「連帯意識」10月26日
専門編集委員の西川恵氏が、『日本の南北問題』という標題でコラムを書かれていました。その中で西川氏は、スペイン、イタリア、ベルギー、英国など欧州における「独立運動」に焦点をあて、『基本的構造は同じだ。自分たちが稼いだ冨が税金で吸い上げられ、他の貧しい地域に注がれることへの不満』と解説しています。要するに同じ国内でも、豊かな地域の住民が、貧しき同胞を支えることを嫌っているということです。
経済問題といえば経済問題なのですが、そこには連帯意識の乏しさがあるように思います。同じ国民が困っているのなら多少の犠牲を払っても助けたいという気持ち、これは国民としての連帯意識ともいえます。国民国家という概念は、この同じ国民という連帯意識の上に成り立っているのです。
しかし、当然のように思われていた連帯意識が薄れてきているということを端的に表しているのが欧州の「独立運動」だと思うのです。わが国ではどうでしょうか。大震災の際の「助け合い」をみると、まだまだ連帯意識は生きているように思えますが、わが国でも連帯意識は弱まってきていると思います。生活保護や年金など、社会保障を成り立たせているのは、この連帯意識なのですが、今主流となっている考え方は、「病気でもないのに生活保護を受けるなんて」という連帯とは逆の考え方なのですから。
こうした「自分の利益を他人の存在によって損なわれたくない」という考え方が、学校教育にも及んでくるのは必然です。自分の子供さえよければ他の子供がどうなってもいい、という思いをもつ保護者が増えてくるのです。
話が飛躍するようですが、私は学校選択制は、この連帯意識の低下によって崩壊するのではないかと思っています。学校選択制というのは、見方を変えれば、我が子が多くの人から高い評価を受ける恵まれた環境の中で学んでいるにもかかわらず、本来ならその学校に入るはずがないよその子供が、大挙して押しかけてきて、環境を悪化させるシステムになる可能性があるからです。
それまで、少人数の中で教員と子供が信頼関係を結んで教育活動を行ってきたのに、多くの保護者がその評判を聞きつけて、我が子を押し込んでくるようになり、よい雰囲気が壊れてしまうというのは実際にあり得ることです。子供が広い範囲から通うようになり、家庭訪問等教員の負担が増えその分教育の質が低下するなどということもあるかもしれません。伝統的な住宅街が学区だったのに、団地の子供がたくさん入学してくるようになり落ち着かなくなったというような不満も生じるケースもあるでしょう。今はそこまで神経質になっている保護者はほとんどいませんが、同じ○○市の市民同士というような連帯感がなくなれば、囲い込みや排除の論理が表面に出てくるようになってくるはずです。
杞憂でしょうか。こんな時代を迎えようとしているとき、学校ごとに「理事会」がバラバラな対応をするCSなど、問題を深刻化させるだけだと思います。
専門編集委員の西川恵氏が、『日本の南北問題』という標題でコラムを書かれていました。その中で西川氏は、スペイン、イタリア、ベルギー、英国など欧州における「独立運動」に焦点をあて、『基本的構造は同じだ。自分たちが稼いだ冨が税金で吸い上げられ、他の貧しい地域に注がれることへの不満』と解説しています。要するに同じ国内でも、豊かな地域の住民が、貧しき同胞を支えることを嫌っているということです。
経済問題といえば経済問題なのですが、そこには連帯意識の乏しさがあるように思います。同じ国民が困っているのなら多少の犠牲を払っても助けたいという気持ち、これは国民としての連帯意識ともいえます。国民国家という概念は、この同じ国民という連帯意識の上に成り立っているのです。
しかし、当然のように思われていた連帯意識が薄れてきているということを端的に表しているのが欧州の「独立運動」だと思うのです。わが国ではどうでしょうか。大震災の際の「助け合い」をみると、まだまだ連帯意識は生きているように思えますが、わが国でも連帯意識は弱まってきていると思います。生活保護や年金など、社会保障を成り立たせているのは、この連帯意識なのですが、今主流となっている考え方は、「病気でもないのに生活保護を受けるなんて」という連帯とは逆の考え方なのですから。
こうした「自分の利益を他人の存在によって損なわれたくない」という考え方が、学校教育にも及んでくるのは必然です。自分の子供さえよければ他の子供がどうなってもいい、という思いをもつ保護者が増えてくるのです。
話が飛躍するようですが、私は学校選択制は、この連帯意識の低下によって崩壊するのではないかと思っています。学校選択制というのは、見方を変えれば、我が子が多くの人から高い評価を受ける恵まれた環境の中で学んでいるにもかかわらず、本来ならその学校に入るはずがないよその子供が、大挙して押しかけてきて、環境を悪化させるシステムになる可能性があるからです。
それまで、少人数の中で教員と子供が信頼関係を結んで教育活動を行ってきたのに、多くの保護者がその評判を聞きつけて、我が子を押し込んでくるようになり、よい雰囲気が壊れてしまうというのは実際にあり得ることです。子供が広い範囲から通うようになり、家庭訪問等教員の負担が増えその分教育の質が低下するなどということもあるかもしれません。伝統的な住宅街が学区だったのに、団地の子供がたくさん入学してくるようになり落ち着かなくなったというような不満も生じるケースもあるでしょう。今はそこまで神経質になっている保護者はほとんどいませんが、同じ○○市の市民同士というような連帯感がなくなれば、囲い込みや排除の論理が表面に出てくるようになってくるはずです。
杞憂でしょうか。こんな時代を迎えようとしているとき、学校ごとに「理事会」がバラバラな対応をするCSなど、問題を深刻化させるだけだと思います。