ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「教育側」の専門家選出

2014-08-29 07:46:04 | Weblog

「キャッチボール」8月25日
 『いじめ対策に脳科学活用』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『いじめや自殺などの対策に脳科学や心理学の研究成果を生かすため、文部科学省は、感情の動きである「情動」を研究する大学や教育機関をネットワーク化し、各分野の専門家と教育関係者が横断的に連携する仕組みづくりを始める』ということです。
 記事では、現状を『いじめや不登校などへの対応は教員の経験に委ねられることが多く、脳の働きや心理学に基づく科学的なアプローチはほとんど行われていなかった』としていますが、そのとおりです。この試みに期待したいと思います。その際に必要なのは、科学的なアプローチを優先したり、教員の経験を優先したりしないことです。
 望ましいのは、経験と科学の間で対等で真摯な意見交換が行われることです。科学は普遍性をもっていますが、入力されたデータに基づいた結論しか出せないという欠点があります。重要な要素を外したままいくら詳細な分析を行っても、役立つ指導法にはつながりません。
 また、経験というと非科学的かつ個別的な印象がありますが、その中には当事者が意識していないだけで、普遍性につながる貴重な暗黙知が潜んでいることが少なくないものです。つまり、両者が補い合ってこそ、真に役に立つ指導原理に結びつくことが期待できるのです。
 そこで問題になるのが、「各分野の専門家」とは誰か、ということです。脳科学者や心理学者については、学会等の推薦という形で問題はないと思われます。しかし、教育の方の「専門家」については、懸念が残ります。教育系の学者や評論家、あるいは全国教育長会代表といった人々が選ばれる可能性が高いように思われるのです。それでは、科学と経験のキャッチボールではなく、単に学者間の協議になってしまいます。
 全国からいじめ事例を発掘し、その中でいじめ問題が解決した事例を抽出し、さらにその解決に教員の指導助言が有効に機能したと思われるケースを選び出して、関わった教員を「専門家」としてピックアップするのです。そして、夏季休業日等に集中討議の場を設定し、本当の現場の意見が生かされるようにするのです。教育側の「専門家」の選出がこのプロジェクトの成否のカギを握っていると思います。

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