おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

宮本武蔵・完結編 決闘巌流島

2023-04-18 07:25:54 | 映画
「宮本武蔵・完結編 決闘巌流島」 1956年 日本


監督 稲垣浩
出演 三船敏郎 鶴田浩二 岡田茉莉子 桜井将紀 上田吉二郎 高堂国典    
   八千草薫 岡豊 志村喬 佐々木孝丸 音羽久米子 瑳峨三智子
   清川荘司 加東大介 澤村宗之助 千秋実

ストーリー
旅僧日観(高堂国典)から将軍家師範柳生但馬守に仕官するように勧められ、城太郎(桜井将紀)を伴って江戸へ出た武蔵(三船敏郎)は馬喰町の旅篭で、来る日も来る日も観音像を彫っていた。
その頃、小次郎(鶴田浩二)も細川候(岡豊)へ仕官のため、これも江戸に来ていた。
お目見得の御前試合で、心ならずも相手を不具にした小次郎を慰めたのは家老岩間角兵衛(佐々木孝丸)の娘お光(瑳峨三智子)であった。
ある日、武蔵と出逢った小次郎は対決を迫り、明日の再会を約して別れるが、翌日、果し合いの場所に城太郎が手紙を持って来た。
試合を一年後に延期してくれというのである。
城太郎と博労熊五郎(田中春男)をつれて旅に出た武蔵は、法典ヵ原に小屋をつくり、剣も鍬、鍬も剣なりと畑を耕すのだった。
そんなある日、匪賊に襲われた男装の女を城太郎と熊五郎が救ったが、それはお通(八千草薫)だった。
その頃、江戸吉原の遊廓に身を沈めていた朱実(岡田茉莉子)は細川藩に仕官した小次郎から武蔵の消息を聞き、法典ヵ原に向かったが野武士に囲まれた。
首領は辻風典馬の兄黄平(富田仲次郎)、手下は祇園藤次(加東大介)の一味である。
黄平は朱実を囮にして武蔵を討とうと図るが、却って武蔵に斬られ、朱実は藤次の匁にかかって死んだ。
朱実を葬った武蔵に、豊前小倉へ赴任した小次郎から、舟島で試合をしたいと手紙が届いた。
その当日、武蔵が舟から浅瀬におりると、小次郎が迫った。
東の空が紅く染まり武蔵の背後に朝日が輝いた。
小次郎の剣が円を描いて武蔵の鉢巻を斬った瞬間、武蔵の木刀が打ちおろされた。
砂上に倒れた小次郎の顔には「勝った」という微笑がうかんでいた。
船頭佐助(千秋実)の漕ぐ舟の上で、武蔵の眼から涙が流れ落ちていた。


寸評
武蔵がここまで成長してくると、ユーモアを感じさせるシーンも登場してくる。
筆頭は城太郎と秩父の熊五郎のやり取りだ。
馬喰の熊五郎は武蔵が箸でハエを捉える姿に感服して弟子に志願した男なのだが、弟子ということからいえば子供の城太郎の方が先ということで兄弟子風を吹かせる。
このやり取りが緊張感を和らげる。
城太郎は武蔵とお通を結びつける接着剤の様な役目も負っている。
この作品における城太郎は、もう一人の弟子である伊織の分も合体させた存在で、このシリーズでは伊織は登場してこない。
ちなみに伊織は武蔵の養子となり宮本伊織貞次と名乗って、弱冠20歳で明石藩の家老となっている。
肥後へ移封後も島原の乱には侍大将と奉行を兼ねるなどの武功もあげ、家中の譜代・一門衆を越えて筆頭家老となったようである。

出来事を省いて描くことは、このシリーズの特徴なのかもしれないが、お甲も辻風天馬の兄である辻風黄風に殺されてしまっている。
それは語られるだけで殺害シーンはない。
その辻風黄風と一緒にいるのが祇園藤次で、二人に出合った朱実はお甲を殺した辻風黄風といることを非難するが、殺害シーンがないので祇園藤次への憎しみも半減だ。
祇園藤次は朱実をそそのかして村を襲うのだが、祇園藤次への恨みよりも、恋争いに敗れたお通への恨みの方が上回ったことへの配慮だったのかもしれないが…。

武蔵は高僧日観からの紹介状をもらっておきながらも柳生但馬守とは「まだまだ修行がしたいと」言って会わないことにする。
城太郎は武蔵が出世すれば自分も出世できたのにと残念がるが、武蔵は「お前はそんなことを考えていたのか」と言うだけで咎めることはしない。
説教臭いこともどちらかと言えばあっさりと描いていて、肩ぐるしさを感じさせないシリーズである。

巌流島での決闘シーンは美しい。
相当天候待ちをしたであろうことがうかがえる。
朝焼けの中を武蔵が小舟に乗って現れ、波打ち際で佐々木小次郎がそれを迎える。
朝焼けの空が真っ赤に染まり、その中に二人の姿が浮かび上がる。
太陽の動きなどを見ると一気の撮影だったのかもしれない。
太陽が水平線の雲間から徐々に上っていく様子が背景に写り込む。
上りきると朝日が武蔵越しにまばゆい光で小次郎を照らし出す。
決着は分かっているのだが、対決の緊迫感を生み出す美しい場面で、このシリーズにおける出色のシーンとなっている。
このシーンを見るだけでも価値ある一遍だ。