おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ワンダフルライフ

2018-06-21 09:41:25 | 映画
是枝宏和監督の最新作「万引き家族」を見たので、初期の作品を見てみる。

ワンダフルライフ 1999年 日本


監督 是枝裕和
出演 ARATA 小田エリカ 寺島進
   内藤剛志 谷啓 伊勢谷友介
   内藤武敏 由利徹 横山あきお
   原ひさ子 白川和子 吉野紗香

ストーリー
月曜日。木造の建物の事務所に、所長の中村(谷啓)、職員の望月(ARATA)、川嶋(寺島進)、杉江(内藤剛志)、アシスタントのしおり(小田エリカ)たちが集まってきたが、彼らの仕事は死者たちから人生の中で印象的な想い出をひとつ選んで貰い、その想い出を映像化して死者たちに見せ、彼らを幸福な気持ちで天国へ送り出すというものだ。
火曜日。死者たちは、それぞれに印象的な想い出を決めていく。
戦時中、マニラのジャングルで米軍の捕虜になった時に食べた白米の味を選んだおじいさん、子供を出産した瞬間を選んだ主婦、幼少時代、自分を可愛がってくれた兄の為にカフェーで「赤い靴」の踊りを披露した時のことを選んだおばあさん、パイロットを目指してセスナで飛行訓練した時のことを選んだ会社員などなど。
だが、中には想い出を選べない人もいた。
渡辺(内藤武敏)という老人は、自分が生きてきた証を選びたいと言うが、それが何か分からない。
伊勢谷(伊勢谷友介)という若者は、あえて想い出を選ぼうとしなかった。
水曜日。今日は、想い出を決める期限の日だ。
望月は担当の渡辺に彼の人生71年分のビデオを見せることにした。
望月はモニターに映った渡辺の妻・京子(石堂夏央)の顔に一瞬目を奪われるのだった。
木曜日。撮影クルーの入念な打ち合わせの後、スタジオにセットが組まれ、撮影の準備が進んでいく。
金曜日。撮影の日である。渡辺も漸く想い出を選ぶことが出来た。
土曜日。死者たちは、再現された自分たちの想い出の映画を観て天国へと次々に旅立って行った…。
今週の仕事を終えた望月は渡辺からの手紙を見つけたが、そこには望月と京子のことが書かれていた。
実は、この施設で働く職員は皆、想い出を選べなかった死者たちで構成されており、先の大戦で京子の愛を確信するまでに到らないまま彼女と死別した望月は、彼女との想い出を選べないでいたのである。

寸評
ありそうな題材だが、それをドラマチックに描くのではなく、まるでドキュメンタリー映画のように撮っているので作品の在り方として新鮮に感じる。
所長の中村が「今週は先週よりも多い22名を送り出すことになる」と発表するので何が始まるのかと思っていると、あるおばあさんが昨日死んでいると伝えられることでこの映画の世界をイメージすることになる。
送り出される人たちは千差万別で色んな思い出を語り始める。
演じているのは内藤武敏や由利徹 、白川和子、伊勢谷友介など知った顔もあるが、市井の人が語っていると思われるような人も多くて、その自然な語りのシーンはドキュメンタリー番組を見ているような印象を受ける。
聞かれている内容は「人生の中で一番印象的な思い出は何か」ということで、見ている僕も同じ問いかけを自分自身にしていて、意識は画面に半分、自分の頭に半分となっている。
たった一つを挙げるとすれば・・・と思い出を辿ることになる。
幼少の頃からの成長過程での出来事、高校、大学の青春時代の甘酸っぱい思い出が頭をよぎる。
社会人として経験したこと、結婚とその後の家庭生活なども加えて、一番の思い出を探すが中々ひとつに決めきれず、もしかすると僕も一つを言えないのかもしれないと思ってくる。
たくさんありすぎる幸せな人生だったのかもしれないとも思うのだが、一つを挙げることの難しさにもぶち当たる。
苦しかったことが今となっては楽しい思い出ともなっているので随分と厄介な作業である。

