異例ですが、広告欄の週刊誌の見出しに着目しました。週刊文春の広告に『宮迫も会見で言えなかった松本人志が牛耳る吉本興業の闇』という一文です。私は、吉本興業を巡る報道の中で、松本氏らのことが気になっていました。
松本氏は、「動く」とネットで宣言し、社長と会談しています。そして、その後、社長が前言を翻し記者会見を開きました。社長の会見後、同じく同社所属芸人加藤氏が、会長と会談しました。メディアは、階段の内容について、憶測を交え様々に報じていますが、会談そのものについて触れる報道がありません。
例えば、セブンイレブンのフランチャイズ店の店長が、「セブンイレブンおかしいわ」と思ったとして、「明日、社長と話します」と言って会談が実現するでしょうか。プロ野球の一選手が、「自分の感覚と違う。連盟の会長と話してくる」と言って会談が実現するでしょうか。普通はしないでしょう。
組織には原則があります。権限と責任は比例するというのがその一つです。誤解のないように言っておきますが、組織内で低位にある一店長が本社の社長と話をすること自体をおかしいと言っているのではありません。その店長が、何らかの形で多くの店長の意向を代弁する立場にあるというのであれば、それは当然のことです。企業の役職とは別に、従業員やフランチャイズの店長の代表というのは、それなりの権限と責任を負っているものだからです。
しかし、松本氏も、加藤氏も、所属芸人たちから信任状のようなものを集めたという話は聞きません。あくまで一個人なのです。そしておそらく、キャリアが長いとか、稼ぎが多い(吉本興業への貢献度が高い)とか、現経営陣と個人的な人間関係がある(会長らは松本氏の元マネージャー)といったが、発言力の根源なのでしょう。
これは組織としてすこぶる不健全な状況です。私が勤務した学校は、組合立学校といわれるほど、職員団体の力が強い学校でした。教員らが校長の方針に反対するとき、職員団体の中でも古参のM教員が、「俺が話をつけてくる」と言って校長室に入っていくのが通例となっていました。ちなみに、当時のM教員は、職員団体の役職には就いていませんでした。あらゆる意味で、一教員に過ぎませんでしたが、校内では絶大な権力をもっていたのです。校長も教頭も、M教員と話をつければ、後はM教員が他の教員を説得してくれるということで、M教員の「特権」を半ば認めている状態でした。
学校経営上の重大事項は、校長とM教員の談合で決まっていたのです。しかし、それは外部には分かりません。PTAや地域住民、教委も薄々察してはいましたが、詳しくは分かりません。職員会議の記録にさえ、校長と職員の対立は記載されず、事情を知らないものが記録を読めば、何の問題もなくすべてがスムーズに決まっていったかのように思ったはずです。こんな組織が正常だという人はいないでしょう。20数年前に、文科省が「学校の経営権は校長にある」という法令にも明記された当たり前のことを改めて徹底しようとしたのには、こうした現状があったのです。
今の吉本興業は、まさに当時の私の勤務校と同じ状況です。一部の「ボス」が、何の責任も負わない立場であるにもかかわらず、取締役や管理職などを圧倒する力をもっている歪んだ組織運営がなされているのです。どうしてこの異常な状況を誰も指摘しないのでしょうか。松本氏を救世主のように報じるメディア自体が、古い親分子分的体質なのでしょうか。腑に落ちません。