番外「介護と教育の共通点」2月27日
全国紙の記事を基に書いてきた本ブログですが、今回だけ番外ということで、あるブログについて書かせてもらいます。「角度を広げる努力」と題するブログです。筆者は、東京で訪問介護の会社を経営し、マスコミでも積極的に発信し続けている方です。
そこには、『介護を仕事にするということは、対人のサービスですので、当然のごとく様々な方に出会います。なかには、自分には理解しがたい方にお会いすることもあります。でも、絶対に気をつけたいのが、自分が見た情報だけで、その人を決め付けてしまわない自分の価値観で相手を評価しないということです。「この人のすることは理解できない」「私だったらこうはしないのに」自分の価値判断基準で物事を捉えてしまうと、相手を理解しようとか、相手を受け入れるとかそういうことができなくなってしまいがちです。自分でシャッターを下ろしてしまうんですよね。それよりもむしろ、「この人がこうするにはどんな背景があるんだろう」「何がこの人をそうさせているんだろう」「こういう価値観もあるんだ」と考え、その人を知ろう、その人を理解しようと考えていく方が大切なのではないでしょうか。人には生きてきた道筋があります。何もかもスムーズで完璧な人生でした、なんていう方に私はまだお会いしたことがありません。誰しも、人に言えない辛い過去や、挫折や、苦しみや、痛みや、そういうことを経ての”今”があるんだと思います。人生という歴史すべてが、”今のその人”をかたち作っていると思います。”陽”があれば必ず”陰”もあります。自分が接した瞬間のその人だけで、その人を理解することはできません。色んな角度からその人を知ろうと、その人に対する角度を広げていこうと努力した時、新しいその人と出会えるのではないでしょうか』と書かれています。
これは、教員が子供に接するときの心構えと全く同じです。子供は、様々な顔をもっています。ある教員の前で見せる顔と、他の教員や親、友人の前で見せる顔を違っているのです。いつでも教員の指示や指導に逆らい手を焼かせる子供がいるとします。「ひねくれた子なんだ」と決めつけてしまってはお終いです。「なぜこの子は、私の言うことを聞かないのだろう」→「他の人の前ではどうなのだろうか」→「○○先生の前ではあんな表情を見せている」→「私の接し方が、あの子をかたくなにさせているのではないだろうか」→「まず、教員である私が変わってみよう」と考えることができる人だけがよい教員になれるのです。子供であれ、高齢者であれ、人に接する者の心構えは同じなのです。
<ブログの著者は、beyondkさんです>
全国紙の記事を基に書いてきた本ブログですが、今回だけ番外ということで、あるブログについて書かせてもらいます。「角度を広げる努力」と題するブログです。筆者は、東京で訪問介護の会社を経営し、マスコミでも積極的に発信し続けている方です。
そこには、『介護を仕事にするということは、対人のサービスですので、当然のごとく様々な方に出会います。なかには、自分には理解しがたい方にお会いすることもあります。でも、絶対に気をつけたいのが、自分が見た情報だけで、その人を決め付けてしまわない自分の価値観で相手を評価しないということです。「この人のすることは理解できない」「私だったらこうはしないのに」自分の価値判断基準で物事を捉えてしまうと、相手を理解しようとか、相手を受け入れるとかそういうことができなくなってしまいがちです。自分でシャッターを下ろしてしまうんですよね。それよりもむしろ、「この人がこうするにはどんな背景があるんだろう」「何がこの人をそうさせているんだろう」「こういう価値観もあるんだ」と考え、その人を知ろう、その人を理解しようと考えていく方が大切なのではないでしょうか。人には生きてきた道筋があります。何もかもスムーズで完璧な人生でした、なんていう方に私はまだお会いしたことがありません。誰しも、人に言えない辛い過去や、挫折や、苦しみや、痛みや、そういうことを経ての”今”があるんだと思います。人生という歴史すべてが、”今のその人”をかたち作っていると思います。”陽”があれば必ず”陰”もあります。自分が接した瞬間のその人だけで、その人を理解することはできません。色んな角度からその人を知ろうと、その人に対する角度を広げていこうと努力した時、新しいその人と出会えるのではないでしょうか』と書かれています。
これは、教員が子供に接するときの心構えと全く同じです。子供は、様々な顔をもっています。ある教員の前で見せる顔と、他の教員や親、友人の前で見せる顔を違っているのです。いつでも教員の指示や指導に逆らい手を焼かせる子供がいるとします。「ひねくれた子なんだ」と決めつけてしまってはお終いです。「なぜこの子は、私の言うことを聞かないのだろう」→「他の人の前ではどうなのだろうか」→「○○先生の前ではあんな表情を見せている」→「私の接し方が、あの子をかたくなにさせているのではないだろうか」→「まず、教員である私が変わってみよう」と考えることができる人だけがよい教員になれるのです。子供であれ、高齢者であれ、人に接する者の心構えは同じなのです。
<ブログの著者は、beyondkさんです>