渡辺と会話を交わす中で、望月は「私たちの世代は」という言葉を口にする。
そのことで望月も戦死している人物だと分かるのだが、アッと驚く急展開という風ではない。
告白される内容は興味深いものではあるが、ドラマ的演出を避けてきていたので、僕も知らず知らずあちらの世界に入り込んでいたのかもしれず、ごく自然にその事実を受け入れることが出来るようになっている。
川嶋も残してきた子供のことが気にかかり成仏できないでいる。
3歳の子供が成人するまで見届けるということで、この職員たちの立場が明確になるという脚本はよくできている。

語られた話を映像化する場面は興味津々だ。
ディスカッションは映画制作の現場そのもので、それぞれが撮影のアイデアを出しあって作品を撮りあげていこうとしているのにくすぐられるし、セットの撮影現場や飛行機と雲の特殊効果に工夫を凝らす場面などは、多分に楽屋落ち的なところがあって、16ミリで映画製作をした経験のある僕は随分楽しめた。

京子の愛を確信するまでに到らないまま彼女と死別した望月は、彼女との想い出を選べないでいたのだが、自分も人の幸せな想い出に参加していることの素晴らしさを知る。
望月がそのことを語るシーンに僕は感動すると同時に、僕が楽しい思い出としている青春の恋を、彼女も楽しい思い出としてくれているだろうかとの思いが頭の中をよぎった。
面白いのは、あちらの世界に行ってしまっているはずのしおりが秘かに望月に思いを寄せていることだ。
しおりはあちらの世界で一番の思い出を得たことになるが、それは彼女の行っている仕事と相容れないものだ。
そのふくらみがあればもっと面白くなっていたかもしれないなと思ったが、それだとこの作品のドキュメンタリー的演出は消え去り、ファンタジー恋愛ドラマに模様替えしてしまうから、やはりこれでよかったのだと納得。

「万引き家族」よりこっちのほうが・・・

2018-06-13 09:26:12 | 映画
犯罪一家を描いた作品としては「万引き家族」より、僕はこの「少年」の方が強く印象に残っている。

「少年」 1969年 日本


監督 大島渚
出演 渡辺文雄 小山明子
   阿部哲夫 木下剛志

ストーリー
秋風のたつ夕暮、無名地蔵のある広場で、ひとり“泣く”練習をしている少年がいた。
翌日、その少年の家族四人が街へ散歩に出た。
やがて交差点に来ると、母親が一台の車をめがけて飛びだし、続いてチビを抱いた父親が間髪を入れず、駈けつけ、叫んだ、「車のナンバーはな……」。
傷夷軍人の父、義理の母と弟のチビ、少年の家族の仕事は、病院の診断をタテに示談金を脅しとる当り屋だった。
二回目の仕事が成功した時、父の腹づもりが決まり、少年を当り屋にしての全国行脚が始まった。
一家が北九州に来た時、母が父に妊娠したことを告げたが、一家の生活は、彼女に子供を産ませるほどの余裕を与えなかった。
父は母に堕胎を命じ、一家はその費用を稼ぐために松江に降りたった。
その夜父は芸者を呼んで唄い騒いだ。
少年は土佐節を聞いているうちに、高知の祖母に会いたくなったが、高知に帰るには小遣が足りない。
仕事の旅は依然として続き、一家は北陸路を辿り、山形に着いた。
この頃、母はつわりに襲われ、少年は母と二人で父に内緒の仕事をした。
一家が小樽へ着いた時、父母が少年を奪い合って喧嘩をした。
その時、少年は、時計のくさりで、手の甲を血がでるほど掻きむしった。
その意味を悟った父は、時計を投げすてた。
チビが、その時計を拾いに道へ出た瞬間、一台のジープが電柱に衝突。
少年は、担架で運ばれる少女の顔に一筋の血を見た・・・・。

