「正解なし、の意味」12月23日
『美術系大学、連絡協議会設立』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『昨年度から実施された中学の学習指導要領では、生徒が美術や音楽から好きな教科を選ぶ「選択教科」を廃止した。連絡協議会は創造力と表現力の育成が軽視されているとの危機感を共有。共同で小中高校の美術教育を支援し、政策提言もする』のだそうです。
私は、記事の中の『社会で早く答えを出すことが重視されているが、豊かな人間性を育むため、正解のない造形などに挑戦することが必要だ』という記述が気になりました。同会の設立趣旨には賛成です。しかし、私には、美術教育側にも反省すべき点があると考えています。それは、美術教育の価値を分かりやすく説明してきたのか、ということです。
例えば「正解のない」のが造形活動であるというのであれば、評定はどのように行われるのでしょうか。造形活動に評定はふさわしくないというのかもしれませんが、実際に評定はなされています。教員の好みによって評定が異なるのではないかという門外漢の疑問について、きちんと答えてきたとは思えないのです。
「創造力や表現力の育成」というとき、その道筋や過程が明確に示されているのでしょうか。例えば、体力の向上というとき、素人でもトレーニングによって筋力がアップしたり、持久力が高まったりすることがイメージできます。では、創造力を高める指導というイメージを持つことができている保護者や生徒がどれくらいいるでしょうか。
また、このことと関連して、技術と創造力や表現力の関係についても、専門家内でいくつもの立場があり、混乱しているように見えます。技術指導をせず、好きに描きなさい、思ったことをそのまま紙にぶつけなさい、というような指導をしている教員がいるからです。同じように表現力の育成を掲げていても音楽や国語では、具体的な技術指導が存在するように思えるだけに、美術教育だけが目立ってしまうのです。
私には、美術を専攻し美術教育に携わってきた複数の知人がいます。彼らは皆素晴らしい実践家です。しかし一方で、彼らの口から語られる美術教育は、私の感性では理解しきれないものでした。今まで述べてきたことが私という美術オンチだけの感想であればよいのですが。同連絡協議会の成功を願っています。
『美術系大学、連絡協議会設立』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『昨年度から実施された中学の学習指導要領では、生徒が美術や音楽から好きな教科を選ぶ「選択教科」を廃止した。連絡協議会は創造力と表現力の育成が軽視されているとの危機感を共有。共同で小中高校の美術教育を支援し、政策提言もする』のだそうです。
私は、記事の中の『社会で早く答えを出すことが重視されているが、豊かな人間性を育むため、正解のない造形などに挑戦することが必要だ』という記述が気になりました。同会の設立趣旨には賛成です。しかし、私には、美術教育側にも反省すべき点があると考えています。それは、美術教育の価値を分かりやすく説明してきたのか、ということです。
例えば「正解のない」のが造形活動であるというのであれば、評定はどのように行われるのでしょうか。造形活動に評定はふさわしくないというのかもしれませんが、実際に評定はなされています。教員の好みによって評定が異なるのではないかという門外漢の疑問について、きちんと答えてきたとは思えないのです。
「創造力や表現力の育成」というとき、その道筋や過程が明確に示されているのでしょうか。例えば、体力の向上というとき、素人でもトレーニングによって筋力がアップしたり、持久力が高まったりすることがイメージできます。では、創造力を高める指導というイメージを持つことができている保護者や生徒がどれくらいいるでしょうか。
また、このことと関連して、技術と創造力や表現力の関係についても、専門家内でいくつもの立場があり、混乱しているように見えます。技術指導をせず、好きに描きなさい、思ったことをそのまま紙にぶつけなさい、というような指導をしている教員がいるからです。同じように表現力の育成を掲げていても音楽や国語では、具体的な技術指導が存在するように思えるだけに、美術教育だけが目立ってしまうのです。
私には、美術を専攻し美術教育に携わってきた複数の知人がいます。彼らは皆素晴らしい実践家です。しかし一方で、彼らの口から語られる美術教育は、私の感性では理解しきれないものでした。今まで述べてきたことが私という美術オンチだけの感想であればよいのですが。同連絡協議会の成功を願っています。