ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

正論が通らない

2017-05-22 07:37:40 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「我が国ではなおさら」5月14日
 精神科医佐々木司氏が、『いじめ対策 実効性を』という表題でコラムを書かれていました。その中で佐々木氏は、『外国にもいじめはあり、防止策も開発されている。有名なのは北欧発のプログラムで、効果も実証されている。基本原理の一つは、被害者を助けたくても仕返しを恐れて踏み出せない子どもたちを心理的に支え、行動変化を促すこと。これには、子どもに関わる大人全員による「いじめはダメ」「助ける子を守る」との意思表示の継続が不可欠だ』と書かれています。
 自慢をするわけではありませんが、私がこのブログで述べてきた、いじめ対策の基本と重なる部分が多いのです。私は、いじめを認識したとき、教員は「いじめという行為は何があったも絶対に許さない」という強い気持ちを子供たちに伝えること、いじめという行為は否定するがいじめた加害者の存在を否定するわけではないことを理解させること、常にいじめられている子供やいじめを止めさせようとしている子供の側に立つという姿勢を強調すること、が大切だと主張してきました。
 こうした基本的な立場を明確にすることなしに、話し合いをさせたり、アンケートをとったり、聞き取り調査を繰り返したりすることは、学校側がきちんと対応していますという姿勢をアピールする意味しかなく、本当に苦しむ被害者、助けたいのだけれどと悩む周囲の子供に、不信と絶望を与えるだけなのです。
 佐々木氏のような高名で影響力のある方が、こうした主張を全国紙で行ってくださることは、大変ありがたいことです。でも、佐々木氏や私の指摘は無視され続ける可能性が高いと思います。それは、「いじめはダメ」「助ける子を守る」という姿勢を保ち続けることが、教員にとって辛いことだからです。いじめ加害者という多数派を敵に回したまま、学級なり部活なりの運営を行うことは負担が大きく、孤立=少数派である被害者と同情者の苦しみを見ないふりして多数派に迎合し、表面的な謝罪や和解で済ます方が遙かに楽なのです。子供の多数派ということは、保護者の多数派ということでもあるのですから。
 また、現状では、いじめが発生した→なかなか解決できない=指導力のない教員という周囲の思い込みが強く、いじめを学級や部活全体の大きな問題として取り組むことは、教員自身の評価の低下につながるという意識をもっている教員が少なくありません。穏便に済ませたいという意識が、いじめ問題を矮小化したいという思いにつながり、それが被害者と加害者の形式的和解という安易な策を選ばせる動機となっていることも無視できません。自己保身は醜い行為ですが、人間の本能でもあり、根絶は難しいからです。
 さらに、我が国と北欧諸国の国民性の違いにも留意が必要です。我が国では、集団の中で突出した行動を控えるという人が多くを占めています。子供も同じです。その結果、多数派によるいじめが行われているとき、助けようと行動を起こすことには、大きな抵抗感が生じるのです。その分だけ、教員が「助ける子も守る」という信念を強く打ち出さなければ、子供は動かないのです。教員側からいえば、その分、北欧の教員よりも大きな力がいるということになります。
 校長や教委は、佐々木氏の提言を真っ正面から受け止め、教員を支える仕組み作りに乗り出すべきだと思います。

 

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