寸評
この映画のタイトルを見るたびに思い浮かぶのはチビが一面の雪景色の中で「アンドロメダ」とつぶやくシーンだった。そのシーンだけがやけに脳裏に残っていて、チビのそのつぶやきと真っ赤なブーツの印象が僕にとっての映画「少年」のイメージだった。再見すると、あんなシーンもあった、こんなシーンもあったなのだが、兎に角そのシーンだけが記憶の中で鮮明であり続けた。なぜそのシーンだけが記憶の底で生き続けたのかといえば、その場面に少年の思いが凝縮されていて、あまりにも痛々しい姿だったからではないかと思う。
 アンドロメダ星雲は全編を通じて度々登場するが、それは少年が持っている自分だけの世界だ。自分だけの世界ではあるが、この話をする時はチビがいたり継母がいたりする。継母に対しては、車にぶつかるのは嫌ではないが怖いともらし、「忍術が使えるといいな」「宇宙人ならいいな」とつぶやいたが、継母からは「あんなものウソ」「宇宙人などいない」とあっさり否定されてしまう。その後はもっぱらチビを相手にこのストーリーをふくらませ、少年の心に深くこの夢想があることがわかる。この夢想は少年がありふれた子供であることを象徴しているが、同時にどうすることも出来ない自分を救ってくれる神の出現を望んでいるようでもある。
 前述の雪原シーンで少年は三角の大きな雪だるまを作り、そして赤いブーツを乗せたその雪だるまを破壊する。その時に発する叫びが痛々しい。少年はチビに、その雪だるまは宇宙人でアンドロメダ星雲から来たんだと告げる。正義の味方だから悪いことする奴をやっつけるために来たので、怪獣も鬼も電車も、自動車も怖くはない奴だ。お父ちゃんも、お母ちゃんもいない一人きりの宇宙人だが、本当に怖くなった時は別の宇宙人が助けに来てくれるらしい。少年はそういう宇宙人になりたかったんだが、普通の子供なのでなれないし、死ぬことも上手に出来ないと言う。
そして叫ぶ・ チクショウ! 宇宙人のバカヤロー!
やはり救いを待っていたのだろう。痛々しいなあ。
 当り屋って現在では殆ど聞かなくなった犯罪だが、僕はよく耳にした。走っている自動車にわざと接触し、示談金の幾らかをせしめる文字通り身体を張っての死線ぎりぎりのゆすり稼業だ。少年はそれが犯罪であることは認識しているが、自分がこの家族にとって稼ぎ手として重要な位置にあることも自覚している。
この家族は、専制的な父親のもとに外界との繋がりをもたず、経済的にも精神的にもお互いに依存し合って閉じている。専制的な父親に従順に従うように見える少年は時折拒否の意志を表明しても基本的には従順である。しかし家出事件から戻った後は、少年の決断は毅然としたものとなり、自ら仕事をこなすようになっていく。
 そんな少年が精神的に父を越えたのが少女の死に直面した交通事故で、少女の死を直視する少年に対して父は逃げるだけであった。この時から少年にとって、父親は自分を支配するような大きな力ではなくなったのだ。それは同時に誰も助けてくれず、一人で立ち向かわなければならないことを悟ることでもあった。
 親をかばい、犯行を否定し続けていた少年は刑事に護送される電車内で、北海道の真っ白な雪景色の中で少女の死顔が思い浮かんだ。切れ長の目から一筋の熱い涙が流れ落ち、そしてポツリと「北海道には行ったことがある」と呟く。少年は罪を認め、そして同時に親から独立したのだ。それはあまりにも切なくて悲しい旅立ちだったと思う。
 傷痍軍人で働けなくなった父親が伏線になっていたいるのか、一家の行く先々でやたら日の丸が姿を見せる。山をなして並んだ真新しい位牌と骨壷の背後に壁一面の巨大な日の丸が垂れ下がっているシーンがその極めつけだ。タイトルバックでも使われた黒い日の丸は、果てしなく流されてきた血を吸ってきた国家の象徴かもしれない。しかし、それがこの映画とどんな関係にあるのかは僕は理解できないでいる。

