「何故か」6月17日
『こども家庭庁発足へ 理念を実現できる体制に』というタイトルの社説が掲載されました。その中に、首を傾げてしまう記述がありました。『縦割り行政から脱却できるかどうかが焦点だ(略)一方で、幼児教育や義務教育は文部科学省が引き続き担当する。自民党の文教族などが移管に反対したためだ』という記述が一つです。
そしてその少し後に、『いじめ問題でも、教育委員会や学校の対応が問題視されるケースが後を絶たない。こども家庭庁は自治体と連携し積極的に関与すべきだ』と書かれているのです。これらの記述から、「文科省が所管してきた幼児教育や義務教育をこども家庭庁に移管すれば、いじめ問題への対応もうまくいったのに残念だ。せめて文科省所管であってもこども家庭庁が関与を強めていじめ問題を解決していくべきだ」という考えがうかがえます。
何故なのでしょうか。どうして、義務教育をこども家庭庁に移管すると、いじめ問題への対応がうまくいくと考えるのでしょうか。その理由が全く理解できません。新しくできる組織ですから当たり前ですが、こども家庭庁には、いじめ問題への対応について、経験もなければ、ノウハウもありません。経験もノウハウもない組織が、経験もノウハウもある組織よりもうまく対応できるというのは、常識ではあり得ないことです。何かそういう理論なり、先行研究なりがあるのでしょうか。少なくとも私は聞いたことがありません。
考えられるのは、文科省・教委・学校という既存システムを、自己保身と隠蔽体質に染まった悪の組織、腐敗した組織とみなし、それと比べるならば、たとえ経験もノウハウもなくても、悪に染まっていない新組織の方がましなはずだ、という考え方が背後にあるということです。それならば理屈としては納得できます。
でも、本当にそうなのでしょうか。私は文科省・教委・学校という現行の教育行政に問題が皆無であるとは言いませんが、他の行政部門と比べて劣っているとは思っていません。むしろ、国際比較でみれば、少ない文教予算にもかかわらず、高い成果をあげている、十分に合格点を得られると考えています。
それでも、新組織が望ましいと考える人は、新組織の経験やノウハウの乏しさは、文科省で義務教育行政に携わってきた人材を新組織に移籍させれば問題ないと言うかもしれません。しかし、人や組織をそのまま移行させれば、経験とノウハウを手に入れることはできるかもしれませんが、悪い体質もそのままということになります。それとも、トップが文科相からこども家庭庁長官に変わるから、体質も変わるという考えなのでしょうか。トップが変われば変わるのなら、文科相を新たに任命すれば済むことです。
問題がある→何か対策を打ち出さねばならない→新しく担当部署を設ければ改善への意欲を見せることができる→新しい組織をつくろう、という図式は国だけでなく、企業や自治体でもよく目にします。そしてその多くが、看板を掛け変えただけで大した成果は上げられないということも、です。今回の義務教育もこども家庭庁へという動きが、この図式に当てはまらないという保証はありません。
真にいじめ問題の解決を考えるのであれば、法改正をし、警察並みの強制捜査力をもった組織を新たに立ち上げ、悪質なケースでは、教委や学校の関係者に対し行政罰だけでなく刑事罰を科す仕組みを整えることです。そして、全国で何万件とある「よくあるいじめ」については、教委と学校と教員を信頼して委ねるのが現実的な方法です。