「めぐり逢い」 1957年 アメリカ
監督 レオ・マッケリー
出演 ケイリー・グラント デボラ・カー リチャード・デニング
ネヴァ・パターソン フォーチュニオ・ボナノヴァ
キャスリーン・ネスビット ロバート・Q・ルイス
ストーリー
ニューヨーク航路の豪華船コンスティテュウション号の美しき船客テリイ(デボラ・カー)は、置き忘れたシンガレット・ケースが縁でニッキイ(ケリー・グラント)と知りあった。
2人は一緒に食事をするほどの仲になったが、共に言い交した人のある身で、船内のゴシップになるのをさけて、別行動をとらねばならなかった。
船がナポリに着いたとき、ニッキイはテリイを誘って彼の祖母の家をたずね忘れ難い旅情に1日をすごした。
ここでテリイはニッキイが才能のある画家であることを知った。
別れの曲に思い出深い1夜を、ニューヨーク港の船内ですごし、6ヵ月後の再会を約して2人は別れた。
その時こそ2人の愛が真実であることを認められるのであろうと信じて……。
やがて誓いの宵、ナイトクラブに出演して成功したテリイは、約束の場所に急ぐ途中、走ってきた車にはねられて重傷を負ってしまった。
それとは知らぬニッキイはそぼ降る雨にぬれながら、夜おそくまで待っていた。
何ヵ月かたったある日、ニッキイは画商から自動車事故で不具になった女性が、彼の描いたテリイの肖像画を欲しがっているが、金が無くて買えないという話をきき、今はすべてをあきらめて、その絵をその女性に贈った。
その後とある劇場でニッキイは車椅子に乗ったテリイにあったが、昔と違う彼女に気づかずに別れてしまった。
クリスマスの日、あの不幸な女性への贈物にと、ニッキイは祖母のショールをもって彼女をおとずれ、部屋にあの絵があるのをみて、総てを知った。
寸評
ブルジョアの恋物語を思わせる前半は、ゴシップを恐れる二人のとる態度が面白おかしく描かれる。
ニッキィは資産家の娘と婚約しており、そのニュースが世界中に配信されている。
一方のテリィも言い交わした男性がいるのだが、その二人が相手を捨ててまで一緒になろうとする気持ちの盛り上がりが上手く描けているとは言い難い。
若い恋人たちが見る分にはロマンチックでウットリするものがあると思うが、それぞれの相手の立場になればたまったものではない。
それを押しのける二人の感情がもっと描き込まれても良かったような気がする。
テリィの気持ちを変えていくのがニッキィの祖母で、老婆の邸宅を訪問し彼女と話すうちに自分の道は自分で決めるということを悟る。
亡くなった祖父は外交官で、趣味で集めたその家の調度品は立派なものだ。
そのことも上流階級の物語を感じさせるのかもしれない。
庶民の僕たちにとっては、羨ましく思える環境下での恋だ。
雲の上の話として僕たちをうっとりさせるのかもしれない。
アメリカに戻った二人は再会を果たし結婚することを約束するが、事故によって再会は果たされない。
それでもお互いを想い続けている二人だが、ケネスが理解を示し本当のことをニッキィに伝えようとするが、テリィはそれを拒否する。
なぜそうしないのかの理由はイマイチ説得力に欠けるが、それも甘いムードで包んでしまう。
デボラ・カーがそうするのだから、そうなのだろうなという雰囲気である。
足を悪くしたテリィは教会で子供たちに音楽を教えている。
その子供たちが唄う場面があるが、意味のない割には結構長い時間を費やして描いている。
歌手として頑張っていたテリィを強調するためだったのかもしれないが、僕は子供を登場させて感動を押し付けているように感じたのだが、多分それは僕のうがった見方だろう。
電話番号からテリィの住居にたどり着いたニッキィが、自分は待ち合わせ場所に行かなかったと嘘をいい、その時の自分の気持ちをテリィに語らせるという着想は面白い。
脚本の妙だ。
ニッキィはテリィの家から去ろうとするが、そこで何を思ったか引き返して部屋のドアを開ける。
そこに自分が描いた祖母とテリィの絵が飾られていてすべてを悟るというエンディングなのだが、なぜニッキィは思い立ったように引き返してきたのだろう。
何のために部屋のドアを開けたのだろう。
僕は一体何をしているのだろうと思ったのだが、そんな疑問も吹き飛ばすハッピーエンドである。
当時はウットリしたのだろうが、今見ると古い作りの映画だなあと感じる。
しかし、それも許せる大人のための善良な映画であることは間違いない。