ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

一人一人を隔離するしか

2024-06-10 06:43:37 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「学校の宿命」6月3日
 『平等な社会でこそ激しく 新著「嫉妬論」 他人との差異にとらわれ』という見出しの記事が掲載されました。新著『嫉妬論』(光文社新書)を書かれた政治学者山本圭氏へのインタビュー記事です。
 その中に印象に残る記述がありました。『嫉妬の感情は私たちが生きている以上、なしにはできない。むしろ平等を掲げる民主主義社会でこそ一層激しくなる』『「等しく」あることはかえってこの感情に火を付ける。「おおげさにいえば、民主主義が生まれた時、同時に嫉妬心が生まれる。両者は同じ土壌から生まれた双子のようなもの」』です。
 つまり、元々ある程度の不平等が予想され、あるいは容認されている環境では、あまり嫉妬という感情は深刻化しないが、平等という理念を強く打ち出している環境では、嫉妬という感情は激しくなる、ということです。平等を掲げる場と言えば、何と言っても学校でしょう。
 企業であれば、業績によって様々な差があっても、「そんなものさ」と受け止められるでしょう。売り上げNO1と最下位の社員では周囲の目も上司の接し方も違って当然だと多くの人が考えるでしょう。しかし、学校はそうではありません。100点の子供も、25点の子供も同じ学級の一員でありかけがえのない仲間である、というのが建前ですから。
 もし、給食の配膳をテストの点数の良い順にしたとしたら、保護者から苦情が寄せられ、議会で問題にされ、場合によってはメディアが取材に押しかけ、大騒ぎとなるはずです。最初に配膳されようが最後だろうが、全員揃ったところで「いただきます」をするのですから、実害はないに等しいにも関わらず、です。
 教員は、できるだけ子供たちに平等に接しようと心がけ、そのことで子供たちの間に無用ないざこざやトラブルを起こさないように気を配っています。しかし、「嫉妬論」の指摘に従えば、教員が平等を追求すればするほど、そしてそれが実現すればするほど、子供の間に嫉妬の感情が生まれて大きくなっていくというのです。
 では、学校が平等の旗印を降ろすことができるかと言えば、それはできません。学校は正しい社会規範をお手本として示す場所だからです。平等という概念を否定することは不可能なのです。
 山本氏は、『この感情と上手に付き合っていくしかない』とおっしゃっています。上手な付き合い方として、『「比較の徹底」が提案される。つまり「もっとしっかり相手を観察するということです」。完璧な人間などおらず、意外な事実が目に入れば、嫉妬心もかなり和らぐのではないか』とも語られています。
 正直、何だか頼りない感じがします。嫉妬していた相手をよく観察すると、意外な欠点や弱点を発見することができ、「なんだ、あいつもたいしたことないじゃないか」と思えるようになり、相手が自分よりも上だと思っていたことによって生じる嫉妬心が減じていく、というのですが、それってあら捜しとは違うのでしょうか。よく観察した結果、相手が他にも優れた点があることに気づいてしまったら、嫉妬心が深まってしまうのではないでしょうか。
 学級経営上の問題のかなりも部分が、子供同士の関係性の悪さによって引き起こされます。そしてその根底には嫉妬心があると考えてもよいでしょう。どうしたらよいのか、当分頭を悩ましそうです。

 

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