万引き家族

2018-06-12 17:11:33 | 映画
「万引き家族」 2018年 日本


監督 是枝裕和
出演 リリー・フランキー 安藤サクラ
   樹木希林 松岡茉優 城桧吏
   佐々木みゆ 緒形直人 森口瑤子
   山田裕貴 片山萌美 柄本明
   高良健吾 池脇千鶴 池松壮亮

ストーリー
再開発が進む東京の下町のなか、高層マンションの谷間にポツンと取り残されたように建つ古びた平屋の一軒家。
そこに治(リリー・フランキー)と妻・信代(安藤サクラ)、息子・祥太(城桧吏)、信代の妹・亜紀(松岡茉優)、そして家の持ち主である母・初枝(樹木希林)の5人が暮らしていた。
治は怠け者で甲斐性なし。
彼の日雇いの稼ぎは当てにならず、一家の生活は初枝の年金に支えられていた。
治と息子の祥太は、生活のために“親子”ならではの連係プレーで万引きに励んでいた。
その帰り、団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つける。
思わず家に連れて帰ってきた治に、妻の信代は腹を立てるが、名乗るその女の子(佐々木みゆ)の体が傷だらけなことから境遇を察し、面倒を見ることにする。
翌日、治は日雇いの工事現場へ、信代はクリーニング店へ出勤する。
学校に通っていない祥太も、ゆりを連れて"仕事"に出かけ、駄菓子屋で店主(柄本明)の目を盗んで万引きする。
亜紀はマジックミラー越しに客と接するJK見学店で働き、"4番さん(池松壮亮)"と名付けた客と共鳴するものを感じる。
ある日「5歳の女の子が行方不明」というニュースが流れ、ゆりは「じゅり」という名前だったことが分かるが、じゅりは「りん」と名前を変え元の家に帰ることを拒否する。
それでも一家には、いつも明るい笑い声が響いていた。
家族全員で電車に乗って海にも出かけた。
だが祥太だけは"家業"に疑問を持ち始めていた。
そんな時、ある事件が起きる・・・。

寸評
この一家は疑似家族である。
信代は、ゆりが帰りたいと言えば戻すつもりだったが、ゆりはこのまま一家と暮らすと言う。
この一件を通して一家の絆がより鮮明になり、信代も絆は自分で選んだ方が強いのだと語る。
彼ら6人が本物の家族に見えてきたところで、どうやら血のつながりがないことががわかってくる。
それを通して「家族とは何か?」「血のつながりがなければ家族ではないか?」といった問題が観客に提起される。
じゅりの母親は「産みたくて産んだんじゃない」とわめいていたが、そんな親より信代のほうがよほど母親らしい。
信代が母親らしいのには理由があるのだが、それには過去の犯罪が絡んでいて、祥太も関係していることが判明するというひねったものだが、結論は「血のつながりがなくても家族として成り立つ」という単純なものだ。
実際、この家族は幸せそうなのだ。
治も、信代も人がいいし、人に対する優しさも持ち合わせている。
貧困ということ、万引きという犯罪を繰り返していることを除けば、いい家族なのだ。
家族で電車に乗って出かけた海辺のシーンは祖母の初枝が幸せを感じるシーンとなっている。
樹木希林のアップが映し出されるが、その口元は「ありがとう」と言っているように見える。
信代も家族を作ったことで得たものは、比べることなどできないほど大きかったと言う。
家族ほど煩わしいものはないが、家族ほど大切なものもないのだ。
最後に描かれる後日談で、単純な結末を示していないのがいい。

僕は犯罪一家の物語として、大島渚の「少年」を思い出していた。
あちらは"当たり屋"一家を描いていたが、うけた衝撃と映画としての迫力は「少年」の方が勝っていた。
随分と前の映画なので、僕の中で誇大化しているのだろうか?
「万引き家族」、僕は途中で少しダレたが、後半、よく盛り返したと思う。
でも是枝裕和監督の最近は水準以上の作品を撮って頑張っていると思っている。
ハズレがなくなってきたのは嬉しいことだ。
映画監督は脚本も書けないといけないと思うのだが、この作品は是枝裕和がすべて一手に引き受けていて、そのことも評価できる。





