「懐かしい昔」8月24日
『免許更新 教員負担重く』という見出しの記事が掲載されました。教員免許更新制が廃止されることを受け、その背景や問題点、課題等を説明する記事です。その中の『「世界一多忙」改善必須』という小見出しの章の中に次のような記述がありました。
『1949年に施行された同法(教育公務員特例法)は、教員を高度な専門職と位置づけ、授業に支障がない限り、勤務時間中であっても校外で自己研さんを積むことを認めた。ところが(略)旧文部省は職場を離れる際の要件を次第に厳しくしたため、上司の職務命令で受ける研修以外は休暇を取らなければいけなくなるなど、教員の裁量が狭められてきた』というものです。
教育行政学を専門となさっている埼玉大准教授高橋哲氏は、こうした現状について、『教育や子供に関する常識は日進月歩であり、教員は普段から学び続ける必要がある。そのためには、職務の一環として教員同士の勉強会に参加したり、大学院の授業を受けたりする権利と時間が保障されるべきだ』と、今後進むべき方向性を示されています。
全く同感です。私はこのブログでも何回も触れてきましたが、教員としての自分を形作ってくれたのは、社会科勉強会という自主的研修組織だったと考えています。リーダーであった目賀田八郎先生に惹かれて集まった若手教員が主体として始まった勉強会は、毎月の例会、不定期の都内地域巡検、夏季休業中の宿泊巡検、年数回の授業研究、年度末の研究成果発表会、研究紀要の発行などの活動を行ってきました。目賀田先生以外は教員経験10年未満の若手だけで始まった会は、30年以上も続き、多くの会員が、都の教育研究員、開発委員、教員研究生、大学院派遣などを経験し、校長や指導室長、教育長などに育ち、また後輩を指導するようになりました。私が最年少の大学4年生で入会したときには、10人程度だった会員は、最盛期には、学習院や成蹊、成城など市立小学校や国立大附属小の教育まで広がって40人を超す会員を抱えるまで発展しました。
活動は授業研究以外は、勤務時間外、費用は全て会員の自弁で、これだけの研究実践の会が継続していたのです。出来の悪い会員であった私も、この会で学んだことを生かして指導主事になり、都の教育研究員を指導するようになりました。育てられた者が、今度は後輩を育てていく、そんな循環ができていたのです。
今、文科省は、新しい学びの定着を目指しています。それは自ら問題を発見し自ら学んで解決する能力を身につけさせることです。この考え方は、人は外部から強制されて学ぶよりも、自らの意思に基づいて学ぼうとするときに、より深く学ぶことができるという、人間の本性への理解に基づいています。教員もまた人間です。専門職として認められ、自らの問題意識に基づいて、自らに合った学び方で学ぶことができるとき、多くを学び身につけることができるのです。
教員免許更新制が廃止されても、教員が学ばなくてよいということではありません。教員のよりよい学びを実現し、そのことによって学校教育を充実させるために、全国各地に自主的な○○勉強会ができることを教育行政は支援すべきだと考えます。