分からないが、兄が弟を思う気持ちがよく表現できていた。
兄は弟の罪を咎めるでもなく、恨むでもなく、「いつかは自首するだろ」と語るだけで、弟の好きだったコーヒーセットを渡して帰っていく。
二人して生きてきたであろうこと、そして兄は弟をかばい続けてきたであろうことを想像させる、鈴木瑞穂、高倉健のやりとりはいい芝居だった。
その様な関係は一方の民子にもあって、それは従弟の武田鉄矢の存在である。
民子は結婚を反対され駆け落ち同然で九州から北海道にやってきたのだが、その民子を見送ったのが仲の良かった従弟の勝男ただ一人だったということで、勝男は帰る車の中で「姉さん、可哀そうなんだよな」と涙を流す。
どちらも肉親の情をそれとなく描いたいいシーンで、僕はどちらも涙した。

あることがあって、虻田は耕作を兄貴と慕うようになるが、彼と民子が登場して耕作を見送るラストシーンも泣け、映画はラストシーンだなあと思わせる。
民子が牧場を手放したこと、子供と元気に暮らしていること、民子の面倒は虻田が見ていることなどが、それとなく耕作に伝えられる。
そして虻田は、民子が耕作の帰りを待ち続けていることも耕作の耳に入るように騒ぐ。
なんだ、これは「幸せの黄色いハンカチ」の前段なのかと思って見ていたら、本当に黄色いハンカチが民子から耕作に手渡された。
なんだか楽屋落ちの様な気もするが、同時に僕はかつての名作「家族」の後日談であるような感じも受けた。
風見武志役の吉岡秀隆君は名演技で早くもその片鱗を見せている。

遥か群衆を離れて

2021-09-16 07:10:04 | 映画
「遥か群衆を離れて」 1967年 イギリス / アメリカ


監督 ジョン・シュレシンジャー
出演 ジュリー・クリスティ
   テレンス・スタンプ
   ピーター・フィンチ
   アラン・ベイツ
   プルネラ・ランサム
   フィオナ・ウォーカー

ストーリー
牧羊農民のゲイブリエルは、隣人のバスシーバに結婚を申し込んだが、きっぱりと断わられた。
その後ゲイブリエルは、すべての羊を失い、一介の羊飼いとして、ある農場に雇われた。
ところがこの農場の主人はバスシーバで、伯父の死で農場を受けついだというのだ。
この農場にはファニーという女中がいて、彼女は評判のよくないプレイボーイの軍曹トロイと結婚することになっていた。
結婚式当日、彼女は教会に来るのが遅れ、トロイの怒りをかって、この話は立ち消えになった。
バスシーバの隣人にボールドウッドという豪農の独身男がいた。
バスシーバが、からかい半分に恋文を送ると、彼の方は本気になってしまい、結婚を申し込んできた。
しかしバスシーバの心を深くとらえていたのはトロイで、やがて二人は結婚した。
しばらく後、ファニーが死に、彼女の死はトロイの心に深い悲しみと悔いを残した。
そしてトロイは、どこへともなく去っていき、消息のない彼を、人々は死んだものと思うようになった。
そして再びボールドウッドがバスシーバに求婚してきた。
男の熱意に負けて彼女もこれを受けいれ、盛大なパーティが開かれたが、その夜、トロイは帰ってきた。
ボールドウッドの銃が火をふきトロイは倒れた。
夫に取りすがり、気が狂ったように彼の名を呼びつづけるバスシーバ。
ボールドウッドは獄舎につながれる身となった。
それから八ヵ月。夫の墓の前で、バスシーバはゲイブリエルに会った。
彼はカリフォルニアに発つため、別れを告げに来たのだ。
長い間、一緒に働いていた人、というより、彼女にとってゲイブリエルは、もはやなくてはならない人だった。
ずっと昔、求婚を断って以来、何年になるだろう。
しかし、彼の変らない誠実な愛が、彼女の胸の中で大きく広がっていくのだった。


寸評
英国の牧草地帯と周辺の村の雰囲気がよく分かる描写はいいと思うのだが、映画の出来栄えがどうのこうのより描かれている内容がどうもしっくりこない。
僕にはバスシーバというヒロインがどうも悪女に見えてしまう。
自分に好意のある男を手玉に取るような所があるし、思わせぶりな態度を見せたりもする。
バスシーバへのゲイブリエルの求婚に対して伯母は言い寄る男はいっぱいいるのだと告げるが、バスシーバはわざわざゲイブリエルを追いかけてきて、その話を打ち消しながら結婚話に乗る気はない。
羊を失って破たんしたゲイブリエルがバスシーバの農場に雇われると、女主人としての態度があからさまだ。
当たらに農場主となったバスシーバは隣の農場主ボールドウッドにイタズラ気分で思わせぶりなカードを贈る。
ボールドウッドがその気になると、あれは冗談だったのだとあしらうが、まんざらでもなそうだ。
ボールドウッドに求婚されながらも若いトロイ軍曹に熱を上げる。
愛している苦しい胸の内を涙を流して打ち明けられても、こちらとしては彼女に同情する気持ちは湧いてこない。
それどころか、なんて浮気性な女なんだと嫌悪感すら湧いてきてしまう。
結局トロイ軍曹と結婚するのだが、夫が溺死したとの知らせを受けるとボールドウッドには6年後に死亡が認定されれば結婚すると約束する。
バスシーバの恋愛物語なのだろうが、この変節にイマイチ乗り切れないものがある。

バスシーバがトロイ軍曹に熱を上げるようになるのが突拍子過ぎて盛り上がりに欠けている。
トロイのどこに魅かれたのか、どのようにして愛し合うようになっていったのかが省略されているように感じるので、僕はバスシーバの気持ちにも冷ややかな目線しか送れない。
トロイは本当にファニーを愛していたのだろうか。
協会を勘違いして結婚式に間に合わなかったことでトロイはファニーとの結婚を破棄している。
お腹に彼の子供が宿っていることを知らなかったのだろうか。
それにしては死産した子供は大きく育っていた。
トロイのバスシーバからファニーへ気持ちが戻る変節もよくわからない。
一途に相手を思い続けているのはゲイブリエルとボールドウッドだけである。
ファニーが惨めに死んでいき、トロイも死んでしまい、ボールドウッドは農場主でありながら獄中の身となる。
すべてがバスシーバがもたらしたことのように思うのだが、バスシーバは彼らを踏み台にして幸せを勝ち取った感じがしないでもない。

しかしだからと言ってバスシーバに対して決定的な嫌悪感が湧いてこない。
魅力的な女性が見せる思わせぶりな態度に翻ろうされる男の気持ちが分からぬでもないからだ。
好意を寄せる女性から甘い言葉をかけられれば舞い上がるし、イジワルとも思える言葉にオロオロしてしまう情けなさが男にはある。
女はそれで自惚れを満足させるのか、あるいは恋愛ごっこを楽しんでいるのか、小悪魔的な要素を持ち合わせているのが女だと思うし、そう思えばバスシーバは女らしい女だったのかもしれない。
しかし、バスシーバは僕の判断基準からすれば、よくわからない女性だったなあ。