少年は残酷な弓を射る

2018-06-08 07:23:53 | 映画
「ビューティフル・デイ」のリン・ラムジ監督の前作はこれだった。

「少年は残酷な弓を射る」 2011年 イギリス

 
監督 リン・ラムジー
出演 ティルダ・スウィントン ジョン・C・ライリー
   エズラ・ミラー     ジャスパー・ニューウェル
   ロック・ドゥアー    アシュリー・ガーラシモヴィッチ
   シオバン・ファロン・ホーガン

ストーリー
エヴァは郊外の朽ち果てた一軒家に住んでいた。
いやがらせのため赤いペンキが玄関にぶちまけられ、道行く女性から突然罵倒され、ほほを殴られたりする。
睡眠薬とお酒が手放せない日々の中、エヴァは少しづつ過去の記憶と対峙していく・・・。
エヴァは世界中を飛び回り、その手記を書いている作家で、これまで自由奔放に生きてきた。
夫のフランクリンはエヴァと落ち着いた家庭を作ることを望んでいた。
そしてエヴァは妊娠するが、他の妊婦のように自分のおなかの中で成長していく我が子を愛おしいと思う以上に何か違和感があった。
誕生した子供はケヴィンと名付けられたが、子育ては苦難の連続だった。
一日中泣き通しの赤ん坊の頃、話せる年齢になっても一言も言葉を発しない3歳の頃、そして一向におむつが取れず反抗ばかりする6歳の頃。
どの時代も、夫フランクリンが抱きあげれば泣きやみ、彼が帰宅すれば笑顔で出迎えた。
エヴァは二人目の子供を授かった。
娘セリアは天真爛漫な少女に育ち、ケヴィンも美しい少年に成長する。
セリアは、ケヴィンとの関係が悪化していく中で、心をいやしてくれる天使の様な存在だった。
ある日、セリアが可愛がっていたハムスターがいなくなり、台所のディスポーザーの中で死んでいた。
エヴァはケヴィンの仕業ではないかと疑い、エヴァとフランクリンが留守中にセリアが強力な溶剤を誤って顔にかぶり片目を失った時、エヴァの疑いは確信に変わった。
それを口にしたエヴァと夫の関係は冷えて行き、ついに離婚話へと発展するが二人はもう少しこの生活を続けて行くことにする。
セリアがはしゃぎ、夫が一緒に遊んでやっている朝、それはこの上ない幸せな風景に見えた。
仕事に慌ただしく出かけて行くエヴァ。
それが最後の家族の記憶となり、そして忌まわしい事件が起こった運命の日となった。
記憶の旅も終りに近づき、彼女は決意を胸に悪魔の様な息子・ケヴィンがいる刑務所へと向かう。

