ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

本当のことを言えば許す…

2016-03-29 07:19:47 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「その方法があれば」3月23日
 『告白促す「司法取引」』という見出しの記事が掲載されました。野球賭博問題で処分が注目されていたプロ野球巨人の高木投手に対する処分が、失格1年に決まったことについて報じる記事です。記事では、『正直に告白すれば軽減-野球賭博をそれほど軽く扱っていいのかという思いはある。あおれでも全容解明を優先した「司法取引」ともいうべき作戦だろう』と、今回の措置を分析しています。
 「司法取引」は、捜査力の弱さを補うための武器です。米国では一般的ですが、我が国では拒否反応が強い制度です。自分が助かるために仲間を売るという行為に、薄汚さを感じるのでしょう。では、この「司法取引」を学校に持ち込んだとしたらどうでしょうか。
 学校では、様々な「事件」が起きます。いじめやカンニングといった「重大事件」から、こっそりお菓子を食べたなどというよくある事件まで。こうした事件が発覚すると、学校では子供を相談室等に呼び、事情聴取をします。これがなかなか難しいのです。最近では、「指導死」という言葉が市民権を得るようになってきていることから分かるように、厳しい取り調べはできないのです。
 一人の子供を複数の教員で問いつめる、長時間詰問するなどは、指導死に繋がる行為として許されなくなっています。子供の人権尊重という視点からは当然のことです。しかし一方で、「喫煙していた生徒に他にも喫煙している者はいないか訊いたが、いないということだった」と言って調べを打ち切り、その後大量の喫煙行為が発覚すれば、危機感が足りないと批判されるのも現実です。
 様々な事件を起こすのは、素直で良心的な子供ばかりではありません。教員をなめていたり、間違った正義感で仲間をかばったりする子供は少なくないのです。もちろん、ばれてしまったら今更恭順の意を示しても意味がないという意識をもっている場合も多く見られます。
 そこで、「司法取引」が認められれば、いじめ加害者であっても、真っ先に「自首」し、他の子供のいじめについて詳細に告白した子供は罪を不問にするというやり方をとることができます。自首した子供は口頭注意、後から認めた子供は自宅謹慎、最後まで口を割らなかった子供は強制転校というような差を付けることで、いじめ問題の全容解明を目指すということです。
 間違いなく効果はあります。しかし、そうした行為が教育の場に相応しいかというと別の問題です。以前も述べたとおり、学校や教委の捜査力は非常に乏しいのが現状です。それにもかかわらず、事件後すぐに全容を説明し尽くせないと、「隠蔽だ」「自己保身だ」「間違った仲間意識だ」と批判されます。学校に警察並みの捜査力を求めるのか、信頼という教育的な配慮を認めるのか、是非検討して欲しい問題です。

 

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