「勘違い?」11月26日
作家柳田邦男氏が、『見失った教育の原点』という表題でコラムを書かれていました。原発事故で避難してきた男児が、避難先の横浜市立小学校でいじめを受けていた問題についてのものです。その中でとても違和感のある言葉にぶつかりました。『学校自治』という言葉です。
柳田氏はこの言葉を、『両親は市教委にも訴えたが、市教委は「学校自治」を理由に介入しなかった』『学校は~(略)~「重大事態」と見なさず、市教委は「学校自治」を理由に介入しなかった』というような文脈で使われています。長年、学校教育、地方教育行政に携わってきた私ですが、この「学校自治」という言葉は初めて目にしました。
正直な感想として、大学において使われる「自治」や教育内容や研究内容への介入への警鐘として使われる「学問の自由」と混同されているのではないか、とさえ思いました。また、「介入」という言葉もおかしいと思います。「介入」とは、本来関与すべきでないことに無理矢理関わって影響力を行使するというニュアンスがあります。「学校自治」も介入も、教委は学校で発生したいじめ問題に対して、指導または命令を発してはいけないという前提で使われているのですが、それは明確な間違いです。
教委の職務権限を定めた「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第19条5項では、「学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること」が挙げられています。生徒指導即ちいじめ問題への対応は、教委の職務権限内なのです。
小難しい法律論を抜きにしても、実態として東京都内の区市教委は、いじめ問題に関して学校を指導しています。私自身、指導室長時代には、保護者からのいじめの相談を受け、ただちに校長に対して事実確認の指示を出し、その日の放課後には校長を教委に呼んで、直接事実関係を確認しました。その上で、該当学級の担任に対しての指示と指導について、細かく校長に伝えました。翌日には再度校長を呼び、担任の受け止め方について聞き取りをしました。そのとき、担任がいじめではなく子供同士のトラブルに過ぎないという認識であり、校長の指示に不満をもっていることが分かったので、指導主事を学校に派遣し、校長の面前で直接担任教員を指導させました。
こうした私の措置に対して、校長から「校長の学校経営権を侵害する行為だ」というような不満はありませんでしたし、学校内で「教委がこんなことにまで口出しするのはおかしい」というような疑問もありませんでした(ただし、担任本人は不満だったようでしたが)。そして、こうした私の対応を知った他校の校長たちからも、不適切な介入だという不満は全くありませんでした。
これが普通の教委と学校の関係です。「学校自治」などという概念が入りこむ余地はありません。京都市教委は、本当に「学校自治」などという考え方をしていたのでしょうか。メディアの勘違い、もしくは拡大解釈で、こんなおかしな言葉が独り歩きしているのではないでしょうか。教委は具体的な事例についても学校を指導できるのです。もちろん、直接対応の矢面に立つことも可能です。