寸評
サスペンス映画ともホラー映画とも言ってもいいような作品で、決して後味の言い映画ではない。
それなのにそこからもたらされる嫌味がないのは最初から最後まで貫かれるエピソードの切り替えに対するスピード感だったように思う。
作品は事件後の母親の姿と、事件に至るまでの出来事を切り替えながら進んでいくが、その間に繰り広げられる出来事は深く描かれることはなく、観客の想像を掻き立てながら次々と展開していく。
その構成がサスペンスを盛り上げ、ホラー化していく。
オープニングの白いカーテン、それに続くトマト祭りに参加する人々の鮮血のような赤に染まった映像が強烈。
この鮮烈な赤はエヴァの家と車に投げかけられた赤いペンキに引き継がれる。
いったい何がなにやら、さっぱりわからないままドラマがスタートして、その後、どうやら彼女には暗い過去があるらしいことが判明してサスペンス劇がスタートしていく。
この組み立てとスピード感は最後まで変わることがなく、この作品を支えている。
とは言うものの、最後になっても、とても希望が持てるエンディングとは言えず、陰惨な映画のままで終わっているので、僕はある種の感動を持って映画館を出ることは出来なかった。
少年の口からはわずかながらも希望的な言葉が発せられるが、少年が問題を内在しながらも上手く立ち回ってきたというごまかしを、母親も肯定するような言動も有って、ここにきて子供の持つ恐ろしさを母親も共有してしまったのではないかと感じてしまったのだ。
途中からは、そもそも子供であるケヴィンの行動は、母親エヴァの敵意と憎悪の反映ではないのかと、うがった視点で見てしまっていたのだ。
観覧中に僕は、自由奔放に生きてきたエヴァが妊娠を心底喜ばなかった気持ちが、すでに胎内にいるケヴィンに伝わっていて、望まれなかった自分の復讐を誕生後に行っているのではないかと、大いにひにくれた見方もしていたのだ。
家の中で起きる数々の出来事は、子育てをしている人なら多かれ少なかれ思い当たる節があるものだ。
赤ん坊がいつまでたっても泣きやまず、あやしても笑わない。
言葉の発達が遅い。
おむつがなかなか取れない。
言うことを聞かず、反抗的である。
どれを取っても、「そんなことはどんな子供にもある」と言いたくなるような些細なことなのだ。
しかし初めて子供が生まれたヒロインには、それがいちいちひどく深刻なことに思えてしまうのだ。
子育てノイローゼとはそうしたものなのだろうか?
子供は天使であると同時に悪魔でもある。
クローズアップされる母親と息子の関係。
幼い頃から父親には従順なのに、母親に対しては反抗的な長男のケヴィン。
その態度は、ある意味、悪魔的ともいえるほど。
成長するにつれて、その態度はエスカレートし陰湿化していく。
それをまともに描いていたら、きっとグロテスクな映画になってしまっていただろうと思う。
エバは職場でも友人を作ろうとしない根暗人間だ。
彼女が生きている現在は破局後の人生なのである。
彼女の回想の中で、映画は少しずつ、すべてが終わった破局に向かって進んでいく。
見終わると原題の「We Need to Talk about Kevin」が重くのしかかる。
子育ては母親一人だけでやるものではないのだ。
もっとケヴィンのことを夫と話し合わなければならなかったのだ。
ケヴィンの様なことはやらかさなかったけど、自分もケヴィンに似た感情を母親に対して持った経験を有している。
なぜそうなったのか、分かっているようで分からないのだ。
いやはや、子育ては難しいものだ・・・。

ビューティフル・デイ

2018-06-07 08:50:23 | 映画
「ビューティフル・デイ」 2017年 イギリス


監督 リン・ラムジー
出演 ホアキン・フェニックス  ジュディス・ロバーツ
   エカテリーナ・サムソノフ ジョン・ドーマン
   アレックス・マネット   ダンテ・ペレイラ=オルソン
   アレッサンドロ・ニヴォラ

ストーリー
行方不明者の捜索を請け負うスペシャリストのジョーは、人身売買や性犯罪の闇に囚われた少女たちを何人も救ってきた。
彼はその報酬で、年老いた母親と静かに暮らしている。
ジョーは海兵隊員として派遣された砂漠の戦場や、FBI潜入捜査官時代に目の当たりにした凄惨な犯罪現場の残像、そして父親の理不尽な虐待にさらされた少年時代のトラウマに苦しんでいた。
ある日、新たな仕事の依頼が舞い込む。
選挙キャンペーン中で警察沙汰を避けたい州上院議員のアルバート・ヴォットが、裏社会の売春組織から十代の娘ニーナを取り戻してほしいという。
ジョーは売春が行われているビルに潜入し、用心棒を叩きのめしてニーナを救出するが、彼女は虚ろな目で表情一つ変えない。
深夜3時、ニーナを連れて行った場末のホテルのテレビで、ここで落ち合う予定だったヴォット議員が高層ビルから飛び降り自殺したことを知る。
その直後、二人組の制服警官がホテルの受付係の男を射殺し、無理やりニーナを連れ去っていく。
窮地を脱したジョーは、ヴォット議員からの依頼を仲介したマクリアリーのオフィスを訪ねるが、彼は何者かに切り刻まれて死んでいた。
嫌な予感に駆られて自宅に戻ると、2階で母親が銃殺されていた。
ジョーは1階にとどまっていた二人の殺し屋に銃弾を浴びせると、ニーナがウィリアムズ州知事のもとにいることを突き止める。
ニーナはウィリアムズのお気に入りで、ヴォットは日頃から娘を政界の権力者に貢いでいたのだった。
ジョーは喪服に着替え、母親を葬るために森の奥の美しい湖に向かう。
生きる気力を失った彼は母の亡骸を抱えて入水するが、ニーナの幻影に引き戻される。
ジョーは一連の事件の黒幕であるウィリアムズを尾行し、ニーナが監禁されている郊外の豪邸へハンマー片手に踏み込んでいく。

