ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

価値ある体験

2024-06-05 08:09:19 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「虫をつかまえ花で首飾りを作る」6月1日
 書評欄に、日本近代文学研究者持田叙子氏による、『「体験格差」今井悠介著(講談社現代新書)』についての書評が掲載されました。同書は、『生活費・学費の格差が生む親から子への貧困連鎖はすでに指摘されている(略)スポーツ・旅行などの<体験>にも格差がある』という問題意識で書かれた本です。
 『<体験>は人間の成長に関わる。なのに<体験>を贅沢ととらえる概念が強い』『多才なイベントを楽しめる子と家族旅行の経験すらない子。この差は大きい』『子ども時代の楽しい思い出は生きる糧だ』など、その通りだと思われる記述が並んでいます。
 しかしどうしても疑問が浮かんで頭を離れません。旅行に行く、イベントに参加する、スポーツクラブに所属する、そうした体験以外の体験の価値についてどのように考えているのか、ということです。
 時代が違うと言われてしまえばそれまでですが、私の子供時代の印象に残っている体験と言えば、バッタやイナゴ、カマキリなどの虫をつかまえたこと、ザリガニ釣りでバケツ一杯捕まえたこと、空き地に廃材でバラックを組み立て、同級生の男子20に異常が参加して戦争ごっこをしたこと、一駅以上歩いて川にゴムを動力に進む自作の船を浮かべて、対岸まで走らせたこと、などなど「生きる糧」となるような体験をたくさんしました。
 いずれも、無料の体験です。スポーツクラブに通ったこともなければ、観劇体験もありませんでした。家族旅行は、年に1回、1泊でいく海水浴だけ、父が勤める会社の葉山の寮に行きました。4畳半の部屋に家族4人、暑くて眠れませんでした。もちろん電車は指定席ではありません。格安だったと思います。
 私がしてきた「体験」が、サッカークラブに加入したり、リゾートホテルに連泊する「体験」に劣るとは思えません。貧困と体験に間に関連性があり、体験の有無、多少が人生に影響を与えるということに異議はありません。ただ、「体験」の内容についての吟味も必要なのではないかと考えるのです。
 懐古趣味なのでしょうか。

 

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