ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教育学者と教員の違い

2016-12-18 08:02:55 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「国際標準」12月14日
 『そこが聞きたい 求められる医師像』という表題のインタビュー記事が掲載されました。日本医学会会長高久史麿氏が答えていらっしゃいました。その中で高久氏は、『これまでは日本に医師免許があれば、米国の医師国家試験を受けられたのですが、23年以降は「世界医学教育連盟」の認可を受けた大学の卒業生でないと不可能になります』と述べ、『医学教育を認定する第三者機関「日本医学教育評価機構」がWFMEの国際基準を踏まえて、各大学の医学教育プログラムを公正、適正に評価する仕組みを作りました』と説明されています。
 ちなみに、その評価では、『知識を詰め込むだけでなく、臨床実習の拡充』『患者からの聞き取りや身体所見の取り方』『医師の指導のもと実際の診療に加わり、実践的な臨床能力を身に着ける』などが重視されることになるようです。私はこの記事を読み、教員育成においても学ぶべき発想があると感じました。
 私の勝手な解釈かもしれませんが、上述の新しい評価には、医学の研究者を育てることと医師を育てることは別であるという考え方が根底にあると思えるのです。だからこそ、実際に患者という人間と接する医師には、臨床経験を重視するのでしょう。これを教員育成に当てはめれば、教員育成と教育研究者を育てることとを分けてカリキュラムを考えるべきだということになります。しかし実際には、教員としての職務には役に立たない、教育原理や教育行政、教育関連法、過去の諸学説を知るだけの教育心理学、児童心理学、青年心理学、教育史などの講義が一定の比重を占めています。これを、教育実習を中心にした臨床的なカリキュラムに変えるという取り組みをより一層進めるべきだと考えます。
 また、第三者機関による各教員養成大学や教育学部のカリキュラム評価を実施するということも大切だと感じました。嫌な言い方ですが、第三者機関評価の実施と公表という「圧力」がなければ、教育実習の拡充という施策は実現しないだろうと考えるからです。教育実習を行うには、協力校や協力してくれる教委を探し、具体的な計画を立案し、大学側の体制を整備すると共に、教育実習について深い理解を持つ教官の採用・育成を行っていく責務が大学側に生じます。それは、大学にとっては痛みを伴う改革だからです。大学自体の体質を変え、組織を教員養成と研究者養成に再編することが不可欠になるからです。
 さらに教員養成の国際基準作りを我が国が先頭に立って取り組むことができれば、という夢も抱きました。私はこのブログにおいて、我が国の小学校における教員の授業構想力は高いレベルにあることを指摘してきました。今年になってから、我が国の学校システムを途上国に輸出する事業や教員ノウハウを伝える取り組みが報告されるようになってきていることは、私の主張が間違っていないという傍証になると考えています。発展途上国の人作りに貢献できるとなれば、教員の誇りと志気は高まるはずです。
 少し早い初夢かもしれませんが。

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