寸評
それが狙いなのだろうが、観客にすごく想像力を求める作品だ。
映画を構成するものとして映像や音楽があり、それらは視覚、聴覚という五感に訴える役割を担っている。
もう一方でストーリーという大きな要素があるのだが、この作品ではその要素を重要視していなくて、映像と音楽を通して観客に物語を想像させるような作りをしている。
歳を取った所為で僕の理解力が衰えてきたのかもしれないのだが、僕は必死で映画を追い続ける必要があった。
90分という上映時間でよかったと思う。
もうあと30分もあれば僕は体力的に持たなかったかもしれない。
もっとも、120分で描けば物語を補完する部分が出てきて、締まりのない作品になってしまっていたかもしれない。

この作品は一応犯罪サスペンスの形をとってはいるが、事件の謎解きをメインとはしていない。
冒頭で数字をカウントダウンする声、「猫背は嫌いだ、背筋を伸ばせ」という声、少年の姿、呼吸ができないように頭からビニール袋をかぶせられた人物という風に謎めいたシーンが続き、犯罪サスペンスの始まりを予兆させたのだが、その後の展開はまったくそんな風には進んでいかない。
主人公の過去らしきフラッシュバックやイメージショットが度々挟み込まれるが、詳しい説明がないので観客は想像するしかない。
最小限のセリフで、ジョーの周辺に起きる出来事を鮮烈な映像で見せていく。
ジョーはニーナを助けるために殺人を繰り返していくが、行為に及ぶ前段階と事後は描かれるが殺害の瞬間は描かれることはない。
映像は殺された後の血まみれの死体を見せるだけで、観客は残虐な殺人シーンを想像することになる。
ジョーとニーナがモーテルの部屋で父親であるヴォット議員を待っていると、テレビのニュースで「ヴォット議員が自殺した」との速報が流れるのだが、議員はなぜ自殺したのかはわからない。
直後に警官たちが部屋に乱入してきてニーナを連れ去っていったのだが、直前の行為などからこの警官たちは悪徳警官なのだと推測することになる。
もちろんこの警官たちの悪事が明らかにされることはない。
ラストに向かってサスペンスとして話が一気に進むが、セリフが少ないので気を抜いて見ていると何が起きているのか分からなくなってしまうような描き方だ。
ジョーはニーナの救出を依頼したマクリアリーの惨殺死体を見つける。
そのことで仕事を仲介してくれたエンジェルに危険が及ぶことを察知したが、彼を通じてジョーが狙われ、母親が事件に巻き込まれてしまったという展開なのだが、その間の経緯が映像だけで示されるから理解するのに時間がかかる。

ジョーとニーナが絡む場面はそんなにないのだが、最後になって二人の心の通い合いがくっきりと浮かび上がってくる。
ニーナの救出に向かったジョーは次々と護衛の者たちを倒していく。
そして例のごとく殺された後の親玉の死体を映し出す。
ニーナの食事場面が映し出されると真相が明らかになり、トラウマを背負った者同士の魂の共鳴が鳴り響く瞬間となる。
最後の驚くべきシーンでは、僕はもしかしたらこれはジョーが見ていた悪夢だったのではないかとの疑いを持ったくらいだ。
想像することに慣れきってしまって、とんでもない妄想をも引き起こす作品である。

