「私の実践」11月27日
エッセイストの平松洋子氏が、『本を読むときの、私の弱点』という標題でエッセイを書かれていました。平松氏は、本を読むときに線を引いたり書き込みをしたりすることができず、そんな読み方ができる人を羨ましく思っていたのだそうです。確かに、本に申し訳ないような気持ちになります。
そんな平松氏は、『そこで編み出したのが付箋攻撃である。いくらぺたぺた貼っても、いざとなったら剥げるという保険をかけているから本の佇まいはそのまま、ひとまず安心』ということで、自分なりの読書法をつくりあげているというのです。
「付箋」で思い出したことがあります。付箋の特徴は、「移動」できるところにあります。私が東京都立教育研究所に研究生として勤務し、社会科の授業についての研究をしていたとき、この付箋を活用した授業法を開発しました。疑問に思ったこと、調べて分かったこと、新たに生じた疑問を付箋に書き出し、それをA3の紙に貼り付け、様々な線で結びつけることにより自分の思考の流れを確認しながら学習を進めるという手法でした。私はそれを、「疑問の関連図」と呼んでいました。
このように書くと、大したことではないと考える方が多いと思います。私も今ではそう思います。しかし、「コロンブスの卵」ではありませんが、些細な工夫でも、最初に生み出すのは大変なことなのです。教員が研究している「授業法の研究」とはこのようなものなのです。一人の教員のささやかな工夫が、何人かの教員に模倣され、そこで改良が図られ、あるいは他の教科への応用が試みられ、それをまた別の教員がマネをするという形で広がり、やがて一般的な授業法の一つとして定着していくのです。
私の研究の是非はともかく、全国に数十万人いる教員が、研究所で、学校で、研究会でささやかな工夫に取り組んできた成果が、我が国の学校の授業の質を高めてきたのです。この伝統は我が国の学校教育の宝です。この貴重な宝を失わせるような教育改革は問題です。この点を理解しない「改革者」が多いことが気掛かりです。
エッセイストの平松洋子氏が、『本を読むときの、私の弱点』という標題でエッセイを書かれていました。平松氏は、本を読むときに線を引いたり書き込みをしたりすることができず、そんな読み方ができる人を羨ましく思っていたのだそうです。確かに、本に申し訳ないような気持ちになります。
そんな平松氏は、『そこで編み出したのが付箋攻撃である。いくらぺたぺた貼っても、いざとなったら剥げるという保険をかけているから本の佇まいはそのまま、ひとまず安心』ということで、自分なりの読書法をつくりあげているというのです。
「付箋」で思い出したことがあります。付箋の特徴は、「移動」できるところにあります。私が東京都立教育研究所に研究生として勤務し、社会科の授業についての研究をしていたとき、この付箋を活用した授業法を開発しました。疑問に思ったこと、調べて分かったこと、新たに生じた疑問を付箋に書き出し、それをA3の紙に貼り付け、様々な線で結びつけることにより自分の思考の流れを確認しながら学習を進めるという手法でした。私はそれを、「疑問の関連図」と呼んでいました。
このように書くと、大したことではないと考える方が多いと思います。私も今ではそう思います。しかし、「コロンブスの卵」ではありませんが、些細な工夫でも、最初に生み出すのは大変なことなのです。教員が研究している「授業法の研究」とはこのようなものなのです。一人の教員のささやかな工夫が、何人かの教員に模倣され、そこで改良が図られ、あるいは他の教科への応用が試みられ、それをまた別の教員がマネをするという形で広がり、やがて一般的な授業法の一つとして定着していくのです。
私の研究の是非はともかく、全国に数十万人いる教員が、研究所で、学校で、研究会でささやかな工夫に取り組んできた成果が、我が国の学校の授業の質を高めてきたのです。この伝統は我が国の学校教育の宝です。この貴重な宝を失わせるような教育改革は問題です。この点を理解しない「改革者」が多いことが気掛かりです。