海を駆ける

2018-06-02 07:27:23 | 映画
海を駆ける (2018) 日本/フランス/インドネシア


監督 深田晃司
出演 ディーン・フジオカ  太賀
   阿部純子  鶴田真由
   アディパティ・ドルケン
   セカール・サリ

ストーリー
インドネシア、スマトラ島北端に位置するバンダ・アチェの海岸で男(ディーン・フジオカ)がひとり倒れている……。日本からアチェに移住し、NPO法人で地震災害復興支援の仕事をしている貴子(鶴田真由)は、大学生の息子・タカシ(太賀)と暮していた。
タカシの同級生クリス(アディパティ・ドルケン)、その幼馴染でジャーナリスト志望のイルマ(セカール・サリ)が、貴子の家で取材をしている最中、日本人らしき男(ディーン・フジオカ)が海岸で発見されたとの連絡が入る。
まもなく日本からやって来る親戚のサチコ(阿部純子)の出迎えをタカシに任せ、貴子は男の身元確認に向かう。
記憶喪失ではないかと診断された男は、しばらく貴子の家で預かることになり、海で発見されたことからインドネシア語で“海”を意味する“ラウ”と名付けられる。
だが彼に関する確かな手掛かりはなく、貴子と共にタカシやクリス、イルマ、サチコもラウの身元捜しを手伝うことに。
片言の日本語やインドネシア語は話せるようだが、いつもただ静かに微笑んでいるだけのラウ。
そんななか、彼の周りで不可思議な現象と奇跡が起こり始めるのだった…。

寸評
「歓待」「ほとりの朔子」「さようなら」「淵に立つ」と見てきた深田晃司なので大いに期待したが、今回の「海を駆ける」は少し期待を裏切られた。
得体のしれないラウだが超能力を持っているらしいので何が起きるのかと思って見ていたら、結局何も起こらなかったという印象。
海からやって来て海に帰っていった。
彼は命そのものの化身なのかもしれない。
軽トラの荷台に乗って貴子の家に向かう時、かれが叫び声をあげると死んでいたはずの魚が飛び跳ねる。
運転手は海辺に二人の人間を発見し急停車するが、死者をよみがえらせたのか、幻だったのか二人は消えていて他の誰もが見ていない。
しおれていた花を再び咲かせる。
少女の命を救ったかと思うと、サチコの病気を治したりする。
超能力で周りの人間に幸せをもたらすのかと思うと、そんな単純な人物ではない。
それなら足の悪いイルマの父親の足を直してやっても良いようなものだがそうはしていない。
子供の水死事件はその延長線上にある。
究極は貴子に行った行為だ。
彼は一体何者なのか?
ちょっとしたフラストレーションがたまる。

ラウと絡むようでいながら、それでいて素通りするように進むのが若者4人の話だ。
母親が日本人のタカシは日本語とインドネシア語を離すことが出来、国籍選択時にインドネシアを選んでいる。
インドネシア生まれのインドネシア育ちだから、タカシにとっては当然の選択だったのだろうが、サチコはどうして日本を選ばなかったのかと疑問に思う。
僕を含めた日本人からすれば自然な疑問だろうが、それは日本人の思い上がりだと言われているようでもあった。
インドネシア語を駆使し、その事を感じさせる太賀はいい演技してるなあと思わせた。
サチコの阿部純子もなかなか良くて、表情の変化に非凡なものを感じた。
登場人物としてのサチコは日本の大学を辞めているので精神的に何かあるのだろうが、一体彼女に何が起きていたのかは不明のままで、これも僕にフラストレーションを起こさせた。
4人は最後に海の上を駆けるが、奇跡は途絶えて突然海中に落ちる。
希望の誕生でもあり、苦難の出現でもある。
ファンタジーでありながら、淋しい思いを抱かせるのは「さようなら」と同じだと思った。
「月がとても綺麗ですね」と同様に、どうも深田晃司の真意が僕に伝わらなかった。